「三人の子ども」のつぎの部分に、「あたりは岩めいてきて」みたいな言い方をつかおうとおもっていたのだけれど、この「〜〜めく」はこちらの独自言語じゃないかという疑いもあった。つまり、この「岩めく」は、こちらのなかでは、岩が多くなってくる、みたいなニュアンスなのだ。ちょっとだけ検索してみた感じだと、一般的にはたぶんこういう使われ方はしない。辞書的な定義からも逸脱しており、そこからけっこう拡張された意味合いだとおもう。じぶんが「〜〜めく」にこういうニュアンスまで含めるようになったのは、たぶん天気を書くときに、雲が多い空について「雲めく」という言い方をしたところからじゃないかという気がする。曇りっぽい、みたいな感覚で使っていたはず。「〜〜っぽくなる」というのは、通常の「〜〜めく」の意味の範疇に収まっていると言っていい。「春めく」はまさしく、春っぽくなってくる、ということだ。この「〜〜っぽくなる」が、じぶんのなかでは、「〜〜が多くなる」に拡張されたらしい。だから「あたりが岩めく」も、あたりが岩っぽくなってくる→岩が多くなってくる、というイメージだったのだ。こういう用法をしている例がないわけではないんじゃないかという気はするし、なんかの本で例を見たのでは? という気もするのだけれど、あんまり一般的ではなさそうなので、「三人の子ども」に使うかどうかわからない。

  三人の子ども


イルとイリリとイリヤが、その三人のきょうだいだった。成長すればイルはリルラに、イリリはリリアに、イリヤはリルカになるはずだった。そのうちのだれかが、リルとリラを生んだ、のかもしれない。三人の親は、リルとリラのふたりだった。
 一族の暮らしは山の上だった。天蓋のそばに夜な夜な澄みゆく高地の空気は、三人の成育に影響を与えたろうか? 空は球をえがくことをやめ、膨大な箱のようなものだった。八つの角はしかし、ひとの目からは隠されていた。イリリが空のすみっこを見つけ、あれ! とゆびさしてみせれば、イルにはひらきかけている箱の斜面のまんまんなかに見えるのだった。ふたりは喧嘩に飽きなかった。「わたしの言うことがわからない?」「あなたこそ、わたしの言うことが聞こえてないんじゃない?」 なめらかな頬をつねり、丸い耳を引っ張り、いまだ虫歯知らずの稠密な歯をがちりがちりと噛み鳴らして威嚇した。飽きないのは、喧嘩が遊びの一環だからだった。あいての怒りの表現のなかに、思い出し笑いにも似たちいさなゆがみがひそんでいることを、ふたりは見破っていた。じぶんの怒りの表情の底によろこびの幼虫がもだえているのを知らなかった。だからこそ、諍いはいつも破顔で終わった。あいてを言い負かし、泣かせたほうが勝ちではなく、本気の怒りを怒りとして保てなくなったほうが負けなのだった。時のようにながくつらなった木立の端の、ひときわ頑張り屋さんな一本と、ささめき交わす梢たち、イリヤにはそれしかわからなかった。まだまだ子守り唄の恋しい年頃だったのだろう。鳥も風も、命も太陽も、日々の終わりも未知の思考も、来るものはすべて例外なく、八つの角から来るはずだった。
 いつの世も、山にあるものなど変わりはしない。草木は無尽蔵の錯誤を喚び起こすまでにおびただしかった。人間の無力をただ思い知らせんがごとく、谷間は深くはげしく抉れ、魚でさえすすんで棲まおうとはしないだろう急峻の水は一家の手からほど遠かった。山のあちこちに水源がねむり、岩や根の間のにじみ出しからはじまる清いながれは、じきに石を呑みこみ、苔を剝がしとり、駈けくだるうちに地を削りながら押しのけて、激流の滝へとふくらみこぼれた。五人の生活のそばには、膨張するはるか手前のしとやかなひとすじが、草土の湿ったしとねの狭間にしずしずと音 [ね] を吐いていた。用心深い動物たちはみずから人前にあらわれようとはしなかったが、小川の縁に両膝をついて汚れものを洗っているとき、はだかになった三人がばしゃばしゃ水を蹴り上げて顔と髪の毛を濡らすとき、離れた木の間に鹿の親子のまだら模様をみかけることなどよくあった。時がゆるせば、山は緑ひといろに包まれた。一色のなかには無数の彩りがひしめき合っていた。木々はどれも蜜のように濃かったが、となり合うふたつの梢はつやの厚みを微妙にたがえて差しかがやき、ちかづけば葉のひとひらふたひらにも照りの強弱が見て取れた。すぐ傍らから発した濃緑の群れは視線を彼方へ伸ばすにつれて、高さから切れ目ののぞかぬ平坦なひろさへ様変わりしていき、天の鯨の通い路のごとく空の下端を架けめぐりながら、たたなわるたびに淡い青さをいや増し混ぜた。家の間近の斜面は、見渡すかぎりの芝生だった。毛足ふくらかに生い茂った芝草は、風が吹くならばつぎつぎと低く伏せなびき、そのとき斜面は目のうちをしとどにながれるまぶしい常朝の緑と化した。そこここに、ながれをせき止める岩の点在があった。焦茶、黒、雪白、木肌、ススキなど、岩もまたそれぞれの色をもっていた。それが、牛たちだった。朝夕、芝を食んでは反芻し、夜にはおなじ草ぐさを枕としながら乳房を重く垂れ下げるのが彼女たちの暮らしだった。ぼとりぼとりと落とした糞は、蝿をいざない惑わせながら、浅緑のあかるさのなかにほろほろ剝がれて乾いていった。長い時間と労力をかけて、リルとリラが芝生を植えたわけではなかった。もちろん、子どもたちが植えたのでもなかったし、牛たちが植えたわけでもなかった。
 山の天象は変わりやすい。とはいうものの、天にちかい分、変転のきざしは重量のように感じ分けられた。雨のはじまりは雲よりもむしろ、風の速度と手ざわりに雄弁だった。降りだせば、濡れそぼった牛たちの声も雨線に攫われ昇りゆかず、がらんどうの簡素な牛舎は奏で手のいない打楽器と化した。奏でるものがなくとも、聞くものがいた。雨音は二重だった。時間そのものの蠢動めいたほのかな子音をひろい寝床に、またも無数の、今度は鈍い打音が、刹那の一夜を生きて散りゆくその場かぎりの死者たちとしてひしめき合っていた。屋根や軒端のどこに落ちるか、粒の大きさ、速さや角度、周囲に散ったものとの隔てやまじわり合いの如何によって、すべての一打はほかを知らないおのれの響きを誇っていたが、どれだけ耳を凝らしたとしても、せいぜい三、四種の、なかば錯覚を強いて五種の、律動ばかりが繰りかえされた。降りが逸れば二重 [ふたえ] の境は打音の過密にうしなわれ、さらに盛った連打が迫れば一重 [ひとえ] のうちすらおぼろめき、反復はただ反復のままに永劫のとおい景色をはらんだ。どこを凍らせ切り取ったとておなじ模様しか聞き分けられない機能不全の時間の歌も、毛物の耳には多彩に波立ちくるめく旋律なのだろうか? それとももとよりその脳髄は、一瞬前と一瞬後とを無碍につらぬき繋ぎつづける持続の国にはないのだろうか? ツェルターというのが、犬の名だった。まだまだ若いくせに、といってひとの歳月 [としつき] になおしてみたなら四十に搦んではいたろうが、日がな一日小屋の片隅に寝そべって、身じろぐことさえほとんどなかった。左右の壁にずらりとならんだ高窓の列をみなもとにして半端に混じらう明暗の底、拾われることを忘れて饐えた干し草の束と変わりなかった。長靴でつまずいた拍子にばらばらとほどけ去ってしまいそうな意気のなさでありながら、丁寧に均され固められた冷たく黒い土の地面に、課せられた執念か狂信のごとくへばりついて怠りなかった。病や怪我、妊娠出産などで牛が一時、小屋のなかで起き伏すあいだも、寄り添う気色など微塵ももらさず、意識あるものにはおよそ不可能な無視の極みを究めつづけた。産まれた子どもに近寄ろうとするはずがなかった。仔牛が危なげなく斜面を歩けるようになるまで、ただただ居場所をともにしつづけるのみだった。まれにゆらゆらと牛舎の周りを出歩いて、斜面の縁にたたずみながらまぶしい風を顔に浴びたが、勇んで芝生のなかに飛び出し牛を追うなどありえなかった。聞くばかりで、吠え声を聞かせることは絶えてなかった。ほんとうに聞いているのかいないのか、目を開けているのかいないのか、鼻が生きているのかいないのか、眠っているのか、いないのか? 眠りのうちにも、耳はひらいているものだ。明でも暗でもなく音の偏在ばかりが窓の向こうにびたと貼りつきがたがた軋む雨の白昼、薄鈍色のほの寒い空に青い山々は呑みこまれ、もっとも近くの一枚だけがどす黒いような威容を残した。草木はふくんだ水気の分だけ緑の距離を押し狭め、合一の岸の一歩手前で殴打にひたされきっていた。風の道にあってとりどりの岩だった牛たちは、雨に籠められてまがいようもなく牛だった。数時間分先取りされた石灰水の黄昏に、不揃いだった牛たちの色も濡れてまだしも互いを親しみ、調和をつよめた斜面の肉の居所ばかりはしかし揃わず、雨の切迫も知らぬ気にどこ吹く風の暢気さで、うろつきながらそれぞれいつもの草の食事を取っていた。狭霧に捲かれてなおうしなわれぬその肉体をたどっていけば、順路をつくれず如何様にでも分かれ結んで切ることのできる融通自在の破線の群れが命の隙間にあらわれた。雨にはかかわりのないことだった。屋根を伝い、木の葉を伝い、幹を伝い、芝生を伝い、牛の背を伝い雨水は、空から地中を愚直に伝って谷間の川を苛酷に太らせ、まるで神降ろしの儀のように、一途 [いっと] に下界を目指しながれた。
 リルとリラは言ったのだ、「明日、村に行ってきます」と。「わたしもいっしょに行きますからね、あなたたちは、お留守番していてくださいね」
 「わたしも行く!」
 「わたしもー」
 「あーち! あーちも?」
 困った顔を見合わせながら、嬉しそうにふたりはほほえんだ。いつものことだった。もう少し、大きくなってからにしましょう、と返すと、三者三様の声色間延びで、えー、えー、と抗議の声がかさなって上がり、イルとイリリはイリヤに抱きついて、身体中をくすぐった。あー! あー! と身悶えのなかに甲高く伸びる喚き声は、仕返されたふたりを巻きこむ大きな笑みへとすぐさまふくらみ、大人ふたりも伝染されて、煮込んだ野菜の香りとともに笑いの一夜はうつろった。翌朝はやく、牛舎の奥から、四輪の木製荷車が引き出された。荷台に敷かれた毛織の布は柑橘のように鮮やかだったかつての黄色も褪せきって、ところどころに菌糸のような固い染みさえつくっていたが、虫食いの穴はひとつも見られず、縁も綺麗に編みこまれて、缶を受け止め支える厚さをまだまだ失いそうもなかった。台の左右を越えた端から垂れた飾りは鈴生りめき、道中、風や振動に感じ、ふるふる跳ねては木板を叩いた。子どもたちの手に缶は重かった。車上に立ってほころび顔のリルとリラが中腰のまま、ゆっくり、ゆっくり、と手を差しのべて励ますほうへ、イルとイリリはふたりでひとつの缶の持ち手をつかんで歩き、側面にゆびをつたなく添わせることしかできないイリヤはまじめくさった顔つきで、ゆっくり、ゆっくり、とつぶやき返した。缶にはどれも年季の入った錆やへこみや擦れ跡があり、幾星霜もたびかさなった指紋の迷宮もどきのなかに手指の脂や垢は同化し土埃までもかたまって、いくら磨いても取り去りきれない古色を悠然といろどっていた。あたかも他人の記憶のごとく半透明だった朝のひかりも荷積みの間にかるく色づき、森をめぐって葉脈のうちのながれを促す爽やかな熱に、知らず知らずと頬はあかるんで、うなじにうっすら汗が乗った。荷台に整然とならべ置かれた銀色の缶の肩のあたりに、高まりつつある太陽のつよく小さなうつし身が、ひとつひとつわずかに異なる位置取りでおのれの所を刳り抜いて、ことごとくまばゆい白さを集散すれば、表面にひろく染みついている砂埃のざらつきも、錆も汚れも変色もみな、まとめてひとつうつくしい痣の風合いを見せて輝きうねり、朝陽の束の間、地上の缶は星雲をこまやかにあざむいた。瞳を刺しても血をつけられない純白の棘をまとった珠の一団は、車が動きはじめると、どれも輪郭を過剰に伸ばし過剰に縮めて、一家がついぞ見たことなどない海の命の神秘もおよばぬ目くるめく畸形を顕しながら、一斉に、となりの缶に飛び移ろうとでもいうかのように、おなじはやさでおなじ方向へ、にじるようにすべるのだった。缶と缶のあいだには大量の干し草と、古びて雑巾代わりにしている布や衣服の切れ端などがぎっしりと隙間なく詰めこまれた。揺れや転倒で乳が酸っぱくなるのを防ぐためだった。それに、あんまり揺すぶってしまったら、まだだれも見たことのない未知の奇怪な生命が産まれてしまいかねないじゃないか? 木々も空も、海も雨も町も、山も蝿も牛たちも、わたしたちの住む宇宙すべてが、牛のお乳に包まれてうねうね踊り呆けているそのうじ虫の皮のごく一片でないなどと、いったいだれが言えるっていうのか? 村は遠かったが、山の尺度に照らしてみれば、さほどの遠さではなかった。獣の距離と人間の距離とは、おなじ単位で測れまい。ふたりは前から荷車を引き、後ろからも押しながら、一歩一歩、人間の距離を踏んでいった。道は砂であり、赤土であり、浅い下生えの断続だった。いずれにせよ、いくつもの、いくつもの足によって踏み慣らされ、切りひらかれた地面だった。花は車輪に踏み潰された。それは、よける余裕のないときに限られた。多くの場合、花は車の下をうまくくぐって通り抜けるか、せいぜい花びらの先端を荷台の裏にすりつけてくにゃりと撓めるくらいだった。丈高な木々の図太い幹が左右にいつまでもついてくる、ひとすじの柱廊めいた道があった。枝はすべて、見上げる視線の先にひろがり、ひとの足から頭の範囲は、火照ったからだの存在を告げる風が生まれるための場だった。木々の根もとの下草のなかにうす青い花が群生していた。親指の腹をはみ出すくらいの大きさで、よどんだ日暮れの残照が消えた直後の雲と似通う青さに、白と黄色の曖昧な線を差しこんでいる花だった。木叢は道まで迫り出しながら虫の甲殻をおもわせる暗緑色の硬さをさらし、木もれ陽のつくる影の濃淡は、かたちなきもののまぐわいのごとく、靴の周囲を頻りにもてあそんだ。見事な花を見つけたならば、ふたりは道々、繊細な手つきで、躊躇なくやすやすと茎から手折って干し草の上に飾りを添えた。朝方蟻が入りこんだら夜までさまよいつづけることもできそうな、幾重にも折り重なった花弁をまとって仰々しくも肉厚な花、煮立った鍋に細くそそがれた鶏卵のやわいまとまりじみてとらえどころなくしなやかな花、例えばそういうものだった。色は? 紅や黄色、青や桃色、果ては白まで、何でもよかった。

 八時ごろ、買い物へ。部屋を出ると通路の天井、ちょうど階段を上がったところの頭上にある蛍光灯が、映写機のまわる音のようなこまかな響きをじりじり立てながら高速で明滅しており、おお、とおもった。視界にわるい。階段を下りてポストを確認するとそとへ。道路に降りるというよりは入り口からそのまま左にからだを回すような感じで脇のゴミ出しスペースに入る。あしたが古布の回収日なので、いらなくなったタオルなんかを詰めて縛ったビニール袋を階段の下にあたるちょっとした空間に置いておく。そうして道へ。部屋のなかでは肌着のシャツですこし暑いくらいだったが、外気に触れてみれば、そのうえにシャツをまとった格好だと涼しさがつよかった。しかし歩けばあたたまる。路地を出て向かいに渡り、左折してT字のほうへ。空は全面曇っており、細い電線は埋まってほとんど見えないくらいだ。まもなく顔にふれる粒があって、足もとをみれば点々と黒い染みもできており、降り出したのかとおもっているうちに感触はどんどんたしかになっていく。横断歩道を渡って右折し、H通りに入る角の敷地が、まえは駐車場だったはずだが、といって車が停まっているのをみたおぼえがないので空き地だったのかもしれないが、いや、以前ここにあった焼き鳥屋がつぶれたのでたぶんそれで空き地となったのだろう、ともかくそこにあたらしいものが建つようで、掘られた穴のなかに無数の四角で区分された金属のケージみたいなものが収められていくつか場所を区分けしており、横をあるけば上下で層をなしているその四角がぴったりかさなったりまたずれたりする。通りに曲がる。公園の木のこずえの色がもうなかなか濃い。ここをまっすぐ行くあいだに雨は順調に降り増して、アパートのダストボックスやらなにやらに当たる音が耳にはっきり届くようになり、対向者に傘を差しているひともいて、車が通ればライトのなかに雨線が詰まってみえる。HA通りに出て左折するとにわかに盛りだし、歩道に乗るころにはマスクの裏側に例のにおい、あたたまったアスファルトが雨に濡れてのぼらせるあの独特のにおいが入りこんできた。まいったなという感じだが、一過性の不安定な降りの気配もあり、帰るころには止んでいるのではと期待をいだいた。イチョウの木々はやはり夜でも青々と明晰な葉をつけだしている。あたまが濡れたので髪を前からうしろに向かってかきあげながら道路を渡った。スーパーにはいって回って買い物。米とか、その他もろもろの食い物。この時間は基本いつもそうだろうがレジはひとつしか稼働しておらず、こちらがならんだとき、ふたり前で大量のものたちを買ったひとの品を読みこんでいる最中で、ひとり前はカートをつかって籠にコーラのおおきなペットボトルとかをこれもたくさん入れた眼鏡の男性で、待っているうちに背後にもふたりばかし続くひとが来た。それでもふたり前がまだ終わらない。呼び出しベル押してほかの店員呼べばいいのにとおもいながら、壁の時計をみやったり、周辺に視線をてきとうにさまよわせたりしていると、ひとり前のひとが突然カートをともなって場をはなれ、通路をたどっていっていなくなった。後続が多いのをおもんぱかっていったん会計をやめたのかもしれない。買いたい品をおもいだしたのかもしれない。いずれにせよひとり分進み、台に籠を置いて会計へ。終えて荷物を整理すると退店。はいってきた女性のふたりをみるに傘を持っていたけれど、出れば雨はもうほとんど降っていなかった。散るばかり。好都合。横断歩道を渡って裏へ。濡れた路面に街灯の白さが反映してすじとも帯ともつかず曖昧に抜けてくる道のうえのひかりの道となり、その左右にか黒く塗りつぶされたいくつもの差しこみはちょうど虎縞の不均一だ。すすめば足もとの発光はうつりゆき、なくなる。空の色は変わっていない。のろい足が抜かされる。みれば禿頭の仕事帰りの年かさで、ショルダーバッグをななめにかけて右尻のあたりに本体を置き、真っ青な折りたたみ傘を左手で支えて、右手は歩くたび、ほとんど横に振れているのではないかというくらい、ななめに規則的にひらいては閉じていた。まるでその腕のうごきで推進しているかのようだ。道端にオレンジ色の地上灯がふたつあり、その色がこちらに向かってななめに伸びて、真っ黒な水のうすいたまりも街灯の白さのうえも横切る第三のすじとなっていた。ほどよく湿ってやわらかい風ににおいはない。

  三人の子ども


イルとイリリとイリヤが、その三人のきょうだいだった。成長すればイルはリルラに、イリリはリリアに、イリヤはリルカになるはずだった。そのうちのだれかが、リルとリラを生んだ、のかもしれない。三人の親は、リルとリラのふたりだった。
 一族の暮らしは山の上だった。天蓋のそばに夜な夜な澄みゆく高地の空気は、三人の成育に影響を与えたろうか? 空は球をえがくことをやめ、膨大な箱のようなものだった。八つの角はしかし、ひとの目からは隠されていた。イリリが空のすみっこを見つけ、あれ! とゆびさしてみせれば、イルにはひらきかけている箱の斜面のまんまんなかに見えるのだった。ふたりは喧嘩に飽きなかった。「わたしの言うことがわからない?」「あなたこそ、わたしの言うことが聞こえてないんじゃない?」 なめらかな頬をつねり、丸い耳を引っ張り、いまだ虫歯知らずの稠密な歯をがちりがちりと噛み鳴らして威嚇した。飽きないのは、喧嘩が遊びの一環だからだった。あいての怒りの表現のなかに、思い出し笑いにも似たちいさなゆがみがひそんでいることを、ふたりは見破っていた。じぶんの怒りの表情の底によろこびの幼虫がもだえているのを知らなかった。だからこそ、諍いはいつも破顔で終わった。あいてを言い負かし、泣かせたほうが勝ちではなく、本気の怒りを怒りとして保てなくなったほうが負けなのだった。時のようにながくつらなった木立の端の、ひときわ頑張り屋さんな一本と、ささめき交わす梢たち、イリヤにはそれしかわからなかった。まだまだ子守り唄の恋しい年頃だったのだろう。鳥も風も、命も太陽も、日々の終わりも未知の思考も、来るものはすべて例外なく、八つの角から来るはずだった。
 いつの世も、山にあるものなど変わりはしない。草木は無尽蔵の錯誤を呼び起こすまでにおびただしかった。人間の無力をただ思い知らせんがごとく、谷間は深くはげしく抉れ、魚でさえすすんで棲まおうとはしないだろう急峻の水は一家の手からほど遠かった。山のあちこちに水源がねむり、岩や根の間のにじみ出しからはじまる清いながれは、じきに石を呑みこみ、苔を剝がしとり、駈けくだるうちに地を削りながら押しのけて、激流の滝へとふくらみこぼれた。五人の生活のそばには、膨張するはるか手前のしとやかなひとすじが、草土の湿ったしとねの狭間にしずしずと音 [ね] を吐いていた。用心深い動物たちはみずから人前にあらわれようとはしなかったが、小川の縁に両膝をついて汚れものを洗っているとき、はだかになった三人がばしゃばしゃ水を蹴り上げて顔と髪の毛を濡らすとき、離れた木の間に鹿の親子のまだら模様をみかけることなどよくあった。時がゆるせば、山は緑ひといろに包まれた。一色のなかには無数の彩りがひしめき合っていた。木々はどれも蜜のように濃かったが、となり合うふたつの梢はつやの厚みを微妙にたがえて差しかがやき、ちかづけば葉のひとひらふたひらにも照りの強弱が見て取れた。すぐ傍らから発した濃緑の群れは視線を彼方へ伸ばすにつれて、高さから切れ目ののぞかぬ平坦なひろさへ様変わりしていき、天の鯨の通い路のごとく空の下端を架けめぐりながら、たたなわるたびに淡い青さをいや増し混ぜた。家の間近の斜面は、見渡すかぎりの芝生だった。毛足ふくらかに生い茂った芝草は、風が吹くならばつぎつぎと低く伏せなびき、そのとき斜面は目のうちをしとどにながれるまぶしい常朝の緑と化した。そこここに、ながれをせき止める岩の点在があった。焦茶、黒、雪白、木肌、ススキなど、岩もまたそれぞれの色をもっていた。それが、牛たちだった。朝夕、芝を食んでは反芻し、夜にはおなじ草ぐさを枕としながら乳房を重く垂れ下げるのが彼女たちの暮らしだった。ぼとりぼとりと落とした糞は、蝿をいざない惑わせながら、浅緑のあかるさのなかにほろほろ剝がれて乾いていった。長い時間と労力をかけて、リルとリラが芝生を植えたわけではなかった。もちろん、子どもたちが植えたのでもなかったし、牛たちが植えたわけでもなかった。
 山の天象は変わりやすい。とはいうものの、天にちかい分、変転のきざしは重量のように感じ分けられた。雨のはじまりは雲よりもむしろ、風の速度と手ざわりに雄弁だった。降りだせば、濡れそぼった牛たちの声も雨線に攫われ昇りゆかず、がらんどうの簡素な牛舎は奏で手のいない打楽器と化した。奏でるものがなくとも、聞くものがいた。雨音は二重だった。時間そのものの蠢動めいたほのかな子音をひろい寝床に、またも無数の、今度は鈍い打音が、刹那の一夜を生きて散りゆくその場かぎりの死者たちとしてひしめき合っていた。屋根や軒端のどこに落ちるか、粒の大きさ、速さや角度、周囲に散ったものとの隔てやまじわり合いの如何によって、すべての一打はほかを知らないおのれの響きを誇っていたが、どれだけ耳を凝らしたとしても、せいぜい三、四種の、なかば錯覚を強いて五種の、律動ばかりが繰りかえされた。降りが逸れば二重 [ふたえ] の境は打音の過密にうしなわれ、さらに盛った連打が迫れば一重 [ひとえ] のうちすらおぼろめき、反復はただ反復のままに永劫のとおい景色をはらんだ。どこを凍らせ切り取ったとておなじ模様しか聞き分けられない機能不全の時間の歌も、毛物の耳には多彩に波立ちくるめく旋律なのだろうか? それとももとよりその脳髄は、一瞬前と一瞬後とを無碍につらぬき繋ぎつづける持続の国にはないのだろうか? ツェルターというのが、犬の名だった。まだまだ若いくせに、といってひとの歳月 [としつき] になおしてみたなら四十に搦んではいたろうが、日がな一日小屋の片隅に寝そべって、身じろぐことさえほとんどなかった。左右の壁にずらりとならんだ高窓の列をみなもとにして半端に混じらう明暗の底、拾われることを忘れて饐えた干し草の束と変わりなかった。長靴でつまずいた拍子にばらばらとほどけ去ってしまいそうな意気のなさでありながら、丁寧に均され固められた冷たく黒い土の地面に、課せられた執念か狂信のごとくへばりついて怠りなかった。病や怪我、妊娠出産などで牛が一時、小屋のなかで起き伏すあいだも、寄り添う気色など微塵ももらさず、意識あるものにはおよそ不可能な無視の極みを究めつづけた。産まれた子どもに近寄ろうとするはずがなかった。仔牛が危なげなく斜面を歩けるようになるまで、ただただ居場所をともにしつづけるのみだった。まれにゆらゆらと牛舎の周りを出歩いて、斜面の縁にたたずみながらまぶしい風を顔に浴びたが、勇んで芝生のなかに飛び出し牛を追うなどありえなかった。聞くばかりで、吠え声を聞かせることは絶えてなかった。ほんとうに聞いているのかいないのか、目を開けているのかいないのか、鼻が生きているのかいないのか、眠っているのか、いないのか? 眠りのうちにも、耳はひらいているものだ。明でも暗でもなく音の偏在ばかりが窓の向こうにびたと貼りつきがたがた軋む雨の白昼、薄鈍色のほの寒い空に青い山々は呑みこまれ、もっとも近くの一枚だけがどす黒いような威容を残した。草木はふくんだ水気の分だけ緑の距離を押し狭め、合一の岸の一歩手前で殴打にひたされきっていた。風の道にあってとりどりの岩だった牛たちは、雨に籠められてまがいようもなく牛だった。数時間分先取りされた石灰水の黄昏に、不揃いだった牛たちの色も濡れてまだしも互いを親しみ、調和をつよめた斜面の肉の居所ばかりはしかし揃わず、雨の切迫も知らぬ気にどこ吹く風の暢気さで、うろつきながらそれぞれいつもの草の食事を取っていた。狭霧に捲かれてなおうしなわれぬその肉体をたどっていけば、順路をつくれず如何様にでも分かれ結んで切ることのできる融通自在の破線の群れが命の隙間にあらわれた。雨にはかかわりのないことだった。屋根を伝い、木の葉を伝い、幹を伝い、芝生を伝い、牛の背を伝い雨水は、空から地中を愚直に伝って谷間の川を苛酷に太らせ、まるで神降ろしの儀のように、一途 [いっと] に下界を目指しながれた。
 リルとリラは言ったのだ、「明日、村に行ってきます」と。「わたしもいっしょに行きますからね、あなたたちは、お留守番していてくださいね」
 「わたしも行く!」
 「わたしもー」
 「あーち! あーちも?」
 困った顔を見合わせながら、嬉しそうにふたりはほほえんだ。いつものことだった。もう少し、大きくなってからにしましょう、と返すと、三者三様の声色間延びで、えー、えー、と抗議の声がかさなって上がり、イルとイリリはイリヤに抱きついて、身体中をくすぐった。あー! あー! と身悶えのなかに甲高く伸びる喚き声は、仕返されたふたりを巻きこむ大きな笑みへとすぐさまふくらみ、大人ふたりも伝染されて、煮込んだ野菜の香りとともに笑いの一夜はうつろった。翌朝はやく、牛舎の奥から、四輪の木製荷車が引き出された。荷台に敷かれた毛織の布は柑橘のように鮮やかだったかつての黄色も褪せきって、ところどころに菌糸のような固い染みさえつくっていたが、虫食いの穴はひとつも見られず、縁も綺麗に編みこまれて、缶を受け止め支える厚さをまだまだ失いそうもなかった。台の左右を越えた端から垂れた飾りは鈴生りめき、道中、風や振動に感じ、ふるふる跳ねては木板を叩いた。子どもたちの手に缶は重かった。車上に立ってほころび顔のリルとリラが中腰のまま、ゆっくり、ゆっくり、と手を差しのべて励ますほうへ、イルとイリリはふたりでひとつの缶の持ち手をつかんで歩き、側面にゆびをつたなく添わせることしかできないイリヤはまじめくさった顔つきで、ゆっくり、ゆっくり、とつぶやき返した。缶にはどれも年季の入った錆やへこみや擦れ跡があり、幾星霜もたびかさなった指紋の迷宮もどきのなかに手指の脂や垢は同化し土埃までもかたまって、いくら磨いても取り去りきれない古色を悠然といろどっていた。あたかも他人の記憶のごとく半透明だった朝のひかりも荷積みの間にかるく色づき、森をめぐって葉脈のうちのながれを促す爽やかな熱に、知らず知らずと頬はあかるんで、うなじにうっすら汗が乗った。荷台に整然とならべ置かれた銀色の缶の肩のあたりに、高まりつつある太陽のつよく小さなうつし身が、ひとつひとつわずかに異なる位置取りでおのれの所を刳り抜いて、ことごとくまばゆい白さを集散すれば、表面にひろく染みついている砂埃のざらつきも、錆も汚れも変色もみな、まとめてひとつうつくしい痣の風合いを見せて輝きうねり、朝陽の束の間、地上の缶は星雲をこまやかにあざむいた。瞳を刺しても血をつけられない純白の棘をまとった珠の一団は、車が動きはじめると、どれも輪郭を過剰に伸ばし過剰に縮めて、一家がついぞ見たことなどない海の命の神秘もおよばぬ目くるめく畸形を顕しながら、一斉に、となりの缶に飛び移ろうとでもいうかのように、おなじはやさでおなじ方向へ、にじるようにすべるのだった。缶と缶のあいだには大量の干し草と、古びて雑巾代わりにしている布や衣服の切れ端などがぎっしりと隙間なく詰めこまれた。揺れや転倒で乳が酸っぱくなるのを防ぐためだった。それに、あんまり揺すぶってしまったら、まだだれも見たことのない未知の奇怪な生命が産まれてしまいかねないじゃないか? 木々も空も、海も雨も町も、山も蝿も牛たちも、わたしたちの住む宇宙すべてが、牛のお乳に包まれてうねうね踊り呆けているうじ虫の皮のごく一片でないなどと、いったいだれが言えるっていうのか? 村は遠かったが、山の尺度に照らしてみれば、さほどの遠さではなかった。獣の距離と人間の距離とは、おなじ単位で測れまい。ふたりは前から荷車を引き、後ろからも押しながら、一歩一歩、人間の距離を踏んでいった。道は砂であり、赤土であり、浅い下生えの断続だった。いずれにせよ、いくつもの、いくつもの足によって踏み慣らされ、切りひらかれた地面だった。花は車輪に踏み潰された。だがそれは、よける余裕のないときに限られた。多くの場合、花は車の下をうまくくぐって通り抜けるか、せいぜい花びらの先端を荷台の裏にすりつけてくにゃりと撓めるくらいだった。丈高な木々の図太い幹が左右にいつまでもついてくる、ひとすじの柱廊めいた道があった。枝はすべて、見上げる視線の先にひろがり、ひとの足から頭の範囲は、火照ったからだの存在を告げる風が生まれるための場だった。木々の根もとの下草のなかにうす青い花が群生していた。親指の腹をはみ出すくらいの大きさで、よどんだ日暮れの雲によく似た青さのまんなかに、白と黄色の曖昧な線を差しこんでいる花だった。木叢は道まで迫り出しながら虫の甲殻をおもわせる暗緑色の硬さに繁り、木もれ陽のつくる影の濃淡は、かたちなきもののまぐわいのごとく、靴の周りに頻々とふるえた。

 Kさんからはいままで二、三回、金稼ぎの手段として、メルマガやったらどうですかといわれている。きょうの朝目覚めたあと、布団のなかでそのことをちょっとかんがえていたのだけれど、短篇小説とかの精読を連載みたいな感じでやるのはいいかもしれないとおもった。それこそムージルの「三人の女」とか。あるいは『族長の秋』を一ページ区切りでひたすら読んでいくとか。そういうことをやるとしたら、ですます調で書こうとおもった。いままでですます調でコンスタントに文章を書いたことはないので、そういう文体というか口調でやったときにどういう語り口になるのかという実験になる。くわえて、じぶんが精読したい作品をじっくり読んで理解を深める機会にもできる。今後の体調次第だが、週一だときつい気がするので、隔週配信で、値段は月三〇〇円だな。そのうちそういうことをはじめるかもしれない。

 きょうはKさんと通話だった。ともに『灯台へ』を三ページ読んだあと、雑談しているさいちゅうに、じぶんで書いた文章を金にするよりは、読み書きをしたいひとの手助けというかサポートをするほうが性に向いている、そっちのほうがやりたい、というと、じぶんはけっこう助かっていると返ってきた。「生煮え」のかんがえをここではなして聞いてもらえるので、ここではなしておくことでそれがあとでかたちになって日記に書けたりするので、と。ああ、それでいいんだよなあとおもった。それでいい、以上に、それがいいとすら言える。こちらがなにかを教えるとか伝えるとかよりも、受け手やはなし相手となることで、そのひとのなかからおのずとなにかあたらしいものが引き出されてくるような、そのひとのもとになにかがおとずれてくるような、すくなくともそういう余地をひらく媒介物になる、みたいなことをやりたい。塾の生徒にたいしてもそういうふうでありたい。英文法などを教えるのもまあおもしろいはおもしろいのでべつにいいのだけれど、パッケージ化された知識をたんに伝達するだけではやっぱりつまらんなあとおもう。塾は学習塾であり、学校の勉強や受験勉強をがんばるためのところなので、もとめられるのはとうぜんテストの点や成績をあげることであり、最終的には志望校に合格させることなので、なかなかうえみたいなことを積極的にはやりづらいのだけれど、契機はいろいろあるだろうし、勉強という枠組みを通しながらも、そのひと自身のなかにあったなにかがおのずから発展したり、変容したりしていく媒介物として機能できたらそれがいいなと。そうしてそのうち媒介物だったこちらのことは忘れてしまってください、という感じ。

 きのう、八時台に起きていって居間で食事を取ったとき、南窓のカーテンは開いており、ガラスの向こうの眺望があらわれていた。近間の屋根とか電線とかを越えた先、川のながれ自体はみえないがその向こう岸の林がはさまり、川向こうの地区の家屋根もいくらかのぞいていちばん果てに、山が窓のなかを横にひろく占めている。緑色はうすいところ濃いところあるがいずれくすみがつよくて初夏の青々とした充溢はまだまだで、なかに山桜のほのかな色が差し入っていたり、藤がもう咲くものなのか知らないけれど、対岸のいちばん手前にある寺のあたりにそれらしき色の縦すじもみえたりした。山といってもとくにうつくしくもなく、高くもない。風景としては平々凡々なもので、名勝や明媚の感はちっともない。実家のいいところはこうして居間にいながら視線を窓のそとのひろい空間に伸ばせることだなとおもった。視線が伸びれば気分もあきらかにすこし伸びやかになるし、応じて体感もちょっとほぐれる。
 二時ごろ母親の車で地元を発ち、Fまで来たあたりで、あそこに整骨院があるでしょ、といわれた。目がよくないので表示がよくみえなかったのだが、あそこがむかしは喫茶店で、お父さんのまえに付き合ってた彼氏とよく会ってた、という。そもそも父親のまえに恋人いたのかというはなしだったが、母親は直後に、その彼氏のことではなくてさらにそれよりまえ、たぶんNにつとめだしてまもないころに、先輩が紹介してくれるということで会った男のことを語りだした。Y沿いのピザ屋に行ったら、「きみって顔が丸いんだね」といわれて、「なんだこいつ」とおもったという。母親はたしかに若いころは顔が丸くて、こちらが生まれたころなんかもまだ丸く、いまはかなりほっそりとした人相になっているじぶんもおさないころはその丸顔を受け継いで可愛らしい幼児だった。うら若き母親はその丸顔を気にしていた。紹介されてはじめて会った男がいきなりその気にしている容貌を指摘してきたので、「なんだこいつ」とおもって先輩にはことわりを入れたという。馬鹿な男だなあとこちらは笑いつつ、あれじゃないか、ピザが丸いからそれをみてそうおもったんじゃないか、と言うと母親も笑った。それでそのつぎの、こちらは正式に付き合った彼氏について聞いてみると、なんだったか、バドミントンクラブ? だったかわすれたけれど、当時はたらくかたわらそういうサークルに出入りしていたらしく、そこで知り合ったらしい。三年くらいつづいたと言っていたか? まじめなひとだったという。なんで別れたのかと聞けば、なんか次第に、自然消滅、ということだった。兄が生まれたのが母親が二五歳だか四歳だかのときなので、二四歳ごろには父親と付き合っていたとかんがえていいだろう。それ以前なので二〇代前半だ。母親は高校を卒業すると車の免許を取ってはたらきだした。とにかく車に乗りたかった、という。それで車でHのほうまで通っていたこともあったといったか。Nでどういう仕事をしていたのかはそういえばいままで聞いたことがない。事務だったのか、売り子だったのか? 父親はさいしょは整備士として入ったはずだが、どういう出会いだったのかも聞いたことがない。
 おまえはだれかいないの? と聞いてきたので、ぜんぜんいない、とこたえ、めぐり合わせにまかせるといういつものことばをかえしておいた。

 Wからメール。めずらしい。Sが八月に帰国するらしいということで、集まりがあるかもとのこと。追って詳細と。相変わらず体調が悪いが今年に入ってからゆっくり回復しており、今後いっそう回復する予定なのでできたら参加したいと返しておいた。あちらも激務で、期待とストレスがかかりまくっているという。

 きょうは二時ごろ実家を発って、ふたたび母親の車で送ってもらった。T駅南の通りのとちゅう、S予備校のまえで降りる。図書館に行くつもりだった。通りをちょっと西へもどる。右折する。快晴。ひとも多い。リュックサックはやや重い。てくてく行って階段から高架歩廊へ。駅舎内コンコースの人混みに気後れしたのでそちらは避けて、左のほうにある南北連絡通路へ。その左側はガラスの壁で、果てはひかりの降下の向こうでうっすらしている西の山までのぞき、ちかくは周辺の線路やその合間に生えた緑や茶色の草たちや、ひとびとが電車を待っているホームを見下ろすことができる。ゴムっぽい薄緑色の上着を制服としてまとった掃除の女性がガラス壁に寄り、手に持ったトング的用具で道の端に落ちていた何かを取ろうとしたが、くりかえし挟んでもうまくつかめず、じきにトングを手すりにかけてしゃがみこんでいた。北に抜けると駅前広場にはひとのながれがいっぱいで、そうするとからだに緊張が生まれて、いままさにじぶんの心身が明確にストレスを感じているということがわかる。太陽は電気屋のはいっていてたぶん上層は住居になっている高層ビルにかくれており、その縦線に接した空は真っ白で、あるくうちに太陽も出てきて一気につやめき、みれば右手の路上はひろい日なたのなかでカップルなどがベンチに座っており、足もとは頭上の屋根の影がいくらか伸び出ている。モノレール駅を過ぎて道沿いに進み、右に折れてまっすぐ。さらに左折。そうすればその先が図書館のビル。火曜ってどこかの週は休みじゃなかったっけとおもっていたが、みえてきたビルの入り口にひとの出入りがあるのでやっているらしいと判断する。すれ違うのは近間の高校の生徒が多い。図書館にはいると新着図書を瞥見し、フランス文学の棚へ。ユルスナールの『ハドリアヌス帝の回想』を来月の読書会で読むことになっていて、いまそんなにガンガン読めないし、そろそろ読みはじめてちびちびやっておかないと間に合わないというわけで、図書館にあるか見に来たのだ。ここでユルスナールに目を留めた記憶がなかったのだが、ふつうにあった。ハドリアヌス帝と、白水uブックス版の『東方綺譚』もあったので、それも借りることに。両方とも多田智満子訳。ほか、ユルスナールコレクションのたぶん最後の三冊だろうか、なんかAくんに前聞いたところでは自伝みたいなやつだとおもうのだけれど、その三冊と、岩崎力訳の『アレクシス とどめの一撃』があった。二冊を手に持ち、ついでに「Black Is The Color of My True Love's Hair」のために砂漠関連の本見ておこうと地理のほうに行き、アフリカの紀行のコーナーとかみる。サハラについての本を確認。ただ、漠然とサハラ砂漠をおもっていたけれど、べつにそこに限る必要はない。ゴビ砂漠でもタクラマカンでもコロラドでも中東あたりでもオーストラリアでもいい。サハラあたりのものでなんかちゃんと具体的な記述がありそうな本はやはり少ない。いっそ地理総記みたいなくくりで、砂漠という土地についての本とかあればよかったのだけれどそれもない。ただそのへんに世界探検全集みたいな、シリーズ名はわからないが、スヴェン・ヘディンのゴビ砂漠探検記とか、砂漠は措いてその他いろいろ充実しているのが何冊も揃っていて、ヘディンのそれは読んでみてもいいのかもしれないし、ほかのもけっこう読みたい。ついで文化人類学と民俗学の棚も見ておいたがここもあんまりという印象。ただ、民話伝説のところでアフリカのやつがあったのは読んでおいてもいいかもしれない。あとはやはり砂漠が出てくる小説を参考にするかだが、砂漠を書いている作家を知らない。エジプトのナギーブ・マフフーズとか書いてんだろうか?
 二冊を借りて退去。帰路、駅から北へまっすぐ伸びる通りの脇から横道にはいっていき、そうするとその目抜き通りの交差点から東の地点に至る。その北側で横断歩道に止まる。右をみやれば大通りに満ちた車のことごとくが真白い光の球をボディのどこかしらに、主にあたまの先端に乗せていて、走っているとある地点を境にそれが一挙にふくらんで勢力をつよめ、その後ちょっと落ち着いて、横にすべったあと、車は立体交差のほうへ曲がっていく。渡ってその立体交差を通っても良かったのだが、車の音がうるせえし、東にながれて線路の下を南へ抜けることに。道沿いにある小さいバーみたいな飯屋のカウンター席にたぶんスタッフらしい男性がかけて暇そうにしている。周辺には白と赤の建材が組み合わされた電波塔がふたつそびえており、ちかくで見上げると子どものおもちゃをそのまま巨大化したようなあの威容はなかなか独特なものだ。なぜ赤と白の二色で、部分部分できっちり色を分けてつくられているのか? 単にデザインの問題なのか? 背後の西空は雲がおおきくて満々とひかりを受けていたが、行く手の東はほそく淡い、ほとんど空に同化してうす青いものが低みにちからなく引かれているだけで、空の色ももはや役割は果たしたといわんばかりに落ち着いた水色に休まっている。

 日曜日の昼間に出かけて実家へ。だいぶ暑かった。アパートを出て左方向に行ってすぐの公園では道に面した桜木が花をおおかた散らして白さをとぼしくし、地面からすこし斜めに生えだしたあとでまっすぐのぼる幹のとちゅうにあかるい緑の葉だけがついた付け足しのような枝もあった。遊んでいる子どものひとりが、男と女で分かれてたたかおう、と提案していた。駅方面へ。駅前にあるカフェスペースつきのパン屋でもろもろ買う。先週もそうした。片手に袋を提げて病院のほうへ。踏切りを渡り、裏を行ってまもなくの分かれ道を左折。車の来ない隙に渡る。病院敷地の東側を南下するかたちになる。前庭には植物が充実しており、あれもカナメモチなのか、さえぎられることのない太陽に直上からさらされて赤々と、ふだん垣根で見るそれよりも臙脂の渋味や暗さを排しためざましい赤さでいっそう赤々と、透けるようになっている葉の木があって、青空のもとでほとんど吸えそうなくらいにみずみずしく揺れていた。右折してすすむと道沿いに桜がならんでおり、ここも花が多く去ってしかし葉はまだまだで、粒立ちのつよい半端なすがたをさらしている。そのへんで母親の車と合流。
 月曜は労働日。この日も暑かった。起きて居間で食事を取るあいだ、ベランダにつづく西窓のすりガラスのむこうで洗濯物がゆれている。じぶんはテーブルの東側についているのでほぼ正面にあたる。南窓にはレースのカーテンがかかっており、それもすきまからはいってくる微風を受けてゆるく浮かびあがったり、受けるのをやめて身じろぎ程度に落ち着いたり、反対に窓のほうにちょっと吸われたりしている。下端のほうに、あれはなんの影なのか、花や植物の柄があしらわれた布の丸い襞に合わせて波打ちながら横に走っている細帯があり、カーテンの浮かび上がりによってそれがわずかに上昇してみえるようになったり、また下端に沈んでしまったり、一部だけ突出して高くのぼったりする。戸外に満ちているひかりの白さがレースの白さのうしろにせまって貼りついている。すばらしい。すばらしくないわけがあるだろうか?
 労働後は夜道をあるいて帰る。裏通りのとちゅうで、車が一台うしろから来て去っていったあと、それまで耳の行っていなかったしずけさが途端に意識されて、やっぱりあった音が消えると静寂に気づくんだなとおもった。表通りに出たあとも、まだ九時だというのにひと気はまったくなく、車の通りが一台もなくて道路のまんなかのマンホールから響く音がちょっと距離のある時点からさらさら聞こえてくるようなしずけさがあたりにひろく行き渡っている。むかしよくこれを、車の来ないあいだだけおとずれる束の間の聖なる静寂の時間、みたいな風に書いていた。ひさしぶりにそれを聞く。だんだん身内に自由と解放の感覚が生じてくる。やはり夜、帰り道、ひとり、しずけさ、ゆっくり歩くこと、風、これらがじぶんにとって最大の自由の条件なのだ。実家で家族と一つ屋根のしたにいるあいだはそういう感覚になることはないし、アパートでひとりでいるときもない。街路というだれにもひらかれた公共の空間であるにもかかわらず、いまそこにいるのがほぼじぶんひとりで、あたりがとてもしずかだ、というときに自由の肌触りがやってくる。大気とものたちが親しくなる。

 きょうもEvans Trioのディスク2にあたる部分を("Milestones"以外)聞いたし、ムージルもウルフも読んだし、小説もすこしすすんでそのほかにもいろいろ書き、かなりいい日だった感じがある。肉も食ったし。そのときちょっと気持ち悪かったので食いづらかったは食いづらかったのだが、ふつうにうまくはあった。あしたから実家行き、そして労働。月曜の夜に勤務後そのまま帰ってもいいのだが、せっかくなので火曜日までいて家事をやり、その夜に電車でもどってこようかなとおもっている。
 六一年Village VanguardのEvans Trioのディスク2は、"Alice In Wonderland (take 2)"がすばらしい。冒頭、ピアノだけの提示が終わって、ちょっとだけ溜めながらベースとドラムがはいってきた瞬間から、これはなんか、なにかだぞ、という気配があった。このテイク2はだいぶもったりしていて重めな印象で、たぶんテイク1よりテンポは遅いとおもう。また、LaFaroがそんなに暴れておらず、低音のほうでずっしりボンボンやっている時間が多い。それでいて鈍重に沈まず優美に盛り上がっている感じがあるのは、Motianが(ブラシで)シズルシンバルをけっこうバシャバシャやっているからで、テイク1のほうはたしかシズルはなかったんじゃないか? つかってたかな。テイク1のほうが拡散性がつよい気がして、そちらはそちらでなにかあるのだけれど、このテイク2はそれより密にまとめた感があり、比較的わかりやすくすごいという演奏になっている印象だ。ベースソロもテイク1よりわかりやすい。序盤と最後にいかにも見せ場的な速弾きの下降もある。ベースソロ後しばらくしてからEvansがアルペジオ的なコードワークを推移させるやはり見せ場の一連があるのだけれど、そこでもLaFaroはおとなしくしていて邪魔をしないようにしており、これはなんかここでEvansがそういうことをやるというのを、事前にわざわざ取り決めがあったとはおもえないので、いままでこの曲を演奏してきたなかでパターンのひとつとして知っており、即座にそれを察して合わせたんじゃないか? あるいは逆に、LaFaroが比較的動き回らないでいたので、Evansが行けるわという感じになってながい推移に踏み切ったのか?

 スーパーから帰ってきたあと布団で休んでいたとき、外から、げえー! うわ、鳥のうんこついてるう! という、声変わり間近の少年のようにざらついた、あるいはガラガラした叫びが聞こえてきて、ちょっと笑ってしまった。向かいの保育園は土曜日でも少ないながらあずかっている子どもがいるようで、もうひとり、女児だか男児だかわからないあどけない声と、迎えに来たその母親がはなしていて、おさない子はフンに顔をちかづけたようで、くっさ! ともらし、母親のほうは、ぜったいあそこの駐輪場だよ、だってカラスいたもん、と推測しながらはなしをつづけて、鳥のうんこだようんこ、とか、うんち、とか子どもに向けて何度も言ったり、洗わないと落ちないよ、と嘆いたり、ぜったいカラスだよ、あのカラスかわかんないけど、ととにかくカラスに責任を帰したりしていた。三人でいるとおもっていたところが、最初の少年の声がその後いちどしか聞こえず、会話がもっぱらふたりでなされているようなので、とちゅうから存在にうたがいが生じ、あれこれちがうな、最初のあのざらざらした叫びもお母さんの声だったんだなとおもった。ずいぶんと少年らしい声色だった。鳥でいう、地鳴きみたいなものか。

  三人の子ども


イルとイリリとイリヤが、その三人のきょうだいだった。成長すればイルはリルラに、イリリはリリアに、イリヤはリルカになるはずだった。そのうちのだれかが、リルとリラを生んだ、のかもしれない。三人の親は、リルとリラのふたりだった。
 一族の暮らしは山の上だった。天蓋のそばに夜な夜な澄みゆく高地の空気は、三人の成育に影響を与えたろうか? 空は球をえがくことをやめ、膨大な箱のようなものだった。八つの角はしかし、ひとの目からは隠されていた。イリリが空のすみっこを見つけ、あれ! とゆびさしてみせれば、イルにはひらきかけている箱の斜面のまんまんなかに見えるのだった。ふたりは喧嘩に飽きなかった。「わたしの言うことがわからない?」「あなたこそ、わたしの言うことが聞こえてないんじゃない?」 なめらかな頬をつねり、丸い耳を引っ張り、いまだ虫歯知らずの稠密な歯をがちりがちりと噛み鳴らして威嚇した。飽きないのは、喧嘩が遊びの一環だからだった。あいての怒りの表現のなかに、思い出し笑いにも似たちいさなゆがみがひそんでいることを、ふたりは見破っていた。じぶんの怒りの表情の底によろこびの幼虫がもだえているのを知らなかった。だからこそ、諍いはいつも破顔で終わった。あいてを言い負かし、泣かせたほうが勝ちではなく、本気の怒りを怒りとして保てなくなったほうが負けなのだった。時のようにながくつらなった木立の端の、ひときわ頑張り屋さんな一本と、ささめき交わす梢たち、イリヤにはそれしかわからなかった。まだまだ子守り唄の恋しい年頃だったのだろう。鳥も風も、命も太陽も、日々の終わりも未知の思考も、来るものはすべて例外なく、八つの角から来るはずだった。
 いつの世も、山にあるものなど変わりはしない。草木は無尽蔵の錯誤を呼び起こすまでにおびただしかった。人間の無力をただ思い知らせんがごとく、谷間は深くはげしく抉れ、魚でさえすすんで棲まおうとはしないだろう急峻の水は一家の手からほど遠かった。山のあちこちに水源がねむり、岩や根の間のにじみ出しからはじまる清いながれは、じきに石を呑みこみ、苔を剝がしとり、駈けくだるうちに地を削りながら押しのけて、激流の滝へとふくらみこぼれた。五人の生活のそばには、膨張するはるか手前のしとやかなひとすじが、草土の湿ったしとねの狭間にしずしずと音 [ね] を吐いていた。用心深い動物たちはみずから人前にあらわれようとはしなかったが、小川の縁に両膝をついて汚れものを洗っているとき、はだかになった三人がばしゃばしゃ水を蹴り上げて顔と髪の毛を濡らすとき、離れた木の間に鹿の親子のまだら模様をみかけることなどよくあった。時がゆるせば、山は緑ひといろに包まれた。一色のなかには無数の彩りがひしめき合っていた。木々はどれも蜜のように濃かったが、となり合うふたつの梢はつやの厚みを微妙にたがえて差しかがやき、ちかづけば葉のひとひらふたひらにも照りの強弱が見て取れた。すぐ傍らから発した濃緑の群れは視線を彼方へ伸ばすにつれて、高さから切れ目ののぞかぬ平坦なひろさへ様変わりしていき、天の鯨の通い路のごとく空の下端を架けめぐりながら、たたなわるたびに淡い青さをいや増し混ぜた。家の間近の斜面は、見渡すかぎりの芝生だった。毛足ふくらかに生い茂った芝草は、風が吹くならばつぎつぎと低く伏せなびき、そのとき斜面は目のうちをしとどにながれるまぶしい常朝の緑と化した。そこここに、ながれをせき止める岩の点在があった。焦茶、黒、雪白、木肌、ススキなど、岩もまたそれぞれの色をもっていた。それが、牛たちだった。朝夕、芝を食んでは反芻し、夜にはおなじ草ぐさを枕としながら乳房を重く垂れ下げるのが彼女たちの暮らしだった。ぼとりぼとりと落とした糞は、蝿をいざない惑わせながら、浅緑のあかるさのなかにほろほろ剝がれて乾いていった。長い時間と労力をかけて、リルとリラが芝生を植えたわけではなかった。もちろん、子どもたちが植えたのでもなかったし、牛たちが植えたわけでもなかった。
 山の天象は変わりやすい。とはいうものの、天にちかい分、変転のきざしは重量のように感じ分けられた。雨のはじまりは雲よりもむしろ、風の速度と手ざわりに雄弁だった。降りだせば、濡れそぼった牛たちの声も雨線に攫われ昇りゆかず、がらんどうの簡素な牛舎は奏で手のいない打楽器と化した。奏でるものがなくとも、聞くものがいた。雨音は二重だった。時間そのものの蠢動めいたほのかな子音をひろい寝床に、またも無数の、今度は鈍い打音が、刹那の一夜を生きて散りゆくその場かぎりの死者たちとしてひしめき合っていた。屋根や軒端のどこに落ちるか、粒の大きさ、速さや角度、周囲に散ったものとの隔てやまじわり合いの如何によって、すべての一打はほかを知らないおのれの響きを誇っていたが、どれだけ耳を凝らしたとしても、せいぜい三、四種の、なかば錯覚を強いて五種の、律動ばかりが繰りかえされた。降りが逸れば二重 [ふたえ] の境は打音の過密にうしなわれ、さらに盛った連打が迫れば一重 [ひとえ] のうちすらおぼろめき、反復はただ反復のままに永劫のとおい景色をはらんだ。どこを凍らせ切り取ったとておなじ模様しか聞き分けられない機能不全の時間の歌も、毛物の耳には多彩に波立ちくるめく旋律なのだろうか? それとももとよりその脳髄は、一瞬前と一瞬後とを無碍につらぬき繋ぎつづける持続の国にはないのだろうか? ツェルターというのが、犬の名だった。まだまだ若いくせに、といってひとの歳月 [としつき] になおしてみたなら四十に搦んではいたろうが、日がな一日小屋の片隅に寝そべって、身じろぐことさえほとんどなかった。左右の壁にずらりとならんだ高窓の列をみなもとにして半端に混じらう明暗の底、拾われることを忘れて饐えた干し草の束と変わりなかった。長靴でつまずいた拍子にばらばらとほどけ去ってしまいそうな意気のなさでありながら、丁寧に均され固められた冷たく黒い土の地面に、課せられた執念か狂信のごとくへばりついて怠りなかった。病や怪我、妊娠出産などで牛が一時、小屋のなかで起き伏すあいだも、寄り添う気色など微塵ももらさず、意識あるものにはおよそ不可能な無視の極みを究めつづけた。産まれた子どもに近寄ろうとするはずがなかった。仔牛が危なげなく斜面を歩けるようになるまで、ただただ居場所をともにしつづけるのみだった。まれにゆらゆらと牛舎の周りを出歩いて、斜面の縁にたたずみながらまぶしい風を顔に浴びたが、勇んで芝生のなかに飛び出し牛を追うなどありえなかった。聞くばかりで、吠え声を聞かせることは絶えてなかった。ほんとうに聞いているのかいないのか、目を開けているのかいないのか、鼻が生きているのかいないのか、眠っているのか、いないのか? 眠りのうちにも、耳はひらいているものだ。明でも暗でもなく音の偏在ばかりが窓の向こうにびたと貼りつきがたがた軋む雨の白昼、薄鈍色のほの寒い空に青い山々は呑みこまれ、もっとも近くの一枚だけがどす黒いような威容を残した。草木はふくんだ水気の分だけ緑の距離を押し狭め、合一の岸の一歩手前で殴打にひたされきっていた。風の道にあってとりどりの岩だった牛たちは、雨に籠められてまがいようもなく牛だった。数時間分先取りされた石灰水の黄昏に、不揃いだった牛たちの色も濡れてまだしも互いを親しみ、調和をつよめた斜面の肉の居所ばかりはしかし揃わず、雨の切迫も知らぬ気にどこ吹く風の暢気さで、うろつきながらそれぞれいつもの草の食事を取っていた。狭霧に捲かれてなおうしなわれぬその肉体をたどっていけば、順路をつくれず如何様にでも分かれ結んで切ることのできる融通自在の破線の群れが命の隙間にあらわれた。雨にはかかわりのないことだった。屋根を伝い、木の葉を伝い、幹を伝い、芝生を伝い、牛の背を伝い雨水は、空から地中を愚直に伝って谷間の川を苛酷に太らせ、まるで神降ろしの儀のように、一途 [いっと] に下界を目指しながれた。
 リルとリラは言ったのだ、「明日、村に行ってきます」と。「わたしもいっしょに行きますからね、あなたたちは、お留守番していてくださいね」
 「わたしも行く!」
 「わたしもー」
 「あーち! あーちも?」
 困った顔を見合わせながら、嬉しそうにふたりはほほえんだ。いつものことだった。もう少し、大きくなってからにしましょう、と返すと、三者三様の声色間延びで、えー、えー、と抗議の声がかさなって上がり、イルとイリリはイリヤに抱きついて、身体中をくすぐった。あー! あー! と身悶えのなかに甲高く伸びる喚き声は、仕返されたふたりを巻きこむ大きな笑みへとすぐさまふくらみ、大人ふたりも伝染されて、煮込んだ野菜の香りとともに笑いの一夜はうつろった。翌朝はやく、牛舎の奥から、四輪の木製荷車が引き出された。荷台に敷かれた毛織の布は柑橘のように鮮やかだったかつての黄色も褪せきって、ところどころに菌糸のような固い染みさえつくっていたが、虫食いの穴はひとつも見られず、縁も綺麗に編みこまれて、缶を受け止め支える厚さをまだまだ失いそうもなかった。台の左右を越えた端から垂れた飾りは鈴生りめき、道中、風や振動に感じ、ふるふる跳ねては木板を叩いた。子どもたちの手に缶は重かった。車上に立ってほころび顔のリルとリラが中腰のまま、ゆっくり、ゆっくり、と手を差しのべて励ますほうへ、イルとイリリはふたりでひとつの缶の持ち手をつかんで歩き、側面にゆびをつたなく添わせることしかできないイリヤはまじめくさった顔つきで、ゆっくり、ゆっくり、とつぶやき返した。缶にはどれも年季の入った錆やへこみや擦れ跡があり、幾星霜もたびかさなった指紋の迷宮もどきのなかに手指の脂や垢は同化し土埃までもかたまって、いくら磨いても取り去りきれない古色を悠然といろどっていた。あたかも他人の記憶のごとく半透明だった朝のひかりも荷積みの間にかるく色づき、森をめぐって葉脈のうちのながれを促す爽やかな熱に、知らず知らずと頬はあかるんで、うなじにうっすら汗が乗った。荷台に整然とならべ置かれた銀色の缶の肩のあたりに、高まりつつある太陽のつよく小さなうつし身が、ひとつひとつわずかに異なる位置取りでおのれの所を刳り抜いて、ことごとくまばゆい白さを集散すれば、表面にひろく染みついている砂埃のざらつきも、錆も汚れも変色もみな、まとめてひとつうつくしい痣の風合いを見せて輝きうねり、朝陽の束の間、地上の缶は星雲をこまやかにあざむいた。瞳を刺しても血をつけられない純白の棘をまとった珠の一団は、車が動きはじめると、どれも輪郭を過剰に伸ばし過剰に縮めて、一家がついぞ見たことなどない海の命の神秘もおよばぬ目くるめく畸形を顕しながら、一斉に、となりの缶に飛び移ろうとでもいうかのように、おなじはやさでおなじ方向へ、にじるようにすべるのだった。缶と缶のあいだには大量の干し草と、古びて雑巾代わりにしていた布や衣服の切れ端などがぎっしりと隙間なく詰めこまれた。揺れや転倒で乳が酸っぱくなるのを防ぐためだった。それに、あんまり揺すぶってしまったら、まだだれも見たことのない未知の生命が産まれてしまいかねないじゃないか? 木々も空も、海も雨も町も、山も蝿も牛たちも、わたしたちの住む宇宙すべてが、牛のお乳に包まれてうねうね踊っているうじ虫の皮のごく一片でないなどと、いったいだれが言えるっていうのか? 村は遠かったが、山の尺度に照らしてみれば、さほどの遠さではなかった。獣の距離と人間の距離とは、おなじ単位で測れまい。ふたりは前から荷車を引き、時に後ろからも押しながら、一歩一歩、人間の距離を踏んでいった。

 きのうはほんのすこしだけれど小説もすすんだし、ひさしぶりに六一年のBill Evans Trioも聞いたし、おなじくひさしぶりにウルフの英文も音読し、またムージルの「ポルトガルの女」も読んで、けっこういい日だった感がある。「ポルトガルの女」は序盤をすすんでいたのだけれど、せっかくなのでまたはじめから読むことにした。冒頭二段落ですでにおもしろくてさすがだ。ただ本を読むとやはり腹に来るので、ちびちびやりたい。
 六一年のVillage VanguardのBill Evans Trioのコンプリート盤、白いデザインのCDだと三枚組のやつは、Amazon Musicだと"All of You (take 1)"の音源がいつなのかべつのときのものになっていて、きのう確認したらそれがなおっていなかった。ほかの、ディスク一枚分ずつ分かれている音源とかも、なんかやはり"All of You"が『You Must Believe In Spring』に紐づいていたりしてどうなってんねんと、三枚分すべてを正しく一気に聞けるデータはないのかとおもっていたら、『Jade Visions』というのをみつけて、曲目がコンプリート盤とおなじなので行けるんじゃないかとながしてみたら、"All of You (take 1)"も無事正しい音源になっている。まだディスク1の分しか聞いていないけれど、たぶんこれは大丈夫そう。リリース年は二〇一二年となっていて、レーベルはCompulsionとあり、飾り気のないシンプルなジャケで、なんかうさんくさい編集盤とか出してるところじゃないのか? という気がしたのだけれど、ジャケ画像のまんなかに「MASTERS」という文字が強調されている。冒頭の"Gloria's Step (take 1)"の演奏後、"Alice In Wonderland (take 1)"にうつるまえに会話が収録されていて、こんな部分はコンプリート盤にもなかった気がするので、マスターテープをそのまま収録しましたということなんだろうか? だとしたらむしろちょっとありがたいのだが、ぜんぶ正しく聞ければなんでもいい。"Alice In Wonderland (take 1)"はすばらしい。"All of You (take 1)"もとてもすばらしい。
 そのあときのうはMarian Andersonの『Spirituals』をとちゅうまで聞いていて、きょうスワイショウやるときはそのつづきからのつもりだったのが、便所に行ってクソを垂れているときになぜかスピッツの"運命の人"をおもいだして聞きたくなったので、『フェイクファー』をながしてさいごまで聞いた。このアルバムでいちばんいいのは九曲目の"謝々!"だとおもう。これだけブラス入りで、ゴスペル風の女声コーラスも入っており、毛色がちがうのだけれど、歌詞、ことばとメロディの結合、曲、アレンジを総合的にみてこれがいちばん好きだ。2Aの、「生まれるためにあるのです じかにさわれるような/あたらしいひとつひとつへと なにもかもかなしいほどに」とかいいじゃんとおもうし、その後、2Cというか一番にはなかった2B'みたいな部分の、「鳥よりも自由に/かなりありのまま/君をみている」で、「ありのまま」のまえに「かなり」を置いたのはすばらしい。ここの三音を埋めるのに「かなり」をえらんだのが、このアルバムのことばのなかでいちばんすぐれている。