2017/3/11, Sat.

 昼前、ものを食いながら南の窓外を見やると、乾いた陽の色が粉っぽく舞って、風が吹いているようで家並みのあいだを走る電線が、上下に軽く撓むその上を応じて影が左右に行き来する。緑のなかに煌めくものがあるのに視線が奥に進んで、一体何が光っているのか知らないが、川の対岸から盛り上がって集落の前にはだかる林の茂みの奥に、陽の照射を反映するものがいくつか、宝石が埋めこまれたようになって、見え隠れして震えているのが前夜に見た星の揺動を思い起こさせた。背を伸ばして窓が切り取る図の範囲を変えてみると、先ほどの電線のすぐ下に位置する瓦屋根の、寄棟のうち北側の一面が白さを湛えていて、油を塗ったようなとかアルミを貼ったようなとかお決まりの比喩が浮かんだ。

               *

 アイロン掛けをしている最中に突然、サイレンの音が遠くから立ちあがって、おそらく山に跳ね返るのだろう、順々に三つ昇って行ったのが上空で一つに合流して持続する。レースの掛かった東の窓に目をやって、何が見えるわけでもなく外の道には人の姿もないが、市街の方か川向こうで火事だろうかと、消防車の色を浮かべて鳴り響く音にも赤さが混じったように感じながら、立ち昇った音のおかげでかえって、あたりは神妙めいて静まったような気がした。それから壁の時計に目を上げて、二時四六分を見たところで、そうか、追悼の、と思い当たった。塔のように高く鳴っていた叫びは、昇る時と同じようにまた三つに分かれて崩れ、それぞれ多少の尾を引きながら消えて行った。

               *

 往路、午後七時。宵に入った空には東寄りに満月が浮いて、白々と照り映えて、薄雲くらいならばものともせず、千切れたそれに触れても光が弱まることも姿が曇ることもなく、その前を通り過ぎて行くようにしか見えないほどの明るさに、空も紺色が露わである。坂のなかを行くと左右の木々が風に鳴って、空気は冷たいが、大股で速めに歩いて、街道に出るまでには身体も多少温まった。空では雲がどこかからやって来て、替わる替わるに月に寄って行くが、やはり隠れることはない。触れられた雲のほうが、光の広がりに陰影をくっきりと描きこまれて、周縁の白さの滑らかになって内は鼠色が深く滲んだその姿を、視線で切り取る範囲の違いによって動物の顔だったり、蛇か龍のようにうねる体だったりに見えた。

2017/3/10, Fri.

 新聞の予報では一三度まで上がるとか言って、確かに室内にいても空気に多少のほぐれが触れられなくもないが、底にはまだ冬気の混ざって足先の冷える日である。夕刻五時の往路の大気も顔に少々固めだった。午前は綺麗に晴れたがその後雲が出て、いまも東の途上に広く浮かんで、南東の方まで及んだ端の、軟らかな切れ目が、落日の色を反映させて仄かだった。全体にも色が混ざって灰雲が中和されて濁りがちで、何とも言えない半端な風合いで道果ての丘の際を満たしている。それから逃れた箇所は澄んだ青が染み通って、なかに上りはじめた月の、もう満月にほとんど近づいて白々と丸いのが際立ってよく見えるのを、道を行くあいだも時折見上げた。五時半を回ると、雲に薔薇と紫陽花の薄色がそれぞれ通りはじめていた。

               *

 夜は一層冷えて、コートの内に寒さが通り、スラックスの膝周りにも冷たさが虫のように寄り集まって固まる感触がある。裏路地を行っているあいだに背後から車が来て投げかけられたライトが、道に沿って低く並べられた枯竹の柵にぶつかって、褪色した円筒の表面を青や紫の深く入り混じった光影が、水面線のように上下に緩く揺れて一抹、情趣だった。月は頭の、遥か直上のあたりに照って、群青に浸った夜空に星の、煌めきはそれほど強くないにしてもその震えが露わだった。

2017/3/9, Thu.

 往路。なかなかに冷たい空気の、この日も続いた夕刻である。街道前で道が表と裏に分かれる箇所の紅梅の木は、散りはじめているようで、一瞥して僅かではあるが、これまでよりも色が淡く、枝を囲む嵩が減っているのがわかった。昼には薄雲が湧いて窓の外の陽の色が薄らむ時間もあったが、いまはまたすっきりと晴れて、街道に出て緩く下った行く手を見通せば、清涼な青さが遮られず先までひらき渡って、果ての空と地の境では紫の色もひと刷毛被せられて仄めいている。裏通りを行くあいだにも、歩く先の家の高い壁面や窓ガラスに、落ち陽の色がほんのり映って、駅の方まで至っても空気に明るさが残り、すれ違う人の顔も見えぬ黄昏の遠くなった時節である。

               *

 労働のあいだから、原因は知れないが頭痛が始まっていて、風のやや強く吹き過ぎて顔に大層冷たい帰路では余計に重る。濃紺色の明らかな夜空で、まだ欠け気味の月も星も明るく映えていた。

2017/3/8, Wed.

 味噌汁のために白菜とモヤシを鍋で茹でているあいだに、夕刊を取りに玄関を出た。午後六時過ぎである。ポストに寄るとそこから見上げた空は青さが露わで、しかし曇りも僅かあるらしく、なかに左下の欠けた朧月が東寄りに掛かっている。新聞を持って振り返ると、一部我が家に遮られたそちらの空は、青がさらに染み通って清冷である。奥では林の木々の影が塔のように積み重なって、手前の、道を挟んだ林の縁に集まった裸木の枝振りも、宵掛かる空に黒く嵌めこまれているが、その細かな分枝を仰ぐと疲れ目に影がぼやけるようだった。

               *

 二〇分があっという間に経った瞑想ののち、二時半になって消灯して就床した。仰向けになって横隔膜のあたりに両手を置いた布団のなかでも、瞑想の続きのようなことになって、頭が冴えて眠りが一向に寄ってこないのに、目をひらけばカーテンが仄白い。上体を起こしてひらくと、随分と明るい丑三つの夜である。家明かりは消えて青写真のように押し静まったなかに、月はないようだが、夜空は色が抜けたようになって、白いとさえ言えそうなほどの明るさに平らかだった。星が午後一〇時の帰路によく見る時よりも露わで、窓ガラスの端に一際大きなものが輝いているのが、網戸と夏に朝顔を張ったネットに邪魔されて、目にしかと掴めないのが惜しかった。

2017/3/7, Tue.

 外出、三時半頃である。往路、家を出た途端に、冴え返った空気の辛さが頬に染みる。雨は消えて、雲はまだ多いが、南の方から陽が浮遊してきて雨跡のまだ残る路上に薄く宿っていた。青から黒さの抜けきっていない空と林の、暗めの色調の背景を横切って、ちょうど川の上空にあたる経路だろう、白い鳥が一羽渡って行くのを、坂下の畑の脇に寄り集まった年嵩の、老婆と言っても良さそうな姿形もなかに含まれている女性たちの三人ほどが、揃ってそちらを向いて眺めているような雰囲気だった――この白い鳥は、ここのところ暮れ方に差し掛かるとたびたび、自宅の居間から南窓を通して、遠くてほとんど紙か袋のように見える姿で同じように東から西へと渡って行き、川沿いの林のあたりに降りて行くのを目にしていたが、名は一向に知らない。葉はとうに落としきって枝だけが赤紫色を仄帯びている楓の木に近寄ると、枝先についた思いがけない白さが目の端を掠って、一瞬梅の花を思ったのだが、さらに寄って見れば、両側に分かれた羽状の物体がぶら下がっているだけのことだった――翼果、と言うらしい。過ぎて入った坂は、木の下から抜けるところまで来ると、水気の落ちていない路面に空の色が反映して、滑らかで落ち着いた勿忘草の青を発している。坂を上りきれば、脇に並ぶ家屋根を越えて遥か果てに、陽の輝きのある気配が段々窺われて来て、別の坂の角まで来て左手が一挙にひらくと、西に向かって上って行くその軌跡が一面白光を撒き散らされており、とても直視できないほどで、その途中に立った人影もほとんど光の内に取りこまれて、およそ曖昧な造形で細めた視界の端に浮かんだだけだった。街道に出る頃には、太陽が雲を逃れる時間も多くなり、こちらを追い抜かして東へと進んで行く車の、背面のガラスや車体には必ず、何万分の一かそれとも何億分の一か、激しく縮小された天体の分身が白く凝縮された姿で映し出されており、さらにそこから、これもやはり濡れ跡が残っているためだろう、足許のアスファルトへも反映が飛んで、車の各々は、湯のなかで踊る溶き卵を思わせるように不定形で、かつ半透明な、光の反射の成れの果てを地に引きずりながら走って行くのだった。肌や鼻孔に触る空気のなかに、締まって澄んだ冬の名残が確かに感じられる――しかし同時に、それが名残でしかないのもまた確かであって、つんとした冷たさのかすかに香るのに、ふた月前はこの匂いがもっと強かったものだと、もはや去った季節の幻影を鼻の内に呼んだ。背中に受ける陽の温もりが恋しくて、裏通りには入らず、久しぶりに表をそのまま歩いて行った。眼前の、足先あたりの地面に目を落として視界を狭めながら、聴覚を代わりに周囲に広げるようにしていると、横を過ぎて行く車たちの、間断なく波を描いて繰り返される走行音に、川に臨んでいるような心地が訪れる瞬間があった――それもあるいは、タイヤが地を擦る音のなかに、水の感触が僅か含まれていたためだったかもしれない。

               *

 電車を降りると、駅舎を越えて盛り上がった雲の、水っぽく沈みがちな青さのなかに茜色が混ざった暮れ方の西空に、ホームではカメラを向けている女性がいた――電車に乗った駅を入る前に、そこの高架歩廊から見た時には、噛み合いが僅か崩れたように上下に割れて、ぎざぎざとしたその裂け目から夕光りの洩れる雲はまだ練ったような白さを残していたものだが、それから一〇分か一五分くらいでもう青に浸っているのに感じるところがあった。

               *

 六時前、最寄りからの帰路、坂を下りて家の通りまで来ると、東南の空の低みに、夕刻のグラデーションを見る――精妙な、という形容動詞が改めて、実にふさわしく感じられる自然の巧手で、青から白さを中途に孕ませながら紫を通過しまた青へと、粒子の集合体の切れ目なさでもってごく仄かな色調を描いて行くものだが、同じそれは先月の半ばだったら、午後五時の、上って行く坂の出際から、市街の上に良く目にしていたもので、時間のずれが淡く印象に残った。

2017/3/6, Mon.

 往路、曇天。雨の気配がなくもないので、傘を持った。気温はそれほど低くはない――出る前に風呂に入ったためだろう、肌の温もりが服の内に籠もり留まって柔らかく、露出した顔や傘を持つ手に触れる冷気も表面を撫でるばかりで、芯には侵入してこない。空気が霞んでいる日で、街道の見える場所まで来ると、その向こうの、線路を挟んでさらに先の林を縁取る裸木の、突き立って重なる枝分かれのそれぞれが分明ならず、煙ったようになっていた。表に出て、東へと緩く下って伸びて行く道の先を見通しても、町並みに沿って左手から張り出した丘は袋に包まれたようで、同じく曇っている。空は真っ白でどこを見ても視線の手掛かりがなく、低みに向かうにつれて僅か暗く濁りはじめるのみで、色調の差もほとんど見受けられない。

               *

 帰路はさすがに空気の冴える晩である。西の途上には夜空から生えた指先のような月が掛かっており、雲はなくなったのか、見上げれば青味が渡って星もあった。しかし同時に、やはり空気が霞んでいるような感触もあり、行く手に点々と灯る街灯の幕もどこか水を含んだようで、それを抜けた果ての空間の様相がはっきりしない。

2017/3/4, Sat.

 米を研ぐ手に上から当たる流水にそれほどの冷たさが含まれておらず、長時間晒されていても、多少ひりつきはするものの、内の骨にまで食いこんで軋ませるようなあの麻痺が始まらないのに越しつつある冬の過ぎ行きが現れている。

2017/3/3, Fri.

 ベランダに出ると、空気が緩く、肌に触れる陽射しの柔らかさにも春の感が立つが、洗濯物を取りこむあいだに風が動くと温もりが涼しさへと転じ、さらに吹けばやはりまだ冷たさが残る。畑を囲む斜面に低く生えた梅桃[ユスラウメ]の、手指をやや湾曲させながら手のひらを広げたようになっている枝に花がひらいて、珊瑚色が引かれたなかにまだひらかぬ蕾の固く締まった紅褐色が点じられ、混ざっているのが、女人の髪飾りや着物の装いを思わせてふたたび春めく。

               *

 往路。坂を上って行きながら、正面の空の青の色合いが、二月中に同じ場所を同じ時間で通った時の目の記憶よりも明確に密度を増して濃くなっているように見出す――市街の方に乗った雲の下端にも、淡紫の色味は少ないのを見れば、三月に入って途端に日が伸びたような気味に見受けられる。しかし鼻先を擦る空気は冷たく、まだ固さを持っている。街道から家間に覗く空の果てが淡さの極みで紫にくゆっているのを、中学校の、古びて無機質な白さの校舎を前に見通すと、言葉にならぬ印象が胸中に滲んだ。道に沿って正面の方向に浮かんでいる雲の塊は、灰に青に紫陽花色が複雑に混ざり組み合った上から陽が僅か乗って、濁りながら黄ばんだというよりは、そんな言葉があるのか知らないが、「赤ばんだ」ようになっているのが、古物の趣を帯びていた。

               *

 帰路、変わらず空気は冷たい――日中は春の匂いが如実に香って空気がほぐれても、遅くなるとまだまだ冴え返る早春である。途上に低く、山の傍に、下向きに弧を描いた細三日月が、やや熟したような色で浮かんでいたが、街道に出た頃に気づくと、見えなくなっていた――家の並びや木々に隠れるほど、地に近かったのだ。夜空は暗く、裏道で見上げれば電線がそのなかに溶けこんで、黄と緑の色味を含みながら点々と並んでいる街灯が、光の糸をひらいて視界に斜めに掛けてくるのが、目につく。

2017/3/2, Thu.

 往路、雨降りの日である。肩口は上着に守られて温もるが、外気の摩擦が鼻先に強く、冷たい。街道との交差点の脇の、ガードレール沿いに生えた紅梅は、枝を端から端まで膨らんだ花に装われて堂々と、揺らがずに静まっていた。表通りに出ると、風の動きが活発になって、走り去る車のあとから水飛沫も舞っている。向かいへ渡ろうと振り向き振り向き機会を窺っていると、前後で路面の色合いが異なるのに気づいた。背後の西は、空の際が青く籠もっていて、それが反映された道の上も、中空も青味を帯びているが、行く手の東側に伸びて行くアスファルトには一面石灰色が敷かれて、舗装し直されたかのようであり、白く濁った空がその色のためにかえって、西側よりも明るいようだった。

2017/2/28, Tue.

 往路。空は坂に沿って並ぶ木々の毛細血管めいた枝振りをその上に黒く刻印されながら、軽い水色に広々とひらき、低みではそのまま和紙の淡紫に移行している、晴れた晩冬らしい夕刻である。コートの下の身体の方には冷気がさして伝わって来ないが、真正面からやって来て顔を擦って行く風に、頬や鼻の周りの肌ばかりが無闇に冷たいのに悩まされながら道を行った。

               *

 帰路も、ここ最近では久しぶりに冷たさに寄った夜気で、たまには車の光でも見ながら歩くかと表の通りに出た。空気は夕方に比べると動き少なく、ほとんど止まっているようで、道端の、通りがかりの家の足もとで褪せている草の先も揺れない。往路ではいくらか掛かっていた雲は消えたらしく、街灯の合間から見上げる空はいかにも黒々と、偏差なく磨きこまれたような風情で、星も薄く灯っているなかで、地上の道路では、タクシーが客を送って帰って来たのとよくすれ違い、鼻面を黒く沈ませて二つ目だけを露わに光らせながら滑ってくるのが、機械というよりは何かしらの生物――イメージをより限定すれば、巨大な虫だろうか――のようにも映った。裏道の坂の上に至ると、西は変わらず黒いが、市街の上空の低みまで見晴らされる東の方は地上の光が混ざるのか、かすかに色が薄らんでいるのが見て取れる――青味のどこにも窺われない、黒髪に籠められたような夜で、下りながら見上げた木々の、まっすぐ屹立して星を隠さんとする突き出しの先端が、夜空に溶けこみがちだった。

2017/2/26, Sun.

 図書館に行って、『失われた時を求めて』の最終巻を借りて来ることにした。一時四〇分頃に出発した。正面から風が渡って来て、顔を包みこむ感触が、前日と比べてやや冷たかった。空には雲が多く、陽が射す時間もないではなかったが、長くはない。とは言え、鞄を持った右手がそう冷えるわけでもない。日曜日なので裏通りには、散歩やらウォーキングやらをする人が多く見られた。道を進んでいるとすぐ傍の木の葉鳴りが脇に沿って来て、鵯か何かの鳥が二匹、雲の明るめの白を背景に空中を横切ってその木に渡るのも見えた。本を借りてのちの帰路は街道に出たが、風は収まって、雲はより多くなり、西空に広く掛かったものは青くなって、水で良く溶かした墨の感触がなかにあった。

2017/2/25, Sat. 

 外出したのは午後七時を過ぎた頃である。既に暮れきって空は薄黒く、雲が染みのように湧いて、合間に覗く星の光もそれほど明瞭ではなかった。坂を行くあいだ、斜面の下のほう、川の近くのどこかの木で鳴いているのか、鳥というよりは虫の声のような短い囀りが昇って来て、秋の暮れ時を思い出すようだった。比較的温暖な夜で、正面から来る風が身を包みこんでも寒さはなく、顔も膝頭も涼しいくらいで、出る前に入浴で温まった身体の温もりが、コートの下の両肩には留まっていた。公営会館の裏まで来ると人出が多く、俄かにあたりが賑わっているのは、催されたコンサートの帰りの人々らしい。道の端に停まった車の周りに人が集まっていたり、こちらの前では老婆二人が互いに支え合うように歩いたりしながら、皆口々に話しているなかに横の通りの奥から赤ん坊の泣き声が渡ってくるのも相まって、宵闇が活気づくようで、祭りの雰囲気と赤提灯の明かりを眼裏に何となく連想させた。

               *

 帰路は雲がかって白濁しがちの空の調子も、空気の感触も肩口から身内にわだかまる温もりも行きと変わりなく、腹の軽さだけがそこに追加されていた。

2017/2/24, Fri.

 五時頃に散歩に出た。川へ行くことは決まっていた――一年か二年か、随分と久しぶりのことである。もう少し早い時間には陽も出ており、本来ならその頃合いに明るい川辺を気分良く歩きたかったところだが、諸々の事柄に時間を浪費してしまったあとで、いまは曇り空が暮れ掛かっており、空気もやや冷たかった。河原にはほかに誰の姿もなかった。水の方へと近寄って、寄せてくる漣の間際まで行き、少々立ち止まった。裸木の骨組みが表面に張り出した対岸の林からも、反対側の、砂色の枯れ薄の茂った方からも鳥の声がしきりに立ち、空間に響く。それから、水辺を離れて陸地を端に向かって歩きはじめた。周囲は林の壁で囲まれ、区切られているものの、陸も長く、空は広い。表面はほとんど一面、雲が埋めているが、ほつれたガーゼのようにところどころに隙間が生まれ、そこから薄水色が覗いており、分かれた縁には僅か、夕暮れの明るみが差し掛かってもいた。流れのなかには一箇所、巨岩が鎮座した場所があって、その周辺では白渦とともに轟々と鳴りが高まっている。そこを過ぎてさらに先に進むと、川面は緩やかになって、遠くから先の厚い響きが流れてくるのにかき消されることもなく、ささやかな水音を立てていた。自分の立っているあたりを境にして、背後、西側の水面は底が透けて、錆びついたような鈍い色に沈み、その上に無数の引っ掻き傷めいた筋が柔らかく寄って渡るだけだが、境のあたりから流れの合間に薄青さが生じ、混ざりはじめて、前方の東側ではそれが全面に展開されていた――空の色が映りこんでいるのだが、雲の掛かり、時間も下って灰の感触が強くなった空そのものよりも遙かに明度の高く透き通った、まさしく空色である。水面は鏡と化しながらも、液体の性質を保って絶え間なくうねり、反映された淡水色の合間に蔭を織り交ぜながら、青と黒の二種類の要素群を絶えず連結、交錯させて止むことがない。視線をどこか一部分に固定すると、焦点のなかに、無数の水の襞が皆同じ方向から次々とやってきては盛りあがり、列を乱すことなく反対側へと去って行くのが繰り返されるのだが、見つめているうちに地上に聳える山脈の縮図であるかに映ってくるその隆起は、すべて等しい形のように見えながらも、まさしく現実の山脈と同じく、一つ一つの稜線や突出の調子にも違いがあり、言語化など不可能なほどに微妙な差異を忍びこませながら、それを定かに認識して意識に留める間も十分に与えないうちに素早く横切ってしまう――その反復のさまは、催眠的と言うに相応しかった。岸の際あたりに視線を移すと、自分の立っている石の敷き詰まった陸地が一瞬、僅かに回転するような錯覚を起こす瞬間すらあった。行き止まりになった岸の端からしばらくそうした様子を眺めてから、その場を離れた。暮れが進んで、頭上の雲には綻びも少なくなって、空気は先ほどよりも灰色に暗んでいた。戻る脚が自然、河原にごろごろと転がって起伏を作り、地面の平板さを乱している石の上を辿るようになって、思いがけなくも歩みに、平衡を崩すまいとしながら同じようにして遊んだ幼時の足取りが宿った。

2017/2/23, Thu.

 往路、コートを着ずにジャケットのみで出たが、問題のない陽気だった。坂を行くと林から、鼻に掛かったような音色で高低の二音を行き来し、嘲弄的な笑い声を思わせる鳥の鳴きが降ってくる――あるいは、ゴムを擦り合わせたような摩擦の感触も響きのなかに強いのだが、この声は近頃よく耳にするものの、何という鳥のものなのか一向に知れない。街道に出たところでいつものように西に首を向けると、山の稜線に触れるか触れないかで浮かぶ雲が、滑らかな断面を下から照らされて白橙に明るんで固化したようになっているのが、雪花石膏の具合だった。朝方に雨が降ったあと、日中は一時晴れ間も見えたようだが、今はまた雲がぐずぐずと、良く煮えた果肉のように形を崩しながら連なって青紫を帯び、下地の淡水色が露わになるのを妨害していた。気温が高めなためか鳥たちの活発な夕方で、駅の方まで来ると、周囲の家々の合間から声がしきりに立ち、一度などは、つがいだろうか目の前を二匹が連れ立って空を切り、アパートの窓先に掛かった柵のあたりに突っこんで行ったが、鳥の体が小さいことと、あたりが既に仄暗くなっていたこともあって、柵に溶けこんで行ったかのように、目を凝らしてもその姿が視認できなかった。同じ種のものが何匹か、丁字路の突き当たりの、塀に囲まれた庭に飛びこんで、玉を跳ね回すように鳴き声を弾かせ、空気をかき混ぜていた。角を曲がると、そのあとを追って、別の家の垣根に移り、軽く小さな鳴きではありながら、高速の連打を激しく聞かせていたが、その姿形を定かに見ることは叶わなかった。

               *

 帰路、行く手の西空は暗く、家屋根の輪郭線はそのなかにぼやけている。頭上から東に掛けては雲がなだらかに続いて一面を埋め、白く濁っているのが、仄かに明るいようでもある。見上げた視線を反転させて落とすと、通りの静寂が頭に染み入るようで、自分の靴底のゴムが収縮する摩擦音が耳に立った。右足を踏み出したあと左が追って前に出て、右が後ろに送られての再度の蹴り際に鳴るのだが、それを確認するようにして歩調を緩め、一歩一歩をゆっくりと踏みながら道を行っていると、頭では別のことを考えながら歩みが滞りなく続き、ちょっとした踏みの調整や方向転換も難なく済ませて、平衡を崩すこともなく鷹揚と動けているのが不思議なように思われた。寒さの和らいだ日なので、大層久しぶりにジンジャーエールのボトルを自販機で買い、右手に持って帰ったが、握ったその手指に冷たさというほどの感触は一点もなかった。

2017/2/22, Wed.

 往路、空気の質は前日よりもやや和らいだ感じがした。この日は、期限の過ぎた本を図書館に返しに行かなければならなかったので、徒歩ではなく、最寄りから電車に乗ることにして、玄関を出ると普段と反対方向に踏み出した。空には大きな雲が寝そべって空間を埋めているが、ちょうど行く手の空に、なだらかな海岸線めいたその縁が刻まれて、割れ目から薄水色も覗いていた。坂を上って行き、駅に入って階段を上がっていると、近場の森の際からまだ目に眩しく、長時間見つめることはできない陽の白さが洩れている。右奥の遠くに小さく覗く山影は、頭上を雲に覆われて雨色に籠められ、一足先に暮れ方を迎えた風情である。