2017/3/22, Wed.

 往路、雨降りの一日を挟んでふたたび気温の上がったこの日も、コートを纏わずに出た。いかにも春めいた二日前ほどの暖かさではなく、風がよく吹いて木々を鳴らすなかを歩いて行くと、頬が少々冷えるようだったが、陽射しがそれを中和してくれた。太陽は高くなって、三時半過ぎの街道は隅から隅まで日なたに覆われ、南側の歩道の奥にも深く入りこんでいる。東へ向かって歩くと背後の、首元を包んだストールの上に温もりが乗り、そこから下へ、肩甲骨の真ん中から腰までも心地よさに照らされた。裏通りにおいても日なたが広く、同じ温もりが続いて、歩くことがそのまま日向ぼっこになる具合の快適な晴れ日である。空はくっきりと青く、そのなかに飛行機雲の軌跡の掠れたものか、ほとんど錯覚にも等しいような筋がいくつか横切って見え、南の方ではもっと明確な形を作った雲も湧いているが、家のあいだから覗くそれは妙に稀薄で、造型されたというよりは空中に描かれた具合で、青空に向かって押し潰され一平面に閉じこめられたようになっていた。二階屋を越える白木蓮が先日よりも花の締まりをいくらかほどいて太めの蠟燭を掲げたようで、いよいよ燭台じみているその真下の道端に、女性が腰掛けており、濡れているらしい髪の斜めに顔に掛かって表情を隠されながらスマートフォンを覗いているその前を通り過ぎた。

2017/3/21, Tue.

 往路、朝から降っている雨が、弱まらず強まらず単調な勤勉さでまだ続いている。坂を上れば傘で狭まった視界のなかの、足もとに自ずと視線が落ちて、空を包む索漠としたような白さをアスファルトが吸って、歩みに応じて途上に広がっていくのが映る。空気はやや冷たく、風が止まっても頬に摩擦の感が僅かあり、傘を持つ右手もいくらかは冷えたが、しかしその冷たさが表面から内に入っていかないあたり、冬気の名残りももはやなくて、春の柔らかな雨となっていた。

2017/3/20, Mon.

 往路、春分らしく、コートの必要ない暖かな夕べである。空気が動かなければ肌に触れているのもわからないほど馴染みの良い春気で、風が来ても快く涼しいばかりの軽さだった。空は雲が形なすのではなく液体のようにして全体に溶けて希薄に白いその裏に、水色も透ける。雪柳が、あるところでは明るい緑の葉の隅に一片の純白を灯しはじめ、あるところではもうよほど群れて長い連なりを作っていた。裏通りを行く途中に、道に沿って小高く盛り上がった土手の上に続く線路の踏切が鳴りだして、半音の差で衝突する赤いような和音を耳に吸っているうちに電車が通り、過ぎて音も消えたあとから風が流れて、近間の芒や薄緑の木々からさらさらと、淡い音が立って残るのが爽やかだった。雪柳のほかに、白木蓮の綻んでいるのも二箇所で見かけ、一つは庭の端に小さく立ったものだが、もう一本は二階屋を越えんばかりの高さで、燭台じみた枝分かれの先から口を閉じた貝を思わせる蕾の先を天に向かせていくつも灯しているなかに、もうひらいたものも見られて、満開も近い風情だった。

2017/3/19, Sun.

 九時前から散歩へ出た。外気に触れずに一日を終えるのが勿体なく思われたのだ。夜気はまだ、顔にややひやりとするようだった。町の下部から昇ってくる川音が、坂に入って右手に並ぶ木々の前を過ぎるあいだ、その一本ごとに確かに遮られて一時遠のくのがわかり、幹同士の隙間に掛かるとふたたび戻ってきて、全体として波状の揺らぎを構成するのを聞いた。月の遠くなって、黒々と籠もった空に星の僅かに閃く暗夜の趣である。街道まで来ると、街灯の光暈が大きく、少々霧っぽく道の上に掛かっているような感じがした――そのように光の浸透しやすいのは、大気中に含まれる水気の具合かといままで漠然と思っていたのだが、むしろ自然の明るみを含まない背景の暗さによるものだったのかもしれない。町灯のなかには一つだけ、赤っぽく彩られた明かりがあって、それが降る脇に立った木が、赤さに照らされてその白っぽさを露わに、裸の枝を上に伸ばすのではなく下方に沈ませるようにしてから、細かく分枝しつつ横に張り出させているのが、白骨めいて固く、鹿類の角を思わせるようだった。駅前を過ぎて、ランナーに抜かされながら塀に沿って行っていると、前方に、塀の上に掛かって白く密集して、点描めいて無数に粒立つものが見え、光の当たりの具合で仄かに緑がその内に含まれているのに、意識が大方ほかのことに向かっていたところで、何となく葉を思っていたのだが、間近まで来たところでそれが梅の花ではないかと驚いた。眼前で見上げれば萼も緋色のもので緑の含みなど微塵もなく、三本ほど並んだのがどれも満開の群れを纏ってただひとえに白く厚く膨らませているのが、壮観だった。裏に戻って坂を下って行き、十字路を過ぎたところの、公営団地に接した小公園に掛かって、そう言えばここの木が桜だったと思い出し、灯を受けている一つの下に停まって仰いだ。夜目に仔細は定かでないが、蕾が枝先の至る所に宿って、卵を産みつけられたようになっているのが見て取れた。それから近所の家の脇に生えた白梅の下にもまた停まった。先ほどの三本の膨らみにも同じく思ったが、昼間よりも夜のほうが花が白々と際立って、それは暗さのために花と花の細かな隙間が視認されず、一つ一つの花弁の境も明らかでないためだろう、ひと繋がりになって総体として淡く発光し、枝がまさしく清らかな泡を纏ったように見えるのだった。

2017/3/18, Sat.

 往路、飲み会のための外出で、時刻は既に七時半、宵も満ちて行き交う車はヘッドライトを、上下に激しく、四角いように拡大して、その上からさらにこちらの瞳に線を伸ばしてくる。裏に入ると、ちょうど夕食に向かう頃合いで、外出先から帰って来る車といくつか遭遇して、後ろ向きにゆっくり車庫に入って行きながらその明かりが、建物の前に細く立った梅の白い花を、下から加えて白く照らしあげるのを見た。街灯は旺盛に膨らみ、八方に尖って空中をざらつかせている。辻に掛かるところでも、入ってきた車の照射が、宵闇を塗り替えて道の端から端までを青白く埋め尽くして、過ぎればあとには何も残らないその一瞬が尾を引いて、そんな風にただの光にはっとしたようになるのは、ロラゼパム錠を飲んだせいだろうかと思った――この精神安定薬を服用すると、感受性がいくらか敏感になるような気がするのだ。進んで、駅もだいぶ近づいて、道の出口にも至るあたりで、随分と静かな、と気付いた。表に車の通りのないではないが、間遠で、建物の並びを破るほどに重ならず、それまで耳に伝わらなかったようである。人通りも乏しく、その分気配がよく際立って、土曜の夜らしい落着いた時間だった。空は一見しては東の方など石灰の色が明らかなくすみ空のようだが、しかし南へ視線を振れば星が露わだった。

               *

 帰路、会をいち早く抜けて来たが、それでももはや日付の変わり目がだいぶ近い。大して話に加わりもせずに、したことと言ってジュースを飲み、飯を食っただけだが、それでも人中にあって多少は気が張られ、やはり疲れが出るようで、脚の重く下に引かれて――ロラゼパム錠のせいもいくらかはあろうが――気怠いような夜半前だった。歩いているうちにしかし、用事も済んでただ帰るだけのこの時間が、宙吊りになったようで、緩い一歩一歩を踏みながら何ものからも離れたようなひどく自由な気分になった。夜気は、前夜よりは冷たいが、肌に固いほどではない。墨を塗りこめたように鮮やかなアスファルトの上を、車明かりにはらまれた青やらの淡い色素が滲み、振り向けば視界の奥に細まって行く道の宙に、青緑に黄に白と丸い町の灯が群れなして、艶めく夜である。建物と建物のあいだにぽっかりと四角くひらいた、何もない空虚な土地が、両側で光を防がれて、隅に一台停まった車も巻きこんで全面蔭に覆われているその暗さに差し掛かって、横目で過ぎながら驚いたようになった。そこから目が空に上がって、群青色のなかに星は点っているが、月はないのかと見回しながら行ったが、見つからなかった。あれは何時頃だったのか、前の晩には自室のカーテンの隙間から、南空に色濃く掛かったものを見かけた時間があったはずである。もう見えない頃かと思いながら見つかったのは、街道から裏への分かれ目も目前のところで、あたりの家の遠のいて東南の空のひらいたなかに、随分と低くてそれまでは建造物に隠れていたらしいのが現れた瞬間、形のだいぶ歪んで赤くなっているのに、腐ったような、と浮かんで、地に落ちて崩れた果実を思った。

2017/3/17, Fri.

 往路、まだコートを纏わなくては肌寒いような曇りの夕刻で、坂を上って行けば風が渡って周囲の木々がざわめくのに、目が細まる。道の軽く湾曲するあたりの、左手から張り出した斜面に生えた低木をちょっと見上げた瞬間、空を背後に黒く塗られた枝のなかから小さな断片が飛びだして、葉が剝がれたかと視線を寄せれば、輪を描くようにして綺麗に元の枝々のなかに戻って、同じ黒さの葉の影のなかに紛れたのは、小鳥だった。空は大方雲が埋めて、なかに晴れを思わせる水色もあり、よりくすんだ灰青色もあり、乱れた様相のもと、裏道の空気はコートの裏まで冷え冷えとするようだった。

               *

 帰路はあまり空気の動かない静かな夜道で、道に四角くひらいて網状の蓋を嵌められた下水溝から、水音が小鳥の囀りのように響くのにちょっと足を止める時間もあった。空は曇っているが、北側の林の際などを見れば曇りの色が露わで、電線やら屋根上に設置されたアンテナやらの形も溶けず、全体にそう暗いものでもない。裏通りを抜けて表に曲がったところの、無骨な節の枝についた蕾の締まりが夜目にも明らかな梅の木の下を通った際に、線香のような匂いを嗅いだように思った。花の香りだろうかと過ぎると表の方から人声がして、出ると角の商店の前に、停めた車に音楽を孕ませて、若そうな連中が集まって笑っている。反対側に折れてふたたび匂いが香るのに、あの人たちがつけた香水だろうかとも思ったが、距離がそこそこあるのに鼻に届くだろうかと訝しいようでもあった。進むうちに、また時折、嗅ぐ瞬間があるのに、夜気そのものに、諸所でひらいた花の匂いが忍んで、全体に混ざり広がっているような想像を持ったが、それはおそらく、幻想なのだろう。そうであれば、幻臭という言葉を使うには弱すぎるので、耳で言う空耳の類になるかと捉えたが、そう思うと実際、流れる風も行きとは違って肌に緩くて、夜の方がかえって冷えない涼しさに留まって心地よく、ささやかな錯誤を嗅がせるほどには空気が春めいているようだった。

2017/3/15, Wed.

 往路、玄関を出た途端に、空気の冷たさが身に触れる。引き続く曇り日の、前日と同じ三時半だが、一日前よりもはっきりと陽が洩れて、路上に影が浮かび上がった。街道に向かっていると、背中は薄陽が乗って仄かに温もるが、正面からは風が来て、身体の前面と背面とで温度が分かれていた。北側の裏を行っているうちに、足先から伸びるおのれの分身や、道脇の家の影の線がくっきりと立って来た。道沿いに生えた梅は白も紅も、花弁をほどいたあとの萼の、紅梅の花よりも艶な緋色を晒して鮮やかだった。前日と同じ白梅のところの、この日はしかし木ではなくて頭上の真ん中に伸びた電線の上に鵯が止まって、雲混じりの薄青く靄った空を後ろに襞なく姿形のみを抽出されて呼ぶように鳴いていたのに、応じたのかもう一羽が同様に、木から線に移って二つになったのを振り仰ぎながら進んだ。

2017/3/14, Tue.

 往路の空気はぬるめで、道に湿りが残っていたが、西の、白さの薄くなった箇所に陽がかすかに溜まって、曇って平坦な空気の調子もほどけはじめていた。街道前の角でガードレールの内に生えた紅梅は、少し前には衣のように隈なく身につけていた花をだいぶ散らして、枝が露出しはじめていた。表を渡って北側の裏通りを行くうちに、背後から陽射しが次第に露わに洩れ出してきて、あたりが仄明るんだところに、米粒のように地に散った白梅の花弁を見、その木に止まっているのか、頭上に弧を描いて張られる鵯の声を聞いた。

2017/3/13, Mon.

 二時過ぎに外出。空の曖昧にぼやけた曇り日だが空気は明るめで、風が顔に触れても、寒さに結実する数歩前に留まっている――と思いながらしかし、街道に出て正面からひっきりなしに流れる東風に、顔や胸のあたりに持続的に当たられていると、やはり冷え冷えとしてくるようだった。出る前に、かすかなものだが、漠とした緊張感のようなものがあったので、あまり頼るのも良くないと思いながらもロラゼパム錠を一つ服用したのだが、そのせいだろう、腰から下が軽く地に引かれるようで、自然に任せていると、歩いているうちに足取りが次第に重く鈍くなって行く。郵便局に寄ったあと、駅も近くなって、ランドセルに黄色い帽子で下校する小さな子らの活気のなかを抜ける頃には、肉体の内の流れが遅くなったかのようで、緩慢の様相に至っていた。

               *

 駅に上がると、向かいの小学校から子供らの声が響く。白い体操服姿でサッカーをやっているが、なかに色味の違った私服の者も含んで、球を飛ばしながら開放的にわいわい賑やかしているのは、この日の授業も済んで放課後の自由な遊びである。横目を送りながらホームを進んでいると、校舎の鎮座した石段の頂上の、端に直立した銀杏の木に目が留まった――秋には綺麗な金色の三角形を描いて燃えるごとくに天を指すものだが、いまは裸になって、しかし姿勢は崩さず、変わらずまっすぐ天を衝いている煤けた肋骨のような枝の、その先があまりに鋭く映った。校庭には紅白それぞれの梅が花を灯してもいるが、こちら側の端の、フェンスに沿って並んだ木々はどれも銀杏と同じように、裸になった分、枝の鋭利さを際立たせている。

               *

 降りた駅でトイレに向かった。室に踏み入ったあたりから、何か妙な音を感知し、小便器の並びにひらく角のところまで来ると、赤い表示のなされた個室のなかで、誰かが叫びのような声を出しているのだとわかった。それが一聴、異様という形容の相応しいだろうもので、甲高く、潰れたような声音で、音色だけでなく語の連なりもぐしゃぐしゃに崩されて、何を言っているのか聞き取られない。男か女かも曖昧なようだったが、男子便所にいるからには男なのだろう。小便を放ちながら、狂ったようになって背後に、沈んではまた高まりながら続くその声を聞いた。泣くとも怒るとも、慟哭とも憤激ともつかない、そのどちらも渾然となった嘆きの、あれが憎しみというものだろうか。一向に判読できないそのなかにふと、「母親殺し」という一節だけがはっきり浮かびあがって聞こえ、残った。穏当ではない。不穏当と言えば、こんなところで、他人が来るのも構わず、立て籠もったなかで憚らずに声を上げているその様子からして既に穏当ではないが、あとから振り返って、室に入ってそれを声と聞いた時から、狂いという語を思いはしても、恐怖も不安も感じずにただ受け止めるような心があった。叫びに中てられない程度には、個室を区切る薄い壁も力があったらしい。狂いたくなるほどの激情を被る事情もあろうと、手を洗って拭きながら静かになって、室を抜けた。抜けるとなかの騒ぎは、壁に阻まれ遠のき、聞こえなくなった。

2017/3/12, Sun.

 四時前に家の前の掃き掃除に出た。絶えず動いてやまない外気のなかに身を置けば、それだけで、屋内の停滞にこごった気分がふっと改まるような感じがする。道先には傾いた陽の手が淡く伸びて路上に触れており、こちらの玄関先は北側で、陽の手はここまで入ってはこないものの、空気は、白っぽくても肌に柔らかく馴染んだ。散っている葉も少なくて、時間も掛からずに大方集めてから箒を立て、鳴りを流して揺らぐ林の緑葉の群れを眺めた。まだくすみがちの色が多いが、それでも色の内に春の兆しが見えるような気もするなかに、黄味混じりの、一層軽くほぐれた竹の葉の房も差して暢気そうに、緩慢に動いている。視線を右に振ると、上り斜面になった竹林の足もとに、山茶花だろうか、一際濃く詰まった緑が溜まっているのが、葉の一枚一枚から薄明るさを跳ね返すようで目に立った。

2017/3/11, Sat.

 昼前、ものを食いながら南の窓外を見やると、乾いた陽の色が粉っぽく舞って、風が吹いているようで家並みのあいだを走る電線が、上下に軽く撓むその上を応じて影が左右に行き来する。緑のなかに煌めくものがあるのに視線が奥に進んで、一体何が光っているのか知らないが、川の対岸から盛り上がって集落の前にはだかる林の茂みの奥に、陽の照射を反映するものがいくつか、宝石が埋めこまれたようになって、見え隠れして震えているのが前夜に見た星の揺動を思い起こさせた。背を伸ばして窓が切り取る図の範囲を変えてみると、先ほどの電線のすぐ下に位置する瓦屋根の、寄棟のうち北側の一面が白さを湛えていて、油を塗ったようなとかアルミを貼ったようなとかお決まりの比喩が浮かんだ。

               *

 アイロン掛けをしている最中に突然、サイレンの音が遠くから立ちあがって、おそらく山に跳ね返るのだろう、順々に三つ昇って行ったのが上空で一つに合流して持続する。レースの掛かった東の窓に目をやって、何が見えるわけでもなく外の道には人の姿もないが、市街の方か川向こうで火事だろうかと、消防車の色を浮かべて鳴り響く音にも赤さが混じったように感じながら、立ち昇った音のおかげでかえって、あたりは神妙めいて静まったような気がした。それから壁の時計に目を上げて、二時四六分を見たところで、そうか、追悼の、と思い当たった。塔のように高く鳴っていた叫びは、昇る時と同じようにまた三つに分かれて崩れ、それぞれ多少の尾を引きながら消えて行った。

               *

 往路、午後七時。宵に入った空には東寄りに満月が浮いて、白々と照り映えて、薄雲くらいならばものともせず、千切れたそれに触れても光が弱まることも姿が曇ることもなく、その前を通り過ぎて行くようにしか見えないほどの明るさに、空も紺色が露わである。坂のなかを行くと左右の木々が風に鳴って、空気は冷たいが、大股で速めに歩いて、街道に出るまでには身体も多少温まった。空では雲がどこかからやって来て、替わる替わるに月に寄って行くが、やはり隠れることはない。触れられた雲のほうが、光の広がりに陰影をくっきりと描きこまれて、周縁の白さの滑らかになって内は鼠色が深く滲んだその姿を、視線で切り取る範囲の違いによって動物の顔だったり、蛇か龍のようにうねる体だったりに見えた。

2017/3/10, Fri.

 新聞の予報では一三度まで上がるとか言って、確かに室内にいても空気に多少のほぐれが触れられなくもないが、底にはまだ冬気の混ざって足先の冷える日である。夕刻五時の往路の大気も顔に少々固めだった。午前は綺麗に晴れたがその後雲が出て、いまも東の途上に広く浮かんで、南東の方まで及んだ端の、軟らかな切れ目が、落日の色を反映させて仄かだった。全体にも色が混ざって灰雲が中和されて濁りがちで、何とも言えない半端な風合いで道果ての丘の際を満たしている。それから逃れた箇所は澄んだ青が染み通って、なかに上りはじめた月の、もう満月にほとんど近づいて白々と丸いのが際立ってよく見えるのを、道を行くあいだも時折見上げた。五時半を回ると、雲に薔薇と紫陽花の薄色がそれぞれ通りはじめていた。

               *

 夜は一層冷えて、コートの内に寒さが通り、スラックスの膝周りにも冷たさが虫のように寄り集まって固まる感触がある。裏路地を行っているあいだに背後から車が来て投げかけられたライトが、道に沿って低く並べられた枯竹の柵にぶつかって、褪色した円筒の表面を青や紫の深く入り混じった光影が、水面線のように上下に緩く揺れて一抹、情趣だった。月は頭の、遥か直上のあたりに照って、群青に浸った夜空に星の、煌めきはそれほど強くないにしてもその震えが露わだった。

2017/3/9, Thu.

 往路。なかなかに冷たい空気の、この日も続いた夕刻である。街道前で道が表と裏に分かれる箇所の紅梅の木は、散りはじめているようで、一瞥して僅かではあるが、これまでよりも色が淡く、枝を囲む嵩が減っているのがわかった。昼には薄雲が湧いて窓の外の陽の色が薄らむ時間もあったが、いまはまたすっきりと晴れて、街道に出て緩く下った行く手を見通せば、清涼な青さが遮られず先までひらき渡って、果ての空と地の境では紫の色もひと刷毛被せられて仄めいている。裏通りを行くあいだにも、歩く先の家の高い壁面や窓ガラスに、落ち陽の色がほんのり映って、駅の方まで至っても空気に明るさが残り、すれ違う人の顔も見えぬ黄昏の遠くなった時節である。

               *

 労働のあいだから、原因は知れないが頭痛が始まっていて、風のやや強く吹き過ぎて顔に大層冷たい帰路では余計に重る。濃紺色の明らかな夜空で、まだ欠け気味の月も星も明るく映えていた。

2017/3/8, Wed.

 味噌汁のために白菜とモヤシを鍋で茹でているあいだに、夕刊を取りに玄関を出た。午後六時過ぎである。ポストに寄るとそこから見上げた空は青さが露わで、しかし曇りも僅かあるらしく、なかに左下の欠けた朧月が東寄りに掛かっている。新聞を持って振り返ると、一部我が家に遮られたそちらの空は、青がさらに染み通って清冷である。奥では林の木々の影が塔のように積み重なって、手前の、道を挟んだ林の縁に集まった裸木の枝振りも、宵掛かる空に黒く嵌めこまれているが、その細かな分枝を仰ぐと疲れ目に影がぼやけるようだった。

               *

 二〇分があっという間に経った瞑想ののち、二時半になって消灯して就床した。仰向けになって横隔膜のあたりに両手を置いた布団のなかでも、瞑想の続きのようなことになって、頭が冴えて眠りが一向に寄ってこないのに、目をひらけばカーテンが仄白い。上体を起こしてひらくと、随分と明るい丑三つの夜である。家明かりは消えて青写真のように押し静まったなかに、月はないようだが、夜空は色が抜けたようになって、白いとさえ言えそうなほどの明るさに平らかだった。星が午後一〇時の帰路によく見る時よりも露わで、窓ガラスの端に一際大きなものが輝いているのが、網戸と夏に朝顔を張ったネットに邪魔されて、目にしかと掴めないのが惜しかった。

2017/3/7, Tue.

 外出、三時半頃である。往路、家を出た途端に、冴え返った空気の辛さが頬に染みる。雨は消えて、雲はまだ多いが、南の方から陽が浮遊してきて雨跡のまだ残る路上に薄く宿っていた。青から黒さの抜けきっていない空と林の、暗めの色調の背景を横切って、ちょうど川の上空にあたる経路だろう、白い鳥が一羽渡って行くのを、坂下の畑の脇に寄り集まった年嵩の、老婆と言っても良さそうな姿形もなかに含まれている女性たちの三人ほどが、揃ってそちらを向いて眺めているような雰囲気だった――この白い鳥は、ここのところ暮れ方に差し掛かるとたびたび、自宅の居間から南窓を通して、遠くてほとんど紙か袋のように見える姿で同じように東から西へと渡って行き、川沿いの林のあたりに降りて行くのを目にしていたが、名は一向に知らない。葉はとうに落としきって枝だけが赤紫色を仄帯びている楓の木に近寄ると、枝先についた思いがけない白さが目の端を掠って、一瞬梅の花を思ったのだが、さらに寄って見れば、両側に分かれた羽状の物体がぶら下がっているだけのことだった――翼果、と言うらしい。過ぎて入った坂は、木の下から抜けるところまで来ると、水気の落ちていない路面に空の色が反映して、滑らかで落ち着いた勿忘草の青を発している。坂を上りきれば、脇に並ぶ家屋根を越えて遥か果てに、陽の輝きのある気配が段々窺われて来て、別の坂の角まで来て左手が一挙にひらくと、西に向かって上って行くその軌跡が一面白光を撒き散らされており、とても直視できないほどで、その途中に立った人影もほとんど光の内に取りこまれて、およそ曖昧な造形で細めた視界の端に浮かんだだけだった。街道に出る頃には、太陽が雲を逃れる時間も多くなり、こちらを追い抜かして東へと進んで行く車の、背面のガラスや車体には必ず、何万分の一かそれとも何億分の一か、激しく縮小された天体の分身が白く凝縮された姿で映し出されており、さらにそこから、これもやはり濡れ跡が残っているためだろう、足許のアスファルトへも反映が飛んで、車の各々は、湯のなかで踊る溶き卵を思わせるように不定形で、かつ半透明な、光の反射の成れの果てを地に引きずりながら走って行くのだった。肌や鼻孔に触る空気のなかに、締まって澄んだ冬の名残が確かに感じられる――しかし同時に、それが名残でしかないのもまた確かであって、つんとした冷たさのかすかに香るのに、ふた月前はこの匂いがもっと強かったものだと、もはや去った季節の幻影を鼻の内に呼んだ。背中に受ける陽の温もりが恋しくて、裏通りには入らず、久しぶりに表をそのまま歩いて行った。眼前の、足先あたりの地面に目を落として視界を狭めながら、聴覚を代わりに周囲に広げるようにしていると、横を過ぎて行く車たちの、間断なく波を描いて繰り返される走行音に、川に臨んでいるような心地が訪れる瞬間があった――それもあるいは、タイヤが地を擦る音のなかに、水の感触が僅か含まれていたためだったかもしれない。

               *

 電車を降りると、駅舎を越えて盛り上がった雲の、水っぽく沈みがちな青さのなかに茜色が混ざった暮れ方の西空に、ホームではカメラを向けている女性がいた――電車に乗った駅を入る前に、そこの高架歩廊から見た時には、噛み合いが僅か崩れたように上下に割れて、ぎざぎざとしたその裂け目から夕光りの洩れる雲はまだ練ったような白さを残していたものだが、それから一〇分か一五分くらいでもう青に浸っているのに感じるところがあった。

               *

 六時前、最寄りからの帰路、坂を下りて家の通りまで来ると、東南の空の低みに、夕刻のグラデーションを見る――精妙な、という形容動詞が改めて、実にふさわしく感じられる自然の巧手で、青から白さを中途に孕ませながら紫を通過しまた青へと、粒子の集合体の切れ目なさでもってごく仄かな色調を描いて行くものだが、同じそれは先月の半ばだったら、午後五時の、上って行く坂の出際から、市街の上に良く目にしていたもので、時間のずれが淡く印象に残った。