2017/4/1, Sat.

 往路、雨降り――傘を持つ右手がいくらかひりつく、最高気温は一〇度の冬戻りの午前である。歩きはじめてすぐ近く、とうに裸になっている楓の木の、赤味を帯びた枝々の至る所に水滴が吊るされて、極々小さな水晶玉を飾り付けた具合になっているのを横目に過ぎて、坂に入った。上って行くと、この日も変わらず鶯の鳴きが聞かれ、出口付近では左右の斜面の草のなかから、小鳥が次々と立って散って行くのを見ても、春を迎えて鳥たちが活発である――視認されたなかの一匹は、白鶺鴒だった。同級生らと集まって花見の予定だったが生憎の雨、そうでなくても、少なくとも道々の桜は、ひらいているものは古家の前の低いもののみで、大方、赤くなってはいるがまだ開花を待つ身である。雨は弱く、傘を振っても先日のように水滴が転がり一つになって端から落ちるでもなく、裏から黒地を見透かしてもあまり大きな粒もなくて、平面の上に透明な液体が乗っているというよりは、細かく毀[こぼ]れたように見えるのが、石板めいた質を持って映った。白木蓮は、黄味の熟した色のなかに茶色が混ざって、いくらか濁ったような、土臭くなったような色合いが、遠くからでもわかった。道を行きながら、表通りで飛沫を立てる車の音は伝わって来るが、林の方からは何もなく、足音を阻むもののない静けさに、さすがに雨でこの朝は鳥たちも静かにしているか、と思っていたら、寺の傍に来るとやはり鵯が鳴いていて、森の一番縁に立った一つの木に集まるらしく、梢の茂みのなかに飛んで行く姿が見られ、枝垂れ桜は連ねた蕾の赤味を露わに、それが薄紅に変わりはじめるのも間近らしかった。

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2017/3/31, Fri.

 往路。雨さえ降っていないが寒々しい、灰色の午前一〇時である。とは言え、もはやコートを纏うほどの冷気はない。坂を上って行くあいだ、この日も左右の木の間から鶯の音が何度も膨らみ、また左の林からは画眉鳥だろうか、酩酊して鳴き散らしているような声がやや金属質に甲高く降るのに、鉄琴を滅茶苦茶に叩いた音が木々のなかに散乱しているような心象を思った。ここ二日三日ほどで明らかに、道行きに伴う鳥の声がかしましくなって、空気が活気を増したように思う。空はどこを見ても起伏なく白い。裏通りの白木蓮をまだ遠くに見ているうちに、金属を叩く音が行く手から響いてきて、近づくとその木の接した家の周囲に鉄骨が組み立てられている途中で、人足らが花の下にも入りこんで立ち働いていた。寺の付近まで行くと昨日と同じく、鵯の鳴きがかまびすしく立って、左手の林に集っているようだが、右の家々のあいだからも呼応が聞こえた。

               *

 帰路は、朝の鳥たちは林を離れてどこかに出かけているのだろう、道は静かで、声がないではないがそれも離れた位置から漂う感じに届いてくる。白木蓮の下まで来ると、前日と同様、またちょっと立ち止まった。黄の色の浸透した花は盛りも越えたのだろう、あちこちに、炙られて焦げたような茶色の染みがついて、そろそろ崩れの始まりかけている風情である。過ぎてちょっとしてから雨が散りはじめて、次第に粒が多くなり、顔に点じられる感触が煩わしいようになってきたところが、しかし傘もないので受けて行くほかなかった。上着やベストの繊維のあいだに水が引っ掛かって灰色混じりで白くなっているのを見下ろすと、液体であるよりは極小の固体の欠片のように映って、馴染みの、自分のなかでももはや手垢の付いた比喩だが、塩の粒を思った。

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2017/3/30, Thu.

 往路、家を発って道路の上に立つと、道の隅から隅まで陽の隈なく敷かれて実に暖かい快晴で、同様に晴れた二日前よりもさらに朗らかなようで近所の屋根も艶めいている。坂を抜けて行くと、あたりから鶯の音がしきりに立って木の間に響く。風が吹けば涼しさが仄かに生じるが、空気も落着いていて、裏通りに入って曲がりながら温もりを身に受けて、眠くなるような暖かさだと思った。並ぶ民家のあいだを行っても鳥の声が多く、線路先の林から立つのでもなくてすぐ近くから降っていて、三連符で細い線を引き絞ったような声が上がるすぐあとに、同じ声調だがちょっと違った鳴き方のそれが別方向から湧くのに、鳴き交わしているな、と聞いた。高い白木蓮は東側を建物に接されて、まだ午前で太陽がそちらに寄っているから蔭のなかにあるのだが、それでかえって清潔な、黄みを帯びた滑らかな白さが際立つようで、一つ一つの花の塊が石鹸のようにも見えた。寺の付近まで来るとまた鳥が多くなって、林の方からひっきりなしに鳴きが響いて、足もとに視線を落として考え事をしていたところにそれに気付くと、その絶え間なさに、録音された音源が再生されているかのような錯覚を一瞬得た。

               *

 帰路、太陽は高くなり、気温もますます上がって、襟巻がいらないくらいの陽気のなかをゆっくりと歩いた。顔に温もりが付着して、身体が薄く汗ばんでくるほどである。鳥の声はあるが、朝よりもいくらか遠くから淡く漂ってくる趣で、昼下がりらしい静かな道だった。朝も見た白木蓮の下まで来ると、立ち止まってちょっと見上げた。先にはまだ花がすぼみ気味で丸みを帯びていたのが、正午も越えて屈託なく、陽光を吸いこむように天に向けてひらき、横を向いた花弁に目を寄せると、蠟で作られたようなその厚みが見て取れた。黄みもだいぶ濃く、匂うような色になって、かなり熟してきたのだろう、褐色の点が散った花びらもそこここに見られる。同じように花をいっぱいに開け広げている四手辛夷の横を通って先を行き、表に抜ける曲がり角まで来ると、右手の公営団地の方から吹奏の音が聞こえたのは、表ではちょうど車が途切れたところで、街道を挟んで反対側の裏にある中学校から渡ってきたのが反射したらしい。合奏ではなく、ウォーミングアップめいた長閑さで、 "Sing, Sing, Sing" のメロディと聞き取った。続きが聞きたくて表に出てからも聴覚を張って耳を澄ましたのだが、車の流れが止まず、風を切る走行音の厚いなかでは定かに聞き取られないうちに、中学校から遠ざかった。

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2017/3/28, Tue.

 往路、陽光の張られて屋根のいくつか白く塗られた午前一〇時だが、風がよく流れる大気の感触は冷たい。坂を行く途中に、木々の向こうから鶯の音が立って、伴った膨らみの感じからすると、川向こうから響きが渡って来ているのではないかと思われた。坂を抜け、鴉の声を耳にしたのに見上げると、風で葉を震わす木の頂上に、青空を後ろにして澄まし顔の一羽がいて、顔を動かした際に嘴が陽を受けて瞬間白銀色に変わったのを、その下を過ぎざまに見た。陽のなかにいれば結構温もって、裏通りを行っているうちに気付くと襟巻の裏で肌が汗ばんでいるような感じを帯びるくらいである――しかし、建物のあいだにあってもやはり風が吹いて、それもまた冷やされることになった。駅前で公衆便所に寄って出ると、近くの柵に鵯が止まっていて、ハンカチで手を拭きながら、鳴かないか、鳴かないかと眺めているあいだ、鳴きはしないが代わりに傍の柱のてっぺんへと飛びあがったその時の、離陸の加速から着地の減速までの軌跡が、実に滑らかで見事だった。

               *

 帰路、最寄り駅を降りるとホームから線路を渡った向こうに、枝を広げた桜木の、隅まで紅色の蕾を鮮やかに点じているのを見る。通路を抜けて低いところまで下りて来ている枝先に寄り、ちょっと眺めると、もう大方ひらく手前まで膨らんでおり、なかには白い花を洩らしているのもあった。坂を下り、椿の緋色のところどころに印された緑のなかに、鶯の音が降るのを聞く。昼下がりの空気はやはりいくらか寒々としており、午前とは違って陽の色も薄く、木の間に覗く彼方の山肌までの空気がやや濁って見えた。道を出たところにある小公園の桜の蕾は、品種の違いなのか段階の違いなのか、豆のような薄緑色である。

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2017/3/27, Mon.

 正午前に家を出た。寒々とする雨の日で、坂を行くと木の間を抜けてくる川の音が、前日来の降りで増水しているためだろう、普段より確かに厚い。傘を持つ右手も、本の入った小型鞄を胸に寄せて抱えた左手も、どちらも風のなかに露出して、冷え冷えと芯にやや染み入る感覚が、春から逆方向に揺り戻ってまた数歩分、冬のなかに踏み入ったようだった。街道を行く車がこちらの脇を過ぎる瞬間にも、走行音が増幅されて、水の感触の細かく混じったタイヤの擦過が、聴覚のみならず身に烈しく当たるような感じがする。雨はそこそこの降りで、路上のそこここにそう深くはないが水溜まりが湧いて、裏通りを行くうちに足先がいつの間にか湿っている。車や人を避けようとして傘を塀に当てたり、横に振ったりする時の拍子で、表面に溜まった水滴がいくつかまとまって流れ、外で直線的に、無色で単調に降る雨を向こうにして、丸みを帯びて白くなった粒が不規則に柔らかな律動で零れ落ち、破線でもって瞬間、内外の境界を描くのが目に残った。頭上を覆う黒い布地を裏から凝視すると、水粒の無数の付着が露わに見透かされて、小指の先ほどもない数滴のあいだにまたさらに細かいのが入りこんで隈なく群れているのが、樹皮のようでもあり、何か古い時代の生物の鱗めいた皮膚を思わせるようでもあった。道から駐車場を挟んで遠目に見える寺の枝垂れ桜の具合は先日よりも進んだようで、雨のなかで蕾の赤茶色が縦に広がって見え、蕾のつかない上の方の、垂れはじめの付近では枝の、やや煙るような薄紫めいた色が重なって、二種の色調が織り合わされていた。

               *

 代々木から新宿方向へ向かいはじめると、通りの向こうに聳える白亜の高層ビルが、雨の晴れて穏和に青く煙った空からの陽を受けて片面和らいでいる、随分と明るくなった夕刻である。それでも吹く風は冷たく身を突くなかを新宿駅の南口正面まで行き、人群れに紛れて横断歩道で停まっているあいだ、艶のなく稀釈されたような青緑色のビルの前を、鳥が横切って影が滑った。東南口に移って下りると、広場の端に薄紅色の花をひらいた木が二本あって、一見桜だが、既に満開も過ぎたさまで、甘いような色の裏に緑葉が既にたくさん生えて優美なのが、こんなに早いものがあるのかと不思議だった。

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2017/3/25, Sat.

 散歩がてら買い物に出た。四時半である。薄鈍色に染まって寒々しいような風合いの大気だったが、気温はそれなりにあって、風が流れて林の高い方では、いくらか古色の混ざった細長い竹が撓って葉を鳴らしていても、道の上のこちらには冷たさはない。家の周辺を行くあいだ、かぐわしいような珊瑚色を連ねた枝垂れ梅の小さな木が、所々の家の庭内に見られるのが目を惹いた。坂を上っていると、ガードレールの向こうは眼下に家が収まって、その先は林が川沿いに広がって敷かれているが、短い鳥の声が立つなかに一度、遠く薄く鶯の音が浮かんだように聞こえた。坂を上りきってふたたびなだらかに裏を行く途中、一軒の入り口に、花水木のそれを思い起こさせる薄紅色の花を宙に掛けた木があって、これは何だろうなとちょっと見上げた。和紙のように薄く繊細そうな花びらにある皺の感触に、辛夷の花を思ったが、六弁ではなく、花のつき方も違っていくらか重なり合って互いに支えるようになっている。帰ってから検索した限りでは、桃の花が一番近いように見えたが、定かではない。前夜は夜更かしをしたためだろう、下半身が重く、脚が下に引かれるような感覚があって、踏みながら脚の肉の伸び縮みを確認するような慎重なような足取りになっているのに、病み上がりの患者のリハビリのようだと思った。街道に出て、五つの道が行き当たった交差点で止まり、一つの細道のなかに椿だろうか、強い色で咲いているのがあるのに、随分と赤いなと信号待ちのあいだに見やってから、横断歩道を越えた。ガソリンスタンドでは車を待つ店員が二人、手持ち無沙汰に立ち尽くしており、一人の方は暇を持て余したあまり、こちらが過ぎる横で、蟹のように横歩きをして敷地の端まで行き、そこからまた戻ってくるという動きを、遊びのようにやっていた。コンビニを過ぎると道端に突如として、またもや随分と赤い、トマトの皮を貼り合わせて作った細工のような花が現れて、これものちの検索で見たところ、木瓜に違いないと思う。西の彼方では山が青く染まって空の下部を埋めている。そちらの方にまっすぐ歩いて行き、曲がって川の上を渡る大橋に掛かった。ここに来たのは大層久しぶりのことだが、そうなるのではないかと思っていたところ、橋に踏み入る数歩手前から高所に対する不安が兆しはじめて、川の上に完全に差し掛かるとそれが固まった。最初のうちこそ右手の欄干の向こう、遥か下方に流れる川をちらちらと見下ろしていたのだが、不安の波の水位が高くなって、勿論錯覚なのだが身体が自然と欄干の方に引き寄せられるかのような感じが起こり、平衡感覚もいくらかふらついたので、そのうち余裕がなくなり、股間と肛門のあたりを微生物にまさぐられるかのような感覚が消えなくなった。空中の近い右手もそうだが、車の行く道路を挟んだ左手を見やるとすると、近くを見下ろすという具合には行かず視線を上げなくてはならないから、広漠と続く何もない空間を見通さなくてはならないのが恐れられて、怖いもの見たさの誘惑を感じつつも、やはり怖くて視線の先を正面の足もとに固定した。渡って息をついた頃には、家を出てから三〇分ほどが経っていたようである。最寄りのスーパーまで徒歩で四〇分掛かる、まさしく僻地と言うほかない土地だが、残りの一〇分ほどを辿って、店で買い物を済ませた頃には五時半近くになっていた。湿ったような感触で雨の匂いも思わせなくもない空気の色合いは、一見して家を出た時と変わりなかったが、暮れが進んで気温は着実に下がったようで、吹く風に明確な冷たさが混じっていた。片手に膨れたビニール袋を提げ、手のひらに食いこませながら来た道を戻った。長く歩いてきて肉体がほぐれたためだろう、帰路の橋では緊張はほとんどなく、頭上を埋め尽くした白雲の色を鏡のように反映した川を見下ろす余裕もあって、そのまま視線を上げて遠くの山々の織り重なりを見ても眩まず、出口に掛かると渡る時間が先ほどと比べて随分と短かったと感じられた。久しぶりに来た道で行きには色々と刺激があったためだろう、それに比して帰路自体も往路よりも短く、街道に沿って行くあいだに新たな印象もさしてない。ふたたび裏に入る頃には確かにあたりが暗んで来ていて、そうなると頭上では雲の裏の淡青の色が殊に褪せて、それでかえって雲の割れ目の境が露わになるようなところがあった。桃らしき木の下に来てまたちょっと見上げたが、黄昏にもう花の姿は明瞭でなかった。

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2017/3/24, Fri.

 往路。一度春の空気の軽さを味わってしまったために身の回りを包むコートの厚みが野暮ったく思えて、ジャケットとストールのみで出たのだが、この夕方はそれほど春めいたものではなくて、風が冷え冷えといくらか肌寒い気候だった。空は隈なく白く詰まって、青みはほとんど窺われない。ポケットに両手を突っこんで裏通りを行っていると、こちらの道のなかには風がひっきりなしに通るのだが、線路を越えたあちらには動きがなく、丘を覆う林も、線路のすぐ脇の木々も停止していて、暮れ方の鈍い空気のなかで家々も含めて殊更に静まっているように映った。二階屋に届く白木蓮は遠くからでも黄味をはらんだ花の色の空中に広がっているのが露わで目が行くが、そのいくらか手前の、低い塀に囲まれた古家の庭にも同じような風情の白い花を点けた木が、まだひらきはじめて間もないようで色は貧しいのだが立っていて、白木蓮に似てはいるものの花弁が細く、いくらか皺の寄って垂れたようになっているのを、これは何というのだろうなと見て過ぎた。帰ってから画像を検索したところでは、どうも辛夷の花だったように思う。件の白木蓮はまた嵩を増したのだろうが、この日はあまり目をやらず、その前を過ぎたところで鵯が一閃、声を張って、進んで辻を渡って角の家にも、先のものより小さめの白木蓮が内からすらりと伸びていて、まだひらききらず細身の電球のように灯ったそちらの花弁の方が目に残った。さらに先を行って、付近の寺の名物でもある枝垂れ桜の色はどうかと、まだ鮮色は持たないが周囲のくぐもったような緑から、濡れた長髪のように垂れた枝そのものの色で、丘の入り口あたりに淡く浮かびあがっているそれに向けていた視線を前に戻すと、道の奥の突き当たりの建物を越えて、駅前のマンションの上層二階の窓が横並びにすべて、西の果ての残照を映しているらしく金色を満たしている。道を行くうちに角度の関係でそれが消えてしまったのを少々残念に思っていると、駅も近くなって、行く手にロータリーを見通した向かいの、そのマンションの、今度は下層階の窓にも同じように西空が反映しているのが現れて、静かに停まって揺らがない水面の透明さでもって空を湛えるそのなかに、こちらの動くにつれて雲のわだかまりの断片が滑り抜けて行くのだった。

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