2017/4/10, Mon.

 往路。この日もまた薄灰色の、雨が落ちてもおかしくなさそうな空気の風合いだったが、結局降ることはなかった。気温はやや下がって、コートもマフラーもつけずに出ると顔に当たる微風がちょっと冷やりとするが、歩いているうちにそれも紛れた。坂の入り口で右にひらき下る細道の中途に立った桜は、目を凝らせば紅の風味が瞳に触れるが一見してはほとんど白で、清潔に膨らみ、曇り日で背後との対比も弱く、実に柔らかい。街道沿いの小公園の三本は盛りだが、薄暗さのために前日と同じく、花色のなかにちょっと鈍さが混ざっていた。裏を行くあいだ道の先に、鳶が数匹集まって森の縁あたりを飛んでいる姿が見え隠れする。林の奥の方に行って見えなくなっても、ひゅるひゅると回転する声だけがしきりに降ってきて、同じ一匹らしいが、間を置かずに連続して、随分と鳴きつのる時間もあった。背後を向くと白い空のなかに陽が溶けていて、マンションの最上階の窓の端をかすかに彩るくらいの、仄かな明るさはある。

2017/4/9, Sun.

 午前から雨が降っていたが、四時半に近づいて出る頃には止んでいた。路上には濡れ跡が残っており、流れる空気のなかにも湿り気がやや籠ってしっとりとしている。車が行き交う街道のアスファルトは既に乾いていた。桜が至る所で盛りを迎えている――街道沿いの小家の前に置かれたささやかな木は、ほかのものから先立って既に葉桜に移行しかけているが、その先、小公園に立った二、三本は満開の風情で、通りの向かいで家先に出てきた女性が、連れた幼子の関心を促していた。枝の隅まで泡のようにして縁取り膨らんだ花の隙間から覗く空は、薄紅色との対比で僅かに青く見えるような気がする程度で、一面薄灰色に均されており、仄暗さを被せられて花色も艶は弱い。裏に入ると風はほとんどなく、顔に触れるものも軽く、音は表から車の音が入って来て、反対側の林の奥から鵯の鳴きが漂うのみで、広い静けさのなかで自らの足音が立つ。四手辛夷を行く手に見た瞬間に、花の白の裏に緑色が混ざりはじめているなと視認された。二階屋の上に届く白木蓮はもう大方褐色に崩れて、さながら花火の燃え殻である。寺の傍まで来ると枝垂れ桜の、二本あるうちの、森に接したほうの一本が明度を高めて、いくらか浮遊するように軽くなって、それまでの紅色にはなかった品の良い甘さが混ざっているのが片方との対比で良くわかって、そうか桜というのは、盛りを迎えるとこのように、自ずと色が明るんで菓子のように、香るようになるのだなと、今更なことを思った。

               *

 最寄り駅に着く頃には七時前で暗んでおり、ホームに降りた時にはここにも桜があることを忘れていて、闇に沈んだ反対側の丘の方を向き、宵に掛かりながらも青みのかすかに残っているように見える暗色の空に目をやっていたが、通路を抜けると暗中で淡紅に柔らかく膨らみ枝を埋め尽くしているものが、繭のような、と映った。まさしく盛りで、足許には花びらが無数に散って白く点じられている。いくらか冷えた空気のなか、木々に囲まれていて路上に湿り気が残っている坂を下ると、公営団地の敷地の端から伸びる桜も満開だったが、街灯を投げかけられて一つ一つの花の区切りを定かに浮かんだこちらは白く固まったようで、掴めば粉に崩れる硬い細工の印象を得た。見ているうちに団地の方から、小さな爆竹を破裂させるような音が連続して聞こえて、人らの気配も漂ってくるのに歩き出すと、こちらのいる道からは一段下がった団地の入り口あたりに、これから出かけるらしい数人がいる。母親らしい最後尾の女性のあとを追って女児が何かを届けに来て、快活に仲良く言葉を交わしていたが、サンダルか何か角の立ったらしい履物で住宅の階段を次々下りる際の反響が、先ほどの音の正体だった。

2017/4/7, Fri.

 往路、午後五時。前日と同じように気温が高くて、微細な羽虫が空中を飛び交っていた。空は青を湛えてすっきりと晴れたなかに夕月の、下端だけ消えて表面の模様もよく見えるのが白く露わに浮かんで、南の方にただ一筋だけ、雲が引かれて、丸みを帯びた部分部分が繋がったようにして横にまっすぐ伸びているのが芋虫めいていた。風の動きもそれほどなく、止まれば肌に馴染んで同化し、触れられている感触もない春の空気の軽さである。裏通りを行くうちにあたりに薄く漂う陽の感触に気づき、まだ声の高めな中学生の、白い野球服を身につけたのが三人、自転車で追い抜かして行ったあとから振り向くと、落ち陽が稜線に掛かって山を円くえぐっているところで、前に向き直ると横の家塀に映ったこちらの影は、半紙に水で文字を書いた時と同じ淡さだった。先日から何やら工事の始まってシートに包まれた二階屋の隣の白木蓮は、もうあちらこちらを茶色に枯れ萎ませて老いの坂を駆け下っている。いつも通り鵯の声の林のなかから響くあたりまで来て、寺の枝垂れ桜の桃色に横目をやりながら過ぎると、行く手に突き当たる家屋を越えて現れた駅前のマンションの高層階が、先日も同じような場面に行き会ってその時は窓が落日の金色に浸っていたが、この日はガラスのみならず建物の表面すべてが、地の黄褐色を新しく塗り直されたように明るんでいた。駅前に出ると陽の感触は下層階の方に移っており、壁色にいくらか艶を帯びさせながらもその明るさのなかの端々に古い黒ずみを浮き彫りにし、歳月を経たもの独特の風情を抽出して露わにしていた。

2017/4/6, Thu.

 往路。午前には旺盛な陽があったが、昼過ぎから雲が広がりはじめて、あたりが薄鈍色と化した午後五時である。それでも最高気温二〇度とあって、風が流れても肌寒さは微塵もなく、今年初めてストールを巻かずとも済んだ。空気の暖かさのために一挙に湧いて活発化したのだろう、細かな羽虫の群れがそこらじゅうに湧いていて、道行きに終始ついてきて、視線をどこに向けても宙を飛び回るものが目に入り、顔や服に触れないまでも常にそのなかに包まれているような状態である。街道沿いの古家を過ぎると、小公園の桜もさすがにもう花開きはじめており、空中に薄紅の絵の具を粗く点じられた風情だった。風は丘から鳴りが立つほどではないが、時折通って、近場の木々の葉群れを撓ませ、そよぎを道に添える。家を発ったころはまだしも青さが残っていた雲も灰色に落ちて、あたりが鈍く沈んだなかで寺の枝垂れ桜は色艶が足りないが、桃色を塗られて上から下へと流れており、ほとんど緑しかない森の木々を周囲にそこだけいくらか明るんでいた。

2017/4/5, Wed.

 光の溢れる屋内に出た途端に、空気のなかに染み渡った朗らかな匂いが鼻に入って来て、乳のような、と思った――無論、牛乳の匂いなどしていないが、何の香りとも言い難いものの温もった大気のなかに広がって鼻孔をくすぐるものがあるのは確かで、乳の比喩が浮かんだのはそのまろやかと言うべき質感のためだろう。本格的に春めいて気温の上がったここ数日は、道を行っていても、土や植物の香りが溶け出すのか、やはり何ともつかない物々の匂いが空気中に浸透している感じがする。モッズコートはもはや不要で、シャツの上にデニムジャケットを羽織ればそれで快い陽気である。車に乗って駅へ行き、叔母を拾ってから墓へ向かった。墓場の入り口脇には白木蓮が咲いていて、ここにあるのは確か海棠だと思っていたがと記憶の不一致に訝しみながら、裏通りのものよりも背が低いが花は大振りで、花弁の底に細かく粒だった蕊の集まりが覗けているのを眺めた。墓掃除をし、花を入れ替えて、線香と米を供えて拝んだあと、母親が余った水を通路に撒くと、足もとに一気に白い照りが広がって、完全に均されてはおらずいくらか凹凸のある石畳の内に水が浸透していくその一刻ごとに、泡の破裂する音かぷつぷつと鳴りながら、新たな白さがあちらこちらで生じて密度を高めて行くさまを気付けば見つめていた。

2017/4/4, Tue.

 往路、最高気温は一七度の、緩くほぐれた春日である。左右を木々に囲まれた坂を上って行き、平らな道に出たところで、西から射しこんで顔のあたりに掛かる光の明るい温もりに、匂うような陽だ、と思った。街道を歩いていると、古家の前の低く小さな桜木はもう大方花をひらいてその下には葉の清涼な薄緑もあるが、表に面した小公園に立つ高い木の方は、枝にある色はまだすべて蕾の赤褐色である。裏通りから、前日と同じく丘の表面が細かく蠢いているのが見えるが、風はこの日はそれほど寄せていないようで、鳴りは地上に近い森の縁からしか立たない。並ぶ家に沿ってその裏に伸びる線路を越えて向こうの、林の最も表側の木々がいくらか音を立てているのを見やっていると、その上空、澄んだ青のなかに、まだ年若い鳶だろうか、翼を広げても端から端までがそれほど大きくないが、鳥が四匹、悠々と旋回する姿が現れて、見上げているうちに、例のくるくる巻きながら落ちるような、長閑な鳴き声も一度降ってきた。色濃い晴れ空の果てには、形は見えるけれど物量の感じられない、ぺらぺらに圧縮されたような雲が貼られていて、明るい部屋の壁に投影された写像の稀薄さだった。寺の付近まで来ると、以前から視認してはいたが、林の縁から一つ奥に入ったところに、表の木に見え隠れしながら、あれも桜だろうか、鮮やかな鴇色の花を戴いた木があって、この日はその色が殊更に目を惹き、鵯もいつもはそれを隠している方の木の樹冠に飛んでいくのを見かけるが、この日は少し奥から鳴きを聞かせるようだった。

2017/4/3, Mon.

 往路、風が強いという話だったが、玄関を抜けたところで身に寄ってきた大気は柔らかで、薄布に触れられているような感じだった。道を行くうちに確かに風が厚くなる時があって、木々のなかを搔き回すらしく大きな葉鳴りが膨らむのだが、その流れが顔に寄せてきても冷たさに結実することはないくらいに暖かな日和である。空模様は曖昧で、街道に出るあたりではまだ行く手にこちらの影が薄く生まれ、そのすぐ傍を鳥の分身が掠めて通ることもあったが、のちには空に白さが勝って、西では太陽が光を留められながら一層白くなっていた。ひらいている桜はまだ僅かである。裏道を行きながら路上に視線を落としていると、その前から耳には入ってきていたはずだが、何かの立ち騒ぎが聞こえるのに聴覚が不意に焦点を合わせて、それと同時に丘が風に鳴らされているのだと認識が追いつき、随分と鳴るものだと驚いて目を上げた。裸木もあり緑木もあり、赤みがかったような木もあり、さまざまな色味の木々が継ぎ接ぎのように組み合わされながら全体としてはまだ鮮やかさの少ない森の表面が、細かく蠢いていた。二階屋を越える白木蓮は、一方では褐色に侵食されきった花があり、古くなった花弁が地にいくらか散らばってもいるが、他方ではまだ淡黄に固まって艶を帯びたものもあって、後者が目に入ると何か新たな感じがした。寺の枝垂れ桜は、蕾の赤味のなかからもう少し目に派手な、紅色がところどころに萌えはじめていた。

               *

 屋内にいるあいだ入り口の扉がひらくたびに、聞こえてくる車の音のなかに水っぽさが混ざっていたので雨を思っていたが、午後八時になって帰る頃には降りはなくなって、道が薄く湿っているのみだった。それほど降ったわけでもないらしい。雨が通ったあとでも空気の質は日中とあまり変わらず、冷たさが固まることはない。雲は流れて空には青さを背後に三日月と星が灯り、裏通りの路上は水気がまだ残って道の灯がその上に吸着され、粉をまぶしたように淡く黄緑に光っていた。表の道路はもう乾いていて、車のライトも溶かされて伸びることもなく、普段通りに、布を掛けたように道の上に落ちるのみである。

2017/4/1, Sat.

 往路、雨降り――傘を持つ右手がいくらかひりつく、最高気温は一〇度の冬戻りの午前である。歩きはじめてすぐ近く、とうに裸になっている楓の木の、赤味を帯びた枝々の至る所に水滴が吊るされて、極々小さな水晶玉を飾り付けた具合になっているのを横目に過ぎて、坂に入った。上って行くと、この日も変わらず鶯の鳴きが聞かれ、出口付近では左右の斜面の草のなかから、小鳥が次々と立って散って行くのを見ても、春を迎えて鳥たちが活発である――視認されたなかの一匹は、白鶺鴒だった。同級生らと集まって花見の予定だったが生憎の雨、そうでなくても、少なくとも道々の桜は、ひらいているものは古家の前の低いもののみで、大方、赤くなってはいるがまだ開花を待つ身である。雨は弱く、傘を振っても先日のように水滴が転がり一つになって端から落ちるでもなく、裏から黒地を見透かしてもあまり大きな粒もなくて、平面の上に透明な液体が乗っているというよりは、細かく毀[こぼ]れたように見えるのが、石板めいた質を持って映った。白木蓮は、黄味の熟した色のなかに茶色が混ざって、いくらか濁ったような、土臭くなったような色合いが、遠くからでもわかった。道を行きながら、表通りで飛沫を立てる車の音は伝わって来るが、林の方からは何もなく、足音を阻むもののない静けさに、さすがに雨でこの朝は鳥たちも静かにしているか、と思っていたら、寺の傍に来るとやはり鵯が鳴いていて、森の一番縁に立った一つの木に集まるらしく、梢の茂みのなかに飛んで行く姿が見られ、枝垂れ桜は連ねた蕾の赤味を露わに、それが薄紅に変わりはじめるのも間近らしかった。

2017/3/31, Fri.

 往路。雨さえ降っていないが寒々しい、灰色の午前一〇時である。とは言え、もはやコートを纏うほどの冷気はない。坂を上って行くあいだ、この日も左右の木の間から鶯の音が何度も膨らみ、また左の林からは画眉鳥だろうか、酩酊して鳴き散らしているような声がやや金属質に甲高く降るのに、鉄琴を滅茶苦茶に叩いた音が木々のなかに散乱しているような心象を思った。ここ二日三日ほどで明らかに、道行きに伴う鳥の声がかしましくなって、空気が活気を増したように思う。空はどこを見ても起伏なく白い。裏通りの白木蓮をまだ遠くに見ているうちに、金属を叩く音が行く手から響いてきて、近づくとその木の接した家の周囲に鉄骨が組み立てられている途中で、人足らが花の下にも入りこんで立ち働いていた。寺の付近まで行くと昨日と同じく、鵯の鳴きがかまびすしく立って、左手の林に集っているようだが、右の家々のあいだからも呼応が聞こえた。

               *

 帰路は、朝の鳥たちは林を離れてどこかに出かけているのだろう、道は静かで、声がないではないがそれも離れた位置から漂う感じに届いてくる。白木蓮の下まで来ると、前日と同様、またちょっと立ち止まった。黄の色の浸透した花は盛りも越えたのだろう、あちこちに、炙られて焦げたような茶色の染みがついて、そろそろ崩れの始まりかけている風情である。過ぎてちょっとしてから雨が散りはじめて、次第に粒が多くなり、顔に点じられる感触が煩わしいようになってきたところが、しかし傘もないので受けて行くほかなかった。上着やベストの繊維のあいだに水が引っ掛かって灰色混じりで白くなっているのを見下ろすと、液体であるよりは極小の固体の欠片のように映って、馴染みの、自分のなかでももはや手垢の付いた比喩だが、塩の粒を思った。

2017/3/30, Thu.

 往路、家を発って道路の上に立つと、道の隅から隅まで陽の隈なく敷かれて実に暖かい快晴で、同様に晴れた二日前よりもさらに朗らかなようで近所の屋根も艶めいている。坂を抜けて行くと、あたりから鶯の音がしきりに立って木の間に響く。風が吹けば涼しさが仄かに生じるが、空気も落着いていて、裏通りに入って曲がりながら温もりを身に受けて、眠くなるような暖かさだと思った。並ぶ民家のあいだを行っても鳥の声が多く、線路先の林から立つのでもなくてすぐ近くから降っていて、三連符で細い線を引き絞ったような声が上がるすぐあとに、同じ声調だがちょっと違った鳴き方のそれが別方向から湧くのに、鳴き交わしているな、と聞いた。高い白木蓮は東側を建物に接されて、まだ午前で太陽がそちらに寄っているから蔭のなかにあるのだが、それでかえって清潔な、黄みを帯びた滑らかな白さが際立つようで、一つ一つの花の塊が石鹸のようにも見えた。寺の付近まで来るとまた鳥が多くなって、林の方からひっきりなしに鳴きが響いて、足もとに視線を落として考え事をしていたところにそれに気付くと、その絶え間なさに、録音された音源が再生されているかのような錯覚を一瞬得た。

               *

 帰路、太陽は高くなり、気温もますます上がって、襟巻がいらないくらいの陽気のなかをゆっくりと歩いた。顔に温もりが付着して、身体が薄く汗ばんでくるほどである。鳥の声はあるが、朝よりもいくらか遠くから淡く漂ってくる趣で、昼下がりらしい静かな道だった。朝も見た白木蓮の下まで来ると、立ち止まってちょっと見上げた。先にはまだ花がすぼみ気味で丸みを帯びていたのが、正午も越えて屈託なく、陽光を吸いこむように天に向けてひらき、横を向いた花弁に目を寄せると、蠟で作られたようなその厚みが見て取れた。黄みもだいぶ濃く、匂うような色になって、かなり熟してきたのだろう、褐色の点が散った花びらもそこここに見られる。同じように花をいっぱいに開け広げている四手辛夷の横を通って先を行き、表に抜ける曲がり角まで来ると、右手の公営団地の方から吹奏の音が聞こえたのは、表ではちょうど車が途切れたところで、街道を挟んで反対側の裏にある中学校から渡ってきたのが反射したらしい。合奏ではなく、ウォーミングアップめいた長閑さで、 "Sing, Sing, Sing" のメロディと聞き取った。続きが聞きたくて表に出てからも聴覚を張って耳を澄ましたのだが、車の流れが止まず、風を切る走行音の厚いなかでは定かに聞き取られないうちに、中学校から遠ざかった。

2017/3/28, Tue.

 往路、陽光の張られて屋根のいくつか白く塗られた午前一〇時だが、風がよく流れる大気の感触は冷たい。坂を行く途中に、木々の向こうから鶯の音が立って、伴った膨らみの感じからすると、川向こうから響きが渡って来ているのではないかと思われた。坂を抜け、鴉の声を耳にしたのに見上げると、風で葉を震わす木の頂上に、青空を後ろにして澄まし顔の一羽がいて、顔を動かした際に嘴が陽を受けて瞬間白銀色に変わったのを、その下を過ぎざまに見た。陽のなかにいれば結構温もって、裏通りを行っているうちに気付くと襟巻の裏で肌が汗ばんでいるような感じを帯びるくらいである――しかし、建物のあいだにあってもやはり風が吹いて、それもまた冷やされることになった。駅前で公衆便所に寄って出ると、近くの柵に鵯が止まっていて、ハンカチで手を拭きながら、鳴かないか、鳴かないかと眺めているあいだ、鳴きはしないが代わりに傍の柱のてっぺんへと飛びあがったその時の、離陸の加速から着地の減速までの軌跡が、実に滑らかで見事だった。

               *

 帰路、最寄り駅を降りるとホームから線路を渡った向こうに、枝を広げた桜木の、隅まで紅色の蕾を鮮やかに点じているのを見る。通路を抜けて低いところまで下りて来ている枝先に寄り、ちょっと眺めると、もう大方ひらく手前まで膨らんでおり、なかには白い花を洩らしているのもあった。坂を下り、椿の緋色のところどころに印された緑のなかに、鶯の音が降るのを聞く。昼下がりの空気はやはりいくらか寒々としており、午前とは違って陽の色も薄く、木の間に覗く彼方の山肌までの空気がやや濁って見えた。道を出たところにある小公園の桜の蕾は、品種の違いなのか段階の違いなのか、豆のような薄緑色である。

2017/3/27, Mon.

 正午前に家を出た。寒々とする雨の日で、坂を行くと木の間を抜けてくる川の音が、前日来の降りで増水しているためだろう、普段より確かに厚い。傘を持つ右手も、本の入った小型鞄を胸に寄せて抱えた左手も、どちらも風のなかに露出して、冷え冷えと芯にやや染み入る感覚が、春から逆方向に揺り戻ってまた数歩分、冬のなかに踏み入ったようだった。街道を行く車がこちらの脇を過ぎる瞬間にも、走行音が増幅されて、水の感触の細かく混じったタイヤの擦過が、聴覚のみならず身に烈しく当たるような感じがする。雨はそこそこの降りで、路上のそこここにそう深くはないが水溜まりが湧いて、裏通りを行くうちに足先がいつの間にか湿っている。車や人を避けようとして傘を塀に当てたり、横に振ったりする時の拍子で、表面に溜まった水滴がいくつかまとまって流れ、外で直線的に、無色で単調に降る雨を向こうにして、丸みを帯びて白くなった粒が不規則に柔らかな律動で零れ落ち、破線でもって瞬間、内外の境界を描くのが目に残った。頭上を覆う黒い布地を裏から凝視すると、水粒の無数の付着が露わに見透かされて、小指の先ほどもない数滴のあいだにまたさらに細かいのが入りこんで隈なく群れているのが、樹皮のようでもあり、何か古い時代の生物の鱗めいた皮膚を思わせるようでもあった。道から駐車場を挟んで遠目に見える寺の枝垂れ桜の具合は先日よりも進んだようで、雨のなかで蕾の赤茶色が縦に広がって見え、蕾のつかない上の方の、垂れはじめの付近では枝の、やや煙るような薄紫めいた色が重なって、二種の色調が織り合わされていた。

               *

 代々木から新宿方向へ向かいはじめると、通りの向こうに聳える白亜の高層ビルが、雨の晴れて穏和に青く煙った空からの陽を受けて片面和らいでいる、随分と明るくなった夕刻である。それでも吹く風は冷たく身を突くなかを新宿駅の南口正面まで行き、人群れに紛れて横断歩道で停まっているあいだ、艶のなく稀釈されたような青緑色のビルの前を、鳥が横切って影が滑った。東南口に移って下りると、広場の端に薄紅色の花をひらいた木が二本あって、一見桜だが、既に満開も過ぎたさまで、甘いような色の裏に緑葉が既にたくさん生えて優美なのが、こんなに早いものがあるのかと不思議だった。

2017/3/25, Sat.

 散歩がてら買い物に出た。四時半である。薄鈍色に染まって寒々しいような風合いの大気だったが、気温はそれなりにあって、風が流れて林の高い方では、いくらか古色の混ざった細長い竹が撓って葉を鳴らしていても、道の上のこちらには冷たさはない。家の周辺を行くあいだ、かぐわしいような珊瑚色を連ねた枝垂れ梅の小さな木が、所々の家の庭内に見られるのが目を惹いた。坂を上っていると、ガードレールの向こうは眼下に家が収まって、その先は林が川沿いに広がって敷かれているが、短い鳥の声が立つなかに一度、遠く薄く鶯の音が浮かんだように聞こえた。坂を上りきってふたたびなだらかに裏を行く途中、一軒の入り口に、花水木のそれを思い起こさせる薄紅色の花を宙に掛けた木があって、これは何だろうなとちょっと見上げた。和紙のように薄く繊細そうな花びらにある皺の感触に、辛夷の花を思ったが、六弁ではなく、花のつき方も違っていくらか重なり合って互いに支えるようになっている。帰ってから検索した限りでは、桃の花が一番近いように見えたが、定かではない。前夜は夜更かしをしたためだろう、下半身が重く、脚が下に引かれるような感覚があって、踏みながら脚の肉の伸び縮みを確認するような慎重なような足取りになっているのに、病み上がりの患者のリハビリのようだと思った。街道に出て、五つの道が行き当たった交差点で止まり、一つの細道のなかに椿だろうか、強い色で咲いているのがあるのに、随分と赤いなと信号待ちのあいだに見やってから、横断歩道を越えた。ガソリンスタンドでは車を待つ店員が二人、手持ち無沙汰に立ち尽くしており、一人の方は暇を持て余したあまり、こちらが過ぎる横で、蟹のように横歩きをして敷地の端まで行き、そこからまた戻ってくるという動きを、遊びのようにやっていた。コンビニを過ぎると道端に突如として、またもや随分と赤い、トマトの皮を貼り合わせて作った細工のような花が現れて、これものちの検索で見たところ、木瓜に違いないと思う。西の彼方では山が青く染まって空の下部を埋めている。そちらの方にまっすぐ歩いて行き、曲がって川の上を渡る大橋に掛かった。ここに来たのは大層久しぶりのことだが、そうなるのではないかと思っていたところ、橋に踏み入る数歩手前から高所に対する不安が兆しはじめて、川の上に完全に差し掛かるとそれが固まった。最初のうちこそ右手の欄干の向こう、遥か下方に流れる川をちらちらと見下ろしていたのだが、不安の波の水位が高くなって、勿論錯覚なのだが身体が自然と欄干の方に引き寄せられるかのような感じが起こり、平衡感覚もいくらかふらついたので、そのうち余裕がなくなり、股間と肛門のあたりを微生物にまさぐられるかのような感覚が消えなくなった。空中の近い右手もそうだが、車の行く道路を挟んだ左手を見やるとすると、近くを見下ろすという具合には行かず視線を上げなくてはならないから、広漠と続く何もない空間を見通さなくてはならないのが恐れられて、怖いもの見たさの誘惑を感じつつも、やはり怖くて視線の先を正面の足もとに固定した。渡って息をついた頃には、家を出てから三〇分ほどが経っていたようである。最寄りのスーパーまで徒歩で四〇分掛かる、まさしく僻地と言うほかない土地だが、残りの一〇分ほどを辿って、店で買い物を済ませた頃には五時半近くになっていた。湿ったような感触で雨の匂いも思わせなくもない空気の色合いは、一見して家を出た時と変わりなかったが、暮れが進んで気温は着実に下がったようで、吹く風に明確な冷たさが混じっていた。片手に膨れたビニール袋を提げ、手のひらに食いこませながら来た道を戻った。長く歩いてきて肉体がほぐれたためだろう、帰路の橋では緊張はほとんどなく、頭上を埋め尽くした白雲の色を鏡のように反映した川を見下ろす余裕もあって、そのまま視線を上げて遠くの山々の織り重なりを見ても眩まず、出口に掛かると渡る時間が先ほどと比べて随分と短かったと感じられた。久しぶりに来た道で行きには色々と刺激があったためだろう、それに比して帰路自体も往路よりも短く、街道に沿って行くあいだに新たな印象もさしてない。ふたたび裏に入る頃には確かにあたりが暗んで来ていて、そうなると頭上では雲の裏の淡青の色が殊に褪せて、それでかえって雲の割れ目の境が露わになるようなところがあった。桃らしき木の下に来てまたちょっと見上げたが、黄昏にもう花の姿は明瞭でなかった。

2017/3/24, Fri.

 往路。一度春の空気の軽さを味わってしまったために身の回りを包むコートの厚みが野暮ったく思えて、ジャケットとストールのみで出たのだが、この夕方はそれほど春めいたものではなくて、風が冷え冷えといくらか肌寒い気候だった。空は隈なく白く詰まって、青みはほとんど窺われない。ポケットに両手を突っこんで裏通りを行っていると、こちらの道のなかには風がひっきりなしに通るのだが、線路を越えたあちらには動きがなく、丘を覆う林も、線路のすぐ脇の木々も停止していて、暮れ方の鈍い空気のなかで家々も含めて殊更に静まっているように映った。二階屋に届く白木蓮は遠くからでも黄味をはらんだ花の色の空中に広がっているのが露わで目が行くが、そのいくらか手前の、低い塀に囲まれた古家の庭にも同じような風情の白い花を点けた木が、まだひらきはじめて間もないようで色は貧しいのだが立っていて、白木蓮に似てはいるものの花弁が細く、いくらか皺の寄って垂れたようになっているのを、これは何というのだろうなと見て過ぎた。帰ってから画像を検索したところでは、どうも辛夷の花だったように思う。件の白木蓮はまた嵩を増したのだろうが、この日はあまり目をやらず、その前を過ぎたところで鵯が一閃、声を張って、進んで辻を渡って角の家にも、先のものより小さめの白木蓮が内からすらりと伸びていて、まだひらききらず細身の電球のように灯ったそちらの花弁の方が目に残った。さらに先を行って、付近の寺の名物でもある枝垂れ桜の色はどうかと、まだ鮮色は持たないが周囲のくぐもったような緑から、濡れた長髪のように垂れた枝そのものの色で、丘の入り口あたりに淡く浮かびあがっているそれに向けていた視線を前に戻すと、道の奥の突き当たりの建物を越えて、駅前のマンションの上層二階の窓が横並びにすべて、西の果ての残照を映しているらしく金色を満たしている。道を行くうちに角度の関係でそれが消えてしまったのを少々残念に思っていると、駅も近くなって、行く手にロータリーを見通した向かいの、そのマンションの、今度は下層階の窓にも同じように西空が反映しているのが現れて、静かに停まって揺らがない水面の透明さでもって空を湛えるそのなかに、こちらの動くにつれて雲のわだかまりの断片が滑り抜けて行くのだった。

2017/3/22, Wed.

 往路、雨降りの一日を挟んでふたたび気温の上がったこの日も、コートを纏わずに出た。いかにも春めいた二日前ほどの暖かさではなく、風がよく吹いて木々を鳴らすなかを歩いて行くと、頬が少々冷えるようだったが、陽射しがそれを中和してくれた。太陽は高くなって、三時半過ぎの街道は隅から隅まで日なたに覆われ、南側の歩道の奥にも深く入りこんでいる。東へ向かって歩くと背後の、首元を包んだストールの上に温もりが乗り、そこから下へ、肩甲骨の真ん中から腰までも心地よさに照らされた。裏通りにおいても日なたが広く、同じ温もりが続いて、歩くことがそのまま日向ぼっこになる具合の快適な晴れ日である。空はくっきりと青く、そのなかに飛行機雲の軌跡の掠れたものか、ほとんど錯覚にも等しいような筋がいくつか横切って見え、南の方ではもっと明確な形を作った雲も湧いているが、家のあいだから覗くそれは妙に稀薄で、造型されたというよりは空中に描かれた具合で、青空に向かって押し潰され一平面に閉じこめられたようになっていた。二階屋を越える白木蓮が先日よりも花の締まりをいくらかほどいて太めの蠟燭を掲げたようで、いよいよ燭台じみているその真下の道端に、女性が腰掛けており、濡れているらしい髪の斜めに顔に掛かって表情を隠されながらスマートフォンを覗いているその前を通り過ぎた。