2017/4/15, Sat.

 往路、午後四時。坂の中途の、木の間がややひらいた斜面に、菫の種らしい青紫色の小さ花が密集して一角を埋めている。空はこの日も、端から端まで天色に満たされ澄み渡った快晴である。丘を見れば少し前までは箒を逆立てたようになっていた裸木の地帯に、葉が萌えはじめたようで淡い緑が煙るように掛かって、全体に明るくなったなかに差しこまれた桜の甘い淡紅色がくゆって浮かぶようだった。街道では燕が活発化して、道の両側を繋ぐ電線の上に止まって分かれた尾を振りながら、あるいは巣を作ったらしい家の軒先に寄りながら、泡立つような鳴き声を立てている。小公園の桜は散花が進んで乱れが目立ちはじめており、幹からは緑葉も芽生えはじめていた。過ぎざまになかを覗くと、地には粉が撒かれたように花弁が散っていた。背後から照る陽が暑いほどで、歩いていれば服の内に汗も滲んでくる初夏の陽気である――最高気温は二五度とか言った。鳶が長閑に飛んで声の降る下を歩いて行き、寺のあたりまで来て枝垂れ桜に目を送ると、こちらも散りはじめているようで、薄桃色の合間に隙間が点じられて連なりが薄くなっていたが、それはそれで実をつけた果物の房のようだった。

2017/4/14, Fri.

 例日通り五時に外出。坂の入り口から右にひらいた細道に立つ桜の小木は、花の嵩を減じており、既に陽も当たらない場所で澄んだ空を背景に、水で塗られたごとく白さの上から薄青い蔭に染まっている。街道に出ると、車道の左右に伸びる電線のあいだを、燕だろうか鳥がしきりに渡っているのが、通る車の上に見える。空は一面の青さで、遮られるものなく陽がよく通って、小公園の桜の花が、雪白のなかに茜色を混ぜこまれていた。枝先の方では散って萼の鈍い紅の覗いた箇所も見え、崩れが始まっている。摩擦のまったくなく、肌に触れる感触の稀薄な空気に含まれた幾許かの温さに、匂うような、と思った。裏通りに入ると前方を帰る女子高生の、スカートから出た脚の色が、西陽の照射を受けてこれも濃い橙色に色づいている。春の気に誘われたのか、裏道は普段よりも人が多い。祖母らしい婦人に連れられた幼子が道の向かいからてくてく走ってきて、こちらが行く手にいるのも見えず目前に来てからいとけなく立ち止まるのに、笑みを返してやった。駅が近くなってマンションが見えると、最上階を彩る陽の具合が先日と違って、端の方の窓に僅かに映るのみであるこれも、日の伸びを表すものらしい。建物の全景が露わになる駅前ロータリーに来ると、三、四階あたりの一つのガラスに太陽が入りこんで濃縮され、内から破裂させんばかりにいっぱいにオレンジ色を輝かせた。

               *

 帰路の空気は快い涼しさに収まって、肌寒さに脚が知らず速まった時節も遠く、歩調が自ずと緩む。昨晩の満月にこの日も東に月を探して、振り向き歩いたが、なかなか見えず、空の青さも昨日よりもだいぶ暗んでいた。低みで家々に隠れていた月は、広めの空き地に差し掛かってようやく現れ、夕刻に見た西陽の色を注入されたかのように赤らんでいる。街道に出て対岸から見る小公園の桜は花明かりして、暗中に仄めき浮かんでおり、枝の一番先を僅かに揺らすこともなく、白く凍りついたように静止していた。足もとには枝から落ちて渡ってきた花が散らばっており、歩を進めて結構離れるまでかすかに残って点じられていた。

2017/4/13, Thu.

 往路。この日も空には雲が多く、首もとを風が擦ってやや冷え冷えとする。坂を上って抜けると、西空から射す薄陽があたりに掛かって、木々の緑の上から艶のある琥珀色を重ねていた。街道を渡って歩道を行き、小公園の桜に目を向けながら前を過ぎる。淡紅の桜の花はそれぞれの枝先に円く群れなして、木々のあちこちに小さな毬を集めてぶら下げたようである。なかの一本は柳の木に隣り合っていて、明るく垂れ下がった薄緑を背景に紅の仄かな白さが際立って優美だった。裏通りを行くあいだ、空は雲が広く占領しているが、ひらいた穴からは爽やかな青さも垣間見えて池のようになっている。しばらく歩いてからまた見上げると、数分のあいだに池は消え、雲によって描かれた模様ががらりと変わっている。千切れ雲が湿った青灰色に浸りながらも、大きなものの頭の方には陽が当たって白くはっきりと明るんでいる夕べである。薄桃色の水が上から撒き散らされながら固化したかのような寺の枝垂れ桜を見やりながら、道を行った。

               *

 帰路の空気もやや冷えていた。欠伸が洩れて眼球の表面が湿ると、黄みを含んだ街灯が途端に増幅されて、蝶の口吻のような光を瞳へ柔軟に伸ばしてくる。東の空に満月が浮かんで青さの露わな明るい夜だった。裏を抜けて表に出て、小公園の夜桜が白く煙っているのを過ぎて東を振り見ると、月を抱いた空は石膏を固めたように滑らかで、東の明から西の暗への推移のなかに一点の曇りも乱れもない。表通りの街灯の下にあっては西空は暗さが勝って木々も紛れるが、裏に入れば光が乏しくなるのに応じて夜空は明度を増し、西まですっきりと色が渡るなかに、未だ葉を付けない裸木の枝分かれの影がくっきりと黒い。その向こうから一匹、口笛を短く軽く連続させるような、虫にも似た鳥の声が遠く近く、浮かんでいた。

2017/4/12, Wed.

 窓を開けて瞑想をする。外は光が満ちていて、穏和な陽気が漂って左肩のあたりに触れる。風はほとんどないようで、空気の柔らかさを乱す流れが室内に入ってくることもなく、下草が揺れる音もせず、時折猫が慎重に踏むような擦過音が聞こえるのみである。鳥たちが鳴き交わす一方、空間の奥には、前日の雨で増水しているのだろう、遠くから川の鳴りが立ち昇って敷かれており、そのなかに近間の沢の音もやはりいくらか勢いが良く、水の弾ける響きが混ざる。

               *

 午後五時の往路に出た頃には朝の爽やかな晴天はなくなって、雲の多い空となっていた。最高気温が一九度と新聞の予報で見たわりには、いくらか涼しさの勝る夕方だが、それでも日中、気温が結構あったらしいのは空中を飛び回る羽虫の姿が証している。街道沿いの小公園の桜木を近くまで来て目にすると、全体に紅が薄れて白さが強まり、まとまったように映って、ありがちな比喩ではあるがさながら雪を枝の上に積ませた風情だった。散る前の予兆だろうか――あとで目にした寺の枝垂れ桜も、色がより仄かに、滑らかなようになったと見えたが、散花に向かうものの一日毎に淡くなって白無垢に近づいて行くということが、あるのかもしれない。風が時折り正面から顔に当たって髪を額に擦らせるその頭上で、空は雲の畝を広範に拵えて、青と灰の混濁した乱れ具合で、裏通りを行くあいだそのなかの、この日は森の方ではなくて住宅の上を、鳶が一羽で旋回し続けるのに鳴くかと見上げていたが、結局声を落とすことはなかった。

2017/4/10, Mon.

 往路。この日もまた薄灰色の、雨が落ちてもおかしくなさそうな空気の風合いだったが、結局降ることはなかった。気温はやや下がって、コートもマフラーもつけずに出ると顔に当たる微風がちょっと冷やりとするが、歩いているうちにそれも紛れた。坂の入り口で右にひらき下る細道の中途に立った桜は、目を凝らせば紅の風味が瞳に触れるが一見してはほとんど白で、清潔に膨らみ、曇り日で背後との対比も弱く、実に柔らかい。街道沿いの小公園の三本は盛りだが、薄暗さのために前日と同じく、花色のなかにちょっと鈍さが混ざっていた。裏を行くあいだ道の先に、鳶が数匹集まって森の縁あたりを飛んでいる姿が見え隠れする。林の奥の方に行って見えなくなっても、ひゅるひゅると回転する声だけがしきりに降ってきて、同じ一匹らしいが、間を置かずに連続して、随分と鳴きつのる時間もあった。背後を向くと白い空のなかに陽が溶けていて、マンションの最上階の窓の端をかすかに彩るくらいの、仄かな明るさはある。

2017/4/9, Sun.

 午前から雨が降っていたが、四時半に近づいて出る頃には止んでいた。路上には濡れ跡が残っており、流れる空気のなかにも湿り気がやや籠ってしっとりとしている。車が行き交う街道のアスファルトは既に乾いていた。桜が至る所で盛りを迎えている――街道沿いの小家の前に置かれたささやかな木は、ほかのものから先立って既に葉桜に移行しかけているが、その先、小公園に立った二、三本は満開の風情で、通りの向かいで家先に出てきた女性が、連れた幼子の関心を促していた。枝の隅まで泡のようにして縁取り膨らんだ花の隙間から覗く空は、薄紅色との対比で僅かに青く見えるような気がする程度で、一面薄灰色に均されており、仄暗さを被せられて花色も艶は弱い。裏に入ると風はほとんどなく、顔に触れるものも軽く、音は表から車の音が入って来て、反対側の林の奥から鵯の鳴きが漂うのみで、広い静けさのなかで自らの足音が立つ。四手辛夷を行く手に見た瞬間に、花の白の裏に緑色が混ざりはじめているなと視認された。二階屋の上に届く白木蓮はもう大方褐色に崩れて、さながら花火の燃え殻である。寺の傍まで来ると枝垂れ桜の、二本あるうちの、森に接したほうの一本が明度を高めて、いくらか浮遊するように軽くなって、それまでの紅色にはなかった品の良い甘さが混ざっているのが片方との対比で良くわかって、そうか桜というのは、盛りを迎えるとこのように、自ずと色が明るんで菓子のように、香るようになるのだなと、今更なことを思った。

               *

 最寄り駅に着く頃には七時前で暗んでおり、ホームに降りた時にはここにも桜があることを忘れていて、闇に沈んだ反対側の丘の方を向き、宵に掛かりながらも青みのかすかに残っているように見える暗色の空に目をやっていたが、通路を抜けると暗中で淡紅に柔らかく膨らみ枝を埋め尽くしているものが、繭のような、と映った。まさしく盛りで、足許には花びらが無数に散って白く点じられている。いくらか冷えた空気のなか、木々に囲まれていて路上に湿り気が残っている坂を下ると、公営団地の敷地の端から伸びる桜も満開だったが、街灯を投げかけられて一つ一つの花の区切りを定かに浮かんだこちらは白く固まったようで、掴めば粉に崩れる硬い細工の印象を得た。見ているうちに団地の方から、小さな爆竹を破裂させるような音が連続して聞こえて、人らの気配も漂ってくるのに歩き出すと、こちらのいる道からは一段下がった団地の入り口あたりに、これから出かけるらしい数人がいる。母親らしい最後尾の女性のあとを追って女児が何かを届けに来て、快活に仲良く言葉を交わしていたが、サンダルか何か角の立ったらしい履物で住宅の階段を次々下りる際の反響が、先ほどの音の正体だった。

2017/4/7, Fri.

 往路、午後五時。前日と同じように気温が高くて、微細な羽虫が空中を飛び交っていた。空は青を湛えてすっきりと晴れたなかに夕月の、下端だけ消えて表面の模様もよく見えるのが白く露わに浮かんで、南の方にただ一筋だけ、雲が引かれて、丸みを帯びた部分部分が繋がったようにして横にまっすぐ伸びているのが芋虫めいていた。風の動きもそれほどなく、止まれば肌に馴染んで同化し、触れられている感触もない春の空気の軽さである。裏通りを行くうちにあたりに薄く漂う陽の感触に気づき、まだ声の高めな中学生の、白い野球服を身につけたのが三人、自転車で追い抜かして行ったあとから振り向くと、落ち陽が稜線に掛かって山を円くえぐっているところで、前に向き直ると横の家塀に映ったこちらの影は、半紙に水で文字を書いた時と同じ淡さだった。先日から何やら工事の始まってシートに包まれた二階屋の隣の白木蓮は、もうあちらこちらを茶色に枯れ萎ませて老いの坂を駆け下っている。いつも通り鵯の声の林のなかから響くあたりまで来て、寺の枝垂れ桜の桃色に横目をやりながら過ぎると、行く手に突き当たる家屋を越えて現れた駅前のマンションの高層階が、先日も同じような場面に行き会ってその時は窓が落日の金色に浸っていたが、この日はガラスのみならず建物の表面すべてが、地の黄褐色を新しく塗り直されたように明るんでいた。駅前に出ると陽の感触は下層階の方に移っており、壁色にいくらか艶を帯びさせながらもその明るさのなかの端々に古い黒ずみを浮き彫りにし、歳月を経たもの独特の風情を抽出して露わにしていた。

2017/4/6, Thu.

 往路。午前には旺盛な陽があったが、昼過ぎから雲が広がりはじめて、あたりが薄鈍色と化した午後五時である。それでも最高気温二〇度とあって、風が流れても肌寒さは微塵もなく、今年初めてストールを巻かずとも済んだ。空気の暖かさのために一挙に湧いて活発化したのだろう、細かな羽虫の群れがそこらじゅうに湧いていて、道行きに終始ついてきて、視線をどこに向けても宙を飛び回るものが目に入り、顔や服に触れないまでも常にそのなかに包まれているような状態である。街道沿いの古家を過ぎると、小公園の桜もさすがにもう花開きはじめており、空中に薄紅の絵の具を粗く点じられた風情だった。風は丘から鳴りが立つほどではないが、時折通って、近場の木々の葉群れを撓ませ、そよぎを道に添える。家を発ったころはまだしも青さが残っていた雲も灰色に落ちて、あたりが鈍く沈んだなかで寺の枝垂れ桜は色艶が足りないが、桃色を塗られて上から下へと流れており、ほとんど緑しかない森の木々を周囲にそこだけいくらか明るんでいた。

2017/4/5, Wed.

 光の溢れる屋内に出た途端に、空気のなかに染み渡った朗らかな匂いが鼻に入って来て、乳のような、と思った――無論、牛乳の匂いなどしていないが、何の香りとも言い難いものの温もった大気のなかに広がって鼻孔をくすぐるものがあるのは確かで、乳の比喩が浮かんだのはそのまろやかと言うべき質感のためだろう。本格的に春めいて気温の上がったここ数日は、道を行っていても、土や植物の香りが溶け出すのか、やはり何ともつかない物々の匂いが空気中に浸透している感じがする。モッズコートはもはや不要で、シャツの上にデニムジャケットを羽織ればそれで快い陽気である。車に乗って駅へ行き、叔母を拾ってから墓へ向かった。墓場の入り口脇には白木蓮が咲いていて、ここにあるのは確か海棠だと思っていたがと記憶の不一致に訝しみながら、裏通りのものよりも背が低いが花は大振りで、花弁の底に細かく粒だった蕊の集まりが覗けているのを眺めた。墓掃除をし、花を入れ替えて、線香と米を供えて拝んだあと、母親が余った水を通路に撒くと、足もとに一気に白い照りが広がって、完全に均されてはおらずいくらか凹凸のある石畳の内に水が浸透していくその一刻ごとに、泡の破裂する音かぷつぷつと鳴りながら、新たな白さがあちらこちらで生じて密度を高めて行くさまを気付けば見つめていた。

2017/4/4, Tue.

 往路、最高気温は一七度の、緩くほぐれた春日である。左右を木々に囲まれた坂を上って行き、平らな道に出たところで、西から射しこんで顔のあたりに掛かる光の明るい温もりに、匂うような陽だ、と思った。街道を歩いていると、古家の前の低く小さな桜木はもう大方花をひらいてその下には葉の清涼な薄緑もあるが、表に面した小公園に立つ高い木の方は、枝にある色はまだすべて蕾の赤褐色である。裏通りから、前日と同じく丘の表面が細かく蠢いているのが見えるが、風はこの日はそれほど寄せていないようで、鳴りは地上に近い森の縁からしか立たない。並ぶ家に沿ってその裏に伸びる線路を越えて向こうの、林の最も表側の木々がいくらか音を立てているのを見やっていると、その上空、澄んだ青のなかに、まだ年若い鳶だろうか、翼を広げても端から端までがそれほど大きくないが、鳥が四匹、悠々と旋回する姿が現れて、見上げているうちに、例のくるくる巻きながら落ちるような、長閑な鳴き声も一度降ってきた。色濃い晴れ空の果てには、形は見えるけれど物量の感じられない、ぺらぺらに圧縮されたような雲が貼られていて、明るい部屋の壁に投影された写像の稀薄さだった。寺の付近まで来ると、以前から視認してはいたが、林の縁から一つ奥に入ったところに、表の木に見え隠れしながら、あれも桜だろうか、鮮やかな鴇色の花を戴いた木があって、この日はその色が殊更に目を惹き、鵯もいつもはそれを隠している方の木の樹冠に飛んでいくのを見かけるが、この日は少し奥から鳴きを聞かせるようだった。

2017/4/3, Mon.

 往路、風が強いという話だったが、玄関を抜けたところで身に寄ってきた大気は柔らかで、薄布に触れられているような感じだった。道を行くうちに確かに風が厚くなる時があって、木々のなかを搔き回すらしく大きな葉鳴りが膨らむのだが、その流れが顔に寄せてきても冷たさに結実することはないくらいに暖かな日和である。空模様は曖昧で、街道に出るあたりではまだ行く手にこちらの影が薄く生まれ、そのすぐ傍を鳥の分身が掠めて通ることもあったが、のちには空に白さが勝って、西では太陽が光を留められながら一層白くなっていた。ひらいている桜はまだ僅かである。裏道を行きながら路上に視線を落としていると、その前から耳には入ってきていたはずだが、何かの立ち騒ぎが聞こえるのに聴覚が不意に焦点を合わせて、それと同時に丘が風に鳴らされているのだと認識が追いつき、随分と鳴るものだと驚いて目を上げた。裸木もあり緑木もあり、赤みがかったような木もあり、さまざまな色味の木々が継ぎ接ぎのように組み合わされながら全体としてはまだ鮮やかさの少ない森の表面が、細かく蠢いていた。二階屋を越える白木蓮は、一方では褐色に侵食されきった花があり、古くなった花弁が地にいくらか散らばってもいるが、他方ではまだ淡黄に固まって艶を帯びたものもあって、後者が目に入ると何か新たな感じがした。寺の枝垂れ桜は、蕾の赤味のなかからもう少し目に派手な、紅色がところどころに萌えはじめていた。

               *

 屋内にいるあいだ入り口の扉がひらくたびに、聞こえてくる車の音のなかに水っぽさが混ざっていたので雨を思っていたが、午後八時になって帰る頃には降りはなくなって、道が薄く湿っているのみだった。それほど降ったわけでもないらしい。雨が通ったあとでも空気の質は日中とあまり変わらず、冷たさが固まることはない。雲は流れて空には青さを背後に三日月と星が灯り、裏通りの路上は水気がまだ残って道の灯がその上に吸着され、粉をまぶしたように淡く黄緑に光っていた。表の道路はもう乾いていて、車のライトも溶かされて伸びることもなく、普段通りに、布を掛けたように道の上に落ちるのみである。

2017/4/1, Sat.

 往路、雨降り――傘を持つ右手がいくらかひりつく、最高気温は一〇度の冬戻りの午前である。歩きはじめてすぐ近く、とうに裸になっている楓の木の、赤味を帯びた枝々の至る所に水滴が吊るされて、極々小さな水晶玉を飾り付けた具合になっているのを横目に過ぎて、坂に入った。上って行くと、この日も変わらず鶯の鳴きが聞かれ、出口付近では左右の斜面の草のなかから、小鳥が次々と立って散って行くのを見ても、春を迎えて鳥たちが活発である――視認されたなかの一匹は、白鶺鴒だった。同級生らと集まって花見の予定だったが生憎の雨、そうでなくても、少なくとも道々の桜は、ひらいているものは古家の前の低いもののみで、大方、赤くなってはいるがまだ開花を待つ身である。雨は弱く、傘を振っても先日のように水滴が転がり一つになって端から落ちるでもなく、裏から黒地を見透かしてもあまり大きな粒もなくて、平面の上に透明な液体が乗っているというよりは、細かく毀[こぼ]れたように見えるのが、石板めいた質を持って映った。白木蓮は、黄味の熟した色のなかに茶色が混ざって、いくらか濁ったような、土臭くなったような色合いが、遠くからでもわかった。道を行きながら、表通りで飛沫を立てる車の音は伝わって来るが、林の方からは何もなく、足音を阻むもののない静けさに、さすがに雨でこの朝は鳥たちも静かにしているか、と思っていたら、寺の傍に来るとやはり鵯が鳴いていて、森の一番縁に立った一つの木に集まるらしく、梢の茂みのなかに飛んで行く姿が見られ、枝垂れ桜は連ねた蕾の赤味を露わに、それが薄紅に変わりはじめるのも間近らしかった。

2017/3/31, Fri.

 往路。雨さえ降っていないが寒々しい、灰色の午前一〇時である。とは言え、もはやコートを纏うほどの冷気はない。坂を上って行くあいだ、この日も左右の木の間から鶯の音が何度も膨らみ、また左の林からは画眉鳥だろうか、酩酊して鳴き散らしているような声がやや金属質に甲高く降るのに、鉄琴を滅茶苦茶に叩いた音が木々のなかに散乱しているような心象を思った。ここ二日三日ほどで明らかに、道行きに伴う鳥の声がかしましくなって、空気が活気を増したように思う。空はどこを見ても起伏なく白い。裏通りの白木蓮をまだ遠くに見ているうちに、金属を叩く音が行く手から響いてきて、近づくとその木の接した家の周囲に鉄骨が組み立てられている途中で、人足らが花の下にも入りこんで立ち働いていた。寺の付近まで行くと昨日と同じく、鵯の鳴きがかまびすしく立って、左手の林に集っているようだが、右の家々のあいだからも呼応が聞こえた。

               *

 帰路は、朝の鳥たちは林を離れてどこかに出かけているのだろう、道は静かで、声がないではないがそれも離れた位置から漂う感じに届いてくる。白木蓮の下まで来ると、前日と同様、またちょっと立ち止まった。黄の色の浸透した花は盛りも越えたのだろう、あちこちに、炙られて焦げたような茶色の染みがついて、そろそろ崩れの始まりかけている風情である。過ぎてちょっとしてから雨が散りはじめて、次第に粒が多くなり、顔に点じられる感触が煩わしいようになってきたところが、しかし傘もないので受けて行くほかなかった。上着やベストの繊維のあいだに水が引っ掛かって灰色混じりで白くなっているのを見下ろすと、液体であるよりは極小の固体の欠片のように映って、馴染みの、自分のなかでももはや手垢の付いた比喩だが、塩の粒を思った。

2017/3/30, Thu.

 往路、家を発って道路の上に立つと、道の隅から隅まで陽の隈なく敷かれて実に暖かい快晴で、同様に晴れた二日前よりもさらに朗らかなようで近所の屋根も艶めいている。坂を抜けて行くと、あたりから鶯の音がしきりに立って木の間に響く。風が吹けば涼しさが仄かに生じるが、空気も落着いていて、裏通りに入って曲がりながら温もりを身に受けて、眠くなるような暖かさだと思った。並ぶ民家のあいだを行っても鳥の声が多く、線路先の林から立つのでもなくてすぐ近くから降っていて、三連符で細い線を引き絞ったような声が上がるすぐあとに、同じ声調だがちょっと違った鳴き方のそれが別方向から湧くのに、鳴き交わしているな、と聞いた。高い白木蓮は東側を建物に接されて、まだ午前で太陽がそちらに寄っているから蔭のなかにあるのだが、それでかえって清潔な、黄みを帯びた滑らかな白さが際立つようで、一つ一つの花の塊が石鹸のようにも見えた。寺の付近まで来るとまた鳥が多くなって、林の方からひっきりなしに鳴きが響いて、足もとに視線を落として考え事をしていたところにそれに気付くと、その絶え間なさに、録音された音源が再生されているかのような錯覚を一瞬得た。

               *

 帰路、太陽は高くなり、気温もますます上がって、襟巻がいらないくらいの陽気のなかをゆっくりと歩いた。顔に温もりが付着して、身体が薄く汗ばんでくるほどである。鳥の声はあるが、朝よりもいくらか遠くから淡く漂ってくる趣で、昼下がりらしい静かな道だった。朝も見た白木蓮の下まで来ると、立ち止まってちょっと見上げた。先にはまだ花がすぼみ気味で丸みを帯びていたのが、正午も越えて屈託なく、陽光を吸いこむように天に向けてひらき、横を向いた花弁に目を寄せると、蠟で作られたようなその厚みが見て取れた。黄みもだいぶ濃く、匂うような色になって、かなり熟してきたのだろう、褐色の点が散った花びらもそこここに見られる。同じように花をいっぱいに開け広げている四手辛夷の横を通って先を行き、表に抜ける曲がり角まで来ると、右手の公営団地の方から吹奏の音が聞こえたのは、表ではちょうど車が途切れたところで、街道を挟んで反対側の裏にある中学校から渡ってきたのが反射したらしい。合奏ではなく、ウォーミングアップめいた長閑さで、 "Sing, Sing, Sing" のメロディと聞き取った。続きが聞きたくて表に出てからも聴覚を張って耳を澄ましたのだが、車の流れが止まず、風を切る走行音の厚いなかでは定かに聞き取られないうちに、中学校から遠ざかった。

2017/3/28, Tue.

 往路、陽光の張られて屋根のいくつか白く塗られた午前一〇時だが、風がよく流れる大気の感触は冷たい。坂を行く途中に、木々の向こうから鶯の音が立って、伴った膨らみの感じからすると、川向こうから響きが渡って来ているのではないかと思われた。坂を抜け、鴉の声を耳にしたのに見上げると、風で葉を震わす木の頂上に、青空を後ろにして澄まし顔の一羽がいて、顔を動かした際に嘴が陽を受けて瞬間白銀色に変わったのを、その下を過ぎざまに見た。陽のなかにいれば結構温もって、裏通りを行っているうちに気付くと襟巻の裏で肌が汗ばんでいるような感じを帯びるくらいである――しかし、建物のあいだにあってもやはり風が吹いて、それもまた冷やされることになった。駅前で公衆便所に寄って出ると、近くの柵に鵯が止まっていて、ハンカチで手を拭きながら、鳴かないか、鳴かないかと眺めているあいだ、鳴きはしないが代わりに傍の柱のてっぺんへと飛びあがったその時の、離陸の加速から着地の減速までの軌跡が、実に滑らかで見事だった。

               *

 帰路、最寄り駅を降りるとホームから線路を渡った向こうに、枝を広げた桜木の、隅まで紅色の蕾を鮮やかに点じているのを見る。通路を抜けて低いところまで下りて来ている枝先に寄り、ちょっと眺めると、もう大方ひらく手前まで膨らんでおり、なかには白い花を洩らしているのもあった。坂を下り、椿の緋色のところどころに印された緑のなかに、鶯の音が降るのを聞く。昼下がりの空気はやはりいくらか寒々としており、午前とは違って陽の色も薄く、木の間に覗く彼方の山肌までの空気がやや濁って見えた。道を出たところにある小公園の桜の蕾は、品種の違いなのか段階の違いなのか、豆のような薄緑色である。