2017/8/2, Wed.

 木下坂に吹く朝風の涼しくて、速まれば久しぶりで肌寒さすら感じさせるような曇天だった。気温はせいぜい二七度か二五度かそのくらいに留まった日で、歩いていて汗も湧かず、この夏に珍しく、蟬の声がまったく聞こえてこない道だった。裏道途中の家の百日紅の、その枝先にまだひらかず結んだ蕾から沁み出るようにして、淡く灰色がかった雫がいくつも垂れ下がっているのを過ぎざま見上げた。しかし、それは本当にこの日の行きの時間のことだったか。朝にはまだ降っていなかったはずで傘を使った記憶もないが、前夜も続いていた雨が深く残って、去ってまもなくの頃合いだったのか。葉が吐く息のごとく森の天辺に薄霧が漂っていたのを覚えているので大方そうだったのだろうと思いながらも、止んで少なくとも二、三時間は経っていたはずで、すると雫が木に留まるかと疑わしく、記憶が索漠としてくるようではあるが、淡紅をはらんだ円みの下にもう一つの透明な小球が繋がって、落ちず静かに堪らえているそのさまだけは、眼裏にくっきりと残っている。
 帰路はまた雨に行き会った。前日よりも三時間ほど早い昼下がりだったから、降りながらもまだ明るくて、柔らかに白いような雨だった。街道の裏にいるあいだは蟬もほとんど聞こえなかったはずで、静かな道を終盤に来てから林の近くでようやく、ミンミンゼミが一匹、弱い声を立てていた。

2017/8/1, Tue.

 天気予報を見ると夕方までずらりと降雨の図、朝にはまだ降り出していなかったが傘を持って出勤すると、果たして正午に到らないうちから始まって、職場を離れた夕刻にも続いていた。幾日か見ないうちに、裏道の中途の家を飾るピンクの百日紅が花を増やしており、枝先に作られた集まりが水を含んで重ったのだろう、雨中に垂れて、下にぱらぱらと零れたものもいくらかあった。小さな花の散って転がっているのを、金平糖のイメージを重ねて眺めたいつかの昔があったが、この時はどことなく無残な感じを覚えさせられた。雨で、線路の向こうの林から響いてくる蟬の声は弱い。木の間の下り坂を行くあいだにはしかし、頭上近くから蜩の声が落ちて、弦楽器の搔き鳴らされるのを聞くような具合だった。
 雨は波がありながらも夜まで続き、風呂に入ると窓の外でまた膨らみはじめていた。湯に浸かりながらじっと耳を傾けているうちに一層募って、きめの細かく密な響きが窓いっぱいに迫って、それを受けて耳ではなくて心臓のあたりがほんのかすかに苦しいような、切ないような感じがあった。感傷ということではない。寄せる雨音が胸に沁みこみ、その圧に押されるかのようなところがあった。

2017/7/31, Mon.

 宙を乱雑に搔き乱すような蟬の声が降り、濃青の瓦屋根に光が滑って、雲はくっきりと立つでもなくて形態がぼやけ気味だが、正午前の道には夏らしい匂いが薫っていた。最寄駅に着いて電車が入線してくるのを待っていると、陽射しに一瞬、くらりと軽く来た。眠りの少なくて、輪郭が不安定に、細かく振動しているかのような身体だった。それで行きの車内は半分眠って、もう半分は谷崎潤一郎を読んで過ごし、新宿に着くと東南口から外に出た。空は無愛想に曇っていたが、それが蓋となり、停滞した大気には熱が籠っていて、がやがやとした街区を抜けながら肌が塞がれる。
 CD店で目当てのものを購入し、出ると雲がちょっと割れて陽が通っていた。光は暑いけれども、熱線が肌に乗るとほんのかすかな空気の動きでも涼しさとして感知され、大気がどうしようもなく止まっていた先ほどよりもかえって爽やかさが出てきたようでもあった。とは言え照射のなかを歩くのは心もとなかったので駅に戻り、電車で短く代々木に移動して、喫茶店で会合を持った。話して五時前に至ると、そろそろ暑気も和らいだのではと店を出て、今度は歩いて新宿の書店に向かった。街路の先に高く聳えたビルの片面に光が貼りついて真白さを重ね、駅前の大きな横断歩道に出ればその陽射しが斜めに渡って、まださすがに濡れるような暑さである。
 書店をうろついてから出れば外は青みがかっている。人波に紛れて東口付近の横断歩道を渡りながら、人間の膨らませるさざめきのなかにミンミンゼミの声が混ざって、大都会の真ん中の僅か申し訳程度の緑にも蟬が鳴くものだと聞いた。電車に長く乗って最寄りに着くと、頭上に浮かんだ月が、ちょうど上弦の半月だった。空は晴れたようで、木の間の坂を下りながら枝葉に枠取られた藍色のなかに二つ飛行機が、それぞれの方角に交わらず飛んで行くと見たところが、実は一つは動いておらず、その場でちらちら光を震わす星だった。

2017/7/30, Sun.

 この日もまた夕食後に歩きに出た。室内にいて気づかなかったが雨が通ったらしく、道は湿っており、かすかに名残った粒がぱらぱらと頼りなげに散っていた。三日連続、月の見えない暗夜で、この夜も道の先に灯った光の裏が大層暗く澱んで、家に挟まれて灯も乏しい裏道を行けば何となくその暗さが不安に思われるほどである。街道の分岐点まで来ると、この日は東に振り向かず、そのまま西に向かった。田舎町のことでガソリンスタンドからも既に灯が消え、並ぶ住宅が表情なく静まっているなかに、ただコンビニだけが皓々と、無菌的というような白さに明るんでいる。
 家が途切れて駐車場になった区画から、昼間は川向こうの地区まで見渡せるはずだが、今は上から下まで一様に闇に籠められて、低い位置に疎らな灯火が散るばかり、山の影すら映らず空に呑みこまれて、稜線のあたりだろう、雲が蟠っている箇所のみ辛うじて灰白に仄めいていた。隣駅まで到ったところで通りを渡って折り返したが、黙々と歩いているあいだにいつか、雨がやや繁くなっていたらしい。服と頭を湿されながら戻る道に車通りが絶えると、途端に足音が際立ち、しかしほかに人影も虫の音もなく遠くまで一挙に静寂が沁みて、その寂莫の広さにはっと驚かされる。カーブを曲がる車が宙を照らした一瞬、光の枠のなかに雨が露わに浮かび上がって、軽くてはっきりと落ちるでもないそれが羽毛の漂っているように見えた。

2017/7/29, Sat.

 正午前に足拭きを干すためベランダに出た時には、厚い雲が頭上一面に掛かっていながらもそれを抜けて背に落ちる熱を感じたものだが、それからしばらく昼が下ると稀薄な雨が始まって、窓から遠い台所で流しを前にすると視界が実に薄暗い。雨は続いて、この日も夕食後に出た散歩の頃には結構な密度になっていた。これではさすがにサンダルはまずいと靴を履き、傘を差したものの、格好はやはり気楽なハーフパンツで、剝き出しの脛に飛沫が弾けて冷たい。濡れた路面が街灯を宿して青白く冴えたようになり、歩に合わせて色を推移させて行くのを、美しいと素朴に思った。街道に出る間際の緩く傾いた道には幾重にも連なる水流が生まれており、その上にやはり白い光が引き延ばされて、刻まれた細かな襞がさながら鱗のようである。
 水気を含んで耳と頭を圧するほどに増幅した車の走行音を受けながら街道に沿って行き、樹々のあいだから裏に折れて細い急坂に掛かったところで、一つの音程が聞こえた。一軒の外に横倒しに設置された、あれは何の用途のものなのかともかくドラム缶様のものが、雨垂れを受けて硬質の音を立てているのだ。滴の当たる箇所が変わったのだろう、音程はすぐにもう一つの高さに移って、間を短く連打されるその響きに、坂を下りながら不思議と心が惹かれた。雨という触媒によって一つの物質が図らずも楽器と化してしまった、その意味の変容の瞬間に立ち会ったのだった。何かある種の音楽、自宅のコンピューターのなかに詰まっている優れた音楽群にも劣らず魅力的な、別の種類の「音楽」を聞いているという感じがした。その音楽に付されるべき名は、おそらく「偶然性」という一語なのだろう。

2017/7/28, Fri.

 夕食後、半袖半ズボンにサンダルを突っかけた気楽な格好で散歩に出た。玄関を通って道に出て、街灯の裏に籠った木の間の闇に目を振った途端に、暗い夜だとの印象が立つ。見上げれば実際月も星もなくて、平板な薄墨色を一面に掛けられた曇り空である。近頃夜道を歩いていなかったから月を見かけず、暦を読むことも怠っていたが、あとで調べたところでは新月はもう過ぎて三日月の時節、それがちょうど入り掛かる時刻にしかし月の姿は雲に呑まれていた。
 歩きはじめて風が頬に触れるとともに恍惚の感触が僅かに芽生えて広がりかけたが、高まらず、強い官能の代わりに水平性の解放感と、静かな安楽をもたらしてくれる。ただ歩を踏んでいるその時間自体を感じる以外に目的のなく、何からも誰からも離れて体系に回収されない断片として自律した散歩という行為、そのなかにあってひどく心の落着く感じがしたものだ。ひと気のないなかに坂を上って行き、斜面の上から空と地平を見晴らすと、川向こうの灯も乏しく、地上から山まで乾いて黒い影と化したその上に灰色のくすんだ空がひらいているのに、実に暗い夜だとの感を改めて強くした。
 家々の合間を行くあいだ周囲から、どれもこれも彩りがなくて無愛想な、散文的な声色ではあるものの、意外なほどに多様な虫の音が立って交錯する。街道の交差点に出て来た方角に戻りはじめると、車に付き従う光と影とが次々とこちらの身をすり抜けて行く。じきに救急車の音が聞こえた。前からか後ろからかと耳を張って窺っていたが、実際には川向こうの地区から、山に響き返って届いたものらしい。途中、道路工事をしている区域まで来ると、歩行者用通路を囲むように置かれたコーンの頭に保安灯が光って、夜道に小さな色の粒が散らばっているのに、花火の弾けるのを思った。あいだを通り抜けながら目を寄せてみると、赤と緑、赤と青という風に、それぞれ二色を交互に行き来しながら明滅する動きの、近くから見ると単調でちゃちなような、しかし無邪気なような光だった。そこを過ぎて駅前では、街灯に起こされるのだろう、ニイニイゼミが盛って声を張り上げている。
 街道からふたたび裏に入る間際、車の流れに引かれるようにして風が渡り、なかに強めの涼しさが含まれていたが、雨の気配は感じられなかった。三〇分か四〇分か、ゆっくり歩いてそのくらいは外にいたらしい。

2017/7/27, Thu.

 曇り空の終日続いた一日だった。朝の道に陽射しというほどのものもなく、眩しさの刺激が瞳を責めるでもないが、早朝に起きるというのに構わず夜を更かしたのが祟ってさすがに頭が重い。瞼がうまくひらききらず、光がなくとも眼球がかすかにひりつくようなのは、眠りの不足とはまず目に来るものらしい。照りつけるもののなかったのは幸いで、気持ちの良い風も折々吹いて戯れるなかを、半端な瞼の鈍い眼差しで歩いた。
 勤務のうちに意識が冴えて、帰る午後には平生と変わらないようになっていた。相変わらずの薄白い曇りだが、姿の見えない太陽が高くなった分、暖気が道に漂っているのが感じられる。あちらこちらでひらいた百日紅の花が落ちはじめており、僅かに転がった紅色の鮮やかさを見るに、雨中に伏して煌めく落花を金平糖に喩えて眺めたいつかの過去が思い起こされた。それほど暑くもなかったが今月の仕事終いの気楽さに、自販機で炭酸飲料のボトルを買って手に提げながら帰った終盤、坂を下りながら道の遠くに眺望がひらけて、近所の家並みを越えて彼方の上り坂まで見通されるのに気がついた。出口付近の樹々が伐られたのはもう二月近くも前のことだが、この坂を下りで通るのはもっぱら夜のことで、その時見えるのは黒くわだかまった樹影山影ばかりだったため、昼間の眺めの広さを感得するのは初めてだったのだ。自宅から反対にいくらか歩いた先にある上り坂の、三〇キロの速度制限を表すオレンジ色の表示まで小さく見えたが、何度も通っているこの坂をそのような距離と角度から目に入れることが今までなかったので、あれは本当にあの坂だよなと見慣れぬ相貌に戸惑うようになって、木の間に消えていく道の先もまるで自分の知らない場所に通じているかのような気分がしばらく浮かんだものだ。

2017/7/26, Wed.

 早朝に覚めた時から、雨が降っていた。窓辺に留まっているうちに勢い良く盛りはじめて雨音が膨張し、厚い響きの隅まで充満した猛雨となった。家を発つ頃になっても降りは衰えず、道に一面水が張って水溜まりから足を逃す余地もないほどの大雨で、歩き出せば即座に傘の端から大きな粒がぼたぼた垂れて脚に冷たい。激しく叩きつける音に耳が聾され、車が後ろから近づいて来ていてもそれすら聞こえないだろうと思われた。スラックスの裾も靴のなかも濡らしながら坂に入ると、端に設けられた溝を白く泡立った水が猛って下り、それに流され集められたのだろう、下水路の蓋の付近に落葉が積み重なって堰のようになっていたが、水流はそれも安々と乗り越えてひたすらに走っていた。
 勤務を済ませたあとは雨はほとんど消えて、湿り気の取れていない靴で図書館へ、谷崎潤一郎全集を借りたあとはスーパーに寄った。出ると、歩廊の上に暖気が漂いはじめている。ビニール袋を提げながら駅のホームに突っ立っているあいだ、風は吹かず、線路の雑草も一振りも揺らがずに静かに緑を這わせている。白い曇天に浮かんだ雲は微妙な色差の薄灰色で、視線を止めなければ見過ごしてしまうくらいの軽い染みだが、やはり雨後の風が大してないのだろう、ゆったりとした様子で横に滑って行く。最寄りで降りて行きと同じ坂を下ると、雨が去ったあとに蝉の音が強く、赤ん坊の発する奇声を思わせるような聞き慣れない声の鳥がたびたび叫びを上げていた。
 夜は風呂から出たあと、本を読みながら微睡むと、久方ぶりで肌寒いような涼しさが身に触れた。それで窓を閉めてから書き物に掛かって、仕舞えた頃には次の日に踏み入っていた。

2017/7/25, Tue.

 朝陽のなくて、白い窓の目覚めだった。食事を済ませて出た頃には、坂から見下ろした川の樹々が淡光を掛けられて緑色が薄らんでいる。曇り空の足もとに陽の色は弱く、影はかすかだが、それでも眠りの足りない目に眩しさの刺激がやはりあって、道の先を見通すには人相悪く目を細めなければならない。葉書をポストに入れると、たまにはとそのまま表の通りを、最初は顔を俯け目を伏せ気味に行ったが、丁字路の角にまぶされたような白の百日紅を過ぎてまもなく、雲を通ってくる光の圧力が弱まって瞳に掛かる重さがなくなり、脚もほぐれて血が回ってきたのか、身体も軽くなったようだった。見上げると、艶のない白のなかに一層白く、太陽の影が小さくぽっかりと印されて、しかし目に沁みるものもない。くすんだ大気の色合いに、雨の気配を覚えないでもなかった。
 午後になって帰りは前日と同様電車に乗って、扉に寄って外を見ていると発車間際から雨が始まった。夏の雨らしく降りはじめから間を置かず一気に駆けて募り、最寄りに降りると既に大降りとなっていて、水色のシャツが即座に濡れてさらに青くなる。結構な勢いだったが走る気にはならず、大粒を打ちつけられながら澄ました顔で平静ぶって横断歩道を渡り、坂を下るあいだは樹々がいくらか雨除けになったが、ふたたび通りに出ると髪が水を吸収しきれなくなり、顔にだらだらと垂れてくるものを無益に手で拭いながら、やはりあくまで走らずに足を運んだ。着くと玄関先で靴よりも先に服を脱いでしまい、胸を晒すとすぐにベランダの洗濯物を引きこんだ。
 その後は蒸し暑く、室内の熱気は前日以上とも思われて、夜になっても裸で何の支障もなく、むしろそこに扇風機がなければ暑気が籠るくらいで、風を止めても過ごしやすくなったのは、ようやく深夜に到った頃だった。

2017/7/24, Mon.

 早くに起きてまもない頃から、時鳥の声をよく聞いた朝だった。はっきりと立って膨らみ続くのは、久しぶりに耳にしたものだ。八時に出かけて街道を行くと、降り注ぐ陽射しが、まだそれほど高くはないはずだが早くも目に重く、眠りの少ない瞳に上からの圧が沁みるようで、広がる眩しさに、手を額にかざさなければ視線を上げて道の先を見通すことができない。伏し目がちに行っていると、真っ青な瓦屋根が油のような光をはらんでつやつやと照り輝き、まだ夏休みには入っていないのか、次々とすれ違う高校生らの姿も、明るさのなかに白く見える。並んだ女子高生らも暑い暑いとこぼしていたが、風はたびたび軽やかに吹き流れて、するすると身体を抜けていくように長く続く時間があった。灯りはじめたピンク色の百日紅の前を過ぎるあたりだった。
 午後に至ると雲が広くなって陽射しは中和されていたが、曇ってはいても空の腹を抱えて水も飲まずにいては、数十分の徒歩はことによると危ういと電車を取ることにした。最寄りに降りると、空は青みをなくして単調に褪せているのだが、瞬時に熱気が寄せて身を包みこむ。蟬の声響く坂を下りながら木の間に覗く空の様子に、この分ではあとで夕立が来るかもしれないという予感が萌さないでもなかった。下りきって通りへ出ると木立の奥からまた時鳥が鳴き、続けて今度は鶯の声も立つ。時鳥の鳴きは初めの一瞬間だけ鶯のものと紛らわしいと、確か『白髪の唄』だったか、古井由吉が書いていて、そうだろうかと疑問に思っていたものの、こうして連続で聞いてみると確かに、音質にしてもよく似ていて、何よりも音の高さがほとんど同じなのだと気付かされた。
 雨は結局走ることなく、深夜に入って短く、細く降っていたようである。街灯の光にでも覚まされたか、ミンミンゼミが一匹、夜の遠くで盛るのが聞こえた。

2017/7/20, Thu.

 風の多く流れる日だった。自室にいればカーテンが膨らみ、便所に行くと外の林が騒ぐのに雨が降りはじめたかと、室を出て玄関先を覗くまで錯覚させられる。夕刻五時に出た道にも風は厚く向かって来て、耳の穴を覆ってばたばたという響きをぶら下げるのが、久しぶりの感覚である。樹々のなかを上って行くと、重なりはじめたニイニイゼミの声が左右に拡散し、その向こうから鶯の音も落ちた。街道まで出れば例によって夏の太陽が身を包むが、このくらいの陽射しにはもう慣れたなと、ポケットを手に突っ込み顎を持ち上げて、余裕ぶったそぶりで道を行った。風鈴の音が、どこかの家から響いていた。
 夜は外に出た途端に空気の温さが感じ取られた。風というほどのものも吹かず、停滞気味の鈍い空気に、両の手のひらがべたついている。頭が痒くなるような生温さに、室内にいても汗をかいて垢が身体に溜まり重なっているのだろう、昼間よりも肌が粘るような感じがした。空も鈍い。思いのほか雲が出ており、家の間近まで来ると、山の姿が薄墨色の空に侵食されて、境が淡く霞んでいた。

2017/7/19, Wed.

 坂に降る蟬の声が、まだ合唱というほどでもないが厚くなりはじめている夕方、空は晴れ晴れと穏やかに青く、陽射しのなかにあってもさして背が粘らず、路上に掛かった蔭も水を含んだようにさらさらとした質感で伸びている。雲はほとんどなくて、僅かに混ざったそれよりも、膨張した太陽から押し寄せる光の波のほうが空に白さを刻印して、振り向けば西が一面、洗われたようになっていた。道行く男らの、シャツから伸びた腕がどれも血色良く染まっているのに引き換えて、自分の細腕は殊に青白く映るのだろうとふと思われた。こちらはそもそも夏であっても半袖を好まず、長袖を捲りながら毎年やり過ごしているのだが、この日はその袖を肘まで引き上げる必要を感じない、爽やかな空気の晴れの日だった。
 帰りは雲が湧き、煙に纏わりつかれたような濁った空に、昨夜はなかった背のべたつきが戻って、行きは引き上げずとも良かった袖を深く捲らされる。特に何があったわけでもないが、人のあいだで働くというのはいやに面倒だと、肉体と言うよりは精神の疲労倦怠に思いが流れて、周囲の物々もあまり耳目に入らず、自宅間近の下り坂の末端まで来てようやくひらいた景色に意識が向いて、黒影と化した木立の奥に川向こうの灯が、こちらの歩調に合わせてゆっくりと萎んではまたひらくように見え隠れするのに、侘しさの情が薄く滲むようだった。

2017/7/18, Tue.

 前夜の帰路には既に雨の近づきを感じていたが、それがこの昼の二時前、驟雨となって顕在化した。窓の外が暗く沈んできたのにそろそろ来るなと洗濯物を仕舞ってからまもなく、降り出しから棕櫚の葉に当たる音の高くて、水を一気に零したような雨が始まり、早々に盛って、一時は窓ガラスに打ちつけるもので景色が歪んで流動化するほどだった。じきに終わって晴れの気配が見えたかと思いきやまたにわかに曇って降りはじめ、続くあいだも振れ幅が大きく、雨音が高まっては次の瞬間には収まり、近間に素早く滑りこんでは引いて行くのが、妙な言い方だが、機動性の高い雨だった。
 続いた時間は短く、三時半に出る頃には止んでいて、また降ってはと念の為に傘を持ったがこれは使う機会がなかった。まだ雨が残っているかのような水音が林のなかから立ち、露わになった陽射しにアスファルトからは湯気が立って、空気の流れに合わせて低く這いながら回転している。光には力があるが、たびたび流れる雨後の風が涼しくもある。裏道に曲がると、集合住宅の横、小公園の木からだろう、陽色の通った空気のなかにミンミンゼミの声が響くのが、夏めきを感じさせないでもなかった。数日前、自室にいるあいだに遠くで立つのを耳にしていたが、すぐ近くで鳴く声を受けるのは今夏初である。
 前日に続き、夜道には風がよく吹き通る。今日は冷たさを感じるほどの涼気ではないが、昨日より全体に気温が低いようで、実に久しぶりに、シャツの内が汗でべたつくことのない、心地の良い夜歩きだった。

2017/7/17, Mon.

 蟬の羽音のばちばちと響く正午前の林から、夜の更けかかった帰り道まで、風の多い一日だった。夕刻の往路には熱が籠められて漂っていたが、柔らかな風が生まれて吹きこんで来ると、糸のように腕にまつわって、暖気を搔き混ぜ乱してくれる。陽射しは幸い雲に絡め取られて、街道を行く車の底から、影もほとんど湧かない。新聞屋の前、丁字路の角で白の百日紅が咲きはじめており、きめの細かい清潔な泡を丸く膨らませて枝先に受けたようになっているのを、遠目に見留めた。無造作な雲に濁りつつも明るい空に、西では大きな塊が丘の向こうから伸し上がるようにして天頂に突き出し、それとて暗むではなく、陽をしっかりと包みながら内からその光に浸されているのだろう、毛布のように穏やかで涼しい青に一面染められていた。道の終盤で振り返ると、光の切れ端が雲の際から沁み出して、空との境界部分が灼きつけられたように輝いていた。
 建物を出ると路面に水気が小さく残っているから、屋内にいるあいだに一雨通ったらしい。威勢の良い風が道を埋めるようにして正面から吹き流れ、そのなかに久方ぶりで、冷涼と言うべき感触の含まれているのが、更なる雨の予兆めく。雲はほつれながらも黴のように湧き、合間から暗みの覗く下を街道まで来ると、風がさらに勢いを増して草を煽り、木立からは葉擦れをざわざわ立てさせるのに、いよいよ雨の近いかと、いつ来るとも知れぬものが落ちはじめるのを窺うような目になったが、顔に触れるものはなかった。今夜中か、それとも明日にはと思って帰れば、翌日は雨だと聞かれて、さもありなんと得心が行ったものだ。

2017/7/13, Thu.

 正午過ぎ、食器を空にしたまま卓に留まっていると、突然の雨が落ちはじめた。曇ってきたなとはぼんやり見ていたものの、風もなく、予兆らしいものも感じ取れず、降りはじめから間を置かず一挙に速度を上げる雨に、急いで立って洗濯物を取りこんだ。雨は短い一過性のもので、それから三時間ほど経って出かける頃にはふたたび陽射しが戻っており、脇から突き出した山百合が大口ひらいて斑点を晒している坂を上って行くと、駅の階段は光と熱の回廊と化していて、入れば液体じみた陽光に濡れそぼって激しく漬け込まれる有様、屋根の下でシャツの背をばたばたやりながら電車を待った。
 東京ではこの日が盆の入り、暮れには仕事で暇がなかったのだろう、夜道、料理屋の戸口で老夫婦が迎え火を焚いていた。斑状に掛かった雲の隙間に青が深く溜まって、なかに星が瞭然と灯ったその下、地上は気温が比較的低いようで、肌を撫でる微風のなかに涼しさの感覚が小さく含まれていた。月はそろそろ会えない頃かと見廻しながら、家の近間の坂の上まで来ると、出たばかりらしく赤みがかって低い姿が市街の空に見られて、揺らぐ水面[みなも]に映った鏡像さながら、細い雲を差し込まれて折り目を付けられたように乱れていた。