2017/8/9, Wed.

 前日の疲労が残って身体がこごり、胸のあたりがとりわけ軋んで痛い目覚めだった。曇ってはいるものの、まだ微睡んでいたうちから凄まじい暑気の籠った朝で、起きてからも身の固さもあってだらだらと床に留まり、正午を回ってから部屋を出た。じきに雨が来るだろう、洗濯物を入れなくてはと、食事をしながら先ほどよりも薄暗んだ窓の外を窺っていると、皿を空にしたところで外に出ていた父親がぽつぽつ始まったと知らせに来たので、ベランダのものを取りこんだ。それからしばらくして、本格に降り出した。風はないようで、傾かずまっすぐ落ちて、窓枠が濡らされることはなかった。
 暑さに怠惰を決めこんで床に寝転んで過ごし、それから英語を読みはじめたものの睡気にやられて、なかなか使い物にならない日である。夜にはようやくいくらか涼んで、窓辺に座って外に耳を張ると、翅を擦り合わせる感触を露わに含んで短く鳴き連ねている声に、秋めいてくるようだ。一つの声が収まってもその裏から別のものが現れて、まだ稀薄だが様々な鳴きが常に留まっているなかに、そのうちに何か、黒板を擦るような甲高い声が聞こえた。猫とも鳥とも判別できず聞いていたが、近づいてくると鳴き声のなかに細かな粒立ちがあって、それで鳥だろうと検討をつけた。素早く移動しているらしく、声は遠ざかってはまた近づきながら、夜闇を騒がしく貫く。その後、茶を用意しに上がって行くとしかし、鳥ではなく、狸かハクビシンかと言った。様子を見に行った父親の目の前を、何か獲物を咥えて通ったらしい。

2017/8/8, Tue.

 凄まじい湿気の室内に充満した曇天で、朝の早くから非常に蒸し暑かった。台風は石川の沖あたりに抜けたらしく、道に出るとほとんど降っていない。屋内を出てすぐには多少涼気も感じられたが、歩くうちに暑くもなって、風が止まればやはり蒸し暑さを逃れがたい。森の高みに靄が湧かず、雨気があまりないようにも思われたが、じきにやや繁くなったので傘をひらいた。百日紅がますます紅色の量感を増し、重そうに濡れて塀の外まで垂れ下がっている。
 午後には台風はよほど過ぎたようで雨の気配も失せて、余計な荷物となった黒傘を提げて図書館へ、予想通りに席に空きはなく、取って返して出ると陽が薄く現れており、水の抜けた身体に重い暑気だった。ともかく飯を食おうと近くのレストランに入り、食事を済ませたあとに書き物をしようと思ったところが、睡気にやられてモニターを見る目が揺らぎ、言葉の感触を吟味できない。そこで先に眠りを稼がなくてはと駅に戻って、電車内で意識を短く失い続けた。
 乗り換えのホームから望んだ東の空はまろやかなような稀薄さに青く、雲も平たく淡く乗っている。国分寺に着くと駅ビルのなかの喫茶店でしばらく文を記し、六時を前に待ち合わせの改札前に移った。雑踏の合間を満たして籠る熱気が息苦しいほどで、これでは熱中症にもなろうと頷かれた。相手と合流して駅を出て、再開発中の高層ビルを掠めて遠い空に視線を送ると、雲の原のなかに夕陽の橙が忍んでいる。
 古書店を回ろうという話が目的の店は二軒とも休日、仕方なしとバールの類に早めに入って、著名なポップス曲の気怠いアレンジが掛かるなか、軽食をつまみながら話を交わした。九時を間近に出てもまだまだ熱気の籠って粘つく夜気で、空に満ち満ちた夜が色濃い。駅で別れたあとは頭痛に苦しみながら電車に揺られ、最寄りで降りると空が明るく、南に満月が雲をものともせずに特有の白さに冴えていた。結構な頭痛と疲労のために帰宅するとすぐさま横になり、そのまま起き上がれずに休んで風呂に入るのも零時を回る頃になった。

2017/8/7, Mon.

 血の巡りがまだ鈍く、陽射しの露わなのにも怖気づいて、朝の出勤に電車を選んだ。肌に熱が押しつけられ、さらには貼りつけられるようだが、思いのほかに身体は定かで、それほど重さも感じず揺らがなかった。駅に行くまでは雲が湧きつつもどちらかと言えば青空の印象が強かったものの、電車内から南の町並みを見晴らすと、雲は多く、西の丘から天頂付近まで広く蔓延している。降りて職場に入る直前、東空から雲を貫き注ぐ光が、純白に烈しい眩しさだった。
 帰路も電車を取り、乗りこんで扉に寄ると、外で絶え間なく風の吹いていることが目に見えてわかる。近くの欅は枝葉を振り乱し、丘の濃緑はどこを見ても流動的に蠢いてやまず、線路の周りに生えた低い下草までも左右に靡いて伏している。雲は白く濁って厚く、丘の向こうから押し出しており、景色のなかに雨の予兆が明らかだった。台風が近づきつつあるとは聞いていた。降りて道を行くあいだはまださほど暗くはなかったが、帰って食事を取っているうちに空気が薄暗く沈んできて、そろそろ来るかと窓に視線を上げれば、音もなく既に始まっていた。しばらく静かに流れていたが、じきに盛って窓に打ちつけるようになり、その後不安定に、潮を模すように時折寄せてはすぐに引きながら、夜まで執拗く降り続けた。

2017/8/5, Sat.

 四月二〇日に兄夫婦に生まれた姪の百日祝いで、朝から都心へと出る都合だった。両親から少々遅れてゆったり歩く道の上、空は雲がちではあるが陽が露わに明るく、数日ぶりに肌を照られる感覚がある。暑気に浸けられながら最寄り駅へ行き、電車内では瞼を閉ざして眠りを稼いだ。それほど深く落ちたわけでなく、行き過ぎる駅々の名をアナウンスに聞いていたが、終点に着いてみればそれまでの時間がひどく短く、あっという間の感が立った。乗り換えては席に空きがないので、扉際で谷崎潤一郎を読みながら到着を待ち、新宿で降りるとうねり返る雑踏を抜けて地下鉄に移った。地下鉄を利用するのは久しぶりで、乗っているあいだは頭がびりびりと痺れるような轟音に、こんなにうるさかったかと驚いたものだ。
 駅から繋がった複合施設のなかにあるスタジオに両家で集って写真撮影、撮影者の女性がさすがに慣れたもので、唇を震わせ頓狂な声を発して赤子をうまく笑わせて、写真には満面の笑みが収められることになった。一時も近くなってからふたたび地下鉄に乗ってお食い初めを行う料理店に移ったところ、先ほどはあんなに機嫌良く笑っていたのに、ここでは姪は落着かず、儀式のあいだもまさしく雷のような凄まじさで泣き叫んだ。祈願の終わったあとは会食となり、こちらは例によって大して言葉も発さずに出される品々を黙々と食い、四時を間近におひらきを迎えたあとは、兄夫婦、あちらの両親、こちらの両親と順当に別れて、一人電車に乗りこんだ。前々からその評判を聞いていた荻窪古書店に寄ってみるつもりだった。
 夕刻を前にしても暑気はさして弱らず奮って、液体のようになった光が細胞を溺れさせんばかりに肌に沁み入ってくる。古書店では長く見て回るうちに欲を駆られて、二、三冊にしようと思っていたところが結局九冊を買わされた。出る頃には暮れに入って、雲の広く伸し掛かった下であたりは半端に濁ったように薄暗み、どことなく匂うような風合いを帯びて雨の雰囲気かとも思われたが、西は半分晴れており、そちらまで及んだ雲の縁に夕陽の黄金色が滲んでいた。自販機で買った水を身体に補給しながらそれを眺めたあと、重った紙袋を胸に抱えて駅に戻り、電車に揺られながらまた谷崎を読んだ。
 この日は地元の花火大会に当たっていて、降りると田舎町のホームが珍しく人群れで沸き返っており、警備員が客を誘導する一方、ホームからの花火見物は禁止されていると頻繁なアナウンスがかしましい。こちらは乗り換えを待つ必要があるのでベンチに座り、本を読んでいたところが、突然破裂音が轟き降ってきて、人々のどよめきとともに花火が始まった。すぐ近間の丘陵公園から打ち上げており、大きく花開く炎の輪が空いっぱいに迫って絶好の眺めであり、さすがに書物からも視線を離し、首を後ろにひねって見上げる。炸裂する響きの耳のみならず身体を圧して重く、ホーム全体が振動しているのがわかり、また押さえたページにも震えが伝わっているのを指先で感じ取った。夜空に撒き零されるとりどりの宝石めいた輝きをまっすぐ見上げれば勿論壮観だが、身体を前に戻したそちらでも駅舎のガラスに光が映りこんでおり、窓の大きさに切り取られたために図形の統一を失って細かく立ち交じるようになった彩りの、無愛想な建物を鮮やかに装飾するようでそれはそれでかえって見ものだった。

2017/8/4, Fri.

 早朝、新聞を取りに玄関を出ると、視界の端を擦るものに気が惹かれ、そちらを見れば雀の一団が地面に飛び降りているところだった。滑らかな軌跡で下草に降り立ってしばしののち、同じ流麗さでもって電線に戻り並んだ雀たちの、遠目に造型も定かならず、朝の潮垂れた明るさのなかで枯葉のように茶色く褪せて見えた。前日に変わらぬ曇りの空だが、八時の出勤路には蒸し暑さが始まっていた。街道沿いの公園からは、ミンミンゼミの叫び声が周辺に広く放射されて車の音より騒がしい。この朝も眠りは少なかったはずだが、もとより脚が軽く、睡気もなくて、肉体がぶれることなく非常にまとまって落着いている感じがした。ピンクの百日紅は一日ごとに色濃く充実して嵩を増すかのようで、路上に落ちたものよりも、枝先から近く塀の上に溜まった花の方に目が行く。
 この日も帰路は電車を取って、最寄りを降りて坂に入り際、濁った白さに塗り重ねられた雲の灰色に、瞬間雨の匂いを嗅いだ気がしたが、結局一日、降ることはなかった。家の前まで来ると、白い蝶が二匹、連れ立ってうろうろと宙を舞っているのに行き会って、しばらくその様子を眺めた。まもなく一匹が低木の枝葉のなかに隠れて止まると、もう一匹もその傍につき、相手をしつこく口説くかのようにその場に留まって、動きを休めることなく羽ばたいていた。いつまでもその構図が破れないので、もう家に入ろうと戸口に向かって階段を上りかけたところで、二匹はまた宙に戻って、時々触れ合いながら舞っていたが、じきにふっと離れて左右に別れ、ふたたび合流することなくそれぞれの方向に消えて行った。

2017/8/3, Thu.

 坂を行けば頭上から、朝から早くも旺盛な蟬の声が宙を搔き毟るように降って、その外から鶯の音も一つ立った。ここのところ引き続いている曖昧な曇天に、昨日ほどではないにせよ、この日もかなり涼しく、過ごしやすかったはずだ。街道に出るまでは止まっていた風がじきに吹いて、裏に入ると道を埋めて前から滑ってくるその質感に、白い空を見上げて雨を思った。行き帰りのあいだには降らず、夜になってから静かに始まっていたようだ。
 早朝に起きねばならぬというのに性懲りもなく夜を更かしているために、身に気怠さが付きまとって鈍い朝の道だった。張らず緩んで半端な瞼の、胡乱な目つきをしていたのではないか。景気の悪い顔で歩いているうちにそれでも脚はほぐれてきて、そうすると不思議なもので、睡気もいつの間にか薄まって、瞼に掛かる力もなくなって顔の皮が張るようになり、駅前の横断歩道を渡る頃には身の内にそれなりの意気が生まれていた。仕事はそれで、つつがなく済ませる。
 来た道をまた歩いて戻るのが億劫になって、帰りは電車に乗った。降りて入った坂では、昼の真ん中で朝よりもますます盛んになった蟬が、水をびしゃりと放つように一面に烈しく声を撒き散らし、頭の周りを満たしてほかに何も聞こえない。帰り着き、時が下って青暗いような夕刻には、自室のベッドに横になって、読書のままならない微睡みのなかで時鳥が繰り返し鳴くのを聞いた。間を置かずに何度も声を立てて続ける、随分と忙しないような鳴き声だった。

2017/8/2, Wed.

 木下坂に吹く朝風の涼しくて、速まれば久しぶりで肌寒さすら感じさせるような曇天だった。気温はせいぜい二七度か二五度かそのくらいに留まった日で、歩いていて汗も湧かず、この夏に珍しく、蟬の声がまったく聞こえてこない道だった。裏道途中の家の百日紅の、その枝先にまだひらかず結んだ蕾から沁み出るようにして、淡く灰色がかった雫がいくつも垂れ下がっているのを過ぎざま見上げた。しかし、それは本当にこの日の行きの時間のことだったか。朝にはまだ降っていなかったはずで傘を使った記憶もないが、前夜も続いていた雨が深く残って、去ってまもなくの頃合いだったのか。葉が吐く息のごとく森の天辺に薄霧が漂っていたのを覚えているので大方そうだったのだろうと思いながらも、止んで少なくとも二、三時間は経っていたはずで、すると雫が木に留まるかと疑わしく、記憶が索漠としてくるようではあるが、淡紅をはらんだ円みの下にもう一つの透明な小球が繋がって、落ちず静かに堪らえているそのさまだけは、眼裏にくっきりと残っている。
 帰路はまた雨に行き会った。前日よりも三時間ほど早い昼下がりだったから、降りながらもまだ明るくて、柔らかに白いような雨だった。街道の裏にいるあいだは蟬もほとんど聞こえなかったはずで、静かな道を終盤に来てから林の近くでようやく、ミンミンゼミが一匹、弱い声を立てていた。

2017/8/1, Tue.

 天気予報を見ると夕方までずらりと降雨の図、朝にはまだ降り出していなかったが傘を持って出勤すると、果たして正午に到らないうちから始まって、職場を離れた夕刻にも続いていた。幾日か見ないうちに、裏道の中途の家を飾るピンクの百日紅が花を増やしており、枝先に作られた集まりが水を含んで重ったのだろう、雨中に垂れて、下にぱらぱらと零れたものもいくらかあった。小さな花の散って転がっているのを、金平糖のイメージを重ねて眺めたいつかの昔があったが、この時はどことなく無残な感じを覚えさせられた。雨で、線路の向こうの林から響いてくる蟬の声は弱い。木の間の下り坂を行くあいだにはしかし、頭上近くから蜩の声が落ちて、弦楽器の搔き鳴らされるのを聞くような具合だった。
 雨は波がありながらも夜まで続き、風呂に入ると窓の外でまた膨らみはじめていた。湯に浸かりながらじっと耳を傾けているうちに一層募って、きめの細かく密な響きが窓いっぱいに迫って、それを受けて耳ではなくて心臓のあたりがほんのかすかに苦しいような、切ないような感じがあった。感傷ということではない。寄せる雨音が胸に沁みこみ、その圧に押されるかのようなところがあった。

2017/7/31, Mon.

 宙を乱雑に搔き乱すような蟬の声が降り、濃青の瓦屋根に光が滑って、雲はくっきりと立つでもなくて形態がぼやけ気味だが、正午前の道には夏らしい匂いが薫っていた。最寄駅に着いて電車が入線してくるのを待っていると、陽射しに一瞬、くらりと軽く来た。眠りの少なくて、輪郭が不安定に、細かく振動しているかのような身体だった。それで行きの車内は半分眠って、もう半分は谷崎潤一郎を読んで過ごし、新宿に着くと東南口から外に出た。空は無愛想に曇っていたが、それが蓋となり、停滞した大気には熱が籠っていて、がやがやとした街区を抜けながら肌が塞がれる。
 CD店で目当てのものを購入し、出ると雲がちょっと割れて陽が通っていた。光は暑いけれども、熱線が肌に乗るとほんのかすかな空気の動きでも涼しさとして感知され、大気がどうしようもなく止まっていた先ほどよりもかえって爽やかさが出てきたようでもあった。とは言え照射のなかを歩くのは心もとなかったので駅に戻り、電車で短く代々木に移動して、喫茶店で会合を持った。話して五時前に至ると、そろそろ暑気も和らいだのではと店を出て、今度は歩いて新宿の書店に向かった。街路の先に高く聳えたビルの片面に光が貼りついて真白さを重ね、駅前の大きな横断歩道に出ればその陽射しが斜めに渡って、まださすがに濡れるような暑さである。
 書店をうろついてから出れば外は青みがかっている。人波に紛れて東口付近の横断歩道を渡りながら、人間の膨らませるさざめきのなかにミンミンゼミの声が混ざって、大都会の真ん中の僅か申し訳程度の緑にも蟬が鳴くものだと聞いた。電車に長く乗って最寄りに着くと、頭上に浮かんだ月が、ちょうど上弦の半月だった。空は晴れたようで、木の間の坂を下りながら枝葉に枠取られた藍色のなかに二つ飛行機が、それぞれの方角に交わらず飛んで行くと見たところが、実は一つは動いておらず、その場でちらちら光を震わす星だった。

2017/7/30, Sun.

 この日もまた夕食後に歩きに出た。室内にいて気づかなかったが雨が通ったらしく、道は湿っており、かすかに名残った粒がぱらぱらと頼りなげに散っていた。三日連続、月の見えない暗夜で、この夜も道の先に灯った光の裏が大層暗く澱んで、家に挟まれて灯も乏しい裏道を行けば何となくその暗さが不安に思われるほどである。街道の分岐点まで来ると、この日は東に振り向かず、そのまま西に向かった。田舎町のことでガソリンスタンドからも既に灯が消え、並ぶ住宅が表情なく静まっているなかに、ただコンビニだけが皓々と、無菌的というような白さに明るんでいる。
 家が途切れて駐車場になった区画から、昼間は川向こうの地区まで見渡せるはずだが、今は上から下まで一様に闇に籠められて、低い位置に疎らな灯火が散るばかり、山の影すら映らず空に呑みこまれて、稜線のあたりだろう、雲が蟠っている箇所のみ辛うじて灰白に仄めいていた。隣駅まで到ったところで通りを渡って折り返したが、黙々と歩いているあいだにいつか、雨がやや繁くなっていたらしい。服と頭を湿されながら戻る道に車通りが絶えると、途端に足音が際立ち、しかしほかに人影も虫の音もなく遠くまで一挙に静寂が沁みて、その寂莫の広さにはっと驚かされる。カーブを曲がる車が宙を照らした一瞬、光の枠のなかに雨が露わに浮かび上がって、軽くてはっきりと落ちるでもないそれが羽毛の漂っているように見えた。

2017/7/29, Sat.

 正午前に足拭きを干すためベランダに出た時には、厚い雲が頭上一面に掛かっていながらもそれを抜けて背に落ちる熱を感じたものだが、それからしばらく昼が下ると稀薄な雨が始まって、窓から遠い台所で流しを前にすると視界が実に薄暗い。雨は続いて、この日も夕食後に出た散歩の頃には結構な密度になっていた。これではさすがにサンダルはまずいと靴を履き、傘を差したものの、格好はやはり気楽なハーフパンツで、剝き出しの脛に飛沫が弾けて冷たい。濡れた路面が街灯を宿して青白く冴えたようになり、歩に合わせて色を推移させて行くのを、美しいと素朴に思った。街道に出る間際の緩く傾いた道には幾重にも連なる水流が生まれており、その上にやはり白い光が引き延ばされて、刻まれた細かな襞がさながら鱗のようである。
 水気を含んで耳と頭を圧するほどに増幅した車の走行音を受けながら街道に沿って行き、樹々のあいだから裏に折れて細い急坂に掛かったところで、一つの音程が聞こえた。一軒の外に横倒しに設置された、あれは何の用途のものなのかともかくドラム缶様のものが、雨垂れを受けて硬質の音を立てているのだ。滴の当たる箇所が変わったのだろう、音程はすぐにもう一つの高さに移って、間を短く連打されるその響きに、坂を下りながら不思議と心が惹かれた。雨という触媒によって一つの物質が図らずも楽器と化してしまった、その意味の変容の瞬間に立ち会ったのだった。何かある種の音楽、自宅のコンピューターのなかに詰まっている優れた音楽群にも劣らず魅力的な、別の種類の「音楽」を聞いているという感じがした。その音楽に付されるべき名は、おそらく「偶然性」という一語なのだろう。

2017/7/28, Fri.

 夕食後、半袖半ズボンにサンダルを突っかけた気楽な格好で散歩に出た。玄関を通って道に出て、街灯の裏に籠った木の間の闇に目を振った途端に、暗い夜だとの印象が立つ。見上げれば実際月も星もなくて、平板な薄墨色を一面に掛けられた曇り空である。近頃夜道を歩いていなかったから月を見かけず、暦を読むことも怠っていたが、あとで調べたところでは新月はもう過ぎて三日月の時節、それがちょうど入り掛かる時刻にしかし月の姿は雲に呑まれていた。
 歩きはじめて風が頬に触れるとともに恍惚の感触が僅かに芽生えて広がりかけたが、高まらず、強い官能の代わりに水平性の解放感と、静かな安楽をもたらしてくれる。ただ歩を踏んでいるその時間自体を感じる以外に目的のなく、何からも誰からも離れて体系に回収されない断片として自律した散歩という行為、そのなかにあってひどく心の落着く感じがしたものだ。ひと気のないなかに坂を上って行き、斜面の上から空と地平を見晴らすと、川向こうの灯も乏しく、地上から山まで乾いて黒い影と化したその上に灰色のくすんだ空がひらいているのに、実に暗い夜だとの感を改めて強くした。
 家々の合間を行くあいだ周囲から、どれもこれも彩りがなくて無愛想な、散文的な声色ではあるものの、意外なほどに多様な虫の音が立って交錯する。街道の交差点に出て来た方角に戻りはじめると、車に付き従う光と影とが次々とこちらの身をすり抜けて行く。じきに救急車の音が聞こえた。前からか後ろからかと耳を張って窺っていたが、実際には川向こうの地区から、山に響き返って届いたものらしい。途中、道路工事をしている区域まで来ると、歩行者用通路を囲むように置かれたコーンの頭に保安灯が光って、夜道に小さな色の粒が散らばっているのに、花火の弾けるのを思った。あいだを通り抜けながら目を寄せてみると、赤と緑、赤と青という風に、それぞれ二色を交互に行き来しながら明滅する動きの、近くから見ると単調でちゃちなような、しかし無邪気なような光だった。そこを過ぎて駅前では、街灯に起こされるのだろう、ニイニイゼミが盛って声を張り上げている。
 街道からふたたび裏に入る間際、車の流れに引かれるようにして風が渡り、なかに強めの涼しさが含まれていたが、雨の気配は感じられなかった。三〇分か四〇分か、ゆっくり歩いてそのくらいは外にいたらしい。

2017/7/27, Thu.

 曇り空の終日続いた一日だった。朝の道に陽射しというほどのものもなく、眩しさの刺激が瞳を責めるでもないが、早朝に起きるというのに構わず夜を更かしたのが祟ってさすがに頭が重い。瞼がうまくひらききらず、光がなくとも眼球がかすかにひりつくようなのは、眠りの不足とはまず目に来るものらしい。照りつけるもののなかったのは幸いで、気持ちの良い風も折々吹いて戯れるなかを、半端な瞼の鈍い眼差しで歩いた。
 勤務のうちに意識が冴えて、帰る午後には平生と変わらないようになっていた。相変わらずの薄白い曇りだが、姿の見えない太陽が高くなった分、暖気が道に漂っているのが感じられる。あちらこちらでひらいた百日紅の花が落ちはじめており、僅かに転がった紅色の鮮やかさを見るに、雨中に伏して煌めく落花を金平糖に喩えて眺めたいつかの過去が思い起こされた。それほど暑くもなかったが今月の仕事終いの気楽さに、自販機で炭酸飲料のボトルを買って手に提げながら帰った終盤、坂を下りながら道の遠くに眺望がひらけて、近所の家並みを越えて彼方の上り坂まで見通されるのに気がついた。出口付近の樹々が伐られたのはもう二月近くも前のことだが、この坂を下りで通るのはもっぱら夜のことで、その時見えるのは黒くわだかまった樹影山影ばかりだったため、昼間の眺めの広さを感得するのは初めてだったのだ。自宅から反対にいくらか歩いた先にある上り坂の、三〇キロの速度制限を表すオレンジ色の表示まで小さく見えたが、何度も通っているこの坂をそのような距離と角度から目に入れることが今までなかったので、あれは本当にあの坂だよなと見慣れぬ相貌に戸惑うようになって、木の間に消えていく道の先もまるで自分の知らない場所に通じているかのような気分がしばらく浮かんだものだ。

2017/7/26, Wed.

 早朝に覚めた時から、雨が降っていた。窓辺に留まっているうちに勢い良く盛りはじめて雨音が膨張し、厚い響きの隅まで充満した猛雨となった。家を発つ頃になっても降りは衰えず、道に一面水が張って水溜まりから足を逃す余地もないほどの大雨で、歩き出せば即座に傘の端から大きな粒がぼたぼた垂れて脚に冷たい。激しく叩きつける音に耳が聾され、車が後ろから近づいて来ていてもそれすら聞こえないだろうと思われた。スラックスの裾も靴のなかも濡らしながら坂に入ると、端に設けられた溝を白く泡立った水が猛って下り、それに流され集められたのだろう、下水路の蓋の付近に落葉が積み重なって堰のようになっていたが、水流はそれも安々と乗り越えてひたすらに走っていた。
 勤務を済ませたあとは雨はほとんど消えて、湿り気の取れていない靴で図書館へ、谷崎潤一郎全集を借りたあとはスーパーに寄った。出ると、歩廊の上に暖気が漂いはじめている。ビニール袋を提げながら駅のホームに突っ立っているあいだ、風は吹かず、線路の雑草も一振りも揺らがずに静かに緑を這わせている。白い曇天に浮かんだ雲は微妙な色差の薄灰色で、視線を止めなければ見過ごしてしまうくらいの軽い染みだが、やはり雨後の風が大してないのだろう、ゆったりとした様子で横に滑って行く。最寄りで降りて行きと同じ坂を下ると、雨が去ったあとに蝉の音が強く、赤ん坊の発する奇声を思わせるような聞き慣れない声の鳥がたびたび叫びを上げていた。
 夜は風呂から出たあと、本を読みながら微睡むと、久方ぶりで肌寒いような涼しさが身に触れた。それで窓を閉めてから書き物に掛かって、仕舞えた頃には次の日に踏み入っていた。

2017/7/25, Tue.

 朝陽のなくて、白い窓の目覚めだった。食事を済ませて出た頃には、坂から見下ろした川の樹々が淡光を掛けられて緑色が薄らんでいる。曇り空の足もとに陽の色は弱く、影はかすかだが、それでも眠りの足りない目に眩しさの刺激がやはりあって、道の先を見通すには人相悪く目を細めなければならない。葉書をポストに入れると、たまにはとそのまま表の通りを、最初は顔を俯け目を伏せ気味に行ったが、丁字路の角にまぶされたような白の百日紅を過ぎてまもなく、雲を通ってくる光の圧力が弱まって瞳に掛かる重さがなくなり、脚もほぐれて血が回ってきたのか、身体も軽くなったようだった。見上げると、艶のない白のなかに一層白く、太陽の影が小さくぽっかりと印されて、しかし目に沁みるものもない。くすんだ大気の色合いに、雨の気配を覚えないでもなかった。
 午後になって帰りは前日と同様電車に乗って、扉に寄って外を見ていると発車間際から雨が始まった。夏の雨らしく降りはじめから間を置かず一気に駆けて募り、最寄りに降りると既に大降りとなっていて、水色のシャツが即座に濡れてさらに青くなる。結構な勢いだったが走る気にはならず、大粒を打ちつけられながら澄ました顔で平静ぶって横断歩道を渡り、坂を下るあいだは樹々がいくらか雨除けになったが、ふたたび通りに出ると髪が水を吸収しきれなくなり、顔にだらだらと垂れてくるものを無益に手で拭いながら、やはりあくまで走らずに足を運んだ。着くと玄関先で靴よりも先に服を脱いでしまい、胸を晒すとすぐにベランダの洗濯物を引きこんだ。
 その後は蒸し暑く、室内の熱気は前日以上とも思われて、夜になっても裸で何の支障もなく、むしろそこに扇風機がなければ暑気が籠るくらいで、風を止めても過ごしやすくなったのは、ようやく深夜に到った頃だった。