2017/11/3, Fri.

 昼の日なたに踏み入り、温もりに染み入られているだけで鎖骨のあたりに快感を滲ませるような、長閑さの極まったような快晴だった。木洩れ陽の坂を上れば木の下でも温かく、しかし同時に涼しさも前から流れて触れてきて、それがまた肌に具合良い。眼下に覗く川の水は軽いような青磁色を湛えており、先日の台風以来色が変わったななどと思ったが、そんなはずもなく、昨年のさまを覚えていないが秋の川というものはもともとこんな色なのだろう。樹々が老いれば、川の面も応じて老いて淡くなる。
 欲も得もないという表現は、欲得を考える余裕すらもないほどに差し迫ったという意で使われるのが一般らしいが、日溜まりに寛ぐ老人の自足を古井由吉が確かこの言葉を使って書いていただろうと、まさしくそんな老人になった心地で思い出し、背に陽射しの寄る道を行く。ぴりり、ぴりりと鳴る虫の音の、あどけないような小ささに響く裏路を歩き空き地に掛かると、こちらの背を越えるほどの芒の並んで簾のように視線を遮るその向こうに、まだ五歳にもならないと見える女児が三人集まって、ボール遊びをやっている。艶々と光を帯びたボールを脇に転がして三人寄ったその場面が、一つの風景として映じたようだ。芒は白い毛を生やして豊かな花穂を作っていたが、この一週間ほどあとに通り掛かった夜には、敷地が一面刈られて貧しく残った草の地に伏して、荒涼とした風情になっていた。
 坂と交わる辻から家屋根の先に見た森の、粉をまぶして着色したような乾いた紅葉が、快晴と接して映えていた。一番手前に覗く林の縁の木枝が、風を取り込んで上下左右に細かくうねる。もう少し進んでから寺の枝垂れ桜に視線を向ければ、夏頃は濃緑の合間で薄紫に烟るようだった枝にもそうした色味はもはやなく、葉も大方落ちきったあとで、いくらか残る黄色いものが葉というよりは実のように見えた。
 これも天気の得難いほどの明るさのためか、電車の窓に切り取られた町の情景が常になく滑らかに流れていく。座って本を読みつつ移動を待っているなか、ふとした拍子に膝の、ズボンの襞の先端に生えた繊維の微かな毛羽立ちに目が行った。扉の窓を通って四角くなった明かりのなかではっきりと見えるその細糸は、水底に並ぶ海藻を思わせる具合に縮れながら伸びているものの、空調の生む空気の動きが密室内にあるはずのところを、しかしほとんど不動で静まっている。扉がひらくと駅によっては床に目映く光が撒かれて、それを少々凝視してから頁の上に目を戻すと、緑色の光の残像が文の途中に入りこんできて、文字が束の間塗りこめられて見えなくなってしまうのだった。
 武蔵境でサックストリオのジャズライブを観覧して出てくるともう暮れ方、線路に沿って長い道の果てる空の低みに、海面に集ったプランクトンの群れのようにして名残りの赤が仄めいている。駅の高架ホームに上がって今度は東を向けば、昇ってまもない満月の、遥かに向かい合った残照の色を吸ったように朱を帯びながら、上下に二つ並んだ雲の筋の隙間をくぐって乱されていった。

2017/11/1, Wed.

 家を出て傍の道の上から見晴らす南の山に、金色の西陽が掛けられている。もっと近間の樹々からまとめて覆い尽くした夕方の色の、温かみのあるという形容を付すべきだろうが、身に寄ってくる空気が冷え冷えとするそのせいで穏和さもあまり感じられず、目で見るものと肌に感じるものとの落差ばかりが不調和に際立つ午後四時だった。表の道に向かう途中で丁字路に掛かると、西にひらいた坂道を包んで光の走る目映さのなかに、ひときわ締まった光点と化して羽虫が何匹か浮いている。過ぎて脇の宅の前で知り合いとちょっと立ち話をして別れると、身体の傍に、正式な名前は知らないが例の「雪ん子」と呼ばれる白い虫、綿の端切れのように漂い冬の先触れめいたあの虫が寄ってきて、先ほど輝きのなかに点々と浮かんでいたのもこれだったかと思われた。
 円いような青さの空に月が早くも出ていたが、稀薄な雲の近くにあってその破片とも見紛うような同じ淡さである。太陽はちょうど丘と接しはじめるくらいで、西を見返れば空の際で大きく眩しく広がったそれの、表の街道を進むあいだはまだ落ちず、家壁に濃い西陽色の浸透してゆかしいようで、その奥に覗く林の樹々も下のほうまで彩られ、向かいから来た人の顔を見れば半面が血色良く染まっているのに、自分の顔もあのようになっているのだろうと思った。
 駅のホームから眺めた小学校の裏山は、もうだいぶ斑になって渋いような紅色もなかに混ざっている。まさしく炎のような形で毎年黄色く燃え上がる銀杏の樹はしかし、まだ絵筆のように先端に僅かに黄色を付されたのみである。校庭で遊び回っている子供らの声が響いて昇るその上で、校舎の窓ガラスに暮れの空の仄かな朱色の写し取られているのが、色のついた水を張ったかのように澄んでいた。

2017/10/30, Mon.

 この夜も夕食後に散歩に出て前日とは逆方向に歩き出せば、夜気は昨日と比べて明らかに冷たく、冷え冷えと冬めくその分なおさらと言うべきか、深縹色を隅まで瞭然と広げた空のひどく明るく冴え渡っており、前日よりも膨らんで弦月を越えた月の高く掛かったそのなかに曇りはほんの僅かにもない。放射冷却というやつだろう、足もとから冷気の湧き上がる坂を上って、抜けてもう一度見上げると星も飛行機も明瞭に光り、これほどまでに澄んだ夜空も随分久しぶりに見ると思われた。

2017/10/29, Sun.

 雨に降られた日中だったが、夕食のあとに散歩に出ると、降りの痕が濃く残っていながらも既に止んでいた。夜空に雲の白さがはっきりと浮かび、斜めに引きちぎられたその間には群青色も明瞭に注いでいる。西の月は雲のなかにありながら明るさを妨げられることがなく、黄に緑に赤の三色を備えて精妙な暈が、映写幕を持ってむしろ大きく露わに広がるその空では、雨後の風の名残るようで雲の流れの素早くて、天体は白さのうちを右下へとどんどん潜っていく。
 濡れた路面の街灯を受けて硬質に発光している上を踏んで行き、小橋に掛かると沢の勢いは先日の投票日、台風の寄せていた夜ほどでないが、左右から異なる響きの膨らみを浴びせてくる。ひと気の洩れない裏道を通って緩い曲がり目で見上げると、広がった雲が裏から照られて妙にくっきりと映っている。夜空に溜まった灰白色の、密度の差で縁のみ僅かに軽い色となっているその微妙な違いがよく見て取られ、内のほうでも段差が明確に示されているその質感の、CGのようだと言うか、かえって紛い物めくようでもあり、そのなかを見え隠れする月のまるで巨体の目のようだったのが、抜け出てくると白々とまっさらに映える上弦月だった。
 街道に出ると車の流れる音を受けながら来た方角へ戻って行き、ふたたび裏に入ったところで首を曲げれば、先ほどまで青みの露わだった夜空がここでは真っ黒になっている。籠めるでもなく浸すでもなく厚み深みと言うも当たらず、ただ純粋性そのものとして露呈したような黒の色のその鮮烈な何もなさの真ん中に、星など排されて月だけが嵌まって輝く絵図だった。

2017/10/26, Thu.

 暮れに掛かった頃に、居間の卓で温かい豆腐を口に運びながら南の窓の外を見やると、もうだいぶ傾いた夕陽の光の、遠くの樹々に投げられている。夏のそれと違って粘りの弱く淡白なような光線の、薄らいだ緑に重ねられて、黄色とオレンジを半ばずつ含み穏やかに映えているのが、これも秋の色というものかと思われた。室内から三方のガラスの端に見る限り、空は雲のすっきりと除かれた晴れである。
 それからしばらく過ごして路上に出た頃には、陽も山のあちらに退いて、空は和染めを思わせるような精妙な淡さに朧な風で、一息分の曇りもなくてひらかれきった快晴のはずが、地の色の妨げられず現れていると言うよりは、何か覆うものの隠れているかのような気味だった。街道まで行くと、樹々の影の向こうから蒸気のように揺らいで昇る薄朱[うすあけ]の色の、家を出た直後よりも濃く明瞭に映っている。太陽は着々と西へ遠のいているはずだけれど、残照のうちから純白の消えて、迫る青さの暗んで行くのに応じて映え返すのだろう。先日よりも太った月の、丘からも離れてやや高くなったのが、道行くうちにより明らかに刻まれていく。風邪は長引いており、鼻から空気を吸う際に粘膜に擦れて咳が誘発されるのを、初めは散らしていたが見苦しいので途中からは耐えて歩いた。
 夜に空気は大層冷えて、両手はポケットに収めているが、もし服の表面に触れればどこであれ随分冷たいのだろうと、生地の内に収まった肌からもわかる。月が日暮れとともに早くに落ちる時季なので、晴れ渡った夜空の闇の稠密に暗み、むしろ曇りに沈んでいるかのごとくに星も淡い。月を囲んで際立たせていく黄昏の青の何かどす黒いかのような、と夕方にも思ったが、あれも月の細さ光の弱さのためだったか。

2017/10/24, Tue.

 台風の夜から丸一昼夜とさらに半日を挟んだものの、夕刻に見た川の色は前日と変わらず工作粘土じみた生気のなさで、流れに呑まれて消えた陸地もまだほとんど戻らず浸けられたままのようだった。坂を上って行きながら鼻から息を吸いこむと、顔の真ん中につんとするような、砂を吸ったような感触が引っ掛かって苦しい。風邪を引いたものかここのところ、鼻の奥から喉のあたりが弱っているようで、空気の刺激が粘膜に強く、乾燥のほどが良くわかった。
 台風一過で澄み渡った晴天の、僅か一日で勿体なくも失われ、一転してまた隈なく曇りに閉ざされた空である。平面的に被せられた白雲の上から、場所によっては釉薬のように微かな青さが塗られていて、抑制的な、慎ましいような色調の天気だった。路地の途中の空き地まで来ると、縁に集まったススキの群れの気づけば高く伸びており、こちらの背丈を越えているものもあるなかに、穂の合間を埋めるようにして何か黄色い花が細かく群れて混ざっているのに目を惹かれる。帰ってきてからインターネットを探ってみると、どうもこれがセイタカアワダチソウではないかと思われた。それからさらに進んだ先で、一軒の狭い塀内に豊かに実った柿の木のその枝の上に鵯が一匹、しきりに鳴きを散らしているのを見留めて過ぎれば、傍の工事現場から電動工具の連打音が騒々しく響き出るのに、飲まれながらもしかし鳥の方も負けじと声を張っているのが背後に聞こえた。打音はしばらく歩くあいだに通りの家壁に反射しながらついてきて、その都度違った窓の内から音が出てくるかのようだった。
 勤めを済ませて、ほかに誰の姿もない夜の裏道を歩きながら思わず咳き込むと、その声が思いのほかに大きく通りの前後に反響する。街道まで来て道端のちょっとした草むらから、車の途切れた隙[ひま]に虫の音のいかにも小さく控え目に立つのを耳にすれば、静けさのうちに空気も冷え冷えと身に寄って、随分と物寂しいような時節になったものだなと思われた。

2017/10/23, Mon.

 台風の通って荒れた夜を遅くまで更かし、夜明けも間近に寝床に入って昼まで眠りこけてから覚めると、空はまさしく台風一過の晴天で、網戸に走った光の筋の目に引っ掛かってそこに留まり、窓ガラス一面に汚れも露わなその上に、朝顔の蔓の影が淡い映し絵となって浮かんでいる。床に横たわったまま見上げていると、窓枠を越えてじわじわと雲が現れ入ってきた。上空に風は残っているようで結構素早い動きで滑り、全体として南に流されながら部分部分で流動的に、細かく蠢き形を変じて、肌理の細かく水っぽいような白さの雲だった。
 もうだいぶ日が短くなったもので、五時に出れば空はすっきりしていても、晴天の陽の残滓ももはや道にない。坂から遠くに見下ろす川は烈しい雨に増水しており、土気混じりの枯葉色といった風情に生気なく濁った緑の水が、岸を呑みこんで広くなっていた。太陽は既に山の向こう、街道を越えて路地に入った角から仰ぐ西空の、残光に澄んだ純白の下の山際にちょっと朱色の残っていて、白さの届かぬ上の方にはこれも今から落ちていく月が、爪の破片を貼りつけたような細さで傾いていた。そちらを時折り見返りながら進む通りに、台風の名残りか風が走って、庭木が頭を振り乱し、上着を羽織らなかった身体に涼しさが強い。薄暗くなってからまた見返ると、青さが低い空まで浸透し、純白は押しやられて乏しくなったが、山際の朱色のかえって先より濃く明るんだようで、稜線を伝って南の方までうっすらと波及しているのが家々の合間に覗いて見えた。
 朝から暮れまでまっさらに晴れた空のしかし長くは続かず、夜に見上げれば、もう斑雲が生まれて幅を利かせている。行きよりも冷たい空気に手の冷え冷えとする通りを抜けて街道に出ると、雲はさらに増えており、西から東までひと繋がりに長く敷かれた帯もあって、ぽつぽつと斑な穴になっているのはむしろ、夜空の藍色の方だった。

2017/10/22, Sun.

 台風の迫り来つつあると言う雨の宵、道に出た。肌寒さというほどのものも感じられず、降りにもさしたる勢いはなかったが、林に挟まれた小橋に掛かるとさすがに沢の水音が大きく膨らんで、流れの途中に段差があるのでそこを落ちる水の響きが、樹々に囲まれた闇の奥から強く広がり、空間を埋め尽くす圧力に橋の上の身が包まれる。過ぎて坂を上っていると、頭上の雨音の出し抜けに高まり、切迫するような調子をしばらく帯びて、表の道まで進んで気づけば膕の位置さえ濡れていた。水の溜まった街道を渡り、ひと気の絶えて暗く籠った通りを行くなか、衆議院選挙の投票日だがこれでは老人は出てこれまいと、そう思いながら雨を受けた。
 投票を済ませて出てくると防災放送が空に響いており、近間のコンビニに向かって細道を行けば、土砂災害警戒区域高齢者は避難準備をするように、場合によっては避難を始めるようにと、そんなようなことを言うのが聞こえた。雨はまた軽くなっていて、自分のいまいる場所ではそこまで差し迫った空気も感じ取れず、緩く下った道の奥からは肌を擦らずすり抜ける類の柔らかな風が湧き上って、表まで出れば電灯の暈の内の雨粒も、駆けずゆったりと流れて緩慢さすら覚えるようで、まさしく「降る」という語に似つかわしいような降り方と思って通りを渡った。
 払い込みを終えて就いた帰路、裏道の途中でふたたび雨が烈しく荒れはじめ、今度はすぐに収まる気配もなくて傘の内に閉ざされたようなそのなかに、脇の家から洩れ出るものか道端の植物から溶け出すものか、風呂やら食べ物やらを思わせる匂いが微かに触れた。既に靴はいくらか重ってなかの足も濡れてはいたが、それが一層水気を吸って重くなり、道の上もどこを踏んでも似たようなものなので、左右にわざわざ避けることなくまっすぐ進んで水を散らす。厚い雨音に包まれているのを良いことに、気ままに口笛を吹いたり鼻歌を鳴らしたりしながら、ズボンの裾を濡らして帰った。

2017/10/19, Thu.

 夕刻に至れば、服を整えて室内にいても首元がやや頼りなく、マフラーを巻きたくなるような空気の冷たさだった。玄関をくぐって脇の傘立てにあった一本を掴むと、これも柄が随分と冷えており、それをひらいて進む雨道にすれ違う中学生らの顔も既に小暗く沈んで細かには見えない。街道の上、まだ遠くに見える車のライトの路面に厚く、水に混ざっているというよりは光そのもので構成された液体のようであり、ある種の原生生物を思わせながら滑らかに推移してくるその金色の強さ明るさは、綺麗と言うべきものだろうか、ともかくもやはり印象深くはあった。北側に渡ると、今度は信号灯の化学的な緑色が溶け出して道路の縁に長く伸びるのが、歩を進めるにつれて奥へと退いていつまで経っても踏むことができず、車はこちらでは後部の赤いライトを二つ、不安定に揺らぐ縦線として垂らしながら走って行く。
 黄昏の青さも映らぬ曇り空と見上げて路地を行くうちに、しかしいつか青みの湧いていて、見回せば西の方はより色濃く、東はある高さを境に何色ともない地味な色合いにくすんでおり、いまちょうど空に青の染みていくところらしい。
 帰路に雨は微かで、一応傘を被っても頭上に響きの生まれないほどで、電線から落ちてくる粒がただ時折り鈍い打音を立てる。電灯の暈も乱れずすっきりと映える通りの内の静けさに、左右の軒の雨垂れの音のてんでに小さく混ざった外から、虫の声のこれも遠く幽かに伝わってくる。あれはエンマコオロギと思うが、軽やかに回すように伸び上がる鳴き声の、ほかはどれも低く味気ないもののなかに明るく立って、少々滑稽味をも帯びて聞こえるようだった。

2017/10/16, Mon.

 朝から衰えずに降り続けて盛んな雨の夕方を行けば、南の遠くの樹々も山も褪せた青さに霞まされて、地から天までまとめて水没したかのような暮れの景色である。上着の下にベストも着込んだ装いだったが、時折り傘を持ち上げながら吹く風の、明確な寒さで服を貫く。ライトの黄色を路面に塗りたくって走る車の、背後に撒き散らしていく飛沫までもが後続の光に照らされて、たった一瞬、金色に染まって視界の端に崩れて行った。
 路地を埋めている静けさに、雨降りだと音も光も増幅されて表の道は随分騒がしかったのだなと、今更に実感させられる。降りの勢いはなかなかのもので、路上に水を避ける場もなく靴の内がだんだん湿り、上着の裾も濡らされたので、触れないように手をポケットに突っ込んだ。通りは暗く、路面に映ってぼやける灯りの調子を見ても既に夜めいているが、森の方を見やれば線路の向こうに立つ家の、戸や窓やらの成す表情がまだ細かく見分けられ、樹々の梢に接する空にも薄青さが僅かにあって、雨の日暮れの澱みのなかでも存外光の残っているものだと見た。鼻先と耳の縁が冷たくて、歩くうちに耳の方には痛みも滲みはじめたのが、早くも冬の風情だった。
 道の途中でどこからかピアノの音の漂ってきて耳を寄せれば、ちょうど差し掛かった石塀の向こうの木造家屋の内からである。ローベルト・ヴァルザーだっただろうか、もっとも美しい音楽というのは、道を歩いている時にふと、どこかの家から洩れてくるピアノの音色のことであると、大体にしてそのようなことを誰か書いていた覚えがあるが、実際、雨音の散文的な響きのうちに突如として湧き出してきた演奏の、曲の趣味も巧拙も措いてそれだけで、色と匂いのついた気体のように甘くて魅力的だった。

2017/10/12, Thu.

 午前中には晴れた空が広がっており、寝床から見上げた窓の端にも白く収束する太陽の姿が見えたが、午後に入るとじきに曇って、厚くて固い布を掛けられたかのように一面曖昧な白に塞がった。暮れ方になって道を行くと、近間の八百屋が行商に来ている三つ辻で、昨日も会ったそこの宅の婦人とふたたび行き会うや否や、夜はまた降るよと忠告をされたが、この日も傘は持っていない。昨日は気遣いを頂いてと礼を言い、ちょっと話してから離れてまもなく、確かに額に触れるものがあった。
 深い曇りのわりに気温は上がって羽織るものは着ずにシャツのみだったが、それでも服の内が多少蒸す。丸皿のようにまっさらな光で目を皓々と満たした車の引いてくる風を受けながら、五時でも随分と暗くなったものだと暮れ行く街道を見渡した。裏通りに入ってからは歩くほどに、ほとんど一分ごとにも黄昏に向けて推移して行くそのなかに、森の方に立つエンマコオロギの鳴き声の遠く小さくて鳥のそれのように響く。自然光の手触りの完全に消え去ってしまう直前の、丘の樹々の肌理がまだ辛うじて見て取れて空の一部に雲の白さも留まって、果てには鈍くはあるもののほんの幽かに赤の色素の嗅ぎ分けられる微妙な過渡期の、路地の中途に差し挟まって心憎い。それを過ぎての道の終盤、空から地上まで一律に暗んで灰の黄昏が完成すると、平板な終止感に少々退屈な感じを覚えて、先ほどの狭間の時間の興趣というのは、要はサブドミナント・コードの浮遊感と同じようなものだったかと、言わずもがなの音楽的な類比が浮かんだ。すると現在の退屈さは、トニックに解決してしまったがゆえの収まりの良さだが、数分ののちに駅前まで来てまた見上げれば、空のどこからか水が湧き出して隅まで広がり満たしたように、深い青さを被せられていて、色の均一さは先と同じでもこれはこれで調が転じたかのようで面白かった。

2017/10/11, Wed.

 窓の先が鈍く沈んでいるのに気づいて洗濯物を取りこんでから、雨もよいの深まって行き、午後も遅くなると見通し悪く空気は霞んで降っているとも否ともつかず、雨粒の直線的に落ちるかわりに大気中に分散して染みこんだような風合いだった。四時を回って出発すると、上り坂に吹く微風のうちに湿気の随分と含まれていて、しっとりとした柔らかさを肌に乗せられるそのなかに、水の散る感触も始まった。
 坂を抜けてまもなく、顔見知りの婦人と行き会って戸口でちょっと話す頃には散るもののいくらか嵩んでおり、傘を持って行ったらと相手が言ってくれたのをしかし、じきに止むのではと答えて遠慮した。実際何故か、何の確かな根拠もないのにすぐに止むだろうと確信があったのだ。そうして街道に出たところが、あまり降るという感じでもなくて細かい雨ではあるものの、予想に反してさらに嵩んで、肌が濡れるのは何でもないが服の生地には悪いなと、気後れを覚えながらもしかし、今更戻るわけにも行かない。白く澱んだ空のそのまま微粒子に分解されて撒かれるような軽い雨の、裏に入って以降も続き、風が止まっても粒は斜めに傾いたまま顔に流れて当たってきて、途中で見下ろせばシャツの上に羽織ったベストも思いのほかに濡れており、一面に引っかかった雫で紺色の布地の白くなったのが、突然に繊維が劣化して古めかしく毛羽立ったかのようだった。
 ちょうど駅に着く頃に弱まった降りに、間が悪いと零して改札をくぐり、ホームに立つとハンカチを当てて服の水気を拭わせながら電車を待った。時刻は五時前、大気にはまだ昼間の感触がかすかに残って暗いとまでは言えないが、勿論明るいわけでもなく、あたりは濡らされた景色独特の鈍さに包まれて日暮れの一歩手前にある。電車に乗って数駅のあいだに空気は明白に黄昏の方に踏み入って、駅舎を出ると暗んだ空に椋鳥の大群がけたたましい。端は街路樹に繋がって梢を襲うかのごとく群がっているが、そこに収まりきらないものらが上空に繰り出し、上下に振動しながら旋回する黒い影の無数に交じり乱れて、流砂のように形を変じてうねりながら声を降らせるその一群を、周囲の人々は皆、呆気に取られたように見上げていた。まるで典型的な凶兆の図のようでもあった。
 図書館で返却貸出を済ませて出てくると、淡く艶のない溶解的な紫色が、雲を全面張られた空の遠くに広がっている。頭上から椋鳥の姿はなくなっていたが、樹にはまだ何匹も居残っていて、歩廊を駅へと渡るあいだに左右から音波が送られてきた。

2017/10/10, Tue.

 部屋で読書をしているあいだに背後の窓から暖気の寄ってくる晴れの日、外では風がぶつかりあっては先端で擦れるさまを思わせるようなアオマツムシの鳴き声が、間を置きながら上がり続ける。しばらくののちベランダに出ると、柵に干されたタオルの面[おもて]に明るんでいる二時半の陽射しの、時間のわりに色合いの濃くて、昼下がりでも太陽がだいぶ低くなったのだろうと、季節の移りを思わせた。
 家を出たのは三時の半ばで、坂の入口で振り向けば、西に溢[こぼ]れる金色の光の霞と化して山を籠め、水色の澄んだ南には雲はひとひらというほどもなくて、絶え入りそうな幽かな滓の一つ付されたのみである。久しぶりの厚い陽射しに、臑の肌にさえあるかなしかに汗の気配が感じられた。居間の気温計はほとんど三〇度まで傾いていたようだ。晴れ晴れとした青空から降る陽に包まれて歩いていると、向かいの通りで女子中学生が、日傘を被って帰って行く。
 夜には裏通りを行くあいだじゅう空気が動き回って止まらず、西から向かい風の途切れずに流れ続けて、夏と秋の狭間に立ち戻ったかのような心地良さだった。涼気の合間に昼間の暑気の名残が留まって、歩くうちにまた汗の温もりの籠ってくるようでもあった。アオマツムシの復活したなかを抜けて表に出ると、東の端に昇ってまもない弦月が見える。皮膚がめくれて肉の覗いた傷口のように夜空をそこだけ切り取っている朱色の半円の、弧を丘に向けて左下にして、これから昇って行くよりは地上に落ちる間際のようだった。

2017/10/9, Mon.

 間道をしばらく通り、表へと出て街道を進むそのあいだにも、歩道の上に細く薄青く伸びた自分の影の、懐かしいような穏和な明るさに包まれて、歩くほどに長く引かれていくような斜陽の四時である。表道から一つ折れて正面のアパートの、低く並んだ垣根の葉に西陽が宿って金色の雫の溜まったようでもあり、また飴細工にでも変じたようでもあるその輝きを見ていると、二つ目の角を曲がって路地へと入るその僅かなうちに、角度の具合で琥珀色のさらに強まって、短い合間で急速に磨きこまれたかのように葉が金属的な硬質さを帯びていた。
 駅のホームに入った時には西空の果てに太陽が眩く、織りなされている山影の仄かに青く染まっていたが、電車のなかで揺られるあいだに外は次第に暮れて行き、立川の街に着いた頃には空は暗んで黄昏の頃、濃い醤油味のラーメンを食って腹ごしらえをしたのちに、意気揚々と書店に向かった。武田宙也『フーコーの美学――生と芸術のあいだで』を読んで大層面白く、後期から晩年のミシェル・フーコーの思考を詳しく学ばねばなるまいというわけで、「性の歴史」シリーズ三作やらコレージュ・ド・フランスの講義録やらを一挙に買ってしまおうと、欲望に引きずられて勇んで街に出てきたのだった。モノレールの線路の宙に掛かった広場に入ると、見上げた夜空には海底の砂埃のように白濁色の雲が掛かって、黒さがいくらかくすまされている。そこから高架歩廊に上ったところで、アオマツムシの鳴きに気づいた。赤みがかった電灯の彼方へ向かってまっすぐ長く連なっているその広場から、まさしく形象を同じくして直線のように張った虫の音の伸び出てくるのを耳にするうち、ちょうどモノレールがやってきて騒音を降らせはじめたが、過ぎて背後に置き残し、電車の音は聞かなかった。
 目当ての書物を買いこんで書店を離れ、歩廊の上から道路の先の交差点の方を見通すと、黄色に緑に赤の街灯[まちひ]の遠くで交錯して艶[あで]であり、さらに見ていると、あれは交差点に集う車のものだったのか、路上に置かれたような明かりの薄金色と白のものとがゆっくり消えたり現れたりして目を惹いた。駅に戻って電車に運ばれ本を読みつつ町々を渡り、宵も進んで最寄りに至ると、入った下り坂の奥からふわりと、湧き上がる香気のようにして風が広がり、肌にちょうど良い涼しさの夜だった。夜空の端の丘の間近に、まだ出たばかりで相当に低い月が、絵筆を誤って触れてしまったような半端な形で現れており、濃い橙で弧を上に掛けたいびつな姿の、辛うじて半月を成していないでもないそれの、体を丸めた芋虫にも見え、そこだけ際立った朱の色合いに場違いな夜空の闖入者の感が立てば、それこそUFOという語を戯れに思わせるようでもあった。

2017/10/5, Thu.

 昼時、ベランダに続く窓がひらかれると、外から光の差し入って床に細長い矩形が見られ、四時過ぎになっても明るさは続き、淡い黄金色の光が窓外の緑に重ねられていた。前日の反復じみた風景だが、この日は空はそうは曇らず、覗いた水色の穏やかに、薄明るんだ地上と調和している。即席の味噌汁を入れた椀を両手で包みつつ、その様子をじっと動かず見つめていると、風はないようで微動だに見えない彼方の樹々の、窓とそのまま同化したかのような、ガラスに直接描かれたかのような遠近の錯誤をもたらすものだ。紅葉はまだ兆しすら見えず、色の鈍くはなっていようが緑に揃ったそのなかに、しかし一本のみ、あれは何の樹なのか赤茶色に染まったものの混ざっていて、ちょうどそのあたりに鳥が現れて短く翻ってはまた消えたのが、静かに停まった空間のなかに唯一生じた運動として、束の間風景の固化を解く。鳥と言っても形など見えず、紙吹雪の一枚か、雪のひとひらのように微かな姿だった。
 それからちょっと経って四時半に至ると、下から這い登る蔭に追われて黄金色はもう山の頂上近くまで退き、出発した五時には冷たい空気に色はない。坂を抜けたところで見上げた鱗雲は白くて粉っぽかったが、街道に来ると西空に散った雲の一団の、温和なオレンジ色を注入されていた。裏道に入る間際の百日紅に久しぶりに目をやれば、花は樹冠の方に疎らに残っているのみで、それも大方衰えたようで老残の風情だが、低い枝の先端に一つだけ、ピンクに近いほかと違って不思議と色濃く、強い紅を満たした花の灯っているのが、最後の彩りだろうかと思われた。
 帰路はこの日まだ、前日のことを記さずメモすら取っていなかったので、裏を歩いた昨夜の記憶と混ざらぬようにと表の通りを選んで行った。望月の頃のはずだが、雲の掛かって澱んだ空に、月は気配のみ洩れて顔を出すには至らない。正面、西から流れる風が、柔らかく包む類のそれではあっても、やはりもう寒々と冷えた十月の夜風である。しばらく進んで、ようやくいくらか丸みの見えた満月の、しかし光の照り映えなくて、曇りガラスの向こうに収められているように朧に籠っていた。それでもさすがは望の力で夜空はわりあい明るくて、北側の森に接した端は掃かれたように、夾雑物のなく平らかに分かれて、星がないから淡い雲の混ざってはいるのだろうが、見分けられないほどだった。