2018/4/4, Wed.

●(……)さんと通話する。一一時半から一二時半頃まで。その後、散歩に。市営住宅の公園の桜はだいぶ葉桜に。裏通りを行っていると、正面から陽射しがまっすぐに当たってくる。夏のような暑さと思った。
●夕食、まあまあ食べられる。米に納豆、マグロ(メカジキ)のソテー、レタスなど生野菜のサラダにほうれん草。アイスやヨーグルト、バナナも食べる。前日は食欲がなくて、味噌汁を残してしまったのだが、この日はそれなりに食べることができた。
●夜、父親が(……)にある(……)の資料を出してくる。わりと好印象。統合失調症チェックリストには、四つか五つくらい当て嵌まるものがあったのだが、父親も言う通り、自分に病識があるのが典型的ではないところだろう。
●夜、(……)と通話。一〇時半あたりから一一時半過ぎまで。

2018/3/29, Thu.

●母親と、飯能の美杉台公園に花見に行く。郵便局と銀行に寄ってから埼玉の方へ。スーパーアルプスで買い物、おにぎりや焼きそばにたこ焼き、クリームパンなど買ってから公園へ。白い桜が満開で、回廊のようになっていた。写真を撮ったりしたあと(こちらは、枝に止まっている鵯の姿をズームで捉えようとしたが、あまりうまく行かなかった)、通路の脇に腰を掛けて食事。運動部の中学生がランニングで前を通り、こんにちは、と声を掛けてくるのに返す。食事を取ってから車内に戻ると、空気が相当に暑く熱されていた。
●その後、二月一七日にも訪れた朝日山公園にも行った。階段ではなくて、同心円状になっている坂を上って頂上まで行く。頂上には人がおらず、ちょっと経つと黒い犬を散歩させている婦人が一人、上ってきたのみだったが、どこかから姿は見えないものの、笛の音が響いていた。
●帰ったあとは、ソファに横になって休んでしまう。それから服を着替えてきて、自室にいても間が持たないので上階に行き、何かやることはないかと母親に訊くと、アイロン掛けと言うので、自分のワイシャツやハンカチ、母親のズボンにアイロンを掛けた。それからはまた間が持たないのだが、ソファに就いて何をするでもなくいると、座布団のカバーを取り替えていた母親がテレビを点ける。録画されたなかから『おしゃれイズム』を選んで、マツコ・デラックスが豪邸を見に行くという企画が映し出されるのだが、見ていても面白く感じないので下階に下りた。と言って、何かやることがあるわけでもなく、兄の部屋に入って適当にギターを爪弾くのみである。
●本当に、何を見ても聞いても何をしていても心が動くということがなくなってしまったのが苦しい。本を読んでいても音楽を聞いていても、以前のように何かが迫ってくる瞬間、何かそのものに触れることが出来ているという感覚がない。本など、読んでいて一応意味は理解できているようなのだが、質感などがまったくわからないのだ。もう自分は一生このままなのかもしれないと思うと、どうすれば良いのかわからなくなる。以前の自分の脱け殻のようにして生きている現状である。一か月前はまだしも、日記を書くこともできていたのに、今はそれもできず、何かを見ても、その場でこれを書こう、という気も起こってこない。
●夜、八時頃から母親と歩きに出る。母親が、宮ノ平駅や都バスの時刻表を携帯電話で撮影しておきたいと言ったのだ。それで散歩がてら、一緒に外に出た。母親は道中、ここは誰の家で、ここは誰の家でと色々な宅について触れてみせて、実に良く知っているものである。また、道の暗い部分に来ると怖いねとしきりに口にしていた。

2018/3/26, Mon.

●昨日、午後二時頃、父親に最近の自分の状態について話を聞いてもらう。
●今日、『あさイチ!』。セクハラ特集。この番組は、先日の受動喫煙特集の時もそうだったが、意外とリベラル寄りなのだなと思う。セクハラについては、当然、加害者側が悪いと考える(三宅さんの職場のような例もあるわけだが)。
●気温は二一度だかそのくらいになると言うが、あまり晴れ晴れとしない、雲の多い朝で、陽差しは薄い。
●三宅さんの日記の最新記事を久しぶりに、音読で一字残らず読み通す。彼が中国に渡る前に一度、連絡をして、今の自分の状態を報告しておきたいような気もするのだが、どうしたものか? 三宅さんの日記はやはり面白いというか、こちらの内から欲望がなくなってしまったいま、彼のように日記を書ける、強い欲望を持っているということが羨ましい。
●一一時前から一時間ほど、散歩。

2018/3/21, Wed.

●一応、入眠はできたようである。確か一時間くらいの時点で一度覚めた憶えがあり、その後も二、三回覚めたのではなかったかと思うが、前日よりは眠ることができた。七時か八時頃に至るともうこれ以上眠れないということはわかっているのだが、起き上がる気にならず、眼裏の自生思考に取り巻かれながら寝床で過ごして、九時前に起床した。
●玉ねぎを持っていくと、それを炒めて食べたらと母親が言い、こちらが便所に行っているあいだに既にフライパンで炒めはじめていたので、肉も混ぜて醤油を垂らし、炒め物を完成させた。それと米、あとは即席の味噌汁の食事である。外は前日から言われていた通り、確かに雪降りだった。母親は、父親が出かけるのにドライブがてらついていくとのことで、こちらが食事を終えようかという頃に出かけて行った。こちらはその後、テレビを眺める。『ドキュメント72時間』を見て、その後、ストーブの前で洗濯物を畳みながら、『鶴瓶の家族に乾杯』も眺めた。
●そうして風呂を洗って自室に戻ってきて、Twitterを覗いたり、三宅さんのブログを読んだりしてから、このように記録を付けているわけなのだが、例によって、このあとどうしたものかという感じである。こうして記録を付けているのも、そうしたいという気持ちが強くあるわけではなく、欲望は感じないもので、なぜ付けているのかも自分で良くわからない。最近ではすべてが時間つぶしというか、時間が過ぎていくのを何とかやり過ごしている、というような感じになってきてしまっている。どうしたら良いのか、わからない。表面上の生活はほとんど変わっていないと思うのだが、充実感というものがなくなってしまった。果たしてそれが戻ってくる日がいつかやって来るのだろうか? ただし、気分がものすごく落ち込んだりするわけではない。自分のやるべきことが自分でわからないのだ。
●ひとまず、音楽を流してみた。Suchmos "MINT"や、Fabian AlmazanやBill Evansである。その後、鷲崎健を流しながらスワイショウを行っていると、天井が鳴って階上から呼ばれたので(両親は既に帰ってきていた)、上がって行くと、食事が出来上がっていた。滑茸とシーチキンを混ぜたパスタとのらぼう菜である。あまり腹は減っていなかったのだが、このパスタは美味いものだった。
●食後、皿を洗ってから新聞紙を紐で括り、それを外の物置に運びに行く。雪は既にほとんど雨になっていた。傘を差しながら、玄関に続く階段の上を箒で掃き掃除しておいたが、完全に綺麗にはならなかった。屋内に戻ると、ストーブの前に座って手を擦り、身体を温める。そうしてから自室に戻ってくると、現在、一時半である。

2018/3/20, Tue.

睡眠薬を飲んだのだが、入眠できず。このまま朝まで眠れないのではと危機感を覚える。しかし、ロラゼパムスルピリドを追加したところ、三時以降になってどうにか意識を失えたようだった。
●雨降り。気温は、最高が八度とか聞いていたが、それほど寒くも思われない。
スワイショウ。『あさイチ!』を見ながら(スニーカーについて)。また、その後、四〇〇回ほど。
●横山貞子訳『フラナリー・オコナー全短篇 下』を読了。一二時半前だっただろうか。食事を取りに上階に行く。母親がフライパンに鯖を焼いておいてくれたのだが、それは夜に回すことにして、納豆に大根をおろし、豆腐を電子レンジで温める。汁物は即席の味噌汁である。卓に就き、テレビを点して食べはじめる。テレビ番組はいくつか回してみて、森本学園の文書問題を取り上げている『ひるおび』にしたが、そう真剣に眺めたわけではない。
●皿を洗って室に戻ると、『天の川銀河発電所』を読みはじめた。現代俳句のガイドブックである。俳人ごとに句を集めて紹介するその合間に、編者の対談が挟まっているのだが、そこで語られていることを身に添って実感するには、こちらの言葉に対する感覚は貧弱過ぎる。と言うか、例の変調、そして文を以前のように書けなくなって以来、言葉(やその他の物事)に触れる感性というものも薄くなってしまった感じがある。
●二時を回ったところで運動を行った。背景にはSuchmos『THE KIDS』を流した。スワイショウから始めて、腕立て伏せや腹筋などを行ったのだが、夜、満足に眠れていないのにそうした筋トレをするのもまずいのではないかという気がするので、明日からはひとまずスワイショウのみにしたほうが良いかもしれない。とにかくこの不眠、うまく入眠できないという状態が解消されて、以前のように長くても良いのでまともに眠りを取れるようになってほしいと思う。
●スーツに着替えて三時半前、出勤。雨はほとんど降り止んでいた。コートを着てマフラーをつけるのが正解の気温。裏通りの一軒に白い花が咲いているのを木蓮だろうかと見たが、近づいて見直すと、拡散的な花びらの、違う花である。これは確か、辛夷というものではなかったかと思いだした。進んでいくと、こちらはまさしく白木蓮の大きな樹があり、その下を女子高生が歩いて行くのが遠目に見える。大ぶりな花びらのいくつかは、既に茶色の焦げ跡のようなものをつけながら地に伏していた。
●労働、一応問題はないが、不眠によって疲労感があったので、なるべく椅子に座っているようにした。最中はやはり、時間が容易に流れて行かない感じがある。(……)との授業は、何だかんだで笑わせてくれるので良い。
●帰宅後も、欠伸は出るものの眠気が生じるという感じがまったくなく、眠れていないことの疲労感から、食後などソファにぐったりとついてしまった。身体がなかなか動こうとせず、風呂に入るのも一苦労だった。自室に帰ってからも、何をする気にもならず、ただベッドに倒れて目を閉じながら時間が過ぎるのを待つ具合で、しかしそうしていても眠気は湧いてこない。母親が、安眠効果のあるという玉ねぎのスライスを持ってきてくれた。それからしばらくして一一時を越えたところで、どうせもう眠れないのだ、目を閉じて朝まで過ごしていればよいではないかと覚悟を決めて、薬を飲んで床に就くことにした。効果のほどは知れなかったが、コンピューターで、睡眠導入音楽を流した。

2018/3/19, Mon.

●『あさイチ!』。受動喫煙について。埼玉県熊谷市の取り組み。児童の尿検査によって受動喫煙の程度を調べる。
●横山貞子訳『フラナリー・オコナー全短篇 下』。二八六頁から三三五頁まで。「啓示」、「パーカーの背中」。
鷲崎健 "I Love Youのある世界"をyoutubeで流す。すると、頭がぞくぞくするような感触があり、一緒に歌っているうちに涙が湧いてきた。音読の効果なのだろうか? 自分に物事に感動する感受性があると知れて、安心した。
●音読は、ゆっくりと読むのが良さそうである。あまり速く、長時間やると頭が疲れてしまうような感じがある。
●鷲崎の曲をいくつか流し、その後キリンジを流しながら、スワイショウや柔軟を行った。スワイショウは一五分くらいできたのではないだろうか。毎日の習慣にして、より時間を増やせていけると良いと思う。しかしともかく大事なのは、何でもそうだが、毎日少しだけでも続けるということだろう。
●音楽、色々と聞く。Bill EvansThelonious Monk
●書抜き、ヴァージニア・ウルフ御輿哲也訳『灯台へ』およびティク・ナット・ハン/島田啓介訳『リトリート ブッダの瞑想の実践』。
●医者へ。睡眠薬を処方してもらうことに。最近の悩みなども聞いてもらう。
●その後、図書館へ。和歌・俳句の類に手を出してみようと思い『天の川銀河発電所』と、『続拾遺和歌集』を借りる。CDはSuchmos『THE KIDS』。
●労働中にも自生音楽があった。

2018/3/18, Sun.

●横山貞子訳『フラナリー・オコナー全短篇 下』。「長引く悪寒」、「家庭のやすらぎ」。
●時間を持て余してしまう。「何をしよう」という心が明確に出てこない。今までの自分には、なかったことである。自分の中心にあったに違いない書く欲望が希薄化してしまったことで、その他の欲望もまとめて薄くなってしまったかのようである。自分がこんな状態に陥るとは思っていなかった。
●何をしていても、楽しい、面白いという感覚が薄く、感動というものがないようなのが苦しい。感情が平板化してしまったのだろうか? 気分がそう悪いわけではないのだが、欲望と、それに基づいた感動がなくなってしまったので、生の張り合いがないようだ。
●自生思考もまだある、と言うか、これはおそらくなくならないものなのだと思う。一応、その都度の判断は適切に下せている。何かに苛立つということもなくなって、以前よりも平静な人格になってはいるのだが、そのかわりにプラスの感情すら薄くなってしまったような感じがする。
●久しぶりに音楽を聞く。Keith Jarrett Trio, "Old Folks", "Falling In Love With Love", John Legend, "Ordinary People"。
●父親、自治会の総会へ。スーツ姿だった。
●録画された番組から、『A-Studio』。峯田和伸
●二時半過ぎ、散歩へ。陽が出てきていた。歩調緩し。桃色の花の樹に、鵯。彼岸の入りで墓参りの姿が多くある。梅の花びら、道に散っている。
●帰宅後、洗濯物を片付ける。そうしてヴァージニア・ウルフ御輿哲也訳『灯台へ』書抜き。
●夕食の支度、餃子を焼き、蕎麦を茹でる。合間、母親、愚痴る。車や洗濯物の有無で、出かけているかいないか周囲から常にチェックされているかのようであること、また、世間話で外出のことを聞かれるのが嫌だと。愚痴を受けても以前と違って苛立ちは湧かない。穏やかに受け答えする。
●横山貞子訳『フラナリー・オコナー全短篇 下』。「障害者優先」。狂信的な少年と、それを更生させようとする男、それにいくらか知能の低いらしい子どもというのは、『烈しく攻むる者はこれを奪う』の設定を思わせる。苛烈なような篇が続く。七時半前まで。母親はクリーニングを取りに。
●夕食後、母親と並んでテレビ。『おしゃれイズム』。広瀬すずなど、『ちはやふる』に出演している三人組。新田真剣佑という珍しい名前の人を知る。笑顔良し。
●風呂に向かう際、母親が、皿は洗っておくから置いておいて良いと言った。こちらはそれに対して、自分の分だけは洗っておくよと答えたのだが、このように互いに配慮をし合う関係が母親とのあいだに築けていることはありがたいことだと思った。
●音読を頑張ったためか、頭痛があったが、入浴で解消。父親、九時過ぎに帰宅する。

2018/3/16, Fri.

●八時起床。四時直前に一度目覚めている。前夜は一一時の直前に床に就いたので、一応、五時間は続けて眠れたことになる。七時に覚めたが、何だか身体が重いようで起き上がることができず、目を閉じていた。頭が何か勝手に言葉を生み出しているのを切れ切れに感じた。天気は曇りである。
●朝食は、前夜のカキフライの残り。母親がそれを、カツ丼の具のような感じで作り直してくれたのを、丼の米の上に載せる。『あさイチ!』に、NHK連続テレビ小説のヒロイン役を務めた葵わかなという人が出ている。母親によると、今日は夜から気温が下がって寒くなると言う。新聞の天気欄を見ると、午前中の部分に雨のマークが含まれており、降水確率は六〇パーセントを示していた。
●食後、家事を諸々済ませて、自室へ。横山貞子訳『フラナリー・オコナー全短篇 上』を読む。一時間弱。「七面鳥」の篇がなかなか面白かった。特に、七面鳥を捕まえることが出来なかったララーが、「神さまのばか」「神さまのくそったれ」と悪態をつき、続けて、「くそったれ頭」「くそったれ鶏」「くそったれ首」と色々な言葉に「くそったれ」を付して羅列する場面はちょっと笑いそうになった。そのように笑いながら悪態をついていたのに、偶然七面鳥がまた見つかると、途端に神に感謝する気持ちになっているのも、子供の気まぐれさを良く表現していると思う。その後、ララーは意気揚々とそれを担いで街に戻り、皆の注目を浴びるのだが、最終的にその七面鳥を奪われてしまうというのも、オコナー的な安定した落ちとなっている。
●読書後、母親が草取りをすると言っていたのを思い出し、外へ。フォークを使って草取りを行う。途中、(……)がやってきて世間話(こちらはあまり発言できなかった)。彼女が去って行ったあと、今度は(……)が回覧板を届けにやって来た。受け取ってこちらは一旦中に入り、靴下を履いて、散歩に出た。
●天気は相変わらずの曇天だが、寒さはない。保育園まで来ると、園児たちが園庭に出て遊んでおり、子供らの声が響いている。先生と一緒になって土管の上に並んで座ったり、砂場の土をすくいあげたりしている。フェンスの際を歩いていると、女児が一人歩いてきて、おはようございますと声を掛けて来たので、思わず笑みを浮かべて、おはようございますと返した。それからちょっと行ったところにある白梅の樹に、抹茶色の鳥が何匹かとまっている。メジロである。鳥が枝の上を動き回るそれに応じて、もういささか古くなった花びらがぽろぽろと宙に落ちる。
●殺害の観念、もしくはイメージの発生はまだあって、散歩中、人を見るとそれが浮かぶことがあったのだが、だからと言ってもう不安を覚えたりはしない。自分は他者を傷つけたいとは思っていないし、人を殺したいなどとは勿論思っていない、これは確実なこと、揺るがない結論であると歩きながら考えた。あとは妙な思考やイメージが自ずと収まってくれるのを待てば良い。実際、最近はほとんど浮かばなくなっていたはずだから、そのうちに多分忘れることができるのではないだろうか。
●帰宅すると、正午前。母親がカレーを作っていた。こちらは室に下りて、Bill Frisell & Thomas Morgan『Small Town』を流しながら、スワイショウを行った。これは腕を前後にぶらぶらと振るだけの簡単な運動で、リズム運動がセロトニンを増やすのに効果があるということで、パニック障害初期の頃にはよくやっていたものだ。それをふたたび毎日の習慣に取り入れることにして、この時は一曲分だけ行い、食事を取りに行った。
●カレーのほかには、蜜柑の類があったのだが、これが、新鮮ではあるもののとても酸っぱいものだった。一二時半頃になると食器を洗って下階に下り、ギターを弄った。母親は、「子どもプラス」の仕事に出かけて行った。
●その後、書抜き。トリスタン・グーリー/屋代通子訳『日常を探検に変える ナチュラル・エクスプローラーのすすめ』を終わらせ、そのままルソー/永田千奈訳『孤独な散歩者の夢想』も一気呵成に、といった感じで終わらせる。そうして、二時半頃になったところで一旦上階に行った。洗濯物を畳もうと思ったのだが、まだあまり乾ききっていなかった(雨が降り出していた)。それでもタオルだけは畳んでおき、洗面所に運んでおくと、ソファに就いて、しばらく息をつきながら惑った。何をすれば良いのかわからない、というような状態だったのだ。かつては、時間がいくらあっても足りない、一日のうちにできることはあまりにも少ないと思っていたはずが、書くことに対する欲望が希釈化されてしまった現在、今日は労働があるのだが、それまでの時間、一体何をして過ごそうと思い惑うようなところがある。自分にこのような状態が訪れるとは思ってもみなかった。やはり、書くことに対する欲望が生の中心として据えられ、それを経由するようにしてすべてが価値づけられていたようなところがあるのではないか。その欲望が希薄になってしまった今、生そのものに対する欲望も全体として薄くなったような感じがする。気持ちが殊更に落ち込むというわけではないが、端的に言って、張り合いがないのだ。欲望がないというのは、苦しいことである。書くことに対するそれでも良いし、何か別のそれでも良いのだが、何とかして何かしら、次の欲望を見出したい。
●室に帰ると、二〇一六年一〇月の日記を大雑把に読み返して、ブログに投稿した。その後、また頭があらぬ方向に回って不安を感じたので、早めに服薬しておき、ギターを弄った。その後、不安な気分を払いのけようと運動を行い、それから読書に入った。『フラナリー・オコナー全短篇』の上巻は最後まで読み終えて、下巻にも入って、六時前まで。二時間弱、音読をしたわけだが、音読をするとやはり気分がいくらか落ち着き、すっきりとするような気がする。
●そうして上階に行き、居間のカーテンを閉めると、カレーと即席の味噌汁を食べた。皿を片付けてすぐに下階に戻ると、Oasisを流して歌いながら服を着替え、歯磨きをした。

2018/3/15, Thu.

●横山貞子訳『フラナリー・オコナー全短篇 上』を読んでいる。「善人はなかなかいない」や「田舎の善人」に顕著だが、オコナーはまったく救いのない暴力の物語を淡々と、無慈悲に書いてみせる。
●「田舎の善人」では、それまで気の良い聖書売りとだけ見えていた青年が、最終盤になって豹変するのだが、その「本性の開示」には演出上、ほとんど何の劇的な要素もなく、あくまで淡々と描かれており、青年は冷静を保っていて、それがかえって慈悲のなさを強調しているように思う。
●昼食後、散歩に出た。(……)の宅の横の白梅が、道の上まで迫り出して咲き誇っていた。歩いているあいだ、紅白の梅が到るところに見られて、目を楽しませる。
●気分は悪くはない。帰ってきたあと、母親と並んでテレビを見て、笑うことができているのだが、それでもやはりどこかに空虚さ、つまらなさのようなものがある気がする。完全な満足や自足などというものは人間にはなく、色々あるけれどまあ悪くない、というところで落とすほかないのだろうが、もう少し、生の張り合いのようなものが欲しくはある。日々を過ごしていくうちに、また変わってきてくれるとありがたい。
●以前のように、一日のことを朝から晩まで細かく書くという気力は起こらなくなってしまった。何か別のやり方で良いので、また書くということが自分の生き甲斐になってくれないだろうか。あるいは、何か別の表現、別のことでも良い。歩いているあいだには、写真がもしかしたら合っているかも、とか、書くにしても短い形式で、俳句や短歌をやるのも良いかも、などと考えていた。
●死ぬまで文を書き続けるのだと思い込んで疑わなかった自分が、今のようになってしまったので、まったくもって、確実なことなどないというのがこの世の相だと思わざるを得ないが、今のところ、読むことのほうは毎日続けられている。これだってもしかしたら、いずれやめてしまう日が来るのかもしれないが、ともかくも今はまだものを読む気がある。
●洗濯物を取りこむ際、ベランダの床が、スリッパを履いた足がつるつると滑るくらいに花粉にまみれていた。
●トリスタン・グーリー/屋代通子訳『日常を探検に変える ナチュラル・エクスプローラーのすすめ』書抜き。
●夕刻に掛けて一時間ほど音読をしたところ、頭がすっきりとまとまったようになった。脳内物質の分泌のためなのか、音読をするといつも、最初のうちは欠伸が湧き、目が閉じかけてくるのだが、この時は、それを越えると気づけば口が良く動くようになっていた。音読はやはり精神安定に良いのではないか。どうせ本は読むので、これからも毎日続けて行きたいと思う。
●オコナー「強制追放者」。面白かった。収容所に入っているという妹を呼び寄せて黒人と結婚させたいガイザックと、そのような話をして黒人を「混乱」させてほしくないマッキンタイア夫人の、そのあいだの会話の噛み合わなさ。「収容所」というショッキングなワードと事実が提示されているにもかかわらず、マッキンタイア夫人はそれについてほとんど一言も言及せず、無視し、自分の主張を押し通そうとする。そんな夫人ものちには、ガイザックに解雇通告を言い渡すのが辛くなって、先延ばしにしながら体調を崩し、不眠になってしまう。ついに通告をしようというところで、ガイザックは事故でトラクターに轢かれて死んでしまう。オコナーはどの篇でも、このように、ぴったりと嵌まる印象的な落ちを用意していると思う。その後、夫人は神経を病んで入院し、退院後は隠居暮らしに入るのだが、やはり身体が悪くて寝たきりの生活になってしまう。そのような没落のなかで、彼女が煩わしがっていた老神父だけは以前と変わらず訪ねてきて、カトリックの教義を説いて聞かせる、その一点の変化のなさが皮肉なようである。
●夕飯の一品として、冷凍のカキフライを揚げたのだが、これが美味いものだった。噛んだ瞬間に内から汁と味わいが染み出てきて、一緒に食べる米が進むものだった。冷凍食品のわりに、二個、三個と口にしても美味さが減退しない質だった。

 

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2018/3/12, Mon.

●段々と、頭の調子が良くなってきていると思う。気分も比較的明るく、悪くない。昨日は両親と兄夫婦とその赤子と合わせて家族六人でいちご狩りに行き、その後、兄夫婦の宅で寿司など、美味い飯をいただいた。ピアノを弄らせてもらい、ぎこちなくブルース進行を奏でたり、その場で適当にメロディを拵えたりして遊び、楽しかった。赤ん坊とたくさん触れ合うこともできた(ただ、我が姪である彼女がこちらの顔を正面からまともに見つめる時、大体いつもぶすっとしたような顔をするのがちょっと気になりはした。そうしてすぐに顔を背けてしまうのだ。嫌われているのだろうか?)。
●前夜、入浴の際に考えたのだが(と言うよりはやはり、頭が勝手に動いたと言いたくなるのだが――皆さんは何かものを考える時、思考を展開し、組み立てようとする時、自分がそれを定かに統御できているという確信があるのだろうか? 自分はどうもそのあたりの、思考の所有感のようなものが薄く、どうしても頭が自動的に動いているように感じられてしまう)、最近の自分の症状の一つとしては、暴走した相対化=懐疑とでもいうようなものがあった。まず、ヴィパッサナー瞑想や自分自身の生活を習慣的に書き綴る営みによって、こちらは自己自身をかなりの程度客体化してしまったのだと思う。思考が自生的に感じられるのもそのせいかもしれないのだが、その点の真偽は不明としても、この自生的な思考が暴走して、懐疑を差し向ける必要がない事柄に対しても疑いの声を(自動的に)差し挟む、ということが起こったのだ。例えば、ものを食べている時に「美味い」と思ったとする、「美味い」という言葉が脳内に湧いたとする、ところが即座にそれに続けて、「本当にそうか?」というような疑いの言葉までもが湧いてくるのだ。こうして書いてみると滑稽なような、まるで馬鹿げたような話に思えるかもしれないが、自分の感覚や感情に対してまでもそのような疑いがたびたび差し向けられるとなると、自分が今どのように感じているのかが確かでなくなり、自己というものが見失われてしまいかねない。それに対する不安、自分の感情が自分でわからなくなってくる、というような不安があった。
●自分の頭は何故か、懐疑をするべき事柄と、懐疑をするべきでない事柄の区別がつかなくなっていたのだ。「方法的に」ではあるが、すべてを一度疑ってみようとしたデカルトは、自分が狂気に近づいているということを感じなかったのだろうか? 勿論、懐疑の能力は人間においてある程度必要であり、ものを考えるということを自己の営みとすることを選ぶ人間にとっては、重要なものであることは言うまでもない。そうした能力を備えていた点において、自分は明らかに正気だった。ただ、正気があまりに行き過ぎたが故に、それで狂気に接近していたのではないか、という気がする。
●今現在、生活のなかで様々な行動をしながらも、同時に、断片的でまとまりのないようではありながら、はっきりとした言葉で聞こえる脳内の独り言がある状態である。それは、本当は「自生思考」という類のものではなく、自己客体化によって思考が自生的なものとして感じられ、さらにそれが不安神経症の対象になってしまっただけなのかもしれないが、ともかく、またあまり思念が暴走しすぎるのも怖いので(一月四日頃には、言語が常に頭のなかを渦巻いて止まず、目の前の世界の実在感が薄れてくるほどだった)、アリピプラゾールという、自生思考を抑えるらしい薬を今日から飲みはじめたところである。その効果のほどはまだ知れないが、一応このようにして、思考を組み立て、文章化することができており、今、この文章を作りながらも不安はないので、自分の頭は大丈夫だと思う。
●午前、久しぶりにこのようにして文を書く。その後、一〇時頃になって上階へ。母親とともに、雛人形を片付ける。ぼんぼりや男雛、女雛などを古くなった紙で包み、箱に収めて、押入れのなかにしまっておく。それから仏間に掃除機を掛けたり、濡れ雑巾でテーブルを拭いたり、そのほか、段ボールを紐で縛って、家の外の物置に運んでおいたりもする。
●その後、一一時頃になって外へ。母親が、梅の枝を取ると言う。陶芸教室で作ってきた一輪挿しに挿すためである。こちらは先に出て、家の南側に回り、もう枝の両側に花を連ねている白梅の樹を眺めたあと、父親の作った木製の椅子に腰掛ける。陽で温まった椅子が温もっている。じきに母親がやってきて、こちらの横に座る。その後、斜面に生えている紅梅の枝(まだほとんど蕾のままだったが)を鋏で切り取った。
●なかに戻ると、昼食の支度を始めた。前夜に茹でたうどんの残りを、豆苗にブナシメジや鶏肉などと混ぜて、焼きうどんのようにする。やはり残り物のコロッケと、即席の味噌汁を合わせて、もう食事にする。一一時半過ぎだったと思う。
●正午を回って室へ。インターネットを回ったり、日記を読み返したりしたのち、読書。ハンス・エーリヒ・ノサック/香月恵里訳『ブレックヴァルトが死んだ ノサック短篇集』。一時直前から一時間。ノサックのこの短篇集は、面白いのかどうなのかいまいちわかりかねているのだが、「六つのエチュード」のなかの「ペンナイフ」や「汝の敵を殺せ」といった篇には、まったく根拠のない曖昧な連想なのだが、何かカフカを思わせるところがあるような気がする。「観察」や「ある犬の研究」なんかの感触を何となく思い出すようだったのだ。
●二時半ごろから書抜き、南直哉『日常生活のなかの禅』。その後、ベッドで布団を身体に被せながら、ふたたび読書をした。ハンス・エーリヒ・ノサック/香月恵里訳『ブレックヴァルトが死んだ ノサック短篇集』を最後まで読み終える。全体としてやはり、まるでつまらないということはないものの、面白いのかどうなのかよくわからない本だったのだが、それでもノサックはほかの作品も読んでみたい気がする。特に、おそらく一番有名で岩波文庫にも入っている『死神とのインタビュー』は、古井由吉が何かの企画で、気に入りの三冊を選ぶというような時に挙げていたので、重要なのではないか。
●四時半頃になって、やや早い時刻だが、夕食の支度をすることにした。葱を炒めたらどうか、また、鳥のササミが一つだけ残っているので、野菜と合わせてサラダにしたらどうかということを母親から聞いていた。上階に行く前に(……)のブログを覗くと、三月一〇日の記事の冒頭に引かれている斎藤環『生き延びるためのラカン』の記述で、精神病者は「責任のある大人として振る舞うことを要求される場面」、「他者からアイデンティティを問われるような場面」、そうした状況におかれると症状が発現する、という解説があり、それを読んでまた、自分もいずれそうした場面に立ち会って統合失調症を発症してしまうのではないかと不安になった。それで、ちょうどこの日の二度目の服薬に良い時間だったこともあって、薬を飲んで上階に行き、食事の支度を始めた。
●胡瓜をスライスしたり、モヤシを茹でたり、鳥のササミを茹でたりしてサラダ(ほかの具はオレンジ色のピーマンと、ワカメスープの素)を拵えつつ、一方で葱を切り、肉と合わせて炒めて、醤油を少しだけ垂らして味付けとした。汁物としては、玉ねぎの味噌汁を作った。それで時刻は多分、五時半頃ではなかったかと思う。遅れ馳せに、小沢健二『刹那』をラジカセで流しはじめ、食器を洗い、それから台所を離れて、ベランダに出ていた足拭きを取り込み(この時、下方に(……)が見え、互いの存在を認識して何となく会釈するような雰囲気になったので、こんにちはと声を飛ばした)、アイロン掛けをする。
●アイロン掛けをするあいだ、最近の自分の症状について、独り言をかすかに声に出しながら(頭のなかで展開するのに任せているのではなくて、実際に口を動かして発語したほうが考えがまとまる感じがするのだ)考えを巡らせた。まず、殺人妄想のようなものについてはほとんど収まった。それでも例えば、料理をするために包丁を目にすると、それが即座に「殺人」「殺害」という観念と結びついて何がしかのイメージが瞬間的にちらついたりする、ということはあるのだが、これはやはり、要は加害恐怖の一種なのではないかと思う。自分は絶対に人を殺したりはしない、殺したくはないという思いが、不安神経症の性向によって、かえってそれを考えてしまうという方向に転じているということだ。そして、ここで話が込み入ってくるのは、自分においてはこの殺人に対する不安が、「狂い」に対する不安と絡みついているらしいということである。ここで言う「狂い」というのは、物事についての正常な判断力を失い、何かとんでもないことをしでかしてしまう、というような状態として想定されている。そしてさらに、その「狂い」の象徴というか、自分の頭のなかで具体的な病名としてそこに結びつけられているのが、統合失調症であるらしい。勿論自分は、統合失調症患者が必ずしも反社会的な行動を起こすわけではない、と言うか、そのような患者がいたとしてもそれは極々少数だろうということは理解している。しかし、そう理解しながらも、自分の精神のうちで、上のような、殺人―狂い―統合失調症という意味的連関がどうも出来上がってしまっているように思われる(実際、料理のあいだに夕刊を取りに行ったのだが、あるいは午前のうちでニュースで目にしてもいたのだが、女子中学生を誘拐監禁した事件の被告が、統合失調症責任能力を失っていたと主張しているという情報に接した時(この主張の真偽自体は定かでなく、裁判では退けられたようだが)、自分もいつかそうなってしまうのではないかというような不安が生じた)。まとめると、自分はこの自分自身が、自生思考の行き過ぎによって統合失調症を発症し、自己の定かさと正常な判断能力を失って、例えば殺人のような、取り返しのつかないようなことを行動に移してしまうのではないかと恐れている。
●こうした恐れにはまた、自分の「自動感」も関わってくるのだが、あまりこうしたことを考え、記述するのも良くなさそうなので、今のところはここまでに留めておく。アイロン掛けを終えて下階に戻ってくると、まず、(……)に電話を掛けた。最近はどうしているのだろうと思って、日中、久しぶりに(五年ぶりくらいでないか)メールを送ったのだが、アドレスが変わっていて届かなかった旨が即座に返って来たので、通話を試してみたのだ。予想通りだが、相手は出なかったので、留守番メッセージに対して名を名乗り、久しぶりに顔を合わせて話でもできたらと思っていますなどと言葉を残しておいた。それから日記をここまで記述して、現在、六時四〇分である。今日はこのようにして文を書いてみようという意思が起こったわけだが、明日もそれが生じるかどうかはわからない。あまりまた傾注しすぎても良くないだろう。ゆっくりとやって行きたい。
●その後、小沢健二犬は吠えるがキャラバンは進む』を背景にして、運動。そうして歌を歌っていると母親が帰ってきたので、食事へ行く。上階に上がると、母親は既に食事を取りはじめており、こちらが料理をしておいたことについて、ありがとう、助かるよと言ってくれた。皿にそれぞれの品を用意して食事を取るあいだ、テレビは『YOUは何しに日本へ?』である。仕事も何も捨て置いてスペインから日本に家出をしてきたという青年が出演しており、細かな事情は知れなかったが、何もかも嫌になって投げ出してしまいたい、そんな時もあるだろうなと母親と話し合った。八時になると、今度は、糠漬けが好きなドイツ人の女性(しかし出身はリトアニアと言っていたような気がする)が日本に招かれて糠漬けについて学ぶ。傍ら我々は、前日に兄夫婦から貰ったものだが、バターバトラーというフィナンシェを賞味した。食べると母親は早速、(……)にメッセージを送っていた。
●その後、入浴する。出ると九時過ぎだった。母親はまだ炬燵テーブルに就いていた。月曜日は、テレビ東京は異文化交流的な番組を三本続けているようで、今度は、ペルーに暮らしている日本人を訪ねて行く、という番組がやっていた。ソファに就き、母親の肩や背、さらに腰のほうまでを揉みほぐしてやりながら、番組を何となく眺めた。ペルーでは一日の強盗の発生件数が日本の三〇〇倍だとかいう話で、番組で取り上げられた日本人女性が住んでいるのも、山の斜面にテントのような装いの住居が連なるスラム街が間近の、治安の相当に悪い地区らしかった。アリピプラゾール錠を新しく飲みはじめたからなのか、何となく疲れたような、眠いような感じがあった。九時半頃になると下階に下りてきて、ここまで日記を綴った。
●一〇時台でやはりもう眠気があり、さっさと床に就いてしまいたいようだったが、さすがに早いかと思われた。それで歯を磨いたあと、ベッドに横たわったのだが、かと言って本を読む気にもならず、ただうとうととしているうちに一一時が近づいたので、そこで薬を飲んで就床した。

  

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2018/3/4, Sun.

●七時五分起床。スガシカオ "ココニイルコト"頭に。寝床でも、書くことについて悩む。ともかく起きて、上階へ。
●朝食は、前夜の天麩羅の残り、鶏釜飯、即席のシジミの味噌汁に豆腐やワカメや菜っ葉を足したもの(これが美味かった)、サラダ。父親、起きてくる。テレビ、知床半島。雪山。様々な鳥たち。「氷泥」という現象を知る。その後、『小さな旅』。島根県出雲。ここも雪景色。たたら製鉄やそろばん。
●食器(前夜に父親が飲み食いした分もあって、多かった)片付ける。その後、風呂洗い。炬燵テーブルの上で日向ぼっこ。しかし、頭には書くことのことが。下に下り際、石油を入れておいたほうが良いのではと思い当たる。タンク持ち上げてみれば、やはり軽くなっているので、玄関から外に出て勝手口へ。美しい晴天。石油が入るのを待ちながら、やはり悩む。いっそのこと、もうやめてしまったほうが良いのではという心がある。一方で、自分の生の記録が何も残らない、その一日がどういう一日だったのか、あとになって思い出せない、知る頼りがないというのにも、満足できない。しかし、記憶を探ってそれを言葉にするのが面倒臭く、苦しいようでもある。覚えていること、蘇ってくることが多すぎて、そのあいだの取捨選択と整理がうまくできないのだ。以前はただ盲目的に、できるだけ書くのだという思いに衝き動かされていれば良かったものを。
●なかに入り、自室へ。インターネット回る。その後、とりあえず日記に掛かる。二日の分は手帳から写し、三日もノートから。その後はメモに沿って簡潔に記す。一応、このようなやり方でなら記せてはいる。迷いがありながらも、自分は一応、このようにしてまだ書いてはいる。しかしやはり、苦しさがあるよう。ここで一〇時。今日は立川で、(……)や(……)と会合。
●その後、読書。ティク・ナット・ハン/島田啓介訳『リトリート ブッダの瞑想の実践』。読みながら、自分には書くことも含めて、様々なことに関して迷いがある、その迷いによる苦しみから逃れたいと思っている、そういう執着が自分のなかにある、と自分自身の心の内を認めるようにする。陽射しは窓から射し入って、温かい。自分の母親と和解した青年の挿話や、怒りと復讐心から誤って子どもを殺してしまったヴェトナム戦争の退役軍人の挿話に涙する。


 読んでくださっている方々には申し訳ないが、ここまでで自分の書く営みは一旦、休止である。自分が書きたいのか否かもわからず、巡る思念のために思考がまとまらず、自分が日々の生活のなかでものをどう感じているのかも、いまいち良くわからないようになってしまった。自分自身を客体化して書き綴る営みによって、その混乱に拍車が掛かりそうな気がするのだ。この五年間と少し、ほとんど一日も欠かさずに自らの生活を日記として綴ってきたけれど、あるいは自分の書くことに対する欲望は、それによって消尽されてしまったのかもしれない。それならばそれでも良かろう、書くことだけが生ではないのだ。あるいはもしかすると、またいずれ書きたいという気持ちが自分のなかに生まれて、ふたたび書きはじめる日が来るかもしれない。それならばそれも良い。とりあえず今のところは、自分の生活を書き記すという営みの存在しない生活を、どのくらいになるかわからないが、送ってみようと思う。

2018/3/3, Sat.

●まず最初に、今日考えたことから書いておきたいのだが、思考の起点としては、夕食前、自室のベッドにシーツを敷きに行った際に思いついたことがあった。それは、非常に要約して言うならば、無常というのは救いではないのか、ということである。我々の存在は絶えず移り変わって止まず、そしてその先には、最終的には滅びが待っている、この事実こそがそのまま、それそのもので救いなのではないのかという考えが生じてきた。理屈はわからない。ただ、何故かそのように思えたのだ。
●その後、生活を送るなかで、また特に、今しがた(今は午後九時四五分である)風呂に入っていたあいだに頭がよく回ったのだが、この世の実相とは不確定性にある。すなわち、自分が明日には(本質的にはおそらく、次の瞬間には)どうなっているかわからない、狂っているかもしれないし、死が訪れているかもしれないということである。また、自分という存在、あるいはこの世界という場所も一体どのようなものなのか、一向にその答えがわからず、確定されないでいる。自分はおそらく、この不確定性が怖かった。しかし、こうした不確定性、自分が次の瞬間には消滅しているかもしれないという可能性に絶えず直面させられ続けているのが人間の生というものなのだ。そして、重要なことだが、その消滅は、次の瞬間ではないにしても、いつか必ずやってくる。しかしだからと言って、それで絶望することはないのではないか?
●我々の存在は、と言うかすべての物事は瞬間ごとに、不可避的に、そして不可逆的に変化し、移り変わって行かざるを得ない。そして永続するものは何もなく、すべての最終地点には滅びがあるわけだが、しかし、例えば我々の身体/生命の一片を構成する細胞群は一瞬ごとに死に、そして新たに再生/蘇生/誕生し続けているはずだ。もしかしたらこの世界のすべての事柄がそうなのかもしれない、我々には見えない一瞬において、すべての事物は死んでは新たに生まれているのかもしれない。それが無常ということなのかもしれない。
●不確定であるということは、「本当の答え」が見えないということである(疑おうと思えば、すべてを疑うことができる)。この世界の本当の姿(「物自体」としての世界の有り様)は我々には決して知ることができず(最近流行りの(?)「思弁的実在論」という立場は、その点に異議を唱えるらしいが、これについてはよく知らない)、自分とは何なのかと思っても、「本当の自分」などというものは決してわからない(と言うか、そんなものは存在しない、と言いたくなる)。確かに存在していると思われるのは、今この瞬間の自分であり、今この瞬間の世界である。そしてそれらは常に、必ず、移り変わって行かざるを得ないというのは既に述べたことである。
●「無常」ということはまったく本当だと思わざるを得ず、それは物質的なレベルだけでなく精神的なレベル、我々の気分や考え、観念さえもが常に移り変わって止まないのだが、ここにおいて、「無常」という性質が世界の有り様として確定されてしまったら、移り変わらない「真理」が生まれてしまうではないかというパラドックスが生じてくるだろう。これをどのように解決すれば良いのかはわからないが、逆説というのは所詮は言語上の事柄、概念操作の上でのことではある。ただ思うに、ある時には「無常」が真実だと思え、ある時にはほかに真実があるように思え、またある時には「無常」が答えとして戻ってくるというこの永遠の往還こそが、考えの「無常」を証すというややこしい事態となるのではないか。
●あとは、「一切皆苦」ということ、すべてが苦しみである、あるいはすべての物事が潜在的に苦しみとなる可能性を秘めているというのはその通りだと思えるのだが、幸福/喜びさえもが苦しみの種を含んでおり、苦へと変わり得るのだったら、まったく同様に、苦しみさえもが喜びとなる可能性、苦しみさえもを喜びとして受け取ることのできる可能性があったって良いではないかと思った。そうした思考を実感として身に備えて行った先に、喜び/苦しみの二元論を越えた生というものが存在するのかもしれない。
●今日考えたことは、概ねそのような感じである。起床は八時頃となった。確か四時台に例によって目覚め、薬を飲んだものの、それから先はあまり眠れた感じがしなかった。
●朝食はフランスパンを焼いた。母親がイオンモールに出かけようかと考えているということだったので、迷いつつも、天気が良くてどこか出かけたいなという気持ちだったこともあり、こちらもそれについていくことにした。
●一〇時半頃だったか、出発。助手席に乗る。(……)橋にかかると、川、見下ろす。深い緑色の水の上に、車が進むにつれ、糸のような光の反映。道中は母親の仕事の話を聞く。また、(……)の峠道を越えて、この道をよく通ったねなどと話す。祖母が病院にいた頃のこと。
イオンモール。中に入り、二階に上がって、母親と別れる。服屋を見て回る。三階も。最初に見たのは、WEGOだった。その後、Purple&Yellow。結構高いが、セール品の区画がある。見て、薄い青のデニム調のシャツ、気になる。女性店員、話しかけてくる。サイズが3Lだったが、上から羽織る感じで、と。羽織らせてもらい、サイズの感じ見ると、悪くない。また戻ってくるかもしれませんと言って、他の店へ。
●記憶に残ったのは、WEGOにあったチェック柄のグレーのシャツと、名前は忘れた店の、一万二〇〇〇円の青いジャケットと、先のデニム調シャツ。一階まで回ったあと、通路の途中の椅子に腰掛けて、どうするか、と考える。デニムのシャツを買うとして、中に着るものが何か欲しい。シャツも、今着るのは二つしかない。そのあたりを安く見繕うかと、WEGOへ。買おうかなと思ったものはあり、チェック柄も気になったが、決めきれず。もう一二時頃だった。Purple&Yellowへ。今度は男性店員に話しかけられる。先のシャツと、その隣にあった淡いピンクのシャツ、それに、ストライプの入った深い藍のワークパンツを試着することに。
●母親から連絡来ている。試着室内で電話。今、試着中と。それで三つとも着てみる。悪くないようだったので、迷いながらも、三つともいただきますと。会計。店員と花粉症トーク。アレグラFXというのを飲んできた、そうしたら今日は大丈夫ですね、と。会計中、母親来る。店の入り口まで見送ってもらって退店。
●昼飯、食っていくことに。長崎ちゃんぽんを食べようと。フードコートへ。混み合っている。何とか席見つける。ちゃんぽんとギョウザのセット。うまい。食いながら、今日は来て良かったな、こういうのも全然悪い時間じゃないな、自分は大丈夫だなと思う。
●食後、買い物。「食の駅」というところに寄る。以前母親が買ってきてくれて美味かった薩摩揚げを買おうかと。(……)にも何か買っていってあげたらと提案。それで、団子と煎餅と薩摩揚げ(しかし薩摩揚げは結局、あげなかった)。
●母親、肉を買うとスーパーへ。こちらは椅子に座ってメモを取りながら待つ。母親戻ってくると、ちょっとだけと周りの店を見分。
●帰路へ。車に戻ると、車内、陽の熱が溜まって暑い。ふたたび母親の仕事の話聞く。暑いので窓を開けると、涼しい風が流れ込んだが、途端に鼻がむずむずする。梅が咲いてるね、と道中、見やる。
●母親が本を返すために、図書館に寄ってから帰宅。父親、外でテーブルと椅子作っている。母親、飲み物用意して運んで行く。こちらもちょっと休んでから外に出て、掃き掃除。腰を曲げて、散らばった葉や木屑を塵取りに。腰、痛くなる。途中、頭上から葉のさやぎ。終えると、家の南側へ。父親、元(……)宅の敷地で、テーブルに色塗っている。梅の樹、幹から緑色の枝が伸び、花がちらほら。
●室内へ。八百屋さん来て、母親、出て行く。その後、団子食う。テレビを見ながら炬燵で休む。『マツコの知らない世界』。「間借りカレー」と、鉛筆。
●五時頃、夕食の支度へ。米を研ぐ。鶏釜飯に。そして、天麩羅することに。牛蒡、人参、ジャガイモ、玉ねぎ、フキノトウ。材料切る。
●一旦室へ。ティク・ナット・ハン/島田啓介訳『リトリート ブッダの瞑想の実践』、音読。最中、母親来る。外国から手紙が来ていると。(……)である。その場で読む。自分の日記を読んでくれていると。ありがたい。しかしそんな自分は、書く意欲をなくしかけている。
●天麩羅揚げる。ラジカセからディスコ音楽(母親のCD)。それに合わせて、身体を無闇に動かしながら揚げる。父親はなかに入ってきて風呂へ。天麩羅終えると、(……)に届けに行く、母親と一緒に。天麩羅だけでなく、買ってきた団子などと、鶏釜飯も。隣家の勝手口へ。呼びかけても、聞こえないよう。しかし何度か言っていると、気づいて、出て来る。喜んでくれる。たくさん食べてくださいと言い、笑い合いながらやり取りし、自宅へ戻る。
●食事。母親、向かいで、宝石を買おうかどうしようかと迷う。イオンモールの店に以前行った時に、(……)のものが欲しくなったのだが、その時は決めきれなかった。まだあるかどうか、店に電話を掛けようかと。実物を見て決めたほうが良いのではないかとこちら。前に見た時に決められなかったのが、巡り合わせでなかったということなのだと。また見に行って、ほかにも良いものが見つかるかもしれないと。
●食事中は、出川哲朗の旅番組、『充電させてもらえませんか』を見る。面白い。場所は沖縄。唐沢寿明アンガールズの田中がゲスト。出川の人気ぶり。どこに行っても人が集まってきて、囲まれる。
●また一方、父親について母親と話す。思いやりや感謝のある関係を作ってほしいとこちら。
●散歩に行こうかと言っていたが、母親が電話をしていたりで遅くなったので、行かず。出川の番組を最後まで見て、九時頃入浴。思考が巡る。内容は上に記した。
●自室へ。先ほどの思考をまず、日記に記す。それからノート書きに移る。しばらくして、それもやめて手帳にメモ。どうも、書くことが負担らしいと思われた。胃のあたりにストレスらしきものがあるのを感じた。書くことをやめたほうが良いのかもしれないと思う。あるいは、もっと短い書き方、別の書き方を開発するか。また、生活でなくて、思考や感想に限るとか。迷いがある。どうすれば良いのかわからない。
●その後、ティク・ナット・ハン/島田啓介訳『リトリート ブッダの瞑想の実践』を少々読む。眠気。歯磨きして、零時頃就床。

2018/3/2, Fri.

 四時台に一度目覚めて、すぐに服薬してふたたび眠った。起床は七時五五分になった。寝床を抜け出すと、ダウンジャケットを羽織って上階に行く。階段を上がって行きながらおはようと母親に挨拶をした。朝食にはハムと卵を焼き、前夜の鍋料理の残りをすべて払ってしまった。NHK連続テレビ小説が終わると、テレビは『あさイチ!』で、北川景子がゲスト出演していた。
 食後、冷蔵庫の野菜室の整理。ものを一つ一つ出して行き、床の上に置いておいて、すべて出すと敷かれていたカレンダーの紙を捨てる。代わりに新聞紙を、三枚重ねて敷き入れておき、ものを戻して行く。ある程度整理がついたかと思う。使いかけの野菜は上段に置いておくことに。
 一〇時過ぎからティク・ナット・ハン/島田啓介訳『リトリート ブッダの瞑想の実践』を読む。ベッドで。布団を身に掛けなくとも大丈夫な温かさ。陽が窓から射しこみ、顔に当たる。一一時半くらいにはいくらか勢いが弱くなっていて、見れば薄く編みなされたような雲が広く空に。
 昼食は、母親の作ってくれた芋幹や人参やシーチキンのサラダに、納豆で米、またブナシメジや野菜のスープ。母親、一二時半過ぎに出かけて行く。「子どもプラス」の仕事。食後、食器を洗い、タオルを畳んでおいて下階へ。
 ギター弄る。その後、室で、インターネットで自生思考とマインドフルネスなど検索。身体がこごった感じがあったので、二時からベッドに寝転んで、ティク・ナット・ハンを読む。三〇分ほど。それで日記を書き出してみるのだが、文を書きたいという感じが全然しない。記憶を思い返すのも面倒臭いような感じ。何を書いておきたくて、何がそうでないのかもよくわからない。もう自分は書かなくても良いのではないか、という気もする。自生思考のために頭のなかも訳がわからず、むしろ書かないほうが身のため、精神のために良いのではないかという感じもなくもない。前日、前々日もメモを取ってはあるのだが、改めて綴る気持ちが起こらない。
 三時半。ギターをまたちょっと弄ってから(今度は立って、ピック弾きをする)上階へ。ハンカチ類にアイロンを掛ける。その後、エプロンも一枚。外は好天である。アイロン中、威勢の良い排気音の車が、外の道を通り過ぎて行く。
 室に帰ると、歌を歌う。Oasis "Wonderwall"に、Maroon 5 "Sunday Morning"。花粉の影響の上に本を音読して喉を使ってもいるので、歌うと喉が痛いよう。歌を歌うと、ちょっと気持ちが上向いた気がする。とは言え、文を書くことに対する欲望が薄れてしまったいま、ニヒリズムめいた空虚さが常にどこかにあるような感じはする。文学や読み書きというものに出会う前、大学三年生から四年生の頃も、ニヒリズムというものに悩まされていて、結局自分がパニック障害になったのも、自分という存在がわからないというその不安によるものだったのではないかという気もしないではない。とすれば、今自分はまさしく、二度目の大きな発作とともに、二度目の実存の危機を迎えていると言っても良いのかもしれない。とは言え当時と比べればそれなりに歳も取ったし、一度経験していることであるからそれほど鬱々とした感じもなく、日常生活を支障なくこなせている程度ではある。
 これから、石川美子訳『ロラン・バルト著作集 7 記号の国 1970』の書抜きをしようと思う。
 書抜きをしているあいだ、音読の効果と前頭葉の関係についてなど、また検索してしまったのだが、まとめブログにまとめられたスレを眺めているあたりで、なぜか腹のあたりが軽いように、呼吸がやや楽なようになってきた。五時過ぎである。
 運動を行った。BGMとしては、Marvin Gaye『What's Going On』を久しぶりに流した。それで腕振り体操を初めに行い、その後柔軟、腕立て伏せほかと移行していく。#3 "Flyin' High (in the Friendly Sky)", #4 "Save The Children"を聞きながら、このアルバムのベースの滑らかで推進力のある動きはやはり素晴らしいなと思った。運動をしながらしかし、何故だか、いまこのように身体を動かしていて、意味はあるのだろうかというような問いが勝手に脳内に湧き上がってくる。意味も何もないと思うのだが、自動的に言葉が浮かんでくるのだ。どうも最近は、上にも書いたように、自分の生の意味だとか、自分とは何なのかというような問いに囚われてしまっているらしい(書くことを生の第一義に据えていたあいだは、この問いは消滅した、自分の問いではなくなったと思っていたのだが)。そして、ヴィパッサナー瞑想的な実践によって、「いまここ」の瞬間を微分的に細かく認識できるようになったのは良いが、暴走的な頭がその瞬間瞬間に無益な問いを投げかけてしまうのだろう。一方で、そんなことはどうでも良いではないかという心もあるのだが、問いにも、問いの却下にも落着けず、そのあいだを行ったり来たりして止まないというのが、自生的な思考を備えてしまったいまの自分の状態である。しかし、自分のこの存在もいつかなくなるのだと考えると、やはり生とは、この世界とは一体何なのだろうという声が浮かんでくるもので、けれどきっとそれに明確な答えを出して落着くことのできないまま、問いをひたすらに問い続けたまま、何もわからずに死んでいくのが自分の生なのではないかという気がする。
 運動ののち、上階に行った。もうだいぶ薄暗くなっていたので電灯を灯し、居間の窓のカーテンを閉めて行く。出勤の前に食事を取るわけだが、母親が昼に作ってくれた肉じゃがと、ゆで卵を食べることにした。ストーブの上に載せられた鍋から肉じゃがを皿によそり、電子レンジで温める。卓に就き、肉じゃがのなかの人参やじゃがいもや蒟蒻を箸でつまみ上げながらそのものを確認し、口に入れ、ものを食べることそのものに集中しようと思うのだが、やはりどうしても頭のなかのおしゃべりが止まらないものである。それでも時折りは咀嚼に意識を戻して、食べ終えると皿を洗った。靴下を履いてしまい、下階に戻ると、歯を磨きながらティク・ナット・ハン/島田啓介訳『リトリート ブッダの瞑想の実践』を読む。ブッダの挿話を引いて、「牛」を手離さなければならない、自分が縛られているものから自由にならなければならないと語られるのだが、確かに、欲望だとか、「~~したい」「~~したくない」という気持ちから悩み苦しみは生まれるのだから、すべての執着を放棄することができ、最終的には生への執着すら捨てることができれば、もはや何も怖いものはないだろうなと思った(しかしそのような状態が実現可能なのか疑問だし、実現したとして、それは通常の、常識的な人間的「幸福」とはまったく違うものなのではないか?)。その後、服を着替えた。この間、呼吸を意識しつつ、ゆっくりとした動作で動くことができた。
 出発。道に出ると、東の空に満月。見事な形と明るさ。暈が周りに丸く。黄色く。その縁は仄かな赤味。空気、肌に触れると、やや冷たい。この日はコートを羽織った。
 表通りを行く。呼吸と歩みにのみ集中しようとするのだが、やはりどうしても思念は勝手に動く。月が常に途上にある。車の風切り音。
 労働、問題なし。労働中は思念、うごめかない。一応、目の前の仕事に集中できている。この日はまた、職場が静かで、何か落着いた気分でいられ、このような時間も悪くないと思えた。菓子をいくつか(多分(……)が、一年間おつかれさまということで用意したのではないかと思うが、ホームパイとかカントリーマームとか飴とかが大量にあった)コートのポケットに入れる。そういえば、働いている間、アレグラFXを飲んできたのに、半ばまで鼻水が出て仕方がなかった。(……)が今日で勤務が最後だというので、あいさつ。とにかく身体には気をつけてと。
 退勤。駅へ。電車、座ってメモ。向かいに接続の電車来るまで。乗り換えの人が来ると、瞑目して到着待つ。
 帰宅。ストーブ前。母親、疲れたねと。着替えて食事。米、焼売(四つ)、芋幹と人参やシーチキンのサラダ、肉じゃが、ブナシメジとワカメとセロリのスープ。肉じゃががうまくなったと言えば、味を足したからと。あと、母親が半分残したカレーパンも食べた。焼売とともに米を食べつつ、うまいねと告げる。
 テレビは『所さんのそこんトコロ』。最初は東海道だかの旧宿場町を訪ね、本陣だった宅を訪問したり。その次は庭のリフォーム。特段、書いておきたいことはないが、庭の造作の技法で、たしか「洗い出し」と言っていたか、それはへえ、と思った。四角く成型したコンクリートの、表面だけ固化しない液体をかけ、中が固まったあとに表面を洗い流すと、コンクリートに含まれた小石が模様として浮かび上がるというもの。気分の良さ、あるいは落着き、続いていた。
 皿洗ってストーブ前。『ドキュメント72時間』。浅草のバッティングセンター。外国人に人気らしい。見たい気もしたが、ちょっと見て、風呂へ。
 夕食中また、(……)の手紙。「(……)」を発行したと。なかなか達筆だな、と思う。文章のなかで、金子兜太の死について触れている。同時に、澤地久枝の本を読んでいて、などと合わせて名を出しているので、(……)という人は結構教養があるのだな、と思った。
 眠かった。風呂に入っていても、目を閉じてしまう。出ると下階へ。手帳にメモを取って、零時二五分頃、床に就く。

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2018/3/1, Thu.

 四時台だかに一度覚めて、しばらくしてから起き上がり、新しい薬の袋を取って、明かりも点けないまま、ベッドの上で服薬した。多分六時くらいからうまく眠れず、夢をちょっと見てはすぐに覚めるということを繰り返していたのだが、そのなかに暴力的な、あるいは少なくとも雰囲気の良くないものが含まれていた気がする。それを引きずっていたのかわからないが、最後に覚醒したあたりでは、また殺人についての思考が勝手に展開していて、「殺す」とか「殺したい」とかいう言葉が抑えようもなく脳裏に湧き、しかもその対象として漠然と想定されているのが両親であるものだから、恐ろしくなった。あるいは既に不安が身に生じていたので思考が勝手にそちらのほうに向いたのかもしれないが、ともかく不安があると自分の正気に自信が持てず、自分は本当に両親を殺したいと思っているのではないか、このままだといつか本当に殺してしまうのではないかという方向に頭が向いた。呼吸に意識を逸らしてみようとしてもうまく行かず、思考が繰り返しそちらの方向に戻って行くのだが、こうして不安を感じているということは自分はまだ大丈夫なのだなと思い、不安を受け入れるようにしているうちに心が落着いて行って、先ほどのものは脳の誤作動による妄想であると払うことができた。こうしたことを考えても不安を感じなくなったらいよいよ自分は危ないのではとも思ったが、むしろ不安が生じなければ、正気を保って妄想だとして簡単に払いのけられるような気もする。
 あまり解釈をするのも良くないのかもしれないし、精神分析など最終的な答えはないに違いないのだが、こうした症状というのは、他者を尊重したい、他者と協調したいという自分の気持ちから来ているような気がする。それは裏返せば他者を傷つけたくない、他者に危害を加えたくないということなのだが、不安神経症的性向によって、その気持ちが、そうしてしまったらどうしよう、というようなものに変質しており、その最も極端な例として妄想されるのが親しい家族の殺害ということではないのだろうか。
 また、テレビを見たり他人と接したり、ともかく何かの情報を受け取るなかで、それに対して意地の悪いような見方や言葉、批判的な捉え方が自動的に、即座に頭に浮かんでくるのも気に掛かる。以前もある程度はそうだったのかもしれないが、これもやはり、他者に対してあまり悪いような見方をしたくない、良く捉えたいというような気持ちの裏返しなのかもしれない。両価性というものとはちょっと違うのかもしれないが、自分の思考が二極のあいだで次々と移り変わっていくような感じがある。ただ、悪いほうの見方が浮かんでも、そこに感情や不快感が伴っていないことは確かである。とは言え、頭がそんな状態だから、自分の感情というものもよくわからなくなってきている感じがする。もっとも、こちらのレベルの症状に関してはもうわりと慣れた。
 あの頃は自分の頭がおかしかったけれど、今から考えると単なる馬鹿げた妄想だったな、と言える日が来ることを切に願う。
 上のようなことがあったので、起きていって母親と顔を合わせるのもちょっと怖いようだったのだが、ともかくも寝床を抜けて上階に行った。母親に挨拶をして、ストーブの前に座って温まり、洗面所で嗽をすると、アスパラガスとベーコンを炒めて米の上に載せた。それに加えて、前夜に作った味噌汁の残りで食事である。母親は、料理教室の仲間と美術館に行くとのことで、そろそろ出かける頃合いだった。食後、風呂を洗ってからストーブの前に座っていると、真っ赤なコートを着て服装を調えている。前夜から夜通し降っていた雨は既に止んでおり、床に腰を下ろしているあいだ、雲はまだ多いがその薄くなった隙間を縫って陽が射してきて、母親は洗濯物のタオルをベランダの軒下に出した。
 白湯を持って下階に下りる際、階段で行き合わせた母親が、行ってくるねと言うので、気をつけてと返して自室に戻った。九時前から日記を書き出し、ここまで記して九時二三分である。

読書に入る。初め、お天気雨。じきに陽が出て、頬にじりじりと熱いくらいになる。近所の屋根が眩しく発光。濡れた屋根から蒸発。流れる。梅の樹の枝、白く光沢を帯びる。引っ掛かった粒が震えて、色が赤や黄に変わる。
時たま陰りながらも、いつか雲は晴れて、陽射しのある晴天が続いた。正午過ぎまで読み続ける。ウルフはまもなく読み終えて、若竹。
外に出たいような気持ち。しかしその前に、ギター弾いてしまう。音読のあとか、指がよく動くような感じ。それから、外に。出るとちょうど、道の先から、ハイキング的な格好の集団が歩いてくる。家の南側へ。植木の並びとアサガオのネットのあいだに立つ。暖かな陽気。雨のあとの沢の音。女子中学生が帰って行く。陽射しは身体の右方から当たってくる。じきにしゃがむ。驚くほどに滑らかな空気。鼻で吸っても。何の抵抗もなく軽い。見れば、小さな虫。オレンジ色の羽虫。翅を広げて飛び、アーチ状のやつに乗る。目を離した間にいなくなっていた。見下ろせば、蟻や蜘蛛が湿り気の残った土の上。
屋内に戻る。鼻がむずむずしはじめていた。昼食取ることに。洗濯物も出しておく。タオル類を。昼食は、ベーコンとハムにエリンギ炒めることに。米がなくなる。すべて丼に。その上に炒めたものを乗せる。あとは即席の味噌汁とゆで卵。
食後、自室へ。また読書することに。二時過ぎまで読み、一旦上へ。米を新しく研ぎ、洗濯物を入れて畳む。アイロンも。この時、先ほど出せばよかったのだが、バスタオルの一枚や肌着類などを出していなかったので、出しておく。
室へ戻ると、日記読み返し。また、音読の効用も検索。三時半頃になって先ほど出したものを入れに。戻ってくると、(……)のブログを読む。音読のおかげなのか、この時気分が明るいようになっていた。それでさらに読もうと、四時からまた読書へ。五〇分ほど読み、一日で一気に読み終えてしまう。
『おらおらでひとりいぐも』。語り手の脳内に複数の「おら」の声が溢れるという設定は、設定だが、自生思考に悩まされるこちらとしては他人事と思えない。こちらのそれは複数の自分がいるのではなく、あくまで自分が独り言を言っているという感じだが。話しかけてくるという感じもしない。読書中、なぜだか頻繁に涙を催し、声が詰まって読めなくなる時があった。最後のほうは特に。理屈はわからないが。感情移入というか、言葉の内容が現在の自分の身に迫って、というような感じだろうか。涙が出るたびに呼吸を意識し、感情を抑え、ふたたび読み出すことを繰り返す。それでも時に抑えが聞かず、零すこともあったが。
五時から日記。まずこの日をメモ。
日記。六時過ぎで中断。上階へ。電灯点ける。カーテン閉める。満月見える。風呂もつける。食事。ゆで卵と即席の味噌汁。味噌汁を味わうように。ゆっくりと啜り、飲む。
下階へ。歯磨き。ティク・ナット・ハン読みながら。母親帰ってくる。口ゆすいで上へ。荷物あるが、姿ない。靴下履いて室へ。着替えていると、母親来る。慈悲の心を持ちたいと思う。風が吹いたね、と母親。そうねと受ける。それで葉が落ちたのをいま掃いていたと。

2018/2/28, Wed.

 三時四〇分くらいに覚めて、一一時二〇分に寝たから四時間二〇分ほどかと睡眠を計算した。服薬して寝付き、最終的に八時半頃まで眠って、九時間の長い眠りとなった。上階に行く。父親に挨拶してストーブの前に座ると、父親はまもなく出勤して行った。母親も料理教室に出かける日である。食事は、煮込んだ素麺があると言う。しばらくしてから立ち上がって洗面所に行き、嗽をした。そうして鍋の素麺を温め、丼に流し込んだ。
 卓に就くとゆっくりと食べる。葱や牛蒡、人参などが混ざって、煮込まれすぎてくたくたになった素麺である。食べ終えて皿を洗い、風呂も洗っているところで母親は出かけて行った。こちらはその後、掃除機をフロアに掛けて、下階に戻る。
 インターネットを少々覗いてから、ここまでさっと綴り、一〇時過ぎである。今日は高校の同級生である(……)と立川で会う約束がある。待ち合わせは一二時だったが、今しがたメールが来て、一二時半でと変更になった。こちらとしても出かけるまでに読書の時間が取れるのでありがたい。
 そうして、ヴァージニア・ウルフ/御輿哲也訳『灯台へ』を一一時まで音読した。陽射しが顔に当たって心地良く、もっと読みたい気もしたのだが、そろそろ支度を始めなければならなかった。ベッドの縁に腰掛けて、Oasis "Wonderwall"をゆっくりと口ずさんだ。音読のおかげなのか、気分がちょっと明るいようになっており、呼吸の感覚も軽くなっているのがわかった。
 空色のズボンを履いて上階に行き、吊るされていたシャツを手に取るとともに、仏間に入って青い靴下を身につけた。そうして部屋に戻って着替えを完了する。シャツ以外は前日と同じく、カーディガンとモッズコートを羽織った格好である。そうして出発した。
 坂に入りながら、風が吹いてもあまり寒くないななどと思っていたが、正面から吹き募ってくるとやはり少々冷たくて、モッズコートの前を閉めた。街道に出る間際、前日に続き、紅梅に横目を送りながら表へ出る。街道を進んで裏道に入る前、八百屋の旦那が道の向こうにいるのが見えた。アレグラFXを服用して家を出たのだが、裏通りを行くあいだに鼻がむずむずしはじめて、くしゃみもいくらか出た。それでも前日よりはましだったようである。駅に着く頃には収まっていた。
 電車は一番前の車両に乗って、座席に就き、瞑目して時間を過ごす。あいだの印象は特には残っていない。立川に着くと、便所に寄ってから改札を抜けた。(……)の姿はすぐに見つかり、近づいていき、挨拶を交わした。(……)はスーツ姿だった。夕方から、(……)の仕事があるのだと言った。スーツの下にセーターを着て、ネクタイなどもなかなか洒落た格好のように思われた。とりあえず飯を食おうということになり、駅ビルの上層階に行くことに決まった。ビル内に入って、エレベーターで上って行く。フロアを回ったなかから、「(……)」という店に入ることに決まった。
 カウンターに通された。店員の威勢と愛想の良い店である。(……)はうどんのセット、こちらは生姜焼きのセットを注文した。米と味噌汁とキャベツを細切りにしたサラダがついており、生姜焼きの肉の下にもモヤシやキャベツがふんだんに入っていた。左右に並んで、仕事のことや近況などを話したのだが、細かく覚えていないので、この日話したことを書くのは、のちの喫茶店での部分に譲ろうと思う。(……)は結構すぐに腹が満たされたようで、おかわり自由のサラダを、おかわりするどころか手をつけず残していたので、それをこちらが代わりに頂いた。
 このあとどうするかと言うと、(……)が靴を見たいと言って、ちょっとそのあたりをぶらついてみるかとなった。それで退店すると、同じフロアをうろつき、雑貨店でボールペンを眺めたり、書店をちょっと冷やかしたりした。(……)は靴のほかにもカードケースが欲しい様子だった。フロアを降りるとABCマートを見、また財布などの揃った店を見分し(ここではこちらも、TAKEO KIKUCHICalvin Kleinのものなどを手に取って眺めた)、それで喫茶店に行くかということになった。エスカレーターを降りて行くと、駅通路内に続く駅ビルの出口付近に、何やら店舗が用意されている。革製品がずらりと広げて並べられていたのだが、キャラクターものなどもあって、(……)はそれに目を留めて、許可取ってんのかなと洩らした。それでちょっと眺めていると、店員の女性が、版権を取って作っていますと、我々の会話を聞いていたかのような言葉を向けてきて、今それについて話してたんですよと(……)は応えた。まったくの勝手なイメージなので正誤はわからないが、アイヌ民族の工芸を連想させるような色調や雰囲気の製品で、スマートフォンのケースや財布などもあり、買うつもりはなかったのだが、物珍しいようで少々眺めていると、女性が話しかけてきた。本店も立川内だが、駅からは少々歩いたところにあると言って、地図の載った紙を渡してくれた。こちらは、礼を言いつつ、持ち合わせがないので、という言葉で逃げて駅ビルの外に出た。
 喫茶店は、(……)に行ってみようと決まった。入店すると、二階は埋まっていたが、一階の隅に空いているスペースがあったのでそこに入り、ジンジャーエールを注文した((……)も同じものを頼んだ)。それで飲み物を啜りながら、会話を交わす。

(……)の仕事のこと。課長。
女性関係。
3Bのこと。四月の同窓会。
四時過ぎに退店。青山で靴を見てもいいかと(……)。出ると、曇っている。しかし寒くはない。ちょうどいいくらいの気温。道渡って、入店。(……)、脚のサイズを調べる。店員に手伝ってもらって。二六がちょうどよいと判明。その後もちょっと見るが、元々買う気はなかったようで、出る。そうして駅へ。
別れて、ストール巻く。電車も調べて、五番線が(……)行きに繋がると。便所行ってからホームへ。乗る。扉際。向かい、険のあるような目つきの子ども。私立の小学生だろうか。短パンに丸い帽子。スマートフォンで何か調べたりしている。発車して、(……)で、電話。声は高く、頼りないようで、あどけなかった。
呼吸を意識しながら外を眺めて過ごす。(……)あたりで、雲の広がった空の果てに、下端に、仄かな陽の色味。家々の屋根に見え隠れし、はっきりと窺える時が一度もなかった。(……)から座って、残りちょっとを瞑目する。
乗り換え。扉際で待つ。降りる。梅に目をやりながらホームを過ぎる。
帰宅。鍵が開いている。入ると、父親いる。服を着替えている。母親は帰宅していなかった。米のスイッチ入れておく。こちらは室におり、読書。六時になると、上階へ。洗濯物を片付けていると父親入ってくる。まだ何も作っていないと言い、風呂を点けてと頼み、食事の用意へ。最中に母親帰宅する。