2019/2/9, Sat.

 九時二五分起床。九時頃だったか、母親が、もう雪が積もってきているから早く起きて行ったほうが良いんじゃないと(医者に行く予定だったのだ)部屋に来た時があり、それで第一の目覚めを得たのだったが、寒さや意識の重さのためにすぐには起床できず、布団のなかに潜り込んで唸り声を立てたりしたのちに床を抜けたのだった。さすがに、寒気が格別だという感じがした。ダウンジャケットを寝巻きの上に羽織って上階へ行き、ストーブの前に立ってちょっと身体を温めてから台所へ。焼豚とブロッコリーを合わせたものが皿に入れられてあり、ほか、前夜の鶏ガラスープの残りもあった。米をよそって卓に就き食べているあいだ、母親が、ロシアにいるT子さんから送られてきたMちゃんの画像や動画を見せてくれる。家に帰るのが嫌で、地面に這いつくばるようにして顔を地に向け動かない図だった。そうして薬を飲み、皿を洗うと自室に戻って、Twitterなどちょっと覗いたり、Takuya Kuroda "Promise In Love"(Jose Jamesの曲で、彼が歌っている)を歌ったりしたあとに電車の時間を調べると一〇時二九分だかがある。それで行こうと身支度を調え(前々日に買ったばかりの新しい茶色のズボンを履いた)上階に行くと、母親も石油を買ったり、あるいは場合によっては医者に行ったり(身体のあちこちがとにかく痛いらしい――しかし医者でレントゲンなど撮っても骨に異常はないと言われるだけなので、神経から来るものではないかとこちらは言った)するので乗せていこうかと言う。どちらでも良かったのだがまあ甘えるかというわけで母親の準備を待つのだが、彼女は医者の診察券が見つからないと言ってそのあたりをごそごそと探し回って一向に出発が来ない。しかし文句を言わずに立ち尽くして待っていると、結局診察券は財布のなかに見つかったのだが、このあたり母親はもう注意力散漫になって来ていると言うか、頭の働きが衰えてきているような気がするのだが、将来はことによると痴呆になってしまうかもしれない。そうしたらこちらが世話をしなければいけないわけで、それは気の滅入るような未来図だ。そうして出発、降るものは雪などとは言えず、薄い雨になっていて、それもほとんど消え入るような幽かなものだったので傘は持たなかった。ポストの上や車の上には朝方降ったものが既にうっすらと積もっている。ポストの上のその雪を指で少々弄って搔き乱し、水場のバケツに張られた氷にも触れたが、これはさほどの厚みがなくて指で押せばすぐにぱり、と割れてしまう程度のものだったから、寒気もまあそれほどではないのだろう。しかし今冬一番の寒さであることは間違いない、最高気温は二度と新聞に記してあった。車に近寄ると、鼻から出てきた吐息が途端に白く染まって、湯気のようにあたりに広がって、自分の吐息の形が如実に視覚化される。助手席に乗って、ディスコ調の音楽が流れるなか、河辺へと向かう。ワイパーを動かすと雪の欠片が転がって落ちる。市民会館跡地では交通整理員が膝を頻りに曲げては伸ばしていて、あの人らも寒いだろうなと思われた。会館跡地前を右に折れて、千ヶ瀬のほうから河辺へと進んで行く。そうしてファミリー・レストランの向かいで下ろしてもらい、路地に入ってNクリニックを目指す。空気は顔に冷たく、やはり今冬一の寒波だと感じたが、モッズコートの前を閉めてストールも首に巻いていればがたがたと震えることにはならない。降るものは変わらず幽かに舞い散るのみである。クリニックの前まで来ると、通りの先の小学校でサッカーか何かやっているらしく、「子供は風の子」という言葉に似つかわしく賑やかな声が聞こえていた。ビルに入り、階段を上って行き、待合室に入ると受付に挨拶して診察券と保険証を差し出す。保険証を返してもらうとソファの端に腰掛けて、斎藤松三郎・圓子修平訳『ムージル著作集 第八巻 熱狂家たち/生前の遺稿』を読みはじめたのが一〇時四五分だった。こちらの前には三人ほどしかおらず、待ち時間はさほど長くはなかった。一一時三分に呼ばれて、時計を確認しながら扉をノックし、診察室に入ってこんにちはと言う。革張りの椅子に鷹揚に腰を下ろし、いつも通りどうですか、調子はと訊かれるので、まあ、変わらず良いと、と答える。三週間の処方だったが四週間ほど時間が空いていると言われたので、出かける機会が結構多くて、夜に飲まないことがあったのだと返す。先日も、二月五日から七日ですか、京都から友人がやって来まして、三日間、行動を共にして、その三日は朝に飲んで夜は飲まないという形だったんですが、それで特に問題はなかったと思います。そうですか、活動的ですね。かなり良くなってきたと。はい。日記は書いていますか。書いています(と強く頷く)。活動的ですね(と先生は繰り返す)。はい、ただまあ、こちらの感覚としては、やはり感情の動きなどは以前よりも希薄になっている気がするんですが……しかし、そのおかげで、と言いますか、緊張しなくなったり、パニック障害の症状もほとんど出なくなったので、まあ……悪いことではないのかな、と考えてはいます。処方は三週間だったところを四週間にすることになった。飲み方は、ひとまず以前と変わらず朝晩の二回。たまたま飲めない日があっても大丈夫だろうが、せっかく安定してきたところなので、安全策を取って行こうということになった。それで礼を言い、立ち上がって扉に寄り、失礼しますと会釈して外に出る。本を仕舞ってすぐに会計し(一四三〇円)、どうもありがとうございましたと受付にも礼を言ってビルをあとにし、隣の薬局に入った。お薬手帳と処方箋を受け取って番号の書かれた紙をくれたのはU.Aさん、こちらの中高時代の同級生である。以前見かけた時は髪がうねうねとしてパーマが掛かっていたが、今日はストレートになっていた。あちらがこちらが同級生であると気づいているのかわからないのだが、何となく気づいているのではないかという気はする。それでも雑談などは交わさずに、それぞれ局員と患者の役割に徹して紙を受け取ると、席に就いた。ムージルを読みはじめてから待ち時間はほんの僅か、三分ほどしかなかった。呼ばれたのでカウンターに行き、U澤さんを相手にやり取りをする。三週間から四週間に処方が変わっていることを確認し、お変わりはないですかと訊かれたので良くなってきたと答えると、それまで丁寧な口調を保っていた彼女は、うん、良かった、と少々砕けた語調を漏らしてみせた。それで金を払い(二〇八〇円)、薬局をあとにすると、降るものがやや増していた。それでも雨とも雪ともつかない半端な降りである。駅まで歩き、電車の時間を確認すると、一〇分ほどあと、一一時四〇分の電車が奥多摩行きへ接続するものだったので、時間つぶしに図書館に行った。CDの新着棚を見て(SUNNY DAY SERVICEの新作らしきものがあった)、それから上階へ、新着図書の棚には、『ドイツの新右翼』という本があってこれはちょっと興味を惹かれる。その後、フロアを渡って海外文学の区画からイタリア文学をいくつか眺め(イタロ・ズヴェーヴォ『トリエステの謝肉祭』はまだ書庫に入れられず棚にあった)、三五分になったところでトイレに行き、用を足して館をあとにした。駅に戻って改札を抜けるとちょうど電車が来たところで、ホームに下りて即座に乗車する。席に就いて何をするでもなく揺られ、青梅で降りるとすぐに発車する向かいの電車に乗り換えである。青梅ではさらに降るものが増しているように見えたが、このままならば積もりはしないだろうという程度ではある。最寄り駅に着くとちらちらと降るもののなかを歩き、街道から細道に折れて林のなかに入った。林中では周囲を埋め尽くしている落葉や草々に降るものが当たり、空間に幽かな音、せせらぎの比喩を使うには小さすぎるほどの響きが絶えず立っており(そこに鳥の囀りが重なる)、そのなかに包まれているとやはりこれは雨の直線的な打音ではなく、雪のものだなと感じられた。帰宅すると薬をテーブルの上に出しておき、自室に帰って服をジャージに着替え、それからすぐに(正午を回ったところだった)日記を書き出した。ここまで一時間で記して現在は一時二分を迎えている。自分がアマゾン・アフィリエイトに加入していたことを思い出し、昨日、記事を投稿する際に『ムージル著作集』へのリンクを作ってみたのだが、そうすると五回クリックされていた。やはり少しでも金はあったほうが良いので、この試みをまた始め、継続してみようと思う。
 それで腹が減ったので食事を取りに上階へ。冷凍の唐揚げを五つ皿に取り分けて電子レンジに突っ込み(三分加熱)、釜に残っていた米はすべて払ってしまう。そのほか、即席の味噌汁とゆで卵。新聞を読みながら食べ、皿は洗わずに水に浸けて放置したまま自室に戻って、「記憶」記事を読んだ。BGMはTakuya Kuroda『Rising Son』。最新の番号まで読み終えると新たにムージル著作集第七巻や三宅誰男『亜人』からも文言を引いて足しておき、五〇番まで項目を作成してそれも読み、一番最初に戻って八番まで音読した。新崎盛暉『日本にとって沖縄とは何か』の情報はもう結構頭に入ってきていると思う。それで二時半、そこから「ワニ狩り連絡帳」をちょっと読み、さらに、宮台真司苅部直渡辺靖鼎談「民主主義は崩壊の過程にあるのか コモンセンスが「虚構」となった時代に」(https://dokushojin.com/article.html?i=4728)も途中まで読んで三時を回った。引き続き文を読む――今度は斎藤松三郎・圓子修平訳『ムージル著作集 第八巻 熱狂家たち/生前の遺稿』である。部屋のなかは寒く、手が実に冷たかった。それでも、ストーブを点けてベッドに転がっていると眠気が差してうとうととしてしまい、切れ切れの読書になった。意識がはっきりした頃には雪が降り増しており、近所の屋根や畑の上にいくらか積もって、外の風景が白く染まっていた。五時過ぎまで書見を続け、それから食事の支度をしに上階に行った。母親は帰ってきており、居間のカーテンを閉めているところだった。ストーブの前にちょっと座ってから風呂を洗っていなかったことを思い出し、浴室に行って風呂桶を擦って洗うと台所で夕食の準備、まずは自分が放置した皿と炊飯器の釜を洗い、米を三合半新たに用意した。六時半に炊けるように設定すると、もう五時半を過ぎていたので即座に炊飯が始まる。それから肉じゃがを作ろうということになり、玉ねぎを切り(なかが少々腐っていたので部分的に取り除かなければならなかった)、ジャガイモも皮を剝いて三つ切り分ける。ほか、野菜スープのために牛蒡を洗って母親に渡したりしたのち、フライパンで肉じゃが用の野菜を炒めはじめた。四つで一〇〇円だったというシューアイスを一つ頂きながら(結構美味かったが、所詮は二五円の味である)フライパンを振り、途中で投入された冷凍肉が解けてほどけたあたりで水を注ぎ、居間の露芯式ストーブの上にフライパンを乗せた。これであとは自動的に煮込んでくれるわけだ。一方で野菜スープも煮込むところまで進んでおり、あとは鯵を食事の直前に焼けば良かろうというわけで、下階に戻った。Mさんのブログが更新されていたので、自分の日記と見比べながらそれを読み(Sさんなど両方とも読んでいるので、結構比較する楽しみがあるのではないか)、それからここまで日記を書き足した。空腹である。
 昨日読んだErnest Hemingway, Men Without Womenからの英単語メモを以下に。

  • ●12: The two matadors stood together in front of their three peones, ――peon: 召使い
  • ●12: One of them, a gypsy, serious, aloof, and dark faced, he liked the look of.――aloof: 超然とした
  • ●13: Zurito rode by, a bulky equestrian statue.――equestrian: 騎手
  • ●13: 'Lean on him, Manos,' Manuel said./'I'll lean on him,' Zurito said. 'What's holding it up?'――lean on: 脅す / hold up: 遅らせる
  • ●13: Zurito sat there, his feet in the box-stirrups, his great legs in the buckskin-covered armor gripping the horse――stirrup: 鐙[あぶみ] / buck: 雄鹿
  • ●13~14: Then the bull came out in a rush, skidding on his four legs as he came out under the lights,――skid: スリップする、横滑りする
  • ●14: he woofed through wide nostrils as he charged, glad to be free after the dark pen.――pen: 檻
  • ●14: the gypsy ran out, trailing his cape. ――trail: 引きずる
  • ●14: The gyp sprinted and vaulted the red fence of the barrera――vault: 飛び越す
  • ●15: Zurito sunk the point of the pic in the swelling hump of muscle above the bull's shoulder, leaning all his weight on the shaft, and with his left hand pulled the white horse into the air, front hoofs pawing,――swell: 膨れる / hump: 瘤 / hoof: 蹄
  • ●15: The horse, lifted and gored, crashed over with the bull driving into him, ――gore: 突く
  • ●16: He'd stay on longer next time. Lousy pics! ――lousy: 質の悪い

 そうして日記を記して七時を越えると食事を取りに行った。米、鶏ガラで味付けした野菜スープ、肉じゃがにモヤシなどの和え物である。それらを食べているうちに母親が鯵を焼いてくれて、それも白米とともに頂いた。新聞は読まなかった。テレビは、膝痛に効くという食材を紹介しており、生姜・玉ねぎ・牛蒡のうちのどれかがそれだったらしいのだが、答えを見る前に皿を洗って風呂に入った。洗面所に出てきて髪を乾かしていると、父親が帰ってくる前に風呂に入ってしまいたい母親が入ってきて、早く出てくれと言う。それで退出し、台所の炊飯器の脇にラップを敷いて米を取り分け、「錦松梅」の振りかけを掛けたのを手に乗せて、巨大なおにぎりを作っていると父親が帰宅して居間に入ってきた。こちらの手にあるものを見て、何だ、雪か、と笑ってみせるのに、おにぎりだと差し出すと、何だおにぎりかとさらに笑いを深め、それにしても随分でかいなと言ってみせる。こちらも笑ってそれを持って自室に下り、それで時刻は八時だっただろうか。ここから読書時間が記録されているのは、宮台真司苅部直渡辺靖鼎談「民主主義は崩壊の過程にあるのか コモンセンスが「虚構」となった時代に」(https://dokushojin.com/article.html?i=4728)の続きを読んだのだったと思う。以下、引用。

宮台  もう一つ深い指摘がある。ジョナサン・ハイトらの道徳心理学やロビン・ダンバーらの進化心理学に詳しい[木村忠正]氏[『ハイブリッド・エスノグラフィー』]はこう述べる。仲間を大切にするがゆえにフリーライダーや仲間以外の人間を叩き出したがるのは、ゲノム的基盤を持つ自然感情。ところが先の「最終戦争」に対する反省に、トマ・ピケティが指摘した「G(生産の利益)>R(投資の利益)」という資本主義の例外的期間が重なり、「みんなで分けよう」というリベラルな政策が拡がる。政策だけでなく言論の主流にもなって自然感情が抑圧された。その抑圧された層がバックラッシュしているのが現在で、この層はゲノム的基盤を持つ道徳感情に従う潜在的多数派だから、リベラル叩きは永続するだろうと。

木村氏は、この鼎談で何度も取り上げたジョナサン・ハイトの道徳基盤理論も援用します。人間には五つ、最新の説では六つの「感情の押しボタン」がある。弱者への配慮・公平への配慮・聖性への帰依・権威への忠誠・伝統の尊重・自由の尊重。ところが人口学的に比較すると、リベラルな人々は、集団尊重価値である聖性・忠誠心・伝統への反応が平均より極端に小さい。氏はそれを指摘し、仲間の尊重という集団価値に反応しない普遍主義的リベラルは元々例外的で、特殊な条件がない限り多数派にはならないとします。総じて、現在の「右傾化」は一過性の事態ではなく、僕の言い方ならば「エントロピーが高い状態」つまり「よりありそうな状態」に戻っただけ。特殊な条件が与えた「エントロピーが低い状態」が、長く続くと思い込んだ点に知識人の間違いがあった。


宮台  中国は、アメリカと違い、AI統治と信用スコアを全面化しつつある。前者から言えば、ネットを使っていると公安が訪れて「あなたはAIによってマークされた」と連行される。「政治ネタは書いてない」と反論しても「AIの判断。我々には分からない」で終了。AIで得られた情報が優先される。僕の言葉を使えばAIを用いた奪人称化によって統治コストを下げる戦略です。

信用スコアは、人々に損得計算をさせ、道徳心がなくても見掛け上は道徳的に振る舞わせます。やはり統治コストを下げる戦略で、刑務所も取り締り人員も要らなくなります。中国では既に地域によっては、遠隔地の親を世話するとスコアが上がり、不動産取引でトラブルを避ければスコアが上がり、ネット履歴を汚さなければスコアが上がり、交通違反を避ければスコアが上がります。

これは統治コストを超えた問題に繋がります。僕ら三人が家族だったとする。苅部さんも渡辺さんも僕に非常によくしてくれる。本来ならば感謝します。でも、信用スコア社会では「信用スコアを上げるためにやってるのかな」という疑心暗鬼を生みます。マイケル・サンデルアリストテレスを援用して言うように、罰を受けて損するから人を殺さない社会よりも、殺したくないと思うから人を殺さない社会のほうが、よい社会だとされてきました。それはどうなるのか。むろん中国政府に言わせれば、そんな呑気なことを言っていたのでは統治できない、で終了です。


渡辺  マイケル・サンデルの議論に一〇〇パーセント同意はしませんが、サンデルがデザイナーベイビーに反対していますよね。その理由が、今日の議論に繋がってくると思います。人間社会が持つ最後の共通項として、「運」というものがありますよね。たとえば、お金持ちに生まれてきたけれど、運動神経が悪いとか、頭が悪いとか、どこか人と比べて劣った部分がある。そのレベルにおいては、コントロールできない。それが最後の共通項であった。デザイナーベイビーを含むゲノム編集は、そこに人為的に介入できるということであり、最後の基盤さえも壊れてしまう。これは人間社会にとって堪えられない苦痛になるし、共同体としての倫理的な基盤も根本的に崩れてしまう。やはり個人では左右できないところがあることを、最後の平等性の担保として残すべき必要がある。これがサンデルの議論です。アルゴリズムにしても、ゲノム編集にしても、人為的介入によって生じる世界においては、ボトムラインでの社会の共通感覚も壊れてしまう。果たして我々は、そんな事態に耐えられるのか。大きな懸念が残ります。

 BGMとしてはFISHMANS『ORANGE』を流していた。その後、書抜き。蓮實重彦『表象の奈落――フィクションと思考の動体視力』と、福間健二『あと少しだけ just a little more』Carlo De Rosa's Cross-Fade『Brain Dance』Carmen McRae『After Glow』を背景にして打鍵を進めると、一〇時過ぎ。そこから少々娯楽に遊び、一〇時五〇分からムージルを読み出したが、例によってまた途中でうとうととしてしまい、気づくと一時。歯磨きしながらゲーム動画など眺めたあと、また書見をちょっとだけして、二時過ぎに就床した。


・作文
 12:04 - 13:02 = 58分
 18:54 - 19:07 = 13分
 20:47 - 21:03 = 16分
 計: 1時間27分

・読書
 10:45 - 11:03 = 18分
 11:12 - 11:15 = 3分
 13:34 - 14:24 = 50分
 14:33 - 15:09 = 36分
 15:09 - 17:10 = 2時間1分
 17:55 - 18:54 = 59分
 20:06 - 20:47 = 41分
 21:14 - 22:11 = 57分
 22:50 - 25:07 = 2時間17分
 25:45 - 26:06 = 21分
 計: 9時間3分

・睡眠
 2:45 - 9:25 = 6時間40分

・音楽

  • Takuya Kuroda『Rising Son』
  • FISHMANS『ORANGE』
  • Carlo De Rosa's Cross-Fade『Brain Dance』
  • Carmen McRae『After Glow』
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2019/2/8, Fri.

 やはり外出の疲れがあったのだろうか、正午過ぎまで床に留まってしまう。睡眠時間は一〇時間三五分。長い。ダウンジャケットを羽織って上階へ、母親は買い物などの用事で出かけていた。台所に入ると、蓮根と蒟蒻とひき肉の煮物があり、汁物も作られてある。それぞれを温め、米をよそり、ほか、ゆで卵を一つ持って卓へ。新聞を読みながらものを食べる――読んだ記事は、パレスチナ関連のものと、ベネズエラ関連のもの。そうして食べ終えると薬を服用し(あと二回分しかなくなったので、明日何とか午前中に起きて医者に行かねばなるまい)、皿を洗い、仏間に入って前日に母親がYさんから貰ったという多くのクッキーのなかから三つ取って下階へ。自室に戻ると一二時半から早速日記を書く。前日の分である。天気は曇り、昨日に比べるとやや肌寒く、ストーブの温風を足もとに吐き出させる。二時間を書き物に費やし、二時半を過ぎたところで一旦中断して上階に行った。母親が帰ってきていた。ケンタッキー・フライドチキンを買ってきたと言うので頂くことにして(大きいものと小さなものとで一人二つずつだと言った)、小さいスティック状のものを一つ電子レンジで加熱して米をふたたびよそる。そうして鶏肉をおかずにして米を食ったあと、やはりケンタッキーで買ってきたというアイスクリーム・モナカも頂き、それから風呂を洗った。それから緑茶を用意して自室へ戻り、茶を飲んで一服してから、日記の続き。先にこの日の分をここまで書いてしまい、三時四〇分。それから前日の分を引き続き綴る。今のところはまだ六割から七割というところだろうか。BGMはFISHMANS "Walkin'"をリピートしている。
 五時過ぎ、二月七日の日記は完成。大仕事が終わった。それからMさんが前日に言っていた(そして以前ブログにも書いていた)中村佳穂というアーティストを探って、"きっとね!"(https://www.youtube.com/watch?v=DGmQRSUuKFY)を聞いたがこれは確かにやばい。洗練と、その一般的な洗練からちょっと外れた、冒険的な要素の同居がまた一つ新たな洗練の領域を形作っているという稀有な才能だ。オフィシャル・ミュージック・ビデオが作られているわけだが、これがメジャー・シーンの流通に乗っているのだとしたら、日本の音楽もまだまだ捨てたものではない。Suchmosにせよ、ceroやWONKにせよ(この二つはまだこちらは正式に聞いたことがないが)、SIRUPにせよ、洒落た音楽が最近はどんどん出てきていて、一大ムーヴメントを形作りつつあるのではないか?
 それからSさんのブログを、昨夜のうちにちょっと読んだのだが、正式に読む。一九六一年のBill Evans Trioについての感想が相当程度一致していたことは喜びである。その"All of You"についての記事を読んでいる最中、突然、All of Youというのは「あなたのすべてを」という意味ではないかと気づき、はっとした瞬間があった。「細部まで一つ残らずおぼえてしまいたい」という欲望を差し向けるにおいて、これほど相応した曲もないのではないか。「あなたのすべてを愛している」と歌う曲に対して、「あなたのすべてを記憶したい」「あなたのことを一つの隈もなく把握したい」という欲望を向けていたわけだこちらは。こうした曲の意味的な領域を意識することは今までまったくなかったのだが、曲の内容がこちらの欲望の内容をまさしく先取りしていたことに気付かされたわけである。
 ブログを読み終えると上階に行った。ストーブの前にタオルが乱雑に置かれてあったが、まだもう少し乾かすので畳まなくて良いと言う。散歩に出てくると行って、灰色の少しくたびれたような短い靴下を履き、外に出た。道を行っていると、飛行機の飛ぶ轟々という音が頭上から降っており、左方、南の空に目を上げれば、星も出てはいるものの空の低みには薄雲が窓から射し込む朝の、まだ透明感に溢れる光のように淡く掛かっており、空は全面灰色で、その下にあると道も殊更に薄暗く映る。西の空にほとんど孤のその輪郭しかない月が出ており、良くない視力のためにそれが三重か四重にぶれてぼやけて見えたのが、すぐに林の樹々に姿を隠してしまう。坂を上っていくあいだ、空気はやや冷たく脇腹に寄ってくるが、翌日雪が降ると噂されていても震えるほどの寒さではなく、風も走らない。今冬は本当に暖かく、身が震えるほどの寒気というものをまだ一度も覚えていないように思う。いつもと違って裏路地の途中で、急坂に折れて上って行き、自分の影が路上に濃く映った状態から前方に緩慢に伸びて行き、薄らいで消えたと見る間にふたたび右手に現れて石壁に掛かりながらまた伸びて薄れて行くのを見ながら、梶井基次郎が何かの篇のなかでやはり夜道を歩いて電灯や月に映される自らの影を描写していたなと思い出した。

 有樂町から自分の驛まではかなりの時間がかかる。驛を下りてからも十分の餘[よ]はかかつた。夜の更けた切り通し坂を自分はまるで疲れ切つて歩いてゐた。袴の捌ける音が變に耳についた。坂の中途に反射鏡のついた照明燈が道を照してゐる。それを背にうけて自分の影がくつきり長く地を這つてゐた。マントの下に買物の包みを抱へて少し膨れた自分の影の兩側の街燈が次には交互にそれを映し出した。後ろから起つて來て前へ廻り、伸びて行つて家の戸へ頭がひよつくり擡[もたが]つたりする。慌[あわただ]しい影の變化を追つてゐるうちに自分の眼はそのなかでもちつとも變化しない影を一つ見つけた。極く丈の詰つた影で、街燈が間遠になると鮮かさを增し、片方が幅を利かし出すとひそまつてしまふ。「月の影だな」と自分は思つた。見上げると十六日十七日と思へる月が眞上を少し外れたところにかかつてゐた。自分は何といふことなしにその影だけが親しいものに思へた。
 (『梶井基次郎全集 第一巻』筑摩書房、一九九九年、59~60; 「泥濘」)

 そうして表に出ると車の流れに引かれるようにして風が駆けており、さすがに冷たく面の皮が張るようで、耳も痛くなりそうだったが、やはり身を震わせるほどの威力はなかった。街道沿いに行って、八百屋のトラックが停まっている肉屋の脇で右に折れ、薄暗い木の間の坂に入った。下りて出るとふたたび輪郭だけの細月が三重四重に刻まれて夜空に現れていた。
 帰宅すると自室に戻り、他人のブログを色々と読む。そうして七時を越えると食事へ。ケンタッキー・フライドチキン、米、マカロニサラダ、モヤシやレタスのサラダ、茸やあれは何なのだろう練り物の入った煮物、鶏ガラを使ったスープ(豆腐・葱・ワカメなどの具)。新聞から日韓関係の悪化について追った記事を読みながら食べ、隧道マニア廃道マニアの女性が出ているテレビもちょっと眺めて、食べ終えて皿を洗うとそのまま風呂に入った。さっさと上がり、室に帰ると今度は「ウォール伝」を読み、そうして九時前から日記を書き足して現在九時一五分。FISHMANS『ORANGE』をBGMにしていたが、やはり"気分"の格好良さは格別である。
 引き続きコンピューターの前に就いて、Ernest Hemingway, Men Without Womenを書見。Mさんの日記が楽しみで、いつ更新されるかとたびたび彼のブログをわくわくと確認しながらの読書だった。この時調べた英単語はたくさんあるので、メモはひとまず後回しにする。一〇時過ぎまで五〇分読み、そこから一一時にふたたび読書を始めるまで日課の記録に空白があるので、そのあいだは何かしらインターネットサーフィンをしたり娯楽に触れたりしていたらしい。一一時から斎藤松三郎・圓子修平訳『ムージル著作集 第八巻 熱狂家たち/生前の遺稿』を読みはじめた。一時間。「無愛想な考察」を読み進めていて、批評とまでは行かない、誰も注目しないような身の周りの物事に対する一種のエッセイのような感じなのだが、ムージルの論理は合間に頻繁に小さな飛躍が挟まると言うのか、論理の結合が緩いような、余白が多いような感じで、文脈に沿って言わんとすることを理解するのが難しい。一時間読み、日付替わりも済むとそろそろMさんのブログが更新されていたのだと思う。ただ実際に読みだすまでまた一時間ほどの空白が差し挟まっている。そうして腹が減ったので両親の寝静まった家内を忍び足で上階に行き、「麺づくり」のあんかけ醤油味を用意した。湯を注いだのを自室に持ってきて、三分ほど待ったあと粉末スープと液体スープをともに投入し、それを啜りながらMさんの日記を読んだ。二月五日、SさんやWさんと会食を持った日の記事で、これが当然のことだがやはり長く、読み終えるのにちょうど一時間掛かった。それで二時二〇分、そろそろ眠気も差していたが床に移ってムージルをまたちょっと読み進めてから、二時四五分に就床した。
 書き忘れていたが、零時から一時のあいだに短歌を三つ作ったのだった。以下に掲載する。

 美しい破片となった時間だけ投げて散らして一人で遊ぶ
 ナイフ持て世界の心臓貫いて流れ出た血で罪を清めよ
 黄昏に行くあてのない幽霊は動物たちにキスして消えろ


・作文
 12:36 - 14:34 = 1時間58分
 15:29 - 17:16 = 1時間47分
 17:23 - 17:26 = 3分
 20:49 - 21:14 = 25分
 計: 4時間13分

・読書
 17:50 - 18:10 = 20分
 18:32 - 19:13 = 41分
 20:21 - 20:44 = 23分
 21:16 - 22:06 = 50分
 23:02 - 24:03 = 1時間1分
 25:18 - 26:18 = 1時間
 26:22 - 26:42 = 20分
 計: 4時間35分

  • 「at-oyr」: 「感謝/驚」; 「Prego! Prego!」; 「All of You」
  • 「晩鮭亭日常」: 「消えたトンカツ。」; 「極楽までに何買える。」
  • 「悪い慰め」: 「日記(2019-02-05)」; 「いつかの日記(だったもの)」
  • 「思索」: 「2月3日2019年」; 「2月6日2019年」; 「2月7日2019年」
  • 「ウォール伝、はてなバージョン。」: 「キリスト教に目覚めていく私。その5。」
  • Ernest Hemingway, Men Without Women: 12 - 16
  • 斎藤松三郎・圓子修平訳『ムージル著作集 第八巻 熱狂家たち/生前の遺稿』: 52 - 64
  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2019-02-05「郵便となったわたしが届きうるすべての宛名を愛している」

・睡眠
 1:30 - 12:05 = 10時間35分

・音楽

2019/2/7, Thu.

 たびたび覚めつつ、一一時まで寝床。空には太陽が収縮しており、顔のあたりにも薄陽が射していたが、空は雲混じりで屈託のない快晴とは行かないようである。今日は昭和記念公園を散歩することになっているので、その点少々残念だ。ダウンジャケットを羽織って上階に行くと、母親は墓参りで不在である(今日は母方の祖母の命日なのだ――もう五年になる)。台所には、くたくたになった幅広の煮込みうどんと、鮭のホイル焼きが用意されてあったので、それぞれを温める。そうして卓に行き、食べながら、新聞は何故か上手く読めず、ドナルド・トランプの一般教書演説についての記事の冒頭を瞥見したのみである。食べ終えると皿を洗い、薬を服用し、洗面所に入って整髪ウォーターと水道水をともに頭に掛け、寝癖を直したそのあとに風呂も洗った。そうして自室に戻って日記。
 一時間半綴って、一時過ぎを迎えた。そこでそろそろ支度をしなくてはと中断し、FISHMANSを流しながら着替えるのだが、収納に適当なシャツがない。それで、グレーのイージー・スリム・パンツを穿いて上は黒の肌着のまま上階へ。居間の片隅に置かれたいくつかのシャツのなかから、もう時間がないので一つだけアイロンを掛けることに。赤・青・白のチェック模様のやつである。その一枚だけアイロンで処理して皺を消去し、着ると部屋に戻って荷物を調えた。出発である。玄関を開けると柵に傘が干されてあったのでそれを仕舞ってから道に出た。途端に柔らかな陽射しが精霊のように背から触れてくる。坂に入るとガードレールの、湾曲部に溜まってずっと長く帯のように引かれた土汚れが初めて目につき、その彼方から届いてくるざわめきに引かれて視線を上げれば、深緑色の川がところどころに白波を生んでいる。FISHMANS "ひこうき"を脳内再生しながら坂を上って行き、平らな道を行きつつ前日も目にした蠟梅に視線を向けると、昨日は気づかなかったがその脇に椿が一本、小さく生えており、蠟梅の枝と黄色の花の隙間から樹上に灯った一つの花が見えて、作句の回路が働いた――「蠟梅に椿隠れて一つ紅」。立ち止まって即座に手帳にメモを取っていると、首すじにかなり暖かな温みが乗ってくる。歩き出しながら目を上げれば、街道の向こう、白い、事務所のような家の二階に布団が干されており、それがひらひらと風に乗って軽く持ち上がっており、こちらのいる道に流れてくる風も緩くほどける。紅梅の、枝と花の作る網状組織に目を向けながら表に出ると、まもなく北側に渡った。そのまましばらく歩いていき、途中で裏路地に入ると老人たちが立って談笑している。四人いるなかの、一人を除いて皆杖をついていた。その向こうから緑色のゴミ収集車がやって来て、その脇を過ぎ、それが背後に遠く離れていくにしたがって穏和な静けさが道に忍び入り、軽い風も流れ入ってきて、林のほうからは鳥のいたいけな囀りが届いてきた。
 青梅駅着。掲示板を見ると一時五四分発東京行きがある。改札を抜ける前に、いや通る前に、券売機でSUICAに五〇〇〇円をチャージ。すると電車の発車時刻まで残りは一分、改札をくぐると小走りになって階段を下り、上りは一段飛ばしで上がっていく。三号車あたりから乗って先頭車両へ移動して、席に就いてメモを取りはじめるとまもなく発車した。字の乱れを気にせず、揺れに乗せるようにして赤いボールペンを紙上に滑らせ、福生を過ぎたあたりで記録を取り終えた。道行きの残りも少ないが、斎藤松三郎・圓子修平訳『ムージル著作集 第八巻 熱狂家たち/生前の遺稿』を読み出した。『生前の遺稿』中の、「無愛想な考察」に入っている。「形象」はほとんど表面的に観察されることの描写のみだったと思うが、「無愛想な考察」はその名の通り一種の考察であると言うか、「ドアと門」や「記念碑」などほかの人があまり注目しないようなものを取り上げてムージル独特の批評眼のようなものを垣間見せている気がする。「ドア」に関する色々な種類の慣用句がちょっと面白かったので以下に引いておく。

 ドアはかつて全体の一部として家を代表した。そのことは入居した家や建てた家が、所有者の地位を示すことになったのと同じ理屈なのだ。ドアは特権階級の社会へはいりこむ入り口で、それは新参者が誰であるかによって開いたり閉じたりした。通常ドアの開閉しだいではやくも新参者の運命が決まってしまった。しかしドアはまたそれと同様に、無能な男の役にも立った。そうした男は外に出るとうだつがあがらなかったが、自宅のドアの内側ではすぐに父なる神のひげをはやすことができた。そんなわけでドアは一般に好まれ、一般的な思考のなかで活発な任務をはたして慣用表現になった。高貴な人びとは自宅の「ドアをあけたりしめたり」して、歓迎の意をあらわしたり拒絶したりした。そして一般の市民はそのほかに、掛金からはずした「ドアをいきなり家のなかへ持ちこん」で、やぶから棒に不愉快な用件を切りだすことができた。また市民は「ドアが開いているのに走ってつきあけ」、無駄な力を費やすこともあった。さらに「ドアと蝶つがいのあいだ」で、そそくさと自分の用件をかたずけたり、「自分の家のドアの前や、あるいは他人の家のドアの前を掃い」て、自分のことに責任をもったり、あるいは他人におせっかいをやくことができた。さらには門前払いをするために「ひとの鼻先でドアをバタンとしめ」たり、出ていけと命じるために「ひとにドアを指さす」ことができた。いやそのうえ市民は腹をたてて「ひとをドアから放りだす」ことがあった。これらの表現は人生との豊かな関係をあらわした。それにこれらの関係は写実性と象徴性のみごとな融合を示している。言葉がこれほどみごとな融合を生みだすのは、私たちにとってなにかがとても重要な場合に限られる。
 (49; 『生前の遺稿』; 「Ⅱ 無愛想な考察」; 「ドアと門」)

 立川着。降車して改札を抜け、北口の広場に出て植え込みの縁に腰掛けた。そうしてMさんにメールを送っておき、ムージルをしばらく読んでいると、じきに彼が、左方からつまり街のほうからやってきた。昨日の日記はまだ書いてないよなと訊く。さすがにまだだった。しかし七割くらいはもう書いたと答えると、Mさんはまだ淳久堂に行ったあたりだと言う。いや、淳久堂で本を見ているあたりだと言う。「四天王」について記述するのに手こずったらしい。Hさんは三時頃になるという話だった。それでは待ちがてらまた喫茶店に行きましょうか。PRONTOには一昨日行ったので、じゃあ今日はあちらに行きましょうかとエクセルシオール・カフェのほうを指し示す。それで歩き出し、階段を下り、すぐそこのカフェへ近寄るとMさんが、ここ来たことあると言う。こっちがカプセルホテル、と角の向こうを指しながら言うので、そうですそうですと答えると、あの最悪のカプセルホテルに泊まった際に、朝、このエクセルシオールで食事を取ったらしかった。入店すると、平日の二時半過ぎのわりに思いの外に混んでいた。それでもフロアの奥に向かい合う小さな丸テーブルに銀色のパイプのついた椅子の席を確保する。注文へ行き、こちらはホットココア(四一〇円)を頼む。対応に当たった若年の男性店員は声が小さく、覇気がないような様子で、それでオーダーが通っているのだろうかと余計な心配をしてしまうくらいだった。品物を受け取って席へ戻ると、Hさんはもう来ると。まもなく確かにその姿が店の入口に見えたので、隣の席に座っていた女性に、すみませんと声を掛け、一人ですかと尋ねる。それで椅子を一つ貸してもらい、小さな丸テーブルの周りに三人集って談笑した。
 何を話したのか、あまり思い出せないのだが――Mさんはこの朝、新宿のルノアールで日記をかたかたと書いていたのだが、そこでマルチの現場ではないかというものに遭遇したと言う。中年男性と、水商売上がりにも見える若い女性とが向かい合っており、男性のほうが、株って言うのは――、投資って言うのは――、などと意気揚々とした様子で語るのに対して、女性は太鼓持ちのように媚びる様子を見せていたと。それでマルチではないのか? と思ったらしい。それを受けてHさんが、これは昨日も言っていたことだけれど、フィクションのような、あるいは自分からは遠い事柄だと思っていたようなことが、東京や横浜にいると現実に身の周りに起きているのだと気付かされて驚くと。Hさんの場合は、働いていた店で議員の誰がどうのこうのとかいう話や、横浜の政治的な事情、抗争のような状況についても聞かされたのだと言う。
 蓮實重彦『「ボヴァリー夫人」論』の話も少々なされた。やはり程遠く離れたところをこともなげに結びつけてしまうその手付きが凄いと。テクストに対するもともとの感知力が蓮實重彦という人はおそらくとんでもなく高く、出てきた主題など、意識せずとも自然と、あれが何度書かれていたな、などと数えられてしまう人なのだと思う。立教大学東京大学での映画論講義でも、例えば窓が五回出てきたとか、扉が三回映されていたとか、そういう主題的な見方に焦点を絞った講義を行っていたと聞いたこともある。もともとのそうした能力の高さに加えて、それでもさらに『ボヴァリー夫人』を途方もない労力を掛けて読み込んでいることが如実にわかる著作だった。昨年の一月三日にMさんと電話で、フローベール文学史的位置づけについて、彼はリアリズムの創始者だと一般には考えられているけれど、実はそうではないのではないか、大きな物語的構造に対する過剰として働いてしまう表象に逆らう細部を描写によって取り入れた最初の人間なのではないかという話をしたのだが、それに類することも書いてあったと報告する。その部分は今ここに引いてみよう。

 おそらく、人は、ここで「表象」の限界ともいうべきものと対峙しなければなるまい。とはいえ、「何も書かれていない本」として構想された『ボヴァリー夫人』が、あからさまに「反=表象」的な作品だと主張したいわけではない。「表象」に背を向けた文学作品など、少なくとも十九世紀においては、想像しがたいものだからである。実際、それが誰にも読める文章からなっているかぎり、表象はいたるところで有効に機能している。問題は、ある時期から――いまや、フローベールからといってもよかろうと思う――、散文のフィクションとしての長編小説に、それを言語的に「表象」されたテクストでしかないと作品をみなす感性にはたやすく馴致しえない細部が繁茂し始めていたという事実にほかならず、シャルルの「帽子」はまぎれもなくそれにあたっている。それを言語の表象作用にふさわしく読めば、チボーデのように、「この縁なし帽は、すでにヨンヴィル=ラベイの生活をことごとく包含している」ということになるだろうが、この帽子は、とうていその一行にはおさまりのつかぬ多様な色彩と形態と素材からなっており、その記述の過剰さをそれにふさわしくたどるには、あらためて「描写」の問題と対峙せねばなるまい。
 (蓮實重彦『「ボヴァリー夫人」論』筑摩書房、二〇一四年、516~517)

 それを受けて、セルバンテスなんか、構造しかないもんなとMさん。フローベールの場合は、例えば上の文章でも触れられているが、冒頭で描かれるシャルルの帽子の描写など、不気味に克明に、無闇に詳細に記述されているが故に、かえって総体としての帽子の姿形をイメージできないようになっている。また、農業共進会の場面で勤続五〇年を表彰される老婆にしても、そこにしか出てこない人物なのに、その手の質感などがやはり執拗に描かれるのだと紹介する。描写のバランスが不均等なのだが、Hさんによるとそれは『感情教育』でもそうした部分がやはりあるらしい。エンマの出産などは、本当に一行で終わっていますもんねとこちら。
 二人の眼鏡を掛けさせてもらう場面もあった。Mさんのものを掛けると、随分と似合う、自然だと言われて写真を撮られる。見てみると、ふてくされたような表情をしている自分である。こちらはもう結構、少なくともMさんと同じくらいには目が悪くなっているようで、彼の眼鏡を掛けると視界が実にクリアになり、遠くのカウンターに立っている店員の姿がぼやけていたのが、その顔つきまでもはっきりと見分けることができた。そろそろ眼鏡を作ったほうが良いのかもしれない。Hさんのものも掛けさせてもらったが、こちらは度がさらにきつかった。
 Fくんそれさ、とMさんがこちらの飲んでいたココアを指して、生クリーム全部飲んでるやん、甘ったるくないのと。大丈夫、胃もたれなどはない。まあお子ちゃまやからな、お子ちゃまの鹿蔵やからなと揶揄される(こちらは青梅に住んでいるのだが、青梅は熊が出没したり奥多摩のほうには多分猿もいたりと東京のなかでは自然が豊かな田舎町で、我が家のすぐ傍にも鹿が出たのを取り上げてそうした渾名をつけられたのだ)。この渾名は元ネタがあって、それはMさんの高校時代からの友人であるFさんという人の祖父が鹿蔵という名前だったらしい。彼は不器用な人で、精神的にも身体的にもそうであるらしく、大学時代など、自転車にただ乗っていて、信号待ちで停まった時に両足を地面についていたのにそのまま横に倒れたという挿話が紹介された。ブラックユーモアを言わせたら天才的だというその彼は今地元の図書館で司書をやっているらしく、そこから、司書の待遇も非常に悪いのだよな、そう言えばこのあいだ、東京の、板橋だったか練馬だったか、どこかの図書館でストライキの計画があったよななどという話も交わされる。
 覚えていてメモできた話はそのくらいである。三時過ぎになるとこちらが、そろそろ行ったほうが良いのではと提案した。昭和記念公園は閉館時間が四時半だかで結構早いのだ。それでトレイを片付けて退店。こっちから行きましょうかと右方を指し、ロータリーに沿って回り、横断歩道を渡って、伊勢丹だか何だかの脇を折れる。途中Mさんが空を見上げて、秋の空みたいだと言う。薄雲混じりだが陽射しが透けてきていた。昭和記念公園入り口の向かいにあるセブンイレブンに寄った。こちらは何も買わず、Hさんはジャスミン茶。最近はジャスミン茶ばかり飲んでいるのは、労働のストレスを軽減させるためだと言う。Mさんが何の飲み物を買っていたのかは忘れた。退店し、横断歩道に並ぶと、近くに身を寄せ合って手を背に回していちゃついているカップルがいる。渡る。門から入る。押し広がる陽射しが眩しい。歩きながら、Hさんは元野球少年だったので、こういうだだっ広いところに来るとどこまで遠投できるかとそういう思考になってしまうと。野球は子供の頃熱心にやっていたようで、兄弟のTさんにノックをして、何で取れないんだとスパルタに怒っていたなどと言うから、星一徹じゃないですかと笑った。パワプロパワプロに乗るって思ってましたもんねと当時の夢を語るHさん。その時何故かこちらは前日に、彼が『源氏物語』の和歌のやり取りをラップのフリースタイルに喩えていたのを思い出して、これは忘れていた、あとで書けるようにメモしておかなければと手帳を出して歩きながらそこに情報を書きつけた(パワプロのこともついでにメモしておいた)。その間、空にはヘリコプターが通っていて、こちらは見逃してしまったが随分低く、近くを飛んでいたらしい。横田ですかねと言う。在日米軍横田基地福生にあって、オスプレイが配備されるとかで反対運動が起こったりしてましたよ。伊勢でも何とか言う自衛隊基地に、先日オスプレイがやって来たのだと言った。
 平日の、それにもう閉館時間が近いとあって人出はさほどではなかった。周囲の人々があまり犬を連れていないのがMさんには不思議と言うか、新鮮だったようだ。田舎だとこんな大きな公園があったら、犬の散歩ばかりだと。彼の宅の周辺では三軒に二軒は犬を飼っているらしかった。券売機へ。なぜか五つ機械があるうちの四つは使用不可となっていて、残った一つに並ぶ。Hさんがこちらの分も合わせて買ってくれた。代金は良いと言うのでありがたく甘えることに。ゲートをくぐって入ると、まず水路と銀杏並木と噴水のある区画である。ここでMさんによって、京都にいた変人、ジョーという人のことが語られた。Hさんが大学時代だかに乗っていた自転車を盗まれて終わったという話から想起されたもので、Mさんがポストカードを作って路上で売っていた時代のことである。鴨川の河川敷で販売していたのだが、そこにジョーと名乗る変な老人がいた。風体が少々異様で、靴に鈴をつけており、黒いパンツにサングラスを掛けていた。やたらと気さくに話しかけて来るのだったが、昔、ジャズをやっていたらしく、ドラムスティックを何故か持ち歩いていて、停まっている自転車のサドルを叩いてそのテクニックを披露する――靴の鈴もしゃんしゃんしゃん、と鳴らしつつ(爆笑)。そのような異様な老人がいるとやはりほかの客は逃げていってしまうのだが、ある時、彼がタロット占いをやったことがあった。蠟燭とダンボールか何かを借りて即席で店を作ってやっていたらしく、やはり風体が異様なので占いとなるとかえって雰囲気があるような感じになって、外国人観光客などが寄ってくる。しかもジョーという人はイギリスにいた経験があって英語も話すことができた。それで一回千円のタロット占いを行い、千円稼ぐと道具を借りていた周りの販売の人に返して、煙草を買いに去っていくとそのような人物だったらしく、サバイバル術が凄いと三人で言い合った。そのジョーさんが、ある時早朝に、Mさんが下宿の外に出ていった際、何故かいて、ばったりと遭遇して、どうも自転車を盗もうとしているところだったらしく手を掛けていたのをMさんに発見されると、おはようございま~す、などと漏らして去っていったと言う。それもまたコンクリート・ジャングルを生き抜いていくためのサバイバル術の一つだったのだろう。
 歩きながら、制服姿の若い女子が多いなという話にもなる。それを見て、年を取ったなと思うのは、彼女らが中学生か高校生かわからないことだとMさん。確かにそうで、今しがたすれ違った女子の集団など、非常に微妙な外見だった。池を過ぎるとまたそうした集団とすれ違って、でも東京もあんなにスカート短いんやね。京都が一番短かったのだと言う。大阪が一番長いんですよねとHさん。そんな話をしながらまた、セグウェイに乗った一団ともすれ違った。中国の大学でもセグウェイが活躍していると言う――と言うか、あちらの大学は広く、移動手段も雑多で、スケボーが通ったかと思えば電動のキックボードのようなものも通り、ローラースケートがいたかと思えば、普通のそれとは違う、何か蟹歩きのような形で、二人で組んで移動するようなものもあるのだと(Mさんはかさかさと足を動かして蟹歩きの様子を実演してくれた)。まさにカオスですねと話しながら「みんなの原っぱ」へ。モンゴルの草原のような広さである(それは言いすぎである)。ついた時点で四時一〇分を迎えており、閉館まで残り二〇分、「みんなの原っぱ」から各出口まで二〇分以上掛かるので、そろそろ移動を開始してくださいとのアナウンスが掛かっていた。それを無視してだだっ広い敷地の真ん中あたりにある大欅へ。巨大な樹の足元、地面に埋め込まれた太い根と根のあいだには、前日の雨が残ったものか、水が溜まっていた。Mさんは『バキ』の話をする。バキが富士の樹海に行って、そこにある巨木に、「お久しぶりです、長老」などと話しかける(笑う)。そこで樹の根元で瞑想を始め、そこから過去編が始まるのだが、それが終わって現在に戻ってくると物凄い時間が流れていて、バキの身に樹の蔓が幾重にも巻き付いてほとんど樹と一体化したようになっているのだとそんな話を思い出したらしい。しばらく大人が手を広げて三、四人分はあろうかという太い幹に触れたり、根の上を歩いたり、周りを回ったりしてから、引き返そうと場を離れた。広場の外縁に向かって歩いていると、男女からなる高校生の一団のなかの男子一人が、うがあー!! と言うか、わぎゃー!! と言うか、そのような咆哮を、身を前に突き出して、あたりを我が物顔に闊歩していた鴉の集団に向けて放って威嚇しており、我々一同、高校生の残りのメンバーとともに爆笑する。『ワギャンランド』思い出したわ、とMさんが言ってこちらも笑う。『ワギャンランド』というファミコンのゲームがあって、確か鰐であるところのワギャンが、咆哮で持って敵を倒していく横スクロール系アクションゲームだったと思う。高校生はその後も何度も咆哮を発しており、Hさんが言うには面白いのは、周りが笑っているのに、叫んでいる当の本人はまったく笑っていないことだと。そう言えば、この時ではなくて「みんなの原っぱ」に着いてあたりを人間に怖じることもなく堂々とうろつき回っている鴉の集団を目にした時だったが、鳥の鳴き声に文法があるということが発見されたらしいという情報もMさんからもたらされた。どこかの研究者がひたすら鳥の鳴き声の音源を聞き込んでそれを解明したらしいのだが、その試みに掛けられた労力を思うと、笑ってしまうようでもあり、敬意を払いたくなるようでもある。
 立川口まで引き返した。門を出る手前に、中年カップルがおり、いちゃいちゃしとるとMさん。そこからHさんのご両親の話に。父君が風俗のサイトを見たりしているのに、母君が嫉妬するのだと言う。Mさんはそれを聞いて母やん若いなと言うのだが、父君の感覚としては細君はもう友人のようなものだと言うか、仮に相手に好きな人が出来たとしてもそれを喜んで祝福できるとそんなようなことを言っているのに対して、母君のほうはそんなことは出来ないと嫉妬するタイプなのだと。門を出て横断歩道の向こう、セブンイレブンバーミヤンが入っている建物の横の、モノレール線路下の広場に繋がる通路のところで、ラクロスクリケットか何かラケットとボールを使って練習している若い男性があった。壁打ちをしていたのだが、何であんなところで、と笑う。バーミヤンの従業員ではないか。休憩中なのか? 笑い。それで横断歩道を渡り、その通路を歩きながら(練習をしていた男性がちょうど我々が近づくと壁打ちをやめて撤収しはじめた――まさか、こちらの会話が聞こえていたのだろうか?)Hさんのご両親の話が続く。父君は自信家であるらしい。仕事は三菱自動車の、結構お偉いさんなのではないか(akari cafeが何か改修中なのか、撤去中なのか、なかが雑多にごみごみとしていた)。ナルシストだとHさんは言う。母君が絶対に自分を裏切らないとそれがわかっているらしく、先の祝福発言もその絶対的な自信から出てきたものだと。それはしかし、万が一浮気されたら弱そうやな、一気に崩れそうやなとMさん。
 高架通路への階段に掛かる頃には、母君の乳癌の話もなされた。癌を患って両胸がなく、それで余計に女性的魅力に自信がないのだと。癌は一応根治したらしくて良かったが、病気の当時、Hさんには気を遣って軽いものだと母君は言っていたけれど、あとで聞いたところでは実際は結構なものだったと。兄弟のTさんはしかし、当時は「菓子パン買ってこい事件」の頃だとMさんHさんは爆笑する。Tさんは、当時好きだった人の好みか何かで、肉をつけたい時期で、菓子パンとクッキーばかり食べて太ろうとしていた、それでお気に入りの菓子パンが切れていることに憤慨して、何で買ってこないんだよ! と母君に叫んだ、そういう事件があったのだと言う。
 そんな話をしながら駅まで戻り、駅ビルへ。衣服を見分することになっていた。まず二階のUnited Arrowsへ。価格帯はなかなか高いほうだが、セールで安くなっているものがあるかもとのことだったのだ。それで店内を見分すると、やはり結構格好良い品が色々あって、ファッション欲をそそられる。黒に近い紺色のスラックスのようなパンツを見ていると、もじゃもじゃとした海藻のような髪の、しかし顔は綺麗な男性店員に、試着してみますかと声を掛けられる。折り畳まれていたパンツをひらいてみると裾の長いやつで、お直しを前提として作られているものでしてと店員。それはそんなに気にならなかったのだが、ほかにちょっと気になったものがあったので試着をすることにした。綿とアクリルと毛の素材の褐色のパンツ、それにLeeの覚めるような青のデニムパンツである。どちらも安くなっているもので、褐色のほうはSサイズとLサイズしかなく、LeeのほうはMサイズがあった。それらを取ってもらって試着室へ。褐色のパンツは、思いの外に、Lサイズでぴったりだった。Sサイズはさすがにきつい。Leeのほうもウエストなどぴったりだったが、これは少々履いていて窮屈なように感じられたので、こちらは購入しないことに。それで店員とも話して、褐色のパンツのほうを頂くことにして試着室から出ると、三宅さんが、やりよったなと。やりよったな無職のくせに、と罵倒されるのでこちらも笑って受ける。二万円ほどの品が五〇パーセント割引になって、一〇二六〇円である。まあ悪くない買い物だったと思う。残りの二人は何も買わないようだった。それで、六階にもう少し価格帯の低い店がいくつかありますから、そちらに行きましょうと。それでエスカレーターを上って行き、六階へ。tk TAKEO KIKUCHIなど見て回ってから、ABCマートへ。Mさんお目当ての白いスニーカーのためである。ナイキのエア・フォースというやつと、Stan Smithのもので彼は迷う。ハイカットのごついやつが欲しかったのだと。両方試着するよう薦めてこちらも脇で見ていたのだが、確かに前者のごつさも魅力的だし、後者の洗練されたデザイン――前部にはStan Smithの顔が描かれ入り、後部の上端には色が顔と同色差し込まれている――Mさんはちなみに緑色の差し込まれたものを選んでいたが、こちらがもし買うとしたら赤にするなと思った――も魅力的だった。顔の綺麗な、やや長髪の、黒髪を真ん中から分けた男性店員と話しつつMさんは、最終的に、やはり前者のエア・フォースのほうに決定した――直感やなと言って。一万四〇〇〇円ほどだったと思う。会計して退店してまもなくMさんは、あの男の子、顔めっちゃ綺麗じゃなかったと言う。確かにと同意。最初は、Mさんの脇に、客に無闇に話しかけずに突っ立っているその佇まいなど見て、新人なのだろうか、まだ客との距離感が掴めていないのだろうかなどと思ったのだが、そんなことはまったくなく、Mさんが質問をすれば的確に答えているようだったし、その話しぶりも落ち着いていて静かな声音で、押し付けがましいところが微塵もなくて、容貌が相当に好感の持てると言うか、希少なタイプの店員だと思われた。
 Mさんが買いたいものも買ったし(とは言え、これで本当に良かったんかなあと、彼は購入後も迷いを見せていたが――エア・フォースは靴の前部に放射状にひらいた細かな穴あるいは破線の模様がついており、そこが少々彼は気に入らなかったようだし、こちらもそれをシャワーヘッドみたいだなどと言って揶揄していたのだ)、飯を食いましょうということで上階に上がった。八階、飲食店のフロアを回って、黒豚の店、お好み焼き、寿司、パスタを売りにしているらしいカフェめいた店などが立ち並んでいるなかで、最後に巡り合った「地鶏や」が良いのではないかと決まって、入店。席に通されてメニューを見、こちらはカキフライと混ざった親子丼、Hさんはチキンカツ煮定食のようなもの、Mさんは、迷いながら、賭けに出るわと言って鶏塩ラーメンと親子丼のセットを選んだ。ラーメン屋でない店のラーメンを頼むということで不味いものに当たる可能性があったわけだが、結果、そこそこの味だったようで、それなりに満足していたのだと思う。
 ここで話されたことも――実に色々と話がなされたのだったが――やはりあまりよく思い出せない。一つ覚えているのは、トマトの良いものの見分け方をHさんが教えてくれたことで、お尻のほうから見て薄白いような筋が放射状に入っているのが、そこに糖分が集まっていて良いのだと言う。普通ならば、赤一色に鮮やかに染まりきっているほうが良さそうだなだとこちらは考えてしまうのだが、そうではないのだと。それを受けてMさんが、秋刀魚は口の先が黄色くなっているものが良いのだと披露すると、Hさんは受け返して、青魚は全般そうで、口のみならず、鯵などは良いものは全体がうっすらと黄色味がかってくる、それを黄金アジ(おうごんアジあるいはこがねアジ)と言うのだとさらに教えてくれた。
 パニック障害の話もされた。Mさんも不安障害を経験しているのだが、「理由のない不安」というのが、知識としては知ってはいても、実際に自分で経験して初めてこういうことなのかと理解されたと。それはまったくその通りで、まあ何の病気でもそうかもしれないが、おそらくパニック障害患者の不安感覚というものを理解できる人間というのは――不安障害を実際に経験したこちらの実感としては――ほとんど存在しない。以前にも書いたことがあるが、何もせずにただその場でじっと佇んでいるということ、その極々普通の事柄が、瞬間ごとに不断の、ほとんど英雄的な闘いとなるような、そんな病気である。そのあたりの神経症への理解というのはやはり世の中おそらくまだまだで、同情を籠めた想像という程度のことすら出来る人は結構少ないと思われる。それで言えばこちらが一昨年、塾で働いていた際にも、トイレにやたらと行きたくなってしまって授業に出られなくなるという生徒が一人いた。彼はさらには、トイレのことを意識するとおならがたくさん出てしまい、それがまた恥ずかしいので悪循環を生んでしまうのだが、おそらくは過敏性腸症候群の一種か何かだったのだろう。そうしたことを教えてくれた同僚はしかし、やはり彼の苦しみが理解できない、想像できないようで、本人が感じているだろうことをその実態より遥かに軽く捉えていたと言うか、同じような症状を経験したこちらからすると、端的に、思春期で自意識過剰なところにそんな病状が出たらほとんど地獄ではないかと思うのだが、同僚たちはやはりちょっと、一種の笑い話のように捉えていたと、そんなことを話す。不安障害が絶頂にある時には、本を読むのも厳しかったという話もなされた。頭が回らないということではない、ある意味で頭が回りすぎてしまう方向の厳しさであり、どういうことかと言うと、ある特定の語や主題や文字列があるだけで不安を惹起してしまうということだ。例えばMさんの場合は、「死」に対する恐怖が強かったので、「死」という文字が書かれているとそれだけでもう駄目だった。こちらの場合は嘔吐恐怖があったので、「吐く」などの嘔吐を連想させる語句が厳しかった、それも嘔吐の意味で使われていなくても――「言葉を吐く」などの用法でも――自動的に自分で嘔吐の方向へと連想回路を一瞬で作り上げてしまうので駄目なのだ。そうした不安障害あるあるも語られた。
 その他の話題は今現在のところ、よく思い出せないし、この三日間、どの日もだいぶ長文の記事を綴ってきたので、Mさんの言葉を借りればライティング・ポイントがだいぶ消費された感じもあって、完全を目指さず多少省略しても良いだろう。店は二時間制だった。それで入店から二時間後の八時に近づいて、九時頃に立川を出ればMさんは夜行バスの時間に悠々間に合うから、それまでまた喫茶店に行こうかということになった。それで会計をして退店し、トイレに寄ってからエスカレーターで下階へ。またPRONTOにでも行きましょうかと提案した。今はバータイムになっているので、ジンジャーエールが飲めますよと自分が飲みたかったのでそう言ったのだが、Mさんもそれはちょうど良いと受け、コーヒーではなくてほかのものが飲みたい気分だったのだと。それで広場を抜け、高架歩廊からエスカレーターで下の道に下り、居酒屋の客引きをいなしながら通り抜けて入店。二階のテーブル席に就く。入店した時から掛かっていたBGMに覚えがあるなと考えると、Jose Jamesの"Live Your Fantasy"(『Love In A Time Of Madness』)だった。それでMさんに、これJose Jamesですよと言ったが、彼はJamesの名前を知らなかったようで、Robert Glasperなどと一緒にやっているボーカルですよと紹介する。こういうソウルっぽいのもやってるんですけど、Billie Holidayをトリビュートしたストレートなジャズなんかもやっていて、結構アルバムごとにコンセプトが違いますね。それを受けてHさんからは、アルファ・ミスト(と言っていたと思うが)というアーティストの名前が提出され、Mさんは両者ともメモを取っていた。ジンジャーエール二つと瀬戸内レモンサワーが注文されたあと、Mさんが初めてRobert Glasperに遭遇したのは、Nirvanaの"Smells Like Teen Spirit"のカバーのライブ映像を見たのがきっかけだったと語られる。それで前回東京に来た時、Fくんに聞いたら、『Double Booked』がいいって言うてたやん、それですぐ聞いたもんな。こちらはどちらかと言えばヒップホップ方面よりは、ストレート・アヘッドなジャズをやったアルバムのほうが好きなのだが、Hさんもやはり、『Double Booked』の方向性のほうが好きらしかった。
 このPRONTOでは、結構音楽に関する話が交わされたようだ。Bill Evansについても話す。昨日の記事に書いたようなことだ。すなわち、一九六一年Village VanguardでのBill Evans Trioというのは、三者がそれぞれの顔を見合わせて「せーの」で合わせているというような感じが全然しない、そうではなくてそれぞれが自分の思う音楽の理想形の方向を向いて自分勝手に演じているそれがしかし何故か、奇跡的に高度な地点で合致してしまっている、そのような印象を抱かせるのだと。この点に関しては、帰宅後に閲覧したSさんのブログで、彼もこちらの印象とぴたりと同じことを書いていたので、やはり彼もそのように感じるのだなと思ったものだが、それをここに引かせていただく。

ビル・エヴァンスの「All of You」を何度でも聴くというのは、あの夕陽のような、明るさと寂しさの混ざったような旋律の下にある複雑な様相に何度でも入り込むということ。ヴィレッジ・バンガードビル・エヴァンススコット・ラファロとポール・モティアンは、まるで相手を意に介さずそれぞれてんでばらばらに勝手に自分のやりたいことだけをやっているような感じで、たまに聴くと、やはりこのトリオはちょっと狂ってるなと思う。とくにスコット・ラファロは、ありえない。右チャンネルと左チャンネルに分かれて二人のフロントマンがそれぞれ別の演奏を同時に吹き込むようなフリー系の演奏というのがあるけど、このトリオはちょっとそれに近い感じもある。逆にこういうベーシストでこういうスタイルのピアノトリオというのが、以降の歴史には存在しないように思われる(勿論僕が知らないだけかも、だが)。あまりにも個性的過ぎて、真似してももはや意味がないのかもしれない。
 (「All of You」(「at-oyr」; 2019-02-06; https://ryo-ta.hatenadiary.com/entry/2019/02/06/000000))

 こちらが昨日の記事に記した評言も並べて掲げておく。

 (……)Bill Evans Trio『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』を久しぶりに流しているが(前夜の日記作成時も流していた)、本当に良い。この世で最高の音楽のうちの一つだ。Scott LaFaroがとにかく馬鹿である。この三者のトリオパフォーマンスを超えているピアノトリオは未だに存在しないと、思わず口を滑らせてそんなことを言ってしまいたくなるほどである。何というか、普通のピアノトリオとは三人の見ている方向が違うように感じられる。尋常のピアノトリオは、三者が互いに顔を見合わせて、互いの呼吸を窺いながらアンサンブルを合わせている、それに対して一九六一年六月二五日のBill Evans Trioは、曖昧な印象批評になってしまうが、顔を見合わせていないように感じられるのだ。三人が同じ一つの方向に向けて視線を送りだしている――いや、三者の視線が交わる一点というようなものが仮構されるのではなく、ただ方角として同じほうを見ている、つまりは三人が横に並んで、皆各々の「前」を見据えているような印象で、だから互いの呼吸を窺って演奏を合わせるのではなく(勿論実際には三者とも敏感に他者の動向を感知しているに違いないのだがそれを感じさせないような仕方で)、三人が三人とも「音楽」、それぞれ「曲」に対して自分の思うところを自由気ままに、ほかの二人のことなど気にせずに演奏しており、しかしそれが何故か偶然にも高度な地点で合致している、そんな印象を感じさせる。

 それでそうしたことを改めて語ると、Mさんが最近読んだ木村敏が音楽の理想形として同じようなことを述べていたと。さらにはMさんはこちらの話を受けて、それはある意味、三者がそれぞれフリージャズをやっているってことだよねと。その通りである(Mさんは自分のその評言を、今の表現どう、良かったやろとHさんに聞き、Hさんはまるで酔っ払いをあしらうかのように御座なりにぱちぱちぱちと拍手をして皆笑うという一幕)。実際、Sさんも上に引いた文章のなかで似たようなことを書かれているけれど、Scott LaFaroはフリー方面の音楽もやっていた人間だし、Paul Motianものちのちアヴァンギャルド方面の演奏家ともコラボレーションするし、Keith Jarrettとの活動などもある。だから六一年のBill Evans Trioのなかには、確実にフリースタイルへの萌芽が見受けられると思う。
 そこからクラシックの話にもちょっとなったのではなかったか。出てきた名前は、エリック・サティモーツァルトドビュッシーである。Mさんはモーツァルトが大好きで、特にそのメロディが、言ってみればJ-POPにも繋がるようなある意味で非常に「ベタ」なキャッチーさを持ち合わせているのに、しかし何度聞いても飽きない、そこが不思議なのだと。それで言えばエリック・サティも似たような、非常にわかりやすい旋律を書く人間だが、モーツァルトと比べるとMさん的には一歩落ちると言うか、やはり多少飽きてしまうような部分もあると。Hさんはしかし、サティが結構好きだったのではないか。「家具のような音楽」という彼の言葉を出してもいたし、Hさん自身も以前、それを援用して「家具のような小説」を書きたいと言っていた時期もあったと思う。彼はほか、ラヴェルの名前も出していて、オーケストラがやはり凄いと言う――そうした話を聞いていると、こちらもクラシックも探求してみたくなるものだ。あとはMさんはドビュッシーの、点描的なメロディが好きだとも言っていた。
 そんな話をしながらMさんがさらに、Brad Mehldauというのは、自分はソロピアノしか聞いたことがないけれど(『Live In Tokyo』など聞いたことあると言うので、あれは僕も好きですと返す)、トリオもやっているのと訊くので、やっていますと。しかしやはり、六一年のEvans Trioとは違いますねと言うと、そうなのと返すので、そのあたり多少説明する。一九六一年のBill Evans TrioはScott LaFaroも相当におかしいし、Motianだってかなりのものだが、一番頭がおかしいように思われるのは一見非常に美しく、わかりやすいようなピアノを演じていて一見一番尋常なBill Evansかもしれず、何がおかしいのかと言うと、あそこでの彼の演奏には一片の迷いも躊躇も窺われないのだ。例えばBrad Mehldauは、彼も確実にとんでもないピアニストである、おそらくは一〇年に一度、三〇年に一度といったレベルの逸材だろう、しかしライブ盤など聞くとやはり、今ここで考えているな、次のフレーズ、展開を探っているなというような間を感じ取ることができる、しかし六一年のBill Evansにはそのような間隙、空白、そうしたものが微塵も感じ取れない(と言うか、あいだに差し挟まれる休符も含めてすべてが完全にコントロールされているという印象をもたらす)。アドリブであるにもかかわらず、まるで自分が次に弾く音を予めすべて知り尽くしているかのような必然性、ほとんど「天上的な明晰さ」とでも呼びたいようなものが六一年のEvansの演奏には満ち満ちており、それが最も異常なところなのだと説明した。
 あとはMさんに、Twitterに呟いているような事柄を、ブログに投稿したほうが良いと思いますよと薦める場面もあった。やはりなんだかんだ言っても強いのはブログの、長文のほうだとこちらは思うし、最近はこちらもTwitterで呟くのはほとんど日記からの抜粋になっている。泡沫のようにすぐに発言が流れて過ぎ去ってしまうTwitterよりも、長文であってもブログに蓄積を積み重ねていったほうがおそらくは届く人間に届く可能性は上がるのではないかと思う(こちらも実際そのようにしてMさんのブログに遭遇し、その試みを真似ていまこうした文章を綴るに至っているわけだ)。こちらも『亜人』や『囀りとつまずき』の感想を書いたり、それをTwitterに流したりして宣伝・布教を図っているが、それがどれだけ効果的かは不明であり、やはり著者本人が本が読まれるような、さらには売れるような文脈づくりをしていくことが肝要だろう。Mさんの日記というのは明らかに面白いし(Sさんなど本当に好きなようで、大ファンである)、本やほかに触れたものの感想など読んでも楽しめる人は、少ないかも知れないが確実にいると思うし、よく書けたと思うところだけでも抜粋して一般公開してみたらと、そうしたことを提案したのだった。
 今のところ思い出せるのはそのあたりで尽きている。九時頃になって、そろそろ帰るかということになった。それで会計をして(Mさんが全額払ってくれた! ありがとうございます)退店し、駅へ向かう。高架歩廊に上がるエスカレーターを見て、これは雨が降ってもこのままなの、それで壊れないんかなとMさんは気にしていた。駅舎に入り、群衆のなかを通っていって改札を抜け、正式に別れの挨拶をしようと思っていたところが、Mさんはじゃあまた、と軽く言ってさっさと東京行きのホームに下りて行ってしまい、こちらは例によって握手をして別れようかと思っていたところが、しかしまあ彼にはそのような大仰な挨拶は似合わず、あのくらいあっさりしていたほうが良いのかも知れない。Hさんとも、仕事の休みが決まったらまた連絡するので読書会をやりましょうと言い合って別れ、こちらは便所に寄ってから一番線のホームに下りた。立ったまま早速、手帳にメモを取る。やって来た電車に乗って席に就き、発車してからはメモを携帯電話に切り替え、青梅までそうして過ごし、降りるとホームを渡って自販機でスナック菓子を二つ買い(一八〇円)、それをクラッチバッグとともにUnited Arrowsの袋に収めると待合室の壁にもたれて引き続きメモを取った。奥多摩行きのなかでも同じくメモを続け、最寄りで降りると帰路を辿る。坂を下りていき平らな道に出て、小さな手を無数に重ね合ったような桜の裸木の枝ぶりを眺めながらそこを過ぎる。夜空は全体に雲が混ざって煙っていた。帰宅すると母親が、このくらいの時間なら良かったじゃないと言う。父親は寝間着姿で左腕を機械に差し入れて血圧を測っていたところからみて、帰ってきたところらしい。自室に下り、コンピューターを起動させ、コートを脱いで吊るしておき、風呂に入ろうかと思ったら父親が先に入っていたので室に帰り、日記を早速書き出した。そうして一一時頃、入浴へ。この日は携帯電話は持たなかった。出るとクッキーを三枚ほど頂いて戻り、買ってきたスナック菓子とともに食いながら、Mさんのブログの更新分を読む。途中で自分のブログ記事も読み返してしまい時間が掛かって、日記に再度取り掛かったのは零時直前である。そうして一時間半打鍵を続け、一時半を迎えるところで眠気と疲労が差していたので就床した。入眠は容易で、寝床でのことが記憶に残っていないくらいである。


・作文
 11:39 - 13:08 = 1時間29分
 22:35 - 22:53 = 18分
 23:57 - 25:26 = 1時間29分
 計: 3時間16分

・読書
 14:08 - 14:24 = 16分
 23:13 - 23:57 = 44分
 計: 1時間

  • 斎藤松三郎・圓子修平訳『ムージル著作集 第八巻 熱狂家たち/生前の遺稿』: 48 - 52
  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2019-02-04「合鍵がどこにもないまま夏になる秋にもなるし冬にもなる」

・睡眠
 1:30 - 11:00 = 9時間30分

・音楽

2019/2/6, Wed.

 眠れなかった。眠りがやって来る気配がまったくなかった――欠伸は一応出るのだが。寝床に就いてから三〇分経っても眠れないので、もう五時になったら起きてしまってまた日記を書こうと決定し、実際起床した。睡眠を取ってすらいないのだが、一応の睡眠というか臥位の時間は僅か四〇分である。しかしそれで辛いとも感じない――不思議なものだ。インターネットを回ってから、五時二〇分からふたたび日記。一時間半。二月五日の記事は引用も含めてだが二九〇〇〇字弱を数えて、これは今までで多分最長ではないだろうか。六時を半ば回った頃には外が明るんで、と言うほど――曇っていて――太陽の感触はないのだが、漂白されたような白い薄水色が空に見えている。
 書いたものを大雑把に読み返しながら固有名詞をイニシャルに変えていくのにまた時間が掛かって(それだけで二〇分余り掛かった)、ブログに投稿する頃には七時半前。今日は既に二時間も日記にかかずらっている。上階へ。母親に挨拶。大丈夫、と。こちらが眠れないでいたのを何となく察したのだろうか、そんなようなことを言ってくるので、大丈夫だと。台所に入っていると仕事着姿の父親も現れたのでおはようと言う。卵とハムを焼くことに。フライパンにオリーブオイルを垂らして、ハムを四枚、卵を二つ、その上に落とす。そうしてしばらく加熱し、米をよそった丼の上に取り出す。ほか、野菜スープをよそって卓へ。母親がそのうちに新聞を取ってきてくれる。ひらき、米国防総省がシリアあたりで「イスラム国」が勢力を取り戻すかもしれないという見通しを発表したとの記事を読む。シリアからの米軍撤退を宣言したドナルド・トランプに対する牽制と言うか、そのような意味合いがあるようだ。外は少々雨降りだった。母親が、「ルクレ」のスチームケースで野菜――モヤシや葱――を温めてくれたので、それも取り分けて食べる(ついでに、メロン味のロールケーキも薄く、二枚切り分けて食べた)。それで食器を洗い、薬を飲んで自室へ戻る。Twitterを覗くとUくんが日記を始めていたので、早速ブログを読者登録した。こちらの営みに感染して始めてくれたのだとしたら非常に有り難い。いつまで続くかわからないと本人は言っているが、既に一つの文体、文の調子というものがあってよろしいように見受けられたし、なるべく続いてくれることを祈る。それから日記の読み返し。一年前――「まだ日なたの残っている表通りを、先ほど帰ってきたのとは逆方向に進んで行く。道中、可愛らしい犬がいたのだが、それを見て、しかしその犬を殺すというような不健全な妄想をしてしまい、やはり自分の頭がおかしくなっているのではないかと恐れを抱いた」。完全に頭がおかしい。自生思考が狂っている。「殺人妄想」とこちらが呼ぶことになる、こうした殺人・殺害という観念の抵抗できない想起が、やはり一番怖く、おかしい症状だったと思う。これはおかしい、異常だという意識が当時もあって、恐ろしくて、この一年前の二月六日の時点では、上に引いた部分は検閲の対象のなかに含んでおり、当時の記事には公開しなかったはずだ。それから、二〇一六年八月三日もさっと読む。そうして「記憶」記事から音読をするのだが、抗いようもなく眠気が差してきて文字がぶれ、たびたび読み間違えるような有り様で(例えば「計画」が「評価」に見えるのだった)、そんな状態だから眠ることにした。床に就いたのが九時頃である。また眠れないかと思いきや何とか寝付いたようで、途中掃除機を操る母親が部屋に来た際などに目覚めつつ、一一時一五分まで眠った。二時間一五分を過ごしたので、このくらいでもともかくも睡眠を取れればまあ体調は安定だろう。起きるとほぼ同時にMさんからのメールが入った。荻窪に何時に集合するかとあるので、二時半ではと送り返し、上階に行って母親と顔を合わせておき、戻ってくると日記に着手してここまで記して正午前。Bill Evans Trio『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』を久しぶりに流しているが(前夜の日記作成時も流していた)、本当に良い。この世で最高の音楽のうちの一つだ。Scott LaFaroがとにかく馬鹿である。この三者のトリオパフォーマンスを超えているピアノトリオは未だに存在しないと、思わず口を滑らせてそんなことを言ってしまいたくなるほどである。何というか、普通のピアノトリオとは三人の見ている方向が違うように感じられる。尋常のピアノトリオは、三者が互いに顔を見合わせて、互いの呼吸を窺いながらアンサンブルを合わせている、それに対して一九六一年六月二五日のBill Evans Trioは、曖昧な印象批評になってしまうが、顔を見合わせていないように感じられるのだ。三人が同じ一つの方向に向けて視線を送りだしている――いや、三者の視線が交わる一点というようなものが仮構されるのではなく、ただ方角として同じほうを見ている、つまりは三人が横に並んで、皆各々の「前」を見据えているような印象で、だから互いの呼吸を窺って演奏を合わせるのではなく(勿論実際には三者とも敏感に他者の動向を感知しているに違いないのだがそれを感じさせないような仕方で)、三人が三人とも「音楽」、それぞれ「曲」に対して自分の思うところを自由気ままに、ほかの二人のことなど気にせずに演奏しており、しかしそれが何故か偶然にも高度な地点で合致している、そんな印象を感じさせる。
 それから「記憶」記事に引いた書抜きを音読。二回ずつ。それで一二時半を迎えたので服を着替える。今日はベージュのややたっぷりとして、黒い星のような手裏剣のような模様のついたズボン。上は白シャツに、カーディガンは前日と同じもので、モッズコートの装いを取る。流れていた"All Of You"を最後まで聞くと上階へ。ストールを巻き、リュックサックを背負って出発。雨降りである。黒い傘を差して歩き出すと自宅のすぐ近くに警備員が立っている。市民会館前で行っている道路工事を通行者に知らせる役割らしい。ご苦労さまです、大変ですねえ雨が降っちゃってねえと気楽に話しかけると、今日で終わり、と返してくる。頑張ってくださいと言って通り過ぎ、坂に入る。上って行き、平らな道に出て、ガードレールの向こうの斜面に生えている蠟梅の、雨に濡れながら咲きほころんでいるのに目を向けながら歩く。街道前でも同じように、紅梅が灯しを広げているのを見やりながら表に出て、すぐに北側に渡る。路面が濡れているので車の走行音が増幅されて、空間を一枚の紙として破るような勢いである。裏路地へ。平日の午後なのに高校生とすれ違う。それからまた、中学生らしき姿もあるので、入学試験の願書提出か何かかと思ったが、しかしその後はふたたび高校生らがやって来る。途中、南天の赤い葉や垣根の枝の下端にビー玉のような露が膨らみ引っ掛かっているそれを見ながら、傘の上に跳ねる雨音を聞く。鼻で呼吸をしていても、吐息が自ずと白く濁って漂う気温である。学生らと多くすれ違いながら駅へ。駅舎に入って改札を抜け、ホームに出ると、まだ雨が降っていたので屋根の下に留まり、立ったまま手帳にメモを取りはじめた。電車がやって来ると例によって二号車の三人掛けに就き、引き続きメモを取る。発車してからも列車の振動に揺らされて字を乱しながらメモ書き。終えると斎藤松三郎・圓子修平訳『ムージル著作集 第八巻 熱狂家たち/生前の遺稿』を読む。マスクをつけていながらも、ごほごほと咳き込んでいる女性がおり、ほかにもマスク姿が多くて、インフルエンザをどこかから貰いやしないだろうなと恐れられる。ムージルの『生前の遺稿』中「形象」は、最後の篇である「ペンション「ニンマーメーア」」というのがなかなか良かった。あるペンションのオーナーの夫人や従業員や、そこに集う人々の人間模様が描かれる――しかし人間模様とは言っても、「関係」ではない。記述されるのは外見、衣服、容貌、言動などで、集まる人々は互いにあまり関係を持たないし、それが深く掘り下げて描かれることもなく、当然ドラマや物語性も皆無で、ただただ表面的な事柄が羅列されているだけの素っ気ない筆致なのだが、しかし描かれている人間像が奇妙に面白いのだ。例えば次のような調子である――ヴィースバーデン出身の婦人について。

 (……)わずかにまだおぼえているのは、彼女が縦じまのスカートをいつもはいていたことだ。そのため彼女は、アイロンのかかっていない白いブラウスがうえにつり下がっている、木製のいでっかい柵のようにみえた。彼女が口をひらくと、それは異議をとなえるためで、たいていそれはほぼつぎのような調子でおこった。例えば誰かが、オッタヴィーナは美しい、と言ったことがある。「そうね」――とその婦人は言って、即座につけたした――「高貴な古代ローマ人のタイプね」。そのとき彼女はその場にいるひとをうなずかせるように見つめるので、見つめられた方としては否応なく、世の成りゆきの確かさを維持するために、彼女の誤りを訂正しなければならなかった。なぜなら女中のオッタヴィーナはイタリア中部のトスカーナ地方の出身だったからだ。「そうね」――とその婦人は答えた――「トスカーナ地方の出身よ。でも古代ローマ人のタイプだわ! 古代ローマの女性はみんな眉間の下にくぼみがなく、ひたいからまっすぐにのびる鼻をしていますもの!」 ところがオッタヴィーナはトスカーナ地方の出身というだけでなく、ひたいからまっすぐにのびる鼻も持っていなかった。(……)彼女は船でアフリカ巡りをしていて、日本へ行くことを望んでいた。この話と関連してある女友達について語ったが、その友達はビールグラスを七杯も飲みほし、四〇本のタバコをすうとのこと。婦人はその女性のことをとてもすてきな仲間と呼んだ。そんなふうに話すときの顔は、おそろしく自堕落にみえ、広すぎる顔面に口と鼻と目が細長い斜めの切れ目をつけた。少なくとも、アヘンをすっているのではないかと思われるほどだった。しかし彼女は自分が観察されていないことを感じるとすぐに、とても実直な顔つきになった。その顔はもうひとつの自堕落な顔のなかにかくれていたが、それは小さな親指太郎が一歩で七マイルもすすむでっかい長靴にひそんでいるようなものだった。彼女の最高の理想はライオン狩りをすることで、私たちみんなに、ライオン狩りをするにはものすごい力が必要だと思いますか? とたずねた。勇気ですよ――と彼女は言った――勇気ならたっぷり持ちあわせています。でも私ははたしてつらい苦労にもたえられるでしょうか? (……)
 (37~38; 『生前の遺稿』; 「Ⅰ 形象」; 「ペンション「ニンマーメーア」」)

 二時一〇分過ぎに荻窪着。エスカレーターを下りて改札を抜ける。空腹だった。それでキオスクで、「チョコづくし」というパンを買い、案内地図の横に立って食べる。食べ終えるとMさんにメールを送っておき、ふたたびメモを取りはじめた。そのうちにMさん、やって来る。開口一番、あれ書かんといてくれる、と。MさんのPコートの毛玉のことである。左腕の部分に毛玉が結構ついていたとこちらが書いたのを気にして、電車に乗って来るあいだずっとぷちぷちと毛玉を引き抜いていたのだと言う。もう読んだんですかとこちら。随分早く書いたねと言うので、徹夜したと言う。風呂から出たらもう一時だった、そこから書きはじめて三時間、四時を回ったところでさすがにそろそろ眠らなくてはと床に就いたが眠気が一向にやって来なかった、それで四〇分間横たわったあとにまた起きて書いたのだと。しかし、九時から二時間ほど一応眠りはした。Mさんは、二時間半ほど眠れなかったと言った。SさんやWさんとたくさんのことを話したので、彼は人と多く話したあとの眠り際にはいつもそうなるのだが、頭のなかに声の残響のようなものがぐるぐると回って寝付かれなかったと。それだけ興奮していたのだ。腹減ったと言うので、あそこでパンを売っていますよとキオスクを指すとMさんは買いに行き、おにぎりを入手して戻ってきた。Hさんも来れるかもしれないとのことだった。それで、ささま書店に行くのは彼が来てからにしようとのことで、ひとまず喫茶店に行くことになった。南口から駅を出る。エスカレーターに乗っているあいだ、Sさん、イメージ通りだった? と訊いてくる。概ね文章の印象通りだったと。Mさんはもっと大人しい人かと思っていたのだと言う。チャーミングな人でしたねと言うとMさんも同意して、仕草がねと言い、浅田彰を思い出したと口にした。雨はもうほとんど降っていなかった。それで傘は閉じて路地へ。少し先に看板を見つけて、あそこにタリーズがありますねと口にする。ドトール・コーヒーも向かいにあったが、タリーズ・コーヒーはほとんど行ったことがないので、そちらに入ることに。入店すると、西武信用金庫が併設された店舗で、公民館みたいやねとMさんは言う。入り口から左方、一人掛けが並んだ区画に入り、四角い小さなソファ椅子に横並びで就くことに。荷物を置き、品物を注文へ。Mさんはコーヒー、こちらはココアラテのトールサイズ(四五〇円)。マグカップを受け取って席へ戻り、会話を始める。
 Hさんは同居しているTさんがインフルエンザに掛かってしまい、彼の看病をしなければならないと言って、来れないような雰囲気だったのだが、誘ってみると、Tに断りを入れて行く方向で動いてみますと。この返答に彼の律儀さが表れていた。それで会話は、時系列順を無視して書くことにするが、まず牧野信一。こちらにせよMさんにせよ、牧野信一という人は以前から気になっており、読んでみなくてはならないと思っている――と言うのも、『群像』だか『新潮』だかの企画で、古井由吉大江健三郎が百年間の短篇小説を読むということをやっていた際に、二人揃って一番良かったと評価していたのが、牧野信一の「西瓜を喰ふ人」という篇だったのだ。ささま書店にありますよ、と言う。全集の三巻があったのを以前来た時に目に留めていたのだ。しかしMさんは、青空文庫で読むわと。
 続いて三島由紀夫三島由紀夫中上健次と同列に並べて論じる向きは何なのかねとMさん。そうした場合の三島は思想によって評価されているのであって、小説家としては中上健次のほうが断然上だというのは、蓮實重彦なども言っていた。Mさんは『仮面の告白』を相当昔に読んで、印象に残っていると言う。当時はまだ彼も本というものを読みはじめたばかりの頃で、まだいわゆるエンターテインメントといわゆる純文学の区別もついていないような時代である。それで『仮面の告白』は、ご存知同性愛を扱った作品であるわけだが、作中、高校か中学の体育の授業の場面が出てきて、そこで主人公の意中の男子が鉄棒にぶら下がる。その時に、脇毛がもさもさと生えているというのを、細かい、茂みがどうのこうのといったような比喩も用いた執拗な描写で描いていて、こいつおかしいんちゃうかと思ったと、それが印象に残っているらしかった。こちらは三島は、『岬にての物語』という短編集を読んだことがある。全体的にあまりぴりっとしなかったが、表題作はそのなかでもなかなか良かったような記憶が残っている。描写が具体的で、力のあるものだったのだ。三島はこれを書いた当時、多分一九歳かそこらだったと思うのだが、一九か二〇でこれだけ書けるのかとその力量に感心した覚えがある。三島は多分一六歳くらいから書いていて、『岬にての物語』には一番最初に書いたくらいの若書きの篇も含まれていたのだが、若書きのそれは――と溜めを作って――糞でした、と端的に告げると、Mさんは爆笑した。観念を弄んでいるだけの、糞な作品でしたと繰り返す。ほかにはこちらは、『中世・剣』という講談社文芸文庫から出ているものを読んだことがあった。「中世」の篇は、いかにも美麗な、擬古文調と言うのかそういった文体で、室町時代の将軍の話で、やはり同性愛を主題として扱っていたはずであり、また亀が何か小道具のような使われ方で出てきていたような覚えもかすかにある。
 志賀直哉。Mさんが、床屋の話を紹介してくれた。完璧主義者の床屋がいた。舞台設定は営業最終日である。最終日の最後の客がやって来て、顔剃りをする。今までずっと完璧にこなしてきたところが、最後の最後のそこに至って床屋はちょっとしたミスをしてしまう、つまり客の顔を微かに傷つけてしまい、血が滲んでしまった――それを見た床屋は我慢ならず、剃刀で喉を搔き切って死んでしまうと、そういう話があるらしい。Mさんはこれを友人のFさんから昔聞いたようで、当時はまだ彼も文学の読み方というものがあまりよくわかっておらず、アフォリズムを蒐集するような断片的な読みをしていたと言うそのなかで、このような全体の展開を面白がる読み方があるのだと気付かされて新鮮だったという話だった。
 島崎藤村。『千曲川のスケッチ』という作が彼にあったと思うのだが、それがこちらは気になっていると。題名から推測するにおそらく風景に特化した作品なのではないかと思われ、こちらやSさんの路線に近しいものがあるのではないか。Mさんは、『死の棘』は昔読んだが鬱々としていてそんなに好みではなかったと話すので、『死の棘』は島尾敏雄じゃないですかとこちらが突っ込むと、彼は目を見開いて気づき、俺、昨日から記憶やばくないと笑う。島崎は『破戒』か。あの人も妹だったか誰か肉親と関係を持った、そういう人なんですよね。
 昨日のコートええね。あれがバルカラー・コートですよ。何か、近所のおばちゃんに褒められたやつ? 思い当たることがなかったのだが、こんなにええ男なら彼女いるんでしょって、と聞いて、Tさんかと笑った。隣家に一人暮らしの九八歳の老婆である。いつも行き会うといい男だいい男だと褒めてくれるのだ。そこからMさんが京都で住んでいた森田アパートの大家さんの話にもなった。何と存命だと言う。先日Mさんが奈良で外教仲間とあった際、森田アパートにともに住んでいたKさんという方がいて、積極的な人でMさんから大家さんの息子さんの電話番号を聞き出してその場で連絡を取ったらしい。一〇一歳。しかしさすがにホームには入っていると言った。Tさんは、呆れたね、というのが口癖なんですよ。自分がまだ生きていることに対して呆れたね、って言うんですよと話すと、Mさんは笑う。もう一つ、明日のことはわからない、ともいつも言っています(しかし実際は、九八にもなると今日のこともわからないようなレベルだろう)。そうした老人の、自分の迫る死期をネタにした自虐がMさんは大好きだと言った。
 Mさんの服は、昨日書かなかった下半身について言うと、濃く締まった緑色のズボンに、ややハイカット気味の茶色のシックな靴。のちに合流したHさんのほうは、あれはスウェット風という言い方で良いのか、柔らかそうなソフトな質感のズボンに、上はさらさらとした素材の沈んだ緑色のパーカーだった。
 何かの拍子に出雲大社の話にもなった。出雲大社と言うと、オオモノヌシですかね(しかしこれは間違いで、実際にはオオクニヌシだった――ややこしい)。そこから、大津透『天皇の歴史1』を読んで得た知識をちょっと披露する。スサノヲの子孫にあたるオオモノヌシ(ではなくて実際はオオクニヌシ)が「葦原の中つ国」、要は地上の世界を統治していたのだが、そこに天照大神がいきなり介入してきて、この地上の国は我が子孫が治めるべき国だ、などと言い出す。アマテラスは再三、オオクニヌシの元に神を送って交渉するのだが、しかしあまりうまく行かない。それでも最終的にオオクニヌシはアマテラスの要求を受け入れ(これを国譲りと言う)、代わりに出雲大社を建てて自分を祀るように要求したとそういう話だ。そこから『古事記』の話にもなった。イザナキとイザナミが最初の神だと思っていたらそうではなくて、その前に既に一〇人(いや、一〇体と言うべきか)くらい神がいるんですよ。しかし何故かその神々がことごとく、「身を隠して」しまうんです(と笑う)。そのあとにイザナキとイナザミが生まれ、一〇体の神の意志によって、「この漂える大地を固めなせ」などと言われて、矛でもって海水を「こをろこをろ」と搔き混ぜる、その矛の先から滴り落ちた塩が積もって出来たのがオノゴロ島である。そこに天の御柱という柱を立てて、その周りを回りながらまぐわい、性交渉をする、それでもって大八島、要は日本列島が生み出されるわけですが、この時、最初は女のイザナミのほうから声を掛けたんですけれど、それだとうまく行かない。しかし次に、男のイザナキのほうから声を掛けると成功する、だから日本最古の文献、物語に既に、言ってみれば男尊女卑的な考え方が組み込まれている、そのあたり面白かったですね。
 そう言えば小さなことだが、昨日の記事にこちらはSさんの父君の出身地である波切を島根県だと書いてしまったのだが、これは三重県の間違いだった。どうも、Mさんが「志摩ね」と言ったのを、「島根」と聞き違えたらしい。そんな笑い話もあった。
 そのような話を色々としているうちに、Hさんから連絡は来ているかどうかと言及されたのだが、それとほぼ同時に彼から電話が掛かってきた。東改札の南口です、とこちらが横から補足し、今から我々もそちらに行くわ、ということに。マグカップを返却棚に置いておき、退店。路地の入り口に背の高くマスクをつけた姿がある。Hさんである。近寄って握手をし、お久しぶりです、会えて嬉しいですと言うと、何ですかその定型文的な言い方はと笑われてしまった。それでささま書店に向けて歩き出しながら、Hさんの新しい仕事の話を聞く。彼は和食の料理人である。新たな職場は自由が丘にあって、YOUTUBEに魚を捌く動画か何かを上げている人のところだとは前にも聞いていた。その人は、ベンチャー企業の社長みたいな、開拓精神溢れる人間であるらしい。しかし、周りの同僚連中はどうやら「雑魚」ばかりであると、それまで丁寧な口調で話していたのに、急に「雑魚」という罵倒語を使って口が悪くなるところにMさんは大いに笑っていた。それなので、そこでのし上がって行き、料理長の片腕あたりのポジションにすぐさま入り込んで技術を盗んでやろうと、そのような闘争心を燃やしているらしく、そのあたりHさんは自分でも以前と変わったところだとも言っていたし、双子の兄弟のTさんからも、お前、変わったわと言われたらしい(何でちょっとがっかりされているんですかとこちらは突っ込み、笑った)。
 そうこうしているうちにささま書店に到着。店外の一〇〇円や二〇〇円の棚に既に、エリ・ヴィーゼルの『夜』があったり、アナイス・ニンの文献やヘンリー・ミラーの全集や、昭和天皇独白録などという本が見られる。なかへ。文庫を見る。前回来た時は、ルソーの岩波文庫の『告白』があって、それを買おうと思っていたのだったが、なくなっていた(代わりに『エミール』ならばあった)。Mさんに、断章形式の良いものとして、サム・シェパード中勘助を薦められる。ほか、最後のほうにも金子光晴の『詩人』を薦められ(Mさんがいままで読んだ散文作品のなかで五指に入ると絶賛していたものだ)、どれも安かったので、即座に、買います、買います、買いますと答えていると笑いが起きる。文学や文庫を見たあと奥に。文庫を見ているあいだにそう言えば、Hさんと、Uくんが言っていた仲違いの件について話したのだが、彼にも心当たりはないようだった。どうもデモの現場で騒がしいなかだったし、聞き違えたのではないか。それで奥の人文学系の棚を隅から隅まで見分する。エルンスト・ブロッホ『未知への痕跡』というこれも断章形式の作品が、五〇〇円で安かったので買うことに。あと、文庫からはボードレール『人工楽園』というのを発見した。これはロラン・バルトが講義録のなかで触れていた文献である。哲学に話を戻すと欲しかったカンギレムの『正常と病理』が一五〇〇円であるのも見つけ、これも当然買うことに。そのほかアドルノ『ミニマ・モラリア』やバルトの『記号学の冒険』も前回来た時に目をつけていたので買うことに。そして今回の来店の最大目的、パスカル全集二巻五〇〇〇円である。歴史学や神学の文献にも興味深いのが色々あったし、それで言えばみすず書房から出ていた『ユダヤ人の歴史』というのが五〇〇円で安かったので買おうかとも思ったのだが、荷物が多くなってしまうので見送った(それでも充分多く、重くなったわけだが!)。ほか、アーサー・ヤングのフランス革命期の紀行文など。購入したものの一覧を以下に。

中勘助『犬 他一篇』: 150
ボードレール/渡邊一夫訳『人工楽園』: 200
金子光晴『詩人 金子光晴自伝』: 400
サム・シェパード畑中佳樹訳『モーテル・クロニクルズ』: 300
エルンスト・ブロッホ/菅谷規矩雄訳『未知への痕跡』: 500
ロラン・バルト/花輪光訳『記号学の冒険』: 800
テオドール・アドルノ/三光長治訳『ミニマ・モラリア 傷ついた生活裡の省察』: 2000
・ジョルジュ・カンギレム/滝沢武久訳『正常と病理』: 1500
・『メナール版 パスカル全集 第一巻 生涯の軌跡Ⅰ(1623~1655)』
・『メナール版 パスカル全集 第二巻 生涯の軌跡2(1655~1662)』: 5000
 計10冊: 11718円

 店には一時間半弱くらいいただろうか。退店すると視界の果て、西の空に粒子の集合めいた淡い残照の色が浮かんでいる五時半である。ファミリー・レストランにでも行って、ちょっと軽くつまみながら腹が減ったところで飯を食おうということになった。それで道を戻り、先ほどの路地にふたたび入るとすぐ目の前にガストがある。入店。ひとまずサラダだけ頼もうということで、アポカドとシュリンプ(海老)のサラダを注文。取り皿に分け合って食らう。その後、Hさんはあまりお腹が減っていなかったようでビールのみを頼み、Mさんはビーフシチューオムライスのようなもの、こちらは鮪のたたき丼を頼んだが、これが思いの外に、鮪が色の悪い、くすんだようなもので、味もまあそれなりだった。そうして最後に、つまめるものとして山盛りポテトフライを注文し、それがやって来たのとほぼ同時に、隣の席に老人が一人入ってきた。こちらの足元にあった本の袋や、ソファに凭せかけていた傘をどかすと、どうも、どうも、と老人は低く小さく呟く。彼からはちょっと悪臭が漂い出していた。何というか、公衆便所のような臭いで、それで見てみればズボンが汚れていたようにも見えた。漏らしたのだろうか? とも思ったが、さすがに違うとは思う。彼はサラダや白ワインやポタージュなどを注文して、ゆっくり、身を縮めて噛み砕くように食べていたようだ。ポテトを旺盛につまみながら一方で、異臭でこちらは気持ちが悪くなったりしないだろうかとちょっと不安を感じていたのだが、しかし段々と慣れてきてそんなこともなかった。
 ここでも色々と話した。『囀りとつまずき』の話が出た時には、前日電車のなかでも話したことだが、「もの」「こと」という表現をなくしたと。「~~することを」ではなくて、例えば「食事をするのを」などという風に書くようにした。また、「人が」と「人の」の違いにもMさんは敏感で、『囀り』の時には、例えば「人が通る道」とするのではなくて、「人の通る道」というようにしていた。それもこれも、「もの」「こと」を使ったり、主格の「が」を用いたりすると、どこまでが主部なのかが如実にわかってしまう、ブロックが固まって明示されてしまう、それが嫌だったのだと。しかし最近ではそのあたりの判断は緩くなったようで、『双生』の推敲では、もともと「の」にしていたところを「が」に直したりもしているらしい。
 Mさんが最近読んだ『ダークウェブ・アンダーグラウンド』の話。どういう本なのか? アメリカ右翼の精神史を追うようなものらしく、現在、オルタナ右翼などの新たな、と言って良いのかわからないが、潮流が出てきているわけだが、それに一応、精神史的な裏付けがあるのだと。つまり、アメリカはもともとイギリスにいたピューリタンが本国で迫害されて新大陸に渡り、そこで建国したものである。したがって、そもそもの起源からして、上からの禁止・抑圧に対する反抗として出来たような国家であるから、そうした精神性が民衆のあいだに根付いている。一方で人種差別、女性差別などの問題もあって、昔からポリティカル・コレクトネスに関してはやかましく言われてきた国でもある。そうしたなかで、いわゆる「リベラル」な価値観による一種の「禁止・抑圧」に対して、激しいバックラッシュとして噴出したのが今のオルタナ右翼などの動向だと言えると思うが、それも精神史的にはある種、カウンター・カルチャーとしてのアメリカの伝統を体現している、そのような見取り図を提供し、そうした流れで見ないと今の現象は理解できないのではないかと忠告している本らしい(結構こちらの理解に意訳してしまったが)。オルタナ右翼の連中が思想的源泉としているのがニック・ランドという研究者で、彼は民主主義など駄目だということを主張しているらしく(だからと言って全体主義が良いとも言ってないんやけど、とMさんは注意深く補足した)、だから一応アメリカの現象にはまだしも「思想的源泉」が存在している。それに対して日本のいわゆるネット右翼にはそうしたものがない、そこが大きな違いではある。界隈が持ち上げているであろう百田尚樹などもとても思想家、作家などとは言えないただの反動であると。
 Hさんが、『源氏物語』の和歌をラップに喩える一幕もあった。彼は谷崎潤一郎訳で『源氏物語』を読んでいたらしいのだが、途中で、韻を踏んだり洒落を取り入れたりしているのなど、これラップやっているのと同じじゃんとなって飽きてきてしまい、読み通せなかったと。人間は昔も今も同じようなことをやっているものだと思ったと。この喩えは面白いし、頷けるものでもあった。
 帰路に携帯にメモを取りながら帰ったのだが、このファミレスで話した会話についてはそれほど思い出せず、メモもあまり豊富には取れておらず、今のところ想起できるのはそのくらいとなっている。Mさんがじきに、コーヒー飲みたいなと言い出したので(中毒だと笑う)また喫茶店に行きますかとなった。それでトイレへ行きたいと言って、Hさんが先に席を離れる。そのあいだ、こちらの日記を書くスピードが速いな、という話になった。四時間半で三万字と言うと(実際には引用を含むのでもう少し少ないが)、七五枚か、とMさんは計算して、速いな、と言う。Hさんが戻ってくると入れ替わりにこちらがトイレに行き、戻ってくると『双生』の原稿を読んでいた。こちらも、変じゃないかどうかと言われてちょっと読ませてもらったのだが、読点が適宜入っていてリズムが整えられており、むしろ読みやすいのではないかと述べるとMさんは、よし、これで良い、と安心していたようだった。
 それで会計をして、喫茶店へ。一度はドトール・コーヒーに入ろうと思ったのだが、席に空きがなかったので、ふたたびタリーズへ。ふたたび先と同じ区画に三人で横並びになることに。こちらは今度はブラッド・オレンジジュースを注文した(四五〇円)。ここでは猥談めいた話が少々交わされた。Hさんが恋人とまだセックスをしていないというのが発端だったと思う。ファミレスでも性交渉をしていないと言っていたのだが、Mさんはそれを冗談だと思っていたらしく、本当だと知って大層驚いていた(こちらは別に驚きではない――最近では性交渉を持たないカップルも増えてきていると聞いたことがあるし、また、こちらに恋愛経験がまったくないので、そのあたり実感が湧かない部分もある)。Hさんは恋人といても、そういう気分にほとんどならないらしい。対象として見る目が発生しないと。性欲も以前より薄くなったとも前から言っており、そのあたりも関係しているのだろう。ちゅーしとったらしたくなるやろ、とMさんは言うが、あまりそういうこともないようだ。今どき珍しいと、Mさんは言い、彼は中国で二日に一回くらいは自慰をしていると言う。旺盛である。Hさんの話を聞いていると、中国に行ってまでVPN使ってAV見ているのが恥ずかしくなるわ、と。こちらも、恥ずかしくていちいち書いたりしないが、射精は時折りしているのだが――最近読み返している二〇一六年の日記には、「ポルノを視聴し、射精した」と直截に書かれていることが多い。ちなみに「自慰」という言葉を余り使わないのは、そこに含まれているまさしく自己慰撫のニュアンスよりも、「射精」という即物的な表現の乾いた散文性のほうが好ましいからだ――以前と比べて全然気持ちよくなくなったと話す。精神科の薬をずっと飲んできたからというのが大きいのだろう。それでHさんの恋人との出会いは、行きつけのクラフト・ビール・ショップだったと言う。そこのマスターとお互い仲が良く、仲介してくれたような形らしい。飲む人はそれがあるからええな。こちらとMさんは下戸である。こちらは文学好きの女子にはモテるだろうと、それがMさんの評価である。面も悪くないし、どっしりと構えているしとのこと。文学が美術で、音楽好きの女子はあまりこちらに相応するタイプではないとの見方だった(何故なら音楽好きは結構ちゃらちゃらしているのが多いからと言う)。
 文章と実際の人柄の一致および乖離という話にも、昨日に引き続きなった時間があり、それで言えばこちらの文章は「おじいちゃん」だと、その点二人とも一致しているようだ。今はまだしも、ほとんど話すような調子で書いているので、多少ポップにと言うか、軽めになったと思うが、Hさんが言うには、「雨のよく降るこの星で」を正式なタイトルと位置づけていた時期、朝から晩まですべてのことを綴るのではなく断章形式でその日見たものや天気のことだけを書いていた時期が、一番「おじいちゃん」だったと言う。まあわからなくはない。
 黒田夏子。最近新しいものが『新潮』だか『群像』だかに掲載されていた。Hさんは、『感受体のおどり』がフェイヴァリットである。こちらもあの作品はなかなか好きで、『abさんご』と合わせてもう一度読み直しても良いと思っている。新しく掲載されていた篇は、何かリズムや音調などにMさんを思わせるものがありましたよと報告。Mさんも、「偽日記」で冒頭を読んだ時、何か同族めいた匂いを感知したらしい。『abさんご』のほうが平仮名へのひらきがより過激で、前衛的で、などと説明する。
 最近こちらは短歌を作っている。それを受けてMさんが引いたKREVAの言葉に、フリースタイルラップをやる時の心構えとして、「言葉の引き出しを半分開けておく」というのがあると。それは俺、わかるんよな。こちらも、音やリズムに導かれて言葉が出てくるというのは、短歌を作ってみてよくわかる感覚だ。
 覚えている話はそのくらいである。最後のほうで、明日はどうするかという話し合いをした。Mさんは予定なし、こちらも同様である。何か目ぼしい美術展はあるかとこちらもちょっと調べてみたのだが、どうも会期と会期のあいだに当たっているところが多かったのだ。話しているうちに、服を見るのは良いかもと案が出た。Mさんは東京を発つ前にABCマートに行って、白のスニーカーを買いたいと言う。ここ二日は喫茶店ファミリーレストランに籠って話をしてばかりだったから、外を歩くのも良いのではと。そうすると候補としては、新宿御苑、上野、代々木公園などが出たあとに、立川にも昭和記念公園がありますよとこちらが提案すると、立川、良いのではという空気になった。Hさんもちょうど武蔵小杉に出て買い物をするつもりだと言い、それならば南武線で立川まで来ることも出来る。それで午後から昭和記念公園を散歩して、夕方から駅ビルで服を見ようとそう決まった。
 この二日、Mさんの話しぶりに接して抱いた印象を記しておくと、まず、実によく喋る人間である。会話が途切れることがほとんどなく、話題がぽんぽんと出てくる。また、相手が話している最中に適宜差し挟まれる相槌や質問のリズムが良く、結構細かく差し入れるにもかかわらずそれが語りのリズムを乱すことがない。こちらだったら、うん、うん、と聞きながら相手の話が途切れるのを待つところを、Mさんは瞬発性高く自分の言葉を挟んで行く。こちらは待って、後手に回り、相手に思う存分喋らせるタイプなのだ。Mさんが話題をどんどん繋いでいけるというのは、そこで話されている事柄の意味の射程、その広がりを感知する能力と、その圏域に含まれ適した事柄を自分の脳内から検索する能力に長けているのだろう。そうして考えてきた時に、彼は、会話も一種のテクストとして読んでいるのではないかという印象を持った。その場合、話題を繋ぐというのは、会話というテクストのなかに自ら新たな文言を書き入れていくということになろう。そのようなテクストとしての会話形成能力が高いのだ。
 退店したのは九時頃だっただろうか。駅まで戻り、階段を下る。Hさんは丸ノ内線に乗ると言うのでそこで別れ、Mさんと二人で改札をくぐる。ホームへ階段を上がりながら、昨日風呂場で、今まで見たなかで一番金玉のでかい爺がおった、とMさんの滑稽な報告を聞く。電車がやって来るまでちょっと話して、それぞれの方向へと別れた。電車は満員だった。四方から狭い空間に押し込まれながら辛うじて携帯電話を取り出し、ぽちぽちとキーを操作してメモを取る。満員電車のなかで苦闘しながら文庫本を読む人間など見てよくやるものだと思っていたが、自分も我ながらよくやるものだった。武蔵境あたりからスペースが生まれて楽になったのだったと思う。立川で乗り換え。青梅行きのなかでもメモを取り、奥多摩行きへの乗り換えはすぐだったと思う。最寄りからの帰路も折に触れてメモを取りながら帰宅。父親に挨拶。その後の入浴も前日と同じく携帯とともに入り、出てくると両親は下階に下って居間は無人だった。腹が減っていたのでシーフード・ヌードルを用意し、自室に戻るとそれを啜りながらSさんのブログを読んだ。そうして零時半から日記。一時間弱書いたあたりでじきに目がひりつくようになってきたので、今日は眠れそうだなとそこで切り上げることにした。一時半就寝。


・作文
 5:20 - 7:23 = 2時間3分
 11:26 - 11:56 = 30分
 24:35 - 25:26 = 51分
 計: 3時間24分

・読書
 7:55 - 8:53 = 58分
 11:58 - 12:26 = 28分
 13:23 - 14:12 = 49分
 23:46 - 24:00 = 14分
 計: 2時間29分

  • 「舞台袖の記憶」; 「2019/02/05」
  • 2018/2/6, Tue.
  • 2016/8/3, Wed.
  • 「記憶」; 26 - 40
  • 斎藤松三郎・圓子修平訳『ムージル著作集 第八巻 熱狂家たち/生前の遺稿』: 35 - 48
  • 「at-oyr」: 「1985」; 「Shinedoe」; 「Bring on the night」; 「古い写真」; 「塔」

・睡眠
 4:20 - 5:00 = 40分
 9:00 - 11:15 = 2時間15分
 計: 2時間55分

・音楽

2019/2/5, Tue.

 五時頃に覚めたような気がする。その後もたびたび覚めながらも、一〇時前まで床に留まる。睡眠時間は一〇時間以上、やはり疲労があったのだろうか。長く、結構面白い夢を見たはずなのだが、もう忘れてしまった。ダウンジャケットを羽織って上階に行くと、母親は買い物に出かけていて不在である。洗面所に入って顔を洗い、整髪ウォーターを髪に振りかけ、櫛付きのドライヤーで寝癖を整える。食事は前日の残り、すなわちチキンのトマト煮。それを電子レンジで温め(二分間を設定したが、終わり間近に爆発してトマトソースの赤い断片が皿の上やレンジの壁に少々飛び散った)、卓へ。新聞ひらく。吉増剛造によるジョナス・メカス追悼文を読みながら、チキンをおかずに米を食べる。それで皿を洗い、薬を飲む。そうして下階に下り、日記を書きはじめて前日分を仕上げ、固有名詞をいちいちイニシャルに変えるのに時間を使いながらブログに投稿。それからこの日の記事もここまで書くと、一一時過ぎ。天気は曇りだが、さほど鬱々としてはおらず、光が多少雲を透けてくる。
 風呂を洗いに行った。ちょうど母親が帰ってきたところだった。美容院に行こうと思ったがいつも行っているところは休みで、ほかの場所に行ったら、カーラーで髪を巻くということは今はやっていないのだと言われたと。風呂を洗う。それで室に戻ってくると歯磨きをして、日記の読み返し。一年前はHさんとの読書会、『後藤明生コレクション4』について。

 (……)特に後半の作品などは、作家が町を歩いた実体験を概ねそのまま書いているらしく、私小説的ではあるけれど、いわゆる近代文学的に内面や自意識を描くそれと違って、資料の引用などを交えて、私小説というよりもむしろ紀行文的な感触ではないかなどと話した。また、この時言うのは忘れたけれど、とりわけ後半の、大阪付近の文化や旧跡を扱った作品群の書き方はいかにも冗長であり、こちらは頭の調子がおかしかったこともあって、読んでいるあいだ、あまりきちんと読み取れた感じもしなかったのだけれど、この冗長さというのを、「蜂アカデミーへの報告」のなかにあった冗長さについての言及と結びつけて捉えることもできるのかもしれない。そこでは確か、岩田久二雄という、「日本のファーブル」とも呼ばれる学者の著作を引いて、観察記録というのはやはり省略をせず隈なく書く、そういう冗長な姿勢で書かれたのが本当なのだ、というようなことが話されており、後藤は確か、それをファーブルの昆虫記の書きぶりとも絡めて、「科学的」精神とちょっと対立させる風にしていたと思うのだが、後藤自身も後半の作品で、そうした冗長さを支持する振舞いを見せたということなのかもしれない(そして、この「冗長さ」とは言うまでもなく、「物語」と(単純に)対立させて考えられた時の「小説」的な態度でもある)。

 その後、一緒に食事に行ってなかなかくつろいでいるようだ。それから二〇一六年八月四日の記事もさっと読んでブログに投稿したあと、昨日読みさしになっていた小林康夫・西山雄二対談「人文学は滅びない時代の課題に向き合い、新しい人文学の地平を開くために」(https://dokushojin.com/article.html?i=3681)の続きを読んだ。以下色々と引用。

小林  (……)個別の特異な肉体や身体がそこに存在して初めて生きてくる、そんな場所こそ知の「現場」である。知とは外在的な知識ではない。内化した、肉体化したものでなければならない。それが最終的にはモラルであり、行為論の行き着く先なんですが、今の段階では、僕の中ではそれが「ダンス」という形を取っています(だから最終講義のときにダンスしたわけです)。二十年前のテーマは受け継がれていて、実験が続けられている。現実には、情報化社会の中で、生き生きとした場が失われつつある。(……)同様に大学も権威を失ってしまった、今やその意味での文化の権威がどこからも消えつつある。権威が消えていくとはどういうことか。歴史や伝統、あるいは文化と言ってもいいけれど、今まで我々が理解していた文化とは違う文化が生まれてきているということですね。文化とは、ヨーロッパ語的に言えば「culture」ですから、農業(agriculture)にも通じているので、大地と関係する言葉ですよね。肉体的に大地を耕しながら知を育てていく営み。ところが、いまは、そうではなくて、スマートということが最大の格律になっていて、自分の中に内化することなく、どんな情報も膨大な外部メモリーから即座に持ってくることができる。そして、どんな現場にも瞬時にアクセス可能。そこでは長い文化的な歴史の時間の中に自分がいるという感覚が失われます。突き詰めていくと、この歴史への根づきの感覚こそ人文学を根源的に支えていたものなんじゃないかと思いますね。(……)


西山  (……)ディシプリンとは、教養を自己形成していくプロセスであり、それが完成した状態の規範でもある。また、そうした規範を逸脱した者に対する罰という含意で、ディシプリンには懲罰という意味もあります。インターディシプリナリーな研究が優勢となった時に、その規範性を維持するために、最低限身に付けるべき技法や知識を保証するディシプリンは今、どうなっているのでしょうか。「それをやっては規範性を損ねてしまうのではないか」という懲罰の敷居が希薄ではないでしょうか。(……)


小林  (……)資本主義そのものが文化とシンクロしはじめる。産業と文化が別にあるのではなく、「文化産業」という形で相互関係がはじまる。これは歴史的に必然的でもあって、現在はその極限まで来てしまったわけですが、その結果として、大学あるいは学問を支えていたもの、つまり我々が「伝統」という形で理解していたものに対する関係付けが極度に希薄になってしまった。今や人類から「歴史」が失われつつある。この場合の「歴史」というのは、単に日本史とか世界史という意味ではなくて、文化がひとつの大きな歴史的な流れとしてここにあるという感覚を持つことです。その感覚がここ数年で急速に希薄になった。現在の出来事だけがあり、それは他の伝統とは切り離されていて、時間という感覚がまったくなくなっている。僕が今日最初に時間のことを問題にしたのも、そういうことがあるからです。我々は現在の問題に性急に反応し過ぎるばかりになってしまった。時間を確保するためには引きこもる、あるいは退却と言ってもいいけれど、そうした身振りが批評を可能にしていた。それが大学というある種の権威によって守られていたと思うんですね。権威とは何か。ある人が権威であると認められるのは、そういう時間を担っているからですね。今の時代とは何の関係もない、本質的にアナクロニズム的なもの、もうひとつの時間を違った場所で引き受ける。それを保持することが人文学のひとつの存在理由だった。(……)

西山  (……)ビル・レディングズは大学の惨状を『廃墟の中の大学』と表現しました。ただし、人文学は常にテクストという廃墟の中にある。今ここには存在しないものからの呼びかけに常に応答する、耳を傾けることで成立している。(……)


小林  (……)大学の危機であれ、人文学の危機であれ、あるいは人類全体の危機であれ、それにどう応えていくのか。結局は、それに対しては、自分なりの世界を立ち上げるしかないんですね。そしてそれが、時に、一冊の本の形を取るわけです。そこに「今」には還元できないアナクロニックな世界が凝縮して立ち現われることに大きな意味がありますね。我々にとっての抵抗の拠点は、最終的には、そこにしかない。ただ、その宛先がどこに向かっているかは、よくわからない。もちろん同時代の人に読んでもらうのがいいのかもしれませんが、それは本質的なことではないんです。繰り返し言ってるように、本自体はアナクロニックな本質を持つものだから、つまりコミュニケーションではないのだから、誰だかわからないものに向かって宛てているんです。「destination」という言葉は非常に深い意味を持っている。あらゆる表面的な、現象的な宛先を全部解除していくということ。「受取人はこの人を想定しています」と言った瞬間に、それが違ってくる。そういう意味で「無条件」。デリダが大学という場所を規定する時に使うような「無条件の場」という意味を含んでいると思います。しかもデリダが言う「誤配」の可能性もわかった上で、送り出さなければならない。それが今失われつつある「時間の中に我々がいる」ことを証明する唯一の方法だからだという気はしますね。その時に、これはブランショ的な考え方だと思いますが、西山さんも言われたように、自分が孤独の中で書いている時に、友の気配を感じるという思いはとてもよくわかりますね。ただ、その友とは誰か。誰でもない友、けっして誰でもないものである誰か、であったりするわけですよね。


西山  (……)ところで、人文学がなくなったら、私たちは何が困るのでしょうか。私の考えでは、昨今の状況に照らし合わせて言うと、宗教的なものに対する人間の知的耐久性が著しく失われるのではないか、と思います。冷戦構造が終焉した九〇年代から宗教的なものへの回帰が盛んになりました。国民国家の枠組みが緩み、国民単位での文化的・社会的アイデンティティが次第に失われているからです。また高度な資本主義化が進み、様々な価値をめまぐるしく変動させている中で宗教的なものが人々の精神的拠り所として台頭してきています。人文学とは、人間の尺度から世界の意味や価値を新たに紡ぎだしていく知的営みです。だから人文学の力が弱まると、宗教的なものへの知的な抵抗力が衰え、無条件的な依存が進むのではないか。もちろん宗教という形を否定したいわけではありません。宗教的なものを見極める知的判断力が失われ、信と知の地平が危うげなものになるのではないかということです。(……)

小林  (……)それと今の西山さんの、人文学が宗教的なもの対する抵抗力を持つという意見については、むしろ逆かもしれませんが、こう思います。我々人文科学者は宗教的なものをよりよく理解するもっと高度の知性を目指すべきであると。宗教とは近代的な知が成立する以前から人類が持っていたものであり、ほんとうはそれを「宗教」という言葉で呼びたくはないのですが、人類の知の最も深い部分を形成しています。だから近代的な、あるいはポスト近代的な枠組みを越えて、宗教的なものに対して再考すべきであると思いますね。近代が排除し、抑圧してきたもの、しかし人類に常に随伴してきた宗教的なるものに関して、もっと深い知性の目を持つべきだと思う。それこそが人文学の使命でもある。(……)すべてが資本主義的なシステムへと還元されるときに、還元不能の「魂的なもの」を、どういうふうに捉え直すのか。(……)

 そうして、「記憶」記事から三箇所をこれもさっと音読する。

  • 辺野古基地建設計画の推移――1996.12: SACO最終報告。ここでは「撤去可能な海上ヘリ基地」の計画だった。→1999: 「辺野古沿岸沖二キロのリーフ上の一五年使用期限付き軍民共用空港」へ。→2005.10.29: 日米安保協議委、「日米同盟 その望ましい未来と変革」を発表。そこで計画が「沖縄側の頭越しに」見直され、2005~2006: 大浦湾から辺野古沿岸を埋め立て、二本のV字型滑走路を持って、弾薬搭載場や、強襲揚陸艦も接岸可能な施設を含む基地建設へ。

 そうして日記を書き足すと一二時五〇分。バルカラーコートを羽織って上階へ。行きますよと母親に声を掛ける。マフラーはつけていかないのと母親。マフラーは良いかなと答えながら仏間に入り、臙脂色の靴下を履く。出発。午前中は曇り空だったのだが、この頃には薄い陽射しが出てきていた。風は前日とは違い、この日は最高気温が一〇度から一一度くらいだったので、やはりマフラーをつけていない首筋に冷たい。街道に向かい、あと少しで表に出るというところで、高年の女性の姿を発見。足を露出していたのでああ、あの人だなとわかる。統合失調症か何かなのか、いつも一人で歩きながらあたかも誰かと会話しているかのような、目に見えない存在と交信しているかのような独り言を言い続けている人だ。もう老女と言うに近いほどの、結構な年だと思うのだが、何故か包帯らしきものを巻いた脚を露出していて、荷物を引きながら歩いているのが我が町の色々なところで見かけられる。この時は独り言は言っていなかった。それでは何をしていたのかと言うと、街道に出る前の道の片側は石壁になっているのだが、その壁の、各々の石と石の隙間にこびりついた黒ずんだ苔を、何故か一心不乱にこそぎ落としていたのだ――それも素手で。何故あのようなことをやっているのか、何が彼女にそうさせたのかまるで見当がつかない。そのほうを見やりながら通り過ぎ、表へ出て、北側へ渡る。途中で裏に入ろうと思っていたところが考え事をしながら歩いているうちにそのことを忘れていて、結局最後まで表通りを行った。考えていたのは、三宅誰男『囀りとつまずき』のことである。『亜人』は大傑作と言うに相応しい作品だったと思うが、『囀り』のほうは「傑作」と言うには少々違ってくる作品だ。鈍いところも含まれている――しかしそれが、読んでいて読者を飽きさせないアクセントになっていた。鋭い、力のある断章のみだと、かえってもっと単調になっていたのではないかと思うのだ。多様性――以前にも書いたことだが、読みながら作品の有り様を要約しようとする努力に逆らうような雑駁性を、この度の読書では強く感じた。文体に関しては、形容修飾が豊富で息の長い、言ってみれば「迷宮的」なあの文体が、世界に浮遊し漂っている差異=ニュアンスを搔き集める/書き集める装置になっているように思われる。そして、少々飛躍が挟まるが、そのありようが言わば「生命的」なのだ――どういうことか? こちらの考えでは、差異=ニュアンスとは、人間の生を見えないところかもしれないが、その最小単位で支えているものである。何故なら、差異=ニュアンスというものがまったくない世界を考えてみると、差異の発生とは生成の道行きにほかならないわけだから、そこにあって人間はまったく何も思考できないか、あるいは狂ってしまうか、あるいはそれは時間がまったく停止したような、いずれにせよ世界とは言うに値しない世界になってしまうと想定される。差異があるとは、それが大きなものであれば大きなものであるほど、平たい言葉で言えば事物/物事が「生き生きしている」ということなのだ。例えば毎日の天気のような、自覚的に意識されはしないかもしれないけれど、しかし必ずそこに差異=ニュアンスが孕まれているような日々の生成こそが、一番底のところで人間の生命を支えているのではないか――そういう仮説をこちらは持っている。そうした意味で、『囀りとつまずき』の、微細な差異=ニュアンスをひたすらに収集しようとする文章は、それ自体が「生命的」であり、大げさなことを言えば一種、「生命の擁護」になっているように思われるのだ。そして、この作品の話者が特徴的なのは、自分自身の心理さえも世界に属する差異の一断片として回収し、記述の対象にしていることではないか。その点で自分が特に気になったのは「自意識」のテーマで、これは「視線」のテーマとも関わりがある――つまり、話者はたびたび、他者の視線を差し向けられることによって緊張し、羞恥を覚え、身体の動きをぎこちなくしている。言わば自分の弱点をある形で、結構赤裸々に曝け出しているわけだが、そこにしかし、文体の力、また匿名性に徹した書きぶりによって距離が生まれているのだ。自己客体化の技によって距離を導入するとともに、しかし主題としてはある種「告白的」なものになっている、その相反する性質の同居が、独特の感覚を生んでいるかもしれない。そうした観点で、こちらには『囀りとつまずき』は、ロラン・バルトが時たま言及していた「差異学=ニュアンス学」の実践の一形態ではないかと感じられる。バルトはこの概念について詳しいことを述べておらず、彼が考えていたそれがどういうものなのかはいまいちよくわからないのだが、しかし彼本人の意図とは離れたところで、「差異学」という言葉の有り様を、『囀りとつまずき』が一種体現しているように思われるのだ。そうした文脈で、バルトの『偶景』がやはり彼なりの「差異学」の実践の形だったと想定するならば、『囀りとつまずき』はそれを継受している作品でもあることになる。ただしそれは、裏切りながら受け継いでいるとでもいう形で、バルトが最小の物事をその最小性のまま、何の装飾も技術もないような簡素な文体で表したのと対極的に、『囀りとつまずき』は最小性を文体の変容力によって最大性に転化させるような試みだと言えると思う。
 歩いているあいだは大体そのようなことを考えていた。(……)駅に着くと改札を抜けて、ホームへ。ちょうど一時半発の(……)行きが入線してくるところだった。階段を上がると二番線側からホームの先頭へ向かう。停まった電車の、二つの窓から、運転を停止していて薄暗い車両内を透かして、駅の向かいの小学校の校庭で、ちょうど昼休みの時間だろう子供らがわいわいと賑やかに遊び回っている姿が見え、雑多な声も聞こえてくる。二号車の端の三人掛けに就いた。そうして手帳にメモを取る。発車してからも、電車の揺れで文字がぶれるのを物ともせずにメモを取り続け、終えると三宅誰男『囀りとつまずき』をひらいた。作者のMさんに会うので、ちょっと復習をしておこうと思ったのだ。気になったところを書きつけてある読書ノートも取り出して、書抜きをしたページをいくつか参照していった。そのあとは、『ムージル著作集 第八巻』に切り替えて読書を続け、そうしてそのうちに(……)着。乗客たちが出ていったそのあとから鷹揚に出て、携帯電話を見るとMさんからメールが入っていた。(……)に着いた、まだ改札は出ていない、ケーキ屋と焼きそば屋が近くにあると。ちょうどこれから上がって行く階段の先に焼きそば屋があるのを知っていたので、すぐそのあたりにいるのだなと判断。そうして階段を上り、きょろきょろと見回していると、三番線・四番線ホームへの下り口の横にそれらしき姿を発見し、近寄って行った。やはりそうである。Mさんはパンを食っていた。見たところ、胡桃か何かのパンではなかったか? わからないが。むしゃむしゃやっている彼の前に近寄り、無言で立ち止まり、相手が気づくと笑みを浮かべた。本当は最初に、お久しぶりです、また会えて嬉しいですと握手しようと思っていたのだが、何か話しかけられてそのタイミングを逸してしまった。とりあえず喫茶店に行こうと。ささま書店に行くつもりだったのだが、火曜日は定休日だったと伝えたのはこの時だったかそのあとだったか。持ってきた立木康介『露出せよ、と現代文明は言う』はもうこの時点ですぐに渡してしまった。そうして連れ立って改札を出て(ええ服着てるね、と言われたので、笑ってありがとうございますと返した)、群衆のなかを通って広場へ(彼は夜行バスのなかでは、後ろの席の「おっさん」が「ナイトサファリか」というくらいの激しいいびきを立てていて寝れず、ネットカフェで三時間眠ってきたと言う)。ああ、こんなだった、懐かしいとMさん。そこで(と広場にある植え込みの縁を指して)Tさんと三人で喋りましたよね。PRONTOに行きましょうか。行きつけでもないが、大体いつも僕はそこに行っています。エスカレーターを下り、下の通りに出て入店。先に席を見に二階に行く。平日なのでわりと空いており、壁際の一席に陣取ることに。荷物を置いて、財布を持って下へ。こちらはサンドウィッチ――ミックスサンド――を選び取り、それとココアのMサイズを注文した(六五〇円)。Mさんはトマトの乗ったピザとコーヒー(あとで見たところ、彼はピザに乗っていたトマトをちょっと残していた)。コーヒー安いと、東京で一杯三〇〇円以下で飲めるのは。品が用意されるにはやや時間が掛かった。女性店員が新人だったのだろうか? ほかの、先輩らしき女性店員に、これやった、と訊かれてまだですと答える場面が二回くらいあった。Mさんは、Fくん、四月からまた働くのと訊いてくる。そのつもりだと言うと、もうええんちゃう、と。もうええんちゃう、家事やって父ちゃんに金貰ってそれで、と笑う。こちらも笑うが、さすがにそういうわけには行かないだろう。それでも、『特性のない男』を読み終わったらにしようかななどと答える。昨年の三月三〇日に大きな変調と言うか、風呂に入っている時に軽い発作のようなものがあって、今から考えると本当に頭がおかしかったと思うのだが、自分はもう言語的なコミュニケーションが取れなくなるのだと信じ込んで、狼狽し、取り乱し、炬燵に入ってまるで遺言のように両親や友人たちへの感謝の言葉を口にしたときがあったのだが、Mさんはその時のことを取り上げて、親御さんはめっちゃ心配したやろなと。それがあるから、もうええんちゃう? と笑う。こちらも働かなくて済むならそれが一番良いが――ともかく、品を受け取ると礼を言い、トレイを持って上階の席へ戻った。コートを脱いで丸めて右手に置く(のちに二つ隣の席に男女カップルが来た時にコートをどかすと、ありがとうございますと礼を言われた)。そうして話。最初のほうで前日に会ったUくんの話をした。ピエール・ルジャンドルの研究をしていると。彼の思想について立板に水という感じで色々語ってくれて、頭が良いなと思ったと。せっかく語ってくれたその思想内容も、しかしこちらの理解力・記憶力の問題であまり残っていない――それでも、裁判の場と美学的なもの、「見せかけ」については軽く説明した。つまり、裁判という場があって、そこでは法・事実・裁判官が三位一体のようになっている。法と事実はそのままでは結合することは出来ず、必ずそのあいだに解釈という行為が介入しなければならない、その解釈を行うのが裁判官であるが、裁判官はその時、「良心」に基づいて解釈を行わなければならない。そのように、法・事実・裁判官の良心が三位一体となって初めて、「真理」というものが生産される。しかしここで重要なのは、そのように「真理」を生産する厳粛な場としての裁判も、その根底では理性的な根拠はないと言うか、一種のパフォーマンスなのだということだ。例えば裁判長が台をとん、とんと叩く仕草や、法服の美麗さなどには特段の合理的な根拠・理由があるわけではない、それは言ってみれば「演出」であり、「見せかけ」である。そのような「演出」によって権威付けをし、その権威によって裁判とは真理を生産する場であると皆に共有させないと、裁判は裁判として機能しない。だから、いかにも理性的で合理的であるかに見える裁判の場も、実は美的なものが支えているのだと、概ねそんな話である。(……)
 ほか、目が悪くなったという話。壁の文字が読めない――Mさんは眼鏡をちょっとずらした状態で、壁に掛かった絵のほうを指して、あっこの文字がもう読めないと言った(そこにはITALIAN CAFE & BARとか書かれていた)。こちらも最近目が悪くなったので、その距離だとぼやける程度の視力である。三宅さんも物を読みはじめたり、コンピューターを使いはじめる前には視力が一. 五あったと言う。こちらも本をよく読んでいるのが視力減の原因だろう。それで、老作家のエッセイなんかによく書かれているが、昔は本がよく読めたのに、今は視力が衰えて読めないとの嘆きがあると。言わば目の体力が落ちてしまったような形だろうか。
 イタリア語。大学での第二外国語はイタリア語をやっていたとこちら。しかし、イタリアの作家には、本当のフェイヴァリットと言うか、その作品を原書で読みたいとか翻訳したいとかいう作家はまだ見つけられていない。知っているイタリアの作家を挙げてみると、パヴェーゼカルヴィーノウンベルト・エーコとそのくらいである。あと、ズヴェーボみたいな名前の人がいたと思う。確かジョイスと繋がりがあって、彼の家庭教師をやっていたとか、あるいは彼が家庭教師だったとか、そんな関係ではなかったかと思うのだが――調べてみると、やはり、イタロ・ズヴェーヴォという名前だった。ウィキペディアから引くと、「ジョイスは1907年、トリエステのベルリッツで働いていた時に、英語の個人教師としてズヴェーヴォと会った。このとき、ジョイスはズヴェーヴォの初期作品『セニリータ』(Senilità - 邦題は『トリエステの謝肉祭』/ 1898年に上梓したが、やはり当時は黙殺された小説)を読んでいる」とのこと。この『トリエステの謝肉祭』は確か地元の図書館にあったので(もう書庫に仕舞われてしまったかもしれないが)、ちょっと読んでみたい。ほか、モラヴィアの名前も辛うじて挙がった。
 そのうちに、こちらが読書ノートを取り出して、それをMさんが見分する。彼は字フェチである。こちらの字は、神経質そうな性格が出ているとの評価だった。頭がおかしかった時期のメモなども残っており、若竹千佐子とか、イタロ・カルヴィーノとか、結構面白かったですよと紹介する。最近になると書き込みの数が段違いに増えていて、頭が回復してきたのが如実にわかる感じだ。『亜人』と『囀りとつまずき』の欄になると、Mさんは、うわっと言って、読みたくないとぱらぱら飛ばしてしまう(推敲のしすぎで、自分の作品を読むと比喩でなく吐き気がしてくる人間なのだ)。「まなざし」の語が八〇回ありましたと報告(今書いている『双生』にはもっと頻出しているらしい)。また、「たまさか」という表現も八回。そのようにちょっと作品に触れはしたが、ここではまだあまり突っ込んだ話はしなかった。読書ノートの最新の欄に書かれていたのは、福間健二の詩集からの抜粋である。福間健二は、現代詩文庫に入っているような以前の詩は、今とは全然違うとMさん。前は散文詩みたいなことをやっていましたよね。Mさんは、「きのう生まれたわけじゃない」が入っている詩集が好きだと言った。何やったっけ? と訊くので、『秋の理由』だと答える(今回の会話では、このように、Mさんが思い出せないところをこちらが補うという場面が何度か見られた。その発端についてはのちに記す)。その冒頭の詩が非常に好きだと言うので、「誘惑」ですねとこれも間髪入れず答え、何か、セクシーな脚がどうのこうのとか言っているやつですよねと。Mさんは「誘惑」と、岩田宏の「神田神保町」が大好きで、当時働いていたエロビデオ屋の閉店後に一人で音読していたのだと言う。エロビデオ屋と現代詩の凄い組み合わせだ。
 後藤明生。こちらは最近後藤明生を読んだ。『壁の中』が欲しいと言っていたのを取り上げて、Mさんも『壁の中』は気になっていると。ほか、『関係』という作品もあるようで、これも気になると言っていた。新刊で注文しようとは思わないけれど、古本屋にあったら買いたいくらいのものだと。
 古井由吉。そう言えば古井由吉の新作が一昨日くらいに出ましたよねと。確か『この道』という題ではなかったか。古井由吉も凄いよな、あの年なのに文章全然呆けてないやん。内容はまあ、一種の「芸」として呆けてるかもしれへんけど、文体は明晰よな。何歳かと問うので、確か一九三六年か三七年生まれだったはずだから、八二くらいではないかと答える。
 Evernoteメタフィクション小説の話。先日Mさんは、大層久しぶりにEvernoteにログインする機会があった。何でやったっけと自問するので、iPadで使えるテキストソフトを求めてのことでしょう、と何故かこちらが解明すると、俺より詳しいやんと彼は笑う(これがMさんの代理で彼の知識を補う今回の振舞いの発端だった――ほかにはあの詩人、何やったっけと言われて、管啓次郎ですねと答える一幕もあった)。彼は昔は、抜書きを紙のノートにやっていたと言う。それがある時、コンピューターのほうが良いなと気づいてそちらに移行した。それで、Evernoteに色々な本からの引用を溜めて、引用だけで一つの小説を作るというメタフィクションを計画していたことがあるのだと。イメージされているのはウィキペディアみたいなもので、例えば「愛」という項目を参照すると、「愛」に関連した引用がずらりと並ぶようになっている。その引用文中に出てくる語句に関しても、「罪」なら「罪」、「孤独」なら「孤独」と項目を作ってリンクして行き、さらに加えて、例えば「孤独」だったらその意味合いに相応しく、ほかの項目へのリンクはまったく無くす、「愛」だったら逆に色々なところへリンクさせると、そのような小説の構想だったらしい。Mさんは文体、文章そのものに凝りだす以前は、そうした点へのこだわりはまったくなく、形式や構造の革新を目指すようなものばかり書いていたと言う。それが文章そのものの力というものを実感するようになったのは、中上健次を読んだことがきっかけだと。『岬』の最後に近親相姦の場面がある、そこを読んだ時に初めて、文体そのものの威力というものがあるのだということが実感できたのだという話だった。
 仏教。こちらはまだ頭のおかしくなっている時期に、仏教の本を読んでいた。不安に襲われていたので安らぎを求めて、と笑うと、Mさんも笑ったのだが、そのあたりはFくんの強みにしたいところよなと。つまり、不安障害や瞑想の体験があるので、仏教の言っていることが体感として理解できるところがある、そこはほかの人にはない部分だろうと。
 Mさんが最近地元の書店に行ったら、人文学系のコーナーがなくなっていた、縮小とかではなくて本当に消滅していて、それはちょっとショックだったという話も。
 大学の授業の話。前学期は、まだ学生たちの力量が測れておらず、難しいことをやりすぎた。今学期は反対に簡単なことをやりすぎて、良く出来る学生などからは不満の声も漏れていた。来学期はそのあいだの上手いところを見つけてやりたいと。難しすぎる授業というのは、文学史の授業で、教科書を読んでみても学生らのレベルでは理解できないだろうそのなかに辛うじて吉本ばなながあって、それを精読するという形でやった。これはこちらも当時の彼のブログで読んでいて、非常に素晴らしい授業だと思ったのだが、それは良く出来る生徒のレベルに合わせすぎてしまった、脱線してサルトルの話などしてしまったのだが、それについて来れる生徒はいなかったと。文学の機微のようなものを授業で伝えるのはやはり難しい。しかしセンスのある生徒もなかにはいて、Rさんというトップクラスで文学的センスもある、それが表れたのが学期末に「幸福の瞬間」というテーマで――吉本ばななの件の文章がそういう題のエッセイだったのだが――学生らにも作文を書かせた時である。彼女は、三重県鳥羽市インターンをしていたのだが、その頃日本で洗っていた衣服は、当然日本の洗剤の匂いがする、それを今も押し入れにしまってあって、時折り匂いを嗅いでみて日本のことを懐かしく思い出したり、その感覚を味わったりするのが彼女の小さな幸福の瞬間だと、そういうことを書いたらしくて、Mさんは、これ吉本ばななよりもええやんと思ったと言う。
 また、これは是非とも書いておかなければならないが、会話のわりと始めのほうにお年玉を貰った。お年玉と言うか、一月一四日であるこちらの誕生日のプレゼントなのだが、「おとしだま」と記された可愛らしいハムスターの絵が描かれた袋に入っており、なかを見てみてと言うので見ると、五〇〇〇円分の図書券だった。有り難い。これにて古井由吉の新作を買えるというわけだ。
 東海地震がもう来ているのかもしれないという説の話もあった。戦時中に静岡あたりで大地震があったのだと言う。しかし当時は戦争中で、敵国にそれが知られてはまずいので情報は封鎖され、資料もほとんど残っていないらしいが、そうした大きな地震があったのは確かである(Mさんは京都で戦争体験の聞き取りをしていた時にそれを教えられたと言う)。それが東海大地震だったのかも知れず、だとするとその規模の大地震は数百年スパンで来るものだから、もう危機は当面の間は去っているということになると。
 思い出せる話としてはそのくらいである。二時間ほど話していた。時刻は四時。喉渇いた、とMさん。それに対して、答えとしてずれているのだが、どうします、本屋に行きますかと。それで書店を見分することに。コートを着込んで(そう言えば、Mさんの服装は、黒のPコートに――このコートは左腕の裏のあたりに毛玉がたくさんついていて、結構年季が入っているのではないかと思われるものだった――その下は、タトゥーをふんだんに入れた腕でもって煙草を吸っている男のイラストが描かれた――男の着ているシャツのなかにはまた、抽象画みたいな色彩的な絵が描かれていた――パーカーを着ていた)トレイを片付ける。Mさんはここで律儀にも、ゴミを自ら分別しようとしていた。こちらは横着して、店員に任せれば良かろうと、そのままで良いんじゃないですかと口にして放置し、そうして下階に下りる。去り際、カウンターの向こうの店員二人は挨拶をしてくれなかった。客の対応で忙しかったのだろう。退店。こっちから行きましょうか、と左方を示す。この時確か、古文や漢文も読めるようになりたいねという話をしたはずだ。中国の漢文は、やはり現代中国語とは全然違うと生徒たちは言うらしい。角を曲がり、(……)を見上げながら階段へ。上っているあいだMさんが、先の「四天王」の話を思い出して、おもろいな、漫画みたいやん、と。(……)が売れた時、ほかの「三天王」は、あの程度で騒ぎよって、とか思ってたんかなと。歩道橋を渡り、こちらは背を立てて胸を張り、姿勢を整えてMさんと並んで歩く。(……)に入館。エスカレーターに乗って書店へ。まずは精神分析を見ますかと言って件のコーナーへ。中井久夫(喫茶店にいるあいだに話が出ていた)。ブルース・フィンクがあるやんとMさんはその界隈の名前を見分する。彼は品揃えに感嘆の声を上げていた――精神分析だけで棚が三つもあるではないかと。その後もその列の書架を辿り、どんな本があっただろうか、何か認知心理学とか行動心理学とか、自己啓発系の軽い読み物なんかもあったはずだ。そのあたりの区画は初めて来るところだったので結構面白かった。端のほうまで行くと、「インプラント」で一区画出来ているのを見て、凄いなと。端まで辿ったあと、二つ隣の列に移って思想である。カール・バルト没後五〇周年フェアがなされている。宗教一般、キリスト教イスラーム教など辿って行き、西洋思想へ。段々二人のあいだに会話もなくなり、ちょっと離れて各々黙って見聞し、棚のほとんど隅から隅まで見ることになった。こちらは気になった著作を手帳にメモし、Mさんは携帯で写真を撮っていた。メモされたのは以下のもの。

・モルデカイ・パルディール『キリスト教ホロコースト
・ロバート・ヒュー・ベンソン『テ・デウムを唄いながら』
・福島清紀『寛容とは何か』
朴一功『魂の正義』
・坂口ふみ『信の構造』
・ディーター・イェーニッヒ『芸術は世界といかに関わるか』
・A・グリガ『カント その生涯と思想』
望月俊孝『物にして言葉』
・ルートヴィヒ・ホール『覚書』
・今村純子『シモーヌ・ヴェイユ詩学
・B・ヴァルデンフェルス『経験の裂け目』
・小林徹『経験と出来事』
・ティモシー・モートン『自然なきエコロジー
・東大EMP『世界の語り方』
小林康夫中島隆博『日本を解き放つ』
鷲田清一『濃霧の中の方向感覚』

 特に気になったのは、ルートヴィヒ・ホール『覚書』だろうか。スイスの作家らしいのだが、大部の著作で、断章形式の日記みたいな形で思索を綴ったものらしい。断章で言えばアドルノの『ミニマ・モラリア』も以前から気になっていて、面白そうですよと紹介した。ほか、加藤周一が小説を書いているのを発見したり、岸政彦の二冊――『マンゴーと手榴弾』と『断片的なものの社会学』も気になっていて、この二冊を合わせてMさんに貰った図書カードで買ってしまっても良いのではとも思った。(そう言えば書店の書架のあいだで交わした話として、断片性と体系性の話があった――Mさんの実感として、人間はその二つのタイプに分かれる傾向があると。芸術家や作家タイプの人はわりと断片的で、色々なところから素材を引っ張ってくる、それに対して研究者タイプの人は体系的で、例えば一人の思想家なりの思想を体系的に記憶し、理解しようとする。だからUくんのようにすらすらと説明ができると。僕は完全に断片のほうですね、(近くにちょうどバルトの著作があったので)バルトなんかも完全にそうでしょう。Mさんはその点、Fくんはニーチェなんか読むと合うと思うよ、彼も断片の人やし、と)。
 六時を迎えて、そろそろ新宿へ移動することに。SさんとWさんを交えて、食事を取る予定だった。本当に通路二つ分を見るだけで二時間を費やしていた。文学全然見なかったねと言いながらエスカレーターに乗り、下って二階。出る。もう真っ暗やね。こっちから行きましょうかと左を指す。歩道橋。駅までのあいだは中国の話を何かしらしたはずだが、詳しくは覚えていない。駅舎に入ると、ちょうど帰宅ラッシュの頃合いですねと。しかし新宿方面は空いているのでは? 電車は遅れているようだった。一八時一一分に東京行きがあり、まもなく発車だった。ホームに下りてみるとしかし、空いているどころではなく、近くの車両は思いの外に満杯である。えげつないなと言いながら先頭のほうへ移動し、空間にまだしも余裕のあるところへ入った。電車内では最初のうちは中国の話をしていたと思うが、そのうち『囀りとつまずき』の話に移った。ここで少々突っ込んだ話というか、行きの道中で考えていたようなことを話すことができた。Mさんの口から同作の名が零れたのを捉えて、『囀りとつまずき』は、やはり、「傑作」と言うにはちょっと違いますねとこちらが口火を切ったのだった。今回読んで強く感じたのはその雑駁性で、主題が多様であること、鈍い断章も含まれていることが一つのリズムを生み出している、鋭い断章だけに刈り揃えていたら、かえって単調になっていたのではないか。しかしその点、Mさんは中途半端ではないかと思っていたらしくて、主題をもう少し統一するか、それとも雑駁性のほうを目指すのだったら分量を今の倍にしたほうが良かったとあとから考えたのだと言う。ほか、文体が差異を搔き集める装置になっている、そしてその有り様が「生命的」であるということについても説明した。また、気づいたこととしては、話者が世界をよく「読解」しているということだ。見るだけに留まらず、その先の意味を読み取る振舞いが多い。あの話者は身の回りの世界をテクストとして読んでいるわけですよねと言うと、まさにそう、と。その点、そうした読解者の振舞いへの誘惑と言うか、その実践の一例としてあの小説を捉えることも出来るんではないですか。ほか、席に座ってから、著者へのインタビューのような意識で、「自意識」の主題についてはどうですか、と話を振る。話者は他者の視線を浴びることで、緊張したり、羞恥を覚えたりしていますよねと。それに関しては、Mさんが不安障害を発症して以降、そうした記述が増えてきたのだと言う。しかしやはり特徴的なのは、話者が自分のそうした自意識の動き、恥の感情すらも一つの対象にしていることでしょう、その点やはり、普通の私小説に対する批評的な作品になっているんじゃないですか。しかしMさんは、そこに介在する「距離」すらも、一種の「照れ」の産物に思えてしまうのだと答える。恥があるので、かえって距離を導入しようとすると。
 ほか、助詞の使い方など。「の」の使い方が特殊で、そのあたり中国で学生と話している時にも出てしまうことがあって、少々気になるのだと。また、抽象的な性質の名詞化という技法も使われていますねとこちら。いくつかあったと思うのだが、こちらが覚えているのは、「書物の難解に目を落とす」という表現で、普通は「難解な書物」とするだろうところを、あえて形容動詞・性質を表す言葉を名詞として用いるわけだ。通常の書き方をすると、長い文章を書いても構文が丸わかりになり、どこからどこまでが主部だなというのが容易に判断されてしまう。助詞の使い方にせよ、性質の名詞化にせよ、そうした平易で安定した文章に対する反抗として導入されたもので、突然Mさんはそういう話をしていた時に、意地悪なんやねと気づいたように言った。読者に軽く読ませない、読み解かせるような負荷を掛けたいのだと。そうした発言を聞いた頃には、ちょうどもう新宿に着く頃合いだった。
 降車。どこへ行けば良いのか、どの出口から出れば良いのかわからないので、Mさんに目的の店(「プレゴ・プレゴ」という名だった)の地図を出してもらう。しかし見てもよくわからない。とりあえず東口から出ることに。ホームを移動し、エスカレーターを下り、改札を抜けて歌舞伎町方面の出口へ。出て、ふたたび地図を見る。とりあえずビックカメラが店の近くにあるようだったので、そしてビックカメラは我々の視界、すぐ傍にあったので、あちらだろうかと目指して行く。それでMさんが用いたGoogle Mapの案内では、まさしくそのビックカメラ付近が目的地だとなっていたのだが、それらしい店や建物が見つからない。それで電気屋の店員に尋ねた。すると、スマートフォンを使って即座に場所を検索した店員は、この道をもう少し行った先に新宿三丁目の交差点がある、そのあたりだと教えてくれる。ありがとうございますと礼を言って、紀伊国屋のある通りを行く。既に約束の七時を過ぎていた。新宿三丁目交差点の前に、新宿三丁目西というものもあってややこしい、ちょっと間違えそうになった。その先に大きな交差点が見えたので、あそこだろうと歩いて行き、そこに着くとふたたび地図を起動してもらい、右に折れてさらに右ですねと裏路地に入る。すると、ディスクユニオンのある通りだったので、ああここだったら来たことがあるという場所だった。我々は、Sさんの予約してくれた店が、何かすごく雰囲気の良い店だったら、静かなところだったらどうしようなどと言って、Mさんもナイフとフォークなんてよう使わんわと漏らしていたのだが、一階にはあれは何の店だったのか、雑多な人々がひしめき合う大衆的な食事屋が入っていたので、これなら大丈夫そうですねと言い合った。それでエレベーターで四階へ。七時からSでと告げると、あちらにと指し示される。それで席へ。SさんとWさんの二人はもう着いており、向かい合って話をしていたようだ。初めまして、Fですと挨拶。二人は斜めで向かい合っていたので、それぞれの隣に我々が就く。こちらの位置から見ると、左隣がWさん、向かいがSさん、その左隣がMさんとなった。店はやはり結構大衆的で、ざわざわと話し声が間断なく店内に響き合っていたし、煙草を吸っている人もいて紫煙がくゆり漂う一幕も何度かあった。
 食事について先に述べよう。大人二人は(Sさんは四七歳、Wさんは四五歳くらいだ)ワインを飲み、こちらはジンジャーエール、Mさんは烏龍茶。食事は、個別に頼むのも何だし、コースが二八〇〇円で手頃にあるので、それを四人分頼もうではないかということになった。こちらの代金は、誕生日プレゼントとしてMさんが持ってくれると言う。有り難い、最高である。金が掛からないことほど良いことはない。それでコースの料理は、前菜が五品あって、まず生ハムのプロシュート(しかしプロシュートとは一体何のことなのか?)、カジキマグロか何かのカルパッチョ、大山鶏のブロックが乗った柔らかなパン、野菜のトマト煮、それに、見た目はポテトサラダのようだったのだが(Wさんがそう言ったのだ)ムース状になったチーズの料理である。その後、巨大な舟型の容器に載せられてやって来たチーズ・リゾット。次に、パスタ。そうして、ローストビーフである。なかの赤い肉を喰うのは初めてだなどとMさんが言っており、これはなかなか柔らかくもあり、美味い品だった。デザートはアイスクリームに、ショコラのブロックと、ふわふわとしたティラミス。そうして食後のコーヒーである。飲み物を紅茶と選ぶ際にこちらがコーヒーと言うと、Mさんが大丈夫かと訊いてきたのだが、パニック障害がなくなって以来、不思議なことにカフェインの作用も受けづらくなっていて、今では飲んでも何ともないのだ。しかしこちらは多分ただ一人、砂糖とミルクを加えて飲んだ。口をつけているとMさんがふたたび、お子様、大丈夫かと訊いてくるので、うんうんと頷く。
 話は色々あって、とてもではないが書ききれないし、整然と綴ることもできない。やはりMさんがよく喋っていた。頭と舌がよく回ると思ったものだ(話しながら色々なことを思い出し、連想して述べていく、その記憶・連想の豊富さが凄いと思う)。彼はしかしただ喋りちらかすだけではなく、折に触れてほかの三人のそれぞれに話を振ってくれて、会話に途切れ目を作らずにうまく回してくれていたと思う。Wさんはこちらと同じで、基本的に物静かなタイプの方のようだった。Sさんはチャーミング。彼は概ね、その文章から受ける印象のイメージ通りだったと言うべきだろう。グレーのスーツに黒いセーター姿の好紳士で、靴は光沢のある明るい茶色のもの。穏和な雰囲気で話を聞きながらゆっくりとした動きで頷くのだが、この鷹揚な頷きはこちらもちょっと真似したいようなものである。時折り話しながら、可愛らしいような動きを差し挟んでもいて、若々しく、優しそうで、温暖な雰囲気の方だった。こちらとMさんの二人は電車のなかで、Sさんの文章から推して彼の身長を当てようぜという意味のわからないゲームをやっていたのだが、こちらが一六八(意外と一七〇行っていないのではないかと思ったのだ)、Mさんが一七二と予想していたところ、訊いてみると一七五くらいあるとのことだった。文章と実際の人柄が違う人が多いという話もあった。その例としてSさんは(……)を挙げていたのだが(あとで書くと思うが、彼は(……)氏の知人なのだ)、Mさんなどはわりとそのままだね、文章と実物の乖離が少ないねと。それでこちらはどうですかと訊いてみると、思った通りという感じもあるが、しかしああ、実物を見たなと、実際の人はこうなんだと、そういうところもあるとのこと。
 Sさんは生まれは三重なのだろうか? 母親の地元が伊勢でMさんと同じで、三歳の時から東京に移って来たという話だったと思う。父上は島根の波切というところの出身だったらしい。それでSさんは現在は(……)に住まわれている。Wさんは多分奈良が出身で(鹿煎餅に靡かないすれた鹿の話などもあった)、現在は(……)住まい。それでSさんは、美大出で油絵をやっていたらしいのだが、同時にバンドも昔はやっていて、ギターを弾いていたと言う。こちらと同じである。バンド活動で授業に出ず、テストにも出なかったほどにのめり込んでいたようだが、やっていたのは、アヴァンギャルドとかジャーマン・プログレが好きな面子が集まっていたらしく、そのようなまあ言ってしまえばよくわからないような音楽だったようだ。今はもうギターは弾かないが、家にはミキサーやターンテーブルが置かれていると言う。
 日記やブログの話からまずするのが良いだろうか。SさんはMさんの日記が大好きでよく読んでいるようで、あれが良かった、ああしたことが書いてあったと記憶が色々と出てくる。Mさんのブログは中国渡航以来、生徒の名前が無数に出てくるわけだが、それで途中で登場人物の把握ができなくなって、Sさんは何とエクセルで一覧表を作ったのだと言う。その点こちらの日記は人物は少ない、概ね自分自身と両親のみである。こちらの日記に対しての評価としては、以前、「雨のよく降るこの星で」が正式なブログタイトルだった時代に、今のような自分語りの長々しい日記ではなくて、毎日の見たもの感じた天気、ほぼそれのみを、わりあいに練った文体で書いていた時期があるのだが――このブログタイトルは小沢健二 "天気読み"の歌詞から取ったのだが、まさしくほとんど「天気を読む」だけの主体としてテクスト的に振る舞っていた頃だ――その頃の記述など、Sさんに対して「ドストライク」なのだと言う。最近のぐだぐだとしている、緩やかな柔らかい感じも結構良いとも言ってくれたと思う。何かささやかな部分に、これはでもよくよく考えるとおかしいな、結構変だなと感じられるところがあって、具体的にはよくわからないがそういうところが面白味として味わわれているようだ。Sさんのブログも話題に上がって、あの柔らかいエクリチュールは真似できない、描写のバランスが凄く良いとMさんは評価する。こちらは最近の記事のなかで、離人的な感覚、父親と自分との交換可能性みたいな感覚について書いた記事が良かったので、それについて話を差し向けてみると、あれ、いいよねとSさん自身にも好評だった。視線が始めは上からのものから始まるのが、最後には下から上を見るような形になっているのが上手く整っていると。ほかブログで言うと、こちらが読んでいる「(……)」というものもSさんは昔から読んでいて詳しいようだったし、(……)の読書日記のことも知っていた(これはMさんも読んだことがあるらしかった)。
 (……)
 それで次は、柴崎友香の話。柴崎友香の名前はいくつかの話題に出てきた。まずはHさんのこと。Hさんという、横浜で料理人をしながら小説を書いている人がいると。Sさんは彼がブログに上げていた新しい小説の冒頭を読んだらしい。しかしあれは我々が思う彼の取るべき路線ではないのだと。以前、「歌いながら眠っていた」という小説を書いた時があって、それはちょっと頭の螺子の緩んでいるような女性が語り手で、中身がすかすかでほとんどまったく内容がなく、本当にただ歌っているだけのような、ほとんど音楽に近いような小説だった。そのすかすかさがヴァルザーを思わせるようなところがあるのだが、あれを書いた時、彼は完全にスタイルを掴んだなと思ったのだが(とMさん)、その後は妙に、普通のリアリズムと言うか、女性の語り手を据えたわりと普通の恋愛小説みたいな方向に行ってしまっている、その路線は我々は違うと思っていて、彼は完全にヴァルザーを目指すべき人間だと思っているのだがとそんな風に話す。もう一つは、こちらの日記との関連で柴崎の名前が出てきた。と言うのは、数年前に、多分二〇一四年の頃だったかと思うが、柴崎友香『ビリジアン』を読んで、その淡さ、軽さ、自意識のなさが羨ましく思えて、こちらもそうした軽い文体を真似していた時期があったのだ。今から考えると大して上手く行っていなかったと思うのだが、Sさんは、一時期、柴崎友香に似ていた頃がありましたよねと言う。それで、そんなに前から読んでくださっていたのかと恐縮し、驚いた。その頃など、こちらがまだSさんのブログ、その存在を知る前ではないのか? あとは、Mさん言う「世界史の瞬間」でも柴崎の名がちょっと出た。前回Mさんが東京に来たのは二〇一六年の一一月、ちょうどドナルド・トランプの大統領当選が発表された頃合いで、当時の日記にも書かれていたが、新宿のカプセルホテルに泊まっていたMさんが、ラウンジみたいなところにいると、テレビでドナルド・トランプの演説が流れた、と言うか当選が発表されたのだろうか、その時に、その場にいた外国人が皆目を上げてそちらに注視したのを見て、あ、これは今世界史が動いた瞬間だと思ったのだと。それを受けてSさんが名前を出したのは柴崎友香の新作、『公園へ行かないか?火曜日に』で、そのなかで柴崎友香もやはり、ドナルド・トランプが当選した時のことを書いているのだと。さらには、こちらが、(……)氏と昔、読書会を何度かやっていたことがあるのだが、そのなかで柴崎友香が取り上げられたのだ(『わたしがいなかった街で』だったと思う)。Mさんの理解では、こちらが好きな柴崎友香をその会では良く評価しなかったので、それでこちらは読書会を辞めた、という風に伝わっていたようだったのだが、そうではなくて、ただ周りの人々が柴崎の作品について言っていることがよく理解できなかっただけなのだ。それで、読書会も、こちらが自主的に辞めるという感じではなく、自然消滅的な感じではなかったかと思うのだが、しかしこのあたりの記憶は曖昧である。(……)氏に関して言えば、「(……)」の人とも知り合いらしく、文学やら芸術やらの業界は本当に狭いねえという話も出た。「(……)」のなかに(……)さんという方がいらっしゃると思うのだが、その(……)さんはMさんは昔からその存在を知っていて、もう結構昔のことだろうがMさんが新人賞の最終選考の一歩手前くらいまで行った時に、(……)氏も同じくそのくらいまで行っていて、絶賛するような選評が載っていたので気になったのだと言う。それでインターネットで彼の小説を見つけて読んでみると、彼は当時高校生くらいだったようなのだが、ル・クレジオだ、となったと。また、(……)さんのほうでも、彼は(……)の編集をやっていたようなのだが、Mさんが、多分『絶景』だったと思うけれど、それを賞に送ったは良いけれどこだわりを見せて辞退した伝説の事件の際、そうしたエピソードがあったというのを聞いたことがあるらしい(と言うのは(……)さんの知り合いであるWさんの情報である)。今日この店に集った四人は皆、「(……)」を読んでいるし、Sさんとこちらの読んでいるブログも重なっているようだし、やはりそのあたり同じ人種が類は共を成していると言うか、あれを読んでいる人はこれも読んでいるみたいな感じで、それで言えば文芸誌で活躍しているプロの作家も、大体全部で四、五〇人くらい、そのくらいで回しているのではないかという話もあった。狭い業界なのだ。
 さて次は、ささま書店。Sさんは、あそこに住めるもんねもう、という褒め方をした。実際人文書が素晴らしく充実している古本屋で、Sさんがささま書店に行った日というのは、その前に神田神保町の古本市にも行っていたのだが、人手が凄くて辟易して西に避難してきつつささまに寄ったところ、神保町よりもこっちのほうがいいやと思うほどに充実していてと。明日(ではなくてもう今日なのだ)こちらはMさんと行く予定である。パスカル全集二巻五〇〇〇円を買ってしまおうかと思っている(どうせ誰も買っていないだろう)。
 そう言えばWさんもガラケーユーザーでこちらと同じらしい。LINEをやらない仲間である(こちらは一応、PCでLINEを用いてはいるが)。
 離人感の話。離人感とはちょっと違うのかもしれないが、病気が良くなった今もこちらは感覚の希薄さのようなものがあると。微妙な違いで、日記を読んでいる人には伝わらないと言うか、言語には乗らないような差異なのだが、以前に比べるとやはり微細だが明らかに感覚が薄くなっている、あるいは遠くなっているというようなことはあると思う。まあそれでパニック障害が治ったと言うか、緊張なども無闇にしないように、と言うかもうほとんどしないようになったので、楽な側面もあって、まあ良いことなのではとは思っていますけどね、と話す。
 Mさんの聞き書きの話。上でもちょっと触れたが、Mさんは以前、京都で戦争体験者の老人から話を聞くことを行っていた。その時に聞かれた一エピソード――その時話を聞いた老人は、戦時中、太平洋のほうで穴掘りをさせられていた。日本兵が爆弾か何かを持って潜み、そのまま特攻するのに隠れるための穴である。それである時、食料がなくなって、徴発のために山間の村に行く。するとそこの村の住民は、ほとんど何を言っているのか方言が強くてよく聞き取れない。ところが、彼らが何故か喜んで、牛を解体してわいわいと宴をやっていた。それで何故かと聞いてみれば、断片的に理解されたところでは、厳粛な雰囲気のラジオ放送があったから、日本が戦争に勝ったと思ったのだと。しかし、日本の劣勢を知っている上部の士官はおかしいなと、そんなはずはないと思って情報を確認しに行くと、いや勝ったのではない、負けたのだということがわかったのだと。Mさんはこの話を、マルケスの小説に出てくるエピソードのようだと評した。そのあたりからちょっと歴史修正主義の話もしたと思う。戦争中の状況を書いた本など読んでいると、普通に従軍慰安婦のようなものがあったという証言が普通に出てくる。しかも何人もがそういうことを言っている、なのに従軍慰安婦はなかった、なかったという本があれだけ出ているのだと。それって何なんだろうとなるなあと。
 暗黒舞踏ピナ・バウシュ。しかしこのあたりは自分はほとんど知らない分野なので(暗黒舞踏という言葉も初めて聞いたし、ピナ・バウシュは名前しか知らない)、よくも覚えていない。Wさんが日本のダンサー・パフォーマーに詳しいようだった。パフォーマーで言ったら田中泯の名前も上がった時があった。Cecil Taylor京都賞を受賞した時に、田中泯とコラボレーションしたのだ。ほか、Mさんはブーレーズは生で見たことがあると言う。
 こちらがトイレに立って(その頃にはもう皆、コーヒーまで飲み終わって食事は終わっていたと思うが)、戻ってきた際には、乗代雄介の話がなされていた。何だっけ、『本物の読書家』ですっけとこちら。Sさんの評価では、『本物の読書家』は、勿論決して悪くはないが、しかし全面的には共感・賛同は出来ない、というくらいのものだったようだ。それよりも、もう一つ、何と言っていたか忘れたが、もう一つの小説のほうが良いと彼は言っていた。
 Keith Jarrett。いや、先にEvansの話だったか? その前には沖縄と暗唱の話があったかもしれない。最近沖縄の本をめっちゃ読んでるよねとこちらにMさん。いや、別に読んではいない、一冊しか読んではいない、ただ書抜きを繰り返し音読して知識を頭に入れようとしている。そこから暗記・暗唱の話にちょっとなって、こちらが昔、ガルシア=マルケス『族長の秋』を頭に叩き込んで暗唱しようとしていたという挿話が明かされた。実際、当時は冒頭から三ページくらいは本当に暗唱できたのだ。そこでまだ覚えているかと、「週末にハゲタカどもが……」と言いはじめてみたが、「週末にハゲタカどもが大統領府のバルコニーに押しかけて」で止まってしまった。しかし今なら続きを思い出せる、「週末にハゲタカどもが大統領府のバルコニーに押しかけて、窓という窓の金網を嘴で食い破り、内部のよどんだ空気を、翼で引っ搔き回したおかげである」と、冒頭の一文はこんな感じだったはずだ。それで、音楽でも、全部覚えたいみたいなのはありますよねえとSさん。それで言うと僕は物凄くベタなんですけど、Bill Evans Trioのあの一番有名なやつですね(一九六一年六月二五日のライブだ)。めっちゃ聞くよね、"All of You"を、何回聞くんだっていうくらい聞いてるよねとSさん。以前は毎日のように聞いていた。三テイクあるのだが、三つとも全然違っていて、しかし甲乙つけがたくどれも素晴らしいのだと。そこから確か、Mさんによって、クラシックも弾きこなすジャズピアニストは誰だったかという問いが提出されたのだったと思う。こちらが思い浮かべて口にしたのはKeith JarrettChick Coreaである。それでMさんが、そう言えば昔、父ちゃんとJarrett見に行ったんでしょと。その通り、よく覚えているなと思うのだが、あれは多分パニック障害で休学中の頃、と言うと二〇一〇年かそこらのことのはずで、もう段々落ち着いてきていた頃だったかと思うのだが、確か病中のこちらを慮って父親が、たまには気分転換にというわけでライブに誘ってくれたのだ(兄も同行した)。それで父親の車に乗って、渋谷の何とか言うホールに行った。ただその時、ライブ会場に入る前に、喫茶室みたいなところでちょっと軽食を取ろうとなるじゃないですか、でも僕は、緊張しすぎて、水しか飲めなかったんですよ、何か食べると吐いちゃうと思って、と笑いながら語る。実際、嘔吐恐怖の強かった時は、今日このように皆で外の店で食事を取るなどということは無理だったのだ(自宅で食べていても嘔吐に対する恐怖で幻想的な吐き気がもたらされるくらいだった)。それで、渋谷のほうに行くなら新宿のディスクユニオンにも寄りたいなというわけで寄ってもらって、確かAntonio Sanchezか何かを買ったんだったかなと思い出を語る。あとは、クラシカルなジャズピアノと言うと、Brad Mehldauですかねとこちらは名を挙げる。ソロピアノの『Live In Tokyo』がこちらは好きなのだが、Sさんに聞かれますかと尋ねると、聞くとのことだった。もうずっと前、一〇年か一五年かそのくらい前に、Mehldauが来日してすみだトリフォニーホールかどこかでソロでやった際に、Sさんは聞きに行ったことがあるのだと言う。
 思い出せるのはそのくらいだろうか。店を去ったのは一一時前くらいだったと思う。会計は三〇〇〇・三〇〇〇・四〇〇〇で三人が分担し、残りはSさんが払ってくれた(こちらの分の三〇〇〇円はMさんが支払ってくれた)。それで退去。店員にありがとうございましたと礼を言いながら。狭苦しく汚いエレベーター――壁に「帰宅」とか「インフル」とか、意図の不明な落書きがなされていた――で一階まで下り、通りに出て、ありがとうございましたと。こちらはSさんに近づき、手を差し出して握手した(彼は両手でこちらの右手を包み込んでくれた)。Sさんだけ違う方面、Mさんはカプセルホテルへ、こちらとWさんはJRである。それで三人で駅のほうへ。ここでWさんは、米の炊き方の話をしてくれた。面白いことに彼は「米の炊き方教室」というものに行ったことがあって、普通美味い米と言うと、水気をよく含んでふっくらとしているとか、甘みがあるとかだと思うのだが、その教室で教えるのは、外が少々固く、なかが柔らかい、とそういう炊き方なのだと言う。そんな話をしながら駅近くまで行き、ルミネの向かい、地下通路への階段の傍でカプセルホテルに行くMさんと別れ、こちらとWさんで階段を下った。住まいは(……)だと言う。新宿はあまり来ないらしく、新宿や渋谷で遊ぶような性向でなかったと言うので、僕もそうですと同意。それにしてもフットワークが軽い、岡崎乾二郎始め、詩のワークショップなどから米の炊き方教室まで、色々なイベントに参加している人である。今まで一番印象深かったのは何ですかと訊くと、やはり岡崎乾二郎の講座が一番勉強になったと。理論的なことを学ぶ場で、実作方面のものもあるのだが、これは平日夜なので行けなかったのだと言う。改札をくぐったあとは詩の話を少々。詩というものは全然どう読めば良いのかわからない、どう読むんですかと訊く。それを知りたくてワークショップに行ったのだと。それでわかりましたか。うーん、あんまり……というような感じだったので笑う。何か、ここいいな、みたいな、ここちょっといいな、みたいなそんな感じ、そんな程度なんですよとこちら。それでこちらの乗る一二番線の入り口に来たので、ありがとうございましたと握手をやはりして、またお会いできる機会があれば、是非お願いしますと言って別れた。ホームへ階段を上る。ちょうど電車が発車するところ。次まで時間があるのでホームを辿って先頭、一号車のほうへ。乗る。携帯電話を取り出して、メモを取っていく。こちらの前、扉際に乗った中年男性は、イヤフォンで音楽を流しながら目を瞑っているのだが、よほど眠いようで、ほとんど一、二秒ごとに膝を曲げてがくりがくりと揺れている。電車のなかではひたすらメモを取る。メモのやり方として、連想方式と言うか、時系列の流れに沿って取りながらも、連想的に思い出されたことがあったら一旦時系列を離れて、下方にスクロールしてもうそこに思い出したことを順番関係なくメモしてしまう、というやり方が良いなと気づいた。どうでも良いのだが、「四天王」という文字を打ち込んだ時に、予測変換で「四天王寺ワッソ」というのが出てきて、予測変換で出るほどに有名なのかと小さな驚きがあった。後藤明生が書いていた大阪の催しである。それで(……)で降車、一番線に乗り換え、(……)行き。ここでもやはりメモ取り。(……)あたりからは席に就いて。脚を組みながら。(……)着。(……)行きになるのは(……)方面の四両なので、降りて、ホームの先のほうに移動。七号車に乗車。席に就き、脚を偉そうに組んでメモを取り続ける。最寄りで降りて、やはり携帯は手放さない。駅を出るとちょうど通りに車が途切れていて、真夜中零時の神聖なる静寂のなかを渡って坂へ。下りながらも携帯は片手に持っており、時折り歩調を緩めて、あるいはもう立ち止まってしまって、思い出したことをメモする。そうして帰宅。鍵を開ける際に、死というものの予感のようなものがあったと言うか、何と言うか、今はこうして帰ってきても両親が待っているけれど、いずれ彼らも死に絶えて、ただ一人の家に帰ってくることにもなるのだよなという感慨が一瞬で湧き上がって、そしていずれこちらも死ぬ。石原吉郎の詩を思い出した――「来るよりほかに仕方のない時間が/やってくるということの/なんというみごとさ」(「夜の招待」)。思い出しながらなかに入る。居間。父親、炬燵。漫談を見ている。酒に酔っているようで――今日、両親は、社長の代理だったかそれとも社長同伴だったか、ともかく会社のほうの食事会に出ていて、彼らも帰りは結構遅かったはずだ――やや赤い顔をして、ちょっと呂律の怪しいような口ぶりで、歩いてきたのかと訊く。いや、(……)行きの最終に乗ってきたと言いながら下階へ。Twitterを見て、コートを脱いで吊るしておき、そして入浴へ。上階に行くと母親が風呂から出たところだった。今日は誰だっけと訊くので、Mさんと会ってきたのだと報告し、風呂へ。風呂には携帯を持ち込んだ――やはり思い出したことを忘れないうちに即座にメモをするためなのだが、風呂場に携帯を持つのは久しぶりのことで、昔は結構よくやっていたのだ、と言うのは音楽を聞くためで、あれは高校生の時だったのか、いや多分ジャズを聞いていたから大学の時だと思うのだが、Freddie Hubbardの『Open Sesame』を毎日のように流していたのだ。それでメモを取りながら浸かり、頭を洗って出ると、すぐに下へ。既に時刻は一時過ぎだったが、日記を書き出す。ぶっ続けで三時間書いて四時を回ったのだが、それでも七割くらいにしか達していなかった。今日の日記は非常に長い。今までで一番長いかもしれない。しかしそれも終わりに近づいている、現在時に。それで、四時を回ったしさすがにもう眠ろうと消灯し、寝床に入ったのが――歯磨きを忘れずにしたあとで――四時二〇分。眠れずに瞑目しているうちに、夢のような時間だなと思った。僅か数時間前まで新宿にいて皆と話をしていたのに、いつの間にか家に帰ってきており、日記を通過して、今は寝床で横たわっている、それらの時間の経過にまるで実感が湧かないと言うか、現実感が希薄なのだった。こういう時は、いつもヴァージニア・ウルフ『ダロウェイ夫人』のなかの、クラリッサ・ダロウェイの感慨を思いだす――。

 そんなわたしでも、一日が終われば次の日が来る。水曜日、木曜日、金曜日、土曜日……。朝には目覚め、空を見上げ、公園を歩き、ヒュー・ウィットブレッドと出会ったかと思うと、不意にピーターがやってくる。最後はこの薔薇の花。これで十分だわね。こんなことがあったあとに、死など到底信じられない――これがいずれ終わるなんて。わたしがこのすべてをいかに愛しているか、世界中の誰も知らない。この一瞬一瞬を……。
 (ヴァージニア・ウルフ土屋政雄訳『ダロウェイ夫人』光文社古典新訳文庫、二〇一〇年、214)

 すべてを過去に投げ込み、砂の柱のようにこぼれ落ちさせてしまう、時間というものの圧倒的な、徹底的なまでの暴力性。一つには、その暴力に無力にも、しかし少しでも抗うために自分の日記というものはあるのだろう。

2019/2/4, Mon.

 三時台に一度目覚めている。それから五時台にも覚めたような気がする。そうして七時。夢を見た。匿名的な女性と一緒に風呂に入っていた。当然お互い裸なわけだが、性器を意識するとかエロティックな雰囲気はなかったと思う。彼女はおそらくこちらよりも年下で、何かその相談に乗っていると言うか、そんな感じだったようだ。時刻は夜、何となく一一時くらいだったような記憶がないでもない。じきに、父親がやって来る。一緒に入っているのを見られるのはまずいなというわけで、こちらは浴槽の端に身を寄せるが、そうしてみたって隠れられるものでもない。それでも父親は、扉をほんの少し開けるとすぐに、女性が入っていたからだろう閉め返して去って行った。しかし当然、ばれただろうという認識がこちらにはある。それで、正直に話して許してもらうしかあるまいと女性と話し合い、彼女に先に出てもらって、こちらと風呂に入っていたことを釈明してもらおうと告げる。実際そのようになったのだが、出てみると父親は気分を害するのではなく、笑みを浮かべており、これで二人の関係も安泰だなというような様子である。玄関に行く父親を追ってこちらは、自分たちはそういう関係ではないのだ。性的な交渉もしていないし、自分はただ彼女を助けたかっただけなのだ、などと述べ立てる――というところまでが覚えている事柄である。七時半に至ると床を抜けて上階に行った。両親に挨拶し、ダウンジャケットを羽織ってストーブの前にちょっと座ってから(居間の床には、前日節分だったので両親が撒いた豆の残骸が散らかっていた)、洗面所に行って顔を洗う。ついでに頭に整髪ウォーターをスプレーして、寝癖も直して、ハード・ムースで適当に整えておいた。そうして洗面所を出ると、台所の炊飯器の横には前日の五目ご飯を取り分けたものと、やはり前日の残り物である大根の肉巻きがあったので、それらをいっぺんに電子レンジに突っ込んで加熱する(カウンターを通して南窓のほうを見やると、午前七時の陽射しが大気の隅まで満ちて、まるで空気の全面が砂塵に覆われたように外の風景が霞んでいた)。そうして卓へ、新聞をひらきながら食事。読売文学賞を受賞した平野啓一郎についての記事を読む。向かいの母親はこちらを見てまたもや、髭を剃っていきなよ、新井容疑者みたいだよと言う。さらには鼻毛もちょっと出ているみたいと言うのでマジかと受けて、背後の鏡に顔を寄せてみると、確かに右の穴の下端にほんの少しだけ、覗いているものがあった。ゆで卵と林檎も食べ、薬を飲んで食器を洗う。そうして自室に帰ると鋏を使ってまず鼻毛を処理した。それから洗面所に行き、鏡を見ながら小さな鋏とコームを用いて眉も短く刈り揃えておいた。それで室に戻ると日記である。前日分を仕上げて(九〇〇〇字ほどを数えたが、二万字レベルを何度か経験した今、これくらいならばさして長くないなという感覚になっている)ブログに投稿、Twitterにも通知をしておいてからこの日のことをここまで綴って九時である。電車は一一時前半青梅発に乗れば、一二時半新宿に間に合うが、調べてみると中央線が遅延しているらしい。しかしともかくも、一〇時半頃に家を出れば、その頃には多分遅延も解消されているだろうから、大丈夫だろうと見込んでいる。ということはしかし、あと一時間半しかないわけだ。
 ひとまず風呂を洗いに行った。それから居間の片隅、テーブルの椅子に掛けられていたシャツ二枚をハンガーから外し、自室に持って帰る。収納のなかのハンガーに掛け直しておき、服を着替えた。赤と白とほとんど黒に近い濃紺のチェック柄のシャツに、グレーのイージー・スリム・パンツ。リュックサックには、Uくんに紹介して話の種にしようというわけで、最近読んだ本をいくつも収める。そうして歯を磨きながら日記の読み返し、一年前と二〇一六年八月五日。「太陽は、直上に近く感じられるが、まだ前方に浮いているようで、絶え間なく額に熱を送ってくる。道の先に見える青い瓦屋根は溶けんばかりに真っ白に膨らみ、こちらが近づいていくにつれてその川面のような白さを端から剝がされて、横を通る時には全面に取り戻された色濃い青さを湛え、陽射しを受けても乾かずその内から水が湧きだしているかのように、隅々まで光沢を残して美しく輝くのだった」という描写がちょっと良かったのでTwiterに投稿しておいた。それからCandy Dulfer『Live In Amsterdam』をBGMにして、「記憶」記事を音読する。一九番から二二番まで。

  • ●1960: 普天間基地が空軍から海兵隊に移管。
  • ●1962: 宜野湾村が宜野湾市に。普天間の面積は四八〇ヘクタール、宜野湾市の二五%を占める。キャンプ・瑞慶覧を含めると三二%。
  • ●1990年代: 普天間基地にヘリコプター部隊が常駐するように。周辺住民は騒音被害に悩まされるようになる。

 日記を書き足して便所に行き排便すると、一〇時二〇分。一〇時半頃出る予定だった。残り少ない時間を、小林康夫・西山雄二対談「人文学は滅びない 時代の課題に向き合い、新しい人文学の地平を開くために」(https://dokushojin.com/article.html?i=3681)に充て、二頁目まで読む。

西山  二〇一五年は大学での人文学のあり方をめぐって様々な議論が起こりました。その発端は六月八日に文科省から出された通知「国立大学法人等の組織及び業務全般の見直しについて」です。(……)通知の中では、「特に教員養成系学部・大学院、人文社会科学系学部・大学院については、〔…〕組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換に積極的に取り組むよう努めることとする」と明言されています。(……)

小林  なぜこの十五年で、今までの大学のあり方に対して、大きな変更が求められるようになったと、西山さんは考えているのかしら?
西山  二一世紀の知識資本主義、知識基盤社会において、知識や情報の商品化や技術革新が求められ、知的イノベーションの拠点として大学が位置づけられるようになったからです。グローバル時代において、大学は先端的なイノベーションを先導し、高度な産業技術人材を育成する機関であり、国益や国力に資するナショナルな政策によってその統治や運営が方向づけられるようになってきました。
小林  そうですよね。グローバル化した資本主義では、高度な競争が要求される。そこでは国家すら資本主義のひとつのエージェントに過ぎなくなる。なおかつ情報化が急速に、かつ途轍もない規模で進展したこととリンクして、これまでとはまったく違う歴史的な局面に我々は追いやられることになったわけですね。(……)それまでは資本主義社会あるいは国家の中で、大学は一種のオアシスというか治外法権というか、まさにUniversityですから、普遍的なものの探求のために、社会の競争原理から相対的に退却した閉域のようなところがあったし、それが「大学」という理念を支えてもいたんだけれど、資本主義の体制が変質したことによって、その特別な権利が認められなくなったどころか、まさに「大学」の「知」の創造こそが、資本主義のもっとも強力な競争要因として認識されるようになってきてしまったわけです。「大学」は、ある意味、資本主義の最先端ですよ、ということになった。(……)

 そうして一〇時半を越えると、リュックサックを片手に持って上階へ。母親に行ってくると声を掛けるが、返答がない。それで見やると、耳もとにイヤフォンのコードが見える。音楽を聞きながらタブレットを弄っているので、右足の先で腰のあたりに触れてこちらに気づかせて、行ってくると再度告げて出発した。家の前の路上には濡れた痕が残っていた。知らぬ間に雨が降っていたのか、それとも母親が水を撒いたのかと疑問に思いながら歩き出す。流れているのは肌に触れたそばからほどける春の風で、寒さなど一片もない。坂に入ると、左の斜面、乾いて色の薄くなった下草のなかに、真っ赤なものが折に触れて見られる。坂道も日蔭は水気が残っていたので、やはり気づかないうちに雨が通っていたらしい。坂、上って平ら道を行く。体温とまったく齟齬なく一体化する大気。街道前、紅梅が盛りらしく、ひらいた枝にピンク色の花を鮮やかに並べ、光を浴びている。表に出る頃にはもう背が暑いようで、車の引いてくる風が丁度良い。北側に渡り、ランナー数人とすれ違いながら進む。東の途上にあるのは、チューブから絞り出されたような細長い雲。途中で裏へ入り、Uくんと何を話そうかと散漫に思い巡らせながら歩く。市民会館跡地付近の一軒で、戸口に赤子を抱えた女性が立っており、戸の内にいる老女が赤ん坊の手に触れながら話していた。その家には紅梅と蠟梅が重なり合うように立って、光を浴びている。
 青梅駅。立川行きが近かったが、一一時一七分に東京行きもある。新宿まで座れたほうが楽だなというわけで立川行きは発車するに任せ、ベンチに就いて手帳にメモを取った。東京行きがやって来ると立ち上がって先頭車両へ。視界の先、先頭の車両の脇に車椅子があって、傍には女性が一人立っている。足の悪いらしい老女が緩慢な動きで椅子に就く。そうして娘らしい女性が車椅子を押しはじめたその脇から車両に乗り込み、席に就くとメモを取り続ける。発車したところでほぼ現在時に追いつく。電車が動いているあいだは揺れでうまく文字が書けないので手帳をポケットに仕舞い、斎藤松三郎・圓子修平訳『ムージル著作集 第八巻 熱狂家たち/生前の遺稿』を取り出して読み出す。書見しながら移動。拝島だったと思うが、若い、大学生くらいのカップルが乗ってくる。手を繋いでいる(女性のほうの真っ赤な爪)。テニスサークルだろうか、ラケットらしいものを揃って持っていて、二人ともジャージと言うかスウェットと言うか、運動着らしきものを身につけており、男性はその上から薄茶色のダッフルコートを羽織っていた。彼らはその後、談笑しながら乗っているあいだ、ずっと手を離さず、時に両手とも繋ぎ合って、時に身を近く寄せていた。彼らの手の繋ぎ目の部分が影となって、床の上にひらいた光の矩形のなかに映り込む。西立川で、目のあまり見えないらしい人が乗ってきた。乗る際に、乗り口がどこにあるのかわからず、居合わせた若い女性――高校生くらいにも見える、童顔の人だった――に誘導されて乗ってきたのだ。女性は案内をするとさっさとその場を離れてしまい、盲人は、見当違いの方向に向けて礼を言っていた。どこまで行くのだろうか、大丈夫だろうかと盲人のほうを折に触れて見やっていたのだが、彼は右手を伸ばし、手すりや網棚の縁に触れながら、物怖じせずに車両の先頭まで移動していた。その後も時折りそちらに視線を送っていたが、結局彼がどこで降りたのかはわからなかった、乗ってきた人々の影で視界が遮られてしまったのだ。ムージルを読みつつ、到着を待つ。立川以降は特段印象深いこともなかったと思う。新宿で降車。柱の影に立って携帯を取り出し見ると、Uくんからメールが入っていて、一〇分ほど遅れるとあったので、東南口の改札付近にいると送り返した。そうしてムージルを仕舞ってホームを歩き、エスカレーターを上り、群衆のなかを東南口へ(やはり外国人の姿が多く目に入る)。改札を出て向かいの腰壁に寄りかかってメモを取っていると、まもなくUくんがやって来た。笑いながら手を差し伸べ、握手し、お久しぶりです、また会えて嬉しいですと。五年ぶりくらいではないかと。確かTくんらと五月の文学フリマに行ったのが二〇一四年か二〇一五年かのどちらかで、その帰りに代々木に寄って、PRONTOで政治談義になって決裂したのだったと思う、そうするとやはり四、五年ぶりということになろう。
 スパイスカレーの美味い店があると言い、そこに行くことに。西口方面と言う。Uくんはカレーの店を五〇軒以上食べ歩いたらしい(高円寺の何とか言う店が一番だと言っていた)。歩きながらこちらの日記の話。「狂気」、と言われたのには笑う――勿論、褒め言葉としてなのだが。こちらとTwitterで再会した経緯、こちらがまだ日記を続けているということを(しかも以前よりも長々と、冗長に!)Kくんにも伝えると、彼も、「それは狂気だな」と言ったと言う。読書時間の記録なんかと言及されるので、笑って、あれは、わかりやすい指標が欲しいんですよ、自分が停滞していないっていう。俺は今日これだけ文章を読んだということを明確にして、進展を確認したいんですよ。ガード下に来る頃には、Uくんはこちらの営みのことを、アウグスティヌスから始まってミシェル・レリスに至る、「内省」の系譜に連なっていますよねと口にしていた(最初彼は、レリスをレーモン・ルーセルと言い間違えていた)。それに対してこちらは、西洋の文化だと日記というのは基本的に「内省」の技のようですね、その点こちらの日記は叙事に寄っているので、そこがちょっと違うかなとは思いますと。これ以前にUくんはこちらの日記について、自分の感情とか思いのようなものが入っていないと言っていた。と言うか、自己客体化が甚だしくて、心情や心の内のことさえも客観的に追っていると。その点、自分の日記は、心理さえも叙事になっていると言えるのかもしれない。
 ガード下を抜けて、「やけに広い横断歩道」(くるり)を渡る。裏道。Uくんは『Y』にケンドリック・ラマー論を書いたり、ほかにも連載の仕事を受けていたらしい。凄いものだ。日記しか書けないこちらとしては、きちんと主題を持ってその下に整然とまとまった文章を書けるのは羨ましい。でも編集者になめられているんですよとUくん。と言うのは、「S」で活動していて、実力もない「ただのガキのくせに」持ち上げられてしまったものだから、それでなめられているのだと。Sのほかのメンバーについても、「ただのガキのくせに」持ち上げられて、自分は偉いと勘違いしてしまったようなやつらがいる、でも自分はそのあたりドライなんで、と彼は言う。
 目指すカレー屋はビルの二階に上って、薄暗いような廊下に入ったところにあったのだが、休みだった。Uくんは薄々そうではないかと思っていたようだ。こちらはだからと言って別に全然気分は害さない。洋食屋に行きましょうかということで歩き出したのだが、件の洋食屋も区画が違ったようで、もうどこか適当に入っちゃいましょうとなった。それでちょうどエクセルシオール・カフェの前にいたので、それかもう喫茶店に入っちゃって軽食でもと指すと、そうしましょうとまとまった。入店。お先に席の確認をお願いしますと店員が言うのでフロアの奥に進み、ちょうど空いていた二人掛けに荷物を置く。Uくんは暑いと言ってここで上着を脱いでいたが、あとで話している最中には寒くなったと言って着込み、ご丁寧にファスナーまでぴっちりと閉めていた。財布を持ってカウンターへ。こちらはベーコンの挟まったパニーニを持ち、アイスココアのMサイズを注文する(八九〇円)。Uくんはパンと、何か褐色の美味そうな飲み物のほかにベーグルを買っていた。席に就いて、まずは昔語り。四、五年前の読書会の話など。その流れでHさんに話が及んで、国会前のデモの現場で彼と会った時、Hさんは、何やらこちらと仲違いしたと言うか、反りが合わないみたいなことを言っていたと聞く。こちらにはまったく心当たりがないので、困惑。今も二月に一度会って読書会をやっていると説明(現在はHさんのほうが忙しくなってしまい、延期になっているが)。
 ほか、UくんがN.Oの話や彼の専門であるピエール・ルジャンドルのことなど立て板に水という感じで次々と語ってくれて、非常に面白かったのだが、書ききれないしそもそも思い出しきれない。こちらは聞くばかりで彼に対して何か有益な情報や知見をもたらせなかったのが申し訳ない。まず、N.Oとは、Sの活動をやっていたので、知り合えたのだと。彼がSの支援者だったらしい。それで、彼と一対二でフランス語を学ぶ授業を受けていると。ミシェル・トゥルニエが中学生向けに書いたテクストなどというのがあるらしく、それを読んだと言う。素晴らしい話だ。そういった知的資産の享受というのはやはり大学にいないとできないから、その点羨ましいとこちら。授業を受けているもう一人というのはJくんという人で、この人もSのメンバーだったと言うが、彼は確かルジャンドルの弟子の研究をしているとか言っていたか?
 肝心のルジャンドルの思想について、Uくんは非常に色々と語ってくれたのだが、こちらの理解力の問題でうまく理解できているか怪しいし、よくも思い出せない。まず、ルジャンドルという人は、まとめて言ってしまうと、「法はダンスだ」などと言っている人らしく、科学的なものや合理的なもの、理性的なものの基盤に美的なものが避けようもなく入り込んでしまっているということを明かしているのだと。彼の歴史観では、フランス革命よりもアメリカ独立革命よりも重要な、「最初で最後の革命」として、一二世紀に起こった教会法とローマ法の結合がある。そこから現代の世界に繋がる権利や自由の観念、理性と信仰の対立(と同時に対立しながらの他面での癒着)が出てきていると。詳しく言うとどういうことか? まずローマ法と言うのは、ローマ帝国が各地を侵略し、領地を拡大していく上で、侵略のたびに統治のために作り出されたものである。その原理というのは、事実と法と裁判官の良心というのが三位一体になっている。事実と法というのはそのままでは結合しないものである、そこには解釈が媒介にならないといけない、その解釈をするのが裁判官で、裁判官は良心を持って解釈をしなければならず、それらが三位一体となることで、「真理」というものが作り出されると。「真理」というものが作り出される裁判の場というのは、非常に厳粛で大仰なものであるわけだが、裁判長がとん、とんと台を叩いたり、法服を着て妙に着飾ったりするのには、特段の意味はない。それは美的な、言わば「演出」である。つまりそこが「真理」を作り出す場だということを、「演出」によって皆に知らしめ、共有させない限り、裁判の場は裁判として機能しない。だから、「法」という厳格でいかにも理性的な領域の下には、美的な演出による言わば「見せかけ」が底流しているのだと(ルジャンドルは「ドグマ人類学」というものを唱えているらしいが、その「ドグマ」という言葉の意味の一つとして「見せかけ」というものがあるらしい)。大まかに言うとそういうようなことだったと思う。本当はもっとUくんはわかりやすく、かつ面白く語ってくれたのだが、どうも細かいところがうまく思い出せない。ルジャンドルはそれで、そうした観点から宗教というものを擁護する人なので、フランスでは保守だと見なされているらしい。彼はまた一九六〇年代頃には国連機関で働いていたのだが、そこで国連のプログラムが、アフリカのイスラーム教徒の民に「リベラル」な思想、自由主義的な考えを無理に押し付けるような働きをしているのを目の当たりにして、「ぷっつんきて」しまったと言う。それで、そのようなことをしているといずれイスラームは回帰してくる、その時彼らの手には短剣が握られているだろう、などということを述べていたらしく、それは完璧に現代世界の予言になっているではないかと二人で笑った。
 理性的なものの底に美的なもの、非理性的なものが敷かれているというのはおそらく色々な領域に応用して考えられる捉え方で、例えばそれは、現代社会では象徴天皇制となって宗教的な色はそこから脱色されているけれど、しかし依然として現代国家というものをある種支えるのに天皇儀礼などが必要とされていることなど、と話を向けると、まさにそうなんですよとUくんは頷く。そこから明治期の法の話とかになったはずだ。これには登場人物が二人いて、N.Oの弟子であるM.Yという人と、K.Kという人である(ついでに言うと彼の弟子には四天王みたいな感じの四人がいるらしく、それはM.Y・K.K・H.K・S.Aである。S.Aは世間的には一番有名だが、彼はそのなかでは下っ端というか、まだ序の口のほうらしい。表のボスはK氏で、裏ボスみたいなポジションにあたるのがM氏だと言っていたか?)。それで明治期の憲法などについての話なのだが、これはUくんが二人と三人で飲んだ時に話していたことらしい。伊藤博文井上毅の話で、伊藤博文カトリックで、天皇はお飾りで良いという立場だった。井上のほうはそうではなく、そのあたりで対立があったようなのだが、二人とも、西洋の国家の基盤にあるのがキリスト教だということ、キリスト教が西洋近代を支えているということには気づいていた(つまりは近代社会の基盤に非理性的なものが敷かれているということに自覚的だったということだろう)。それで、日本に憲法や西洋法を導入する際にも、おそらくそのように基盤となるようなものを取り入れないといけないとなるわけだが、ここで教育勅語に記されてある「忠君愛国」という言葉を引いてきたのは井上である。しかもその典拠というのは、『古事記』である。と言うか、「忠君」のほうは『論語』が元で、「愛国」のほうが『古事記』がオリジナルだということだったと思う。だから、教育勅語の理念というのは、儒学的なものと国学的なものの「ちゃんぽん」であったのだと、そんなような話もあった。
 もっとたくさんのことをUくんは話してくれたのだけれど、今はうまくそれらが思い出せない。また思い出せたら書こうと思うが、次は歴史修正主義の話である。Fさんは日記に新聞などもよく引用されていますよね、というところから始まった。そんなに読んでいないし、それほど引用もしていないのだが、新聞はどこのかと訊かれたので、読売と。それは政権寄りですねとUくんは笑う。自分はどちらかと言えば「リベラル」に寄っているほうだとは思うのだが、そのあたり不勉強で政治的スタンスというものが固まっておらず、昨年は朝日だったのだが、一月から読売に変わった家の都合に合わせている感じだ。実のところ、政治観はどうなんですか、現政権への評価は、などと問われたので、正直なところ、と前置いて、何となく良くないとは思っている、しかしそれではどこかどう良くないのかと訊かれたらはっきりと明確に論理立てて答えることは難しい、ただ辺野古新基地建設は良くないと思っている、そんな感じですと。とにかくこの分野に関しては不勉強で無知なのだ、それに尽きる。Uくんはそれを受けて、具体的に「どこがどう良くないのか」ということをちょっと説明してくれた。まず日銀の総裁を黒田東彦にしたことによって財務を牛耳った。一方で、日本では違憲立法審査というものが働かないようになっている、と言うか、この法律がこの場合に憲法に反していますと具体的な事例が出てこないとストップできないようになっている、それでもそれに対するストッパーみたいなものがあって、一つが内閣法務局、もう一つが、確か会計検査院と言っていたか? このあたり自分は無知なので、あまりうまく把握できていないのだが、ともかくその二つの人事も安倍首相に近い人物にしてしまったと。さらには日本会議関連の問題もあって、日本会議はもう一五年か二〇年ほど前から草の根の運動を続けている、その結果として歴史修正主義などが結構民衆に根付いてしまっていると。Uくんが地元で勤めている塾の教師も、従軍慰安婦はなかったと、そう断言するくらいだと具体例が上がった。もう手遅れっていう感じですねと彼は言う。日本の政治勢力を比率で分けると、三が自民党支持層、二がいわゆるリベラル層、そして五が無党派・無関心層というわけで、普通にやればもう自民党が勝つようになっている。リベラルが勝つには二割の支持層を完全に動員しなければならないのだが、その完全に動員というのは例えば、こちらぐらいの政治スタンスの人間も電話掛けをやるくらいでないといけないと。なおかつ、無関心層の浮動票をある程度取り入れないと勝てないというわけだった。
 それでUくんが一番腹が立つのは、やはり歴史修正主義である。集団自決の本など読んでいると、軍人から手榴弾を渡されて自決するように言われる、しかしその手榴弾が不良品で爆発しないことがある。それでどうするかと言うと、家長である父親が、木の枝が何かを使って子や妻を滅茶苦茶に叩いたり、あるいは刺したり、あるいは小さな剃刀などを用いて殺すのだと。しかし、そのような道具では自分自身を殺すことはできない、だからそういう経験をしながら生き残ってしまった人がいる。その人たちが戦後何十年も経ってようやく重い口をひらいて証言をする、そういう人たちが何人もいるのに、歴史修正主義者は、集団自決はなかったと断言して、それをなかったことにしてしまう。それは殺人よりも酷いって言うか、二度殺すことじゃないですかとUくん。人間の尊厳の問題ですよ、人間の尊厳が踏みにじられている時には、やっぱりそれに対してはむかつかなきゃいけない、腹を立てなきゃいけないだろうと語ってくれて、これには同意せざるを得ないし、そういったことも学んでいかなくてはならないだろうと思う。この時は頭にちょっと思い浮かびながらも話さなかったが、こちらはこの話を聞いて、大田昌秀沖縄県知事がインタビューで語っていた挿話を思い出したので、以下に引いておく。

例えば、住民がいたるところに壕を掘って家族で入っている。そこに本土からきた兵隊たちが来て、「俺たちは本土から沖縄を守るためにはるばるやってきたのだから、お前たちはここを出て行け」と言って、壕から家族を追い出して入っちゃうんですよね。一緒に住む場合でも、地下壕ですからそれこそ表現ができないほど鬱陶しい環境で、子供が泣くわけです。そのときに兵隊は、敵軍に気付かれてしまうから「子供を殺せ」と言う。母親は子供を殺せないもんだから、子供を抱いて豪の外に出ていき、砲弾が雨あられと降る中で母子は死んでしまう。それを見て今度は、別の母親が子供を抱いたまま豪の中に潜む。すると兵隊が近寄ってきて子供を奪い取り、銃剣で刺し殺してしまう……。そういうことを毎日のように見ているとね、沖縄の住民から「敵の米兵よりも日本軍の方が怖い」という声が出てくるわけです。
 (辺野古移設問題の「源流」はどこにあるのか――大田昌秀沖縄県知事インタビュー http://politas.jp/features/7/article/400

 働いている塾でも彼は、あまり政治的に突っ込んだ話はやはりできないらしいが、貧困死の事例など取り上げて、「人間の尊厳」などについて生徒たちに語っているらしい。ちなみにその塾は今時給二五〇〇円と高額な給料で、しかも一年働けば一〇〇円上がり、三〇〇〇円まで行けるというから羨ましい。役に立たなくて何が悪いと、役に立たないことの尊さと言うか、あるいは一般的な社会で言われる「役に立つ」ことの胡散臭さ、薄っぺらさについても生徒たちにはよく話しているようで、それを聞いてこちらは、Mさんのブログ経由で知った、髭男爵の山田ルイ五三世(だったか?)の言葉を連想して口にした――何の取り柄もない人間が特に何もせずにただ暮らしていても何も非難されない社会が正常だ、というような言葉だったはずだ。まさにその通りですよとUくんは頷く。
 ほか、こちらが紹介しようと持ってきた本をいくつか取り出して見せた時間もあった。三宅誰男『亜人』『囀りとつまずき』、福間健二『あと少しだけ just a little more』、蓮實重彦『表象の奈落――フィクションと思考の動体視力』、Ernest Hemingway, The Old Man and the Sea、『後藤明生コレクション4 後期』、『ムージル著作集 第七巻 小説集』である。Mさんの二冊については、僕の友達なんでと手前味噌に紹介し、その二冊は差し上げますと贈呈した。『亜人』は大傑作でした、『囀りとつまずき』は、傑作と言うとちょっと違うけれど、そちらも面白いですよ。冒頭の引用から既に良いですねとUくん(多田智満子と梶井基次郎)。彼は小説はあまり読めないとのことだったが、詩とは違うけれど文体が濃縮されている作品なので、言葉として楽しめるかもしれないと。ほか、ムージルについては、古井由吉が訳した二篇がやばくて、何を言っているのかまったくわからない、まったくわからないけれどやばいことだけはわかると、笑う。古井由吉自体もそうですよね、何が起こっているかわからないと彼。「三人の女」については言及するのを忘れてしまった。ほかUくんは後藤明生に着目して、名前をメモしていたようだ。三宅誰男の二冊に関しては、彼は顔を綻ばせて、嬉しいです、ありがとうございますと言ってくれた。
 大きな話題については大体そのくらいではないだろうか。ほか、細かな事柄がいくつかあったと思うが、よく思い出せない。Kくんについては、彼は小説を書きたがっているらしいのだが、書けない書けないと呻吟して「病んで」いると。Sのほかのメンバーは新聞記者になったり、大学院に進んだり、(……)。あとは人脈が凄い、人に恵まれている、良い環境にいると言った時、人脈で言ったら一つ大きなエピソードがあると紹介されたのが(一番大きいのはN.Oとの関係だと言ったが)、Uくんの母親が坂本龍一に会った時に、Uの母です、と名乗ったら、ああ、あのUくんの、と返されたらしい。これには笑った。
 また、Uくんの話を聞いていると、彼の周りにいるビッグネームや才にあふれる人々の威光に慄き、こちらはどこまでも凡人だなと自信を失くしてしまうようなのだが、Uくんもそれはそうだと言った。しかしこちらにはまだしも、日記というものがある。ともかくも自分は毎日こうして書いてはいる。彼らは確かに凄いけれど、彼らがやらないこと、出来ないことを自分はやっている、とその点は確かなことではあるだろう。朝起きてから晩眠るまでの自分の行動を逐一追い続けることなど、彼らはやったことがないだろう、しかし俺はやっている、と言って笑った。まあそれがどれだけの価値を持っている営みなのかはわからないし、それはこちらではなくて読む他人が決めることだろうが。世界一長い日記を目指しているんで、と笑った。しかし世界は広いから、ほかにも同じような人がいるかもとUくん。それはそうで、と言うかまずもってこちらは言ってみればMさんの真似をしているだけなのであって、彼のほうが長期間書いているわけだから、世界一長い日記に今のところ一番近いのはMさんのほうだろう。
 話は大方そんなところで良いだろうか? 繰り返しておくが、Uくんはもっと豊かなディテールを孕んだ話をしてくれたのだが、こちらの記憶力の問題で十全に要約できているとは言い難い。ルジャンドルの話など相当に矮小化してしまっているはずだ。ともかくも三時を迎えて、店を出ることにした。Uくんは病院に行かなくてはならなかったのだ。と言うのは、何でも脳梗塞の跡が見つかったとかで、怖い話だが、もう一年か二年くらい放置して何ともないので、多分大丈夫だとは思うということだった。それでトイレに寄りたいと言うとUくんも行きたいと言ったが、お先にどうぞと言うので階段を上がる。しかしトイレの前には女性が一人立っており、どうもまだしばらくは空かないような雰囲気が漂っていたので戻り、駅で行くことにしますと言った(そうして席を立つ際、今はちょっと忙しいのだけれど時間が出来たら読書会みたいなことやりましょうと言うので、Hさんのほうに余裕ができたら三人でやりましょうかと答えた)。カウンターの前を通る時、Uくんは、店員にごちそうさまでしたと声を掛けていた。こちらもありがとうございましたと残して店を去る。それで駅のほうへ。新宿には土地勘がないので、どういう道を通ったのか把握していないのだが、話しながら歩いているうちに京王線の駅の傍まで来ていた(空に広がる太陽が眩しかった)。こっちですとUくんが案内してくれるのに従って建物に入り、地下に下るとJRの駅である。改札をくぐると彼が、トイレにだけ寄って行きましょうというので同意し、群衆のなかを歩いて抜け、便所に入った。用を足して手を洗っているとUくんが、そう言えばFISHMANSお好きなんですねと言うので、そうなのだ、最近よく聞いていると答えながら外へ。東京方面の中央線のホームはすぐ傍にあって、それじゃ、僕はこっちなんでと言う彼とありがとうございましたと握手し、また会いましょうと言って別れた。人波のあいだを縫って、一二番線だったか、中央線下りのホームへ。やって来た中央特快高尾行きに乗ると扉際に就き、携帯電話を取り出してメール作成欄をひらき、メモを取っていく。手帳だと列車の振動でまともに書けないからこうしたのだが、やはり紙とペンのほうがやりやすくはある。それで立川までメモしていると路程はあっという間で、南に広がる青空の先に身を押し広げている午後四時前の太陽をゆっくり眺める間もなかった。立川に着くと乗り換え、一番線へ。珍しく一号車ではなく反対方向の端、一〇号車に乗る。それでふたたび扉際へ。ここではメモを取らず、読書をすることにして『ムージル著作集 第八巻』をひらいた。

 「足をからませる」という意味のハエ取り紙「タングル・フット」は、約三六センチの長さで、幅は約二一センチ。表面には黄色い毒性の粘着物質がぬられ、カナダ産である。ハエはそのうえにとまると(……)まずすべての足の曲がった尖端部だけでしっかりとはりつく。ちょうど私たちが暗がりを歩いていて、なにかを素足で踏みつけるときのような、ごくかすかで不愉快な感触。足の下にあるのはまだ今のところ、やわらかくあたたかで得体の知れない抵抗感にすぎないが、すでにその感じのなかにはぞっとするような人間的なものが徐々に流れこんでくる。そのためそれは一本の手として、つまりどういうわけかそこにあって、ますますはっきりした五本の指になりながら、私たちをしっかりとつかむ一本の手として、認識される。
 (10; 『生前の遺稿』; 「Ⅰ 形象」; 「ハエ取り紙」)

 この著作集の冒頭に載せられた『生前の遺稿』のさらに冒頭、本当に一番始めの文章なのだが、ここからして既に何かおかしくないだろうか? 「ちょうど私たちが(……)」の文で一気に、ハエの視点のなかに入り込んでいるような感じがする。続いてハエが踏む足の下の感覚のなかに、「ぞっとするような人間的なもの」が流入していくのだが、ここはいまいちよくわからないし、その直後の最終文も何を言っているのかあまりよくわからない。「そのためそれは」の「それ」というのは、ハエの足のことなのか、ハエ取り紙のことなのか、それとも「人間的なもの」のことなのか? しかもそれが「私たちをしっかりとつかむ一本の手」になってしまうのだ。

 (……)ときどきまだつぎの日に目をさますハエがいて、しばらくのあいださぐるように一本の足を動かしたり、羽根をぶんぶんならせたりする。ときどきそうした動きはあたりの広野一面におよぶことがある。そのあとすべてのハエはさらにもう少し深く死のなかへ沈みこむ。そしてわずかにからだのわき、足のつけ根のあたりに、ごく小さなかすかにひかる器官のようなものがあって、それがなおも長く生きつづける。その器官は開いては閉じる。虫メガネなしにその特徴を述べることはできないが、それは絶え間なく開いては閉じる、人間の小さな目のように見える。
 (12; 『生前の遺稿』; 「Ⅰ 形象」; 「ハエ取り紙」)

 結び。ここも何となく印象的。まず、「広野」というのは一体どこから出てきたのか。そして「ごく小さなかすかにひかる器官のようなもの」。一体これは何なのか、「器官」という語で名指されるのみで、その具体的な名前は出てこず、特徴もほとんど詳しく述べられることがないこの奇妙な抽象性。それが「人間の小さな目」になぞらえられて終わるのがどことなく印象深いようだ。

 中央の木の幹にはとても具合のいい手掛かりがあって、観光客がそうしたものを見てよく言うように、うかれて楽しみながら、よじのぼることができる。しかし上部には幾本かの丈夫な長い枝が幹から水平にのびている。そこで人間も靴と靴下をぬぎ、かかとを内側にむけて足の裏をしっかりと節のふくらみにあわせ、手を交互に前方へさしのばして、さらにしっかり幹をつかむならば、太陽にあたためられたこれらの長い太枝の一本の末端へ、うまくたどりつくことができるにちがいない。これらの枝は、緑色に染まったダチョウの羽根のような松のこずえよりも、高いところにのびている。
 (12; 『生前の遺稿』; 「Ⅰ 形象」; 「猿が島」)

 三文目の描写が妙に細かい。
 ほか、「目をさまされた男」という篇は、全体的に何故かローベルト・ヴァルザーを思い起こさせるような印象がある。

 羊の歴史のために。人間は今日、羊を愚かだとみなしている。しかし神は羊を愛した。神は人間をくりかえし羊にたとえた。神が完全にまちがっているというのだろうか?
 羊の心理学のために。崇高な状態を明白な言葉であらわすと、それは低能の表現に似ていなくもない。
 (20; 『生前の遺稿』; 「Ⅰ 形象」; 「羊たち 別の見方で」)

 「崇高な状態を明白な言葉であらわすと、それは低能の表現に似ていなくもない」。突然の、威力のある鋭いアフォリズム

 このベンチに坐ったひとは、坐りこんで動かなかった。もはや口はひらかなかった。手足はそれぞれ別の眠りをむさぼったが、それはまるでぴったりとよりそってばたりと倒れこみ、それと同時に死ぬほどの疲労をおぼえて、たがいの存在を忘れてしまった男たちのようだった。呼吸でさえよそよそしくなった。自然界のひとつの出来事になった。いや「自然界の呼吸」になったのではない。そうではなくて、自分が呼吸をしていることに気づいたとき、それ――意志とは無関係なこの規則正しい胸の動き!――は、妊娠と同じように、無力な人間がなにか空色の途方もない大気によって恥ずかしめを受ける出来事になった。
 (26; 『生前の遺稿』; 「Ⅰ 形象」; 「ネズミ」)

 (……)ネズミはトンネルのなかをぐるぐる走りまわって止まり、さらにぐるぐる走りまわった。大気のとどろきから途方もない静寂がうかびあがった。人間の片手がベンチの背もたれからだらりとたれた。待ち針の頭のように小さな黒いひとつの目が、その方へむけられた。すると一瞬のあいだ、奇妙なほど逆転した感情におそわれ、ネズミの生き生きした小さな黒い目が向きを変えるのか、それとも途方もない不動の山々が動くのか、実際にもはや正しくわからなかった。もはやわからないのは、自分の身におこったことが世界の意志だったのか、それともひとつのごく小さな寂しい目からかがやくこのネズミの意志だったのか、ということだった。もはやわからないのは、戦争なのか、それともすでに永遠が支配していたのか、ということだった。
 (27; 『生前の遺稿』; 「Ⅰ 形象」; 「ネズミ」)

 ここも奇妙な箇所。「逆転した感情におそわれ」ているのは一体誰なのか? 「正しくわからなかった」のは? 話者が突然顔を出してきたのだろうか。「自分の身におこった」というのは、一体誰の身に起こった出来事なのか。その後の記述の意味もよくわからない。
 途中で、羽村のあたりだっただろうか、席に就いて読書を続け、青梅に着くと本を持ったままに降車した。奥多摩行きは四時三九分。ホームを移動し、待合室の壁に凭れながら本を読み続けていると、顔のすぐ横の窓ガラスに光るものが反映していて視線を上げれば、向かいの線路に停まった電車の車体が、午後四時半の西陽を受けて銀白色に照り映えていた。その列車がじきに発車し、奥多摩行きとして入線してくる。乗ると座らず、扉際に立って書見を続け、最寄り駅に着く前に読書を切り上げながらも本はリュックサックに仕舞わず、持ったままに降りた。階段を上り下りして駅前へ、横断歩道は渡らず東にちょっと移動し、目的の細道の向かいで止まって、車の流れが途切れるのを見て渡り、道のなかに入って行く。その先に続くのは林のなかの階段道である。降り積もった落葉を踏み分けながら下りて行き、帰宅するとすぐに下階に下りた。服を脱ぎ、ジャージに着替えて上階へ。腹が減ったので、まだ五時だったのだがもう食事を取ることに。シーフード・ヌードルを戸棚から持ってくる。冷凍庫からミニクロワッサンを二つ皿に取り出し、さらに冷凍の唐揚げも取り分けて、それぞれ電子レンジで温める。さらには大根をスライサーで下ろして卓に運んだ。それらを食べるあいだ、向かいに座った母親が、Tさんが来たという話をする。やっぱり来たよ、と。二月七日が祖母の命日だからである。今お茶を淹れますからって言って、玄関に持って行こうと思ったら、どうぞとも言ってないのにもう上がってるんだものと母親は辟易気味のようである。ほか、Sちゃん――O.Sさん――が、息子のSくんの勉強を見てやってほしいと言っていたとも。こちらが精神的な不調で仕事を休んでいるということを話したらしく、それで時間があるのならということらしい。別にこちらとしては構わないのだが、しかし彼は今中学三年生で受験シーズン真っ只中、本番までもう二週間か三週間くらいしかないなかで、大したことなど出来ないのではないか?
 食事を終えると自室に帰り、五時半から早速日記を書きはじめた。あっという間に二時間が過ぎ去る。七時半を迎えたところで風呂に行き、Uくんと話したことなど思い返しながら浸かる。日記を書いているあいだ、Mさんからメールが入って、翌日は立川に一三時に集合、その後荻窪ささま書店に行くことになった。また、Sさんとも食事をすると言って、Fくんも来るかと訊かれたので是非にと答え、明日の夜に会うことに。それで、Mさんのみなら気安い仲だから良いが、初対面のSさんとも会うとなると汚い顔では行けまいと、久しぶりに剃刀を使って顔全体の毛を剃った。これにて新井容疑者フェイスから脱出である。そうして風呂を出ると即座に自室に帰り、八時からまた二時間弱書き足して、現在一〇時直前。
 さすがに疲労していた。何しろ、入浴を挟んで四時間ほどぶっ続けで打鍵したのだ。それでも何というか自分は休むということ、うまい休み方のようなものを知らず、結局またものを読んでしまう――この時は、Mさんのブログを読むことにした。五時頃に食事を取ってから五時間が経って腹が減っていたため、おにぎりを作りに上階へ。帰ってきていた父親に挨拶。彼はテレビの音をBGMにして、何か書類のようなものを書いている様子で、視線をテーブルの上に落としてそこから目を離さなかった。台所に入り、炊飯器の傍にラップを敷いて米を乗せる。塩を少々振ってラップを包み、形を整えながら階段を下りた。そうしてそれを食べながらブログ。三〇分強で最新記事まで読んでしまうと、ベッドに寝転がってムージルを書見。「形象」の諸篇ではムージルは概ね「観察」に徹していると言うか、そこから何らかの意味を読み取ったりするのではなく、「読解」以前の「見ること」の段階に禁欲的に留まっているような気がする。一一時半を迎える頃には早くも眠気が差してきていたので、眠ることに。歯磨きもせず、明かりを消すのも億劫で少し休もうと目を瞑っているうちに意識を失っており、気づくと三時頃だった。それで消灯し、正式な眠りに就いた。


・作文
 8:25 - 9:03 = 38分
 10:01 - 10:11 = 10分
 17:31 - 19:28 = 1時間57分
 20:07 - 21:58 = 1時間51分
 計: 4時間36分

・読書
 9:16 - 10:00 = 44分
 10:20 - 10:31 = 11分
 11:17 - 12:31 = 1時間14分
 15:52 - 16:41 = 49分
 22:05 - 22:41 = 36分
 22:52 - 23:28 = 36分
 計: 3時間10分

  • 2018/2/4, Sun.
  • 2016/8/5, Fri.
  • 「記憶」19 - 22
  • 小林康夫・西山雄二対談「人文学は滅びない 時代の課題に向き合い、新しい人文学の地平を開くために」(https://dokushojin.com/article.html?i=3681
  • 斎藤松三郎・圓子修平訳『ムージル著作集 第八巻 熱狂家たち/生前の遺稿』: 10 - 33
  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2019-01-31「オドラデクもマクガフィンも踏み潰す子らが残した瓦礫の下で」; 2019-02-01「鈍行の先頭列車に腰かけるおれにも前世があったのかも」; 2019-02-02「拳銃を手にした詩人が手招きしのこのこ集うおれもおまえも」; 2019-02-03「爪を切る火花の爆ぜる音がする朽木の折れる遺骨の焼ける」

・睡眠
 0:50 - 7:30 = 6時間40分

・音楽

  • Candy Dulfer『Live In Amsterdam』
  • FISHMANS『ORANGE』

2019/2/3, Sun.

 一〇時起床。四時頃、七時頃、またその後とたびたび覚めてはいるのだが、長く寝床に留まってしまう。睡眠時間はちょうど九時間ほどである。上階に行き、母親が玄関からおはようと掛けてきたのに、うんと答える。洗面所に入って髪に水をつけ、後頭部の寝癖を直す。髭は剃らない。食事はカレーうどんにサラダに苺。新聞、書評面。芥川賞を受賞した町屋良平の『1R1分34秒』が山下志郎(という名前だったと思うが)によって取り上げられている。その下には、工藤庸子の、『政治に口出しする女はお嫌いですか?』。なかなか気になる本ではある。食事を終えると抗鬱剤ほかを飲み、南窓の外で光を受けている瓦屋根を眺めながらジャージに着替えて自室へ。前日の記事を書き出す。結構時間が掛かって一時間が経過し、現在は既に正午を回っている。John Coltrane『Soultrane』をBGMにしていた。この作品は「大傑作」と言うほどの盤ではないと思うが、勿論悪いアルバムでもない。佳作ではあり、とは言え売り払ってしまおうかどうか迷うところではあるのだが、最後の"Russian Lullaby"の高速の、吹きすぎていく風のようなColtraneのプレイを聞いて売却の決断を踏みとどまった。この曲は聞き込んでみたい。
 聞かずとも売却で良いなと思われるCDを整理した。売るものはUnited Arrows green label relaxingの深緑の袋に収めておく。今日、立川に出かけてCDを売ってしまうかどうか迷っていた。ひとまず上階に行き、風呂を洗う。母親の髪染めだろうか、蓋に黒い汚れが少々こびりついていたのでまずそれを擦って落とし、それから浴槽を洗った。そうして食事、五目ご飯に蛤の吸い物にゆで卵。テレビは『のど自慢』。結構上手い人が多く、合格者が連続していた。洗い物に立ち、食器を処理してしまうと今度は小鉢を一つ取ってヨーグルトを食べる。それに使った皿とスプーンも洗っていると食事を終えた父親がやって来て、自分の分も洗ってもらえるかと言ったので了承し、それも片付けた。そうして自室へ、『のど自慢』に感化されて、Suchmosくるりを流してしばらく歌う。それから一年前の日記を読み、さらに「記憶」の記事から読み返し。岩田宏神田神保町」ほか、一一番から一六番まで。一日五項目くらい読み返せれば妥当なところだろう。そうして服を着替え、結局立川に出かけることにした。CDは四六枚あるので、一枚三〇〇円弱と考えて一万二〇〇〇円くらいにはなると予想する。それをまたすぐに本に変えてしまおうと思っているわけだが、買いたいものとしては、後藤明生の対談本や『壁の中』などが一応念頭にある。
 電車の時間を調べると、二時一四分発だった。クラッチバッグにコンピューターや本、財布に携帯を入れ、CDの入った袋も持って上階に上がった。父親は一時から床屋と言っていたのだが、髪が少ないためにすぐに終わったのだろう、既に帰宅したようで居間の南の窓際に座っていた。確かに切ってきたようで残り少ない灰色の髪の毛が整っており、床屋らしい匂いも微かに室内に嗅がれた。便所に寄ってから父親に、じゃあ行ってくると告げて玄関に出たのも束の間、印鑑を忘れたのに気がついた。CD売却の際に用いるのだ。それで階段を下って部屋に戻り、モッズコートの左ポケットに印鑑を収めると玄関に戻って出発した。道にひらかれている日向が幾分薄く見えて、となるとどうやら空は快晴とは行かないらしいがそれでも視界の内は眩しい。林の樹々の陰に入ってから見上げると確かに雲が多く、東側などちょっと畝も出来ているようで、西空の太陽は露出してはいるがもうわりあいに低く、樹々の梢に接しようとしている。それでも風は走らず、最高気温一四度ではいらないだろうとストールも巻いてこなかったが、予想通りに首もとも冷えることのない暖かな春めく陽気である。眩しさに目を細めながら西へ歩き、十字路で折れて木の間の坂に入った。上りながら、頭痛の予兆のような、これから頭が痛くなってくるのではないかと感じさせるような妙な圧迫感を頭に覚えていた。CDの入った袋は結構重い、何しろ四六枚ある。クラッチバッグとCDの袋で両手に分け合って持ちながら上って行った。横断歩道を渡って駅へ、階段を上がる頃にはモッズコートの内側に熱が籠り、首筋に微かに汗の感触があった。ホームの先へ。時刻は二時一〇分になろうというところだったが、早くもアナウンスが入って電車が入線してきた。乗る。乗ったところの扉際には人があったので一つ隣に歩いてずれる。一四分まで停車。福間健二『あと少しだけ just a little more』を取り出してちょっと読む。すぐ左手、手近の七人掛けの端には男女のカップル、女性のほうが細長いビニールに包まれた花を保持しながら、男性の肩に頭を凭せかけて眠っている。右斜め後ろの座席には、インドかどこかの人だろうか、肌の黒い外国人と赤いサングラスを掛けた日本人の男性があって、英語で会話をしていた。青梅で降車、向かいの東京行きの先頭車両に乗り換える。荷物を足もとに置き、七人掛けの端に就く。CDの入った大きな不織布の袋を半分くらい、座席の下に押し込んでおき、福間健二『あと少しだけ just a little more』を読みはじめたのが二時二〇分である。最初のうちは冒頭から大雑把に読み返して、書き抜きたいフレーズのある箇所を手帳にメモしていった。河辺で向かいに、真っ赤なスーツケースを持った茶髪の女性が乗ってきた。スーツケースの表面には窪みによって絵図が描かれてあって、あれは確かムーミン・シリーズに出てくるキャラクターだったと思うのだが――玉ねぎみたいな顔の形をしていて、ちょっと意地の悪そうな表情をしている女性キャラクターだが名前は知らない。海外旅行だろうか、羽村あたりで友人の女性がもう一人乗ってきて、やはり彼女もキャリーケースを持っており、そちらの女性の服装はラフな感じで、白いズボンの先端、踝のあたりだけに切れ込みが入っていて、コートも着込んで肌を防備したなかで足首の付近だけ露出しているのが、慎ましやかにエロティックと言えば言えるかもしれない(ロラン・バルトがどこかで――『彼自身によるロラン・バルト』だろうか?――何かそんなようなことを言っていなかったか?)。福間健二をしばらく読み進めて、立川着。降りる。階段を上り、改札を抜けて人波のなかを南口へ。これだけの人がいるわけだ、と思いながら歩く。高校生らしき一団が途中でこちらを抜かして行って、彼らはフェラーリがどうとか話していた。南口を出て階段を下りる途中、相撲取りらしき、髷を結って着流しの格好の人とすれ違った。JEANS MATEの前を通り過ぎ、グランデュオの建物に沿って行き、道を渡って刀剣店やら居酒屋やら餃子屋やらが並んでいる通りを進んでいくと、珍屋である。なかに入って、カウンターの店主に買い取りをお願いしますと申し出た。袋を持ち上げて渡すと、お時間頂くので、あとで電話でもしましょうかと言われたので、どれくらい掛かりますかと訊くと、二〇分ほどだと言う。それくらいならと店内で待つことにして、じゃあ見てますんでと棚のほうを指さした。それでジャズの区画を見分する。Steve LacyやらDavid Murrayやら、ややフリー寄りの面子の作品が何故だかやたらとたくさんあった。Steve Lacyの作品はわりあいに欲しい――が、どれも一〇〇〇円以上して結構掛かるし、音源を持っているものもまだよく聞いていない。Mal Waldronと組んだ廉価版が安くて、七〇〇円かそこらで買ってしまっても良かったのだが結局見送った。棚のなかにはこれは自分が以前売ったものだなという品も、まだ買われずに残っているのが結構見られた。二〇分ほど経つと声を掛けられたのでレジカウンターへ。四六枚で一〇一五〇円、予想よりも少し安かったが、まあ良い。了承して書類を記入し、印鑑を押して手続きは完了、袋を受け取り、ありがとうございましたと礼を言って退店した(またお願いしますと店主)。店の前で財布を整理し、明細書をポケットに入れ、不織布の袋を畳んでクラッチバッグに入れると身軽になった。駅方面にちょっと歩き、帰りはどうせだからと道を変えることにして、ウインズ通りを右に折れた。立川にもこの辺になると、一体生計を立てていけるのだろうかと思うような古めかしい服屋などが並びに見られる。地下道へ。高校の時分に時折り通ったことのある、懐かしの地下道である。壁には、石壁を模したものなのだろうか、カラフルな円をひたすらに詰め込んだ絵がペイントされている(大方真円に近いが時折り楕円が混ざっており、なかにはドラゴンボールの四星球のように、円のなかにさらに微小な円が四つ付されているものもたまにある)。地下道を抜けると、立川センタービルの前、ここも高校に通うのに毎朝歩いていた懐かしの道である。金を下ろしたかったのだが、そう言えばちょうどこの通りに郵便局があったなというわけで寄ることにした。入って、ATMの待機地点で立ち尽くしていると、いつの間にか脇に寄ってきていた人が、あそこ、違いますか、と声を掛けてくる。気づかないうちに機械が一つ、空いていたのだ。それですみませんと言ってそこに入り、カードを挿入し、機械を操作して五万円下ろした。そうして退出、駅のほうに向かって歩き、ここでも高架歩廊に上がらずいつもと違うルートを辿るかということで角で右に折れ、ロータリーの周囲を回って下の道を行く。ビックカメラ。フロム中武。前を通り過ぎて行くとちょうど横断歩道が青だったので、斜めに道に踏み出してゆるゆると渡り、交差点から大通りに沿ってちょっと行ったところの階段から上に上がり、歩道橋を渡って左に折れ、高島屋に入った。淳久堂書店に行くつもりだったのだ。エスカレーターに乗って上がって行くのだが、下のフロアが視界に入ると、そんなことが起こるはずもないのにあそこに向かって落ちたら死ぬなと余計な思考が湧き、高所恐怖がちょっと滲んで、股間のあたりが収縮するような――俗に言えば、「金玉が縮み上がる」ような――感覚がもたらされた。それを感じながら六階まで行き、書店のフロアに踏み出す。まず文学の棚を見に行った。後藤明生。対談集と座談集の両方ともあったが、果たして今自分はこれを買うべきなのかと言うと、疑問が湧かないでもなかった。こちらの興味というのは主に、蓮實重彦が対談でどのようなことを言っているかということなのだが――と言うか、彼の文学の受容の仕方を、批評などの固い文章ではなく対談のもっと砕けた会話で知りたいというところなのだが――もっと後藤明生の作品を読んでからこれは買うべきではないかと思われた。ちなみに『壁の中』はこちらにはなかった。それで後藤明生は置いておいて、海外文学を見に行く。結構端から端まで見て、まあわりあいに欲しいものもあって、ラテンアメリカの小説、鼓直が訳しているやつなど結構欲しいし、『パウル・ツェラン全詩集』も三巻揃っていて欲しいが、しかしパウル・ツェランは一つ六〇〇〇円くらいしてさすがに高い。文学よりも何となく、買って手元に置くのだったらやはり哲学・思想なのかなと言う感じがする自分の場合は。それでやはり哲学のほうを見に行く。言語哲学のあたりなど瞥見してから、現代西洋思想のほうに向かい(途中、この朝に新聞の書評で見かけた工藤庸子『政治に口出しする女はお嫌いですか?』が、表紙を見せて並べられてあるのも見かけた)、フーコーのあたりなど見分する。『狂気の歴史』なり『監獄の誕生』なりを買うべきではとも思うものの(『言葉と物』は既に持っている)、『性の歴史』なり講義録なりを所有しているのだから、まずはそちらを読んでからにするべきではないかとも思われる。ちなみにこの淳久堂には、『ミシェル・フーコー思考集成』は一、二巻と、あと六巻か七巻があった。オリオン書房のほうには第一巻を除いてすべてあったはずだから、両店を回れば全部揃えられるわけだ(しかしそれには六万円ほど掛かるはずだ)。いずれは揃えたいが、やはりそれも今あるものを読んでからの話だろう。それで何を買おうか、今買うべきなのは何かと思いながら棚を見ているところで、そうだ、ロラン・バルトではないかと思いついた。ロラン・バルトのインタビュー集『声のきめ』が、インタビュー集のくせに六〇〇〇円そこらもして手が出ないでいたのだ。今こそこれを買うべきではないかと心を決して保持し、あと一冊くらいは買えるというわけでその後も棚を見て、西洋思想の端のほうまで行って振り向いて日本の思想書の棚を視界に入れたところで、千葉雅也かなと思った。『意味がない無意味』をMさんが読みたいと言ってもいたし、こちらは千葉雅也にそれほどの興味はないのだけれど、たまには話題になっているもの、また日本の思想の最前線で活躍している人の著作を読んでもみるものではないかというわけで、『意味がない無意味』を買うことにした。ほか、近くに『思弁的実在論と現代について』という対談集もプッシュされてあって、これも『意味がない無意味』と同じく一八〇〇円でわりあいに安いし、対談という軽い形式も読みやすいだろうというわけで、これも買うことにした。さらには、國分功一郎の『中動態の世界』もすぐ傍にあって、これも二〇〇〇円で安いし興味があるので、これをも買うとCD店で得た一万円強を越えてしまうが、まあ良いだろうということでこれも購入することに決断し、四冊を持って会計に行った。一二五二八円。女性店員を相手に会計を済ませる。一万円以上お買い上げのお客様にということで、United Arrowsのそれと同じような濃緑の不織布の袋に品物を収めてくれた。ほか、店内の喫茶店で使える二六〇円分のサービス券をくれたのだが、しかし書店付属の喫茶店にこちらは入る気はしないし、あまり喫茶店で書見をするという習慣もない、使うとしたら日記を書くためにだ。それでエスカレーターに乗って退店し、二階まで下りて外に出た。時刻は四時一五分ほどだった。ビルに隠されて見えない太陽が、通りの向かいのガラス窓にその分身を灯して存在を証す。歩道橋を渡り、先ほどは上った階段を下り、ビルとビルの隙間に設けられた細道を通って駅前に出ると、PRONTOに入った。一階の混み具合からして二階も空いていないのではと思いながらフロアの奥へ、ものすごい勢いで下ってきた店員をやり過ごして階段を上る。カウンターの端が空いていたしその向かい、ソファと向かい合ったテーブル席も一つ空いていたのでそちらに荷物を置いた。それで下階に下り、アイスココアのLサイズ(三八〇円)を注文。ありがとうございますときちんと礼を言って持って戻り、生クリームをストローで掬ってちょっと食べ、搔き混ぜてからココアも啜って、そうしてコンピューターを取り出した。それでここまでちょうど一時間ほど打鍵して五時半過ぎ。外出したわりに書くことが思いの外少ないという印象で、字数も現在六二〇〇字程度に過ぎない。
 買った本の一覧をEvernoteに記録しておいてから、帰ることにした。コンピューターをシャットダウンし、席を立ってモッズコートを身につけると荷物をまとめ、大きなグラスの乗ったトレイを女性店員に渡し、目を合わせながら礼を言って下階に下りる。カウンターの向こうから笑顔でありがとうございましたと投げかけてくる店員たちに会釈して店を抜けた。時刻は六時前、外はもう宵である。居酒屋の客引きがうろつくなかを歩いて行き、エスカレーターに乗る前で男性が二人、横から来たので先を譲った。こちらの前に立っているほうは裾の破れた水色の衣装を身に纏った骸骨の絵が描かれた、メタリカのイラスト・ジーンズ・ジャケットを着ている。それを見ながら高架歩廊に上って駅へ。駅舎のなかに入ると群衆の立てる川音のようなざわめきが遠く近くを包み込む。改札を抜ける前にもう少なくなったICカードのチャージを補充しておこうと券売機に寄った。五〇〇〇円を足して振り向き、改札を抜けると青梅行きは六番線五時五〇分発と、一番線六時六分発がある。迷いながらも先発に乗るかと六番線に下りたところが、ちょうど高尾行きが発車するところだったのに、ホームには長い列が出来てそれが少しも減らないのでこれでは車内でも本が読めないだろうと、座れる一番線発で帰ることにして階段を引き返した。それで一番線ホームに下りて、先頭車両の区画で立ち尽くし、福間健二『あと少しだけ just a little more』を読み出す。じきにやってきた電車に乗り、七人掛けの端に就いた。発車してからも読み続け、詩集を読み終わったあとは今日買ったなかから千葉雅也の対談集、『思弁的実在論と現代について』を取り出して読んだ。序文、そして最初に載せられた小泉義之との対談である。読みながら、こちらが昨年の一月に経験した自生思考及び脳内に浮かぶ言語に対する恐怖というのは、接続過剰な状態だったのではないかと思った。何に対する接続過剰かと言えば、それは言語そのものに対するそれである。言語との関係性が深くなりすぎたがために、世界の知覚がことごとく言語的に回収されるようになってしまい、世界の実在感が不安定になったのではないか(そうした症状の渦中にあった去年の、確か一月三日の日記には、この世界を「物自体」の層、物質の層、言語の層の三層に分かれるものと便宜的に捉えて、物質の層が言語の層によって侵食されているのではないかという考察を記したはずだ)。現在も、自生思考というものとはちょっと違うのかもしれないものの、ほとんど常に頭のなかで言語が蠢き続けてはいるのだが、それに過度に意識を奪われたりそれに不安を感じたりすることがなくなったということは、ちょうど良い具合に言語との関係性を「切断」できているということなのかもしれない。青梅に着くと六時半過ぎだが、奥多摩行きは七時何分かと言って、三〇分以上待つようだった。本を読みながら待っても良いのだが、今日は歩くかと駅を抜け、コンビニの前を過ぎて角を裏通りに折れた。日中はやはり最高気温一四度にふさわしく少しも寒気を感じなかったが、七時も近い宵となるとさすがに少々肌寒くて、途中で美容院の前で立ち止まって荷物を足もとに下ろし、モッズコートのファスナーを引いて前を閉ざした。市民会館跡地の建設現場ではカラー・コーンが置かれ、自宅近くの市営住宅前の工事現場と同じように、赤と緑の保安灯がそれらの頭で点滅し、破線を描いている。モッズコートを閉ざした状態ではじきに温みが内に浸透したのだろう、風らしい風もなくて寒さを感じなくなった。暗い通りで何かに遭遇することもなく、道中、特段に印象深いことはなかった。
 自宅の付近に続く坂を下りて行き、出たところから見える我が家の小さな窓に蜜柑色の明かりが灯っているのを見て、父親が風呂に入っているのだなと思った。帰宅。居間に入ると母親は炬燵のなかに入っている。腹が減ったと言いながら階段を下りて自室に行き、明かりを点けるとカーテンを閉め、荷物を下ろしてモッズコートを脱いだ。コンピューターをセッティングしておいてから、上階に行くと、台所で母親は温野菜を取り分けている。その傍らで褐色の五目御飯をよそり、豚肉で大根を巻いた料理もフライパンから取って盛り、温野菜とともに電子レンジに突っ込んだ。それで卓に行って食事を始める。あとから母親が、トマトと青紫蘇とモッツァレラチーズを混ぜたサラダを作って持ってきてくれた。テレビは『ナニコレ珍百景』。真珠というと三重県というイメージがあるが、実のところ愛媛県が生産一位で、特に蜜柑でも名高い宇和島市が日本一であるらしい。そのうちに風呂を出てきた父親が、番組をNHKに変更した。こちらは早々と食べ終わり、入浴に行く。髭はやはり剃らない。翌日はUくんと会う約束があるが、不精な顔つきのままに行くつもりである(母親などは、それだと新井容疑者みたいだよと言いながら、剃るよう促してくるが)。風呂のなかでは特に興味深い事柄はない。ビブラートを掛けた口笛を吹きながら湯を浴びて、出てくるとさっさと自室に帰った。インターネットを閲覧したのち、九時過ぎから書抜き、蓮實重彦『表象の奈落――フィクションと思考の動体視力』である。一時間強打鍵して力尽き、Ambrose Akinmusireのライブ盤が流れるなかで、「記憶」の記事からちょっとだけ音読をすると、日記を書き足しはじめた。ここまで記して一一時半に至っている。
 それから音楽。John Coltrane, "Russian Lullaby"(『Soultrane』)。単純な捉え方だが、このアルバムでの白眉ではないか。高速のリズムに取り残されることなく乗っていくColtraneの吹きっぷりの気風の良さ。一年後の『Giant Steps』での記念碑的な勢いが既に見える。対して、Red Garlandはこの速度に完全にはついていけていないようだ。次に、Cal Tjader Quartet, "I'll Remember April"(『Jazz At The Blackhawk』)。やはりほとんど完璧だと言うべき演奏だと思う。そうして日付替わりも済むと、読書を始めた。まず、福間健二『あと少しだけ just a little more』をひらき、大雑把に読み返しながら書抜きする箇所を吟味して、その頁をメモするとともに、気になった語句をノートに写していく。それが終わると新たに斎藤松三郎・圓子修平訳『ムージル著作集 第八巻 熱狂家たち/生前の遺稿』をひらいたが、疲労感が募っており、冒頭をほんの少しだけ読んだだけで眠ることにした。零時五〇分頃就床。眠りは近かったようだ。
 この日に作った短歌三つ。

 罪と罰を雨に溶かしてから騒ぎ裁くは神が嘆くは人が
 花畑に行方不明の君のため恋の構造分析しよう
 月の陰で言葉を食べる兎たち地球を夢見て叙事詩を綴る


・作文
 10:48 - 12:16 = 1時間28分
 13:46 - 13:52 = 6分
 16:32 - 17:35 = 1時間3分
 22:44 - 23:30 = 46分
 計: 3時間23分

・読書
 13:09 - 13:13 = 4分
 13:19 - 13:40 = 21分
 14:20 - 14:53 = 33分
 17:50 - 18:36 = 46分
 21:13 - 22:25 = 1時間12分
 22:32 - 22:39 = 7分
 24:05 - 24:45 = 40分
 計: 3時間43分

  • 2018/2/3, Sat.
  • 「記憶」5 - 6, 11 - 18
  • 福間健二『あと少しだけ just a little more』: 8 - 95(読了)
  • 千葉雅也『思弁的実在論と現代について』: 11 - 31
  • 蓮實重彦『表象の奈落――フィクションと思考の動体視力』青土社、二〇一八年(新装版)、書抜き
  • 斎藤松三郎・圓子修平訳『ムージル著作集 第八巻 熱狂家たち/生前の遺稿』: 7 - 10

・睡眠
 1:00 - 10:00 = 9時間

・音楽

  • The Art Ensemble Of Chicago『Bap-Tizum』
  • John Coltrane『Soultrane』
  • The Wooden Glass feat. Billy Wooten『Live』
  • Alan Hampton『Origami For The Fire』
  • Ambrose Akinmusire『A Rift In Decorum: Live At The Village Vanguard
  • John Coltrane, "Russian Lullaby"(『Soultrane』)
  • Cal Tjader Quartet, "I'll Remember April"(『Jazz At The Blackhawk』)
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2019/2/2, Sat.

 七時頃覚醒。夢を見たが、もうほとんど覚えていないし記述するのは面倒臭い。Wが出てきたとだけ言っておく。あとは寿司作り。七時二五分頃になって起き上がって、陽の射し入るなかを通って部屋を抜け、上階へ。おはようと快活に言ってくる母親の声に、ああ、と低く答える。そうしてストーブの前に座り込む。洗面所では父親がドライヤーを使って、残り少ない髪の毛を整えていた。こちらの身の周りには細かな塵が、水のなかを漂う泡のようにして浮遊し、行き交っていく。歯ブラシを咥えた父親が出てくるとおはようと挨拶し、しばらくしてからジャージに着替えた。食事は温野菜。母親が作ってくれるのを待つあいだ、新聞をめくる。そうして薄皮クリームパンに大根の煮物と大根の味噌汁とともに食べつつ、新聞からは英国のEU離脱関連の記事やブラジル大統領の動向についての記事などを読む。また、辺野古基地建設の賛否を問う県民投票は全県で行われることが決定したとのことである。食事を終えると薬を服用し、父親が夜のあいだに残した分もまとめて皿を洗い、それから洗面所で寝癖を直す。前屈みになって髪を水で濡らしたあとに、櫛付きのドライヤーで撫で梳かしていく。洗濯がそろそろ終わる頃合いだったので待っていると、まだ絞るようだから、自分がやるから良いと母親が言うので、言葉に甘えて下階に下り、ポテトチップス(しあわせバター味)を食べながら、この日はまず日記の読み返しをした。一年前には特筆することはない。二〇一六年八月六日は花火大会の日で、図書館からの帰路に花火を目撃している。

 七時四五分になって閉館一五分前のアナウンスが入ったところで帰ることにして、階段を下ると、踊り場の窓の向こうで空が黄色く泡立つようになっているのが見えた。歩廊に出ると彼方から花火を打ちあげる音が届いてきて、駅舎のすぐ傍には、そこがマンションなどに遮られずに空の向こうがよく見えるところなので、人々が集って柵に寄り、同じ方向を向いて携帯電話を構えたりしている。その一団のなかにこちらも混ざって、夜空の一角で小さいながらも次々と色付きの火花の饗宴が演じられるのを見た。ヒマワリを模したような、一つの内にもう一つの円が膨らむ形の大きなものがひらかれた時には、群衆からどよめきが上がった。しばらく眺めてから電車の時間が気になって、一旦離れて駅舎に入り、数分の猶予がまだあることを確認してから戻ると、すれ違いざまに子を連れた若い男が、お前、花火でお腹はいっぱいにならねえだろ、とか息子に向かって言って、急いで去っていった。元の場所に戻ると花火は一時収まっていて、浴衣を纏った子どもから花火は花火は、と急かす声が上がる。ちょっとしてから再開されたのを、時計を見ながらまた眺めて、残り一分になったところで駅に入った。電車内にいるあいだも時折り、破裂音が響いてくる。降りるとすぐ頭上から、先ほどとは比較にならない衝撃で音が降ってきて、近くの男性が上から押されたように首を前に曲げて身をすくませていた。小学校のほうの空を見れば、太い響きとともに視界いっぱいに次々と宝石が散りばめられて、これはすごいなと思われた、今までそんなに間近で花火を見たことがなかったのだ。ホームを進んでいくと職員がかしましく、ホームでの花火見物はご遠慮下さいと繰り返して群衆を階段へと進ませているのだが、こちらは乗り換えを待つ身で、階段口の縁に背を寄せてしばらく眺めることができた。夜空を広大なキャンバスとして目一杯使って、光の絵図が塗り組み立てられては一瞬で夜に拭い取られて、また次の形が展開されていく。会場である丘陵公園は指定席が設けられていて有料なのだが、そのすぐ下に当たる小学校グラウンドはおそらく無料で入れるはず、あそこでも全然楽しめるなと思った。前年の立川の花火大会でも同じものを見たが、大輪の花がひらいたあとにその外周を構成する一つ一つの光が数瞬残り、暗闇を丸く囲みながら空にゆっくりと垂れ流れてから消えるものがあって、二次元平面の提示から即座に三次元へと移行してみせる巨大なそれが打ちあげられると、校庭のほうから喜びのざわめきが上がっていたようである。少し横にいる中年男女の女性のほうも、酒でも飲んでいたのかしきりにはしゃいでいた。ほかに自分の気に入ったのは、花ひらいたあとにエメラルド色の魂めいた塊がいくつか残って、それがまるで素早い蛍のように滑って曲線の軌跡を宙に描いてから、停まってふっと力尽きるものである。電車がやってくると乗りこんだが、奥のほうの席に就いて、窓からまた眺めた。さすがに窓に枠を画されて、またそこには車内の様子、吊り革だとか壁の上部の広告だとかの夾雑物も映りこんでいるために、直接目にする時の巨大さと立体感が失われてしまうのだが、それでも息つく間も許さずに連続して打ちあげられた時などは、重なりあう一つ一つの花が大きく拡散するたびに、圧迫感を持って視覚に迫り来るような感じがした。

 一年前の日記よりも、そして今よりも、この頃、二〇一六年のほうがよほど頑張って物々の具体性を捉えながら記述しているような気がする。
 そうして九時前、日記を書きはじめて、前日の記事は即座に仕上がり、ここまで記すと九時九分。
 fuzkueの読書日記を読んだ。その後九時五〇分から書見、蓮實重彦『表象の奈落――フィクションと思考の動体視力』。二時間余り。途中、母親がベランダに現れたので誘われて布団を干した。正午を過ぎて上階に行くと、何を食べるかと言う。レトルトのカレーで良いと答えれば、そうではなく茄子のカレーを作ろうかと。こちらとしてはどちらでも良かったのだが、いずれにせよ散歩に出るつもりだった。母親はカレーを作る気になったらしく取り掛かりはじめたそれを尻目に、便所に寄ってから外に出た。Hさんの家の庭木、あれは赤く小さな実が生っていたところから見て南天だろうか、臙脂色や山吹色に染まったその葉が光を受けているのを横目に見ながら歩き出す。市営住宅前の工事現場は、溝のなかに灰色の砂が敷かれて空洞が浅くなっていた。光を浴びながら濃緑に締まっている樹々の横を通り過ぎ、坂を上って行くと曲がり角から見える川向こうの集落、山の前に薄く煙が湧いていて微かな白緑色を揺蕩わせている。裏通りを行くあいだ、風は乏しく、陽光が服の表面にぴたりと止まって何かゼリー状の膜に包まれているような暖かさである。風は林の竹の葉を僅かに揺らすのみで、さらさらと葉擦れを立てさせるほどの強さもない。街道に出て渡ってふたたび裏に入りながら振り仰げば、四方のどこにも視線は雲を捕まえることのできない快晴である。道の左右に鳩が一羽ずつ佇んで何やら地を啄んでいたが、こちらが近づくと飛び上がって手近の木の幹から伸びた細枝に止まった。その下を通り抜け、無人の墓場の前を行くと卒塔婆の触れあう音がほんの微かに立つ。さらに進んだ裏路地、風は本当に少なくて、空気のぴたりと静止した穏和な瞬間が訪れ、そのなかにいるとまるで世界で動いている事物は自分だけのようだとありがちな感慨が湧くが、数秒後には空気がなだらかに撓み、その静謐は乱されてしまうのだった。駅前の広場にはベンチに座って、高年の男性がコンビニ弁当か何か食べていた。街道に出て東へ向かい、途中で車の隙をついて南側に渡り、家の建て込んで日蔭になった坂を下って行くが、薄青い地帯のなかにあっても寒さというものが少しも身に触れてこない、まるで春のような陽気である。平らな道からさらに木の間の坂を下って行き、出口近くでやはり白い光を溜めている道脇の樹々の葉に目が行って、自然というものはまったくもって肌理が細かい、樹が一本そこにあるだけで視界に精妙な粒立ちがもたらされて目を楽しませてくれると思った。
 帰宅。カレーはちょうど出来上がっていた。大皿に米をよそってその上に掛け、ほか、ワカメのふんだんに入ったサラダ。テレビは『メレンゲの気持ち』。浅利陽介だったか、こちらも顔は知っている俳優と、三年くらい前に堀北真希と結婚したらしい山本耕史が出ていて、しかし特段の関心はないし大したことは話していなかったと思う。食器を洗って自室に帰ると、ポテトチップスはこの時食べたか、それとももう午前中に食べ終わっていたか、ともかくコンピューターの前に就いて「ウォール伝」を読む。「共存するっていう多様性ではなくて様々な原理が存在するんだけどそれが真理である以上、真理同士がぶつからないっていう多元性」。それからさらに、「週刊読書人」の、J・M・G・ル・クレジオ単独インタビュー「作家に今何ができるか」も読む。ル・クレジオはその作品は読みたいと思っているが、このインタビューと講演録は思いの外に、あまり感銘を受ける部分がなかった。「(……)作家というのは無口な存在です。コミュニケーションに不向きな人間、存在することへの困難を抱えた人間が、自分が存在することを表現しようとする時、小説は生まれます。書くという行為は孤独なものです。困難な青春期をすごした人間が、外界を発見する時に生まれるのがエクリチュールなのです」と。そうして一時五〇分、ふたたび蓮實重彦の読書を始める。BGMはThelonious MonkGerry Mulliganがコラボレーションした『Mulligan Meets Monk』。凄まじい名盤ではないが、Mulliganの音出しが実に端正で期待を裏切らず高品質にまとまったプレイを聞かせてくれる。そう言えば読書を始める前に布団を取りこんだのだった。ベランダに出て自らの布団を一枚ずつ、その表面をちょっと撫でてから持ち上げたあと、ゆっくりと運んでは寝床に敷いて行く。両親の布団もそちらの部屋に入れておいて、それから読書を始めた。『Mulligan Meets Monk』のあとは、Roscoe Mitchell『Composition / Improvisation Nos.1, 2 & 3』。ここまで来るとジャズでもなく、明確なフリージャズという趣でもなく、むしろ現代音楽みたいな音がしているのだが、結構悪くない。今日聞いているものはどれも売ろうとは思わない作品ばかりである。蓮實重彦の批評はいつもながら、さも当然といったような顔つきで事もなげに、多様な記述から共通する主題を抽出してみせる、その分類/分析と抽象化の滑らかさが羨ましい。三時間余り読んで、ちょうど五時に至るころに読了した。結構頑張ったものだ。全体として、前半から中盤に掛けての、ドゥルーズデリダフーコーソシュールなどに関する評論はやはり難しくて大概理解できていないのだが、「近代の散文」と題された四章以後、『ブヴァールとペキュシェ』論だとか、『「ボヴァリー夫人」論』の下敷きになったような論考は結構わかりやすかったように思う。
 上階へ。母親はメモも残さずに出かけていた。アイロン掛けをする。サラミとトマトの乗ったピザや運河のなかを漕いでいる船が描かれたエプロン。花柄の布袋。「CROCODILE」というタグがついた深緑色の、どこか寝巻きじみたようなチェック柄のシャツ。そのほか自分の白シャツやハンカチを数枚処理していると、母親が帰ってきた。服を買いに行っていたらしい。そうして時刻は五時二五分、カレーがあるので夕食の支度は少なくて済むのだが、また芸もなく茄子と肉でも炒めるかと決めた。それで茄子を三つ薄切りにして水に晒し、フライパンにオリーブオイルを垂らしたあとにチューブのニンニクを落とす。そうして茄子を投入し、蓋を閉めながらある程度加熱したところで、切り落としの豚肉を箸でつまんで加えた。味付けは母親が醤油や蜂蜜を混ぜて作ったたれを注ぐ。そうして手間を掛けずに完成、一方で母親が洗い桶にサニーレタスや大根などを浮かべてサラダとして用意していたので、あとは良かろうと自室に帰った。そうしてインターネットを閲覧して時間を使う。七時半前になったところで日記を書くことにして打鍵を始め、ここまで記して八時過ぎである。蓮實重彦の次は『ムージル著作集』の第八巻を読もうかと思っている。
 上階へ。父親が既に帰ってきていたので、入浴ももう済ませたらしく藍色の寝間着姿の彼におかえりなさいと声を掛ける。食事はカレーに、茄子と豚肉の炒め物に、サラダ。釜に残っていた米をすべて払ってしまう。テレビは『欽ちゃん&香取慎吾全日本仮装大賞』。あとでTwitterに書かれていたところによると、香取慎吾はこれが一年ぶりの地上波全国放送への出演とのことだった。特段の関心はないが(炬燵に並んで入った両親は感心しながら楽しんで見ている様子だった)、時折りテレビのほうに目をやりながらものを食べて、食器を洗ってしまうと入浴へ。風呂に入っているあいだの時間というのはどうにも書くことがなく、あまり面白くない。本来なら思考を離れて湯浴みの安楽さにくつろぐべき時間なのだろうが、こちらの気分は病気以来常に平静で平板で、「くつろぎ」というような感覚も生じてこないようだ。明瞭な形を成してまとまった思索を繰り広げられれば退屈しないのだろうが、人間常に何らかのことを考えているとは言ってもこちらの頭のなかに回るのは実に散漫な物思いそれだけで、それらはあとになると忘れてしまうようなものであり、したがって書き記すこともできないし、無理に思い出してそうするほどの価値もないようなものだ。そのようなことを考えながら浴室に入って湯に浸かり、出てくると鏡の前で髪を乾かす。最近は髭を剃らずに放置している――何となく剃る気にならないだけだが、顎の周りに不精にぼさぼさと生えるものがあるのは無職らしくもある。風呂から出た時ではなくて入る前だったかとも思うが、『仮装大賞』をちょっと眺めた。その時演じられていたのは黒いシルエットのみによってサファリの色々な動物を表現する演目で、なかなか見事だと思われた――手や脚を使ったり、複数人で重なり合ったりして動物の形を象ってみせる様子も正確だったし、入退場の際に体操風に転がったりしてみせるのも優雅で滑らかだった。それで風呂を出たあとはさっさと自室に下り、九時二〇分から書抜きの読み返しを始めた。今まで、日記の記事に数箇所ずつ引用してあるのを日毎に読み返していたのだが、一括して一つの記事にまとめてしまおうということで、「記憶」という新しい記事を作った。そこに、以前から記録してあったお気に入りの言葉――カフカの書簡中のものとか、岩田宏神田神保町」の一節とかだ――を最初に引いておき、ほか、新崎盛暉『日本にとって沖縄とは何か』に、大津透『天皇の歴史1』の記述を加えた。勿論書き抜いた箇所全部を引くわけではない、繰り返し読んで頭に入れておくべきだろうと思った部分のみだ。各々の断章には番号を付して、この記事をこれからなるべく毎日少しずつ音読していき、知識として取りこんでいきたいというわけだ。それで二〇分ほどで一番から一〇番まで三回ずつ音読し、それからErnest Hemingway, Men Without Womenを読みはじめた。The Old Man And The Seaの時はたびたび日本語訳を参照しながら読んでいたのだが、『全短編』を持ってはいるものの、わかりにくいところをいちいち確認するのも面倒臭いので、多少よくわからない部分があっても気にせずに、日本語訳を見ることもせずに読み進めていくことにした。それでコンピューターの前に座って、時折りインターネットの辞書サイトで英単語を調べながら読んでいく。一時間弱で四頁から一二頁までだからまだまだ遅い。

  • ●4: 'All I want is an even break,' Manuel said reasoningly. ――even break: 公平な扱い
  • ●5: a boy who had followed him poured coffee and milk into the glass from two shiny, spouted pots with long handles. ――spout: 注ぎ口
  • ●5: Manuel took off his cap and the waiter noticed his pigtail pinned forward on his head. ――pigtail: 弁髪
  • ●6: The waiter uncorked the bottle and poured the glass full, slopping another drink into the saucer. ――slop: 零す、取り分ける
  • ●6: 'If you stand in with Retana in this town, you're a made man,' the tall waiter said. ――made man: 成功した人
  • ●7: Perhaps it would be better to put it back under the seat, against the wall. He leaned down and shoved it under. ――shove: 押す
  • ●10: Manuel liked the smell of the stables about the patio de caballos. ――stable: 馬小屋、家畜小屋
  • ●10: a third in the uniform of a hotel bell-boy who stooped and picked up the hats and canes thrown down onto the sand and tossed them back up into the darkness. ――cane: 杖、鞭
  • ●11: Behind them came the jingle of the mules, coming out to go into the arena and be hitched onto the dead bull. ――hitch: 繋ぐ
  • ●11: He had been on twice before in nocturnals and was beginning to get a following in Madrid. ――following: ファン

 それから、音楽。久しぶりに流し聞きではなくて集中して耳を傾ける。まず、Cal Tjader Quartet, "I'll Remember April"(『Jazz At The Blackhawk』)。実に小気味よいヴィブラフォンの音の連なり。リズム的な変化も時折り導入されているし、これはほとんど完璧に歌い上げていると言っても良いのではないか。Cal Tjaderがここまでの奏者だとは思わなかった。次に、John Coltrane『Soultrane』から"Good Bait"と"I Want To Talk About You"。Coltraneはのちのちの、空間を搔き乱すようなプレイの片鱗が僅かに窺えなくもないものの、まだまだ尋常な吹き方。とは言え、五六年の時点ではMiles Davisのいわゆるマラソン・セッションでおずおずとした、ぎこちないプレイを見せていた若造が、それからたった二年で――『Soultrane』は一九五八年二月七日の録音である――ここまで堂々と、朗々と吹くようになるかといった驚きはある。Red Garlandは手の早い転がるようなフレーズを見せるものの、高速になるとタッチが少々弱くなるようで、速弾きでも豪放とした迫力はないのだが、それがこの人の品の良さだと捉えるべきなのだろう。ただ、"I Want To Talk About You"のほうではソロの冒頭から披露される丸みを帯びたブロックコードが、ややカクテル・ピアノに寄っていると言うか、幾分甘めに感じられた。後半の、和音の構成音すべてを同時に強く鳴らして固く締めるコード奏法のほうがこちらの好みではある。Paul Chambersはバッキングにせよソロにせよいつも通り。ドラムのArthur Taylorはいかにも古き良き時代の、と言うか、実に古色蒼然とした感じのドラマーである。そして最後に、Carlo De Rosa's Cross-Fade, "Circular Woes"(『Brain Dance』)。まずもって譜割りがどうなっているのか全然掴めない。それでもサックスのMark Shim(ここでしか見たことのない名前だ)は熱演だし、Carlo De Rosaのベースソロもスピーディーで鋭い。このアルバムはピアノがVijay IyerでドラムがJustin Brownと豪華なメンバーでもあるので、ちょっと聴き込んでみたいものだ。
 そうして一一時二〇分から読書、福間健二『あと少しだけ just a little more』。『ムージル著作集』第八巻を読むと上には書いたが、詩を読むことにした。小説・その他の教養書あるいはエッセイ・詩(俳句・短歌も含む)の三つを一セットとしてローテーションしていければ良いと思うのだが、それほど厳密に守るつもりもないので、ある程度の方針ではある。しかし詩というものはどのように読めば良いのか、まだ全然わからない。別に意味がわからなくても良いのだが、それぞれの詩に相応しく読むということは一体どういうことなのだろう。一時前まで読んで就床。


・作文
 8:51 - 9:09 = 18分
 19:23 - 20:07 = 44分
 計: 1時間2分

・読書
 8:28 - 8:51 = 23分
 9:20 - 9:46 = 26分
 9:50 - 12:03 = 2時間13分
 13:03 - 13:46 = 43分
 13:50 - 16:59 = 3時間9分
 21:20 - 21:40 = 20分
 21:44 - 22:40 = 56分
 23:20 - 24:50 = 1時間30分
 計: 9時間40分

  • 2018/2/2, Fri.
  • 2016/8/6, Sat.
  • fuzkue「読書日記(120)」
  • 蓮實重彦『表象の奈落――フィクションと思考の動体視力』: 214 - 369(読了)
  • 「ウォール伝、はてなバージョン。」: 「キリスト教に目覚めていく私。その4。」
  • J・M・G・ル・クレジオ単独インタビュー「作家に今何ができるか」
  • 「記憶」1 - 10
  • Ernest Hemingway, Men Without Women : 4 - 12
  • 福間健二『あと少しだけ just a little more』: 8 - 40

・睡眠
 1:45 - 7:25 = 5時間40分

・音楽

  • 『Cal Tjader's Latin Concert』
  • Cal Tjader Quartet『Jazz At The Blackhawk』
  • Carlo De Rosa's Cross-Fade『Brain Dance』
  • Thelonious Monk and Gerry Mulligan『Mulligan Meets Monk』
  • Roscoe Mitchell『Composition / Improvisation Nos.1, 2 & 3』
  • Don Ellis Orchestra『'Live' At Monterey!』
  • Cal Tjader Quartet, "I'll Remember April"(『Jazz At The Blackhawk』)
  • John Coltrane, "Good Bait", "I Want To Talk About You"(『Soultrane』)
  • Carlo De Rosa's Cross-Fade, "Circular Woes"(『Brain Dance』)

2019/2/1, Fri.

 九時起床。上階へ。ストーブの前に踏み出すと、洗面所にいた母親が挨拶を送ってくる。ああ、と低く答える。食事――前夜のうどんの残りを煮込む。また、これで三日連続だが、「ルクレ」のスチームケースに温野菜を用意しておいてくれた。それも温め、卓へ。雪が降らなくて良かったねと母親。前日に書き忘れたが、昼寝から目覚めた六時頃、雨が降っていた。最近は大方快晴ばかり続いていて、雨が降るのは大変に久しぶりだったのではないか。しかし長くは続かず、この朝もまた光の眩しい快晴である。新聞から、パレスチナ自治政府の首相が辞任したとか、シリア北部でクルド人勢力を巡ってシリアとトルコが対立の兆しだとか、そういった記事を読みつつものを食べ、デザートに餡ドーナツも食べると薬を飲んだ。皿を洗って下階へ。「我が恋は静かに憎む灼熱を口笛吹いて氷雨の唄を」という歌をメモし、早速日記を書き出す。BGMは小沢健二『球体の奏でる音楽』。ここまで記して一〇時二五分。
 忘れないうちに風呂を洗いに行ったあと、日記の読み返しをした。一年前と、二〇一六年八月七日。特に印象深い事柄はない。それから書抜きの読み返し。一月二二日、一三日、八日、五日と行う。あいだの空いた色々な日付の記事を参照するのも面倒臭いので、「記憶」とでも題したノートを一つ作って、そこに各々の書抜き箇所に番号を付して並べて行く形でまとめたらどうかと思ったが、ひとまず今日のところは従来の方針に従った。一二年一〇月一日に普天間基地オスプレイが配備されたとか、それを受けて普天間の二つのゲート(野嵩ゲートと大山ゲート)前では出退勤する米兵に直接訴えの声を届ける抗議運動が行われているとか、あるいは一一年五月六日付の米上院軍事委員会からゲーツ国防長官宛の手紙で、普天間の代替施設を建設するのではなく、嘉手納に基地を統合する案が提案されていたとか、鳩山政権が「国外、最低でも県外」の移設方針を挫折させてしまったのは何故かとか、読んだのはそういった事柄である。そうするともう正午も近い。上階に行くと母親は台所に立って料理をしているところだった。大鍋には大根や薩摩揚げが煮られてあり、隣の小鍋のなかには白菜が入って、椀に入れて作るタイプの「どん兵衛」を汁物代わりに拵えようということらしい。米も炊けていた。それでこちらも焜炉の前に立って、白菜が煮えたところで麺を投入し、一方で米をよそって茶漬けにしたり、賞味期限が前日までの豆腐を温めたりする。豆腐には冷凍されていた葱と鰹節を乗せ、卓に持ってくると醤油を掛けた。餃子の加えられた「どん兵衛」もよそり、ほか、ゆで卵で食事である。テレビは昼のニュース。女子大学生殺害遺棄事件の報が伝えられ、項垂れながら警察に引かれていく容疑者の映像が映った時、三五歳だというその男の頭は周辺にもさもさとした髪を残してはいるものの頭頂部が完全に禿げ上がっていて、それを見た母親は笑いを立てて、三五歳であんなになっちゃって、というようなことを口にした。インターネットの掲示板で知り合った相手を誘い出し、初めて会ったその日に即座に殺害したという事件の凶悪さにはまるで思いを致さない様子である。その後母親は、父親のことを取り上げて、お父さんもあんなになっちゃったらどうしよう、鬘でも被せるしかないかななどと言って引きつるような大笑いの声を上げていた。食後、父親が前日に買ってきたという生チョコレートを三つ頂いた(メーカー名は、アヴォ何とかとか書いてあったか)。二四個も入っているものだったので、一人八個ずつも頂ける計算である。美味だった。そうして食器を洗うと下階へ下りて、小沢健二 "流星ビバップ"を流して口ずさみながら服を着替える。モッズコートを羽織り、荷物をまとめると上階に行き、用を足してから出発。図書館に行って書抜きをするつもりだった。ついでに、Aくんたちとの読書会で課題書になっている中国関連の新書二冊も借りてしまう心だった。道に出ると流れる風がやはり少々冷やりとする。近所の低木の葉が、その表面が宝石と化したかのように白さを溜めて輝いている。坂を上って行って平らな道に出ると、風に撫でられた林がさらさらとした葉擦れの音を立て、昼下がりの静けさのなかにこちらの靴音がかつ、かつと響く。空は雲なく青々と満ちて、ガードレールの向こうの斜面から生え伸びた大木の葉叢の隙間にまで隈なく注がれていた。街道に出ると車の隙をついてすぐに北側に渡って歩いて行くあいだ、風はほとんど吹かない。"Hey Jude"のメロディを口笛で低く小さく吹きながら進んで行き、街道の途中で裏通りに折れた。小学生の集団といくつもすれ違いながら行く。市民会館跡地まで来るとやはり小学生の一団から氷だ、と声が上がり、なかの一人、幼稚園から上がったばかりだろうまだまだあどけない少女が、氷、食べて、などといたいけな発音で言うのに、傍にいた交通整理員――サングラス様の眼鏡を掛けて髭を生やしており、母親が「亀仙人」と渾名をつけた老人だ――が、幼子に対する時特有の声色で、少々身体を屈ませながら、食べられないもんねえ、などと声を掛けていた。そこを過ぎて青梅駅に近づくにつれて、段々と尿意が高まってきていた。出る前に用を足してきたにもかかわらず、歩いていると振動で膀胱が刺激されるのか、またトイレに行きたくなるのだ。駅舎の前に差し掛かる頃には結構嵩んでおり、ことによると漏らすのではないかという緊張も滲んでいたのだが、だからと言って急がず慌てずゆっくりとした歩調を保ち、喫煙者らが水辺の動物のように互いに無干渉を貫きながら集まって一服している横を通って公衆トイレに入った。小便器に向けて勢い良く尿を放つと湯気が立つ。手を洗ってハンカチで拭きながら出て、煙草の匂いのなかをくぐり、駅舎に入って改札を通った。ホームに上がるとちょうど立川行きが発車するところで、間に合わず、歩くこちらの目の前で電車は滑り出て行く。ホームの先のほうまで行って蓮實重彦『表象の奈落――フィクションと思考の動体視力』を取り出して日向のなかに立ったまま読み出したが、光を弾いてやや眩しい頁に目を落としていると何だか平衡感覚がぐらつくようで少々不安になった。じきに電車がやって来ると乗り込んで、リュックサックを下ろさぬまま席に就き、前屈みで書見を続ける。発車して河辺に着くと降り、うつむき気味にエスカレーターを上り、改札を通って駅舎の外へ、歩廊を渡ると図書館の入口前でリュックサックを背から下ろして、ヘミングウェイ老人と海』の翻訳本をブックポストに返却した。そうして、右手でリュックサックを肩に担ぎながらドアをくぐり、CDの新着棚に変化がないのを確認してから上階へ。新着図書には『武器となる思想』みたいな新書があって、それを少々めくって見たあと、書架を抜けて大窓際へ、席は容易に見つかって荷物を下ろし、ストールを首から取った。そうして椅子に座り、コンピューターを用意しながら『表象の奈落』をちょっと読んだあと、日記に取り掛かった。三〇分ほどでここまで書き足して二時一三分を迎えている。
 それから書抜き。蓮實重彦『表象の奈落』。折に触れて尻の座りを直しながら、ひたすら打鍵を続ける一時間二〇分。そうして便所に立つ。小便器の前で放尿し、手を洗ってからBrooks Brothersのハンカチで手を拭きつつ室を抜ける。それで下階へ。文芸誌の区画に行き、『文學界』や『群像』など手に取ってちょっとめくる。『群像』のほうだったか、黒田夏子の短い新作が掲載されていた。何となく文字面というか、ぱっと見のリズムのようなものに、Mさんの文章を連想させるような感触があった。それから『新潮』を取って場を離れ、上階の席に戻る。蓮實重彦「「ポスト」をめぐって――「後期印象派」から「ポスト・トゥルース」まで」を読むつもりだったのだ。それで四〇分ほど掛けて同講演録を読む。どこまでも貫かれているふてぶてしさと言うか不遜さと言うかが面白くはあったが、是非とも書抜きたいと思う箇所はなかった。雑誌を戻しにふたたび下階に行く。そう言えばどのタイミングだったか、日記を書き終えたタイミングだったかに、小野寺史郎『中国ナショナリズム 民族と愛国の近現代史』と、岡本隆司『中国の論理 歴史から解き明かす』を借りた。そのついでに、熊野純彦神崎繁が責任編集を務めている講談社選書メチエの『西洋哲学史』シリーズも瞥見しておいて、これらのシリーズは是非とも読みたい。また、岩波新書熊野純彦著のやはり『西洋哲学史』と、マルクス関連の文献があることも確認しておいた。それで下階に行って雑誌を棚に戻しておくと、ジャズのCDを少々見分。目新しいのはBud Powellの一九五三年のBirdlandでの音源くらいか。借りても良かったがひとまず放って上階に戻り、蓮實重彦『表象の奈落――フィクションと思考の動体視力』を読み進める。遮光幕の隙間に落ち行く西陽が覗く。五時を迎えると大きな動作音を立ててその幕が上がって行き、外の風景が露わになる。そうしてまもなく、リュックサックのなかで携帯電話が三度振動したのに気がついた。取り出してみれば母親からのメールで、もう帰っているかとあったのでまだ図書館だと返す。今近くまで来ているけれどまだ帰らない? 買い物をして行こうと思っていたが。食品売り場にいようか? というわけで、それでは今から東急に向かうと答えて読書を切り上げ、荷物を片付けて席を立った。車に乗ることになるだろうからストールは巻かずにリュックサックの内に収めた。それで退館すると流れる夕方の空気に、守られていない首元がやはり結構冷たい。東の空、山際には、西の山影と対を成してもう一つの山を構成するようにして、雲がなだらかな起伏を描いて貼りついていた。東急に入る。母親を探したが、大方まだ来ていないのだろうと判断して籠を持ち、椎茸や茄子、ポテトチップスやパンや豚肉などフロアを回りながら入れて行く。そうしてそろそろ来るのではと入り口に近い野菜の区画に戻っていると、果たして母親の姿が現れた。赤いパプリカと胡瓜を持っていた。それを受け取り、何かおかずを、カキフライでも買っていくかと訊くと、揚げ物の類があるだろうと言う。それで件の区画を眺めてみると、カキフライと焼き鳥の詰め合わせのパックがあったので、これで良かろうというわけでそれぞれ一つずつ籠に入れた。ほか、ヨーグルトを追加して会計である。母親が出してくれた、四五〇〇円くらいだった。危なげない手付きの男性店員が品物を整理し終えると籠を受け取り、一足先に整理台に移って袋にものを収めて行く。ポテトチップスの大袋を一つリュックサックに入れ、母親も合流して荷物を整理し、袋を提げて場をあとにした。エレベーターに乗って六階へ、車に向かう。後部座席に二つの袋を載せて、こちらは助手席に入った。母親は瑞穂のしまむらに行ってきて、寝間着など買ったらしい。二月五日に父親と出る食事会――会社の社長やらお偉方も集まるものらしい――があって、そこに来ていく服を見繕いに行ったようだが、良いものは見つからなかったらしい。駐車場のゲートをくぐり抜け、ビル側面に設けられた通路に出ると、高所から地平の果てまで町が見晴らせて、宵の暗んだ大気のなかに灯火が散在しているのが、田舎町と言ってもそこそこの夜景を構成していた。車内のBGMはBack Street Boysか何かだろうか、どうでも良いような退屈なポップスである。母親が何だかんだと話すのにはあまり答えず、音楽の上に被せるようにして"Hey Jude"をちょっと口ずさんだりしながら到着を待った。自宅に着くと荷物を持って降り、鍵を開けて玄関に買ってきたものを置く。車に残ったものも取りに行って、居間に入って明かりを灯すと品物を冷蔵庫に収めて行った。そうして下階へ。コンピューターをデスクにセットし、服をジャージに着替えて上階へ、時刻は六時半前だった。やや早いが既に腹が減っていて、食事を取りたかった。台所に入ると小鍋で大根が煮られているのは味噌汁にするためである。それが出来るのを待たずにもう食ってしまおうというわけで米をよそり、買ってきたフライと焼き鳥を加熱し、大根の煮物も温めて、母親が拵えた生野菜のサラダ――胡瓜・人参・大根・パプリカなど――を大皿に盛って卓へ。新聞から細野豪志自民党入りというニュースを読みつつ食べる。食事を取るといつもどおり抗鬱剤ほかを服用し、食器を即座に洗って乾燥機に収めておいてから自室へ。買ってきたポテトチップス(うすしお味)をfuzkue「読書日記(120)」。一月一八日の記事まで読む。一月一六日にあった以下の箇所が良かった。

(……)途中、外階段に腰をおろして煙草を吸いながら『cook』を開いていたらあまりにいい、生物の役割は創造することであります。他のすべてが決定されている世界のなかで、決定されていない地帯が生物を取り巻いております。というベルクソンの言葉が引かれていて、「決定されていない地帯」、と思った。
読書は祈りの行為でほんのわずかな時間のそれが一時間のそれに劣るわけではなくこうやってパッと開いて、開く手が祈りだ、そして落とす目が垂れる頭がそれが祈りだ。パッと開いて、ほんのわずかな時間、本とともにある、それがどれだけ人を救うことか、ということをよくよく知らせる本だと、そう思いながら何度か同じ行為を繰り返す。読んでいると、そうだった、料理も祈りだった、となっていった、おいしくあれというそれは正しく祈りだった、この本のまとう空気の明るさ、と最初思ったがもっと切実だった、切実に明るかった、それもまたつまり祈りだった。(……)

 それから、Rolank Kirk『Live In Paris, Vol.1』を流しつつ(このアルバムは売却へ)、書抜きの読み返しを行う。一二月三一日、三〇日。一九九六年四月一二日の普天間基地完全返還合意発表からSACO=沖縄に関する日米特別行動委員会についてなどなど。そうして八時前、入浴に行く。風呂のなかでは目を閉じて、先ほど読んだ知識を断片的に頭のなかで思いだすようにした。そうして頭を洗って上がって、自室に帰ると短歌をいくつか拵えた。

 寂しさを固めて埋めて悼む時コンクリートの産声を聞く
 あてどない夢の過剰によろめいてまばたきもせず涙降る夜
 果てもなく薄れて見える街角に娼婦と猫と指切りしよう
 枯れ果てた河床のような悲しみは透明だけが救ってくれる

 そうして八時四五分から読書、『表象の奈落』。Cal Tjaderのアルバムを二つ流す――『Cal Tjader's Latin Concert』『Jazz At The Blackhawk』。前者はどこがどうとは言えないがなかなか良いし、後者は"I'll Remember April"が実に小気味良い、機嫌の良い好演で、Cal Tjaderという人はどちらかと言えば小粒な奏者な気がするが、どちらも手放す気にはなれない。読書はあっという間に一一時まで。「『ブヴァールとペキュシェ』論」に入っているのだが、この論考がこの本のなかでは一番わかりやすいかもしれず、今のところ全然わからなくて困惑させられ途方に暮れるといった箇所は概ねないようだ。『ブヴァールとペキュシェ』も面白そうな小説だと思うのだが、翻訳は多分、もう何十年も前の『フローベール全集』のものしかないのだろうか? 書簡の巻三つ分はこちらも持っているが、あの全集が出たのは確か六〇年代のことではなかったか? だとするともう五〇年かそこら昔のことになるわけだ。
 日記を記して日付替わりも目前、短歌を作る。

 虚しさばかり豊かに漂う日暮れ時血管が詰まるような青空
 牙を研ぎ獣になろう黙々と瞼に優しい草を生やして
 眠ったら唇のように撫でてくれ俺も貴方を泣かせてみせる
 指と指を絡めて平等を作る苦しい吐息銀の心音

 そうして読書。『表象の奈落』。「『ブヴァールとペキュシェ』論」は、やはりドゥルーズデリダソシュールについての論考などよりは随分とわかりやすい。一時四〇分過ぎまで読むと眠気が差していたのだろう、就床することにした。消灯して臥位になると、容易に眠れそうな感触があって、実際、さほどの時間も掛からずに寝付いたはずだ。


・作文
 9:50 - 10:25 = 35分
 13:40 - 14:13 = 33分
 23:09 - 23:53 = 44分
 計: 1時間52分

・読書
 10:31 - 11:40 = 1時間9分
 13:08 - 13:21 = 13分
 14:15 - 15:35 = 1時間20分
 15:47 - 16:26 = 39分
 16:36 - 17:13 = 37分
 19:03 - 19:47 = 44分
 20:45 - 23:03 = 2時間18分
 24:17 - 25:42 = 1時間25分
 計: 8時間25分

  • 2018/2/1, Thu.
  • 2016/8/7, Sun.
  • 2019/1/22, Tue.
  • 2019/1/13, Sun.
  • 2019/1/8, Tue.
  • 2019/1/5, Sat.
  • 蓮實重彦『表象の奈落――フィクションと思考の動体視力』青土社、二〇一八年(新装版)、書抜き
  • 蓮實重彦「「ポスト」をめぐって――「後期印象派」から「ポスト・トゥルース」まで」; 『新潮』二〇一九年二月号
  • 蓮實重彦『表象の奈落――フィクションと思考の動体視力』: 134 - 214
  • fuzkue「読書日記(120)」; 1月18日(金)まで
  • 2018/12/31, Mon.
  • 2018/12/30, Sun.

・睡眠
 2:45 - 9:00 = 6時間15分

・音楽

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2019/1/31, Thu.

 まだ暗い四時前に目覚めた。そこでもう起きてしまって本を読もうということで、明かりを点けて、蓮實重彦『表象の奈落――フィクションと思考の動体視力』を読みはじめた。しかし、やはり眠りが足りないのか、段々と目がひりつくようになってきて、仕方ないので五時半に達したところでもう一度眠ることにした。入眠は容易だったようだ。そうして、一一時まで眠りこけてしまう。昨夜は一一時には意識を失っていたと考えると、睡眠時間は合わせて一〇時間以上に上る。不眠が解消されて容易に眠れるようになったのは良いことなのだが、全然眠気の湧かないあの状態も読書の時間を確保するという観点からは益するものだったと言うか、端的に言ってもっと早起きしてもっと本を読みたいところはある。
 上階へ。母親に挨拶。せっかく早く起きたのにまた寝ちゃったよと漏らす。台所には「ルクレ」のスチームケースに温野菜が入っていた。それを温める一方、昨日コンビニで買ったレトルトカレーも食べることにして、小鍋に湯を沸かす。ほか、野菜スープ。湯が湧いたところでレトルトパウチを投入しておき、卓に就いて新聞を読みながら食べる。新聞記事は三面の、与野党代表質問についてのもの。醤油を掛けた温野菜(南瓜・人参・ピーマンなどに餃子が二つ入っていた)を食べ終えるとそろそろ良かろうというわけで台所に行き、炊飯器に僅かに残った米を全部払って、その上からカレーを掛けた。そうして卓に持って行くと炬燵に入ってタブレットを弄っていた母親が、凄いスパイスの匂いがする、と言った。それでものを食べ終えると薬を服用し、食器を洗う。そうして、前日はまた風呂を洗うのを忘れてしまったので、今日は怠るまいと早速浴室に行って浴槽を擦った。そうして自室にやって来て、日記を記すともう正午を回っている。
 日記の読み返し。一年前、二〇一六年八月八日とも、特段に言及しておくべきことはなかったと思う。それからMさんのブログ。松本卓也『享楽社会論』からの引用が面白い(この本は、昨日図書館で心理学関連の棚にあるのを発見した――ついでに言えば、立木康介『露出せよ、と現代文明は言う』もそのすぐ近くにあった。これでMさんに本をあげてしまってから読みたくなっても困ることはないだろう)。さらに熊野純彦インタビュー「無償の情熱を読み、書く  『本居宣長』(作品社)刊行を機に」(https://dokushojin.com/article.html?i=4180)も読んだ。『古事記伝』は何と全四四巻もあるらしい。『古事記』のテクストを本当に一字ずつ劃定し、その読み方もすべて確定すると、そういう途方もないような仕事だったようだが、それを書くほうも書くほうだがすべて読むほうも読むほうである。しかも熊野という人はおそらく、それをカントやらハイデッガーやらの翻訳と並行して読んでいたようだからとんでもない。一体どこにそれほど多くの仕事をする時間があるのか。野家啓一だったか野矢茂樹だったかが(いつもどちらがどちらなのか区別がつかなくなってしまう)ちょっと前に新聞の書評でこの『本居宣長』を取り上げて、「この人の頭のなかは一体どうなっているんだ」という称賛を発していたけれど、それもむべなるかなという感じである。熊野純彦の本は色々と読んでみたい。さしあたり、図書館にはカントについての連載をまとめた『カント――美と倫理とのはざまで』があって、これは以前から読んでみたいと思っているし、ほか、講談社選書メチエから出ている『西洋哲学史』もあることを認識している。これは熊野の単著ではなくて共著だが、それを読んでみるのも良いだろう。岩波新書でも何かしら出していたはずだ。以下、引用――「宣長の政治思想を論じるというのは、足の小指を論じるようなものです」。「もう一つは、何と言っても『古事記伝』全四四巻。(……)宣長による膨大な註釈は、いま現在一人の学者が一生で身につけ得る教養を、おそらく超えてしまっている」。

しかし僕が「なお生きる宣長」という言葉に寄せて、今回一番書きたかったことは、宣長の学問の中には、「無償」の、見返りを求めない情熱が生きているということでした。人文学が危機に瀕する現代に、何かに仮託してでしかなかなか言えないことですが、真の学問とはいかに無償のものなのか。宣長はカントと同時代人ですが、この国にかつて、学問に無償の情熱を傾けた人間がいたということを、どうしても書きたかったのです。


宣長問題」としてもう一つ、宣長は本当に古伝説を信じていたのか、ということが取り沙汰されるのですが、それはテクストを本気で読むということを知らない人が立てた、つまらない問いです。読書の現場ではテクストが全てです。優れた解釈者は、物語を単に読むだけではなく、物語を生きるのです。(……)


優れたテクストからは、そこから都合のいい思想像や概念像を、取り出すことに挫折するものです。というのも、テクストの本当の魅力は細部にしかないからです。『古事記伝』はその典型的な本で、全国に散らばった弟子たちが、手紙で知らせてくる古伝説や土地土地の風習[ならわし]、遺されている言語[ものいい]、古典籍についてのささやかなエピソードなど、細部のつぶつぶが際立つ本です。それに比べて宣命祝詞のような文体で肩ひじ張った「直毘靈」など『古事記伝』本論に比べ、全く光を放たない。宣長について手っ取り早く論じようという人がそこしか読まないから、奇妙に傾斜した像が描かれてしまうだけのことです。逆に言うと、『古事記伝』の細部を取り上げて、一生懸命読み込んでも、都合のいい宣長像など、結びません。それは仕方がないことです。後世の人間が都合のいい図柄を作るために、先人たちの仕事があるわけではないのだから。

古代末期から現代に至るまで、プラトンアリストテレスの言論に、その数十倍もの註釈がつけられ、デカルトの数十頁の原文に対して、E・ジルソンが何百頁もの註釈をつけ、カントの五〇頁の原文に対して、ファイヒンガーが二巻本の註釈をつける。註釈の奥深いつまらなさと面白さ。つまらなさは学問の厳しさだし、面白さは註釈をつける人間、一人一人の面白さです。

そうした膨大な註釈をつけてテクストを読み、さらにその註釈自体を読むというのは、回り道に見える学びだし、明日の飯にはならない仕事です。でも近道を目指すことばかり続くならば、人文学のような学問は死滅します。つまらなさに耐えて、面白さを発見することが人文学には宿命としてあるのだと思います。

もう少し広い文脈で大言壮語するならば、この現代社会における価値の一元化が僕にとっては耐え難い。効用も有用性も究極の価値など与えません。それは「何かのため」でしかないわけですから。何のためでもないことにこそ、究極の価値がある。

分かりやすいのは遊びです。不謹慎なことを言えば、学問なんて遊びなんですよ。だから、おまえたちが遊ぶために、なぜ金を出さなければいけないんだと言われたら、ぐうの音も出ないわけですが。僕は啓蒙という言葉は大嫌いだし、自分が入門書を書いているとも全く思いませんが、論文であれ何であれ、どこかに自分のしていることの魅力を、メタメッセージとして含みこむべきだし、どんな本にもそれがあって欲しいと思います。(……)

 そうすると二時前。食事を取りに行った。居間に上がると母親は図書館に行ったようで不在だった。洗濯物は既に取り込まれてあった。「緑のたぬき」を用意する。湯を注いで卓に置き、三分を待つあいだに台所で大根をスライスして持ってくる。「すりおろしオニオンドレッシング」を掛けて食べる。そうして蕎麦もほぐして啜りながら新聞。二面、「英首相 離脱案再交渉へ 下院 「国境規定修正」可決」。英国のEU離脱予定日は三月二九日。北アイルランドの国境管理問題が焦点となっているらしい。「過去の宗教紛争を再燃させかねないため、英EUは開かれた国境を維持する方針で一致している。[二〇一八年一一月に合意された]離脱協定案では、EUと英国の関係を維持する2020年末までの「移行期間」中に管理の具体策が決まらない場合、安全策として英国全体がEUの関税同盟に残ることを定めている」と言う。また、下院にこの度提出された動議と採決の結果が表として載っているのだが、保守党議員の提出した「「合意なき離脱」を回避」という動議が、賛成三一八、反対三一〇なので、随分とぎりぎりではないかと思った。ほか、「勤労統計 厚労省 都内直接調査へ 6月にも、統計委承認」の記事も読んで容器や食器を片付け、自室に帰った。英語のリーディング、まずはErnest Hemingway, The Old Man And The Sea。これを最後まで読了した。前回読んだ時にも思ったが、充分な具体性を持った記述によるなかなか充実した物語で、筋としても非常にわかりやすいので文学に普段触れない人でも読みやすいのではないか。柏艪舎の中山善之という人の訳を参照しながら読んで、色々と参考になる箇所はあったものの、この人の翻訳は全体として、日本語として固くこなれていない。光文社古典新訳文庫小川高義訳は多分もっと良いのではないかと予想する。彼らの訳を参考にしながら、翻訳の練習がてら自分で訳してみても良いかもしれないとも思うが、そこそこ長いのでまずは短いものを訳してみてからだろう。『老人と海』を読み終えたあとはそのまま同じHemingwayのMen Without Womenを読みはじめた。冒頭、"The Undefeated"。以下、英単語メモ。

  • ●97: You can make the blade from a spring leaf from an old Ford. We can grind it in Guanabacoa. It should be sharp and not tempered so it will break.――grind: 磨ぐ / temper: 焼き入れする
  • ●1: Over his head was a bull's head, stuffed by a Madrid taxidermist; ――taxidermy: 剝製術
  • ●1: 'How many corridas you had this year?' ――corrida: 闘牛
  • ●3: 'Whose novillos?' Manuel asked./'I don't know. Whatever stuff they've got in the corrals. What the veterinaries won't pass in the daytime.' ――corral: 柵囲い / veterinary: 獣医

 それで三時過ぎ。続けて、蓮實重彦『表象の奈落――フィクションと思考の動体視力』を読み出したのだが、早朝と午前であれほど眠ったのにもかかわらず、何故かふたたび眠気が差してきて、四時半を迎える前に意識を失っていた。気づくと五時を越えており、母親が帰ってきた気配があったのだが、起きられず、曖昧な意識のまま臥位を保ち続け、あっという間に六時半過ぎである。当然、その頃には食事の支度など終わっている。不甲斐ない頭で上階に行き、母親に、眠ってしまったと報告しておいてから戻って改めて読書を始めた。「視線のテクノロジー――フーコーの「矛盾」」。続けて、「聡明なる猿の挑発――ミシェル・フーコーのインタヴュー「権力と知」のあとがきとして」。五〇分読んで七時半、食事を取りに上階へ。幅広のうどんに、温かいつけ汁が作られてあったがこちらは麺つゆで、冷やで食べることに。ほか、肉や菜っ葉を混ぜた厚揚げと母親が買ってきたネギトロ巻きを四つ。新聞は読まなかったが、テレビのことも覚えていない。どうでも良い番組だったはずだ。二月七日に墓参りに行くかとまた訊かれたので、ちょうどMさんが東京に来るのだと説明する。何しに来るのと言うので、それは、我々に会いに来るのさと笑った。我々というのは、と続くのには、自分や、Hさんなど、物書きの仲間だと。それで、Hさんも仲間なのねと初めて母親はそこを認識したらしかった。Mさんは出身は伊勢で、現在中国で働いているが、今は三重の実家に戻ってきているなどとそういったことも説明し、抗うつ剤を飲んで皿を洗うと入浴。散漫に物思いをしながら湯に浸かり、出てくると自室へ。緑茶を久しぶりに飲む。飲みながら「ウォール伝、はてなバージョン。」。「日本ってまぁ堅苦しいっていうマイナス面もあるけど基本真面目だよね。荷物をちゃんと届けるというのはちゃんとやるじゃないですか?もうぶっちゃけその時点でアメリカよりキリスト教的なんだよね」。「信仰無き哲学は空っぽで逆もまた然りで哲学が無い宗教ってのはただの盲目だ」。「客観的にその学問が実学なのか虚学なのか?ということではなくて長期的な目で見て結果的に実学になったっていうような主観的な価値が重要なんだよね」。その後、前夜歯磨きをしなかったのでまた忘れないように早めに磨いておこうと歯ブラシを咥え、UさんのブログやSさんのブログも読む。そうしてさらに、書抜きの読み返し。音読をしたあとに目を瞑って記憶を想起させるのは面倒なのでやらず、ただ三回ずつ音読をするのみ。そのほうが楽ではある。一月一三日、八日、五日分を行って一二月には遡らず、この日の記事に大津透『天皇の歴史1』から記紀神話の要約を引いておき、それも読んだあと、さらに二八日の分も読む。それだから今日は五日分を復習したことになる。そうすると一〇時半、そこからKeith Jarrett Trio『Standards, Vol.1』を流しつつ日記。ここまで記して一一時一五分。他人のブログを読んでいるあいだはGary Smulyan and Brass『Blue Suite』を流していたが、このアルバムは、ベースのChristian McBrideの働きにせよリーダーのGary Smulyanのバリトンにせよ豪放といった感じで良質であり、売る気にはならない。
 その後、零時過ぎまで短歌を作った。

 禽獣の歩行者天国突っ込んで白鳥捕らえ一緒に渡る
 悲しみは空き缶道路薄の穂夢の畔でまた会う日まで
 約束は破るためにこそあるのだと手紙をくれた若者いずこ
 一滴の雲もない空羽ばたいて西陽のもとに帰る赤子よ
 存在を擦って燃やした昨日から受け継ぐものは燐の光だけ
 剝ぎ取られ白紙のように血を抜いて透き通る肌にほくろはいくつ
 むき出しの骨と血肉と歯の裏に小人が棲んで脳を直すよ
 青色の汁を流して一休み穴から穴へ凍えないように
 ガラス窓の向こうに佇む亡霊を抱いてキスして初めて笑え
 人工の光を浴びて手を振って影を踏まれて生まれ変わって
 照明に荒れ果てたこの丸部屋へ鎮魂歌来る悲しいリフレイン
 宝石のように目も手もなくなって声のみ残れ光はいらぬ
 我らの唄あれはハーレム・ノクターン眠れ眠れと森の木霊に
 連れて行ってもぬけの殻の楽園へ夢より朧な現のなかへ

 岩田宏の詩のフレーズを借用したものがいくつかある。零時一五分から読書。蓮實重彦『表象の奈落』だが、新しい頁を読み進めるのではなくて、既に読んだところを大雑把に読み返しながら書抜き箇所を吟味しているだけで一時間半が経ってしまった。それから早速書抜きを始め、三〇分。二時二〇分に至る。眠る前にふたたび短歌を拵えた。

 成熟よ睫毛の下に陽を浴びて目を細めればまるで虹のなか
 唇を青く濡らしてこの夕べ波間に憩う燃え尽きるまで
 郷愁は寂しい木馬雲の上に嘶き渡り雷[いかずち]となれ

 それで二時四〇分を迎えて消灯。入眠を待つあいだも短歌を考える。岩田宏神田神保町」の一節、「やさしい人はおしなべてうつむき」を取りこんだものを作りたかった。第一句、「鴇色」のというのがまず出てきた。「やさしい」という言葉から連想される色を考えてみた時に、薄ピンク色が頭に浮かんだのだった。それから「鴇色のやさしい人はおしなべてうつむき呟く~~」まで出来た。そうして何を呟くのか考えているあいだに、「呟く」よりも「歌う」のほうが音としても七音になるし良いのではないかと思った。そこまで来るとあとは簡単で、最後の第五句は「~~の言葉を」にしようと思って考えると、「風の言葉を」というのが出てきた。かくして、「鴇色のやさしい人はおしなべてうつむき歌う風の言葉を」と仕上がったわけだ。「鴇色」は「朱鷺色」と表記を迷ったのだが、後者は「朱」の字が入っているのが何となく強いような感じがして、前者のほうが「やさしい」と相応するかと考えた。そのように一首拵えたので、忘れないうちにと消していた明かりをもう一度点けてコンピューターも起動させ、EvernoteにメモするとともにTwitterにも投稿しておいた。時刻は二時五五分だった。そうして再度消灯して寝床に戻り、横を向いてまた短歌を考えながら入眠した。


・作文
 11:48 - 12:10 = 22分
 22:33 - 23:17 = 44分
 計: 1時間6分

・読書
 4:37 - 5:30 = 53分
 12:14 - 13:43 = 1時間29分
 14:10 - 15:06 = 56分
 15:25 - 16:15 = 50分
 18:42 - 19:32 = 50分
 20:43 - 21:20 = 37分
 21:45 - 22:30 = 45分
 24:15 - 25:46 = 1時間31分
 25:47 - 26:20 = 33分
 計: 8時間24分

  • 蓮實重彦『表象の奈落――フィクションと思考の動体視力』: 89 - 134
  • 2018/1/31, Wed.
  • 2016/8/8, Mon.
  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2019-01-27「晴天の軒先に立ち雨宿りしている見えない誰かの横で」; 2019-01-28「遠吠えを真似て咳き込む飼い犬の牙がするどく空を切るとき」; 2019-01-29「へんじがないただのしかばねのようだおきのどくですがぼうけんのしょは」; 2019-01-30「光あれ塩の柱に降りそそぐ唯物論者の今際を照らす」
  • 熊野純彦インタビュー「無償の情熱を読み、書く  『本居宣長』(作品社)刊行を機に」(https://dokushojin.com/article.html?i=4180
  • Ernest Hemingway, The Old Man And The Sea: 94 - 99(読了)
  • Ernest Hemingway, Men Without Women: 1 - 4
  • 「ウォール伝、はてなバージョン。」: 「キリスト教に目覚めていく私。その3。」
  • 「思索」: 「1月30日2019年」
  • 「at-oyr」: 「若者」; 「子供」
  • 2019/1/13, Sun.
  • 2019/1/8, Tue.
  • 2019/1/5, Sat.
  • 2019/1/31, Thu.
  • 2019/1/28, Mon.
  • 蓮實重彦『表象の奈落――フィクションと思考の動体視力』青土社、二〇一八年(新装版)、書抜き

・睡眠
 23:00? - 3:50 = 4時間50分?
 5:30 - 11:00 = 5時間30分
 計: 10時間20分

・音楽

  • Shelly Manne & His Men At The Black Hawk, Vol.1』
  • the Hiatus『A World Of Pandemonium』
  • John Pizzarelli Trio『Live At Birdland』
  • Gary Smulyan and Brass『Blue Suite』
  • The Monday Night Orchestra『Playing The Music Of Gil Evans』
  • Keith Jarrett Trio『Standards, Vol.1』
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2019/1/30, Wed.

 最初に七時台に覚めた。五時間かと睡眠時間を計算してまあまあだと思ったのも束の間、すぐにふたたび寝入り、その後も間歇的に覚めながら九時四五分に至る。そこでようやくベッドを抜け出し、寝間着の上にダウンジャケットを着込んで上階へ。母親に挨拶し、すぐにジャージに着替え、台所に入って野菜やハムを収めた「ルクレ」のスチーム・ケースを電子レンジに突っ込む。加熱しているあいだに便所に行って用を足し、戻ってくると前夜の野菜スープの残りも温めてよそった。そのほか、ゆで卵である。卓に就いてものを食べながら新聞を読む。国際面、イスラエル出生率関連の記事。イスラエルでは、体外受精不妊治療制度の整備が手厚く、出生率は三. 一一パーセント、日本の倍以上に達しているらしい。それにはユダヤ人民が被ったホロコーストの歴史だとか、イスラエル建国後も続いたアラブ諸国との戦争で大量の人間が死に、人口を増やそうという意志が国家的に形成されたことが大きいのだと。紙面の左方にはユダヤ教の「超正統派」について触れた区画があり、こうした宗派のことは初めて知ったのだが、彼らはユダヤ教の戒律研究に一生を捧げようとする人々で、その多くは就労しておらず国の補助金で生活費を賄っており、嵩む財政負担が問題となりつつあるということだった。そんな記事を読んでいると向かいの母親が、銀行の紙封筒を差し出してくる。父親からで、五万円入っていると言う。現在無職のこちらに、毎日の家事を時給換算して擬似的な給料として与えてくれると言うのだが、正直なところ金を貰うほど大した働きなどしていない。それで、ひとまず貰っておきながらも月々母親に渡して食費などに使ってもらう形で返せば良かろうというわけで、早速二万円を譲渡しておいた。ほか、母親の話では、今年の四月から父親は地元自治会の会長になるのだと言う。それで出る機会が多くなったり、出費が嵩んだりするのを母親は嫌がっているようだったが、さらには、来年には地元の祭で拍子木役を務めることにもなるらしく、その際はこちらも父親の隣に控えて同行し、山車と一緒に町を練り歩かなくてはならないようだから他人事ではない。俺はそんなのやりたくないよと言いはしたのだが、しかしおそらくやらないわけにも行かないだろう。鬱病だと言って、と笑い声を立てはしたものの、これは冗談である。そんな話もありつつ食事を終えて、薬を飲み、食器を片付け、前日に買ってきた生チョコレートのアイスを持って自室に下りた。そうしてアイスを食ったあと、早速日記に取り掛かり、前日の記事を短く書き足して仕上げ、さらにここまで記して一一時一一分。BGMは『James Farm』を流した。
 一一時半から日記の読み返し。一年前は相変わらず夜半に緊張に襲われて覚醒している。それからいつも通り二〇一六年の、この日は八月九日の記事を読んでブログに投稿。さらに、安里長従「「沖縄に要らないものは本土にも要らない」論を問う」を読むともう正午を越えていたので、上階に行くと、既に母親が食事の支度を済ませたあとだった。南瓜・人参・葱・ブロッコリー・エリンギや魚介類の入ったスパゲッティと、大根のサラダである。フライパンで熱されていたスパゲッティを搔き混ぜて、二つの大皿に均等に盛っていく。そうして卓に移り、フォークではなくて箸を使って食べはじめる。テレビはカルロス・ゴーン関連の話題を取り上げていた。向かいの母親が言うには、二月七日、祖母の命日にYさんが墓参りに来ると言う。お前も行くかと言うのに肯定したが、しかし二月七日と言うと、Mさんが東京から帰る日ではなかったか? ともかくものを食べて食器を洗うと自室に下り、James Farm『City Folk』を流しながら服を着替えた。臙脂色のシャツ、グレーのパンツ、モッズコート。荷物を整理し、ニット帽やリュックサックを持って上階へ。便所で用を足し、帽子を被ってハンカチを尻のポケットに入れ、出発した。日向のひらいたなかを歩いていく。坂に入ると路上に落ちたガードレールの影の、輪郭がくっきりとして色も密なのが、影が投影されているというよりも路面に直接色を塗りつけて描いたように見えた。ニット帽の頂点にある毛玉の突き出たこちらの影もはっきりと映り、日向のなかにひらいた穴を随時推移させていく。街道に向かいながら見上げると、樹々の向こうから絹雲が縦に、炎のようにあるいは煙のようにして空に舞い上がっている。空には雲が混ざっており、淡い色の部分が多いようである。陽射しを浴びる紅梅を見やりながら街道に出て、通りを北側へ渡ると、竹の木立ちの向こうで鵯が鳴き騒いでいた。裏には入らず表通りをそのまま行く。途中、横から追い抜かしていく影があって見れば右手にイヤフォンの繋がったスマートフォンを持って帽子を被った若い女性の、真っ赤なジャンパーにガウチョパンツ風に裾の広がった青々としたデニム、茶髪が背の上に動物の毛皮のように垂れ下がった姿で、さして急いでいる風にも見えないのにすたすたと、こちらよりもよほど速く歩いて先を行く。その後ろから、日向の途切れず道の先まで続くなかを歩いていると、風が吹き、その冷たさのなかにしかし脇腹あたりに微かな汗の感触があった。道中、一軒、肉屋の、平日の昼日中にもかかわらずシャッターを下ろしているのが目につくと、途端に、続くほかの店々も同じように、辞めてしまったものもなかにはあるのだろうか、シャッターが下りているのに気づく。その前を通り過ぎて駅前まで行き、八百屋の前を通ってロータリーを回りはじめると、先ほどの女性が、とうに遥か先まで行ったものだと思っていたところが裏道から出てきたのが見えた。彼女はその後、駅舎の正面で止まって、誰かを待っているようだった。こちらは過ぎて駅に入り、ホームに出ると向かいの小学校で子どもたちが賑やかに遊び回り、騒いでいる声が空中に反響して伝わってくる。尿意を感じていたのでホームを辿って端の便所に行き、たまには後ろのほうに乗るかというわけでそのまま最前列には戻らず、九号車のあたりに乗った。席に就くと短いあいだだが読書をすることにして蓮實重彦『表象の奈落――フィクションと思考の動体視力』をひらき、読んでいるうちにあっという間に河辺に着いて降車する。陽の射して入りこんでいるホームを辿って、待合室のガラス壁を付近で拭き掃除している男性の横を過ぎ、階段を上って改札を抜ける。それから出た高架歩廊の通路の途中には、道の真ん中に一つ、何のためのものなのだろうか、カラーコーンがぽつんと置かれてあった。図書館に入り、カウンターにCD三枚を返却すると、文芸誌の棚に行き、『新潮』を手に取った。蓮實重彦の「ポスト・トゥルース」の時代についての講演録を拾い読みし、仔細に読みたい気もしたがひとまず放っておいて上階に上がった。新着図書には『大江健三郎全小説』が三巻入っていて、これは大層有り難い。そうして書架のあいだを抜けて大窓際に出ると、一番端の席が一つ空いていたのでそこに近寄り、リュックサックを下ろしてストールを首から取り、帽子も外してさらにコートを脱いだ。装備をつけていると館内は暑いくらいの暖かさだった。コンピューターを取り出しながら『表象の奈落』をちょっと読んで、そうして二時過ぎから日記を書き足した。忘れていたが、前日に引き続き「週刊読書人ウェブ」で目ぼしい記事を漁ったので、下にメモしておく。

夏目漱石生誕百五十年、歿後百年記念『漱石辞典』(翰林書房)刊行を機に
二十世紀文学の流れを先取りしていた漱石
〈対 談〉奥泉 光×小森 陽一
https://dokushojin.com/article.html?i=1996

特集「中動態の世界」 第一部 國分功一郎×大澤真幸「中動態と自由」(代官山蔦屋書店)
『中動態の世界 意志と責任の考古学』(医学書院)刊行記念
https://dokushojin.com/article.html?i=1580

今福龍太・中村隆之・松田紀子鼎談
ポスト・トゥルースに抗して<パルティータ〉版『クレオール主義』(水声社)刊行を機に
https://dokushojin.com/article.html?i=1310

東浩紀氏インタビュー(聞き手=坂上秋成)
哲学的態度=観光客の態度
『ゲンロン0 観光客の哲学』(ゲンロン)刊行を機に
https://dokushojin.com/article.html?i=1253

蓮實重彥氏に聞く(聞き手=伊藤洋司)
鈴木清順追悼
https://dokushojin.com/article.html?i=1051

絓秀実・鵜飼哲 「共和制という問いの不在」
https://dokushojin.com/article.html?i=1057

無意識の超自我としての憲法九条
憲法の無意識」(岩波書店)刊行を機に
柄谷行人氏ロングインタビュー
https://dokushojin.com/article.html?i=791

宮台真司苅部直渡辺靖 鼎談
分断化された社会はどこに向かうのか
予測されたトランプの勝利、能天気なリベラル、SEALDsの残したもの、新科目「公共」、天皇のお言葉と退位問題…
https://dokushojin.com/article.html?i=479

感情が動員される社会を生き抜くには
堀内進之介著『感情で釣られる人々なぜ理性は負け続けるのか』(集英社)刊行記念鼎談載録
https://dokushojin.com/article.html?i=190

グローバル化と国家
英国のEU離脱と米大統領選挙、これから日本が進むべき道
日本文明研究所シンポジウム載録
https://dokushojin.com/article.html?i=191

二十歳のドゥールズに出会い直す 『ドゥルーズ 書簡とその他のテクスト』(河出書房新社)刊行を機に 宇野邦一・堀 千晶対談
https://dokushojin.com/article.html?i=33

「知の巨人ポール・ド・マン脱構築する」巽孝之×土田知則
https://dokushojin.com/article.html?i=23

ポスト構造主義」以降の現代思想
カンタン・メイヤスー『有限性の後で』が切り開いた思弁的実在論をめぐって
https://dokushojin.com/article.html?i=6

 また、短歌を一つ作った。「発熱の愛は湿って疫病に溶けて乾いて炎天挽歌」。
 その後、書抜き。蓮實重彦『表象の奈落』。一時間打鍵。腹が減ってきたので何か食べに行くことにした。それで席を立ち、モッズコートを羽織って書架のあいだを抜ける際、東浩紀の『ゲンロン0』があるのを発見した。しかしこれは所有している。『ゲンロン0』を所蔵するのなら、普通の『ゲンロン』シリーズの方も買ってもらいたいのだが、しかしこれは多分区分が雑誌になるので難しいだろう。館を抜ける。まだ光の残っている歩廊に出て、階段を下りてコンビニへ。所定の位置に並んでいると若い女性店員が呼んでくれたのでカウンターに行き、年金の支払い書を差し出した。一六三四〇円。払うと壁際に行き、おにぎりを二つ(ツナマヨネーズと鶏マヨネーズ)、サンドウィッチを一つ(照焼きチキンと卵)を持ってふたたび所定の位置へ。ホットスナックを整理していた男性店員がじきに気づき、はい、すみませんと言いながらどうぞとこちらを迎える。五二二円。六〇〇円を払い、釣りを受け取りながらありがとうございますと言うとあちらも、はい、ありがとうございましたと返してくれた。そうして外に出て、ベンチに座る。まだ辛うじて薄陽が残っている。座っているあいだ多分一度も風が走ることがなく、寒さは感じなかった。おにぎりを食べはじめるとまもなく黒いジャンパーを羽織った高年の男性がやってきて、ベンチの空いていた残りのスペースに「緑のたぬき」を置くので荷物を片寄せる。男性はしばらくその場に立ち尽くしていたが、時間が来るとカップ容器を持って入れ替わりに腰掛けた。あたりには鳩が集まってきていた。種の違いなのかそれとも個体差なのか、墨を塗ったような羽色のものと、河原に転がっている石のように白い色のものとある。鳩は怖じずに食物を求めてこちらや男性のすぐ足もとをうろうろし、ベンチの下を通過したりしていた。男性は時折り食べている麺を放ってやっていたが、そうすると鳩たちは即座に食べ物めがけて群がって、地面に落ちた蕎麦の麺を、それが地べたに貼りついているわけでもないのに激しく引きちぎるように嘴でつまみ上げて顔を大きく仰け反らせ、するとかえって麺を口にすることはできずにその勢いで蕎麦はあたりに飛び散ってしまうのだった。ものを食べ終えると、ビニール袋をくしゃくしゃと丸めてコンビニの前のダストボックスに捨て、階段を上って図書館に戻った。館内に入った途端に緊張を感じた。例によってパニック障害の微かな残滓、ものを食ってすぐに公共の場に立ち入ったものだから、吐くのではないかという懸念のためである。しかし自分が吐かないということはもうわかっているし、吐いたとしても死ぬわけではないので意に介さず、階段を上る。この時すれ違った若い茶髪の女性が、タイトルは見えなかったが、岩波文庫の赤版を手にしていたので、密かに良いねと思った。席に戻る。書き忘れていたが、書抜きのために本を押さえる書籍には、分厚いブノワ・ペーターズ『デリダ伝』を選んでいた。時刻はちょうど四時頃だった。それで『表象の奈落』を読み出すのだが、ものを食べたためだろうか眠気が差して、「フーコーと《十九世紀》 われわれにとって、なお、同時代的な」に入っていたのだが、文の意味が全然頭に入ってこない。机上に突っ伏してしばらく休んでみたりもしたのだが、改善されない。使い物にならない頭でしばらく読み進めたものの、うまく行かないのでそろそろ帰るかということにした。その前に最後に、「「本質」、「宿命」、「起源」 ジャック・デリダによる「文学と/の批評」」から一箇所書き抜いた。このデリダ論も、どういうことを言っているのかあまりよくわからない部分が散見される。哲学・思想とはまったくもって難しく、読んでいると自分は頭が随分悪いのだなという気になってくるものだ。それで六時過ぎ、荷物を片付けて退館した。駅からはちょうど帰路に就く人々が出てくるところだった。彼らの流れを逆流して改札に入り、ホームに下りる。掲示板を見ると、乗り換えに繋がる電車はまだあとで、青梅でそこそこ待たなければならない。ホームに立ったまま『表象の奈落』を読み出すと(眠気によって書見が妨げられたので、「フーコーと《十九世紀》 われわれにとって、なお、同時代的な」の初めから読み直した)まもなく電車はやって来た。乗って座らず、扉際で読書を続ける。青梅着。降りてホームを辿り、自販機の前に行って細長い小型のポテトチップスを二つ買った(一八〇円)。そうして待合室の壁にもたれて引き続き本を読んでいると、「カントリーマアム!」などという声が聞こえて、見れば向かいの小学校の脇を走る細道に、学校帰りの中学生らしく自転車の灯火が三つ、白く現れて、乗っている者の姿は闇に溶けて見えず光だけが滑っていく。談笑しながら走っていくその明かりを目で追ったあとふたたび本に目を落としていると、じきに電車はやって来た。乗って、リュックサックは面倒なので下ろさず、席に就いて前屈みで読書を続ける。そうして発車、最寄りに着くと降りて、手帳に読書時間を記録してから階段を上り下りした。通りを渡って坂に入りつつ例によって見上げると、樹々と空の境も定かでない暗夜だが、空は澄んでいて星の輝きは明瞭に映っていた。木の間の坂を下りていき、下の道に出ると、市営住宅前に設けられたカラーコーンの頂点で保安灯が、赤と緑の明かりを多数点滅させて、水平に破線を引いたように、あるいは跳ね回るように光っていた。
 帰宅。自室に下りてジャージに着替え。そうしてすぐ食事へ。米、マグロのソテー、野菜スープ、豆もやしなどのサラダ。テレビは浮世絵などについてやっていたがまあどうでも良い。ものを食べるとすぐ入浴。フーコーについてなどぼんやり考える。経験的 - 先験的主体とはどういうことなのかまだいまいち掴めていない。『言葉と物』も大層難解なのだろう。そのうちに浴槽を出て、頭をがしがし擦って洗ってから身体も素手で擦って上がり、即座に室へ。買ってきたスナック菓子を食いながら、Mさんのブログ、一月二六日の記事を読んだ。長い、そして面白い。Kさんというのは随分と変わった人なのだなと思われた。そうして時刻は八時台後半、日記を書き足して、九時半前である。BGMは『The Herbie Hancock Quartet Live』。これは残しておいても良いのではないかと思われた。
 短歌を新たに三つ作った。

 孤独とは夜空霧雨緋色の塔心臓ばかり軋むこの身よ
 夕暮れには外へ出たまえ誰もかれも罪喰い人の不実な腕に
 伝説のさなかにいない僕たちは時間も言葉も無限も超えて

 このなかでは最初のものが一番良くまとまっているだろうと思う。ほかの二つはあまりぴりっとしない。
 そうして一〇時から読書を始めたのだったが、例によっていつの間にか意識を失っていた。気づくと一時半だかそこらだったのではないか。そしてそのまま就寝。歯磨きをしなかった。


・作文
 10:33 - 11:11 = 38分
 14:03 - 14:29 = 26分
 20:46 - 21:24 = 38分
 計: 1時間42分

・読書
 11:30 - 12:06 = 36分
 13:25 - 13:33 = 8分
 13:50 - 14:03 = 13分
 14:34 - 15:35 = 1時間1分
 16:00 - 18:05 = 2時間5分
 18:12 - 18:46 = 34分
 19:55 - 20:38 = 43分
 22:05 - ?
 計: 5時間20分+α

  • 2018/1/30, Tue.
  • 2016/8/9, Tue.
  • 安里長従「「沖縄に要らないものは本土にも要らない」論を問う」
  • 蓮實重彦『表象の奈落――フィクションと思考の動体視力』: 55 - 89
  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2019-01-26「指先でなぞる指紋に標なし国道沿いで野宿をするひと」

・睡眠
 2:45 - 9:45 = 7時間

・音楽

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2019/1/29, Tue.

 何故だか容易に起床できず、一一時まで長く床に留まってしまう。カーテンをひらいて陽射しをしばらく浴びたあと、一念発起して起き上がる。上階へ。メモを読むと、母親は着物リメイクの仕事が夕刻まであると言う。台所に入ると調理台の上に大根のサラダや小さなチキンにブロッコリーなどが用意されていたほか、フライパンの蓋を取ると有り難いことに焼きそばが作られてあった。前夜の残りの味噌汁もある。それらをそれぞれ熱したりよそったりして卓に移り、新聞を読みながら食事を取る。まず先日芥川賞を受賞した町屋良平の寄稿を読み、それから二面に戻って辺野古で新たな護岸建設が成される方針という記事。そうして一面、安倍晋三首相の施政方針演説についてのものと、厚労省の統計調査不備についての記事と。食べ終えると薬を飲み、食器を洗ったあと、洗面所に入って髪に水をつけ、寝癖を少々整えた。そうして仏間に入り、ダンボール箱に父親の溜めているナッツ類の小袋を二つ持って室に帰る。豆をかりかり食いながら、まずSさんのブログを読んだ。そうするともう正午前である。FISHMANSを流しながらTwitterにアクセスし、短歌や俳句関連のアカウントをいくらかフォローしておき、それから日記に取り掛かった。BGMはMiles Okazaki『Figurations』。これは、全然悪い演奏ではないのだが、しかし売却かな、という感じである。前日の記事を仕上げ、ここまで記してもう一時前。眠りすぎたのが痛かった。もっと早く、出来れば夜明けと同時くらいに起きるようにしたいものだ。
 一時一五分から日記の読み返し。一年前の記事に松浦寿輝・星野太対談「酷薄な系譜としての"修辞学的崇高"」へのリンクがメモされており、これは多分当時のMさんのブログから知った記事ではないかと思うが、近いうちに読みたいと思う。それから二〇一六年八月一〇日の記事も読んでブログに投稿しておき二時前、散歩がてらコンビニに菓子でも買いに行くことにした。鍵と財布をジャージのポケットに入れて部屋を抜け、階段を上がる。この時、ベランダの洗濯物を取りこんだり、風呂を洗ったりしたかもしれないが、外出から帰ってきた時だったような気もして、どちらだったかわからない。玄関を抜けると家の付近はまだ陽が射しているが、太陽は着実に低くなって林の樹上に近づいており、数歩行けば樹々の影がもう路上に落ちている。市営住宅の前では少し前から道路や側溝の補修工事を行っており、立て看板を読むと二月――何日だったかは忘れてしまったが――まで掛かるらしかった。長く並べられたカラーコーンの前に立っている警備員に、眩しい陽射しに目を細めながら会釈をして過ぎると、ショベルカーが一台出張っていて、何やらブロックの上にそのクレーンを差し向けていた。坂を上って行き、裏路地を行く途中、風が吹き盛って周囲の草木がざわざわと鳴り響くが、道の真ん中にいるこちらの身体には不思議と触れてくるものの少なく、あったとしても昨日のように鋭く厚い冷気の感触はない。風音のなかに救急車のサイレンが伝わってきた。日向に包まれた道の先を見通せば空気は澄んでおり、空に雲は一片とて存在を許されず、林の枝から枝へ飛び移る小鳥の影もはっきりと見える。ふたたび風が吹き、左方の川沿いの林が突如として激しい雨に晒されたように音を立てるそのなかに、今度は消防車かパトカーか、嘶きのように長く棚引くサイレンが聞こえていた。曲がり角のところに生えた椿の低木を見つめつつ、純白の光点の葉の曲線に沿うて形を歪ませながら宿っているのに、無数の蝶が止まっているようだと数日前の印象を芸もなくまた繰り返した。
 街道に出て西へ、コンビニに至る。入店すると籠を取り、まず三個入り一セットの豆腐を一つ入手した。そのほか店内を回って、アイスを三種、ポテトチップスのうすしお味、麻婆豆腐の素にレトルトのカレーを二種籠に入れた。店のなかには右耳に薄水色のイヤリングをつけてちょっと洒落っ気を見せている制服姿の女子中学生が、母親とともに買い物に来ていた。彼女らが会計をしている後ろに並ぶと、中年の女性店員の傍らで品物をビニール袋に収めていたもう一人がカウンターを移って、こちらへどうぞと促してくる。それでそちらに向かい、お願いしますと低く呟きながら籠を差し出した。向かい合ってみると店員は、年若の、こちらと同世代かもう少し若いくらいの女性だった。記憶が定かでないが、確かマスクをつけて口元を隠していたと思う。スプーンをお付けしますかと訊くのにいや、大丈夫ですと答え、会計は一四三一円。二〇三一円を出し、釣り銭を受け取ると、有り難うございますと残して店をあとにした。暇そうなガソリンスタンドの前を通って東へ、もと来た裏道には戻らず街道をそのまま行っていると、車に引かれてきた風に追い立てられて、車道の真ん中で落葉が恐慌に駆られて立ち騒ぐ小動物のようにしてくるくると回りながら地を擦る。過ぎてからも背後で、車の途切れた静けさのなかに風が流れ込んだようで、枯葉の舞い踊る擦過音が立ち、その音は水の雫が滴り落ちるようにも、無数の泡が生まれてはぷつぷつと割れていくようにも聞こえた。表通りを東へずっと歩いて行き、「K」の前まで来ると旦那さんがオートバイに跨ってちょうど配達か何かに出るところで、特に会釈もせずに過ぎたがあちらはこちらのことをF家の息子として認知しているのだろうか? しばらく行ったところで林のなかに通じる細道に折れた。この先通り抜けできませんとある掲示を無視して木の間に入り、申し訳程度という風で不規則に設置された木の階段を、とん、とん、とんと下りて行く。散り積もった落葉を踏みながら緩い斜面を下り、そうするとすぐ家の前に出る。鍵を開けて居間に入ると、買ってきたものを冷蔵庫や戸棚に収めて、自室に帰った。買ってきたアイス、バニラとチョコレートの綯い交ぜになったワッフルコーンを食い、またポテトチップスもつまみながら三宅誰男『囀りとつまずき』を読む。スナック菓子を食べ終えるとティッシュで手指を拭き、ベッドに移った。枕とクッションに寄り掛かりながら書見を進めるのだが、じきに、朝九時間半も眠ったにもかかわらず、眠気が兆してくる。本をひらいたまま逆さにしてベッドの上に置き、じきに眠っていた。覚めてほんの少し読んではまた意識を失うことを繰り返し、気づけば時刻は五時を回っていて、部屋のなかも頁の文字が読み取れないほどに薄暗くなっている。その頃には母親も帰ってきていた。食事の支度はこの日は怠けて母親に任せてしまうことに独り決めして、そのまま書見を続け、七時を越えたところで最後まで読了した。主要な感想は一月二三日の記事に書いたので、そう詳しく記すこともあまりない。ただこの日読んだなかでは、二五八頁から二五九頁の断章、介護施設に入っている話者の祖母と思しき女性の、これと言って特筆するべき事柄のないありふれた景色にくつろぐ様子の、特にそのなかの、「道路を走る車のなかにときどき観光バスがまじるのだとささやかな楽しみを指摘してみせるおもいもよらぬ口ぶり」が、微細な具体性を伴っていて良かった。ほか、この小説の大きなテーマの一つとして、「重ね合わせ」というものがあるのではないかとも思った。たびたび登場する「錯覚」(あるいはそれよりも頻度は少ないものの「幻視」)のテーマは、言わば「意味の二重化」を描いたものであるし、話者が折に触れて披露してみせる他者の心理の「読解」も、表層と重ね合わされてある裏面を見定めることである。話者が「読んで」いる事柄のなかでも主要なものの一つは、「自意識」の働きだろう(この語は全篇で計一三回登場している)。他者の「自意識」ばかりではない、話者は自分自身の「自意識」の動きにこそ敏感である。具体的には、彼は他者の「まなざし」――ちなみにこの語は、数え漏らしがなければ全篇を通じてちょうど八〇回出てきている――を受けることで「羞恥」や「緊張」を感じたりするのだが、ここから先はテクストに厳密に即していない単なる印象論ではあるものの、そこで話者が覚えている「羞恥」や「緊張」とは、自らの心中を相手に見破られること、読む主体が読まれる客体と化すことに対するものではないだろうか。そして話者が読まれたくない心中の動きとはおそらく、「まなざし」の意味=権力を差し向けられることによって生じる「羞恥」そのものである。他者に見られ、読まれることによって浮上する「羞恥」を表に現しかねないこと、それをさらに読み取られかねないことに対する懸念が「羞恥」を再生産するという再帰的・循環的な構造がそこに成立する。しかしそんななかで、話者の心理的揺動を「読む」ことのできる特権的な主体が作中には存在していて、それは言うまでもなく、ほかでもない話者彼自身である。彼は自らの「自意識」をも記述の対象として取り上げ、視線によって己を客体化し、自己の外界に実在している他者と同じ平面上に転移させてみせるのだ。
 読書を終え、上階に行った。ストーブの前に座り込み、温風で乾かされていたタオルや下着類を畳んで行く。手を動かしながらテレビに目をやると、ニュースはインフルエンザの新薬、「ゾフルーザ」を紹介していた。塩野義製薬が作っているもので、従来のタミフルのようにウイルスの拡散を抑えるのではなく、増殖を防ぐ機序を持っているらしかったが、早くも耐性を持ったウイルスの存在が確認されているということだった。洗面所にタオルを持っていくと母親が、Kくんから貰ったお香をメルカリで売っても良いかと言う。笑って、さすがにプレゼントで貰ったものを売るのは、と答えた。お香やアロマなど使ったことは生きてきて一度もなく、馴染みのないものだが、まあ自室で使って我が穴蔵の匂いを変えてみても悪くはないだろう。
 米がまだ炊けていなかったので、先に風呂に行った。湯に浸かりながら散歩中の記憶などを呼び起こし、細かく確認して上がり、そうして夕食である。餅麦の混ざった白米・カキフライ二個半・野菜や魚介の入ったコンソメスープ・モヤシの和え物・林檎やハムのサラダ・ほうれん草である。新聞の国際面をひらいて、食べながら三つの記事を読んだ――「ベネズエラ 経済崩壊 マドゥロ氏退陣圧力 インフレ率170万%・配給に長い列」、「中国、人権派弁護士に有罪 王全璋氏 懲役4年6月 国際団体は判決批判」、「英離脱新方針 29日採決へ 与野党修正案も複数提出」。そうして冷たい茶で薬を服用し、食器を洗うとチョコモナカアイスを持って自室に帰った。アイスを食いながらUさんのブログを読み、それからfuzkueの「読書日記(120)」も読むと(一月一五日の記事まで)、日記に取り掛かって一時間半弱、ここまで記して一〇時一二分である。BGMはAntonio Carlos Jobim『The Composer Of Desafinado, Plays』『James Farm』。どちらも売る気にはならない。
 それから、Ernest Hemingway, The Old Man and the Seaの書見に入った。一〇頁読んで、老人と鮫たちとの格闘も終わって彼は港に辿り着き、物語もいよいよ終末が近い。あと五頁ほどで読み終わる。以下、英単語。

  • ●84: But the shark came up fast with his head out and the old man hit him squarely in the centre of his flat-topped head(……)――squarely: 正面から
  • ●85: 'No?' the old man said and he drove the blade between the vertebrae and the brain.――vertebrae: 脊椎
  • ●85: It was an easy shot now and he felt the cartilage sever.――cartilage: 軟骨
  • ●88: He swung at him and hit only the head and the shark looked at him and wrenched the meat loose.――wrench: もぎ取る、ひねる

 英語のリーディングは一一時過ぎまで。それから、蓮實重彦『表象の奈落――フィクションと思考の動体視力』を読みはじめた。冒頭のロラン・バルト追悼の小文はまだしもわかるのだが、次のドゥルーズに関しての論考は、後半、『アンチ・オイディプス』や『千のプラトー』、『差異と反復』などの内容を要約している部分が全然わからない。これらの書物を読むのはまだ当分先のことになりそうだ。一時間半読んで、零時四〇分に達すると、腹が減ったので上階に行き、台所の流し台の下の収納から日清のカップヌードル(シーフード味)を取り出し、湯を注いで部屋に持ってきた。ジャンクフードを食べながら、松浦寿輝・星野太対談「酷薄な系譜としての”修辞学的崇高”」(http://dokushojin.com/article.html?i=1329)を読む。カップヌードルを食べ終えると容器を始末しに行き、この食欲は何なのだろうか、まだ何か食べたい感じがしたので、塩だけを調味料としたおにぎりを作って部屋に戻って、それを食べながら対談を読み続けた。以下、引用。

松浦 ピュシスとテクネーの「キアスム的構造」と書いておられたと思いますけれど、両者の関係も、普通に読めば、自然、本性としてのピュシスがまずあり、これをもっとも上手に、もっとも見事に表現するためのテクネーとしての修辞法があるということでしょう。ところがロンギノスのテクストに逐語的に拘って細かく見ていくと、ある不思議な「キアスム的構造」が存在していて、テクネーは、プラトンが軽蔑した意味での、単なる技術・技巧ではないのだと、そこを強く読んでいくわけですね。(……)


松浦 それにしても、この「パンタシアー」というのはとても面白い概念なんですね。これまでフランス語で「イメージ(image)」や「想像力(imagina-tion)」と訳されてきたこの語に、「現われ(apparition)」という訳語を与えた人がいた。

星野 古典学者のジャッキー・ピジョーですね。ピジョーという人は、古典古代の医学史を対象として、フーコーの『狂気の歴史』に比する仕事をした人です。実は、彼がロンギノスの『崇高論』の仏訳を一九九一年に刊行していて、それを留学した直後に読んだんです。なかなか癖の強い逐語訳をする人で、「パンタシアー」を「現われ」と訳すのもそうですし、「アイオーン」を「永遠」ではなく、著作全体の内容に鑑みて、あえて「時代(Temps)」と訳しています。彼の翻訳から得たものは多いですね。


星野 カントの崇高論が、もっぱら感性的なものを契機としている一方で、実は「ユダヤの律法書」や「イシスの碑文」にある言葉が、この上なく崇高なものとして例示されているということですね。実はこのことは、過去にも指摘されてきたことではあるんです。日本でも、谷川渥さんがやはり同じ問題について論文を書かれています。ただ、そうした従来の議論からどうすれば先に進めるかを考えたのが、第六章の後半です。言葉における崇高さについて論じるカントの議論を、彼の修辞学批判と結びつけて考えたかった。というのも、カントは修辞学を極めて侮蔑的な物言いで批判しているわけですね。カントは修辞学を「陰険な策略を弄する技術」といった言葉で評していて、そもそも修辞学をまったく評価していない。しかし、にもかかわらず、カントのテクストにもある種のレトリカルな操作は確実に存在しているはずだ、と考えたわけです。カントは『判断力批判』で「イシスの碑文」について論じた数年後、「哲学に最近あらわれた尊大な語調について」という論文の中で、ふたたび「イシス」を取り上げる。そのイシスの「声」について論じるという極めて決定的な局面において、カントもまたある種のレトリックを行使しているのではないか。(……)第六章では、いくつかの異なる問題が並行して走っています。まずカントの崇高論の中に、言語の問題が入り込んでいるということ。そしてカントが修辞学を批判しているのとは対照的に、詩を極めて高く評価していること。しかし、カントのテクストの中にも、ある種のレトリカルな操作が存在しているということ。この三つを自分なりに織り合わせながら書き進めていったのが第六章です。そもそも、十八世紀における美学という学問の成立において、修辞学はそれを背後から支えるような仕方で機能していた。これについても実証的な研究はいくつかあるのですが、十八世紀ドイツにおける美学の誕生の瞬間に、実は修辞学の語彙がかなりの割合で密輸入されていたということですね。


星野 真理という言葉は、私の本では第一章に頻繁に出てきますが、そもそもこの言葉をどのような位相で捉えるかは、なかなか難しい問題だと思っています。拙著の中では、これを「本来性」あるいは「ピュシス(自然)」に近いものとして用いています。物事のもっとも本質的な現われ、それが真理であり、ピュシスである。そういった意味での真理と技術の関係を、第一章では主題としました。つまり通俗的には、「技術(テクネー)」というものは、あらかじめ存在する真理を歪めてしまうものだと理解される。しかし私の議論では、物事の真理としてのあり方を露わにするものこそがテクネーである、というかたちでピュシスとテクネーの関係を論じています。その意味で言えば、崇高さとは、テクネーによって真理としてのピュシスが本来の姿で現われる、そのような事態のことなのではないか。


星野 (……)つまり従来の図式では、崇高はもっぱら感性的な次元において論じられてきたわけですが、それは拙著の言葉で言えば美学的崇高ということになります。他方、それとは異なる修辞学的崇高という酷薄な系譜が存在し、それが美学的崇高の背後にぴたりとくっついているということを、本書では示そうとしました。修辞学的崇高というのは、その意味で、いま述べたような戦略のための梯子のような概念だと考えています。そのうえで言うと、ド・マンを論じた最終章で「テクスチュアル・サブライム」と呼んだものは、修辞学的崇高と重なりあいながら、最終的にそこからはややずれるものです。本書末尾のアイロニーの議論にあるように、あるテクストが書き手の意図を離れて、まったく異なるものとして受け取られてしまうということがある。ド・マンの言葉で言えば、テクストはいついかなるときにも「機械」として、それじたいが「自律的」なものとして作動してしまうおそれがある。本書でも例を挙げましたが、「ホワッツ・ザ・ディファレンス?」という文章を修辞疑問(いったい何の違いがあるのだ?)と捉えるか、たんなる疑問(その違いは何だい?)と捉えるかは最終的には決定不可能であり、場合によっては、疑問文のほうが修辞疑問文よりも単純であるとは必ずしも言えないような側面もある。ド・マンがイエイツの詩について述べているように、一般的に修辞疑問文と考えられているものを疑問文として受け取ったほうが、テクストの読みが深くなることすらあり得るわけです。そのような事態を、「テクスチュアル・サブライム」という言葉で呼ぼうとしたんですね。(……)

 また、この「週刊読書人ウェブ」には色々と興味深い対談やインタビューが掲載されているので、いずれ読みたいものもここにメモしておく。

熊野純彦インタビュー
無償の情熱を読み、書く  『本居宣長』(作品社)刊行を機に
https://dokushojin.com/article.html?i=4180

J・M・G・ル・クレジオ単独インタビュー
作家に今何ができるか
https://dokushojin.com/article.html?i=3727

小林康夫・西山雄二対談
人文学は滅びない
時代の課題に向き合い、新しい人文学の地平を開くために
https://dokushojin.com/article.html?i=3681

宮台真司苅部直渡辺靖鼎談
民主主義は崩壊の過程にあるのか
コモンセンスが「虚構」となった時代に
https://dokushojin.com/article.html?i=4728

第28回Bunkamuraドゥマゴ文学賞
受賞記念対談 大竹昭子氏×九螺ささら氏
https://dokushojin.com/article.html?i=4666

上妻世海×奥野克巳×古谷利裕
別の身体を、新しい「制作」を
『制作へ 上妻世海初期論考集』(エクリ) を読む
https://dokushojin.com/article.html?i=4618

岸政彦×藤井誠二=対談
沖縄からの問いかけ
岸政彦『はじめての沖縄』(新曜社)/藤井誠二『沖縄アンダーグラウンド』(講談社
https://dokushojin.com/article.html?i=4418

土田知則×巽孝之トークイベント(東京堂書店)載録
ポール・ド・マン事件とは何だったのか!?
https://dokushojin.com/article.html?i=3551

ノーベル文学賞受賞作家 
ル・クレジオ氏来日講演 「詩の魅力」
https://dokushojin.com/article.html?i=3345

対談=臼杵陽×早尾貴紀
「大災厄(ナクバ)」は過去ではない
https://dokushojin.com/article.html?i=2694

山本貴光・服部徹也 対談
来たるべき文学のために
https://dokushojin.com/article.html?i=2650

『不寛容という不安』(彩流社)刊行記念トークイベント載録
『分断と孤立を終わらせるには?』
真鍋厚×宮台真司
https://dokushojin.com/article.html?i=2488

田原総一朗×三浦瑠麗×猪瀬直樹
国民国家のリアリズム」 日本文明研究所シンポジウム載録
https://dokushojin.com/article.html?i=2326

対談=橋爪大三郎山本貴光
思考する人のための読書術
https://dokushojin.com/article.html?i=2309

柄谷行人氏ロングインタビュー
<すべては坂口安吾から学んだ>
天皇制・憲法・古代政治・歴史…「無頼」ということ
https://dokushojin.com/article.html?i=2253

柄谷行人氏ロングインタビュー
ルネサンス的」文学の系譜
『定本 柄谷行人文学論集』刊行を機に
https://dokushojin.com/article.html?i=2104

 そうして記事を読み終えると、ふたたび『表象の奈落』に取り掛かり、一時間読んで二時四五分に至ったところで、眠気も湧いていたので床に就いた。入眠まで時間は掛からなかったはずだ。


・作文
 12:18 - 12:54 = 36分
 20:47 - 22:13 = 1時間25分
 計: 2時間1分

・読書
 11:46 - 11:52 = 6分
 13:15 - 13:48 = 33分
 14:41 - 19:03 = 4時間22分
 20:26 - 20:47 = 21分
 22:17 - 23:04 = 46分
 23:11 - 24:40 = 1時間29分
 24:40 - 25:32 = 52分
 25:43 - 26:44 = 1時間1分
 計: 9時間30分

  • 「at-oyr」: 「POLY LIFE MULTI SOUL TOUR」; 「流れ」; 「ブルーノ・ムナーリ」; 「ベトナム
  • 2018/1/29, Mon.
  • 2016/8/10, Wed.
  • 三宅誰男『囀りとつまずき』: 236 - 317(読了)
  • 「思索」: 「1月28日2019年」
  • fuzkue「読書日記(120)」: 1月15日(火)まで。
  • Ernest Hemingway, The Old Man And The Sea: 84 - 94
  • 蓮實重彦『表象の奈落――フィクションと思考の動体視力』: 9 - 55
  • 松浦寿輝・星野太対談「酷薄な系譜としての”修辞学的崇高”」

・睡眠
 1:25 - 11:00 = 9時間35分

・音楽

  • Miles Okazaki『Figurations』
  • Art Pepper『A Tribute To Charlie Parker
  • Kermit Driscoll『Reveille』
  • Aretha Franklin『Aretha Live At Filmore West』
  • Antonio Carlos Jobim『The Composer Of Desafinado, Plays』
  • 『James Farm』

2019/1/28, Mon.

 九時四〇分頃起床。やはり疲れがあったのか、久しぶりに九時間以上の長い睡眠となった。天気は薄曇り。Twitterを確認してから上階へ。母親はMさんの宅を今日は訪問するということで既に出かけていた。残されたメモを見、台所に入れば前夜の残り、野菜炒めと大根の煮物があるので、それらをまとめて電子レンジで一分半、加熱する。また、ピザも数切れ残っていたのでこれも同様に熱し(そのように食事を用意をする前に確か、洗面所に入って髪を水で濡らし、寝癖を直したと思う)、米をよそって卓に就いた。新聞からは、今日招集される通常国会において、自民党改憲論議を活発化させたがっているという記事を読んだ。ほか、一面には、前夜からTwitter上で大きな話題となっているものだが、嵐の活動休止の話題や、相撲にあまり興味はないが玉鷲優勝の報などが出ていた。食べ終えると食器を洗い、この日は緑茶を用意せずに自室へ。一〇時半から早速日記を書き出す。BGMはLee Morgan『Indeed!』。このアルバムは売らずに残しておいて良いのではないか。前日の記事を短く書き足して仕上げ、この日の分をここまで書いて一一時。
 日記の読み返し。昨日はできなかったので一年前の一月二七日から。二八日も。自生思考・自生音楽に煩わされて、自分は統合失調症になりかけているのではないか、あるいはもうなっているのではないかという不安に苛まれている。それから二〇一六年八月一六日。ある種のJ-POPの抽象性、その物語への最大限の奉仕ぶりとそれが容易に流通し受け入れられる世の中についての驚き。この部分はTwitterに投稿しておいた。また、それに直接続く記述だが、夏の炎天下だと言うのに空き地の地べたの上で眠っている男性を発見して、声を掛けに行った一連の流れがちょっと面白かったので下に引いておく。

 そんなことを思いながら乗っていると、窓外、人が地に横たわっているのが視界の端に一瞬見えた。男である。膝を立てていたかどうか、ともかく脚は伸ばしきらずに途中で折れてしどけないようで、顔に赤みが差していたように映った。人が倒れている、と母親に言い、一応声を掛けたほうが良いのではと続けた。どうするの、と母親が迷うのに、停めてくれと言って路肩に寄せてもらい、声だけ掛けてみると言って降りた。一体何についてか、気を付けてと母親は言った。それで多分眠っているだけだろうとは思ったが、本当に熱中症で倒れている可能性も考えて、あたりに自販機がないか視線を走らせながら道を戻り、男の寝ている場所まで行った。そこそこ広い空き地の前である。反対側は裏通りまで繋がっており、そちらの縁には夏草が茂って、通勤時にその前を通る。以前にそこを占めていた建物――それがどんなものだったのかまったく記憶にないのだが――が一掃されて以来、トラックが入って砂袋を運んでいたり、人足が働いているのが見られることもある。敷地の入口にはいまは柵が掛けられており、その手前、地面に埋まるようになっている薄汚れた金属板の上に男は寝ていた。黒いリュックサック、もしくはバックパックのようなものを枕にしている。顔はやはり赤みがかっていた。左肩の脇にしゃがんで、身体に手を当て、揺らしながら、大丈夫ですかと声を掛けた。相手は呻いて顔を擦り、気分悪くないですかとの問いに、大丈夫、と答えるのだが、軽く寝返ってあちらを向いて、また眠ろうとする。あの、ここで眠らないほうがいいと思いますけど、とか、僕行っちゃいますけど、いいですかとか訊いても判然とした反応がないのに、どうするかと困惑しながら、もう一度揺らしつつ大丈夫ですかと訊くと、相手は突然はっと正気付いて頭を持ちあげた。驚愕めいた表情で目をひどく見開いて、まるで知らないうちに眠っていたのにいま初めて気付いたというような様子で、愕然とした、と形容して良さそうな顔だった。立ちあがってみると相手は細身で、こちらより背が高かった。何でこんなところで寝てたんですかとちょっと笑いながら尋ねると、すいませんと、打ちのめされたような表情を変えないままに答えた。いや、謝ることはないんですけど、とこちらはなぜか偉そうな物言いになって、それから、すみません起こしちゃって、ちょっと見えたんで、大丈夫かなと思って、と弁明した。それから相手は、駅はどちらかと訊いたので、あっちにずっと行けばと道の先を示すと、先に立って歩きだした。そのあとを行き、足取りがこちらよりよほど速くてしっかりしているのを、大丈夫そうだなと見ながら車に戻り、母親が訊くのにあの人だと前方を指差した。発車して、何だったのとか訊いてくるのによくわからんと答えているうちに、放っておいたほうが良かったんじゃないのと言う。触らぬ神に祟りなしというわけで、以前まだ働いていた自分に、電車のなかで眠っている人を起こしたら強く文句を言われたという体験を話すのに、電車のなかには危険はない、と一言返した。この時点で既に、苛立ちが芽生えはじめていたわけである。そうだけど、と言ってまだうだうだと言い募るのに、さらに苛立ちが湧出して、さっさと黙れと思いながら、そんなことはこちらも勿論考えた上で行動に出ているのだから、とちょっと声を荒げた。お節介になる可能性は認識しているし、今回の事例もそう終わったような感じでもあるが、それを考慮した上で、本当に具合が悪くて倒れているという小さな可能性を潰すために、そしてその小さな可能性が現実のものだったら何らかの対処を取るために、念の為に確認しに行ったのではないか。そうして実際、杞憂であったことがわかったのだから、何もなくて良かったと、それで終わりの話であるところ、なぜこちらがわかりきっていることをぎゃあぎゃあ言われなくてはならないのかと、阿呆らしく思ってげんなりし、眠るにしてももう少し適した場所があるだろうと吐き落とすと、それでやっとその話は終わりになった。

 ほか、次の比喩もまあまあ。「先の倒れていた男の件にしてもそうだが、自分がどうでもいいと思っている事柄に対して、横から何だかんだと口出しをされることほど、心の底からうんざりさせられる事態はない。以前にもどこかに書き付けたことがあるが、生の途上に起こる明確で大きな障害よりも、生活のところどころで偶発的に生じるこうした些細な齟齬のほうが、ある意味ではより強く自分を阻喪させるような気がする。日常というものが、そうした避けえない小さな衝突に満ちているという、ごく当然の事実こそが、何よりも気を滅入らせるのだ。この極小の齟齬によってもたらされるストレスというのは、唇にできた口内炎によって引き起こされるそれに似ているなと思った。極々日常的な痛みであり、生活に何らの支障をもたらすものでもないが、執拗に身を責め苛むその不快さに似て、一日の流れのなかのさまざまな時点に、ざらざらとした炎症が生じているようなものだ」。
 過去の日記の読み返しを終えると、今度は書抜きの復習。一二月二五日、二四日と一度ずつ音読しながら記憶を掘り起こし、それから本日二八日の記事に大津透『天皇の歴史1 神話から歴史へ』の記述をいくつか引用しておいて、それも読む。覚えようと復習するのはまだ一度目の記述なので、二回通して音読したあと、今度は一段落ずつ読んでは目を瞑ってたった今読んだ情報を想起し、確認するというやり方で行った。そうしているうちに、時刻は一二時四〇分を過ぎる。散歩に出ることにした。鍵をジャージのポケットに入れて階段を上がって時計を見やると、一二時五三分を指していた。そのまま表へ繰り出す。薄曇りは晴れて日向が生まれていたが、道に出ると光のなかでも途端に鋭く冷たい風が吹いて肌にひりつく。左方、南の空を見やればちょうど飛行機雲が一筋、ぴったり斜め四五度右上へ向けて生まれているところで、雲は山の近くに淡いものが帯になっているのみで、上空は青くひらいている。風が止まれば麗らかな、という言葉も生まれそうな日向の温もりである。短歌のことを考えながら歩いて行った。ガルシア=マルケスの小説、『族長の秋』のタイトルを組み込んだものを作りたかったのだが、歩いているうちに、大統領の身体的特徴から連想して、「肥大した睾丸さげて戦争へ~~族長の秋」というところまでは出来た。またもう一つ、家にいるあいだに、「臆病と~~のなかの追憶で思い出してよ星の言語を」という歌を拵えていて、これを頭のなかに回していたところ、「臆病な動詞のなかの追憶で思い出してよ星の言語を」とまとまった。「族長の秋」の一首が大方形になった頃には、街道を通り過ぎて北側の裏路地に入っていたはずだ。低い草に覆われた斜面の横を行き、墓地に掛かると、やはり斜面の上に設けられた墓場の脇、一本の裸木の上に鴉が一匹飛んで止まった。手前の低みには梅の木があり、白い花をもういくつも広げているが、全体として土気臭いように色が濁っているのは、近付いてみればまだまだ蕾が残っているからなのだ。保育園の横を過ぎると美味そうな給食の香りが漂っていて食欲を刺激される。そうして最寄り駅を過ぎ、街道に出て向かいに渡って、鋭い風を受けながら木の間の坂に折れ、小鳥が降り積もった落葉をがさがさいわせているなかを下りて行った。
 帰宅。食事を取ることに。「どん兵衛 天ぷら蕎麦」である。湯を注いで用意し、そのあいだに大根を大皿にスライスして、キューピーの「すりおろしオニオンドレッシング」を掛けて食らった。その後、カップ蕎麦も食べ(さほど美味くは感じられなかった)、ゆで卵も摂取して食器を洗い、自室に帰ってErnest Hemingway, The Old Man and the Seaを読みはじめた。ベッドの上で。しかしそのうちにうとうととして、クッションに凭れながら意識を失ってしまう。気づくと結構時間が過ぎて三時四〇分を迎えていた。BGMにはMarvin Gaye『Recorded Live On Stage』と、Carla Bley『The Lost Chords』を流していたが、前者は売却へ。後者は、眠っていたのであまり定かに聞けなかったが、繰り返し聞いて良い作品のように思われた。特にサックスが端々で好演をしていたのではないか。そうして読書を終えると上階へ。アイロン掛けをするためである(そう言えば書き忘れていたが、先の食事のあとにベランダのタオルを取り込んで畳んでおいた)。しかし作業の前にまず、「牧場しぼり」だったか、新鮮なミルクの含まれたバニラアイスを、眠りのために体温が下がっていたにもかかわらずストーブにあたりながら食す。それからやはりストーブの風を受けながら、シャツを二枚、ハンカチを一枚、アイロンで処理。そうして自室に戻ってくるとちょうど四時、日記を書き出してここまで至ると四時半である。
 昨日一昨日で書き忘れていたことを一つ。二六日の帰りの電車内でT田に、ヴァージニア・ウルフという作家がいて、彼女の作品を訳したいと思っているとこちらの野心を告げた。それを受けての深夜、こちらの室で話しているあいだだったか、それとも二七日の午前中のことだったか忘れたが、岩波文庫御輿哲也訳の『灯台へ』を、この作品は名作である、日本語訳も素晴らしくてあと五〇年くらいはこれで大丈夫だろうと言って差し出すと、T田はそれを鞄のなかに入れて、自ずと貸すことになった。岩波文庫で安く、手に入れようと思えばまたすぐに入手できるので、あげたって良いくらいである。二七日の最寄り駅へ向かう散歩の途中には、文学を読み慣れていないと難しいかもしれないが、素晴らしい作品なので読んでみてほしいと伝えておいた。
 この日のことに話を戻すと、日記を綴ったあとは三宅誰男『囀りとつまずき』の書抜きを行った。牛丼屋の曲に合わせて合唱する学生らの濁りなき「若さ」を描いた断章も当然書き抜いたわけだが、これに関して昨日は「女子高生」と書いてしまったところ、学生らの身分を明かす語は「制服姿」としか書かれていないことに書き抜きながら気がついた。信号を待ちながら手持ち無沙汰に「じゃれあ」っているところを見ると何となく女子であるような気がするが、その場合も「制服姿」というだけでは中学生か高校生か断じ得ないし、男子だってじゃれあうことがないとは言えないだろう。そのあたりは、著者が意図してのことか否か、完全には決定できないような距離を対象とのあいだに差し挟んだ形で記述されている。書抜きを行ったのは五時半前まで、ちょうど作業を終える頃合いで、右手の机上の棚に置かれてあった携帯電話が振動したのを見れば、母親からのメールである。今拝島とあり、餃子を買ったと付け足されていた。それで、おかずは待っていればやって来るから、味噌汁だけでも作れば良かろうというわけで、上階に行き、居間の三方のカーテンを閉ざした。そうして台所に入り、まずはもう空になった炊飯器を洗う。米を三合、笊に取ってきて、洗い桶のなかで流水に晒しながら、右手を鉤爪のような形にして磨いでいった。冬の水に襲われた手が芯まで冷えて、水から出してしばらくのあいだもじりじりと痛む。そうして六時半に炊けるようにセットしておき、それから小鍋に水を汲んで火に掛けた。玉ねぎを四分の三ほど切り、湯がまだ沸いていないにもかかわらず拙速に鍋に入れてしまう。煮えるのを待つあいだに青く暮れた屋外に夕刊を取りに行くと、ポストには新聞とともに宅配便の不在通知が入っていた。時間は一〇時四二分とかあって随分前のことだが、インターフォンが鳴ったのかどうか、まったく気づいた記憶がない。その対応は帰宅後の母親に任せることにして、台所に戻ると夕刊の一面を読んだ。「少子化 教育無償で克服 首相、施政方針演説へ 通常国会招集」と「消費増税前 賃上げ幅焦点 春闘 事実上スタート」の二つの記事を読んだところで、そろそろ良かろうと火を止め、「まつや」の「とり野菜みそ」をパックから押し出して投入した。そして箸で搔き混ぜ、溶いてあった卵(椀に箸を押しつけ、底を削らんばかりに激しく搔き混ぜた)を垂らして完成である。仕事はそれのみで下階に戻ると六時、更新されていたMさんのブログを読み、Uさんのブログも続けて読むと半になった。その頃には母親が帰ってきており、腹が減ったのでもう飯にしようと上階に上がると、ちょうど母親が台所で餃子を焼いているところだった。米と味噌汁をよそっているあいだ、母親は、今日友人であるMさんの宅に呼ばれたわけだが、菓子やケーキなどがたくさんあって、帰りに持たせてくれるかと思ったら土産をほとんどくれなかったというようなことを話す。また、オール・フリーでも出してくれるかと思ったがそれもなかった、以前あちらが我が家に来た時にはビールを飲んだのにというようなことも言って、友人と自分との違い、ささやかな齟齬のようなものを感じたらしい。どうでも良いことではあるし、また言っていることもわからないでもないのだが、しかしやはり、せせこましいような、浅ましい心だなとは思った。それで卓に就いて先に味噌汁を飲んでいると母親が、この日、立川立飛のららぽーとに寄ってきたらしいのだが、そこで買ってきた「錦松梅」という振りかけを出してみせるので、それを白米に掛けて食った。そうしているうちに餃子も焼けたので、一杯平らげたあとから米を追加し、餃子をおかずにしてもう一杯食べた。ほか、山芋のサラダも食す。そうして食後はいつもどおり薬を摂取して食器を洗い、早々と入浴に行ったのだが、洗面所に入ったところで洗濯機に繋がっている汲み上げポンプの管が浴室のほうに向かっているのが見える。それであれ、おかしいなと思って見てみると管は浴槽のなかに入っていて、それで今日は風呂を洗い忘れたのだと気づいた。既に焚いてしまっており、時既に遅し、仕方なく残り湯と合わせて溢れんばかりにひたひたになっている風呂に入る。せめてゴミは掬っておこうと小さな網を動かしながら湯に浸かり、そうして出てくると八時頃だったと思う。八時一七分から読書を始めた。三宅誰男『囀りとつまずき』を読み進める。一時間半で二三六頁まで。同頁に「正体」という一語が現れており、そこに至ってようやく、この語もこの作品には結構多く含まれているのではないかと気がついた。話者は、正体=物事の裏に隠されてあるもの、あるいはそこに重ね合わされてあるものを見破ろうとする主体=解釈者なのだ。表層を見るに留まらずその下にあるものを読むことの試みの、この世界をテクストとして読み取ることの実践の多彩な実例がこの小説だと言えるのかもしれない。書見中のBGMはKermit Driscoll『Reveille』と、Billy Eckstine & Quincy Jones『At Basin Street East』。前者はKris Davis、Bill Frisell、Vinnie Colaiutaという豪華な面子で結構良いのだが、繰り返し聞き込むべき作品なのか判断がつかないでいる。後者も古臭い音楽かと思いきや思いのほかに良く、Curtis FullerPhil Woodsなどがホーンには参加しており、品良く軽快なスウィングを繰り広げている。読書を終えると一〇時直前、そこから日記を綴って一一時も目前となった。
 それからまた読書をしようと思ってベッドに移ったが、枕とクッションに凭れて目を閉じ休んでいるうちに、意識を失っていた。気づくと一時二〇分を迎えていた。ベッドから降り立ち、コンピューターを瞥見して、そして歯磨きをしたいところだったが面倒なので省略することにして、そのまま明かりを落として就床した。
 どのタイミングだったか忘れたが、夜、「眼裏に薔薇の宇宙の構造を耳に孤独を口には愛を」という一首を新たに作った。また、書くのを忘れていたが、「族長の秋」の一首は最終的に、「肥大した睾丸さげて戦争へ死神犯せ族長の秋」と仕上がった。
 また、The Old Man and the Seaから英単語をメモすることも忘れていたので以下に。

  • ●77: His back was as blue as a swordfish's and his belly was silver and his hide was smooth and handsome.――swordfish: メカジキ
  • ●78: the old man could hear the noise of skin and flesh ripping on the big fish(……)――rip: 裂ける、ちぎれる
  • ●79: He hit it with his blood-mushed hands driving a good harpoon with all his strength.――mushed: どろどろになった
  • ●79: Then, on his back, with his tail lashing and his jaws clicking, the shark ploughed over the water as a speed-boat does.――plough = plow: 押し分けて進む
  • ●83: He closed them firmly so they would take the pain now and would not flinch and wathced the sharks come.――flinch: 怯む


・作文
 10:31 - 10:59 = 28分
 15:59 - 16:33 = 34分
 21:58 - 22:51 = 53分
 計: 1時間55分

・読書
 11:05 - 12:43 = 1時間38分
 13:53 - 15:40 = 1時間47分
 16:50 - 17:24 = 34分
 18:08 - 18:31 = 23分
 20:17 - 21:51 = 1時間34分
 計: 5時間56分

  • 2018/1/27, Sat.
  • 2018/1/28, Sun.
  • 2016/8/11, Thu.
  • 2018/12/25, Tue.
  • 2018/12/24, Mon.
  • 2019/1/28, Mon.
  • 2019/1/22, Tue.
  • Ernest Hemingway, The Old Man and the Sea: 76 - 84
  • 三宅誰男『囀りとつまずき』自費出版、二〇一六年、書抜き
  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2019-01-25「真夜中に造花が受粉しそこねる君にも名前をつけてやるから」
  • 「思索」: 「1月27日2019年」
  • 三宅誰男『囀りとつまずき』: 185 - 236

・睡眠
 0:30 - 9:40 = 9時間10分

・音楽

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2019/1/27, Sun.

 七時四〇分起床。蓮實重彦とTが出てくる夢を見たが、詳細はもう忘れた。一度上階に上がって母親に挨拶し、朝食を買ってきてあるのだと報告する。それで室に帰って、八時過ぎから早速日記を書き出した。隣室のT田はまだ眠っているようだった。それで三〇分ほど綴っていると、T田が音も気配もなく戸口に現れたので驚いた。彼は既にジャージからスーツに着替えていた。前日の日記に書き忘れていたけれどT田の格好はスーツで、それは講演会を聞きに行ったからだった。関節リウマチについてのものだと言った。大学の教授が世話役をしている講演会なので行ったのだが、自分の専門に関わるわけでもなし、しかも席を遠いところを取ってしまって、スライドがよく見えず声もよく聞こえずでまったく面白くなかった、行かなければ良かったと前夜に話していた。それで二人で朝食を取りに上がると、父親も卓に就いて飯を食っていた。T田が両親に挨拶する。母親が山芋とアボカドとトマトのサラダを作っておいてくれた。こちらはドリアを電子レンジで温め、サラダを二人分皿に取り分ける。そうして父親と入れ替わりに食事。こちらがいつもの位置、西側の椅子に就き、T田はその向かい。食べているあいだ、台所で洗い物に立った父親が、T田のことを、Mr. Children桜井和寿にちょっと似ているんじゃないかと言った(この点は母親もあとになって同じことを言っていた)が、T田は初めて言われたと返した。それで食事を終えてこちらは薬も飲むと、我が部屋に帰り、それから一二時過ぎまでずっと、色々な音楽を流しながら話をした。まず最初に流したのはJunko Onishi『Musical Moments』の最後に収録されたライブ音源、"So Long Eric"ほかの一六分にも及ぶメドレーである。その次に、Eric Dolphy。さらにFISHMANS『ORANGE』。その途中で、こちらが二〇一二年当時に録音してストックしておいた曲のネタのことに話が及び、今度はそれを流して聞く。Tは絶対作らないような雰囲気の音だとT田は評価した。その後、FLYや懐かしのDeep Purpleを流したあと、床の上、書架の下に置かれていた重いケース二つを取り出してCDを見せ、T田に借りたいものがあったら借りていって良いぞと提案する。一緒に見ながら、Paul Motianというドラマーが変で面白いと言い、Enrico Pieranunzi『Live At The Village Vanguard』を貸すことに(しかしこれはのちに、流した音源を聞いたT田がやっぱりいいやとあっけらかんと返してきたので却下された)。ほか、推したのはGretchen Parlato『Live In NYC』である。これも音源を二曲流して、バックのドラム(Mark GuilianaにKendrick Scott)なども聞いてもらい、T田もわりあいに気に入ったようだった。それで最後にMarvin Gaye『What's Going On』を流していると、T田が、Pieranunziはいいのでこれを貸してほしいというので望み通りにした。そうしてアルバムが終わるともう一二時を越えていたので昼食を取りに。父親は自治会だか保護司の集まりだか何だかあるらしいが、まだ出かけていなかった。母親は外出、友人とランチとか何とか。冷凍のたこ焼きを電子レンジで用意し、ほか、味噌味の野菜や魚介の入ったスープを母親が作っておいてくれたのでそれをT田と一緒に頂く。それでT田は帰路に就くことに。ラジオを流して電灯のスイッチ周りを修理していた(玄関の電灯のスイッチの利きがちょっと前から悪くなっていたと言うか、緩くなってテープなどで貼って押さえておかないと自動的に消灯のほうに固まって明かりが点かない、という風になっていた)父親に、送ってくると告げて外へ。道に出ると途端に眩しさが降り注いで視界を埋めるのに、右手で額に庇を作りながら素晴らしい天気だなと口に出す。最寄り駅は近くだが、天気も良いしどうせなので散歩がてら遠回りしていこうという話になっていた。Tさんの宅の傍の柚子は実が重く吊るされて枝葉が随分と垂れ下がっている。Tomorrow, Tomorrow, Tomorrow creeps in this petty……とT田が口にしたのは、前夜、シェイクスピアについて話をした時に、『マクベス』のなかでこちらが印象に残っていた部分の書抜きを見せたからだ。

マクベス あれも、いつかは死なねばならなかったのだ、一度は来ると思っていた、そういう知らせを聞くときが。あすが来、あすが去り、そしてまたあすが、こうして一日一日と小きざみに、時の階[きざはし]を滑り落ちて行く、この世の終りに辿り着くまで。いつも、きのうという日が、愚か者の塵にまみれて死ぬ道筋を照らしてきたのだ。消えろ、消えろ、つかの間の燈し火! 人の生涯は動きまわる影にすぎぬ。あわれな役者だ、ほんの自分の出場のときだけ、舞台の上で、みえを切ったり、喚いたり、そしてとどのつまりは消えてなくなる。白痴のおしゃべり同然、がやがやわやわや、すさまじいばかり、何の取りとめもありはせぬ。
 (シェイクスピア/福田恆存訳『マクベス』新潮文庫、1969年、125~126; 5-5)

MACBETH
She should have died hereafter;
There would have been a time for such a word.
To-morrow, and to-morrow, and to-morrow,
Creeps in this petty pace from day to day
To the last syllable of recorded time,
And all our yesterdays have lighted fools
The way to dusty death. Out, out, brief candle!
Life's but a walking shadow, a poor player
That struts and frets his hour upon the stage
And then is heard no more: it is a tale
Told by an idiot, full of sound and fury,
Signifying nothing.

 福田恆存は『老人と海』の訳は端的に言って全然良くなかったが、シェイクスピアのこの訳はなかなか結構格好良いのではないかと思う。「あすが来、あすが去り、そしてまたあすが、こうして一日一日と小きざみに、時の階[きざはし]を滑り落ちて行く、この世の終りに辿り着くまで」という部分の原文をつぶやきかけたT田にこちらが、pace、と一言付け足すと、T田はそこが思い出せなかったのだと言った。今日はこれを、「時の階」という言葉を覚えて帰るわと言う。坂を上って行き、日向に染まった裏道を行けば、道端の葉っぱが光を激しく照り返している。街道まで向かいながら、こちらが文学に嵌まった経緯を話していた。大学の卒論も終えた二〇一三年初頭、それまでに興味が出つつも手を出せなかった文学に触れてみたらこれが面白かった、そのきっかけとしてはMさんの(という名前は出さなかったが)日記ブログを読んだことがあったと。街道を渡って風の吹きつける裏道をまた行きながら、Fはどちらかと言えばちょっと古いものに惹かれるのかと訊くので、確かに音楽も高校時分は七〇年代八〇年代のハードロックを聞いていたし、そういうところはあるのかもしれないと答える。文学についても、文芸誌で、要は現代文学の第一線で活躍しているような作家たちにはあまり興味が湧かない、読んでもいないのにそう言ってしまうのは浅はかではあるが、彼らよりも明らかに、例えば昨日紹介したムージルなどのほうが、明らかに凄いと思うからだ、と。しかしそうは言いながらも、そういう姿勢はあまり良くないと言うか、勿体無いものではあると思うとも付け足した。それで最寄り駅に着くと時刻は一時半過ぎ、電車は三七分ですぐ来る予定だった。ホームに渡り、T田とありがとうございましたと礼を言い合う。そうして乗って行く彼と手を振り合って別れ、こちらは一人、帰路をゆっくりと辿った。この日もまた雲のない快晴だった。帰宅して父親に挨拶すると、彼はもう出かけると言う。こちらは生チョコアイスの母親が食ったその残りの半分を食べ、茶を注いできて日記に二時半から取り掛かった。そこから現在まで三時間半、LINEでやりとりをしながらもずっと打鍵していた。前日の記事は書くことがたくさんあり、引用も含めると二万字を越えた。今は六時に至っている。日記を優先したかったので夕食の支度は帰ってきた母親に任せてしまった。腹が結構減ってきている。また、書きながら短歌を三首作った。

 白糸と鉄と鎧の狂詩曲踊り狂って死ねば本望
 金の爪で裸の風を殺しては哀しみばかり呑んで窒息
 欲情が腐った林檎を齧り出す泣き虫だらけの失楽園

 ほか、岩田宏神田神保町」のなかに出てくる、「魔法使のさびしい目つき」というフレーズを使って一首作りたいのだがうまく思いつかない。
 それから「魔法使のさびしい目つき」を用いた短歌を考えたのだが、七時を回って食事に行くまで一時間ほどあったわけで、そのあいだずっと考えていたというのは随分長い。ほかのこともやっていたに違いないのだが何をやっていたのかてんで思い出せない。ともかく七時を迎えて夕食に行くと、母親は居間の片隅、テレビの前の座布団の上でアイロン掛けをやっていた。台所に入って見ればフライパンには野菜炒めの、中華丼の素を絡めたものが出来ている。それをよそって電子レンジで熱し、さらに母親が今日行ったガストで買ってきたピザも三切れ取って加熱した。それに米をよそって卓へ、一人で先んじて黙々とものを食べる。平らげてもまだ何か食べたい感じがしたので何かないかと冷蔵庫を見れば前夜の残りか鯖の餡掛け風があって、それを取り分けて熱して食べたが、これはあまり美味くなかった。そうして皿を洗って入浴。湯に浸かりながら短歌を考える。「~~の唄になれないこの愛は魔法使のさびしい目つき」までは出来ていた。最後の一句目に何を当て嵌めたものかと頭を回して、最初に「沈黙」が出てきたのだがこれはありきたりに過ぎる。次に「解放」が出て、これは目指すところに近いがそれでもやはり何となく違う感じがした。最後に「革命」を思いついて、思いついた瞬間に、そうかこれだとわりあい嵌まる感じがしたので、無事そうして完成となったわけである――「革命の唄になれないこの愛は魔法使のさびしい目つき」。「魔法使」を普通だったら「魔法使い」としたいところ、オリジナルである岩田宏の「い」を抜いた形を残すことで、彼から借りているということを明示しているつもりである。そうして脱浴、ポテトチップスを母親と分け、こちらは袋を持って下階に下りた。そうして、三宅誰男『囀りとつまずき』を読み返しながらメモを取っていく。「まなざし」の語がやはり一番多くて、今のところ五六回を数えている。この話者はとにかく何かを「見て」いることが多く、「視線」や「目線」という類語も含めれば「見る」のテーマの数はもっと増えるだろう。次に多く出てくる語は多分「自意識」で、これは今のところ九回。あとは「たまさか」も、古井由吉なんかが使う古めかしいような語だが結構使われていて、これは三回。そのほかのテーマとしては、「錯覚」(意味の転移あるいは重なり)や「変容」、あとは「読解」というものもあるか。話者は結構、他人の素振りなどから心理を推し量ったり解釈したりしていると言うか、敏感に「意味を読み取る者」としての性質を持っているなということに気がついた。物事の表層を「見る」だけに留まらず、そこに重ね合わされてあるものを見通そうとする主体。「差異の蒐集者」はまた「読解者」でもあるわけだ。今のところで良い断章と言うと、前回読んだ時にも一番印象に残ったが、牛丼屋のテーマ曲に合わせて合唱する女子高生たちの「若さ」を描いたものはやはり素晴らしい。ほか、銀杏の木の巨大さに啓示的に打たれる断章も威力があって、特にそのなかの「太古の裸身をだしぬけにのぞかせる文明の破れ目」という表現は良い。また、樹上に止まる鳶や鴉の群れの「陣形の変容」から「喪服姿の行列」を連想し、不吉でおどろおどろしいような雰囲気があたりに漂いはじめ、浮かれ騒ぐ宴席のなかに「黄泉」の穴がひらくという断章も、異界を幻視している感じがして良かった。
 一一時まで読み返しをして、ここまで日記を書いて一一時二〇分。その後、『囀りとつまずき』を本来ならば読み進めるところだが、たくさん読み返しをしたためだろうか何となくその気にならず、それではと書抜きをすることにした。Lee Morgan『Indeed!』をバックにしながら打鍵を進めているとしかし、じきに疲労感が募ってきて瞳もややひりつくようになってくる。さすがに前日、深夜まで外出の途にあったことが尾を引いているらしい。それで零時半前には切り上げて、そのまますぐに床に就いたと思うのだが、このあたりのことは記憶がうまく残っていない。入眠は容易だったはずだ。
 また、読書中に新たに短歌を二首作った――「沈黙の息吹孕んで鳥になる絶望運ぶ負の孤島まで」と「美しい希望の抜け殻携えて我は沈めりまなざしの底に」。


・作文
 8:16 - 8:47 = 31分
 14:27 - 18:04 = 3時間37分
 23:02 - 23:20 = 18分
 計: 4時間26分

・読書
 20:16 - 20:41 = 25分
 21:07 - 23:00 = 1時間53分
 23:48 - 24:22 = 34分
 計: 2時間52分

  • 三宅誰男『囀りとつまずき』: 76 - 184

・睡眠
 2:45 - 7:40 = 4時間55分

・音楽

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2019/1/26, Sat.

 六時一五分起床。安倍晋三首相がセクハラを容認するような、あるいはむしろ促進するような発言をして、控えめに言ってこいつは阿呆だなと思った、という夢を見た記憶がある。部屋はまだ暗く、明けの青さのなか、曙光の兆しが山際に。明かりを灯してコンピューターを点け、六時二五分から早速前日の日記を書きはじめる。すぐに仕上がって投稿。それからTwitterを覗きつつ、山際の朱色が紅色、薔薇色と変わって行き、部屋の扉にも光線が射し込むようになるなかで、しばらくまた短歌を作る。食後の時間に作ったものも含めて以下に載せておく。

 二二時四五分の鐘が鳴る過[あやま]てる夜の我はいずこへ
 足よりも手よりも頭よりも先に心よ踊れ短き鼓動に
 過ちを忘れ月夜に雨が降る街灯の暈に解けぬ智慧の輪
 死んだ人は二度と生き返らないからピアノを鳴らせ沈黙の日に
 恋をする勇気持たない暇人が口ずさむのさ白髪の唄を
 散歩して悲しさばかり拾い上げ侘しい風に涙枯らして
 明け暮れてまばたきだけが拠り所夜の睫毛に雫垂らして
 儚くて今日も今日とて独り言亡霊讃歌暗む足取り

 七時頃になって上階へ。南窓のみカーテンを開ける。冷蔵庫を覗くと前日の残り(ナポリタン風パスタと鮭)があったので、それらをそれぞれ温め、米をよそって卓に。それから外に出て新聞を取ってくる。親イスラエルドナルド・トランプ政権が発足して以来、ヨルダン川西岸での入植が度を増しているという記事を読みながらものを食べていると、母親が上がって来た。早いじゃない、と言う。うん、と受けてものを咀嚼し続け、食後、薬を飲み、父親が夜に放置した食器も含めて皿を洗った。そうして洗面所に入り、大して乱れていなかったが髪を整え、整髪料もちょっとつけておいて下階へ。まだ八時前である。ポテトチップス・コンソメパンチ味を貪りながら日記の読み返しをする。二〇一六年の日記はブログに投稿しておき、それから茶を注いできて一服したあと、八時二〇分からErnest Hemingway, The Old Man and the Seaを読みはじめた。

  • ●72: the fish came over onto his side and swam gently on his side,(……)long, deep, wide, silver and barred with purple and interminable in the water.――barred: 縞模様のある / interminable: 果てしない
  • ●72: the fish's side just behind the great chest fin that rose high in the air to the altitude of the man's chest.――altitude: 高さ
  • ●72: the sea was discolouring with the red of the blood from his heart. First it was dark as a shoal in the blue water that was more than a mile deep.――shoal: 魚群
  • ●73: Now I must prepare the nooses and the rope to lash him alongside,――noose: 輪縄
  • ●73: Even if we were two and swamped her to load him and bailed her out, this skiff would never hold him.――swamp: 水浸しにする / bail: 水を搔い出す
  • ●73: he could pass a line through his gills and out his mouth――gill: 鰓
  • ●74: The lines all mean nothing now. The boy and I will splice them when we are home.――splice: ロープを繋ぐ
  • ●74: the fish's eye looked as detached as the mirrors in a periscope or as a saint in a procession.――detached: 超然とした / periscope: 潜望鏡
  • ●75: Then he stepped the mast and, with the stick that was his gaff and with his boom rigged the pathced sail drew,――boom: 帆桁

 九時を回る頃合いまで英文を読み、それから隣室に入ってギターを適当に弄り散らかした。そうして風呂を洗いに行く。昨日は洗うのを忘れてそのまま焚いてしまったので、この日は念入りに浴槽の内側を擦る。風呂を洗いながら、それにしても定型とは偉大なものだなと思った。短歌の話である。五七五七七の形に嵌めるだけで、適当に言葉を並べているだけでもそれらしいものになる。言葉を音に当て嵌めていると言うよりは、五七五七七の音調に導かれて、言葉が浮かび上がってくるという感じだ。そうして戻ってきて一〇時直前から日記を書き出し、ここまで記して二〇分ほどが経過している。
 書抜きの読み返し、一二月二八日から二六日まで。さしたる時間も掛からずに終わる。それから、「ウォール伝、はてなバージョン。」の記事を読んだ。なかなか啓発的。「そもそも人間であるっていうところからすでに限界が規定されていて人間であるからこそ自ずと決まってくる真理ってのがある」「人間にとっての普遍性っていうのは物理法則とは違うわけでそれはまぁその存在を介したものにならざるを得ない」「キリスト教が真理なんだったらそれでいいじゃないかって感じもするんだけどそれを真理だと思うには逆説的に全くキリスト教とか宗教的ではない世界観とか主観ってのが必要になる」「キリストに感染してキリストを模倣するようになる。ただそれはすぐにできることじゃないし一生かかってもできないことかもしれないけど模倣しようと努めるということですよね。それがまぁキリスト者になるっていうことだよね」。このブログの記事が長かったため、読み終えると既に一一時を回っていた。そのあと、すぐに上階に行ったのだったか? わからないが、出かけるまでにまだまだ時間もあるし、散歩にでも出ようかなとちょっと思いながら部屋を出た。すると母親が台所で天麩羅を揚げており、やるかと訊くので散歩には出ずに調理をすることにして、人参や牛蒡などの搔き揚げの入ったボウルを受け取り、油の注がれたフライパンに投入して行く。伴奏もなくFISHMANS "チャンス"を口ずさんだり、脚をひらいて筋をほぐしたりしながら、揚がるのを待つ。その後、山芋や人参も揚げて完成、傍ら母親は蕎麦を茹でており、天麩羅が仕上がる頃にはそれも茹で上がっていたので、そのまま食事にした。天麩羅はかりかりとしており、なかなか美味だった。さっさと平らげて食器を洗い、下階に帰ると歯磨きをしたあと、FISHMANSの曲とともに服を着替える。ユニクロの臙脂色のシャツ、グレーのイージー・スリム・パンツ、滋味豊かな海のような深い青のカーディガン。そうして、更新が通知されていたUさんのブログを読む。「「客観性」を追求する人々が行っているのは、それを担保する方法の開発し、その言説を広めることである。これが行き過ぎた思索の問題点は、人間のいない世界、躍動のない世界にしか感情移入できなくなることである。その限りにおいて、人間の営みは「個人の自由」の領域に押し込められ、それについて語ることができなくなる」、「だが、「客観性」なる範疇でしか考えることができない者は、一種の宿命論者であり、自分自身が人間であるにもかかわらず、人間を捨象している」と書かれているのだが、これは上に引いた「ウォール伝」で述べられていたことと軌を一にしているのではないだろうか。Uさんのブログのあとは「ワニ狩り連絡帳2」も読んで一時過ぎ、日記をさっと書き足し、そろそろ出かけようと思っている。
 荷物を整理し、マフラーにコート、リュックサックを持って上階に上がると、一時半だった。便所で排便し、手袋を持って行ったらという母親に良いと言って玄関に出ようとしたところで呼び止められて、マロンケーキほかを忘れるところだったのに気づいた。ビニール袋に入れ替えた品物をリュックサックに収め、玄関を抜ける。午前中には陽の出る時間もあったが今は空には雲が広がっていて、青さは東西それぞれの果てに僅かしか覗いていない。曇り空の下、坂を上って行き、紅梅の咲き誇っているのを横目に見ながら街道に向かうと、視線の反対側、左方の対岸で走る者たちの姿があって、色とりどりの原色の運動着が目につく。街道を向かいに渡ろうとしたところで、後続が多くあるのに気づいて、流れのなかに立ち入って邪魔をしてはなるまいと南側に戻った。走る人々は個人の仲間内の人数を明らかに越えていて、何かジョギング関連のイベントでもあったのだろうか。それも小公園に差し掛かる頃には後続者がなくなっていたので通りを渡り、蠟梅の咲いている角を曲がって裏通りに入る。仄暗さに少々寄ったような無色透明の空気のなかに吹く冷たい風の周囲の庭木をさわさわ揺らして、冷たいと言うよりは何かやはり侘しいようだなと見た。侘しいと出てきたその言葉尻をしかし捉えて、実際に自分は今本当にそう感じているのか否かと問う心が湧いた。鬱病希死念慮以外ほとんど何も感じなくなって以来、こうして日記を書けるようにはなったけれども、やはり感情や感覚が以前よりも全体的に薄いような感じは付き纏っている(元々そんなに感情的なほうではないので、外見からはまったくわからないだろうが)。純粋な感情(そんなものが本当にあるのか知らないが)がなくなったような感じがして、何かを感じてからその感じたものを言語化して書き記すと言うよりは、言語化することによって事後的に、遡行的に「感じる」が生成されるような、そんな感じがある。三宅誰男『囀りとつまずき』のなかにある、「いまやわたしが感じ考えるのではない、この文体が感じ考えるのだ」というのはこんな感覚なのだろうか。また、ヴァージニア・ウルフが日記に書き付けていたことも連想される。

 モーパッサンが作家について書いている(ほんとうのことだと私は思う)。〈以下フランス語原文の引用〉「彼にはもう何の単純な感情も存在しない。彼の見るものすべて、彼のよろこび、たのしみ、苦しみ、絶望はただちに観察の対象になってしまう。あらゆることにもかかわらず、彼自身にもかかわらず、人びとの心や顔や身ぶりや声の抑揚を際限なく分析してしまうのだ。」
 (ヴァージニア・ウルフ/福原麟太郎監修・黒沢茂編集・神谷美恵子訳『ヴァージニア・ウルフ著作集8 ある作家の日記』みすず書房、1976年、316; 1934年9月12日)

 作家の気質。〈フランス語の原文の引用。モーパッサン『水の上にて』(一八八五)から〉「一つ一つのよろこびと一つ一つのすすり泣きのあとで、必ず自分を分析する。そうせずにみんなのように心から、正直に、単純に悩んだり、考えたり、愛したり、感じたりすることは決してないのだ。」
 (317; 1934年9月12日)

 モーパッサンの原書の記述のほうも引いておこう。

 文士には、もはや単純な感情というものは、少しも存在しない。彼が眼にする一切は、その喜びも、楽しみも、苦しみも、絶望も、直ちに観察材料となるのだ。彼は、何がどうあろうと、われ知らず、どこまでも、心情を、顔貌を、身ぶりを、音調を分析する。ものを見たとなると、それが何だろうと、すぐにその理由を知らずにはいられないのだ! 彼にあっては、衝動といい、叫び声といい、接吻といい、淡泊率直なものは、一つとしてない。世間の人が、知らず知らずに、反省もなく、理解もなく、ついで得心することもなくて、単にせずにはいられないからする、といった刹那的な行為ですら、彼には、まったく見られないのである。
 彼は、悩みがあれば、その悩みを記録し、記憶のなかで分類しておく。この世で最も愛していた男なり女なりを葬った墓地からの帰るさに、こう考える、「奇妙な感じがしたな。それは、悲痛な酔い心地とでもいうようなものだった、云々……」と。そして、そのとき、彼は、いろいろと細かいことを思い出す。自分の近くにいた人たちの様子、そらぞらしい素ぶり、心にもない愁嘆ぶり、うわべばかりの顔つきといったような、さまざまのつまらない小さな事柄、芸術家として観察した事柄、例えば、子供の手をひいていた老婆の十字の切り方とか、窓に日がさしていたとか、犬が一匹、葬儀の列を横ぎったとか、墓地の大きな水松[いちい]の下を通った際の霊柩車の感じとか、葬儀屋の頭のかっこうや引きゆがんだ顔つきとか、柩を墓穴におろした四人の男の骨折りぶりとか、要するに、心の底から、ひたすら悲しんでいる律儀な人なら、とうてい眼にもとめなかったろうと思われる、さまざまな事柄を思い出すのである。
 彼は、われ知らず、すべてを観察し、すべてを記憶にとどめ、すべてを記録した。それというのも、彼は、何よりもまず文士であるからだ。そして、彼の精神が、こんな具合にできあがっているからだ――彼にあっては、最初の衝動よりも、反動の方が、はるかに強く、いわば、はるかに自然であり、原音よりも、反響の方が、一そう高く響く、といった具合なのである。
 彼は、どうやら二つの魂を持っているらしい。その一つは、隣の魂――万人に共通の自然のままの魂が感ずることを一々、記録し、説明し、注釈する魂である。そこで、彼は、常に、どんな場合にでも、自身の反映であると同時に他人の反映として生きるべく運命づけられているのだ。感じ、行動し、愛し、考え、悩む自身を眺めずにはいられないのだ。だから、喜びを味わうごとに、またすすり泣きをするごとに、あとで自身を分析などせずに、普通の人間のように、素直に、虚心に、単純に、悩み、考え、愛し、感ずる、というようなわけには決して行かないのである。
 (モーパッサン/吉江喬松・桜井成夫訳『水の上』岩波文庫、一九五五年、75~77)

 こうした感情の薄さというか感情というもののフィクション性みたいなものは、こちらの作家的素質を表すものなのか、あるいは病気の後遺症なのか、それとも単純に歳を取ったというだけのことなのか。それはともかく、歩いているあいだ、書くことによって感情を作り出すということは、こちらは自分を絶えずフィクション化しているようなものか、と思った。テクスト的分身を作る、などと以前には言い表したことがあると思うが、言語的な身体/感官を編み出していると言っても良いだろう。日記の営みというか、自分自身を書くという行為は本源的にそのようにならざるを得ないのかもしれない。そうすると、この日記に表れてある主体というのは、この自分、F.Sに限りなく近い存在でありながら決定的なところで自分ではない主体、もしくは自分にはまったく似ていないが紛れもなく自分であるような主体なのかもしれない。
 概ねそんなことを考えながら裏路地を歩いていて(時折り立ち止まって、その場で手帳に思考の断片を記録した)、目に入ったもの耳に引っ掛かったものの印象はないようだ。駅前まで来て駅に入るとホームに上がって、停まっていた特快東京行きの二号車に乗った。そうして書見、三宅誰男『囀りとつまずき』。荻窪まで一時間ほど。道中は大方ずっと頁に目を落としていたので、特に興味深かった事柄はない。荻窪に着くと降車して、エスカレーターを下り、東改札から出て南口へ。寒風のなか東に向かい、ささま書店へ。来るのは二度目だが、思いのほかに駅から近かったと言うか、もう少し距離があったような記憶があったのだがすぐに着いた。店外の棚を瞥見してからなかへ。入り口付近の文庫の棚を少々冷やかしてからすぐに店の奥へと進んだ。以前来た時と配置が変わっていた。前は奥に小説や詩があり、壁際に哲学や思想の本がずらりと並んでいたのだったが(その時はそれでクロード・シモンポール・リクールの『時間と物語』三巻本なんかを買った)、以前文学だった区画が思想などの棚になって、壁際は文化人類学系の区画になっていた。精神分析関連の棚を最初に見たのは、Mさんが欲しがっていた立木康介『露出せよ、と現代文明は言う』がきっとここならあるだろうと予想していたからだ。入手できたら二月に会う時にあげるつもりだった(こちらは今のところ精神分析にはそれほど興味はない――と言うか、単純に難しそうで近寄りがたい)。実際、あった。一五〇〇円。それを保持しながら、思想付近を回る。文化人類学の棚にあった野田研一『交感と表象 ネイチャーライティングとは何か』というのが気になって、これも買うことにした。ほか、アドルノの『ミニア・モラリア』も欲しい。また、決定版のパスカル全集の一、二巻があって、パスカルの生涯を語った他人のテクストを集めたような構成らしかったが、これが非常に欲しかったものの(哲学者の伝記的な挿話というものには大いに興味がある)、五〇〇〇円と結構するし、荷物も重くなってしまうので、色々見て回ったあと最終的には断念された。まあそうそう売れるものでもないだろうから、またいずれ買いにくれば良かろう。あとはやはりミシェル・フーコー関連の本が欲しくて、ジェイムズ・ミラー/田村俶・雲和子・西山けい子・浅井千晶訳『ミシェル・フーコー/情熱と受苦』と渡辺守章フーコーの声 思考の風景』に目をつけておいた。それから海外文学のほうへ。文学の棚がどこにあるかわからず、不審げに店内をうろうろしてしまったのだが、文庫の揃った棚の近く、店の出入口のすぐ傍にあった。それで海外の文学を隅から隅まで見て行く。色々と興味深いものはあったが、ナタリー・サロートの二作――平岡篤頼訳『黄金の果実』と三輪秀彦訳『見知らぬ男の肖像』――がどちらも五〇〇円で安かったので買うことにした。ほか視線を滑らせていると、ヴァージニア・ウルフの伝記がある。リンダル・ゴードン/森静子訳『ヴァージニア・ウルフ 作家の一生』というやつである。これもやはり読まないわけにはいかないだろうというわけで手もとに保持し、振り向いて日本文学系統の書架を今度は見る。『牧野信一全集』の第三巻があり、『群像』だか『新潮』だったか忘れたけれど文芸誌の企画で古井由吉大江健三郎が二人で様々な作家の短篇を読むということをやっていた際に二人が揃って一番だと推していた「西瓜を喰う人」というのが収録されていてやはり欲しかったのだけれど、三〇〇〇円かそこらしたので断念した。日本文学の棚からは金井美恵子が目につく。『岸辺のない海』を見てみれば五〇〇円なので、これは買いだろうというわけで手もとに。ほか、蓮實重彦の『陥没地帯』と『オペラ・オペラシオネル』(だったか?)が一緒になった本もあったが、これは一二〇〇円だかそのくらいしたので見送った。それで、数冊取り分けておいておいた思想の棚のほうに戻る。文学を見ているうちにまさか買われてやしないだろうなと密かに危惧していたのだったが、さすがにそんなことはなかった(そう言えば店内を見て回っているあいだ、結構高年と思われる女性が店員に、岩波文庫マラルメは入っていないかなどと聞いている一幕もあった)。それでひとまず、現時点で買おうという本の値段を計算してみると、合わせて八四〇〇円である。ここにパスカル全集を足してしまうと一三四〇〇円となって、さすがにそれはと思われ、また荷物としても重くなって差し支えるので、今回は見送ることにしたのだった。それで本を手もとに積み重ねて会計へ。八冊で九〇七二円である。以下一覧。

立木康介『露出せよ、と現代文明は言う』: 1500
・野田研一『交感と表象 ネイチャーライティングとは何か』: 800
・ジェイムズ・ミラー/田村俶・雲和子・西山けい子・浅井千晶訳『ミシェル・フーコー/情熱と受苦』: 2000
渡辺守章フーコーの声 思考の風景』: 800
・リンダル・ゴードン/森静子訳『ヴァージニア・ウルフ 作家の一生』: 1800
ナタリー・サロート平岡篤頼訳『黄金の果実』: 500
ナタリー・サロート三輪秀彦訳『見知らぬ男の肖像』: 500
金井美恵子『岸辺のない海』: 500
 計8冊: 9072円

 どうもありがとうございましたと女性の店員に礼を言って退店。空にはいくらか晴れ間が見えており、西の彼方には薄陽の感触もないではない。吹きすさぶ固い寒風のなか、道を反対に辿って荻窪駅へ。ホームに上がってちょうどやって来た電車に乗車。扉際を取った。それで吉祥寺までのあいだ、北側の空をぼんやりと眺める。建造物の立て込んだ街並みの果てまで続いて広い空である。水色の面積は思いのほかに多く、西の空には瘤のように盛り上がった雲の、裾は溶けて淡く水平線に侵食して右方には一角獣の角のように長く棚引いているのが浮かんでいるのを見つめていた。吉祥寺では結構人が乗ってくる。そうして狭くなった車内で揺られ、三鷹に着くと降りた。ホームから上がって改札を抜け、北口に。群衆の流れに逆らって、駅前のドトールへ。ここに滞在して日記を書くつもりだった。階段を下りて地下に行ってみると席はいっぱいだったので、地階に戻って白線で一人ひとりの区画が区切られているカウンター席に荷物を置いた。そうしてレジカウンターに行き、ホットココアを注文する(三七〇円)。オーダーを聞く店員は発声の調子など聞くとどうやら新人らしく、ほかに女性店員が二人、ベテランらしく声調も物腰も落ち着いている男性店員が一人、補佐をしていた。ココアを持って席に就き、コンピューターを取り出す傍ら、Mさんに、立木康介の本を入手したので二月に会う時にあげますと報告をする。帰ってきた返信によるとMさんは今奈良にいるらしく、彼もちょうど古本屋でムージル蓮實重彦を入手したところだと言う。同じようなことをしてますねと返し、それからしばらくやりとりを続けながら日記を綴った。店内は非常に忙しない。ひっきりなしに人が行き交って、空気が動き、新人の店員の繰り返し、よろしければお伺いします、という声が背後から聞こえる。しかしそんな環境下でも、音楽を聞かずとも結構集中して書けるものだ。そうして現在、五時半前に至っている。約束は六時半から七時のあいだ。まだまだ時間があるので、水中書店にでも行ってみようかと考えている(今日これ以上本を買うのはまずいが、一〇〇円均一で何か良いものがあれば買うくらいの姿勢なら良いだろう。
 コンピューターをシャットダウンして、便所に立った。狭苦しい通路で待っていると、若い女性が出てきたそのあとから個室に入れば、便器の蓋がきちんと閉められてあったのでさすがだなと思った。小便を放って、手を洗い、ハンカチを両手に当てながら室を出て席に戻る。コンピューターをリュックサックに仕舞い、ココアのカップをカウンターに返却すると、新人店員が恐れ入りますと返答してみせた。そうして退店。水中書店へ。到着すると、寒風の厚く横から駆けて顔にぶち当たるなか、店頭の百円均一を見分する。目ぼしいものはなし。入店。入り口から見て右方の奥、哲学や思想の棚から見はじめる。カウンターの向こうには茶髪の女性店員が一人立っているだけで、店主のKさんは不在だったが、棚を見ているうちにまもなく帰ってきた。しかしすぐには顔を合わせず、文芸批評、文学研究、幻想文学関連など書架の列を見定めて行く。それからその反対側、一つ隣の通路に移って、海外文学。ここでアントナン・アルトー/多田智満子訳『ヘリオガバルス または戴冠せるアナーキスト』を発見して食指が動く。八〇〇円。目をつけておきながらひとまず取らず、短歌のあたりの棚を見ているとKさんがカウンターの向こうで姿を現したので、こんにちは、と低く掛けた。ささま書店に行ってきたんですよ、と話す。すると、あそこの奥の人文学の棚なんかは、あれもこれもと次々と手に取れますよね、と言うので、まさしくそうなんですよと同意する。それから、色々と良いものを出していますので、ごゆっくりご覧になってくださいと言ってくれる。それにしたがって鷹揚に書物を吟味していく。短歌の棚からは、岡井隆『人生の視える場所』が五〇〇円で安くて少々惹かれ、また塚本邦雄の、『戴冠傳説――小説イエス・キリスト』というのも気に掛かった。それから俳句、日本文学(後藤明生の『吉野大夫』があった。また古井由吉『仮往生伝試文』も八〇〇円だかで安く置いてあって、買ってしまおうかと思ったのだったが結局これは忘れていた)、詩と見ていく。そうして文庫のほう、それから入り口から見て左方奥の、社会批評などの棚と見て行き、最初の思想の区画に戻ったところで、『現代詩手帖 ロラン・バルト』を発見した。五〇〇円。これは買いだろうというわけで手もとに保持し、アルトーのものも持って書架の上に置き、短歌の区画に戻ってふたたび吟味する。その時点で六時一五分かそこらだった。岡井隆『人生の視える場所』は安いし買うことにした。塚本邦雄は、本来だったら歌集を求めたいところだが、イエス・キリストの小説がやはり気になるので今回はこれを選び、歌集はお預けとすることに。そうして吟味している最中に、ふと目線を横にずらすと書肆侃侃房というところから出ている新鋭短歌というシリーズの本が並んでおり、そのなかに九螺ささらの名前が見える。ピンときた。これは古谷利裕が「偽日記」で以前取り上げていたものである。それで、これも買うことにした(八〇〇円)。それで五冊をカウンターに持って行き、会計。Kさんが値段をレジに打ち込んでいるあいだ、少し前から掛かっていたBGMについて、これ、コルトレーンですかと尋ねる。するとやはりそうであると。わかりやすかった。サックスのトーンが聞き覚えのあるものだったし、折に触れてぐねぐねと空間を搔き回すようにブロウするのもトレーンの作法だ。何でも最近発掘された未発表音源らしく、それがApple Musicで聞けると言うから楽な時代になったものだ。それで会計を済ませるとKさんがあちらから、手近に積んであった現代俳句のアンソロジーシリーズを指して、高浜虚子から何々あたりまで(「何々」の名前は忘れてしまったが、前衛の人だったと思う)の短い範囲のアンソロジーなんですが、前衛までカバーしているので、Fさんはもしかしたらお好きになるかもしれません、と薦めてくれる。それで、最近短歌を作っておりましてとおずおずと口に出すと、おそらくTwitter上でだと思うが、見ましたとあったので恥じるようにして笑う。拙いものだ。定型の枠の便利さと言うか、それに当て嵌めればひとまず形になることの利益をKさんは述べてみせるので、こちらもちょうどこの朝にそうした感慨を抱いたところで我が意を得たりと、そうなんですよね、五七五七七に当て嵌めれば、出鱈目な言葉でも何となくそれらしくなる、と笑い、音のリズムに導かれて言葉が出てくるようだと言うか、とこの朝の感想を繰り返した。それから、最近何か良いものは読みましたかとこちらから振ると、背後の棚からやはり俳句のアンソロジー本を取り出してみせる。色々な俳人の句が一〇〇句ずつ選集されたもので、やはり前衛の人を広くカバーしているようだった。小説のほうはどうですかと話を向ければ、Kさんは小説はあまり読めていないのだがと言って少し考えたあとに、新潮文庫から出た新訳の、『ワインズバーグ、オハイオ』が、以前も読んだことはあったがやはり面白い小説だったと言った。ほか、メアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』も初めて読んで面白かったらしい。フランケンシュタインが人間の家族の様子を覗き見て人らしい振る舞いを学ぶ場面があるのだが、そのなかに、詩が朗読されているのを目撃して言葉を習得するという一幕があるらしくて、そこが印象的だったと言う(そんなことあるかって思うんですけれど、と言うKさんにこちらは、フランスなどでは幼児教育で詩を丸暗記させるらしいですよねと返した)。そこから、Kさんのなかで最近、「朗読」が一つのテーマとして上がって来ているという話になった。夏目漱石界隈のエピソードなども何かの本で読んだらしく、伊藤左千夫だかが自分の作品を読みながら一人で泣いていたらしいと挿話を紹介するのにこちらは、カフカなんかも、『変身』だったか『審判』だったか、友人の前で朗読したと言いますよね、それで互いに大笑いしていたらしい、と。海外では詩の朗読なんかも日本よりは一般的らしいですねとか、古井由吉も新宿の風花という文壇バーで朗読のイベントを企画していた、町田康とか柄谷行人とかを招いて、自分の作品を朗読させるのだ、などと話しもした。それで互いに言うこともそろそろ尽きて思いつかなくなった頃合いでKさんが、また何か気づいたことがあったら是非お話ししてくださいと丁寧に言ってくれるので、こちらこそと礼を言い、またお願いしますと告げて店をあとにした。以下、購入品の一覧。

・アントナン・アルトー/多田智満子訳『ヘリオガバルス または戴冠せるアナーキスト』: 800
・『現代詩手帖 ロラン・バルト』: 500
岡井隆『人生の視える場所』: 500
塚本邦雄『荊冠傳説――小説イエス・キリスト』: 800
・九螺ささら『ゆめのほとり鳥』: 800
 計5冊: 3400円

 店頭に立って携帯でTにメールを送り(既に三鷹にいるが――時刻は六時半過ぎだった――どこに行けば良いのか?)、マフラーを巻いてとりあえず駅に向かって歩き出す。見上げたビルの切り立ったその屹立の線に沿って視線が夜空に移行して行き、黒々とした闇空の実に深いなと思われた。Tからはすぐに返信があり、T田とMさん(こちらとは初対面)が駅にいるので改札に行ってくれと言う。了解、と短い返信を歩きながら即座に返して、駅へ。通りを歩きながら視線を上げれば、駅前で緑色や白の電飾が、木の形を模して雪崩れるように上下に連なり光っている。その近くを通って駅に入り、階段を上って改札前に向かうと、KくんとT田、そして初対面の女性がいるのが見えた。近づいて行くとKくんがこちらに気づき、指してきたので会釈を交わし合って寄って行き、挨拶をする。Mさんが初めましてと頭を下げてくるので、こちらもワンテンポ遅れて、荷物を地に置き、初めまして、Fですと挨拶を返す。それで、Kくんの宅に向かうことになった。訊けば、徒歩一分の近間だと言う。歩きながら、古本屋に行ってしまって本を買いこんでしまったと言うと、今は本が読めるのかとT田が聞いてきたので、読めるようになったし、文を書けるようにもなったと報告する。駅を出たあたりでMさんに、Tとは、と向けると、学童の仕事をしていた時の同僚だと聞いていた情報が返って来た。アルバイトでやっていたのだが、Mさんは今はそのままそこで正社員になっているらしい。Kくんの家は確かに近かったが、一分というのは言い過ぎだろう、三分くらいは掛かったはずだ。駅からすぐ西に歩き、一軒のマンションの脇を抜けて裏に入ったところのマンションだった。小さなエレベーターに乗って四階へ。扉を開けるとTが出迎えてくれたので、こんばんは、と挨拶をして、お邪魔しますと言いながら上がる。部屋は一室の手前右側にキッチンが設けられており、その向かい、左側は浴室兼便所、奥は右の壁際に大きなテレビが壁と並行に置かれ、向かいはベッドになっており、それらのあいだに五人で囲むには少々狭かったテーブルが据えられていた。ベッドの向こう側の窓際にはギターが一つ置かれてあったので、触って良いかと許可を取って早速弄りだす。チューニングがばらばらに崩れていたので、T田に、T田、A、Aの音、と言ってチューナーの役割を務めさせようとすると、Kくんがチューナーのアプリを起動したスマートフォンを貸してくれた。それでチューニングを仕上げ、Oasisの"Married With Children"を適当にコード・ストロークしていると、KくんとT田は飲み物を買いに行くと言うのでT田に、ジンジャーエールを頼むと注文した。それで適当にブルースを弾き散らかす。そのあいだTはキッチンに立ってほうとうを作っており、Mさんとこちらがちょっと言葉を交わしたあとは、彼女らが職場の話をするのを何とはなしに聞きながらブルース的なフレーズを弾き続けた(Mさんはどうやらここで、今よりも大きな部署と言うか職場に異動になるようだった)。ある程度のところでギターを下ろすと、BGM有り難うとTが言った。それから男性二人が帰ってくるまでのあいだ、どう過ごしたのか覚えていない。Mさんと何かしら話をしていたのだろうか。彼女について覚えていることを先に書いてしまうと、一番印象に残っているのは、彼女は美大出身なのだが、そこでは舞台製作をやっていて、キャラメルボックスという演劇グループが好きでよく見に行っているということだ。そうだ、最初は音楽を聞くかとこちらから話を振ったのだった。あまり聞かず、広く浅くという感じらしい。続けて何が好きなのかとこちらは音楽のことのつもりで質問すると、それに対して芝居が好きだという返答があったのだった。キャラメルボックスというのはオリジナルもやるが、また人口に膾炙している大衆小説などを翻案して演じたりもする劇団らしかった。過去には伊坂幸太郎の『ゴールデン・スランバー』だとか、東野圭吾の作品なども演じたと言う。こちらは、シェイクスピアなんかを見てみたいなと言うと、シェイクスピアだったら色々なところでやっていそうという返答があり、少し前だったら蜷川幸雄もと言うので、藤原竜也ねと俳優の名を出した(その頃にはT田たちがもう帰ってきていた)。その後、文学が好きなんですよと自分のことを言うと、文章で生きていくってTがこちらのことを言っていたと言うので、文章じゃ食えねえよと応じる。大体そのあたりでほうとうが出来上がって、卓に運ばれたのではなかったか。この日の会は一応こちらの誕生日祝いということで(そう言えば書き忘れていたが、T谷は仕事が忙しくて参加できなくなったので、面子は五人だった)、こちらは卓の中央に向かい合って置かれた座椅子を席としてあてがわれ、右にMさん、左にT田、向かいのテレビとの隙間には左側にKくん、右側にTという位置取りになった。そうしてTが、主役のこちらから椀にほうとうをよそってくれる。料理は普通に美味だった。飲み物は、こちらはジンジャーエール、KくんとT田はコーラ、Tは白湯(この選択に彼女の健康志向と言うか、「ロハス」という言葉を使いそうな(彼女自身は多分その言葉を知らないのではないかと思うが)性格が透けて見える――と言って、それは完全なものではなく、あとでKくんのコーラをいくらか貰って飲んでいたが)、Mさんは確かお茶だっただろうか。うどんは味噌味、ほくほくとして熱い南瓜が入っており、麺はもちもちとした食感だったのでそう言うと、良さそうな麺を選んで取り寄せたのだと言う。それで食べるのだが、食事のあいだ、どんな話をしたのか覚えていない。最初はT田が携帯を使って彼ら彼女らの作った曲を流し、それがじきにスピーカーに繋がれたはずだ。それでこの曲のここはどうだったとか感想文に記したことを繰り返して言ったり、Tの作る曲はそもそものコード進行からして結構攻めているとか、そんなことを話し合った。ほうとうはおかわりの分があり、一つ目の鍋が平らげられたそのあとから二つ目の、あれは土鍋だろうか比較的平たい形の鍋がやって来たのだったが、これは残念にも底に麺が貼りついて焦げついてしまっていた(多分量に対して鍋が浅かったのだろうと、のちのち青梅駅に着いた時、T田と話し合った)。それで底から離れようとしない麺に苦戦しつつ箸を使っておかわりをよそり、食べたのがそれが三杯目だったかおそらく。食べ残された麺たちは多分あとで廃棄されたと思う、冷めてしまっていたし、焦げつきもあって美味しく食べられるような状態ではなかったと思う。それで食後、Kくんと(……)が皿洗いをしたあと、デザートの菓子類が用意された。パンナコッタ(苺乗せ)・苺(これはMさんが持ってきたものらしい)・Tが買ってきたモンブラン二つ・こちらが母親から託されたマロンケーキ二種とクッキーである。パンナコッタというものは初めて見て食べたものだが、ミルクプリンの亜種といったような感じで美味く、苺との相性も良かった。それで、このデザートの時間だったか忘れたけれど、Kくんがコンピューターをテレビモニターとスピーカーに繋いで音源を色々と流した時間があり、そう、曲の話をしているなかで、こちらが紹介した小沢健二 "大人になれば"を流すためにそうしたのだった。そこから、小沢健二の別の曲を流したり(Mさんは小沢健二のことを知っているようだった――彼と同時期の、確かスパイラル何とかと言っていたと思うが、そのグループの音楽がキャラメルボックスの公演で使われていて好きなのだと言った。渋谷系、と訊くと、彼女はこの曖昧なジャンル区分を示す単語も聞き知っていたようで、本人たちはそう言われるのを好まないと思うけれど、と返した)FISHMANSの"いかれたBABY"を流したり、あと何を流したんだったか。まあそんな時間もあり、モンブランについて言えば酒のちょっと香ったこれは美味で、一番下の層がやや硬く、さくさくとしたものになっており、それと上層のクリームの柔らかさとの取り合わせが勘所だったと言うべきだろう。どこの何という店のものか訊かなかったので、先ほどLINEで質問をしておいた(「コクテル堂コーヒー」国分寺店のものだった)。それで、九時台か一〇時になったぐらいからだったろうか、"(……)"という曲の登場人物である(……)(仮)の正式な名前が決まらないと、絵のイメージ、MVのイメージが固まらないと言うので(Mさんはイラスト・MV要員として我々のなかに加わったメンバーなのだ)、ひたすら彼の名前を探り続けた。ピーターというのは、曲のイメージの元となったピーター・パンから来ている。"(……)"の世界観がまさしくディズニー版ピーター・パンのそれで、"(……)."と"(……)"も、「(……)」と呼ばれてそれと軌を一にしたと言うかシリーズ化されているものである。『ピーター・パン』の作者は誰だったかと言うとKくんがその場で検索してくれて出てきたのはジェイムズ・バリーという名前で、ピーター・パンでこちらが思いだすのはフィリップ・フォレストの最初の小説、あれは何と言ったか――『永遠の子ども』だった――これは癌だか何だかになった幼い娘が死んでいくまでの親の苦悩を描いたもので、確かフォレストの実体験を小説にしたものだったと思うのだが、そのなかで『ピーター・パン』がたびたび引かれていたのだった。書抜きに残っていたこの作品の(おそらく)冒頭を引用しておこう。フォレストのその小説を読んだ感じだと、子供向けの話に翻案されている『ピーター・パン』だけれど、普通に作品として読んでみても悪くないだろうというような見通しが記憶として残っている。

 《子どもはみんな、たったひとりを除いて、大きくなる》とジェームズ・バリーは書いている。こんなふうにピーター・パンの冒険は始まる。読みながら、ロンドンの瀟洒な界隈や、完璧なまでに非現実的な広い住居、手入れの行き届いた光輝く芝生を思い浮かべる。ウェンディは二歳。両手を開げた母のもとに駆けより、摘んだばかりの花を一輪プレゼントする。この瞬間にまた別の瞬間が続くのだが、二度はなく、これから先、この瞬間が繰り返されることはない。ウェンディは二歳だが、時間というワニのチクタクをすでに知っている。《二歳で、すべての子どもは知っている。二は終わりの始まりなのだ》
 (フィリップ・フォレスト/堀内ゆかり訳『永遠の子ども』集英社、二〇〇五年、10)

 ピーター(仮)の名前を決めるに当たっては、星の名前、あるいはそれに関連するような語から何となく取りたいという意向があるようで、それでKくんがコンピューターを操って様々に検索を駆使し、色々な星の名前を調べて候補を募ったのだったが、ぴったり合うというものはなかった。こちらは、プトレマイオスの略称であるトレミーが一番良いと思ったのだが、学者が由来だと少々硬くて曲のイメージに合わないということで却下された。花言葉のように星にも星言葉というのがあって、その方面からも攻められたのだが、やはり名前からしても意味からしてもこれでばっちりというものは見つからない。ほか、こちらが、星=輝くものという意味素からの連想だったのだろうか、『宝石の国』のことを何となく思い出して、宝石の名前から取ったらどうかと提案して、そちらの方向でも調べられたが、やはりこれも決まらず、結局Tのノートに様々な名前がメモされたものの、これは保留である。BGMに合わせてギターを弾いたり、適当にコードを繋げてみたり、フリージャズの真似事をしてみたりと遊んでいたこちらは、ギターを弄るのにも飽きると、まだ二度しか会っていない相手の部屋だというのにベッドの上に身を倒してくつろぎはじめたのだったが、一一時に近くなった頃、名前の探索にも一区切りがつくとTが、トランプをやると言い出した。それで取り出された平等院ミュージアムのトランプで行われたのが「大富豪」あるいは「大貧民」である。このゲームをやるなどというのは大層久しぶりで一体いつぶりなのかわからないくらいだ。様々なローカルルールは大概採用されず、シンプルな形式で行われることになり、二度やってこちらは一回目は最下位から一つ上、二度目は二位になった。ゲーム中にT田が終電を調べると、一一時四八分だということだった。それで二度目のゲームが終わった時点で既に一一時四〇分くらいになっていたので、急いで帰宅の準備をした。書き忘れていたが、誕生日プレゼントを貰っていた。Kくんからはお香二種、Tからは靴下二種、T田からは細長い黄色の水仙の花である。靴下は、踵のところの角度が直角を成しているタイプのもので、これのほうが履き心地が良いらしい。水仙は、花言葉が「復活」とか「自己愛」という意味らしく、病気をしていたこちらを励ますという意味合いで送られたものだった。それでこちらは荷物が多かったので(紙袋が三つ)、一つをT田が、水中書店の袋をTが持ってくれた。Kくんの部屋を出ると、風がびゅうびゅうと吹きすさんでいた。急いで駅へ。改札に着いた時点で残り三分、T田がICカードを改札に当てると機械が赤く点灯する。残高不足である。それで急いでチャージし、こちらとT田とMさんは改札を抜けた。Tは恋人だからKくんの家に泊まるのだろう。そうしてMさんともありがとうございましたと別れの挨拶を交わして階段を下るのだが、ちょうど上ってくる人波に逆らう形で、電車を逃してしまう。それは最終の一つ前の電車だったのだが、しかし遅れているようで、次の最終電車に乗っても南武線が乗り換えを待ってくれるかどうか心もとない。それで最悪俺の家に来いと言うと、もうそうして良いかなと申し出があったので、勿論了承し、母親にこれから帰る、T田が終電を逃したので一晩泊めてやってほしいとメールを送った。そうして乗車。立川までのあいだに何を話したのかは覚えていない。立川で乗り換え。電車は零時一九分発で、一五分弱も間があった。一番線に移り、最も西寄りの車両に乗って座る。中央線が遅れていて、最初は発車が一〇分ほど遅れることになるとアナウンスがあり、結構遅れるなと笑っていたのだったが(向かいの大学生くらいの若者三人も笑いを漏らしていた)、最終的には二分遅れで発車することができ、速やかな乗り換えにご協力くださって有り難うございますという礼のアナウンスが入った。道中話したことの一つは、T田がpixivで知り合った人のことで、T田は昨年の夏くらいから『Steins; Gate』の椎名まゆりにぞっこん(死語)入れ込んでいるのだが、そのキャラクターの絵を描いているこの人とやりとりが始まって、ちょっとした文通のようになっていると言う。もともとT田が、まとまった量の文章を書くのにどれくらい掛かると聞いてきたところからこの話は始まって、日記だったら一〇〇〇字くらいなら一〇分で余裕だ、先日書いた感想だとあれは一時間半か二時間くらいは掛かったのではないかとこちらは答えて、そのあとに今、こういう人とやりとりをしていると明かされたのだった。T田は文章を書くのが苦手と言うか、苦手ではないのだろうがそれに時間を掛けてしまうほうのようで、一〇〇〇字を綴るのに四時間くらい掛かったりすると言ったので、ともかくもまず自分の考えていることを出力してしまう、そしてそれをあとから繋げて細かく成型していく、自分はそういうやり方でやっていると言い、あとはもし文章がうまくなりたいのだったら、やはり読むことだろうな、自分の場合はそれに加えて書抜きという習慣があって文をたくさん写していたので、それは文章や文体の感覚を養うのに益したと思うと述べた。pixivの人は、あとで(……)から自宅に歩いているあいだに話を聞くと女性で、しかし既婚者だと言う。せっかく恋の予感が芽生えそうなところだったのになと笑うと、既婚者だから恋愛どうこうはまったく考えていないが、しかしだからと言って、相手が男性だったらここまで長くやりとりが続いていないと思うとT田は言った。それで青梅着、降りると東の空に傾いた半月が出ている。駅を抜け、別に母親が用意してくれはするのだろうが、翌日の朝食を買うつもりでコンビニに寄る。こちらは「ホワイトソースの海老ドリア」と、おにぎりを二つ、ツナマヨネーズのものと鶏五目のものを買った(六七五円)。そうして自宅までの道を歩く。静かな裏通りを行くことにした。そのほうが星もよく見える――T田は、これも椎名まゆりが星が好きだからという理由で興味を持ちはじめたらしいが、星に詳しく、歩きながらオリオン座を起点として、オリオン座の左のあれがシリウスだとか、その右上のあれが何々だ、あれが何々だといくつか教えてくれた(しかしそのほとんどは忘れてしまい、覚えているのはシリウスだけである)。歩いているあいだはpixivの人について話したり、あとは何を話したか今思い出せないのでまあ良いだろう。裏路地から表通りへ出るところで、歩きで良かった、星が見られて楽しかったとT田は言った。そうして三〇分ほど歩いて帰宅。ことによると父親が起きているかと思ったのだが、居間の食卓灯は点いていたものの、両親はもう眠ったようだった。風呂は入るのが面倒臭いので良かろうというわけで自室に下りる。T田の寝場所としては兄の部屋のベッドがある。それで二人入るともうそれだけでいかにも狭苦しくなる我が部屋で、二時半頃まで話をした(途中でこちらは着替えとしてジャージを持ってきてやった)。万葉集とか古事記の話などをしたのが一つある。確か最近自分は短歌を作っているというところから始まったのだったと思う。それで、古今和歌集の仮名序などを読むと、歌というものは山をも動かし、目に見えない鬼神=精霊たちをも涙させる力があるなどということが書いてあるものだから、今とは言葉というものに対する感覚が全然違っていたのだろうとか、古事記では最初に一〇体くらい神がいてそのことごとくが何故か身を隠してしまう、そのあとに出てくるのがイザナキとイザナミの男女神で、だから彼らは最初ではない、その二人が海の水を「こおろこおろ」と搔き回して、その搔き回した棒だか何だかの先から滴り落ちた塩が積もってオノゴロ島という陸地が初めに出来るのだと、大津透『天皇の歴史1 神話から歴史へ』を読んで得た知識を紹介したりする。もうだいぶ長くなっているし、記憶がスムーズに自然に蘇ってこないこともあるし、その他の話については良いだろう。ああただしかし、こちらがHemingwayのThe Old Man and the Seaを差し出したり、相手の好みもわきまえずに『ムージル著作集』などを差し出してそれをT田が読んでいるあいだ、あたりが非常に静かで、まるで時間が止まったかのような静寂だとありきたりな印象を覚えたということは記しておく。それで二時四五分頃、就寝。寝付くのはさほど苦労ではなかった。