2019/4/13, Sat.

 七時半頃に一度意識を取り戻して――その前にも覚めていたと思うが――、毎日このくらいの時間に起きられれば丁度良いなと思っていたところが、起床に至らないままにふたたび睡眠に入って、寝床に光の射し込む一〇時過ぎになってようやく身体を起こした。昨夜は何時から意識を失っていたのかわからないので、睡眠時間もわからないが、二時四〇分からとすると七時間半といったところだ。上階に行き、台所に入って冷蔵庫から前夜の残り物である茄子と鶏肉の炒め物を取り出し、電子レンジに突っ込んだ。そのほか米をよそり、同じく前夜から残った汁物――小松菜とエノキダケなめこの味噌汁――も温めて、卓に就く。新聞をめくって記事の見出しを瞥見しながらものを食い、抗鬱剤ほかを服用すると、皿を洗った。両親はコンビニや自治会館に出かけるとのことだった。こちらは食器を洗うと両親を見送ってから下階に戻り、コンピューターを起動させた。LINEを立ち上げるのは、翌日のプラネタリウム鑑賞会について、待ち合わせの話し合いを始めたとTからメールが入っていたからだ。見ると、彼女が多摩科学六都館へのアクセスと、翌日のプログラムを載せていた。それで、どこで何時に待ち合わせるかと彼女は問うているのだが、誰か発言するかとしばらく待っていたものの誰も発言しそうにないので、花小金井駅待ち合わせで良いのでは、とこちらが一番に返答をした。現地から一番近いのがその駅らしいのだ。バスが出ているのだが、こちらとしては、一八分間掛かるとは書かれているものの、駅から歩いて現場まで行きたかった。
 一方で、この日もFISHMANS『Oh! Mountain』の流れるなか、一一時直前から日記を書きはじめていた。Twitterで昨夜リプライを送ってきてくれていたYさんとやり取りを交わしながらここまで綴って、一一時半である。
 前日の記事をブログに投稿し、noteの方にも投稿しておいてのち、正午直前からベッドに移って山我哲雄『一神教の起源 旧約聖書の「神」はどこから来たのか』を読みはじめた。「おわりに」の冒頭、三六一頁から三六五頁に掛けて、本書で語られてきた一連の「革命」による唯一神教成立の経緯が改めて短く要約されている。まず第一に、前一二〇〇年頃、パレスチナに「イスラエル」と呼ばれる民族共同体が成立する。彼らは初めは「エル」という神を崇拝していたが、それが外から伝わってきた「ヤハウェ」と習合され、ヤハウェ崇拝の下に民族的アイデンティティが創出・強化されていく。これが言わば第一の革命に当たるが、この段階ではまだ他民族の神々の存在も否定されず、しかし「イスラエルの神」はヤハウェのみだという民族神的拝一神教の形態が取られていた。
 第二の革命は前九世紀から八世紀に掛けてである。この時期にはバアルというフェニキア人の神への崇敬が強まったり、アッシリアの国家祭儀に影響されて宗教混淆的な状況が生まれたりと、「信仰の危機」とでも言うべき情勢が生じていた。それに対して前八世紀の文書預言者たちは、そのような「不信仰」への報復として異邦人勢力を道具に用いてイスラエル民族を処罰する世界神としてのヤハウェという観念を生み出した。ここには従来の民族神的拝一神教の枠を越えて、普遍主義的な神観念へと向かっていこうとする動勢が見て取れる。
 前七世紀後半に至ると、ヨシヤ王の宗教改革が行われる。地方聖所を廃止し、祭儀の場をエルサレムに集中させることで、異教的要素を排除し、ヤハウェへの排他的崇拝を強化したのだ。これが第三の革命に当たるが、しかしこの宗教改革はまもなく頓挫し、それに留まらずユダ王国自体が滅ぼされてバビロン捕囚が起こってしまう。ここにおいて未曾有の規模で、再度の信仰の危機が出来する。捕囚時代の預言者たちは、このような苦境をヤハウェの無力だと取られかねない可能性に対して、民のあいだに篤い信仰心を回復させるような解釈を編み出さなければならなかった。彼らはこの破局を、不信仰に走ったイスラエル民族の「罪」の結果であると意味づけしたのだ。ヤハウェは無力な存在なのではまったくなく、むしろ反対に全能であり、他民族をも処罰の道具として操ることのできる力を持っているのだ。
 そうして第二イザヤによる唯一神観の宣言が最後の革命に当たる。ヤハウェ以外の神は一切存在しないということが明言されたのだ。それまでの拝一神教的枠組みを超え出て、ほかの神々の存在を原理的に否定するこのような思考は、国家の滅亡と民族捕囚という根源的な危機状況における究極のパラダイム転換だった。それは言わば、絶望の淵に立たされた捕囚の民が一発逆転的に編み出した起死回生の一策だったのだ。
 一時間ほど読んだところで最後まで読了し、それから頁を戻して手帳に気になったところをメモしていると、天井が鳴った。食事を食べないのかという知らせだろう。ちょうどメモも終わるところだったので、読書時間を記録しておいて部屋を抜け、上階に上がると、テーブルの上には竹笊に入ったうどんと筍などの天麩羅が置かれていた。筍は家の傍の林から採ったものである。台所から葱や鶏肉の入ったつゆを椀によそってきて、天麩羅に醤油を垂らしておかずにしながらうどんを啜る。そのほか、セブン・イレブンのパックに入った鶏の手羽中も三本頂いた。テレビで掛かっていたのは『メレンゲの気持ち』で、母親がこの番組が好きなので土曜日は基本的に欠かさず見ているのだった。土屋神葉[しんば]という、土屋太鳳の弟で声優をやっているという人が出演していたが、特段の関心は惹かれない。食事を終えると使った食器を洗い、新しくなった食器乾燥機に収めておいて、スイッチを押した。この新品の乾燥機は以前のもののようにつまみをひねって乾燥時間を調節するのではなくて、二五分か五〇分の二コースしか選べないようになっているのが使いにくいところである。
 それから母親の頼みを聞き入れて、駐車場に面した外壁の角や玄関外の脇に取り付けられている電灯の電池を取り替えた。そうして下階に戻り、前夜に歯磨きをしなかったので、出かける前に歯を磨いた。それからFISHMANS "忘れちゃうひととき"を流し、部屋を満たす音楽のなかで旋律を口ずさみながら服を着替えた。白シャツにベージュのズボン、上は胡桃ボタンのブルゾンを羽織る。それでコンピューターをシャットダウンしてマウスとともにリュックサックに入れ、その他の荷物もまとめて上階に行った。出発しようとしたところで母親が風呂は洗ったかと訊くのに洗っていないことを思い出して、リュックサックを下ろして浴室に入った。手摺りを掴んで体重を預けながら前屈みに姿勢を曲げてブラシを操る。そうして洗い終わって出てくると、今度は洗濯物も入れておくかということでベランダに続くガラス戸を開けた。日向ぼっこというわけか、父親が洗濯物の向こうに座って本をひらいていた。吊るされたものを取り込んでいき、タオルや寝間着やジャージを畳んでおくと、あとは母親に任せようというわけで、そのように声を掛けておいて出発した。午後二時だった。
 端から端まで雲の一滴もなく青さが渡っているなかに、月がうっすらと、上部のみ露出した半月の形で現れていた。鳥の声がぴちぴちと落ちる木の間の坂を上って行き、平らな道に出ると、鶯が林の方で、ふくよかに響く鳴き声を天に向けて放つ。街道に出る頃には肩口に温もりが溜まって暑いくらいで、腕に脚にと汗の感触も滲んでくる。そろそろ燕が通りの上を飛び出す頃だなと、宙に視線をやりながら歩いて行くと、小公園の桜の木が微風に触れられてひらひらと花びらを零していた。枝先からふっと力なく離れる花弁の、宙に浮かぶシャボン玉の泡のようでもあり、一つの花の終幕を迎えるさまというよりは、新たな一個の生命がそこから生まれ出ているようでもあった。
 裏通りに入って、背を変わらず陽に照らされながら歩いて行く。緑の新しくなってきた丘の上方には僅かに一箇所、桜の煙るような薄桃色が差し込まれている。土曜日の昼下がりの静けさのなかに、線路の向こうの林が風に鳴らされる葉擦れの音が差し入ってきて、そのさらに向こうからふたたび鶯の鳴きも上がった。白猫に出会いたいと思っていると、果たして、家の前の車の脇で日向ぼっこをしている姿があったので、近づいていってしゃがみこみ、先日と同様に頭や腹や体を撫ででやった。猫は時折りこちらの手指に顔を寄せてきて、湿った鼻の感触が指に伝わる。しばらく撫で回して戯れて、別れてふたたび歩き出した。
 梅岩寺の枝垂れ桜が風を受けて、下に向かって円を描くように緩慢に、前後左右に揺らいでいた。駅に着くと改札をくぐり、ホームに上がって二番線の立川行きに乗り込む。今日は三号車の三人掛けである。リュックサックを背負ったままに浅く腰掛けて、手帳を取り出してメモしてある事柄を復習した。その頁の上に、扉から斜めに入ってくる光が差し掛かって明るくなり、左を向けば通路の上にも車両の端まで複数の日向が刳り貫かれている。じきに河辺に着いたので降車し、大口開けて欠伸を漏らしながらエスカレーターを上った。改札を抜け、駅舎を出て、歩廊を渡って図書館に入館、新着のCDを見に行くとJohn Scofieldの新作があって、メンバーを見ればGerald ClaytonにVicente ArcherにBill Stewartと大層な面子でこれは是非とも聞いてみたいが、そう急いで借りなくても良かろう。それからジャズの棚もちょっと見分しておいてから上階に上がり、新着図書の棚の前には何人も人がいたので後回しとして、政治学の棚に寄って神崎繁『内乱の政治哲学――忘却と制圧』を手に取った。何となく以前から気になっている著作で、今日借りてしまおうかと思っていたのだ。しかし今日の目当てはほかにもある。一旦書架のあいだを抜けて大窓際の席を一つ取り、リュックサックを置いておいてから宗教の区画に向かった。それで菊地章太『ユダヤ教 キリスト教 イスラーム――一神教の連環を解く』を発見する。山我哲雄『一神教の起源』を読書会のために読んだわけだが、さらなる理解の増進を図って同系統の主題のこの本も読書会までに読んでみようと思っていたのだ。ちくま新書のその本を手に取り、政治哲学の区画に戻って、神崎繁『内乱の政治哲学』もやはり借りることにした。さらには、同じように以前から興味を惹かれているハンナ・アーレント『政治とは何か』も借りることを決断してしまい、こうしてムージル『特性のない男』の読了がどんどん遠くなってしまうわけだ。
 それで席に戻るとコンピューターを取り出し、『内乱の政治哲学』の冒頭をちょっとだけ読んでから、日記を書き出したのが三時二〇分だった。どうもうまく文章が流れず、何だかぎこちないような書きぶりになってしまって、時間も一時間以上掛かって現在四時半直前を迎えている。これから『一神教の起源』を書き抜きし、新着図書を確認し、卵を買って――母親に頼まれていたのだ――帰宅する。
 先に席を立って新着図書を確認しに行ったが、それほど目新しいものはなかったように思う。ちくま学芸文庫の『資治通鑑』があった。そのほか、アーサー・ウェイリー版の『源氏物語』の翻訳第一巻が入っていた。これは平凡社ライブラリーの方にも別の訳者で翻訳が入っているのだが、どちらが良いのだろうか。堀口大學訳のボードレール悪の華』もあった。そのほかは覚えていない。席に戻ってくると、山我哲雄『一神教の起源 旧約聖書の「神」はどこから来たのか』の書抜きを始めた。手もとにある本のなかでは一番大きかったハンナ・アーレント『政治とは何か』で頁を押さえてひらいたままにしながら打鍵を進める。出エジプトの元となった出来事が現実にあったとしても、それがエジプト側の記録にも残らないほどに小規模の、ささやかなものだったという歴史学的推定は、やはりユダヤ教徒の立場からすると衝撃的な事実ではないだろうか。打鍵は一時間強に及んだ。五時四五分頃になると今日はこのくらいにしておくかというわけで、コンピューターをシャットダウンし、荷物をまとめて席を立ち、途中で脱いでいたブルゾンを身につけた。
 便所に寄って排尿してから、洗った手を拭きながら室を出て、そのまま階段を下って出口に向かった。退館し、歩廊を渡って向かいの河辺TOKYUに入る。フロアの奥に進んで行き、灰色の籠を取って野菜の区画に踏み入ると、最初に胡瓜を籠に入れた。その次に茄子を二袋籠に加え、手近に置かれていた甘辛いソースに絡めた鶏の胸肉のパックもおかずにしようというわけで手もとに保持する。ほか、頼まれていた卵やヨーグルト、ポテトチップスに冷凍の唐揚げなど確保してから会計に行った。列に並んでいる時、リュックサックを下ろして財布を取り出すついでに携帯を確認すると母親からメールが入っていて、卵は買ったとあったのだが、今更列を離れて戻しに行くのも面倒臭いので買ってしまうことにしてそのままその場に留まり続けた。会計は一八八四円。ありがとうございますと店員の顔を正面から見ながら礼を言い、整理台に移ってビニール袋に品物を収めると、右手に提げて出口に向かった。
 歩廊を歩いていると駅のホームに青梅行きが来ているのが見えるが、間に合う距離ではない。発車するのを見送り、歩廊を進みながら、薄青い空の宙空に、あれは燕なのだろうか何匹もの鳥が鳴き声を降らせながら旋回・滑空しているのが見えた。今しがた発った青梅行きから降りて改札を抜けてくる人々のなか、駅舎に入って掲示板の前に立つ。先ほど出たのは六時一〇分発、その次は二〇分発で、これが都合良く奥多摩行きへの接続電車だった。改札をくぐり、いつもならエスカレーターを下りてホームの先の方に行くところを、右折して階段を下って四号車の位置、ホームのなかほどに立ち尽くした。そうして手帳を取り出し、電車を待ちながらメモしてある事柄を読み返して行く。果たして燕なのかそれともほかの鳥なのか、相変わらず駅舎の周りを盛んに飛び交う集団があり、屋根の端からその姿が時折り覗いて鳴き声も姦しく降っていた。じきに電車がやって来たので乗り込み、扉際に立って足もとにビニール袋を置いてしまう。揺られているあいだは引き続き手帳を眺め、青梅に着くとほかの人が出ていくのを待ってから降りて向かいの電車に乗り換えた。最後尾の扉の前に立ち、同じように手帳に目を落としながら発車及び到着を待つ。最寄り駅に着くと駅舎を抜けて、冷めた青さの空を背景に桜の木を見上げたが、既に光の絶えたあとで桜の白さも定かならず、そうでなくてももう大方散ってしまったようだった。横断歩道を渡って坂道に入り下って行くと、日中風がたくさん吹いたのだろう、足もとに木屑やら枝やら激しく散らばっていて、それを見下ろしながら歩いているとそのなかに、どこから飛んできたのか、桜の花びらが白く点々と混ざっているのに気がついた。途切れるまでに結構な歩数があった。坂を抜けて通りに出ると、小公園の桜の木が今日も電灯の光を浴びて白く咲き静まっているその下、市議会選挙の看板の、まだ候補者のポスターが一つも貼られていないその前に、枝から離れたものがたくさん散らばっていた。向かい風を浴びながら家路を辿る。
 帰宅すると台所に入って買ってきたものを冷蔵庫に収め、下階に下って自室に帰った。コンピューターを机上に据えて立ち上げるとともに服を脱ぎ、ジャージに着替える。LINEを確認すると明日は現地集合ということになっていたので、自分は花小金井駅から歩いて行くつもりだと表明しておいた。そうして食事に上がる。メニューは米・天麩羅粉の余りを使ったお好み焼きめいた料理・水菜や大根のサラダ・父親の作った野菜炒め・こちらの買ってきた鶏の胸肉などである。喉が渇いていたのでジュースを飲むかというわけで、オレンジジュースをコップに注いだ。そうして食事を食べるのだが、食事中のことというのはどうにも書きづらい、と言うか書くことがない。父親と母親がどのような動きをしていたのか、どういった会話が交わされていたのかよくも覚えていない(別段大した話題はないから余計に書きづらいのだ)。ともかくも食事を終えて薬を飲むと台所に行って食器を洗った、とこうしていつもの流れになってしまうのがつまらず、たまにはもう少し詳しいような事柄も書いてみたいものだ。
 入浴した。入浴中というのも動きがなくて、あまり書くことがない時間だ。上がって来るとすぐに階段を下りて自室に戻り、明日のために花小金井駅から多摩科学六都館までの道を確認した。グーグル・マップを活用する。地図で経路を確認したあと、念を入れてストリート・ビューまでモニターに映し出させて、画像とともに実際の道順を推移して行き、手帳に道のりをメモしておいた。これで明日はどうにかなるだろう。待ち合わせは一二時半に現地となって結構早い。青梅発一〇時五四分だったかの電車に乗ろうと思うが、そうすると一〇時半前には家を出なければならず、日記を書いたりする時間を考えると八時には起きたいところだ。七時に起床することを目指してアラームを掛けておこうと思う。
 その後、買ってきたポテトチップスを貪り食いながらだらだらと過ごして、一〇時過ぎからこの日記を記しはじめて現在一〇時四五分。BGMはAntonio Sanchez『Migration』。時間も時間なのでヘッドフォンで聞いている。今日は「記憶」記事を読むことが出来なかった! やはり昼間のうちに読んでしまわなくては駄目だ。
 そうして読書。まず、川上稔『境界線上のホライゾンⅣ(中)』を新しく読み出す。戦闘シーンは相変わらずイメージがしにくいので細かく読まずに結構読み飛ばしてしまう。政治交渉シーンの方が面白いような気がする。一時間ほど読んで日付が替わると、菊地章太(「しょうた」ではなくて「のりたか」と読むらしい)『ユダヤ教 キリスト教 イスラーム――一神教の連環を解く』をこれも新しく読み出した。簡潔な語り口だが、今のところは山我哲雄『一神教の起源』の方が面白かったなという感じ。手帳にメモしようと思う事柄があまり見つからない。これを午前一時まで読み進めて、就床した。


・作文
 10:57 - 11:29 = 32分
 15:21 - 16:27 = 1時間6分
 22:08 - 22:46 = 38分
 計: 2時間16分

・読書
 11:55 - 12:57 = 1時間2分
 16:37 - 17:46 = 1時間9分
 22:51 - 25:00 = 2時間9分
 計: 4時間20分

・睡眠
 ? - 10:10 = ?

・音楽

  • FISHMANS『Oh! Mountain』
  • Antonio Sanchez『Three Times Three』
  • Antonio Sanchez『Migration』

2019/4/12, Fri.

 前日と打って変わって、一二時四〇分まで起きられない。怠惰そのもの。何とか身体を起こし、布団の下を抜け出して上階に行くと、母親はどこかに出かけて――おそらく「K」の仕事だろう――不在、父親は台所に立ってまたフライパンを磨いていた。こちらはソファの脇に立って寝間着を脱ぎ、畳んで置いておくとともにジャージに着替える。テレビではちょうど、NHK連続テレビ小説なつぞら」が始まったところである。卓上には父親の食った食事の残り――天麩羅にモヤシのサラダや煮昆布――が用意されてあった。便所に行って放尿してから洗面所で顔を洗い、台所に出てくると米をよそって、前日の残り物である鍋料理を皿に盛って電子レンジに突っ込んだ。そうして卓へ――食器乾燥機が新しいものになっていた――、食べはじめると父親が、今日はYの誕生日らしいと言う。Facebookで見たとか何とか。二二歳か二三歳だろうか、もう中学校も始まっているので、毎朝青梅西中に通っているのだろう。途中から新聞を瞥見しながらものを食べ、抗鬱剤ほかを服用すると、台所でフライパンを洗っていた父親が皿は置いておいて良いと言うので、ありがとうと受けてカウンターの上に使った食器を運んだ。それから浴室に行き、風呂を洗う。そうして出てくると下階に戻り、コンピューターを起動、今日も例によってFISHMANS『Oh! Mountain』を流しはじめた。まもなく便意を催したので、トイレに行きがてら、漆原友紀蟲師』の後半を父親に持って行くことにした。昨日頼まれていたのだ。それで階段を上がり、これ、『蟲師』、と言ってテーブルに置くと父親は、ソファのところに『私の脳で起こったこと』という本があるだろうと返してくる。見て手に取ると、それちょっと読んでみて、病気は違うけれど似たところがあるからと言うので、ああそう、と受けてその本を持って下階に下りた。樋口直美『私の脳で起こったこと レビー小体型認知症からの復活』という本で、日本医学ジャーナリスト協会賞優秀賞というものを二〇一五年度に受賞したらしい。それで便所に入って糞を垂れたあと、本を持って自室に戻り、本は机上に置いておき、日記を書き出したのが一時半だった。そこから一時間弱で前日分を仕上げ、ここまで綴っている。
 三時直前から読書、山我哲雄『一神教の起源 旧約聖書の「神」はどこから来たのか』。二六四頁から二六五頁では、「申命記」一三章の戎命が紹介されている。そこでは、ヤハウェ以外の神々の礼拝へと誘惑する者は、親族や親友であっても、「必ず殺さねばならない」とはっきりと言明されている。こうした命令をユダヤ教徒たちはどのように考え、解釈しているのだろうか。ここをそのまま文字通りに取るならば、同じ唯一神を奉じているキリスト教イスラームは除くとしても、例えばヒンドゥー教など、その他の宗教の普及を目指す宣教師たちなどは滅ぼされねばならないことになるのではないか。
 布団を身体に掛けながら、時折り目を閉じながら読み進めて、あっという間に五時半前である。食事の支度をするために上階に行った。すると父親も手伝うと言う。それで二人で話して、茄子と鶏肉を炒め、汁物としては小松菜とエノキダケの味噌汁を作り、そのほか前日鍋に使った白菜の余りがたくさんあったので、それと人参と卵を混ぜてサラダにすることにした。冷蔵庫から茄子を取り出し、父親がそれを切って行く。それから鶏肉も小さく切り分けるその傍ら――父親は肉を俎板に直接置いていたので、牛乳パックを敷かないと、と助言した――、こちらはフライパンに湯を沸かして小松菜を茹でた。父親はまた、エノキダケも切って小さな笊に入れる。こちらは茹で上がった小松菜を笊に取り上げて流水で冷やしながら洗い、絞ると俎板の上で切り分け、エノキダケと一緒に笊に入れておいた。そうして水を汲んだ中くらいの鍋を焜炉の一つに掛け、その隣で茄子を炒めはじめる。蓋をして、時折りそれを開けてフライパンを振りながら熱して、茄子が良い具合に焦げてくると鶏肉も投入した。一方、隣の鍋が沸くと小松菜とエノキダケを投入、粉の出汁を振り入れた。その間父親は、サラダのために卵を剝き、器具を使って輪切りにしていた。そうしてこちらがものを炒めたり、汁物に味噌を溶かし入れたりしているあいだに、卵を入れたボウルに人参をスライサーでおろし、白菜も細かく切ってそこに混ぜる。その上からマヨネーズ、酢、辛子を入れて搔き混ぜると完成、父親が味見をしてみると美味いとのことだった。それでボウルにラップを掛けて冷蔵庫に仕舞っておき、食事の支度はそれで完了、父親が洗い物をしているあいだにこちらは洗濯物を畳み、洗い物が終わったところではい、お疲れ様でしたと挨拶して下階に戻った。時刻は六時だった。ふたたび読書に入る。そのうちに母親が帰ってきたようで、階上では父親と話す声が聞こえた。ちょうど一時間読んで七時を越えると、食事を取りに行った。昼間の天麩羅の残りと茄子を同じ一皿に乗せて温め、鍋料理の残りも同様に電子レンジで加熱する。その他米やサラダをよそって卓へ。汁物には帰ってきた母親がなめこを混ぜていた。食事を取り出した頃、父親はソファに就いて何やら自治会関連の書類と携帯電話と睨めっこしていた。そのうちに母親が自分の食事と父親の分とを盆に乗せて食卓に就くと、三人揃っての食事が始まる。こちらは一人早めに食べ終えて、すると母親がナンを買ってきたから分けて食べようと言うので、台所に食器を運ぶついでにそれを電子レンジで温めた。そうして熱くなったそれを牛乳パックの上に取り出し、三つに切り分けて卓に運んで食う。それから食器を洗うとこちらは下階に下りてきて、Antonio Sanchez『Three Times Three』をお供に日記を書き出した。二〇分でここまで追いついている。外出をしないと日記に書くことが少なくて楽だが、一方ではやはり物足りなくもある。もっと読書をしているあいだのことや、本を読んだ感想などを書ければ良いのだが。
 それから、Mさんのブログ。顎髭が長く伸びてきて三つ編みに出来たなどと書かれているので笑う。本当に中国の仙人みたいになるのではないか。そして次に、fuzkueの「読書日記(130)」。二日分読んで、三月二六日火曜日の分まで。

 気が至ればそれはそれ以外のやり方を選ぶのがバカバカしくなるようなことはいくらでもあるが至らなければ永遠に至らない。効率みたいなものをひたすら追求することはいくらかバカバカしいことに見えやすいことかもしれないが効率というものそれ自体はバカにはできない。用意された効率のシステムの中で頭を動かすことなく漫然と動くことはもしかしたらいくらかバカみたいになりかねないものだとしても効率のシステムを用意することは頭を稼働させて認識を眼差していない限り起こらない。だから大根の新たな切る方法の発見は慶事でそれもあってまた躁的に幸福だった。体は悲鳴を上げていた。

 それで八時四〇分。入浴に行った。洗面所に入って服を脱ぎ、浴室に踏み入る。掛け湯をしてから浴槽の湯のなかに浸かり、目を閉じて両腕を左右の縁に乗せ、散漫な物思いに身を委ねる。途中からは頭も背後の縁に凭せ掛けて身を低く、水平に近くした。何を考えていたのかと言って、特に大したことは考えていない、どうでも良いような思念が漠然と流れていくのみである。そうこうしているうちに時間が経って、九時半近くになっていたのではないか。上がってくると自室に戻って、それから一一時頃までだらだらと過ごした。そうして「記憶」記事を読もうというわけで、BGMとしてAntonio Carlos Jobim『The Composer Of Desafinado, Plays』を流しはじめ、音読をするのだが、もう一一時と時間も遅くてそう大きな声も出せないし、そうするとあまり気分が乗らない感じもしたので、三項目を読んだのみで短く終えた。そうしてBGMは流しっぱなしのまま――清涼な爽やかさとメロウな切なさを併せ持っている音楽で、シングルトーンを奏でるJobimのピアノは独特の朴訥さを持っており、「間」を活かしたそのプレイはAhmad Jamalをどこか連想させるようでもある――ベッドに移って山我哲雄『一神教の起源 旧約聖書の「神」はどこから来たのか』を読みはじめた。零時頃までは起きていたと思うのだが、いつの間にか意識を失ってしまい、気がつけば二時四〇分かそこらになっていた。そうしてそのまま、歯も磨かずに就寝。


・作文
 13:31 - 14:23 = 52分
 19:43 - 20:06 = 23分
 計: 1時間15分

・読書
 14:55 - 17:24 = 2時間29分
 18:03 - 19:03 = 1時間
 20:11 - 20:42 = 31分
 23:06 - 23:12 = 6分
 23:15 - ? = ?
 計: 4時間6分+α

  • 山我哲雄『一神教の起源 旧約聖書の「神」はどこから来たのか』: 264 - 351
  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2019-04-09「地平線は閉じたくちびる犀の角のように独り歩めキスせよ」; 2019-04-10「惑星と鉄と水素と陰暦と死者と指輪とぼくとあなたと」
  • fuzkue「読書日記(130)」: 3月26日(火)まで。
  • 「記憶1」: 67 - 69

・睡眠
 2:10 - 12:40 = 10時間30分

・音楽

  • FISHMANS『Oh! Mountain』
  • Antonio Sanchez『Three Times Three』
  • Antonio Carlos Jobim『The Composer Of Desafinado, Plays』

2019/4/11, Thu.

 五時四〇分に起床することに成功した。快挙である。睡眠時間は五時間二〇分。いつもこのくらいの睡眠に抑えて早起きできれば良いのだが。ダウンベストを持って上階に行き、少々ふらつきながら服をジャージに着替えるとその上から羽織る。便所に行き、居間のカーテンを開けて光を取り入れ――東窓の先にまばゆい光球が覗いていた――台所に行き、冷蔵庫からカレーのフライパンを出して弱火に掛ける。時折り搔き混ぜつつ、一方で食器乾燥機のなかを片付けながらカレーが加熱されるのを待つ。乾燥機を片付け終わると大皿に米をよそり、そこに粘度の高くなったカレーを掛け、食卓に移った。テレビも点けず、明るく静かな部屋に鳥の囀りが伝わってくるなか、一人で黙々と食事を取った。ものを食べ終えると抗鬱剤ほかを飲み、皿を一枚とスプーンを一つ洗って食器乾燥機に入れておく。そうして一旦、下階に戻った。チョコレートを食いながらコンピューターを起動させ、川上稔『境界線上のホライゾンⅣ(上)』を読みながら準備が整うのを待つ。そうしてEvernoteを立ち上げ、六時半前から日記を書き出した。前日分を仕上げてここまで綴って六時四三分。
 前日の記事をブログに投稿。それから、手帳に綴ったメモを前日の日記に写した。このようにして少しでも情報に繰り返し触れる習慣をつければ、多少は知識もついてくるだろう。そうこうしているうちに母親が上階に上がった気配を察知したので、こちらも顔を合わせに上へ。挨拶をして、洗面所に入り、既に洗濯物の収められた洗濯機を操作して回しはじめる。それからゴミの始末。自室からも燃えるゴミを持ってきて上階のものと合流させ、ゴミ箱のなかのものを押し込んで少しでも嵩が小さくなるように潰す。流し台の排水口の物受けを取って生ゴミもコンビニのビニール袋に入れ、仏壇に飾られた花二種類も持ってくる。細長い花瓶の方のものは下端を少々切って水を取り替えておき、紫色の花が咲いているハナダイコンはそろそろ花が落ちてしまうだろうから捨ててしまって良いと言うので、生ゴミを入れた袋に同じように収めておいた。その生ゴミの袋も燃えるゴミの箱に合流させ、潰し、ゴミ箱からビニール袋を外すと緑色の燃えるゴミ用の袋に押し込む。小さな袋にぎゅうぎゅう潰して無理矢理に収めてしまうのだ。それから玄関を抜けて傘立てに一本あった傘――前日に使ったものである――を取り、階段を下りて、ポストの取り付けられている柵に掛けて干しておく。ポストから新聞も取って居間に戻り、桜田五輪相辞任あるいは更迭の記事を瞥見し、そこまで行ったところで一旦下階に戻った。インターネットを少々回って八時頃になるとふたたび上に行き、陽の射しているソファに座ってNHK連続テレビ小説なつぞら」をぼんやりと眺める。そのうちに母親が洗濯物を干しに掛かったので、こちらも洗濯機のなかのものを持ち運んできて、タオルやパジャマ、肌着などをハンガーに干していく。
 終わると下階に戻って、ベッドに乗って読書を始めた。 川上稔『境界線上のホライゾンⅣ(上)』である。寝床に陽が射してきて、ダウンベストを羽織った上に布団を身に掛けていると暑いくらいなので、途中でベストの前やジャージのファスナーをひらき、窓を開けた。空には飛行機雲が長く引かれて、その一線が線のままに乱れることなく東の方へとじりじり移行していく。途中で目を閉じ、やはり五時間強の睡眠では眠りが足りなかったものと見えて、少々意識を落とした。一一時頃に本を読了し、引き続いて山我哲雄『一神教の起源 旧約聖書の「神」はどこから来たのか』を読みはじめる。複数の鳥の、姦しく、賑やかにぴちゃぴちゃと鳴き重なる声が窓外から響いていた。それを聞きながら、また時折りメモを取りながら読み進め、正午を回ったところで本を置き、手帳に読書時間を記録して上階に行った。父親は足が治っていないのであと一週間ほど休みを取っているわけだが、家にいるからというわけだろう、珍しく台所に立って鍋を磨いていた。こちらは便所に行って排便し、戻ってくると父親の背後を通って焜炉の前に行き、菜っ葉と椎茸の汁物をよそる。そのほか、鮭を温め、米もよそって卓に就くと先に食事を始めた。そのうちに母親が、朝の温野菜の残りを渡してくれるので醤油をちょっと垂らしてそれも食べる。テレビは『サラメシ』。スターダスト・レビューのライブの舞台裏が映されていた。食後、母親が持ってきてくれた冷凍のたこ焼きを三人で分け合って食べ、こちらは立って食器を洗うと下階に戻ってきた。そうして、FISHMANS『Oh! Mountain』を流しだし、日記をここまで綴るともう一時を越えている。
 一時一五分から「記憶」記事音読。まず、「記憶2」の方から最新の二項目を読み、それから「記憶1」の方もひらいて五三番――デザイナー・ベイビーに反対するマイケル・サンデルの議論について――を読んでいると、上階で母親がベランダに出たらしき気配が伝わってきたので、洗濯物を入れるのだなと、短いが音読はそこまでとして(僅か七分)部屋を出た。上階に行くとベランダに続くガラス戸の前に洗濯物が小山を成していたので、そこからパジャマやタオルなど取り上げて畳んでいく。タオルをすべて畳んでしまうとそれを洗面所に運び――父親は相変わらず、ラジオを流しながら(「たまむすび」らしい)鍋を磨いていた――ついでに風呂を洗う。洗って出てくると居間に戻って、今度はアイロン掛けである。炬燵テーブルの端にアイロン台を置き、母親の柿色のエプロンから始まって自分のシャツや父親のスラックスやハンカチなどを掛けているあいだ、母親はこちらの脇でタブレットを弄りながら、ぐるぐるなって読み込まれないと言っていた。それに対してしばらく放っておきなと助言しながら作業を進めて、終えると下階に戻って、FISHMANS "Blue Summer"の流れるなかで腹筋運動をした。動いていると暑くなるので、途中でダウンベストを脱ぎ、ジャージの上着も身から外してしまった。そののち、"頼りない天使"を歌いながら服を着替える。先ほどアイロンを掛けたばかりの臙脂色のシャツに褐色のスラックス、上は久しぶりにグレンチェックの薄手のコートを羽織ることにした。鬱気の現れはじめていた昨年の三月に買ったものである。それで音楽を途中で止めてコンピューターをシャットダウンし、荷物をまとめて――コンピューターに山我哲雄『一神教の起源』、財布に携帯、そして郵便局の預金通帳である。金を下ろすつもりだったのだ――上階へ行くと仏間に寝そべっていた母親が大きな声でこちらを呼び止めて、郵便局に荷物を持っていってくれないかと言う。通販で買った父親のジャケットを、サイズが大きかったので返品したいらしい。了承し――父親は南の窓際に座って歯を磨いていた――玄関に置かれてあったピンク色の袋を持って一旦玄関を抜けたが、そこでポケットを探って鍵を忘れたことに気がついたので、室内に戻り、階段を下って部屋に行き、昨日履いたベージュのズボンのポケットから鍵を取り出して自分の身につけているズボンのポケットに移しておき、それでもう一度上階に上がって玄関を抜けた。
 午前中には少ない雲も際立つ晴れ晴れとした快晴の空だったが、今は曇っていた。しかし雲は薄く、空気は明るめである。坂に向かっていると前方から女性が一人歩いてきて、まだいくらか距離のあるところからあちらが会釈を送ってきたので、こちらも頭を動かし、こんにちはと挨拶をした。すると、大きくなったねえと言いかけた相手は、大きくなったなんて失礼かと取り繕って、お父さんに似てきたんじゃないと話を始めた。誰だかわからなかった。オレンジ色のマスクをつけて眼鏡を掛けた婦人で、顔の半分がマスクで覆われていたことも同定を阻んだのかもしれないが、しかし本当に見覚えがなかった。最初はNさんかとちょっと思ったのだが、顔や声や雰囲気が違うし、彼女なら久しぶりに会ったというような反応はしない。相手はこちらのことを、それも子供の頃から知っているらしいが、こちらはわからないままに、まあでも昔の写真とか見ると、勿論僕の方が似ているんですけど、面影あるなと思いますね、などと受けていた。お出かけ、と訊くのではい、と受け、気をつけて、風が強いからと言うのに礼を言い、失礼しますと返して別れた。坂を上って行くと確かに風が吹いて、それが林の表層をさらさらと撫でるような感じでなく、木々のなかを貫いて葉を強く吹き鳴らしていくような風情だった。
 帰ったら母親に、オレンジのマスクをつけた人を知っているかと訊いてみようと考えながら街道に向かい、北側に渡る。日向はないが、薄手のコートの下の肌はやや蒸すようで、汗の感覚が滲む。小公園の桜は満開のまま留まっており、見ているあいだには落ちるものもあまりなさそうだが、過ぎて隣家の敷地内にある畑の、コーヒーのような焦茶色の土の上には桜の花びらが点々と、人の手によって撒かれたように整然と散ってあたりを埋め尽くしていた。老人ホームの角を曲がって裏通りに入る。歩調が自ずと、ゆったりとしたものになっていた。空は背後の西から北側に掛けてはいくらか青さも見えるが、行く手の東から右方の南は薄雲がなだらかに、偏差をほとんど見せずに光のように広がり渡って、鏡のように平らかに塗られてあった。
 白猫とふたたび出会いたいものだと思いながら歩いていくのだが、件の家の前にその姿はない。残念がりながら過ぎて、青梅坂に出て通りを渡ると右折して表に出た。郵便局に寄るためである。局に入るとATMを過ぎて奥に入っていき、窓口にこれを送りたいんですが、と包みを取り出す。相手は包みの宛て先を読み取ったあと、返品か何かですかねと言うので、そうです返品ですとこちらは受ける。記録とか残らないですけれど、このままお預かりして良いですかと訊くので、お願いしますと頼んで、軽く礼をしてその場をあとにし、自動扉をくぐると脇のATMの前に立った。リュックサックを下ろし、通帳を取り出して機械に挿入、五万円を下ろした。着実に貯金が少なくなりつつある。さっさとふたたび働きはじめなければならない。金を財布に収めて通帳と財布をリュックサックに戻すと、局をあとにして、青梅駅に向かった。道中、ほかに特段に興味深かったことはない。
 駅に入って改札をくぐると、通路の途中でサラリーマンだろうかスーツ姿の中年男性が三人雁首揃えて雑談を交わしていた。こちらは通路を辿ってホームに上がり、ちょうどやって来た電車の、二号車の南側の三人掛けに腰を下ろした。オレンジ色のマスクの婦人のことを手帳にメモしておき、それから山我哲雄『一神教の起源 旧約聖書の「神」はどこから来たのか』を読み出すと、向かいの三人掛けに三人の男がやって来て、それが先ほど見かけたスーツたちである。聞き耳を立てるまでもなくその会話が耳に入ってくるのだが、何か文学賞の授賞式か何かの話をしているようだった。なかの一人が、招待状か何かだろうか真っ白な紙を一枚取り出してほかの二人に見せながら、浅田次郎がどうとか、途中から銀座のクラブのママたちがやって来て、あれはちょっと別世界だねとか話している。素性は知れないが、過去にも招かれたことがあるのだろうか。「吉川先生」という語が途中で聞かれたので、吉川英治記念館の関係者だろうかと思ったが――それともあの記念館はもう閉鎖されたのだったか?――どうもしっくり来ない。そのうちに発車した。最初のうちは三人は、変わらず授賞式か何かのことを話していたようだが、途中からそれが市議会選挙の話題に変わったらしかった。候補者の名前がいくらか聞かれたのだ。市長がどうとかも言っているので、市役所の職員なのかもしれないなと思ったが、真相は定かでない。
 本を読みながら立川まで揺られ、降りると壁に寄って本を引き続き読みながら階段から人が捌けていくのを待ち、二、三分経つと手帳に時間をメモして階段へと向かった。上って、人波のなかを歩いて改札を抜ける。引き続き人群れの一員と化して通路を行くあいだ、ここでも風が、人々の頭上を越えて正面、出口の方から渡ってきた。広場に出て、歩廊を辿って伊勢丹の方に向かい、その横を通り、歩道橋を渡って――ここでも風が横から吹きつける――高島屋へと向かい、ビルに入るとエスカレーターに乗った。下を見下ろしたり、逆に頭上を見上げたりして手摺り以外には身の周りに支えのない高さにちょっと股間を収縮させつつ、上階に上がっていき、淳久堂に踏み入った。早速思想の棚を見に行く。新刊を確認し、倫理学や公共哲学のあたりなどちょっと見ると、一旦その書架を出て隣に移った。太平洋戦争関連の書籍を瞥見してのち、さらに隣に移って、文学人類学を見分。さらに通路の奥に進んで行き、ホロコースト関連の書籍もちょっと見たが、欲しいものはどれも高いし、結局買っても積読本がありすぎてすぐには読めないからなあと意気を阻喪される。見分したのち、反対側の通路の口からふたたび思想の方に戻った。それで西洋古代から大まかにまた棚をなぞっていく。興味深い本はいくらもあって、小林康夫中島隆博の共著などちょっと欲しい気がするが、やはり今買ってもすぐに読めないからとの思考が働くし、貯金もいい加減少なくなってきているのであまり余計な金を使ってばかりもいられない。それで書架をしばらく眺めたあと、さっさと喫茶店に行こうと通路を出たが、その前に文庫の棚だけ見て行くことにした。それで区画を移動し、平凡社ライブラリー岩波現代文庫岩波文庫(このあいだ買ったルソー『告白』上中下がしっかり補充されていた――それで言えば思想の棚の方でも、アウグスティヌス『告白録』も、あんなに大部の本なのにやはり補充されていた)、講談社文芸文庫光文社古典新訳文庫など眺めたあと、見ていてばかりいても読めはしないのだからと棚のあいだを抜けて、エスカレーターに乗った。下って行きながら、やはりもっと本を読まなければなるまいなと思った。そのためには時間を作らなければならず、そのためには今日のようになるべく早く起きなければならない。それでビルを抜けると例によってPRONTOに向かうことにして、歩道橋を渡り(ふたたび風が横から吹きつける)、下の道へと階段を下る(背後から引き続き風が当たって来たが、そのうちに拡散してなくなった)。ビルのあいだの細道を抜けて通りに出ると、PRONTOに入店。カウンター裏の女性店員に会釈をしながら通り過ぎ、上階に行ってテーブル席の一つを取った。財布をリュックサックから取り出してポケットに入れ、下階に下って注文、ジンジャーエールは出来ますかと訊くと――カフェタイムのあいだは、店員によっては断られることがあるのだ――可能だとのことだったので頼み、Mサイズを選んで二九〇円を支払い、品物を受け取って上階に戻った。テーブルにトレイを置き、ソファ席の側に身体を入れて、コートを脱いで脇に丸めて置いた。そうしてジュースを飲みながらコンピューターを出し、起動させてEvernoteをひらき、早速日記を書きはじめたのが四時半直前だった。そこから一時間弱掛けてここまで綴り、現在時に追いついている。
 山我哲雄『一神教の起源 旧約聖書の「神」はどこから来たのか』を読みはじめた。例によって、電車内で読んだところをもう一度浚い、メモするべき箇所は手帳にメモを取る。それから新たな箇所を読み進めるのだが、左隣にはテーブルを二つ繋げて、四〇代くらいだろうか、一組の男女が座っていて、同僚らしく仕事の話をしていた。飲み会を控えているらしく、それまでのあいだにちょっと一服といった風情である。そのうちにもう一人現れてテーブルに合流したあと、あと二人やってきて全部で五人になるからとこちらの右側に移り、今度はテーブルを三つ繋げて六人掛けの席を作っていた。こちらは読書に邁進していたが、彼らの話し声が耳に入ってきてなかなか集中できなかったし、腹も減っていたのでラーメンを食いに行くことにして、五時五〇分で書見を切り上げた。そうして荷物をまとめてリュックサックを背負い、トレイを持って立ち上がり、手近にいた女性店員――先ほどはレジでこちらの注文を受けてくれた眼鏡の人である――にトレイを渡して礼を言い、階段を下りた。カウンターの向こうにいる男性店員が、ありがとうございますと掛けてきたのに対してこちらも同じ言葉を返すと、彼はさらに、お気をつけてお帰りくださいと気遣いの言葉を口にしてくれた。そうして退店し、裏道に入って「味源」に向かう。狭い入り口からビルに入って階段を上り、立て付けのやや悪い戸を左に引いて入店、風がよく入るので戸をきちんと閉めて、食券機に向かい合い、味噌チャーシュー麺を頼むことにした(一一五〇円)。六時頃だから空いているだろうと思っていたところが、店内は思いの外に結構混んでいた。かろうじて空いていたカウンター席に就き、女性店員に券を渡して、サービス券で餃子を頼んだ。そうして腰を下ろし、腕時計を外して水を汲み、一口飲むと何をするでもなくテーブルに肘をついて手を組み合わせ、ラーメンがやってくるのを待った。品物はすぐにやって来る。ありがとうございますと礼を言って受け取ると、割り箸を取って割り、スープを二口飲んでから、丼の外縁を埋めているチャーシューを汁に浸し、麺をモヤシや葱の下から掘り出した。そうして黙々と食べて行く。右隣は紙エプロンをつけた中年女性で、何やら辛そうな、赤いスープの麺を時折り声を漏らしながらゆっくりと食べていて、こちらが食べ終えてもまだ食っているくらいの遅さだった。麺を大方食べ終えると、蓮華を使ってスープをすくいすくい飲んで、底の方に残った細かな具も口に入れる。そうしてほとんど飲み干してしまうとさすがに満腹、水を口にして一息つくと、余計な時間は過ごさず席を立った。ごちそうさまですと店員に残して退店し、階段を下りて外に出ると、向かい風が吹きつける。そのなかを通りに出て階段を上って高架歩廊に乗り、通路を辿って駅舎に入った。人波の一員と化してなかをくぐっていき、改札を抜けると、視覚化された電磁波の姿形を思わせるような、常に動き回ってやまない網目のように入り乱れた人々の流れが目の前に広がっている。そのなかを通り抜けて一・二番線ホームに下り、二番線に停まっている電車の先頭車両――進行方向からすると最後尾――に乗り込んだ。扉際に立って、山我哲雄『一神教の起源 旧約聖書の「神」はどこから来たのか』を読みはじめた。そうしてじきに発車、道中、特段のことはない。創世記の冒頭において、神は「我々にかたどり、我々に似せて」人間を創造しようと告げる。「わたし」ではなくて「我々」なのだ。これは何故なのか、唯一神であるはずの神が何故「我々」という一人称複数を使うのか。それは、神が天の宮廷において傍らに控えている天使的な存在をもその言葉の内に含めて語りかけているからだ、というのがこの本の答えだ。人間が神の似姿であるということは、言うまでもなく、人間の神への「近さ」がそこでは問題となっている。そうした場面において、神が「わたしに似せて」と一人称単数を使うと、人間の存在が過大評価されすぎ、神に接近しすぎる恐れがあるので、文書の著者はあえて「我々」という曖昧な観念を導入し、神と人とのあいだに一定の距離を確保しようとしたというのだ。その傍証として、創世記において神が「我々」の語を使うほかの二箇所――アダムとエバが「善悪の知識の木」の実を食べてしまった場面と、バベルの塔を築いて神に挑戦しようとする人間の驕りを神が戒め、その言葉を混乱させようと語る場面――においてもまた、神と人間との距離が近づきすぎることが問題となっている。こうした主題的共通性への着目は、卓越した指摘であるように思われる。
 青梅に着くとちょうど七時頃、奥多摩行きは七時一五分発で既に入線済みだった。乗り換えてリュックサックを背負ったまま席に就き、前屈みになって本を読み続ける。そうしてじきに発車。最寄り駅に着くと腕時計を確認しながら降りて、ホームを進み、電灯の明かりのなかで手帳を取り出して読書時間をメモした。そうして駅を抜け、坂道に入る。風も走らぬ静寂のなか、足音をかつかつと響かせながら下って行き、通りに出ると小公園の桜が、この夜も電灯の白い光を掛けられてますます白く、純白に光りながら、ここでは風が少々流れて枝先を幽かに揺らがせていた。
 帰宅。台所にいた母親にメールを見なかったかと尋ねると、見なかったと言う。それでラーメンを食ってきたと告げると、鍋にしたのだとの返答があった。それから台所に入って、オレンジのマスクの婦人に話しかけられてと事情を話したが、母親もやはり誰だかわからないと言う。しかしこれはのちほど、自室にいる時に母親が戸口にやってきて、それはEちゃんのお姉さんではないかと教えてくれた。Eちゃんというのは近所に住んでいた、兄と仲の良かった年上の男性で、こちらも幼い頃に多少遊んでもらったはずだがもう記憶はない。そのお姉さんというのもこちらは全然面識がないと思うのだが、あちらではこちらのことを知っていたのかもしれない、何にせよ真相は不明である。
 入浴したのち、自室に戻ってくると八時、Mさんのブログとfuzkue「読書日記(129)」を読んだあと、「記憶1」から音読を行った。中国史の知識など。安史の乱=七五五年を手帳にメモ。そうして時刻は九時、ここから手帳にメモした事柄を復習したり、インターネットを回ったりして一〇時二〇分に至ったところでベッドに移り、ふたたび書見に入った。零時二〇分まで続くが、寝そべっていたので、最後の方では多少意識を失っていたようだ。それからちょっと遊んで、一時一〇分からふたたび読書を進め、二時五分を迎えて本を置き、睡眠に向かった。


・作文
 6:25 - 6:43 = 18分
 12:41 - 13:05 = 24分
 16:28 - 17:19 = 51分
 計: 1時間33分

・読書
 8:19 - 12:04 = 3時間45分
 13:15 - 13:22 = 7分
 14:52 - 15:27 = 35分
 17:20 - 17:50 = 30分
 18:23 - 19:17 = 54分
 20:03 - 20:56 = 53分
 22:20 - 24:20 = 2時間
 25:10 - 26:05 = 55分
 計: 9時間39分

  • 川上稔境界線上のホライゾンⅣ(上)』: 474 - 671(読了)
  • 山我哲雄『一神教の起源 旧約聖書の「神」はどこから来たのか』: 148 - 264
  • 「記憶2」: 151 - 152
  • 「記憶1」: 53; 54 - 66
  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2019-04-07「足元の虫けらを避けて歩くがおれは来世に期待してない」; 2019-04-08「鎮魂は出会い頭の待ちぼうけきみがいた町いない町との」
  • fuzkue「読書日記(129)」

・睡眠
 0:20 - 5:40 = 5時間20分

・音楽

  • FISHMANS『Oh! Mountain』
  • Antonio Sanchez『Three Times Three』

2019/4/10, Wed.

 一〇時二〇分起床。もっと早く起きられたはずだが、その時間まで身体が持ち上がらなかった。身を起こすと窓の外で雪が降っていて、結構な降り方で既に積もっていたので驚かされた。四月に雪が降るなどというのは何年ぶりだろうか。上階に行き、寝間着からジャージに着替えながら、しかし降雪のわりに冷え込みはそこまででもないなと思われた。台所に入り、冷蔵庫から昨夜の残り物、鶏肉と茸とコーンのソテーに、汁物を取り出す。ソテーは電子レンジに、汁物は焜炉の火に掛けて温め、米をよそって卓に就いた。母親は不在、車の有り無しを見ていないが、父親が今日退院するはずなので病院に行っているのかもしれない。新聞を瞥見しながら一人黙々とものを食べ――咀嚼している最中に、唇の裏側、左下を噛んでしまい、ちょっと傷をつけてしまった――抗鬱剤ほかを飲むと、食器を洗って下階に下りた。自室に戻ってコンピューターを立ち上げるとTwitterとnoteを確認し、それから日記を書き出したのが一一時過ぎである。ここまで綴って一一時二二分。
 前日の記事をブログに投稿。noteにも投稿しておき、その後、正午前からMさんのブログを読みはじめた。流している音楽は今日も今日とてFISHMANS『Oh! Mountain』。メロディを口ずさみながら二日分を読み、続けてfuzkueの「読書日記(129)」も二日分、三月二三日土曜日まで。そうして「記憶」記事音読である。まず最新の五項目ほどを読んだあと、「記憶1」の方に戻って、四七番から五二番まで。三宅誰男『亜人』の、「生きるということは期せずして奏でられる音楽であった」との文言が含まれる一節は美しい。また、「週刊読書人」上に掲載されていた宮台真司ほかの鼎談から、ジョナサン・ハイトという道徳心理学者の説を援用した木村忠正『ハイブリッド・エスノグラフィー』の指摘を改めて手帳にメモした。ハイトによれば人間には六つの「感情の押しボタン」がある。弱者への配慮、公平への配慮、聖性への帰依、権威への忠誠、伝統の尊重、自由の尊重がそれだが、リベラルな人々はこのうち、聖性・権威・伝統といった集団尊重価値への反応が平均より極端に低いらしい。だから、仲間内の集団価値よりも普遍主義的な価値の方を尊重するリベラルは元々例外的な人間なのであり、特殊な条件がなければ彼らが多数派になることはない。戦後にリベラル的な価値が優勢になったのは、大戦への反省と資本主義の例外的期間が重なるという特殊条件があったためで、その期間に抑圧されていた人間の自然感情に従う多数派がバックラッシュしているのが現在の状況だろうとの議論だ。
 「記憶」記事を読んで一時直前に至ったところで――音楽は途中からAntonio Sanchez『Three Times Three』を流していた――一旦上に上がった。母親が帰ってきていた。父親が今日退院なので、金を下ろしに行っていたのだと言う。食事はおじやと里芋があると言ったが、さほど腹が減っていなかったので、チョコチップメロンパンの半分だけを貰って下階に戻った。この頃には雪は既に雨に変わっていたと思う。メロンパンを食いながらコンピューターを前にし、その後、一時二〇分過ぎから読書を始めた。山我哲雄『一神教の起源 旧約聖書の「神」はどこから来たのか』である。まず昨晩読んだところを読み返しつつ、古代イスラエル人の歴史的推移についてや、旧約聖書のエピソードなどを断片的にメモした。それから新たな部分を、やはりメモを取りながら読み進める。「出エジプト」のもととなった出来事というのは、どうやら旧約聖書に記述されているような数十万人の民族単位の莫大なものではなかったらしいというのが、最新の学説のようである。イスラエル民族が外部から一団となってパレスチナに侵入したという証拠はなく、「イスラエル」はパレスチナの内部で漸進的に形成されたらしい。エジプト側の史料でも、前一三世紀頃に大量の奴隷が脱出したという記録は見当たらない。そこから推測されるに、おそらく「出エジプト」のもととなった出来事というのは、エジプト側にとってみれば国家の記録に残す価値もないような些細な事件だったのだろうとのこと。
 読み進めて『Three Times Three』も最後の"I Mean You"が終わり、切りの良い箇所まで進んだところで本を置き、読書時間を記録して上階に行った。風呂を洗わなくてはならなかったのだ。退院に関しては父親から連絡が入ったのちに向かうことになっているのだが、その連絡がいつまで経っても来ないと言う。足の包帯を外してきちんと歩けるかどうか確認してからだというが、もしかすると神経の接合などうまく行っておらず、入院が伸びる可能性も皆無ではないようだ。風呂を洗ってしまうと居間に戻り、炬燵テーブルの端にアイロン台を出して、シャツ二枚にアイロンを掛けた。そうして下階に戻ってくると日記をここまで書き足して二時五〇分。
 三時を回った直後からふたたび山我哲雄『一神教の起源 旧約聖書の「神」はどこから来たのか』を読みはじめた。コンピューター前の椅子に就き、時折り手帳にメモを取りながら読み進めて一時間が経過した。上階に何の動きの気配もないところからして、父親からの連絡は一向に入ってこないようだ。一旦読書を中断して上階に確認しに行くと、母親はちょうどスマートフォンを弄ってLINEを見ていて、そこにこれもちょうど父親が退院OKが出たと送ってきたので、やはり行くようだと相成った。それで下階に戻り、手帳に読書時間を記録しておき、cero "Yellow Magus (Obscure)"が流れるなかで服を着替えた。誰に会うでもなし、ベージュのズボンに上は地味な黒っぽい紺色のシャツ、上着は雪が降って寒いのでさすがにモッズコートである。クラッチバッグに財布や携帯、本にcero『Obscure Ride』のCDを入れて上階へ、トイレに入って排尿したのち、母親とともに玄関を抜けた。傘を差さずに冷たい雨のなかに踏み出し、父親の真っ青な車の助手席に乗り込む。母親がケツメイシのCDをシステムに挿入しようとしていたが、乗車しているあいだずっとあのような音楽を聞かせられては堪らない、cero『Obscure Ride』のディスクを代わりに入れた。
 道中、格段に興味深い出来事はない。時折りceroの音楽に合わせて口ずさみながら揺られた。車の上には雪がいくらか積もっていて、後部の窓の先がそれで見えないのを母親は不安がって、信号で停まった時などこちらに降りて雪を払うように促してくるのだが、赤信号が灯っている僅かなあいだにそんなにすぐぱっと動けるものでもなし、聞き入れずに車内に留まった。こちらは例によって、車のなかの空気と相性が悪くて道中少々気持ち悪さを感じていた。
 四〇分かそこら走って高月整形へ到着。駐車場が空いておらず、母親はこちらに先に降りるように促してきたので、荷物を入れるための袋――あれは不織布というものだろうか?――を持って雨のなかに降り立った。医院に入り、受付の前を過ぎ、席に座って番を待っている人々のあいだ、廊下を通って階段に向かい、二階に上がった。階段口の脇に面会人が記入する用紙や首から下げる札が用意されているが、退院するのだし別に書かなくても良かろうと払って廊下に入ったところで、そう言えば病室が変わったのだったと思い出した。それでナースステーションに寄って窓を開けようとすると、この窓は鍵が掛かっていて動かなかったがなかの一人が出てきてくれたので、F.Yの病室を教えてほしいんですがと告げると、一〇号室、突き当たりを右に曲がって左側だという説明があった。礼を言ってその場を離れ、廊下を辿って室まで行くと既に身支度を整えた父親がいたので挨拶し、室内に入った。患部の左足はビニール袋で包まれており、歩き方はいくらかびっこを引くようなと言うか、やや覚束ない、ゆっくりとしたものだった。まとめてあった衣服や本など、こまごまとしたものを持ってきた袋に収め終わると、母親がやって来た。靴やスリッパもビニール袋に収めて、それで退室である。エレベーターの前まで行ったところで父親が母親に、ナースステーションに挨拶してきてくれと言う。それに従って母親は歩き出し、廊下の途中にいた看護師にお礼を言い、父親もやや距離を置いて礼の言葉を述べ、こちらも会釈をし、近寄ってきたナースにはありがとうございましたと頭を下げた。それで母親が戻ってくると、車椅子を運んでいるナースの一人と一緒にエレベーターに乗って一階に下り、下りたところで父親が荷物を車に積んできてしまえと言うので、彼を置いて母親と二人で医院の外に出た。冷たい雨が降り続いていた。母親が遠くに停めた車を回してくるのを待ち、やって来ると雨に打たれながら荷物を後部座席に積んで、医院のなかに戻ると父親は会計の番を待っている。座ればと勧められるのも意に介さずその傍らに立ち尽くしてこちらも待っていると母親がやって来て、売店に代金を払ってきてくれと父親が頼むので、母親のあとについてそちらに行った。売店の店員は穏和な感じの高年になりかかった女性だった。母親が代金を払ったあと、こまごまとした追加的な費用はここに含まれているのかと質問して、売店の人もわからずに受付に聞きに行ってまたちょっと待つ時間があったのだが、このあいだの経過は詳しく書くのが面倒臭いしどうでも良いことでもあるので割愛する。最終的に問題なく支払いを終えて、医院の外に出て、母親が車を回してきたのに乗り込んだ。今度は助手席は父親が取り、こちらは後部座席である。
 そうして帰路へ。途中、コンビニにでも寄って唐揚げか何か買って帰ろうということになっていた。羽村の堰の桜を見ながら帰ろうかということでそちらのほうへと進路を取る。道中、格段のことはない。羽村の水路沿いに着くと、立ち並ぶ桜の木がどれも満開に、薄紅色に咲き乱れていたが、こちらの乗っている後部からは窓が曇っていてよく見えなかった。
 車に乗っているあいだというのは動きがないから書くことが全然ない。河辺のセブンイレブンに寄った。動きづらい父親に代わってこちらは、青汁か何か注文したその代金を払うように言いつかって、用紙と五千円札一枚を貰って母親とともに店内に入る。すぐに空いていたレジに向かって、お願いしますと用紙を差し出した。店員は女性で、「C」さんという中国の人だった。最初ちょっと戸惑ったような風に見えたが、問題なく用紙を読み込んでくれて、こちらは五千円札で二千いくらかを支払い、釣りを貰うとそれをモッズコートの左のポケットに突っ込んで、礼を言って店内を回っていた母親と合流した。母親は甘辛い手羽先か何かを買いたかったらしいが、それはこの店舗には置いていないようだった。甘味を買っていくかと言うのでこちらはプリンを選び、サラダも買う予定だったものの、いざ棚を目の前にすると大根があるから良いかとなって、それで会計、こちらもレジに寄ってやはり外国人の男性店員に唐揚げ棒を三つ、と右手の指を立てて三の数を示しながら注文した。店員は、「M」という名前だった――何人だかわからない。何となくインドあたりの人かと思ったのだが、定かでない。彼はてきぱきとした動きで唐揚げ棒を三つ、細長い袋に入れ、その他の品物を一つのビニール袋に入れて母親に渡したあと、温かいものは分けますと言って唐揚げ棒三つの口をテープで留め、それらをもう一つの袋に入れてこちらに渡してくれたので、礼を言って受け取った。それから釣りを貰った際にも正面からありがとうございますと礼を言って退店すると母親が、偉いねえと漏らす。外国からやって来てああやってコンビニで働いて、と。確かに、コンビニの仕事というのはやることが様々あるし、客だってそう親切な人間ばかりでなくてスピードと正確性が求められるので、こちらなどにはとてもではないが出来ない、大変な仕事だと思うのだが、言葉にもそこまでは習熟していないであろう外国の人がそれをやるのだから凄いものだ。
 そうして車内に戻り、父親に領収書と釣りを渡し、発車した。帰る道中、やはり格段のことはないが、父親の母親に対する当たりがやはり時に強くなるのがちょっと気には掛かった。父親はこちらが病気になって以来、こちらに対する接し方は穏やかで、何かと気を遣ってくれて有り難く、この日も帰宅して荷物を運び込んでいる際に、今日はありがとうと言葉を掛けてくれもしたのだが、母親に対しては彼女の言動の端々に突っかかって声を荒げることが折々あって、端から見ていると思春期の青年の反抗のようなのだが、もう少し母親に対しても穏やかに当たってほしいものだと思う。こちらに礼を言ってくれるのだから、同じように母親にも感謝の念を示すべきなのだ。
 ともかく帰宅して、荷物を室内に運び込んだ。玄関に持っていった荷物をさらに居間へ、そこからさらに仏間へと移しておき、母親が外で駐車するのを見守ったあと――別にこちらに後ろを見てもらわなくとも、車のシステムで外壁までの距離はおおよそわかるはずなのだが――自室に戻って服を着替えた。そうして上階に行き、台所に入ると流し台の物受けに溜まった生ゴミを、シーフード・ミックスの空き袋に収める。物受けの底にこびりついたものも右手の指でつまみだして入れておき、袋の口を閉じると台所の隅に置いてある黄色いバケツに封じた。それから石鹸を使って手を洗い、茹でられていたモヤシを笊に上げるとともに、食器乾燥機のなかを片付ける。父親はテーブルの方でシャワーを浴びる準備をしていた。患部を濡らしてはいけないので、そこをラップで覆った上から袋に入れるのだ。こちらは台所に立ち、湯の沸いたフライパンにパスタを投入し、麺が柔らかくなるのを待った。母親が和えた野菜と合わせてサラダにするのだ。待っているあいだは手帳を持ってきて、メモしたことを復習していたのだが、父親が風呂に行く気配を見せたので、先回りして洗面所への扉をひらいておき、洗面所の片隅に置かれていた掃除機が邪魔臭いので躓かないようにと端に寄せておき、洗面所と風呂場の明かりを点けた。それからフライパンの前に戻って手帳をひらくのだが、母親が寒いだろうとストーブを洗面所に持ち込もうとするのに父親が、いらないって言ってるだろ、と声を荒げて、このあたりがやはりまるで反抗期の青年であるかのように映る。その後こちらは手帳を見ながらパスタが茹だるのを待ち、一方でカレー――書き忘れていたが、母親が三時頃、出かける前にカレーを既に拵えておいてくれたのだ――も加熱し、パスタが柔らかくなったところでそれを笊に上げておき、あとは母親に任せるかということで下階に下った。七時を回ったところだった。それからThe Band『The Last Waltz』を背景に日記を綴って現在八時直前だが、途中で画面の右下の時刻表示を見やった際に、七時五〇分に達しているのを見て、体感時間と時間の過ぎようが一致せず、もうこんなに経ったのかと驚いた。特段に興味深いことなどなかったはずなのに、いつの間にか四〇分だかそこらもの時間を掛けて綴っていたのだった。日記を書いていると時間が過ぎるのが早い。
 食事を取るために部屋を出て上階へ行った。両親は既に食事を済ませていた。台所に入ってカレーを火に掛け、唐揚げ棒を袋に入れたまま電子レンジで加熱し、その他パスタサラダやスチームケースで加熱した南瓜である。卓に就いてものを食べる。父親は、包帯を巻いている患部の左足に履ける大型の靴下を求めているようで、こちらにももう伸びてしまったような靴下はないかと訊いてきたのだが、そう都合よく持ってはいない。母親は風呂敷でも巻いておけば良いじゃないと言って、布の小袋のようなものを持ってきていた。食事を済ませると八時半頃である。母親と分け合って甘味も食べて薬を飲み、食器を洗うと風呂に行った。それほど長くは浸からずに出てくるとすぐに自分の居場所である下階に帰る。
 九時半から、「ダークウェブよりヤバい「普通のウェブ」」(https://ascii.jp/elem/000/001/832/1832059/)を読みはじめた。例によって興味深い部分に関しては手帳にメモを取りながら閲覧する。

── 新反動主義はどこから生まれたものなんですか?

 もとはカーティス・ヤーヴィンというシリコンバレーのスタートアップ起業家が作った思想です。カーティス・ヤーヴィンはトロンというソフトウェア会社でユービットというソフトを作り、既存のクライアントサーバモデルによらないP2Pベースのインターネットプロトコルを開発していました。そこに出資していたのがピーター・ティールです。

 ピーター・ティールは2009年、シンクタンク機関誌「カトーアンバウンド」に自身のリバタリアニズム観について書いていて、そこで「自由と民主主義が共存できるとはもはや信じていない」と言っている。同時期にカーティス・ヤーヴィンもブログで言論活動をしていて、彼が唱えていたアンチ民主主義の思想が新反動主義と呼ばれるようになる。

 そして、彼らの思想を発展継承させたのが、ニック・ランドというイギリスの哲学者。彼が2012年にオンライン上で発表した文章が「暗黒啓蒙」です。

── 暗黒啓蒙はどんな内容なんでしょう。

 第一章では、ピーター・ティールの「自由と民主主義は両立しない」というテーマから出発して「腐敗した民主主義からイグジット(脱出)する」というリバタリアンのプロジェクトとカーティス・ヤーヴィンの政治思想を紹介しています。海上自治国家を作るプロジェクトにピーター・ティールも出資していますが、それらには明確な政治システムのビジョンがあるわけではなかった。そこで、イグジットした先のビジョンを見通していたのがカーティス・ヤーヴィンだというんですね。

 ヤーヴィンがどういうことを言っているかというと、要するに「民主主義はすべてやめて国家は企業のように運営されるべきだ」というんです。君主のような人間がトップについて全部を切り盛りする。そういう都市国家を乱立させて別の都市国家に自由に移れるようにする。すると都市国家どうしが競争原理で発展するから、資本主義の原理で国家を運営すればいいんじゃないかと。

 第二章以降では、カテドラル(大聖堂)という造語を導入してリベラル民主主義批判を始めます。民主主義はポピュリズムにまみれていて規制も激しく、リバタリアンからすればディストピアのようだ、今のような状況になったのはフランス革命啓蒙思想に端を発していて、平和、平等、博愛といった伝統がピューリタンの思想に結びついて、いまなお教育機関や主流メディアにはびこっているというんですね。そういったエスタブリッシュメントが奉じるリベラル思想のネットワークを、カテドラルと名づけて批判しています。

── オルタナ右翼の人々が排他的な思想をもちながら、自分たちが同じ白人から排除されたら反発するという部分には矛盾も感じます。

 排除されているからこそ白人というアイデンティティにしがみつくのかもしれません。ヨーロッパ発祥のアイデンティタリアニズムという、自分たちの人種や民族や文化を守るという白人ナショナリスト運動があります。それはもとをたどれば1980年代にリベラル左派がやっていたアイデンティティポリティクスの裏返とも言えます。黒人や同性愛者などのマイノリティがアイデンティティを主張する運動でしたが、いまや白人が白人であると主張するようになった状況です。

 これについて、マーク・リラという政治思想学者は「左派のアイデンティティポリティクスの失敗がオルタナ右翼ドナルド・トランプを生んだ」と言っていますね。それぞれのアイデンティティを主張することで生まれたのは、連帯ではなく分断だけだった。リベラル左派は結局普遍的な価値観を生み出すことができなかったんだと。

 そうして時刻は一〇時、ヘッドフォンでThe Band『The Last Waltz』を聞きながら書見に入った。川上稔『境界線上のホライゾンⅣ(上)』である。三〇分ほどそれを読んだのち、山我哲雄『一神教の起源 旧約聖書の「神」はどこから来たのか』に移る。一一時頃には音楽も終わって、ヘッドフォンを外し、ベッドに移って身体に布団を掛けながら引き続き読み進める。旧約聖書や歴史書に含まれている人名の調査からわかることだが、イスラエルおいて本来崇拝されていた神は「エル」というもので、ある時点でそこにヤハウェが伝えられてきてエルと習合・同一視されたらしい。
 零時過ぎまで読み進めたあたりで、目もひりついてきて良い具合に眠気も差してきたので、零時一六分で切りとして本を置き、明かりを落とした。


・作文
 11:07 - 11:22 = 15分
 14:28 - 14:50 = 22分
 19:07 - 19:57 = 50分
 計: 1時間27分

・読書
 11:52 - 12:56 = 1時間4分
 13:24 - 14:12 = 48分
 15:02 - 16:12 = 1時間10分
 21:33 - 21:56 = 23分
 21:59 - 24:16 = 2時間17分
 計: 5時間42分

  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2019-04-05「解体しそこねた愛の痕跡は日付も記名もない日記だ」; 2019-04-06「不時着の数だけ増えるものがあるそれが何なのかは分からない」
  • fuzkue「読書日記(129)」: 3月23日(土)まで。
  • 「記憶2」: 148 - 152
  • 「記憶1」: 47 - 52
  • 山我哲雄『一神教の起源 旧約聖書の「神」はどこから来たのか』: 68 - 148
  • 「ダークウェブよりヤバい「普通のウェブ」」(https://ascii.jp/elem/000/001/832/1832059/
  • 川上稔境界線上のホライゾンⅣ(上)』: 402 - 474

・睡眠
 2:00 - 10:20 = 8時間20分

・音楽

  • FISHMANS『Oh! Mountain』
  • Antonio Sanchez『Three Times Three』
  • The Band『The Last Waltz』

2019/4/9, Tue.

 一一時まで起きられない。糞である。早い時間から目を覚ましてはいるのだが、どうしても起き上がることができない。ベッドを抜けて上階へ。母親は着物リメイクの仕事に出かけている。服をジャージに着替えて台所に入り、冷蔵庫から味噌汁の残りとコロッケを取り出す。それぞれ温めて、米をよそって卓へ。コロッケにソースを掛け、細かく千切りながら白米と一緒に咀嚼する。新聞からはルワンダ大虐殺関連の記事を読み、食事を終えると卓上にあった小さなチョコレートを二枚賞味し、水を汲んできて抗鬱剤ほかを服用した。それから台所に移って食器を洗い、便所に行って放尿すると下階に下りて自室に入った。コンピューターを起動させ、Evernoteを立ち上げて前日の記録を付けるとともに、この日の記事も作成し、睡眠時間を記録した。一〇時間弱に及んでおり、明らかに床に留まりすぎである。どうにかして、もう少し早起きして睡眠時間を減らすことができないだろうか。そうして一二時過ぎから日記を書き出した。前日はだらだらと怠けてしまったので、生活に関しては書き足すことがほとんどない。ムージル『特性のない男』の感想と言うか、簡単な要約のようなものを綴っておき、モースブルッガーの滑稽さを表した部分を引用して完成、それからこの日の記事も書くと、思いの外に時間が掛かっていて、既に一時前に達している。BGMのFISHMANS『Oh! Mountain』は既に終わってしまった。
 前日の記事をブログにアップしたあと、Antonio Sanchez『Three Times Three』を背景に一時間ほどだらだらと過ごしておよそ二時に至った。上階へ行くと、何やら食欲をそそる良い香りが室内に漂っていて、帰ってきて洗面所にいた母親に訊けば、ラザニアの匂いだと言う。たまには食べてみたくて、冷凍のものを買ってきたらしい。それでこちらもそれを昼食に頂くことに決めながら、浴室へ行って風呂を洗った。背を丸め腰を曲げて前屈みになりながらブラシで浴槽の壁を擦り、シャワーで付着した洗剤を流しておくと台所に出て、冷凍庫から件のラザニアを取り出し、電子レンジに突っ込んで六分間の加熱をセットした。加熱を待っているあいだには居間の方に行き、屈伸をしたり開脚したりと下半身をほぐしながら時間を潰す。母親は炬燵テーブルに向かって、兄夫婦に送る荷物の宛て先を紙に記入していた。六分が経って台所に芳しい匂いの立ち籠めはじめた頃、電子レンジに寄って中身を取り出し、スプーンとともに両手で持って卓に運んで、熱々の料理を少しずつすくって口に運んだ。食べ終えると容器を流しで洗って始末しておき、下階に戻る。
 図書館に出かけるつもりだった。『Three Times Three』の六曲目、テーマがちょっと変則的なブルースである"Rooney And Vinski"が流れるなかで服を着替える。ベージュのズボンに白シャツ、上着は紺色のジャケットである。ジャケットを羽織ると手帳を胸ポケットに入れておき、音楽が一曲終わるまで流すとコンピューターをシャットダウンして荷物をまとめた。そうして上階へ行くと、母親が荷物を運んでくれと言う。彼女も再度出かけて郵便局に行き、兄夫婦へと荷物を送るのだ。それでついでに乗っていきなよと頻りに誘うのだが、歩きたいからと言ってこちらは固辞した。低い戸棚の上に畳まれてあったハンカチ――Brooks Brothersのもの――を一枚取って尻のポケットに入れ、玄関に出ると布袋に入った荷物を二つ手に提げて、車の鍵を持った母親とともに外に出る。そうして父親の真っ青な車に近づき、荷物を後部座席に入れておくと、それじゃあこちらは図書館に行くからと言って歩き出した。母親は、わかった、気をつけてねと受けたので、はいと返して道に出た。
 柔らかく滑らかな春の風が流れていた。前も後ろも雲はひとひらも見当たらず、清涼な青さが広がって満ち満ちており、振り仰げば午後二時台の太陽が右手で庇を作った瞳にもまばゆい。坂を上っているあいだも左手の林の上の方から、風が流れて竹が左右にゆっくりと揺られて葉の擦れ合う音がさらさらと落ちてきた。
 ムージルのことを考えながら歩いていて、ふと視線を上げると、Tさんの奥さんが物干しスペースに出て洗濯物を取り込んでいるところに目が合った。どうも、と頭を下げて、こんにちはと続けると、歩くのに丁度良い気候になってきて、と返されたので、そうですね、暖かくて、と受けて、行ってらっしゃいと告げられるのにはいと答えて家の横を過ぎた。街道に出る頃には早くもジャケットの裏の腕に、ぷつぷつと、点々と汗の感覚を覚える。
 小公園の桜の木は満開を迎えており、白さを枝の先まで充実させて、気力はまだまだ満ちているようで、風が流れて上下左右に花を振られても零れるものは乏しい。しかし通り過ぎざまに公園のほうを覗くと、散ったものが点々と地面を彩っており、端のほうには砂糖を撒き散らしたように溜まっているところもあった。
 背の低い桜の生えている老人ホームの角を曲がって裏通りへ入ると、ここにも日向は隈なく敷かれてあって、細い電線の影が霞むような横溢ぶりである。前方には男子高校生の五、六人固まったのが、いかにも若者らしく大きな声で話しながらゆるゆる歩いている。途中で突然風が盛って正面から顔にぶち当たってくるそのなかで、踏切りの赤いような警報音が始まった。先日出くわした白猫がまたいないかと、当該の一軒の近くに来るとあたりをきょろきょろ見回すのだが、姿はなく、残念な気持ちで歩んで行けば、もう花を完全に落としきった白木蓮の枝から薄緑色の新たな葉が萌え出でていた。
 梢のなかに茶色のいくらか混ざりつつも軽い緑で統一された背の高い広葉樹が、風に触れられてさわさわと鳴りを立てている。背後からやって来た女児が一人、ぱたぱたと足音を立てながら駆けてこちらを抜かして行く。梅岩寺の枝垂れ桜に視線を送って過ぎ、駅前へと続く道を行っていると、小さな社の敷地に生えた桜の、花のなかにもう葉も生えていて白に緑の色が混ざったものを見上げている婦人がいた。
 駅に入ってホームに上がり、先頭車両の方へ向かうと、視線の先に西洋人の一団が固まっており、なかに一人幼児が連れられている。その脇を過ぎて、二号車の端の位置に佇み、向かいを見れば小学校の校庭の縁に桜がいくつも立ち並んで、空の雲が地上に落ちて宿ったかのような不定形の、薄紅混じりの白さを宙に漂わせて棚引くように連なっている。校庭の端の方では、今日はおそらく入学式でもう放課後だろうか、小学生らが集まってざわめきを立てていた。空の方はと言えば相変わらず雲は生まれる余地のない青空で、それを見上げるとどこまでも視線が吸い込まれていくその空漠に平衡感覚が乱れてきそうで、股間のあたりが収縮するような不安がちょっと湧いた。
 やって来た電車に乗って三人掛けに腰を下ろすと、目を瞑って発車を待つ。午後三時八分の発車を迎えても目を閉ざしたままでいると、温暖で安穏な空気に心地良く浸るようで動くのが億劫で、このまま立川まで行ってしまおうかと俄に思った。しかし行けばどうせ本屋に行く、本屋に行けば買いたくなるが、買っても積んである本がいくらもあって、しかも現在『特性のない男』などという大長篇に取り掛かっている最中で、今すぐには読めない。そういうわけで余計な金を使うまいとやはり図書館に行くべく河辺で降り、風の流れるエスカレーターを上がると、改札の向こうに、定期券を買う人々だろう横並びに行列が出来ていた。その先頭の前を過ぎて歩廊に出て、陽に照らされながら図書館に渡った。
 CDの新着を見ると、Marc RibotVillage Vanguardでのライブ盤などあってこれには興味を惹かれるが、ひとまず借りずに上階に向かった。新着図書には、ポーランドユダヤ人についてのみすず書房の本とか、河出文庫に入ったボフミル・フラバルの著作とか、岩波文庫井筒俊彦神秘主義の哲学についての本とか、いくつか興味深いものは見られた。新着図書を確認すると書架のあいだを抜けて大窓際に出るが、そちらの方の席に空きは見つからない。やはり立川に行くかと思いながらもテラスの方に行くと、こちらは結構空いていたので立川行きは却下して、一番端のテーブルに就いた。コンピューターを取り出し、起動スイッチを押して、パスワードも入力しておいてから席を立って、文庫の棚の英米文学をちょっと見分した。W・アーヴィングや、ヘンリー・ジェイムスあたりが少々気になるものだ。それから席に戻って日記を書き出したのが三時半過ぎ、ここまで四〇分ほどで綴り終えて、四時を四分の一回っている。
 加藤二郎訳『ムージル著作集 第一巻 特性のない男Ⅰ』を読む。一〇頁ほどしか残っていなかったので、まもなく読み終える。そうしてそのまま書抜きも行ってしまうことに。席を立ち、背後の柱と文庫の書架のあいだを抜け、全集の棚を見分し、ボルヘス編集の『バベルの図書館』の分厚い六巻目――ラテンアメリカや中国、アラビア文学の巻――を持ってきて、それでもって『ムージル著作集』の頁を押さえながら打鍵を進めた。黙々と手指を動かして一時間、六時になる前には『ムージル著作集 第一巻』の書抜きを終わらせることができた。印象的なのはまず冒頭の、「千百の音響」が重なり合った激しくざわめく街の騒音を「針金の束」に喩えているウィーン市の描写である。それと、ウルリヒが人間すべてに共通なものとして、愚かさ、金、宗教的な記憶の三つを挙げているアフォリズムめいた発言。その二つを改めてここに引用しておこう。

 自動車は、狭くて深い通りから抜け出して、明るい広場の浅瀬に向かって殺到していた。雑踏する歩行者たちの黒い流れは、ひも状の雲の形をしていた。このだらけて急ぐ雲の流れを、より強力な速度の線が横切るところでは、それは一時凝集し、やがて急速にさらさら流れ出し、そして少し弾みをつけたあとで、ふたたび元の一定のリズムを取り戻していた。千百の音響がよじり合わされて騒音の針金の束となり、そこから尖った切っ先が数本飛び出し、それに沿って鋭い先端がいくつか走り出してはまた引っ込み、明るい響きがそこからはじき出て飛び去っていった。この騒音を聞けば、その特色が述べられなくても、またここ何年も不在であった男が目を閉じていても、自分が首都にして帝都であるウィーン市にいることを聞き分けたことだろう。都市は人間と同様にその足どりで聞き分けられるものなのだ。(……)
 (加藤二郎訳『ムージル著作集 第一巻 特性のない男Ⅰ』松籟社、一九九二年、9)

 (……)ウルリヒは率直にいった。「世の中には何千という職業があり、人間はそれに没頭しています。そこに彼らの賢さがあるのです。しかしそうした彼らが、普遍的に人間的なもの、人間のすべてに共通なものを求められると、結局三つのものしか残りません。愚かさと、金と、わずかばかりの宗教的な記憶だけです!」。(……)
 (213)

 さて、書抜きを済ませたあとは、山我哲雄『一神教の起源』を新しく読みはじめた。これは二一日に控えている読書会の課題書であり、『特性のない男』を中断しても読まないわけには行かない。ムージルに比べると読みやすいことこの上ない。この時新たに、少しでも気に掛かった箇所は手帳に短くメモを取りながら読むという方式を試してみた――と言うか、何故か自ずとそうした方法を取っている自分がいた。ペトロやパウロユダヤ人であるとか、ムハンマドは商人だったとか極々基礎的な知識から始まって、「一神教」の類型なども興味を惹かれた部分は大まかにメモしていく。後者の分類には例えば拝一神教(monolatry)というものがあって、これは複数の神の存在をそれそのものとしては認めるが、崇拝の対象としてはただ一つの神に対して祈るというもので、日本人である我々に親しいところで言えば浄土教がこれに当たる。浄土教は釈迦如来など諸仏の存在を否定はしないが、救いを求めて念仏を唱えるのは阿弥陀仏に対してのみなのだ。一神教にはこのほか、単一神教(henotheism)とか、全部で五つほどの分類が紹介されていて、我々が通常「一神教」と言ってイメージするユダヤ・キリスト・イスラームの三つは正確には「排他的一神教」あるいは「唯一神教」と呼称されるようだ。現代においてはその唯一神教のうち、キリスト教徒は二二億人、イスラーム教徒は一六億人いるとされ、この二つの宗教だけで世界人口の半分を越えている(ちなみにユダヤ人は一五〇〇万人ほどと推計されているようだ)。現代世界の二人に一人以上が一神教徒であるわけで、それに対して二〇〇〇年前の古代においては、諸宗教のおそらく九九パーセントまでは多神教だったと言うから、一神教の凄まじい、恐るべき浸透力が窺える。一体どうしてそこまで普及したのだろうか?
 一時間ほど読んで七時直前に至ると帰ることにして席を立った。フロアを移動して、日本文学の棚から古川真人『四時過ぎの船』を手に取る。そうしてフロアの端まで歩いて行き、哲学の棚からは木田元『哲学散歩』に、斎藤慶典『哲学がはじまるとき』を取って三冊を貸出手続きした。これらの本たちは以前読んで既に返却しておいたものなのだが、それを改めて借りたのは二一日の読書会でAくんたちに紹介するためである。それから膀胱を軽くするべく便所に行くと、室に入ったところに男が一人立っていて、それが見た顔だったので過ぎた傍から首を回して相手の顔を見つめた。向こうもこちらを見つめ返してきて、無言の会釈が挟まった。過去の生徒である。U、と相手を指差しながらその名字を口にし、さらに、U.M、とフルネームでも呼んだ。ちょっと太りましたね、と言われた。それを受けてこちらは、そうか、やっぱり……と漏らしてちょうどそこにあった鏡を覗き込み、頬に手を当てて確認したあと、わかるか、と口にした。実際、この昼に体重を測ったのだが、何と六五キロもあって、病前に比べると一〇キロ以上も増えていたのだ。最も、以前が痩せすぎだったのであって、こちらの身長一七五センチからすると今ぐらいあってようやく適正の範囲といったところだろう。今何やってると思います、と訊いてくるので、お前もう高三、と訊けば、終わった、と言う。大学、と続けると否定が挟まって、それで、浪人、と二人声を合わせた。今年はニッコマがやばかったじゃないですかと言われるのに、そうなのと受けると、塾はもうやっていないんですかと来るので、鬱病のことを話すかどうか考えながら、ちょっと事情があって、と置き、今休んでいるんだけど、もうそろそろ復帰すると思うと告げた。それから二、三、話して別れ、放尿を済ませたこちらは鏡の前で手を洗いながらふたたび自分の顔を注視すると、改めてそのようにまじまじ見つめてみると、確かに以前よりも頬がふっくらとしているなと苦笑とともに思われた。そうして室を抜け、退館に向かいながら、Uともう少し話をすれば良かったなと思った。英語と国語なら教えられるよ、くらいのことは言えただろう。彼が望めば個人的に家庭教師をしてやっても良いと妄想し、よほど戻って彼の席を探してみようかと思ったが、結局はまあ良いかと払って出口に向かった。
 暗くなった外に出ると歩廊を渡って河辺TOKYUに入る。フロアを進んで籠を持ち、野菜の区画に踏み入って例によって茄子を二袋最初に取った。それから、玉ねぎ、椎茸、豆腐などを入手したのち、夕食のおかずにと六個入りのカキフライのパックを籠に加えた。その他、ファミリーサイズの「アルフォート」と、ポテトチップスも手もとに確保して、それで会計に行った。一八三一円。整理台に移ってポテトチップスはリュックサックに入れ、その他は大きめのビニール袋に収めて手に提げ、退館した。歩廊に出て見上げれば西南の空に細い三日月が浮かんでいたが、目が悪いために像が安定せずにぶれて三重になり、爪を何度も空に押し付けて刻んだ傷のように見えるのだった。駅舎に入って掲示板を見れば、奥多摩行き接続は四〇分、その前に七時半ぴったりの電車があって、青梅で少々待つことになりそうだった。改札を抜けてホームに下ると、二号車の端の位置に立ち、足もとにビニール袋を置いて手帳を取り出した。こうした手持ち無沙汰な待ち時間のあいだに、手帳にメモしてある事柄を復習出来るではないかと思いついたのだ。それで先ほどメモした『一神教の起源』からの情報を振り返りつつ待って、やって来た電車に乗ってからも、ビニール袋を座席の端に置き、銀色の手摺りに凭れて立ったままに手帳の文字を目で追った。青梅に着くと、奥多摩行きは既にやって来ていたので乗り移った。一番東京寄りの端の扉口に立ち尽くして引き続き手帳を眺める。白丸で電車が鹿と衝突した事件の余波で御嶽から奥多摩のあいだは動いていないとのアナウンスが、東青梅のあたりで入っていたが、発車には影響がなさそうだった。じきに出発して、最寄り駅に着くと降り、ホームを通って階段通路の途中に来てから、そうだ桜はと思い出した。階段を下りながら駅前の桜木のほうに視線を繰り出すが、闇の中でも光る白さは見えず、もう結構散ってしまったのだろうかと思われた。そのわりには通路を抜けた足もとに落ちている白さの乏しい。
 横断歩道を渡って坂に入り、風が流れて梢を鳴らすこともない静寂のなか、足音とビニール袋の擦れ合う音を立てながら下りて行く。下りたところの小公園の桜が枝先を揺らさず咲き静まりながら電灯の明かりを受けて固化し、白い光に一層白く艶めいて、暗がりのなかで金属的なまでに照っていた。夜道を行きながら自分の影が前方に長く伸びて行く、と思えば足もとから新たな影が湧いてこちらを追い越して行き、こちらの背丈を遥かに越えて高く長く大きく前方に這い出て行って、次の街灯のところに来るまでには地中に溶けるように消え去ってしまう。その影の動きを見ながら家路を辿った。
 帰宅すると、台所にサラダや南瓜や茸の混ざった炒め物が皿に盛られてあり、食事の用意が出来ているのだが母親の姿がない。下階に下ってみても、気配がない。こういう時、まさかどこかで倒れているのではなかろうななどと、どうも不吉な方に思考が向いてしまう性分なのだが、まさかそんなこともあるまい、家中に気配が窺えないところを見ると、近所のどこかにちょっと出かけているのだろうと判断して自室に入り、コンピューターを机上に据えるとともに服を着替えた。そうしてインターネットをちょっと見ているうちに、母親が外から帰ってきた音が聞こえてきた。それで上階に行くと、やはり自治会の用で手近の家まで行っていたのだと言う。こちらは台所に入って、鶏肉と茸のソテーをよそり、豆腐や買ってきたカキフライなども電子レンジに突っ込んで、卓に就いてものを食べながらそれらが温まるのを待ち、食事を取った。母親は、I.Yさんからの荷物が届いたからと彼女に電話を掛けていて、玄関の方に出て結構長話をしていて、その通話が終わる頃にはこちらはちょうど食事を終えるところだった。これでやっと食べられる、お腹がぺこぺこだよと母親は言って、台所でカキフライを温める。こちらは薬を飲んで食器を洗い、風呂に行った。さほど浸からずにさっさと上がって来ると、自室に帰って、日記を書きたいところだったが、ポテトチップスを食いながら――手でチップスをつまんでいるとキーボードを打てないので――「なぜNHKは政権による嘘と誤魔化しに加担するのか<永田浩三氏>」(https://hbol.jp/188405)を読んだ。読み終えてもチップスを食い終わっていなかったので、さらに「ダークウェブよりヤバい「普通のウェブ」」(https://ascii.jp/elem/000/001/832/1832059/)も途中まで読み、ティッシュペーパーで手指を拭くと、改めて前者の記事を読みながら気になったところを手帳にメモした。二〇一三年一〇月にNHK経営委員が刷新されて百田尚樹やら長谷川三千子やらが就任したとか――現在は百田はいないようだが、長谷川は変わらず務めている――、二〇一四年一月に籾井勝人NHK会長に選ばれて、従軍慰安婦について「どこの国にもあったこと」と発言したとか、そのような事柄である。その後、Antonio Sanchez『Three Times Three』の続き、及びcero『POLY LIFE MULTI SOUL』を流しながら、「記憶」記事の音読をした。一三九番から最新一五二番まで。そうして時刻は一〇時過ぎ、ようやく日記である。途中からヘッドフォンを点け、音楽はまたcero『WORLD RECORD』に移行させながら打鍵を続け、一時間以上掛けて文章を現在時刻に追いつかせた。
 それから、noteのアカウントを作った。前々から考えてはいたのだが、まだ見ぬ読者に対してよりひらいていくために、そして第二のバックアップの観点からしても、noteの方にも日記を投稿していこうと決断したのだった。アカウントを作成し、プロフィールページにローベルト・ヴァルザーの写真を据えて、四月の第一日から八日までの記事を投稿して行った。それからこちらの存在を周知させようというわけで、他人のアカウントを適当にフォローしまくった。
 そうして時刻は日付替わりも間近、インターネットを回って少々だらだらとしたのち、一時が近くなってからベッドに移って山我哲雄『一神教の起源』を読みはじめた。キリスト教など一神教が砂漠という生活環境を母胎として生まれたものであるということはこちらも何となく聞いたことがあったが、これは根拠のない俗説なのだと言う。と言うのも、古代イスラエル人は砂漠の遊牧民などではまったくなく、「カナンの沃地で農耕民と共存していた」。また、イエスが布教活動を行ったのも、パレスチナの地でも最も自然豊かなガリラヤだった。そして、駄目押しとして、砂漠的風土が一神教を生むという法則性・必然性があるのならば、タクラマカン砂漠だろうとゴビ砂漠だろうとサハラ砂漠だろうとそこでは一神教が生じるはずだが、実際にはその地の原住民の宗教は皆アニミズム多神教だったと述べられている。
 二時ぴったりまで書見をしたあと、消灯して布団に潜り込んだ。


・作文
 12:08 - 12:54 = 46分
 15:33 - 16:15 = 42分
 22:11 - 23:17 = 1時間6分
 計: 2時間34分

・読書
 16:16 - 16:43 = 27分
 16:46 - 17:48 = 1時間2分
 17:52 - 18:58 = 1時間6分
 21:01 - 22:11 = 1時間10分
 24:44 - 26:00 = 1時間16分
 計: 5時間1分

・睡眠
 1:15 - 11:00 = 9時間45分

・音楽

  • FISHMANS『Oh! Mountain』
  • Antonio Sanchez『Three Times Three』
  • cero『POLY LIFE MULTI SOUL』
  • cero『WORLD RECORD』

2019/4/8, Mon.

 一一時二五分まで起きられず。端的に糞である。何とかベッドから抜け出して上階へ。母親は「K」の仕事。台所には前日の残り物ほか――鮭、大根の煮物、薩摩芋――が置かれてあり、フライパンにはこれも前日の残りのほうれん草をウインナーと炒めたものが入っていた。それぞれを電子レンジで温め、米をよそる。そして、賞味期限が昨日までの豆腐があったことを思い出したので、三個一パックのものを二つ、大皿に取り出し、それも電子レンジで二分半、加熱した。熱しているあいだに卓に就いて食事を始め、レンジが止まると皿を取り出し、鰹節を豆腐の上に掛けて食卓に持ってくるとさらに醤油を垂らした。新聞からは国際面の、「イスラエル 与党優勢 あす総選挙 外交成果アピール」の記事を読む。「「パレスチナの存在は我々を危険にさらす。(西岸は)イスラエルの主権下に置くべきだ」。ネタニヤフ首相は6日、地元メディアにこう述べ、首相を続投した場合、西岸のユダヤ人入植地を併合し、パレスチナの一部の村を撤去する意向を示した」とある。糞である。それから一面に戻って、「大阪ダブル選 維新制す 北海道知事は与党系」の記事も読んだ。そうしてものを食べ終えると抗鬱剤ほかを服用し、台所に食器を運んで皿の上に「JOY」を少量垂らす。それで網状の布で皿を擦って洗い流し、食器乾燥機に収めて機械を駆動させたのち、勝手口の扉を開けて、外に干されてあったゴミ箱をなかに取り込んだ。朝方降っていた雨は止んだようだが、いくらか寒々しいような曇天である。ゴミ箱にビニール袋をセットしておき、そうして下階に戻るとコンピューターを点けて、今日もFISHMANS『Oh! Mountain』を流して正午過ぎから日記を書きはじめた。ここまで綴って一二時半前となっている。
 前日の記事をブログに投稿すると、Uさんへのメールを推敲した。一〇分か一五分かそこらで終えたと思う。それでメールを送信しておいたあと、一時前からMさんのブログを一日分。続いてfuzkueの「読書日記(129)」から二日分、といつものコースを辿る。その頃には音楽は、Antonio Sanchez『Three Times Three』に移っていたはずだ。最近は連日、FISHMANS『Oh! Mountain』からこの『Three Times Three』へという流れが出来上がってしまっているが、まったく飽きない。読み物を一旦終えたあとは、物凄く久しぶりのことだが、ベッドに移って腹筋運動を行った。毎日文を書かなければ文章は決してうまくならないように、筋肉トレーニングも毎日やらなければまったく身にならないのだが、どうにもやる気があまり起こらず、明日もやるかどうか定かでない。腹筋を終えると一度上階に上がって風呂を洗い、戻ってくると「記憶」記事の音読を行った。項目は一五〇番まで作成済みなのだが、記事をひらいたり引用を追加したりする時など動作が重くなってきたので、一番から一〇六番までを「記憶1」、一〇七番から一五〇番までを「記憶2」として記事を分けた。それで「記憶2」のほうから最新の一〇項目ほどを読んだあと、「記憶1」の大津透『天皇の歴史1』から引いた文も音読すると二時一五分ほどだった。
 そこからは五時過ぎまでひたすら怠ける。堕落である。コンピューターをベッドに持ち込んで横たわっていたのだが、五時を回ると食事の支度をしにいくかというわけで身を起こして部屋を抜けた。コロッケを買ったと母親からメールが入っていたので、汁物とサラダでも作れば良いかと考えていた。それで冷蔵庫を覗くが、あまり大した材料もない。汁物はいつも通りで芸がないが、玉ねぎと卵の味噌汁にして、サラダはモヤシと大根でも合わせれば良かろうと判断して、まず汚れたフライパンを掃除するために水を汲んで火に掛けた。汁物用の小鍋ももう一方の焜炉に掛けておき、沸騰を待つあいだに食器乾燥機のなかを片付け、玉ねぎを切り分けた。玉ねぎは小鍋に放り込んでおき、フライパンの湯は零してもう一度水を汲んで沸騰を待つ。そのあいだに笊にモヤシをあけて水洗いし、さらに冷凍庫を覗くとブロッコリーもあったので、モヤシの上からそれも重ねた。湯が沸騰するとフライパンにそれらを突っ込み、小鍋の方には粉の出汁と味の素を振っておき、しばらくすると味噌を投入した。それから溶いておいた卵も垂らして汁物は完成、フライパンの方も茹でこぼして笊に上げ、食器乾燥機のなかに置いておく。大根のスライスも合間に拵えておいたので、簡単だがこれで支度は終わり、おかずは母親が買ってくるコロッケや賞味期限の迫っている豆腐を食えば良いだろうとの見通しだった。
 居間のカーテンを閉めておき、下階に戻ってくるとAntonio Sanchez『Migration』をバックに日記を綴って六時が目前となっている。
 この日のその後は食事と入浴を済ませたあと、ふたたびひたすらコンピューター前でだらだらしただけなので、特別に書き記すことはない。零時ちょうどからベッドに移って加藤二郎訳『ムージル著作集 第一巻 特性のない男Ⅰ』を読みはじめた。「平行運動」の活動は一定の進展を見せて、各委員会に下から上ってきた国民の声が吸収されているが、それらを指導するための中心理念が未だ発見されていない。活動の旗振り役であるラインスドルフ伯爵の考えでは、「国民の中心から湧き上る示威運動」を上から善導し、「純化」しなくてはならないのだ。一方ディオティーマによれば、「平行運動」の目的は様々な理念のうちで最も偉大かつ重要な理念を実現することであり、それは彼女の言葉で換言すれば、「世界オーストリアの年」を具現化することだ。つまりは「オーストリア国民を世界の諸国民の手本として示す」ことであり、そのためにはヨーロッパ精神がオーストリアに真の故郷を持つということを証明しなければならない。このサロンの女主人の「大胆不敵」な発想をラインスドルフ伯爵は、「慎重に! 慎重に!」と諌め、その「世界の年」に具体的に何が成されるべきかを問うのだが、ディオティーマもこの点については解答を見出せていない。そこで、「本当にすぐれた人たち、つまり詩人や思想家の一団」をサロン招待して彼らの提案を訊くことになるのだが、この「平行運動」という動向は、抽象的な題目は立派でもその中核に一貫してこのような曖昧さが付き纏っているようだ。
 二九一頁にはモースブルッガーが体験する統合失調症的な――そしておそらく、ムージルの考えのなかではいくらか神秘主義的な経験と重ね合わされた――症状が記述されている。彼は様々な音声、音楽やざわめき、雷鳴、笑い声、叫び声などを耳にするのだが、それは四方から、壁の中から、また彼の体の中からも聞こえてくる。その声は彼に話しかけ、彼の悪口を言ったりする。また、「彼が何かを考えると、その何かを彼が思いつくより先に、その声の方がそれをしゃべり出したり、彼が考え出そうとしていることとは反対のことを意地悪くいったり」するのだが、これは明らかに――かつては「精神分裂病」と呼び習わされていた――統合失調症の症候だろう。こうした幻覚が現れているあいだ、彼はその声に注意を払うのではなくて、ただ「考えること」を行ったというのだが、そこで実際考えられているのは、ムージルの真面目で晦渋な文体に不似合いな突飛で馬鹿げた内容であり、端的に言って滑稽な思考である。

 (……)モースブルッガーは、いまや首を深く垂れて、指の間の寝台の木を見つめていた。「当地では、皆の衆は木ねずみを木ねこといっている」と、彼は思いついていった。「だが、一度でも誰かに、真顔で『木ねこ』といわせてみたらどうだろう! そしたら、演習で空砲をプスプス屁のように射ってる最中に、実砲を一発ぶっ放したときみたいに、みんなはびっくらして見ることだろうて。ヘッセンではそのくせ、木ねずみを木ぎつねっていっている。広く歩いてきたものには、ようくわかっていることだて」。さて、精神病医らがモースブルッガーに木ねずみの描いてある絵を見せたとき、彼らは驚きかつ好奇の色を見せたのである。彼の答えはこうだった。「これはたぶんきつねか、それともおそらくうさぎだね。ねこかもしれないし、またはそれに似たもんだろう」と。彼らはそれから、毎度のことながら口早に彼に質問した。「一四たす一四では、いくつです?」。すると彼は慎重にこう答えた。「さよう、おおよそ二八から四〇までだね」と。この「おおよそ」が彼らに難題をもちかけたが、モースブルッガーはそれにほくそ笑んだ。なぜなら、まったく簡単な問題だからだ。一四歩歩いてさらに一四歩先へ進めば、二八歩になることぐらい、彼も知っている。だが、そこで立ちどまらなければいけないとは、誰もいっていないのだ?!(……)
 (加藤二郎訳『ムージル著作集 第一巻 特性のない男Ⅰ』松籟社、一九九二年、292~293)

 一時一五分ほどまで読書を続けて、そうして消灯した。


・作文
 12:08 - 12:25 = 17分
 17:38 - 17:54 = 16分
 計: 33分

・読書
 12:57 - 13:18 = 21分
 13:37 - 14:14 = 37分
 18:18 - 18:52 = 34分
 19:27 - 20:16 = 49分
 24:00 - 25:13 = 1時間13分
 計: 3時間34分

  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2019-04-04「便箋に何も書かない鶴の折りかたも忘れたただの紙切れ」
  • fuzkue「読書日記(129)」: 3月21日(木)まで。
  • 「記憶2」: 139 - 150
  • 「記憶1」: 40 - 46
  • 加藤二郎訳『ムージル著作集 第一巻 特性のない男Ⅰ』: 274 - 306

・睡眠
 0:30 - 11:25 = 10時間55分

・音楽

  • FISHMANS『Oh! Mountain』
  • Antonio Sanchez『Three Times Three』
  • Antonio Sanchez『Migration』
  • Avishai Cohen『Duende』
  • Avishai Cohen『Seven Seas』

2019/4/7, Sun.

 三時頃、一度覚める。その後、六時台にも覚めて、そこで起きてしまっても良いのだが、米が炊けるのが六時四〇分なのでそこまでは眠るかと目を閉じた(しかし、この朝は米を炊けるように用意はされておらず、マフィンを食べることになった)。そうして七時半まで床に留まってから起床。毎日このくらいの時間に起きられれば丁度良いと思う。夢を色々と見たはずだが、覚えているのは一つで、スーパー・マーケットを舞台としたものである。なかに自ら揚げ物を作るか鉄板焼きでものを焼けるかするそのような区画があったのだが、母親とともにそこにいると見知らぬ中年婦人が横から何かと口出しをしてくるのだった。初めのうちは波風を立てないように聞き入れていたのだが、段々と鬱陶しくなってきたので、相手に真正面から向かい合って、余計なお世話ですと告げた、とそのような夢だった。
 上階へ。母親に挨拶。そして顔を洗う。食事は米を炊いていないのでマフィンだと言う。半分に割られて口をひらいたものが二つ、オーブントースターに仕込まれる。そのほかブロッコリーにウインナーを皿によそって、それを食べながらパンが焼けるのを待つのだが、ウインナーが充分にボイルされておらずまだ冷たかったので、改めて電子レンジで一分間熱した。そうして卓に就き、眠い目を細めながらものを食べる。じきにマフィンも出来上がって、バターを挟んでかじりつく。テレビはNHKの『さわやか自然百景』、北海道大学の構内に棲む様々な鳥やエゾリスなどの生態が映される。そのあと八時からは『小さな旅』、和歌山の雛祭りや桜鯛漁などが取り上げられていた。食事を終えてからもすぐには立ち上がらずに眠い頭を抱えてそれらの番組を眺めたあと、台所に移って母親の分も含めて皿を洗った。そのあいだに母親の方は、洗濯機から洗濯物を取り出して抱えてベランダ際に移動し、ハンガーに吊るしはじめていた。皿洗いを終えるとそちらに合流して手伝い、さらに布団カバーを洗ってくれると言う。それで下階に下りていき、自室に来るとファスナーを滑らせて布団のカバーを外し、ついてきていた母親に手渡した。
 コンピューターを起動させ、FISHMANS『Oh! Mountain』を今日も流し出し、前日の記録を付けるとともに日記を書きはじめたのが八時半過ぎだった。欠伸を漏らしながら打鍵を進めて、現在時刻に追いついた今は九時半前まで至っている。
 それからしばらくだらだらとしたが、どうにも身体がこごって疲労感を帯びており、眠りが足りない感じがしたので、一〇時台の途中から寝床に転がった。枕の上に陽射しが宿っているそのなかに頭を入れて、眩しさに目を瞑って休んでいるうちに、ちょっと休むだけのはずが長い臥位になって、結局正午を回って一二時半頃まで長く臥せっていた。せっかく早く起きたのに甲斐のないことだが、だらだらといつまでも寝ているよりはこの方が良い。
 上階に行くと、テレビには『のど自慢』が映し出されており、台所にいる母親は生ラーメンを作ると言う。こちらも台所に入って丼にスープを用意し、小鍋の湯が沸いたところで麺を投入した。菜箸で搔き混ぜながらしばらく茹でて笊に上げ、丼に収めるとともに、母親が切ってくれた小松菜や卵、焼豚にモヤシを上に乗せて完成、卓に移動して食べはじめた。新聞を一応ひらいたが、きちんと集中して何かの記事を追ったわけでない。書評欄をひらいて漫然と眺めながら麺を啜り、食べ終えると台所に丼を運んでおいてから、母親に、まだ出かけないかと聞いた。散歩に出るつもりだったのだ。彼女は二時頃に出ると言い、まだ時間はあるので仏間に入り、誕生日プレゼントとしてTから貰った灰色の、無印良品の直角靴下をおろして履き、ダウンベストを脱いで出発した。
 林の縁から小鳥が一羽、飛び立って隣家の屋根の向こうへと消えていく。道の先には市営住宅横の、小公園に立っている桜の白さが覗いている。そちらまで歩いて行くと何やら女性の声が聞こえて、見ればおそらくその市営住宅に住んでいる者らだろう、遊具が一つ二つ置いてあるだけではっきり公園とも言えないような寂れた敷地のなかにシートを敷いて、花見に洒落込んでいる小さなグループがあった。桜はその脇で満開を迎えて、石鹸の泡のような清潔感を湛えた白を膨らませている。
 電柱の天辺に鴉が一羽止まってあたりを偉そうに睥睨しているのを、鳴くだろうかと右手で額に庇を作って見上げながら坂を上っていたが、鳥が声を立てないうちに視線の角度が直角に近づいていき、そうすると視界のなかに太陽が押し入ってきて、眩しさに耐えきれずに目を落とした。坂上から見下ろした一軒の傍にも、桜がふわふわとした白さを浮かべて風に靡いている。裏道を行けば周囲から葉擦れが立ち、そこを過ぎて行くうちに遅れて背後から風が流れてきた。沈丁花はそろそろ萎んで花火の残骸のようになっているので、もう香らないだろうと見て通ったところが、死に切る前の最後の微香が、これも過ぎたあとから遅れて鼻に触れてきた。
 街道に出る頃には汗ばんでいる。横断歩道で立ち止まりながら右方を見やれば、草むらの上を白い蝶が舞い踊り、葉っぱのない枯枝の集まりの上には小鳥が立って、その傍でユキヤナギが、絡まった触手のようにして旺盛に茂っている。それを見ているうちに信号が変わって、渡るとレンギョウの満面の黄色を前に右折して細道に入る。オオイヌノフグリが足もと、道の端を埋めているなかを歩いていると、この日も斜面に沿って風が流れて、頭上の乾いて色の薄くなった草がさらさらと鳴った。墓場まで来ると敷地の向かいの桜がここでも満開に盛っており、風にも揺らがずに静かに咲き誇っているその低い枝先に、止まってちょっと目を寄せた。
 保育園の敷地の前に、褐色の枯葉が一枚、身を丸めて地に落ちている。それを踏み砕いてぱりぱりという音を立てて過ぎ、家並みのあいだを行って今日はいつもと違って途中で左方に折れた。線路の上の短い小橋を渡って、昔は採石場のあった広い敷地に出ると、ここでも縁に桜が何本も並んで空中を白く長く塗っている。広場のあいだを通る細道に沿って行き、家々の横に出ると風が前から駆けてきて、それが結構な勢いで耳もとをがさがさ言わせるが、それにしては軽く、両の手に生まれるのも布でふわりと包まれているような感触で、春の風というものはこんなにも重さ鋭さのないものだったかと思った。駅の北側を通って、線路の横を、分厚い風に包まれながら歩くなか、森の方から鵯の、しつこいように喉を張って鳴き交わす声が立っていた。踏切りを渡って街道に出ると南側にさらに渡って木の間の細い坂に入り、頭上で天蓋をなすものやら足もとに生える雑草やら、濃淡明度様々に生い茂る緑のなかを下って行くと、ここでも微風が舞い上がってきた。
 帰宅するとちょうど母親が洗濯物を取り入れたところだったので、寄っていき、タオルを受け取って畳み、寝間着も続けて畳んだ。テレビは『パネルクイズ アタック25』を流しはじめたばかりの頃合いである。畳んだタオルを洗面所に持って行ったそのついでに、風呂を洗う。先ほどの散歩のあいだのことを思い返しながら浴槽を擦り、出てくると階段を下りて自室に戻り、Antonio Sanchez『Three Times Three』を流して「記憶」記事の音読を始めた。「記憶」記事も既に項目が一四八番まで作成されている。あまり多くしすぎても記事をひらいたり操作したりするのにEvernoteが重くなってしまうので、どこかしらで区切って新たに二番目のノートを作成するべきだろうが、何番まで作ったところで次のノートに移ろうか迷うところである。この日は一三九番から一四八番、最新の項目まで読んだあと、三二番に戻って大田昌秀沖縄県知事のインタビューから取った情報や、大津透『天皇の歴史1』の記述を復習した。そうして時刻は二時半を過ぎ、そこから日記に取り掛かって、四〇分強を費やして現在三時一五分。
 それから、Jose James『Lean On Me』の流れるなかでUさんへの返信を綴った。二〇分ほどで、段落三つで短く作成、推敲まで済ませたがまだ送らず、翌日再確認して変でなければ送信するつもりだ。次に、そのUさんのブログを一記事読んで四時を越えたあと、ベッドに移って加藤二郎訳『ムージル著作集 第一巻 特性のない男Ⅰ』を読みはじめた。最初のうちは背にクッションを当てて凭れ、姿勢もそれほど低くなく、身体の上に布団を掛けることもなく読み進めていたのだが、次第に安楽さを求めて、完全に寝転がって枕に頭を乗せてしまった。それでも眠気は湧かなかった。しかしちょっと肌寒いからと布団を引き寄せると怠惰の虫が湧いてきて、五時四五分で書見を区切って休みはじめた。父親の見舞いに病院に行っている母親が帰ってくるまで起きないつもりでいた。その母親が帰ってきたのは六時半頃、既に薄暗くなった室内で身体を起こして上階に行き、母親に挨拶して台所に入ると――焜炉の一方では大根とシーチキンが煮られてあった――水に晒されてあったほうれん草を二つに切断し、固い軸の方から湯の沸いたフライパンに放り込んだ。しばらくしてから葉の方も投入して、ちょっと茹でて洗い桶に移すと流水で洗った。それから餃子を焼くことにしてフライパンに油を少量垂らし、冷凍庫から出した袋から一つずつつまんで餃子を隙間なく並べた。そうして火に掛けているあいだにほうれん草を絞って切っていると母親がやって来て餃子は大丈夫かと言う。それで蓋を開けて見てみると、もう結構焦げ目がついて焼けていたので、水を入れてくれと頼み、ふたたび蓋を閉じてほうれん草を切った。そうしてしばらく焼いて油をふたたび垂らし掛け、餃子が完成するともう食事を取ることにして――時刻は六時五〇分ほどだったと思う――炊飯器に寄って炊きたての米を搔き混ぜ、丼によそり、その上から餃子を乗せて餃子丼なるものを拵えた。そのほかほうれん草、大根の煮物、鮭の残り、大根のサラダである。卓に就いて食べているとテレビはニュースで、「令和」への改元に合わせて、あれは多分元ネタの『万葉集』の「梅花の宴」に縁[ゆかり]のある土地だからということだと思うのだが、福岡は太宰府市の神社や資料館を訪れる人が急増しているという話だった。新聞も瞥見しながらものを食うと、薬を飲んで、一旦下階に戻った。cero "Yellow Magus (Obscure)"を流して歌い、次の"Elephant Ghost"が流れているあいだに燃えるゴミの箱を持って上階に行き、台所のゴミと合流させておいた。そうして戻ってきて、"Summer Soul"もちょっと口ずさみながら日記を書き出し、『Obscure Ride』の各曲を背景にここまで綴って七時四五分である。
 それからすぐに風呂に行ったのだったかどうか。覚えていないが、入浴を終えて部屋に戻ってきたあとは、cero『POLY LIFE MULTI SOUL』を背景に結構長い時間、だらだらと過ごしてしまった。そうして一〇時一五分を迎えたところで、「日本の年金生活者が刑務所に入りたがる理由」(https://www.bbc.com/japanese/47453931)を読みはじめ、一五分ほどでさっと読み終えた。

 (……)日本は驚くほどよく法律を守る社会だが、その中で65歳以上の高齢者が起こす犯罪の比率が急上昇している。1997年には犯罪20件に1件の割合だったのが、20年後には5件に1件を超えていた。人口全体に占める65歳以上の割合が増えたペースを、はるかに上回る上昇ぶりだ(65歳以上の高齢者は現在、人口の4分の1以上を占めている)。

 ニューマン氏は一方で日本の裁判について、軽い窃盗罪でも刑務所へ送られることが多いのは、罪に応じた罰かどうかを考えるとやや常識外れの感があると話す。
 2016年に書いた報告書では「200円のサンドイッチを盗んだ場合の刑期が2年なら、その刑期に840万円の税金が使われる」と指摘した。

 そうして次に、 川上稔『境界線上のホライゾンⅣ(上)』。ヘッドフォンをつけてコンピューター前の椅子に座りながら読み進める。それから、加藤二郎訳『ムージル著作集 第一巻 特性のない男Ⅰ』にも移ったが、この頃には椅子を離れてベッドの縁に腰掛けていたと思う。そうして椅子を引き寄せてその上に本を置いたり、あるいは布団の上に寄り掛かるようにして姿勢を崩したりしながら読んでいたのだが、零時を越えると臥位になっていなくても眠気が湧いて、意識が曖昧になってくる。それなので零時半前には潮時を見て書見を切り上げ、明かりを落として寝床に横になった。入眠には問題なかったようだ。


・作文
 8:38 - 9:26 = 48分
 14:33 - 15:15 = 42分
 15:24 - 15:43 = 19分
 19:26 - 19:46 = 20分
 計: 2時間9分

・読書
 13:51 - 14:32 = 41分
 15:45 - 16:08 = 23分
 16:12 - 17:45 = 1時間33分
 22:16 - 22:30 = 14分
 22:31 - 24:27 = 1時間56分
 計: 4時間47分

・睡眠
 0:15 - 7:30 = 7時間15分
 10:30 - 12:30 = 2時間
 計: 9時間15分

・音楽

  • FISHMANS『Oh! Mountain』
  • Antonio Sanchez『Three Times Three』
  • Jose James『Lean On Me』
  • cero『Obscure Ride』
  • cero『POLY LIFE MULTI SOUL』

2019/4/6, Sat.

 一一時三五分起床。熱烈な太陽の光の恩恵も虚しく、だらだらと床に留まってしまう。何故これほどまでに起きられないのか?
 上階へ。台所で立ち働いている母親に挨拶。ジャージに着替えてから便所に行って排便を済ませ、戻ってくると五目ご飯をよそり、その他薩摩芋と焼売の乗った皿や、フライドチキンの最後の一本を温める。そうして卓へ就いて食事を始めた。テレビは初めのうちはキューピーの三分クッキングを映しており、昔ながらのカスタード・プリンが作られていて、母親はそれを見て美味しそうと声を漏らしていた。次に、天気予報が始まる。大方晴天と春の陽気が続くようだが、来週の水曜日のみ雨が来て気温も最高で一三度程度まで下がるようだ。新聞からは英国のEU離脱関連の記事を読んだ。四月一二日までに英国議会内での離脱案の合意が間に合いそうにないので、六月三〇日までの離脱期限再延期をEU側に求めるとのこと。
 母親は今日は二時頃から甲斐甲斐しく父親の見舞いに行って、夜には自治会関連の集会があるらしい。食事を終えたこちらは抗鬱剤ほかを服用し、コップの水を飲み干してしまうと、母親の分もまとめて食器を洗った。それから僅かに残っていたモナカアイスを母親と半分ずつ分けて、小さな塊を口に入れて階段を下り、自室に戻るとコンピューターを点けた。時刻は一二時二〇分ほどだった。しばらくだらだらとしたのち、一時直前になってFISHMANS『Oh! Mountain』を流し出し、前日の日記の作成に掛かった。仕上げるとこの日の分もここまで綴って、現在一時半ぴったりを迎えている。
 それからしばらくして、母親がベランダから洗濯物を取り込んでいるらしき気配が伝わってきたので、部屋を出て階段を上った。ソファの裏、ベランダに続くガラス戸の前に取り込まれた洗濯物が小山を成している。そこからタオルやジャージなどを取り上げて、ソファの背の上で一つずつ畳んでいった。畳み終わったタオルを持って洗面所に行き、籠のなかに置いておくと、ついでに風呂を洗った。浴槽に洗剤を吹きつけて擦り、シャワーで流したあと、自室に戻って、二時ちょうどからベッドで読書、川上稔『境界線上のホライゾンⅣ(上)』である。それから三〇分ほど読むと、次に加藤二郎訳『ムージル著作集 第一巻 特性のない男Ⅰ』に移行した。四時半頃までは比較的はっきりとした意識で読んでいたのだが、その後は例によって眠気に苛まれ、薄布団を身体の上に掛けて休んでしまった。毎度毎度学習のない怠惰ぶりだが、やはりベッドの上にいると眠くなってしまうようなので、楽な姿勢を取らずに椅子に座って読書をしたほうが良いのかもしれない。四時半過ぎから休みはじめて、結局母親が帰ってきた六時頃まで床に伏したままだった。絶望的な堕落である。それから身体を起こして上階に行き、モヤシを茹でてくれと言うのに従って水の入ったフライパンを焜炉に掛け、強火で熱し、沸騰したところでモヤシを投入する。ちょっと経つと笊に茹でこぼしておき、さらに小松菜を茹でるべくもう一度フライパンに水を汲んで火に掛ける。沸騰を待つだけの手持ち無沙汰な時間がしばらく続いたあと、小松菜を投入し、二、三分茹でたところで洗い桶のなかに取り出した。水を流し込みながら小松菜を手で掴んで洗うようにし、水を取り替えてもう一度同じことをすると、二本ずつ取り上げて絞り、俎板の上で切り分け、小皿に乗せておいた。食事はほか、五目ご飯があって鮭も残っているので、簡単だがそれで良いだろうと母親は言い、こちらとしても異存はない。汁物にはカップ麺でも食べれば良いかと思っていた。それで仕事は終わったので自室に帰り、六時半から「記憶」記事の音読を始めた。北アイルランドの国境状況について、二月二四日に行われた沖縄県民投票の結果について、それから前夜に読んだ小川淳也議員の演説から引いた記述などを読んだあと、前の方に戻って、新崎盛暉『日本にとって沖縄とは何か』からの情報を復習していった。それも通り抜けると大田昌秀知事のインタビュー記事から引いた項目。先の大戦中に本土から沖縄にやって来た兵隊が防空壕に押し入ってきて、敵軍に見つからないように母親の抱いた幼子を殺すよう強要する、そんなことが毎日のように起こっていたという彼の証言は何度でも読み返す価値がある。音読中のBGMはAntonio Sanchez『Three Times Three』。七時に至ると中断し、日記を書き足して七時二〇分。
 食事を取るために上階に上がった。母親は自治会の会合で既に出かけており、居間は無人である。台所に入ると、おかずとしてフライパンにウインナーがボイルされてあった。そこから五本を取り、そのほか炊飯器に残っていた五目御飯はすべて払ってしまい、小松菜の皿を持って卓へ。さらに、賞味期限が迫っている豆腐を食べねばなるまいというわけで、三個一パックのものを二つ大皿に乗せて電子レンジに突っ込み、二分間加熱した。
 そうして卓に就いて、自分以外に誰もいない静寂の満ち渡ったなかで食事を取る。ものを食べる片手間に新聞をひらき、いくらか文を追う。まず二面の、「「辺野古」承認 効力復活へ 国交相 撤回処分取り消し 沖縄県 提訴を検討」の記事を読んだ。それから国際面に移ると、「趙紫陽氏追悼を警戒 天安門事件 名誉回復 拒む政府」の記事がある。趙紫陽という総書記の名は初めて聞いたが、天安門事件で学生らに同情的な見解を示した咎で失脚したと言う。死者を弔う清明節に当たって、彼の自宅周辺に警官五〇人以上を配置して厳戒態勢を敷いたとのこと。今年は天安門事件から三〇年である。六・四天安門事件自体、胡耀邦総書記の追悼集会を発端としたものだと聞いているから、同じような動きが発生するのを警戒したのだろう。「事件を巡っては3月、事件の再評価を求めた清華大の許章潤教授が停職処分となった」り、事件に関する著作を出版していた学者が国外旅行を阻まれたりしており、天安門事件はまだまだ当局にとっては国家のタブーとなっているようだ。上記の記事に並んで、「人権活動家4人 有罪 四川省 事件風刺の酒ラベル」という記事も置かれていたのでこちらも読んだ。
 食事を終えて台所に行き、水を飲んでいると電話が鳴った。出ると、消防署だと言う。自治会長である父親に挨拶の電話だと言ったが、入院中で不在である。自分は息子の方だと伝え、入院していると正直に話すのでなく、事前に母親に言い含められていた通り、出張中ということにして、帰りは一〇日以降になると告げた。回覧についてはわかるかと訊かれたが、自治会の方にまったく関与していないこちらには何もわからない。何か回してほしい情報があったのかもしれない。電話を切ると玄関からシャープペンシルとメモ用紙を持ってきて、一九時四五分と時間を付して内容をメモしておいた。そうして水を汲んできて薬を服用し、母親の放置していったものもまとめて食器を洗うと、入浴に行った。風呂のなかでは久しぶりに、T字剃刀を使って顔の産毛も含めて髭をあたった。そうして出てくると自室に戻って、インターネットを少々回ったあと、tofubeats feat. 藤井隆 "ディスコの神様"を流して歌い、その次にcero "Yellow Magus (Obscure)"も歌った。そうして九時一五分から、「ファクトチェック! 堤未果著『日本が売られる』 ―「6 医療が売られる」に焦点をあてて―」(http://migrants.jp/news/factcheck-nihongaurareru/)を読みはじめようとしたが、その頃には母親が帰ってきていたので、電話の件を知らせるために部屋を出た。上がると母親は、カップ蕎麦「緑のたぬき」を小鍋に移して煮ており、半分食べるかと言うので頂くことにした。彼女はくたくたに煮込んだものが好きらしい。それで電話について報告しながら麺が煮えるのを待ち、半分ずつ分けて食べると自室に戻り、先の記事を読みはじめた。それを読み終えると書見、加藤二郎訳『ムージル著作集 第一巻 特性のない男Ⅰ』である。ベッドに移ってまた眠気に襲われ、余計な睡眠を取ってしまっては時間が勿体ないのでこの時はコンピューター前の椅子に就いたまま読み、一時間ほど経って一一時頃になってから寝床に移った。「大愛国運動」あるいは「平行運動」の最初の会議が行われ、その輪郭がようやくいくらかはっきりとしてきたようである。要はオーストリア国民の力と団結を示すために、「国民の真っ只中から湧き起こる」ような一つの大きな目的を、上からの指導によって生み出さなければならないということらしい。この最初の会議では、内閣各省の形に学んで諸委員会を設置し、国民の声を吸い上げることが決定された。
 そうして、ベッドに就いて薄布団を身体に掛けていると、安穏とした温かさのおかげかやはり眠気が湧いてくるので、零時一〇分に達したところで読書を切り上げて消灯した。

 (……)ウルリヒは率直にいった。「世の中には何千という職業があり、人間はそれに没頭しています。そこに彼らの賢さがあるのです。しかしそうした彼らが、普遍的に人間的なもの、人間のすべてに共通なものを求められると、結局三つのものしか残りません。愚かさと、金と、わずかばかりの宗教的な記憶だけです!」(……)
 (加藤二郎訳『ムージル著作集 第一巻 特性のない男Ⅰ』松籟社、一九九二年、213)


・作文
 12:53 - 13:30 = 37分
 19:00 - 19:20 = 20分
 計: 57分

・読書
 14:00 - 16:30 = 2時間30分
 18:28 - 19:00 = 32分
 21:15 - 21:48 = 33分
 21:51 - 24:10 = 2時間19分
 計: 5時間54分

・睡眠
 0:30 - 11:35 = 11時間5分

・音楽

  • FISHMANS『Oh! Mountain』
  • Antonio Sanchez『Three Times Three』
  • Jose James『Lean On Me』

2019/4/5, Fri.

 色々と夢を見たが詳細は失われている。少々淫夢めいたものもあったはずだ。カーテンをひらき、太陽の光の通りをよくして、それを浴びながら一〇時一〇分になると起床した。コンピューターを立ち上げてTwitterを確認するとともにgmailにアクセスすると、Uさんからメールの返信が届いていた。ひとまず内容をところどころ覗いてから上階に行き、「K」の仕事に出ている母親の書き置きを確認すると――なかに、「ポップコーン食べちゃった」とあった――冷蔵庫に寄り、野菜室からケンタッキー・フライドチキンの箱を取り出す。箸を使ってなかから鶏肉の塊を一つ取り出し、皿に移して電子レンジに突っ込んだ。それとともに、やはり冷蔵庫から汁物の小鍋を出して焜炉に掛け、白米をよそる。三品を卓に運んで、食事を取りはじめた。新聞からは、イスラエルにおけるユダヤ教超正統派についての話題を読む。頭のなかに、何故だかQueenの"I Was Born To Love You"が流れて、折に触れて回帰してきた。箸を両手に一本ずつ持って使い、鶏肉を骨から剝がしながら米とともに咀嚼し、食べ終えると台所に行って水を汲んできて、抗鬱剤ほかを服用すると食器を洗った。そうして食器乾燥機を駆動させておき、下階に下りてくると、前日の記録をつけるとともにUさんのメールを改めて読んだ。二回繰り返して読んだあと、FISHMANS『Oh! Mountain』を流しはじめて、日記に取り掛かった。ここまで綴って一一時一五分。
 前日の記事をブログに投稿したあと、何をすれば良いのか少々立ち迷って、そのあいだはTwitterを眺めて余計な時間を費やしてしまった。結局いつも通り、過去の日記の読み返しを始めたのが正午前だった。二〇一六年六月一九日の生活について、特別に言及しておくことはない。それから「わたしたちが塩の柱になるとき」の最新記事を読んだ。東日本大震災について、「これは当然のことであるのだが日本各地、世界各地での揺れはあのときバラバラであったはずであるし、その揺れを受けとめた個人の受け止め方もそれぞれバラバラだったはずで、揺れというものを一種のリズムであると見立てた場合、あのときひとはそれぞれじぶんの位置(震源との外的な距離)とその受け止め方(震災との内的な距離)に応じる固有のダンスを踊ったはずだった」とあって、あの地震に対する各人それぞれの受け止め方を「ダンスを踊る」という身体的な比喩でもって喩えるのが興味深い。直接は関係がないのだが、小林康夫が「週刊読書人」上の西山雄二との対談で、cultureというのはagricultureのなかにも含まれている言葉だから大地と関係している、そのように知や文化というものは具体的な大地に根付いた身体的なものでなければならない、そうして内在化されたものこそ知のモラルというもので、それが現段階では自分のなかではダンスという形を取っている、だから最終講義の時にダンスしたのだ、と語っていたのが思い出される。もう一つ思い出されるのは、菅野よう子作曲の東日本大震災復興チャリティー・テーマソング "花は咲く"のことで、この曲がテレビで頻繁に流されていた当時、端的に言って自分はこれが嫌いだった。いかにも最大公約数的に希薄化された至極曖昧な感情的「物語」の臭気に耐えられなかったのだ。過去の日記にそれに対する批評も書きつけていたはずだと思って今しがた検索してみたところ、二〇一七年三月二〇日の記事が引っ掛かった。

 夜、白湯をつぎに上へ行くと、父親がテレビを見て、うなずきながら感動したような声を上げており、涙もいくらか催していたらしい。映っているのは、例の、「花は、花は、花は咲く」と歌う東日本大震災のチャリティソングを、おそらく各界のアスリートたちだろうか、運動着姿の人々が歌っているのがかわるがわる現れるもので、酒を飲んで感情の箍が緩くなっていたこともあろうが、こうしたいかにも最大公約数的な物語に批判のひとかけらもなく浸り、感極まって涙するような感性は(自分にもそうした傾向がまったくないとは言わないが)、何というかやはり多少は憚るべきものだと思うし、物語の毒というものを思わされた。勿論慈善・支援活動を否定することはないということを明確に断言しておいた上で、まず端的に述べさせてもらえれば、自分はあの曲が好きではない――と言うか、正確には、あの曲に孕まれている同調圧力――圧力とまで言うのは言い過ぎだろうから、暗黙裡に同調と共感を求める要請とでも改めておくが――の香り=意図に馴染むことができないのだ。歌詞にしろ旋律にしろアレンジにしろ、いかにも「癒やし」というもののありきたりなイメージを音楽化したような、甘ったるいものになっており――その点まさしく人々のあいだに共有されるための「最大公約数」を見事に狙い、かつおそらく成功したものであり、この点にはさすがにプロの手腕が現れているわけだが――、その音の色合いだけでこちらは少々気分が萎えてしまうようなところがあるものだ。あのように希薄化された「同情」「共感」「癒やし」の曖昧な連帯によって本当に被災者が救われる(これは何とも大きな、強い言葉だ)ことになるのか、あるいはもう少し抑えて言うならば、癒されるのか、こちらには疑わしい。無論、世の中とはそういうもので、多くの人を多少なりとも支援の輪に取りこむためには、あのような方法が有効なのだろうから、それはそれで別に良いのだが、ああした希薄な感情の共同体には巻きこまれたくないと明瞭に感じる(言うまでもないがこれは、被災者に対する支援をしたくないということではまったくない)。

 Mさんの言う、「ファシズムにほかならない」「ヒステリックな一致団結」の一環を担うものとしてこのテーマソングはあったと言うべきだろう。そうした画一性――「全体」――に唯々諾々と回収されるのではなく、当事者の――と言うかおそらく、当事者のみならずすべての他者の――受けた衝撃のその固有性に思いを致しつつも、各人がやはり固有のあり方でもって「みずからの踊りを踊る」べきであるという彼の趣旨にこちらは賛同するものである。要は、画一的な連帯=動員の声が叫ばれる事態にあってこそ――一個の存在論的主体としても、他者と関わる社会的な主体としても――複数性あるいは断片化の哲学を確保していくべきだということだと思うのだが、ロラン・バルトが『彼自身によるロラン・バルト』において、まさしくそうした「複数性」について、シャルル・フーリエの名を引き合いに出しながら語っていたのではなかったか?
 Mさんのブログを読むと一二時半前で、散歩に出ることにした。鍵をポケットに入れて、上階に上がり、仏間から灰色の短い靴下――もうだいぶくたびれて緩くなっているもの――を取って履き、玄関を抜けた。最高気温二二度に相応しく、ひとかけらの冷たさもない初夏の陽気だった。坂に入ると風が分厚く駆けてくるが、その感触は滑らかで柔らかく、飄々としている。前方では眼鏡を掛けた高年の男性が右手に飲み物のペットボトルを持ちながら、道脇に伸びるガードレールに寄っていくらかよたよたとしたような調子で歩き、ガードレールの向こうの草木のあいだに頻りに目を向けていた。その横を通り過ぎて上って行くと、出口付近の左方の斜面の草が刈り取られて短くなっており、その上に乗っている家――小中の同級生であるS.Tの実家――の姿形が見通せるようになっていた。
 街道に出ると左方――西の方向――に折れて、陽に照らされながら歩いて行く。途中で車の隙をついて対岸に渡る頃には、ダウンジャケットを羽織った身体に熱が籠っていたので、ジャケットとジャージの前をひらいた。美容室の前を通り過ぎ、さらに進むと工事現場で、褐色の顔の高年の交通整理員が、車を止めながら大きな声でトランシーバーか何かに話しかけている。工事は舗道を整備するもののようで、真新しく陽に光るアスファルトの上を騒音を上げながら行き来して均す機械が見られた。そちらに目を向けながら歩を進めていると、マンション脇の桜が現れ、その下を通って駅前まで来るともう一本の桜花の、楚々とした白さが背景の青さに映えて鮮やかだった。もう少し先の居酒屋「P」の前にも桜の木が一本あり、先端に小蜂が寄っている花叢の網を透かして見るその向こうで、一軒の瓦屋根が油を塗りたくられたようにてらてらと青く光っていた。
 消防署の向かいから裏通りに入った。その頃には首筋に汗が滲み、肌着の裏の背は湿っていて、坂を下って行きながら前方から舞い上がってくる涼風が快いようだった。
 帰宅すると自室に戻り、今度はfuzkueの「読書日記(129)」を読みはじめた。途中、「今日の一冊」という、毎日一冊その本との出会いを綴りながら書籍を紹介するコーナーの小文が引かれていて、それが読点のまったくない文章だったのだがそのわりにするすると読みやすく、僅かにうねりながら軽々と流れていく柔らかい感触を持つもので、A氏はこういうこともできるのだなと物珍しく思った。また、吉田健一の文章もふたたび引かれてあったのだが、やはり何となくA氏と吉田健一の記述の質感というものは似ているような気がする。それは上にも述べた「うねり」の感触のようなものなのだが、それには指示語の使い方や、(名詞をその前に置いた)「~で」、および「~して」のエ段の音を使って文を連ねていくところなどが関係しているのではないか――曖昧な印象なので定かではないが。また、微睡みに安らいでいる様子を「シリコンのヘラでゆっくり底から焦げ付かないようにかき混ぜられているような心地になってきて」と表す比喩がなかなか良かった。
 「読書日記」のあとは、「記憶」記事を音読した。一二番から二〇番まで、沖縄関連の情報である。一度あるいは二度音読しながら、読み上げたあとに目を閉じて何が書いてあったかを心のなかで――時には実際に口にも出して――ぶつぶつと思い出すようにした。そうして二時を越えると、洗濯物を取り込むために部屋を抜けて上階に行った。先に風呂を洗おうと思って浴室に行ったのだが、残り湯が思いの外に多かったし、昨晩はこちらと母親の二人しか入っておらずさほど汚れてもいないだろうから、今日は洗わずに追い焚きすれば良いだろうと判断して、洗濯機に繋がったポンプをバケツに上げておくに留めた。それからベランダに行き、タオルや肌着などを吊るしたハンガーを室内に収め、洗濯挟みから取ったものを畳んで行く。すべて畳み終えるとアイロンを用意して、エプロンにハンカチの皺を伸ばしてひとまず家事は終了、下階に戻った。そうして二時半頃からベッドに移って、川上稔『境界線上のホライゾンⅣ(上)』を読みはじめた。三〇分強読んだところで加藤二郎訳『ムージル著作集 第一巻 特性のない男Ⅰ』に移ろうとしたのだが、ちょっと休もうと目を閉ざしていると次第に瞼を開けられなくなって、そのうちに姿勢も崩れていって頭を枕の上に乗せてしまい、そのまま五時過ぎまで断続的に意識を休めることになった。今日は朝、一〇時間も床に留まったのにそれでもこのような怠惰な有様である。五時を越えると意識が段々はっきりしてきたが、布団のなかの安穏とした温かさに安らいで食事の支度をしに行かずに留まり続けた。そうして五時半前に母親が帰ってきた音が聞こえた。それからちょっとすると台所で水を使いはじめた音も伝わってきたので、そろそろ起きるかと布団を抜け出し、上階に行った。チキンが残っており、サラダもあってあとは鮭を焼くので、大したものは作らずとも良い。それでこちらが便所に行っているあいだに母親が切った人参にピーマン、エノキダケをフライパンで炒め、「創味」のすき焼きのたれで味をつけて簡単に仕事は終わった。部屋に戻ると時刻は六時前、「記憶」記事音読のあいだも流していた Antonio Sanchez『Three Times Three』をふたたび流しはじめ、日記に取り掛かった。音楽が終わると次はFred Hersch Trio『Alive At The Vanguard』に移行して打鍵を続け、一時間と二〇分ほど掛けて記述を現在時刻に追いつかせることができた。
 食事を取りに上階へ。炬燵テーブルに就いた母親のお先にという声を受けて台所に入る。細長い形のフライドチキンを箱から小皿に取り出し、電子レンジで温める。その他、エノキダケの炒め物に鮭などを持ち、米をよそって卓へ。テレビは何を流していたか、覚えていない。こちらは夕刊一面から、塚田一郎国土交通副大臣が辞任との報を眺めながらものを食った。食べている途中、母親が、父親のために通販で買ったジャケットを着てみるかとこちらを誘って来るので、取り出されたものを受け取って広げ、ジャージとダウンジャケットの上から羽織った。生地の非常に薄くて柔らかい、紺色のサマー・ジャケットのようなものだった。七〇〇〇円程度だったらしい。脱いで母親に返し、食事を終えると薬を飲み、皿を洗って入浴に行った。熱い湯のなかに身を落とし、一五分ほど浸かって八時に達したあたりで頭と身体を洗って上がった。そうして下階に戻ると、八時一五分から、「【文字起こし】小川淳也議員:根本厚生労働大臣不信任決議案趣旨弁明(2019年3月1日衆議院本会議)」(https://note.mu/mu0283/n/na2db95c34403)を読みはじめた。

 政権交代後、2013年から具体的な検討に入ったGDP の推計手法の見直しにより、2015年の GDPは、それまでの500兆円から532兆円と、一夜にして31兆円ものかさ上げが行われ、名目6%以上もの成長が成し遂げられました。
 この点、政府は金科玉条のごとく、国際基準に合わせたものだと言い張ります。
 しかし、実際に中身をよく見ると、国際基準への適合は、全部で29項目。そのほとんどすべてが、GDP の押し上げ要因である。少なくとも減少要因にはならないものばかりです。
 一方、1つだけ政策判断により、国際基準への適合を見送ったものがあります。私立学校法人の位置づけです。もし私立学校の位置づけを国際基準に従って見直していれば、GDP は最大約2兆円、0.4%押し下げられることが既に推計されていました。

 さらに、政府統計の見直しは、GDP推計の基礎となる一次統計にも及んでいます。
 統計委員会が承認した見直しは、第2次安倍政権になって、実に74項目。民主党政権時代からは、はるかに激増しています。
 見直しの対象となった家計調査、木材調査、作物統計、個人企業統計、鉄道車両生産統計、その多くに、統計委員会は、調査手法変更の影響を注視すべきである、出てくる数値の段差に留意が必要、との注書きを付しています。異様なものです。
 総理はよく 、GDP が過去最高になったと、おっしゃいます。しかし、旧基準と比較できる最も新しい数値、2015年の数値は、実はかつて史上13番目でしかありませんでした。これが計算方法の変更により、一気に過去最高水準にかさ上げされたのです。
 その後の2016年、17年に至っては、旧基準で算出していないため、比較をすることすらできません。
 方法をいくら変えても、それで GDPがいくら増えても、たとえ過去最高になろうとも、国民が豊かになるわけでは、決してありません。

 ここで語られていることが確かならば、政権は、自分たちに都合の良い項目に関しては国際基準への適合を進め、そうでない項目に関しては無視を貫いた。一次統計も含めて、調査方法の変更によって数値上の成長率は押し上げられ、GDPが過去最高になったようなのだが、それが以前の調査手法に比べて実態を本当に正確に反映しているかどうかは自ずから別の問題である。
 一時間ほど掛けて上記の記事を読んだのち、九時半前からベッドに移って、加藤二郎訳『ムージル著作集 第一巻 特性のない男Ⅰ』を読みはじめた。しかし、午前中と日中にあれほど眠ったにもかかわらず、またもや中途から疲労や眠気が湧いてきたらしく、あまり記憶に残っていないが散漫な読書になったようで、一一時台のあいだには力尽きていたのではなかろうか。気づくと、日付替わりを既に済ませていたと思う。零時半頃になって、曖昧な意識のまま読んでいても仕方がないと本を置き、明かりを消して就床した。


・作文
 10:59 - 11:14 = 15分
 17:52 - 19:14 = 1時間22分
 計: 1時間37分

・読書
 11:52 - 12:26 = 34分
 12:57 - 14:05 = 1時間8分
 14:27 - 15:05 = 38分
 20:15 - 21:12 = 57分
 21:28 - 24:30 = (睡眠を一時間と考えて)2時間2分
 計: 5時間19分

・睡眠
 0:00 - 10:10 = 10時間10分

・音楽

  • FISHMANS『Oh! Mountain』
  • Antonio Sanchez『Three Times Three』
  • Fred Hersch Trio『Alive At The Vanguard』
  • Fred Hersch『Open Book』

2019/4/4, Thu.

 八時四五分起床。携帯のアラームを掛けないほうがかえって早く起床できるようだ。睡眠時間は七時間で、適正といったところだろう。この日も晴れ晴れと光の通る朝だった。上階に行き、前夜の残り物――豚肉と玉ねぎの炒め物に、生野菜のサラダ――で食事を取る。新聞からはイスラエルの入植関連の話題を読む。炒め物とともに白米を咀嚼し、食べ終えると薬を飲んで皿を洗った。そうして仏間の簞笥からジャージを取り出して寝間着から着替え、その上にダウンジャケットを身に着けて下階に戻った。コンピューターを起動させ、前日の記録をつけたのち、ceroの三曲を歌いながらしばらくだらだらとしてしまい、日記を書きはじめるのは一〇時過ぎになった。『特性のない男』の感想を書き記し、それからこの日の記述もここまでしたためて一〇時五〇分。BGMはいつも通り、FISHMANS『Oh! Mountain』
 前日の記事をブログに投稿しておくと、一一時過ぎから日記の読み返しに取り掛かった。二〇一六年六月二〇日のものである。五〇〇〇字以上書いているが、大した描写もなく、特段に意識を惹きつけるような情報は盛り込まれていなかった。それから、三宅さんのブログにアクセスして、四月一日と四月二日の二記事分を読み、さらにfuzkue「読書日記(128)」から「フヅクエラジオ」を読んだ。Twitterなど見ていても散見されるが、読書家の人間というのは結構並行して何冊もの本を読む人が多いようだ。それで言えば昨日話したYさんも、今何を読んでおられるんですかと尋ねたところ、一〇冊ほどの書名を列挙してみせたのでびっくりしたものだ。Yさんはそのように色々な本を替わる替わる読んでいないと、集中力が続かないのだと言う。「フヅクエラジオ」では、読みにくい本を読む時の付き合い方、といったようなことについて何人かの言が語られていて、結構皆、つまらないと思ったり違和感があったりしたら途中で読むのをやめてしまうらしかった。自分は貧乏性なので、一度読みはじめた本は基本的に読み終えるまで離れるということはない。それには、書抜きを習慣としていることも寄与しているのかもしれない。一箇所でも書き抜く部分があれば儲け物という考え方で、それを裏返せば書抜きたいような記述が含まれているかもしれないのに、途中で読むのをやめてしまってそれに遭遇できないのは勿体ないというような貧乏性になるのだ。最近の困難だった読書と言えばやはりムージルのエッセイで、あれは何を言っているのかほとんどちんぷんかんぷんだった。それでも結構書き抜いたし、そのなかから二、三、「記憶」記事に移して繰り返し読みたいという部分も見つかったので、大半が理解不能でもそれで良いのだ。『特性のない男』も抽象的な思弁ばかりが続いてなかなか読み進めず、骨の折れる読書であることこの上なく、面白いのか否かよくわからないような具合だが、それでもともかく読み通してみるものだろう。
 「フヅクエラジオ」を読んだあとは、「記憶」記事の音読。イギリスのEU離脱関連の情報を復習する。そうして正午を越えたところで食事を取るために部屋を出て階段を上がった。母親は既に卓に就いてものを食べはじめていた。炒飯だと言う。こちらは台所に入ってフライパンの飯を搔き混ぜ振って温め、皿によそると、そのほか里芋と昆布の煮物、サラダ、チーズとピザソースの包[パオ]を卓に運んだ。今日は入院して昨日手術を受けた父親の見舞いに行く予定なのだが、病院の見舞い受付は三時からなので、二時頃に出れば良かろうとの話だった。食べていると、そのうちにテレビでは『サラメシ』が始まる。こちらと同年齢、二九歳の男性が脱サラしてコーラ屋を始めたというのだった。同い年なのに、設備の用意からオリジナルコーラの研究から、販路開拓から何でも一人でやって凄いものだ、自分にはあのようなビジネスは絶対に出来ないな、と思いながら視聴していた。そうしてものを食べ終えると、母親の分もまとめて食器を洗い、下階に帰った。それからふたたび「記憶」記事を、冒頭一番――フィリップ・ソレルス『ステュディオ』のなかから引いたヘルダーリンの手紙の語句である――から読んでいき、新崎盛暉『日本にとって沖縄とは何か』の記述を何項目か読んだところで――BGMはAntonio Sanchez『Three Times Three』を掛けていた――一時を越えて中断し、日記を書き足しはじめた。
 そうして一時半前を迎える。cero "Yellow Magus (Obscure)"を流しながら服を着替える。赤・白・紺のチェック柄の、少々質感の固いシャツに茶一色のスラックス、上はNICOLEの紺色のジャケットである。早くもそうして外着に着替えてしまったあと、手帳をひらき、過去にメモした事柄を読み返していった。大体、「記憶」記事を読んだ時にその情報を一部メモしたもので、例えば米軍の北爆が一九六五年二月七日――祖母の命日なので覚えやすい――から始まるとか、一九九五年の一〇月二一日に沖縄県で少女暴行事件を受けて県民総決起大会がひらかれたとか、そういった事柄である。音読で読んだ。一度読み上げると目を瞑って、今しがた読み上げた事柄を続けて二回復唱するという形で、知識を脳に定着させることを図った。そうして二時が目前になるとコンピューターをシャットダウンして上階に行った。荷物は、財布に携帯、cero『Obscure Ride』のCD、それに加藤二郎訳『ムージル著作集 第一巻 特性のない男Ⅰ』の入ったクラッチバッグに、丸善淳久堂の真っ白な紙袋に入れた漆原友紀蟲師』全一〇巻である。それを持って居間に上がると、こちらの持っているものを見た母親が洗面所から、そんなにいらないと言う。向こうにも何冊か本はあるし、帰ってくる時の荷物になるからと。漫画なので一〇巻くらい、一週間かそこらもあれば容易に読み終えてしまうだろうと思ったのだったが、それではと半分の五冊にすることにして下階に下り、自室に入って別の適した紙袋を探しはじめた。ささま書店の袋がサイズとして良さそうだったが、入れてみると四冊までしか入らなかったので、一巻から四巻までで良かろうとそれを持ってふたたび上階に行った。それから母親が支度を済ませるあいだ、手帳を読み返して待つ。出発しようということになって玄関に出てからも、母親は最後にトイレに行ったりなんだりとまごまごしているので、靴を履いた状態で大鏡の前でやはり手帳にメモした事項を読み返して待った。
 そうして出発、母親の車ではなく、父親のメタリックに真っ青な車を母親が運転する。本の入った袋やその他の荷物を後部座席に放り込み、助手席に乗り込んでシートベルトを締め、発車すると、cero『Obscure Ride』をオーディオシステムに挿入して、二曲目の"Yellow Magus (Obscure)"から流しはじめた。道中、印象深いことが特段にあったわけではない。「マイナー堂」――青梅市内にあるローカルなCDショップで、中学生の頃などはハードロックの音源を入手するのに大変世話になったものだ――が閉店したようで、シャッターが閉められており、その上に「閉店」の紙が貼られてあった。西分の交差点から千ヶ瀬に下りて、川の上を渡って友田の方に行き、目指すは八王子にある高月整形外科である。あそこは滝川街道という道なのだろうか、そのあたりを走っている時に、母親がこの近くに納豆を買いに来たことがあると口にした――いつのことなのか知らないが、市場から納豆が一掃されてしまった時があって、それなのに当時は納豆を毎日食わなくては気が済まない習慣だったので、二度ほど買いに来たと、そんなどうでもよい情報を何故か記憶している。道の脇のそこここで桜が空中を彩っていた。それにしても、車という乗り物は乗っているだけで身体も固くなって疲れるもので、加えて自分は酔いやすいと言うか、車中の空気というものが性に合わず、この道行きでも多少の気持ち悪さを感じていた。それで、高月整形に着いた頃には、自宅から四〇分か五〇分かそのくらい掛かったと思うが、その行きの道のりだけでいくらか疲労を身に帯びていた。医院のなかに入り、面会開始の三時までまだ数分あったので、入り口脇のソファに母親と並んで就き、目の前の席には『蟲師』の入った紙袋を置いた。向かいには飲み物とアイスの自販機が設置されてあった。右手側に松葉杖をついた少女とその母親がやって来て、少女が自販機に金を入れて何か飲み物を買う際に、付属されていた山田孝之――だと思うのだが、目が悪くて視覚像を定かに捉えられなかったのでもしかしたら違っていたかもしれない――の写真を指差して母親に何とか言っていた。もう一つガラス扉をくぐった向こうの待合ロビーの、受付の傍の天井からはテレビが吊るされてあって、そこには国会中継の様子が映っていたが、ガラスに遮られて音声はこちらまでは届かなかった。しばらく待って三時に至るとロビーに入り、廊下を抜けて二階に上がり、階段口の脇に置かれていた面会人用の記入用紙に母親が名前を書き入れた。首から下げる札も用意されていたが、母親が取ったのみでこちらは良かろうと判断して、消毒液を手に吹きつけて擦り込んでから、母親に続いて父親の室に立ち入った。やあ、と軽く挨拶しながら、カーテンをめくってなかに入る。父親は、先ほどまで本を読んでいたが、眠くなってきてベッドに移ったところらしかった。左足は包帯を巻かれて固定されており、僅かに覗いて見える指先のほうには血の色がごく幽かに見られた。入り口側から見てベッドの向こう、窓際には棚の上に小さなテレビが設置されており、窓から覗く医院の前の景色はだだっ広い茶色の――そのなかにところどころ緑の地帯も見える――畑地、空には雲は一滴もなく澄明な青に晴れ渡っていた。ベッドの手前には一つ、細長いテーブルがあって、体温計やら本やらが置かれてある。入口側から見てその右方、壁際にはデスクが置かれて、その上にも本やら硬貨やら入院のしおりやら、雑多な物どもが置かれていた。父親は眠そうで、欠伸をよく漏らしており、そのように足に包帯を巻いてベッドの上に所在なげに座っている姿を見ると、一気に老け込んで見えるような気がした。母親が持ってきた蕗の煮物をあまり乗り気でなさそうな父親に食べさせたりしてしばらく過ごしていると、父親が、水を買ってきてくれと言って硬貨を渡してきた。母親もそれに便乗して、苺牛乳を頼んでくる。それに加えてもう空になった水のペットボトルをついでに捨ててくるために受け取って、廊下に出た。右方に折れて突き当たりまで歩いていくと、自販機がある。掌に持った硬貨を一枚ずつ入れて、水を二本買った。それを抱えて今度は手前の談話室に入り――なかには一人、それなりに若い男性が、病人服姿で漫画か何か読んでいた――紙パックの飲み物を売っている別の自販機から、苺牛乳の類を購入する。空のペットボトルも捨てておき、そうして病室に戻った。
 母親がデスクに就いて塗り絵をやりながら、脈絡なく由無し事を話したりしているうちに時間が過ぎて行く。『蟲師』というのはどういう漫画かと訊かれたので、言わば妖怪みたいな、「蟲」という超自然的な生命体がいて、それが色々と事件を引き起こすのを解決するような話だと説明した。父親も最近漫画を読んでいるようで、デスクの上には『はじめアルゴリズム』という作品の第六巻が置かれてあった。数学を題材にしたものらしい。そのほか病室にあった本二冊はどちらも、少年院に入所した人の体験談を聞き取ったような類のものだった。
 じきに父親は、身体を濡れないようにして頭を洗えるらしいから訊いてみてくれと母親に頼んで、彼女は仔細を尋ねるべく病室の外に出て行った。二人きりになったそのあいだに、入院したのは初めて、と訊くと、母親が渡した色鉛筆を小さな鉛筆削りに差し込んで苦戦しながら削っていた父親はちょっと間を置いて、初めてと言えば初めてだなと答えた。子供の頃に、桜の木から落ちて二、三日、入院していたことはあるけれど、それを除けば初めてだと言う。最初の入院が大病でなくて良かったねとこちらは受け、そのうちに母親が戻ってきた。今は看護師の皆さんが忙しいようで、のちほど案内に伺いますとのことだった。
 そうしてまたいくらか過ごしているうちに、看護師が二名室に入ってきて、案内をするとのことになった。父親は包帯を巻いている方の足を床につかないように注意して、片足で立ち、小さく跳ねながら車椅子に移る。そうして自分で操作して病室の外に出ていったあとから、母親が、トイレと一体になった洗面所に置かれてあった極々小さなシャンプーとリンスの入れ物を取って、あとについていく。すぐ向かいの水場に皆で入り、タオルを首に巻き、その上からマントのような布を被せて留めて、と看護師が説明しながら準備をしてくれる。マント風の水除けの布がずれ落ちてこないように、シャツと一緒に洗濯挟みで留めて準備は完了、流し台のほうに頭を突き出してもらって、シャワーで洗うということだった。それで母親が洗髪を受け持ち、シャワーを流し出して、シャンプーで髪の毛の乏しい頭を泡立てる。そのあいだこちらはドライヤーを用意して、室の端のコンセント――二つ口があったが、一つは洗濯機、もう一つは小さな空気清浄機のような機械に繋がっていたので、清浄機のほうを外した――に挿したあと、何をするでもなく見守っていた。コンディショナーも付与して洗い流したあと、父親が、手を伸ばして髪を前のほうにしごき、水気を取りながら、何だかぬるぬるしていると文句を言った。ぶつぶつ言いながらもバスタオルで拭き、それからこちらは、水場のすぐ脇に別のコンセントがあったことに気がついたので、ドライヤーの位置を移し、父親に機器を手渡した。そうして父親が髪を乾かしたあと退出、退出間際に看護師が一人やって来て、使い終わったマント風の布の置き場を尋ねると、そのあたりに置いておいて良いと流し台のほうを指した。それでそのようにしておくと、彼女は何かを持ち上げた拍子に洗面器を一つ、水場から床に落としたので、それをこちらが素早く拾ってあげると、ごめんね、そんな風にしてもらって、と礼にしては奇妙に丁重な返答があった。
 そうして室に戻った。その後、母親はまた塗り絵に戻り、何とかかんとか言いながら色鉛筆を動かし、父親はその話を聞き流しながらスマートフォンでラジオを掛けたり、携帯を弄ったり、時折り母親の話に反応を示したりしていた。こちらは手持ち無沙汰に立ち尽くしたり、窓に寄って外の風景を眺めたりしていた。覚えていることの一つは、母親の前日の「K」でのエピソードで、昨日は子供たちを連れて皆で近くの公園に行ったのだが、その時に、一人の男の子が鼻水が出て仕方なく、しかし誰もティッシュの持ち合わせがなかった。そこで公衆便所からトイレットペーパーを持ってきて、これでかみなと母親は渡したのだが、紙質が固いから嫌だと件の男の子は聞き入れない。それに対して母親は、大丈夫、こうして揉めば柔らかくなるからね、と言って紙をくちゃくちゃやって宥めたと言うのだが、トイレットペーパーを揉めば柔らかくなるというのが、もう昭和の発想だなとこちらは笑った。
 ほか、オスプレイが二機、雲のまったくない空を渡って行った時間もあった。父親が窓の方を向いて、あれはオスプレイじゃないかと言うのでこちらも窓に寄ってみると、最初は目が悪いこともあって機影が定かに見えなかったのだが、じきに例の、両側にプロペラのついた独特の形が視認されて、確かにそうだと確定された。横田から飛んできたものだろう。駆動音を撒き散らしながら、我々のいた高月整形の建物の上空を越えていったようだった。
 四時を越えたあたりで父親がテレビを点けた。すると映し出されたのは国会中継で、維新の党の女性議員が質問に立っているところだった。その後共産党の何とか言う議員の番に移り、例の国土交通副大臣の「忖度」問題を取り上げはじめたので、ほら、昨日言っていたのがやってるよと母親に注意を促した。母親は結局、この問題をうまく理解できていないようだったので、テレビに目を向けながら――音量が小さかったのでこちらの話し声で音声はこちらの耳には届かなくなってしまうくらいだったが――多少解説をし、そのあいだ父親は黙ってテレビのほうを向いて注視していた。
 覚えているのはその程度のことである。四時半を迎えると、帰るかということになった。それじゃあ、ゆっくり骨休めしてくださいとこちらは言い残した。父親は面会時間のあいだ、母親にやや高圧的に当たったり、何だかんだ文句を言ったりする瞬間もあったが、この時はさすがに彼も、神妙な様子でありがとうと呟いた。母親がにやにや笑いながら近寄って、握手を求め、手を握ったあとはふざけて顔に触れようとして、父親も笑ってそれを嫌がり、払う。中高年の年甲斐もない戯れである。それを見守ったあと退出して、階段口まで行き、記入用紙に退出時間を書き入れてから階段を下った。廊下を渡ってロビーを通り抜け、入り口まで戻ると、アイスを買うことにして母親に硬貨を貰った(財布は車のなかに置きっぱなしにしてあったのだ)。一七〇円のベルギーチョコアイスを買い、車に戻って助手席に入ると、発車とともに包装紙を剝いでアイスをかじった。
 昨日、裏通りの途中で猫に会って、白い猫、可愛かった、逃げないのは珍しい、皆大体すぐに逃げてしまうから、などと話しつつ車に揺られる。そのうちに母親が、何て言ったらいいと思う、と訊いてきた。土曜日に自治会の会合があるらしいのだが、その席で、父親が欠席している理由を表明するつもりだと言うのだ。病室でも母親は、皆の前で、主人は祭りの草履を履くために痛い怖い思いもして、手術をしていま入院しています、どうぞ皆さん、お手柔らかに見守ってくださいなどと泣いて言おうかと思って、などと、冗談なのか本気なのかわからないが、言っていたけれど、こちらからすると阿呆かという話だし、そんなに大袈裟なことにしなくても良いだろうと受けた。わざわざ皆の前で余計なことを言うこともない、わざわざアピールしなくても良い、向こうから訊かれたら事実を答えれば良い、余計なことを言うとあとで父親に怒られるぞと助言すると、母親も納得したようで、そうだよねと言っていた。それから、足の手術は不要だったのではないかという話になった。特例でスニーカーを履くことを認めてもらえたほうが良かったと言い、それはこちらも同意なのだが――何しろ手術や入院のために多くの金が掛かるのだ! と言ってもそれは父親が自ら稼ぎ出した金なので、その恩恵に預かっていつまでも生きているこちらは文句は言えないのだが――、しかしそれでは通らないから手術をしたのだろうという話である。拍子木役というのが祭りの役目のなかにあって、どうも来年父親はそれを務めることになるようなのだが、その時は息子であるこの自分も、その脇に控えてついて同様に町を練り歩かなくてはならないらしい。まったくもって嫌な話だが、兄などはそのためにモスクワから帰ってくるなどと言っているらしい。兄の参加でそれでは自分は免除してもらおうかと思ったところが、息子が二人いれば二人が父親の両側につくといって、退路は断たれた。面倒臭い事態である。何が嫌だと言って、以前テレビで見たことがあるのだが、拍子木役とその助手というのはインタビューを受けることになるのだ。役目でおじさんおばさん連中のあいだに入っていかなければならないことも面倒臭いが、町を練り歩くこと自体はさほど苦痛でもない、しかしインタビューを受けて、ローカルネットとは言えテレビに映ることになるなどとは、まことに気の進まないことである――その時が来たら受け容れるほかはないが。
 スーパー・オザム秋川店に寄った。買うのはドレッシングと大根だけだという話だったので――と言っても、母親のことだから、入店して品物を見て回っているうちにあれもこれもとほかのものも買ってしまうであろうことはわかっていたのだが――こちらは降りなくても良かろうと車内に留まった。正面、駐車場の向こうには何本か桜の木が立ち並んで薄紅色を宙に散らしており、その枝上を鳥の飛び交う影が見えた。鵯らしく、姦しくぴよぴよと鳴き交わす声がガラス越しにも耳に届いてきた。それをしばらく見てから、加藤二郎訳『ムージル著作集 第一巻 特性のない男Ⅰ』を読みはじめた。相変わらず何を言っているのかよくわからない記述が続く。しばらく頁に目を落としていると、母親が帰ってきた。予想通り、大根とドレッシングだけではなくてほかのもの――ポップコーンなど――も買ってしまったようだった。
 夕食のためにケンタッキー・フライドチキンを買って帰ろうということになっていた。それで滝川街道を走り、友田から河辺のほうに出て、ケンタッキーに寄ってドライブスルーの列に入った。四個入りのセットが二つで一五〇〇円だと看板で宣伝されていたので、最初はそれで良いかと言っていたのだが、結局注文の段になって母親が、六個入りの一つで良いだろうと案を変えて注文した。三種のサイドメニューはビスケット、クリスピー、ポテトが一つずつ選ばれた。代金は一七九〇円。支払い・受け取り口に移動し、母親が代金を支払って品物を受け取ると発車、あとはクリーニング店に寄る必要があった。それで街道を走って千ヶ瀬方面に坂を下りて行くと、遥か西の山際で太陽が落日間際の色濃い膨らみを見せており、貼りついた紙のような薄い山の姿から果てから伸びてくる車道からそこを走っている車から、事物の下から這い出ている薄青い影以外は何から何までも粉のような橙色を被せられ、そのなかに浸っているのを見て、これは凄いなと思わず目を見張った。その後、裏道に入ってクリーニング店の駐車場に停まった。母親に荷物を運ぼうかと尋ねたが、大丈夫だと言うのでこちらは車内に留まり、BGMの止まったなかアカペラでcero "Orphans"をちょっと口ずさんだあと、手帳を取り出して断片的なメモを取っていると母親はすぐに帰ってきた。そうしてふたたび発車したあと、家に帰るまで特段に印象深いことはなかったはずである。
 自宅前に停まると、荷物を持って降り、郵便ポストから郵便物も取って階段を上り、扉の鍵を開ける。そうしてなかに入り、荷物を居間に運び入れるとともに、スーパーで買ってこられたものを冷蔵庫や戸棚に整理した。そうして下階に下り、自室に入ってジャージに服を着替える。それから上階に行くと母親は昼間にこちらが三合計って笊に収めておいた米を磨いでいる。彼女は今ちょうど、市営住宅に住んでいる人が自治会関連の書類を届けに来るのを受け取りに行くと言うので、磨がれたあとのものを受け取り、釜に入れて水を注ぎ、十五穀の粒を少々加えて搔き混ぜると炊飯器にセットしてスイッチを押した。それから、芸がないがまたサラダとして大根をおろせば良かろうと冷蔵庫のなかに僅かに残っていたものと買ってきた大根とをスライサーでおろし、さらに人参も加えておく。それであとはケンタッキー・フライドチキンもあるし、前日の残り物もあるし食事の支度は良かろうというわけで下階に下り、Twitterをちょっと眺めたあと、七時前から日記を書きはじめた。BGMに選んだのは、Fred Hersch Trio『Alive At The Vanguard』である。そうして一時間強打鍵したが、書きはじめる前は記憶を思い返すのが面倒だったところが、いざ書き出してみると結構よく思い出されて、覚えていることを入念に記せている感触があり、久しぶりに改めて、日記を書くというのはなかなか面白いではないかと感じられた。八時を過ぎると食事を取りに行った。白米・フライドチキン・ポテト・大根や人参やトマトのサラダ・それに母親が追加して作ってくれた豆腐と昆布とエノキダケの汁物である。テレビはどうでも良い、youtubeで再生回数の多い動画を紹介するだけの仕様もない番組。新聞を瞥見しながらものを食べると、薬を飲んで皿を洗い、風呂に行った。"Nardis"のメロディを口笛で吹いたり、散漫な物思いをしたりしながらしばらく浸かって、上がってくると即座に下階の自室に帰って日記の続きを書き出した。そうしてここまで綴って、九時半過ぎを迎えている。
 Fred Hersch Trio『Alive At The Vanguard』が終幕に差し掛かっていた。その演奏を聞きながらTwitterを徘徊し、フォローを少々増やしたあと、一〇時からベッドに移って本を読みはじめた――まず、川上稔『境界線上のホライゾンⅣ(上)』である。それを三〇分強、六〇頁ほど読むと、加藤二郎訳『ムージル著作集 第一巻 特性のない男Ⅰ』に移ったのだが、まだ日付替わりも済んでいないと言うのに、疲労感と淡い眠気が立ち籠めつつあり、折々目を閉じてしまう有様だった。それで珍しく、零時に達して四月四日の終わるその前に本を置き、手帳に一一時五一分をメモして明かりを落とした。入眠は容易だったと思う。


・作文
 10:08 - 10:50 = 42分
 13:09 - 13:27 = 18分
 18:52 - 20:05 = 1時間13分
 21:04 - 21:34 = 30分
 計: 2時間43分

・読書
 11:11 - 12:08 = 57分
 12:38 - 13:09 = 31分
 22:01 - 23:51 = 1時間50分
 計: 3時間18分

  • 2016/6/20, Mon.
  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2019-04-01「呼吸する金剛石の下腹を愛撫すること死を思うこと」; 2019-04-02「指先に錆びが浮いてる内陸の風が海に届くことはない」
  • fuzkue「読書日記(128)」
  • 「記憶」: 123 - 136; 137 - 140; 1 - 11
  • 加藤二郎訳『ムージル著作集 第一巻 特性のない男Ⅰ』: 169 - 176
  • 川上稔境界線上のホライゾンⅣ(上)』: 130 - 188

・睡眠
 1:40 - 8:45 = 7時間5分

・音楽

  • cero, "Yellow Magus (Obscure)", "Summer Soul", "Orphans"
  • FISHMANS『Oh! Mountain』
  • Antonio Sanchez『Three Times Three』
  • Fred Hersch Trio『Alive At The Vanguard』

2019/4/3, Wed.

 暗闇のなかで枕に頭を乗せて横を向きながら、心臓が痛んだ。どうも目が冴えて眠れないのではないかという予感はありありと感じられた。それでも一時間は床に臥していようと思ったのだが、結局、四〇分ほど経って二時を越えたところで起き上がってしまった。コンピューターを点け、前日の記事をごく短く書き足して仕上げ、深夜の投稿を済ませるとUさんへのメールを推敲しはじめた。自分の悩みを開陳するばかりであまり刺激的なことが書けなかったし、結論はいつもながらの退屈なものに至ってしまった。一時間ほど推敲して、三時四〇分頃にメールを発送した。それからベッドに移り、眠れないので加藤二郎訳『ムージル著作集 第一巻 特性のない男Ⅰ』を読みはじめた。ムージルの記述は、一般的な概念の卓越した操作と、豊かな比喩的イメージの結合によって、奇妙な、彼特有の抽象性を全体に醸し出しており、意味や各文の連関が掴みにくい。苦戦しながら一時間ほど読んで、五時直前に至ったところで何となく眠れそうな感じがしたので本を置き、目を閉じて身体の力を抜いた。そうしてなんとか意識を失うことに成功し、それから寝床に熱烈な光の射し込む一〇時半頃まで臥位に留まり続けた。起床すると上階に行く。母親は父親の足の手術立ち会いに出かけている。冷蔵庫から前日の残り物――揚げ物二種とゴーヤの炒め物――を取り出し、電子レンジで加熱して米をよそった。そうして卓に就いて新聞をめくりながらものを食べた。シナイ半島の停戦監視団に自衛隊員二人が送られるという話題。ほか、新元号についての世論調査などが載せられていたが、元号を存続するべきだと思う人が八割を占めているという点はちょっと意外に思った。ものを食べ終えると食器を洗って、下階に下りてきてこの日の日記作成である。今日も今日とてFISHMANS『Oh! Mountain』を流してここまで書くと時刻は一一時を越えている。
 二〇一六年六月二一日火曜日の日記を読んだ。歩いている途中の描写を二箇所、Twitterに流しておき、それからfuzkueの「読書日記」。三月一七日日曜日の分まで三日分を読む。途中で引かれていた吉田健一の文章の質感やリズムが、日記全体の筆者であるA氏のそれと似ているように思われて、引用と本文とが調和しているように感じられた。そうして次に、「記憶」記事の音読。英国のEU離脱関連の情報から始めて、その後、斎藤慶典『哲学がはじまるとき――思考は何/どこに向かうのか』の記述へ。読みながら合間に、TwitterでY.Cさんという方とやりとりを交わす。BGMはAntonio Sanchez『Three Times Three』。そうして一二時四〇分まで。図書館に出かけようかという気持ちが湧いていた。その前に小腹を満たすことにして、面倒なのでカップヌードルで簡便に取れば良かろうと上階に行き、戸棚からカップ麺を取り出して湯を注ぎ、自室に持って戻ってきた。それを食ったのち、容器を始末しにふたたび上に行き、そのまま風呂を洗う。さらに続けて洗濯物を取り込み、タオル、肌着、父親の寝間着などを畳んだのち、エプロンやハンカチにアイロンを掛けた。そうして戻ってきてここまで短く綴って一時半過ぎ。
 cero『Obscure Ride』から、"Yellow Magus (Obscure)"、"Summer Soul"、"Orphans"の三曲を歌った。それからyoutubeにアクセスして、tofubeatsの"WHAT YOU GOT"を久しぶりに流し、そのまま"BABY"にもなだれ込んだのち、藤井隆をフィーチャリングした"ディスコの神様"を口ずさんだ。そうして今度はキリンジ "エイリアンズ"を裏声で歌い、"千年紀末に降る雪は"のライブ映像を視聴して、とそんなことをやっているうちにあっという間に一時間が経って二時半である。出かけることにして部屋を出て、上階に行った。母親の真っ黒い肌着を畳み忘れていたことに気づいたのでハンガーから取って折り畳んでソファの背の上に置いておき、引き出しからBrooks Brothersのハンカチを取って便所に入り、出てくるとリュックサックを背負って出発した。玄関の扉に鍵を掛け、郵便受けをひらいて何も入っていないことを確かめてから道に出て歩き出す。家の近間の、一段下ったところにある花壇の周辺、木の伐られたあとの切り株が多数並んでいるその周りに、あれはムスカリだろうかハナダイコンだろうか、明るい紫色の花が群れを成して生えている。それに目を凝らしながら坂に入ると宙に風が差し込まれて、顔に触れてきたその感触のなかに思いの外に冷涼さが含まれていた。坂を上って行き、街道に向かっていく途中、またもや例の、薄ピンク色のコートを羽織った独り言の老婆に出くわした。同じくピンク色のスーツケースと傘をいくらか離れたところに置き去りにしながら、街道との境になっている石壁に寄って、木の棒を持って壁を引っ搔いたり、石のあいだの苔や砂をこそぎ落としたりしつつ、やはり何やら独言を呟いていたようだ。その横を通り過ぎて表に出ると、風が荒れている。途上の東空から雲は吹き飛ばされて一点も存在を許されず、背後の西空にはいくらか散ったものがあるものの、太陽に掛かるほどの勢力はなくて陽は屈託なく通り、路上は隅から隅まで全面日向を敷かれていた。小公園の桜は遠くから見てもまだ半端な咲きぶりで、紅色と白とで霙状の混淆を成しているが、近づくと枝先に、あれは八重の種なのか、泡のような白さが寄り集まって膨らんでいるのが見上げられた。
 裏通りに入って、首の後ろに温もりを宿されながら進んで行く。線路の向こうの丘の木々には緑が増えてきたようだ。途中で空に、突如として二羽の鳥が現れて、若い鳶らしく悠々というわけには行かず羽ばたきをいくらか間近く繰り返しながら旋回していたが、一羽はいつの間にか消え失せて、もう一羽は森の方に飛んでいき、爪の傷のような微かな姿と化しながら木々の向こうに消えて行った。さらに歩くと一軒の前に、白い猫が日向ぼっこで佇んでいる。寄ってみると立ち上がってちょっと離れる素振りを示したが、よくいるほかの猫のように警戒して即座に駆け出すでもないのでしゃがんで手を出してみると、みゃあみゃあと小さな鳴き声を漏らしながら方向を変えてこちらの手に近づき、湿った鼻先を指に寄せてくっつけてきながら噛みつきはしない。それからごろんと、腹を見せて横になったので、お腹に手を当てて軽く柔らかく撫でさすってやった。その後しばらく、こちらの前を行き来したり、ふたたび仰向けに転がったりするのに任せ、頭や背や腹に触れて戯れた。猫は全身の白い体毛のうちに、僅かに黒や茶の色を差し込まれていた。時折りジャケットのひらきの縁に顔を寄せてきたり、転がって砂利の付着した体をこちらのズボンにすりつけてきたりするので、細かな砂や白い毛が褐色のスラックスの膝のあたりにたくさんくっついてしまった。しばらく遊んでもらったのち、スラックスの毛を払い落として立ち上がり、手を振って別れ、ふたたび道を歩き出した。
 市民会館跡地裏まで来ると、梅岩寺の、見事に薄紅色を湛えた大きな枝垂れ桜が左方に現れる。花というよりは果物の房のような縦の連なりを、風に晒して緩やかに靡かせているその下を人が行き来したり、カメラを掲げて構えたりしている姿が見られた。駅まで来ると改札の手前にベビーカーを伴った若い母親が立っていて、改札の向こうには彼女に向けているものか、カメラを差し向けたやはり若い女性の姿が見られる。その背後を通って通路を辿り、ホームに上がると一番線に到着したばかりの電車の二号車、三人掛けにリュックサックを置いて腰を下ろした。そうして胸の隠しから手帳を取り出し、道中目にして印象に残ったものを簡潔に箇条書きでメモに取る。それが終わると目を閉じて発車を待ち、電車が動き出すと瞑目を解いて車外に流れる風景を眺めながら、書く対象はいつでもそこにあってあちらからやって来るのだ、と考えていた。河辺に着く間際、携帯電話を確認すると母親からの返信が入っていて――家を出る前に図書館に行くと伝えておいたのだった――、こちらは今手術が終わったところで父親はぐっすりだとの報があった。河辺で降りると陽の射し掛かるなか、ぼんやりとした気分でホームを歩き、エスカレーターに乗って上り、人々の行き交うなか、改札を抜ける。駅舎の出口では女性が一人、何やらチラシを配っていたが、こちらには渡して来なかったそれはどうも、背後の声を聞く限り、マッサージ店か何かのものらしかった。歩廊に出て眼下を見下ろせば、コンビニ前のベンチの一つに、あれは小学生だろうか私服姿の女児たちが三人並んで席を埋めており、その前にもう一人が立って何やら両手を頭の上に差し上げたり前に差し出して仲間を指し示すようにしたりして遊んでいる。その席の隣、そしてさらにその隣のベンチにはいつもながらの、素性の知れない高年たちの集団が見られた。こちらの目の前では風が踊る。そのなかを通り抜けて図書館に入ると、新着CDの棚を瞥見してから上階に上がった。新着図書の棚の前は混んでいて、数人が集まっており、そのなかにこちらも加わって眺めていると隣人との隙間から一人、男性が、すみませんと小声で言いながら入ってきて棚の至近に身を低くして何やら見分していた。新着図書は普段よりも多くて、臨時のものだろうか、通常の棚の脇に一つ余分にカートが置かれて、その上にも書籍が並べられていた。そちらも見たが、際立って興味を惹かれるものは見当たらなかった――文学のあたりなど人が立っていたので仔細に見られていないが。そうして棚の前を離れ、書架のあいだを抜けて大窓際に出て、席を一つ取ると椅子をゆっくり引いてそこに腰掛け、腕時計を外してコンピューターを取り出し起動させた。Evernoteをひらいて日記を書きはじめたのが三時半を回った頃合いだった。そこから三〇分ほどでスムーズにここまで綴って四時六分に至っている。数えてみると、三〇分強で二八〇〇字ほどを綴っていた。
 持ってきたムージルを読もうかどうしようか迷ったが、今日はさっさと帰るかということでコンピューターをシャットダウンし、荷物をリュックサックにまとめて席を立った。帰る前に、歴史の棚を見分する。ドイツから始まってイギリス、パレスチナ周り、それから歴史の区画の始めのほうに移って見ていったあと、フロアを渡って反対側の端、文庫の棚に行き、そこでも歴史学や社会科学の著作を見分した。手帳にメモを取った書籍は以下の通り。

・ゲルハルト・シェーンベルナー『黄色い星』
・ティモシー・スナイダー『ブラックアース』
プリーモ・レーヴィ『これが人間か』
・武井彩佳『<和解>のポリティクス』
・D・グロスマン『死を生きながら』
・奈良本英佑『パレスチナの歴史』
・ディーオン・ニッセンバウム『引き裂かれた道路』
・『歴史を学ぶ人々のために』
西谷修『世界史の臨界』
・北村厚『教養のグローバル・ヒストリー』
・A・C・グレイリング『大空襲と原爆は本当に必要だったのか』
・A・J・P・テイラー『第二次世界大戦の起源』
・シュロモー・サンド『ユダヤ人の起源』
井上寿一日中戦争
大杉一雄日中戦争への道』
・黒羽清隆『太平洋戦争の歴史』
島田俊彦満州事変』
加藤周一『言葉と戦車を見すえて』
宮沢俊義『転回期の政治』
中島義道『差別感情の哲学』
丸山眞男『政治の世界』
・古関彰一『日本国憲法の誕生』

 そうして、退館する前に便所に寄った。放尿を済ませて手を洗い、室から出てフロアの一角に立ち尽くし、ハンカチで手をよく拭う。それから新着図書の棚のうち、先ほど見ることの出来なかった文学の区画を見ようと思ったが、またもやその前に人があったので、政治哲学の棚を見分して――ここではもうメモは取らなかったが――スペースが空くのを待った。それから文学の新着を確認してから退館である。買い物をして帰ろうかどうしようか迷っていたが、ひとまず駅に行くことにした。奥多摩行き接続の電車まで時間があったら、買い物で時間を使えば良いだろうと考えたのだ。それで駅舎に入って掲示板を見てみると、あと数分でやってくる五時三分の電車がちょうど奥多摩行き接続だったので、買い物はやめて改札をくぐり、ホームに下りた。西空の太陽が視界の端から光を送りつけてくる。瞳に眩しく引っ掛かるその陽射しも、こちらがホームに立ち尽くしているあいだに少しずつ、しかし着実に下っているようで、裾の明るみを残して建物の裏に隠れてしまい、目に真正面から入り込んでくることはなくなるのだった。やって来た電車に乗って、扉際に就き、発車すると家並みのあいだから時折り顔を出す太陽がふたたび目を射し、あるいは自動車のボディに白い光を溜め、木々の緑葉を輝かせる。途中、踏切りから見えた街道にも西陽の色が敷かれて、懐かしいような風合いの風景が生まれていた。青梅に着くとそのまま即座に向かいの奥多摩行きに乗り換え、最後尾の扉際に就いて到着を待った。最寄り駅に着いてもまだ太陽は瞳に引っ掛かってくる。駅舎を抜けて盛りの桜の下を通り、街道を歩きだしてちょっと行くと、マンションの脇にもう一本、桜が生えていて、見上げた枝先に寄り集まっている花弁の群れが、無数の吸盤のように見えるのだった。空は変わらず晴れ晴れと雲を排除しているが、夕刻の空気はいくらか冷たい。そうした明るい夕方の微風が浮かんで木の葉を揺らすなか、坂道を下って帰った。
 母親はまだ帰ってきていなかった。郵便物をポストから取ってなかに入り、下階に下りてコンピューターを自室の机上に据えるとともに、リュックサックやズボンのポケットから小間物を取り出して棚に戻し、ジャケットは脱いで廊下に吊るした。そうして服をジャージに着替え、上階に行って食事の支度である。しかし、冷蔵庫を覗いても大したものがない。辛うじて前日に使った豚肉の残りがあったので、これを玉ねぎと炒め、汁物はジャガイモの味噌汁を拵え、そのほかサラダにはまた大根をおろせばよいかと簡単に決めて、自室からFISHMANS『Oh! Mountain』のCDを持ってきてラジカセで流しはじめた。手を洗って玉ねぎを切り、豚肉を冷蔵庫から取り出して牛乳パックの上に置いたところで"土曜日の夜"が始まった。肉を細かく切断し、包丁と手を洗ってから玉ねぎをもう一つ切り分け、フライパンに油を引いてチューブのニンニクを落とす。そうして炒めはじめた。木べらで搔き混ぜながら加熱して、適当なところで肉も放り込んで搔き混ぜ続け、味付けは砂糖と醤油である。醤油を注いでしばらく強火で熱し、完成すると、今度はジャガイモを洗って皮を剝き、包丁を使って芽を刳り抜いた。そうしてまず輪切りにしたそのあとから細い棒状に切り分け、既に沸かしておいた小鍋に投入、しばらくすると灰汁が出たのでお玉ですくい取って除き、煮込んでいるあいだにスライサーを使って大根を笊に下ろし、胡瓜も同じく細かくして加えた。そうして流水で洗ったあと、野菜の入った笊は食器乾燥機のなかに入れておく。粉の出汁と椎茸の粉を放り込んで、お玉で搔き混ぜて溶かしているとジャガイモは柔らかくなったので、チューブの味噌を押し出して溶かし、それで三品完成というわけで下階に戻った。六時頃だった。
 Twitter上でYさんとやり取りを交わしながら、加藤二郎訳『ムージル著作集 第一巻 特性のない男Ⅰ』を読む。六時四〇分頃になると空腹が極まったので、食事を取りに上階に行った。母親は帰ってきていた。フライパンの炒め物を温め、丼に米をよそってその上から玉ねぎと豚肉を掛け、そのほか母親がトマトを追加したサラダや味噌汁や、母親が追加して茹でてくれた菜っ葉を取り分けて卓に就いた。テレビのニュースは、Vtuber育成学校などというものの様子を映している。それを漫然と眺めながらものを素早く食って、薬を飲んで皿を洗うと風呂に行った。しばらく浸かって出てくると時刻は八時近く、部屋に戻って、ウィリアム・アンダーヒル「【ブレグジット超解説】最大の懸案はアイルランド国境を復活させない予防措置「バックストップ」」(https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2019/02/post-11695_1.php)を読んだのち、Aretha Franklin『Aretha Live At Fillmore West』の流れるなかで「記憶」記事を読んだ。三〇分、八時四〇分まで読んだのち、日記を書きはじめる。途中、母親が買ってきてくれたコンビニのロールケーキを頂きに参ろうと上階に行くと、ちょうど彼女は件の品を食べているところで、横からこちらも一切れ分けてもらった。テレビは塚田一郎国土交通副大臣の「忖度」発言のことを報じており、母親は、忖度って難しい、どういうことと訊いてくる。それに対してこちらは、直接何か言われたわけではないけれど、他人の考えや事情を想像して、その人の利益になるようなことをするっていうか、とゆっくり言葉を区切りながらいくらか覚束ない説明をした。それでも母親はまだ問題がよくわからないようだったので、下関北九州道路というものがあって、下関は安倍晋三の地元でしょう、それで福岡は麻生副総理の地元、だから安倍・麻生道路などと呼ばれているんだけど、彼らが直接指示を出したわけではないけれど、あの人が(と画面に映った国土交通副大臣を示す)、総理副総理の意向をまさに「忖度」して――つまりその意図を汲んで――道路建設事業を進める方向に持っていったんだ、とそんなようなことを言うと、母親は理解したようだった。事実と違うことを言ったなんて言い訳しているけれど、まあ本当のことでしょう、すごく口が軽い人なんだねとこちらは笑い、母親が問題を理解したものの一周してもう一度、忖度ってのは……と同じところに戻ったので、先のような説明を繰り返し、だから元々は特に悪い意味の言葉ではないんだけど、政治家が、直接指示を受けていなくても上の者のことを考えて悪いことをする時に使われる言葉になっちゃったねと解説した。そんなような話をしながらロールケーキを二切れ頂いたのち、自室に一旦戻って急須に湯呑み、それにゴミ箱を持ってふたたび上階に行き、ゴミを整理するとともに茶を注いで、湯呑みいっぱいになったものを零さないように注意してゴミ箱を抱えながらねぐらに帰った。そうして茶を飲みながら打鍵を続け、九時四二分まで掛かって現在時に追いつかせることができた。
 そうして一〇時過ぎから読書、加藤二郎訳『ムージル著作集 第一巻 特性のない男Ⅰ』。コンピューターの前に座って、Twitter上でYさんと話をしながら読み進める。凄まじい冗長さ。一三八頁から一五五頁までのあいだ、物語的な展開としては、ボーナデーアが訪ねてきて愛撫をしあい、その後しばらく何をするでもなく彼女が佇んだあと、最終的に喧嘩別れに終わるといった程度のことしか起こらず、そのあいだに書かれていることの大半はウルリヒの頭のなかで推移する。記述は現在の時空から浮かび上がって、どこともしれない心理的領域のなかへと突入していく。地に足ついた物質的世界に比して、ムージルにおける記憶や思考の世界の広大さよ。思考は花のあいだを飛び交う蝶のように記憶から記憶へと飛び移っていき、そこで引用される言葉がまた新たな議論を呼ぶ。
 一五一頁にはウルリヒが旅先の島で、一匹の驢馬と戯れたり、「海や岩や空などの仲間」と一緒に寝そべったりするという具体的で小説的な香りの漂う場面があるのだが、記述はすぐさまそうした描写を離れて抽象的な考察の領域に移行する。プルーストにしてもムージルにしても、二〇世紀の巨匠はどうしてこうも熱烈な考察癖を持っているのか。彼らは具体性のレベルにいつまでも留まっていることに耐えられず、外面的な地上世界を離れて思弁を展開せずにはいられないのだ。滔々と、止めどなく流出する思考の激流が小説の流れを圧倒して、畸形のように肥え太っている。物語を前に進める語り手としての責任は放棄され、作家当人が書く欲望に身を任せて最大限に従った結果として、その欲望が生々しく、荒々しく露呈されているようだ。しかもそこで披露される思弁には独特の抽象性が立ち籠めていて、何を言っているのかいまいちわからないことも多いものだから、まったく困り物である。

 (……)毎朝、太陽が彼を眠りからさました。そして漁師が海に出て、女子供が家にいるときには、島の二つの村落の間にある茂みや岩の背で草をはんでいる一匹の驢馬と彼だけが、陸地のこの風変わりな前哨地点に存在する唯一の高等動物であるかのようだった。彼はこの相棒の驢馬と競争して岩の背に登ったり、島の端で、海や岩や空などの仲間に取り囲まれて寝そべったりした。これはけっして大げさな言い回しではない。なぜなら、大きさの相違などが消えてしまういわばこのような共存状態では、精神、生物界、無生物界のあいだの区別は消滅して、物のあいだにあるあらゆる種類の相違も、だんだん少なくなっていくからだ。この現象をごく冷静に言い表わせば、相違はもちろん消えも減りもしていなかっただろうが、相違の意味がそれらのものから脱落してしまい、愛の神秘に心を奪われた信仰者たちの手で記されたような、「人類の印であるいかなる差別にももはや隷属していなかった」のである。この若い騎兵中尉は、当時この神の信仰者たちについては何一つ知らなかった。またこの現象についても――ふだんなら、野獣の跡を追う猟師のように、観察したものの後を追い、追いかけながら考えるのに――そんなふうには考えもせず、いやおそらくこの現象に気づきさえもせずに、これを吸収していた。これは、運び去られるという、口では言い表わせない状態だったとはいえ、彼は風景の中に沈潜していたのだ。外の世界が目の敷居を越えてくるたびごとに、世界の意味が内部から音のない波となって打ち寄せてきた。彼は世界の心臓の中に入り込んでいた。彼と遠く離れている恋人との距離は、彼とすぐ近くにある木との距離と同じだった。内なる感情が空間を消去して物と物とを結びつけていた――夢の中で二つのものが混じり合わずに互いに通り抜けることができるように。(……)
 (加藤二郎訳『ムージル著作集 第一巻 特性のない男Ⅰ』松籟社、一九九二年、151)

 読み進めているあいだ、Yさんとはゆったりとしたペースで文学の話などを交わし、零時を目前に控えたところで、そろそろ日付も替わりますし、今日の対話はここまでにしておきましょうか、本当に長い時間、ありがとうございましたと挨拶をして会話を終わらせた。それからインターネットを少々回ったあと、ベッドに移り、後頭部を枕に重ねて布団を身体に掛け、顔の前に本を掲げるようにして読書を続けた。前夜と同じく目が冴えているようで眠気を感じなかったが、一時四〇分を迎える頃になって瞳がひりついてきたので、眠れるかどうか疑念があったものの本を置き、消灯して目を閉ざした。すると、思いの外にスムーズに入眠できたらしい。


・作文
 2:20 - 2:26 = 6分
 2:38 - 3:44 = 1時間6分
 10:52 - 11:05 = 13分
 13:26 - 13:33 = 7分
 15:33 - 16:07 = 34分
 20:40 - 21:43 = 1時間3分
 計: 3時間9分

・読書
 3:52 - 4:55 = 1時間3分
 11:11 - 12:40 = 1時間29分
 18:00 - 18:44 = 44分
 19:57 - 20:40 = 43分
 22:06 - 25:38 = 3時間32分
 計: 7時間31分

・睡眠
 1:30 - 2:10 = 40分
 5:00 - 10:30 = 5時間30分
 計: 6時間10分

・音楽

2019/4/2, Tue.

 八時半起床。久しぶりに、比較的早めに起床することが出来た。それでも睡眠時間は八時間なので、まだもう少し減らせるはずだ。上階へ行き、両親に挨拶をしてジャージに着替えた。父親は今日から入院、その支度で居間や仏間を動き回っていた。こちらは台所に入ってフライパンに炒められた人参シリシリを皿に取り分け、電子レンジに突っ込んで加熱しているあいだに洗面所で顔を洗った。そのほか、前夜から続く汁物や米もよそって卓へ、新聞を漫然と読みながらものを食べた。食事を取っていると父親が、お前これ行く、と言って、美術館のチケットを渡してきた。東京都美術館で開催されている「奇想の系譜展 江戸絵画ミラクルワールド」のもので、二枚あり、会社から貰ったのを忘れていたらしくもう会期末、四月七日日曜日が迫っている。行ってみたい気はするが、一人で遠出するのも何だか面倒臭い。誘うとしたらHさんくらいしか思い当たらないのだが、彼も新しい職場で忙しいだろう。行かないのだったら母親がメルカリで売ろうかなどと言っていたが、どうするか。ともかく食事を終えて抗鬱薬ほかを服用するとともに食器を洗い、階段を下った。晴れ晴れと光の通る空気のわりに、床がいくらか底冷えして裸足の冷たい朝である。自室に帰るとダウンジャケットを羽織って電気ストーブを点け、コンピューターを起動させた。そうしてTwitterにアクセスし、タイムラインをちょっと眺めたのち、cero『Obscure Ride』から例の三曲を流して前日の記録を付けた。日記を書き出す。ceroの曲のあとはFISHMANS『Oh! Mountain』の流れるなかで綴って、現在一〇時直前を迎えている。日記を書き終わる間際、母親がチケット売れたぞと言って嬉しそうに綻ばせた顔で戸口にやって来た。もう発送してくるから掃除機を掛けといて、と言う。勿体ない気もするが、まあ仕方あるまい。
 日記を書き終え、前日の記事をブログに投稿する。Amazonへのリンクを一つずつ、いちいち拵えて時間を掛け、投稿を済ませると上階に行った。階段を上ってメタリックな赤色の掃除機に手を掛けたところで母親が帰ってきた。セブンイレブンに行き、発送のついでにたこ焼きやらパンやらを買ってきたと言う。こちらは掃除機を駆動させ、ベランダの方から埃を吸い取りはじめた。その後、テーブルの下、東側のテレビの前と掃除していき、それから野菜の屑の散らばった台所に洗面所を終えると玄関に出た。トイレのなかも吸い取って、上がり框の周辺を動き回っていると、母親がやって来てありがとう、やるよと手を差し出したので、残りの範囲も少ないけれど掃除機を譲った。そうしてこちらは浴室に行き、風呂桶を洗う。浴槽のなかに入り、前屈みの姿勢になって腰への負担を感じながら、ブラシを前後上下に動かして四壁や床を擦り、出てくると階段を下りて自室に帰った。そうして一〇時半過ぎから日記の読み返し――二〇一六年六月二二日である。この日も冒頭に何時間眠ったなどと記録していて、そのほか日中も労働のほかには本を読んで文を書いているだけで、この頃からまるで変わり映えのしない我が生活である。習慣として変わったのは瞑想をしなくなったことくらいではないだろうか。変性意識に入った時のあの繭に包まれ液体のなかに揺蕩っているような心地良さが恋しいが、おそらくもうそれを体験することはないだろう。日記の読み返しを終えるとMさんのブログを読んだ――一気に三日分読んで、最新記事に追いつくことができた。Rさんの離反は残念である。それから、fuzkueの読書日記、三月一四日の分。保坂和志感が漲っている。そこまで読むと時刻は一一時半、上階に行った。
 両親は既に食事を取っていた。レトルトのカレーが半分残っていると言う。それで台所に入り、米をよそるとその上にパウチからカレーを流し掛けた。そのほか、前日の残り物である胡瓜や林檎などを和えたサラダを持って卓に就き、頂きますと低く呟いて食べはじめる。レトルトのカレーは、Yさんの葬式の返礼品でカタログから選んで入手したものだが、可もなく不可もないといった程度の味である。あといくつ残っているのかと訊くと、三つくらいだと言う。Tさんにあげたりしたから、と言うが、その代わりに何やら乾燥している昆布を貰ったらしく、ビニール袋に入った大きな塊が卓上にはあった。Tさんとは誰かと尋ねれば、Tの家の隣の、と言うので、顔や素性は知らないが位置はわかった。今期、我が家と同じく自治会で役を受け持っている家らしい。
 母親は自分の赤いコートをメルカリで売ると言う。六〇も近くなって真っ赤なものを着るのが気恥ずかしいようで、また還暦の赤と重ねて見られるのも嫌だと言う。それで自分が着ようかとこちらは言って席を立ち、仏間に続く扉の上に掛かっていたそれを羽織ってみた。袖が短いのではないかと母親は言っていたが、思いの外に丁度良い長さだった。着ようと思えば着られないことはない。ただやはり女性物だけあって、肩のあたりが少々窮屈な感じはした。玄関に出て大鏡の前に立って映してもみたが、すっきりと細いシルエットにはなるものの、デザインとしてパンチが足りないと言うか、今ひとつピンとくるものがなかったので、まあどちらでも良いなというところに落ち着いて居間に戻った。それから食事を終えると、ちょうど台所で洗い物をしていた父親が、それも洗っちゃおうかと言うので好意に甘えることにして、お願いしますと言って台所に食器を運んだ。そうしてこちらは散歩に出る。
 林の縁の畑に、あれは菜の花だろうか黄色の花が幾本か伸びて咲いていた。十字路に向けて歩いて行くと、小公園の桜の木がいくらか白さを増やして、紅色と混ぜて霙状に色を棚引かせているのが視界に入る。鶯の音が伸び上がって落ちているなか、近づいて行くと、遠くからは視認されなかった蕾の元の緑色が目に映るようになって、花の白、蕾の紅、根元の緑と三色の饗宴を成していた。鶯の降って三色[みいろ]の桜花、といったところか。
 十字路から小橋を渡った先の角に一軒、家があって、そこに新しい入居者が入ってきたということは聞いていたが、それが外国人だとは知らなかった。家から出てきて、車に乗ろうとしている姿を見かけたのだ。色のそれほど白くない白人だが、何となく、何の根拠もなしにアメリカ出身の人ではないかというような気がした。通り過ぎざまに左方を向いて視線を送っていると、こんにちは、とやや潰れたような発音で声を掛けられたので、こちらもこんにちはと挨拶を返して、坂を上って行った。風の薄い日だと思った。身に触れてくるものは幽かで、周囲の木々をざわめかせる強さも持たない。高いところから生えて房の先を重く垂れ下げ、曲線を描いているユキヤナギを過ぎ、沈丁花はそろそろ錆びついてきたようで、この日は香りを定かに感じられなかった。
 街道を渡って細道に入ると、視界の果て、東の空には裾を乱した白雲が塗られ、その青と白の上をあれは鴉か鳶か、黒い影となった鳥が一羽、飛んでいき、背景から浮かび上がっていた。斜面に沿った緩やかな上りとなったこの道も、この日は風が走らず、道脇の下草をごく弱く震えさせるのみである。墓場を過ぎて家並みのあいだに入ってからかえって流れるものがあったが、肌に冷たいというほどの感触もない。そのなかを歩いて行って保育園では、隅で花を広げた桜の木から隣の銀杏の裸木に鳥が二羽、移るのが見えて、雀かメジロシジュウカラかと正体は知れずに影のままにして過ぎた。
 駅前の桜は赤味をほとんど窺わせず、純白に近い色で揺蕩い、雲のように頭上に広がっているその下を見上げ見上げこちらは過ぎる。口にいれれば味のしそうな、甘やかで清純な風味である。見上げながら横断歩道のところまで来ると、道路工事の整理員が、渡りますかと声を掛けてきたので、いや、こっちに、と東を指差して対岸に渡らず過ぎた。進んで行くと、カラーコーンの立ち並んだ現場の端、東の先頭に立って交通整理をしているのはいつも同じ、褐色の肌の剛毅そうな高年で、この時はやって来て停まった車に向けて手を合わせてちょっとおどけたようにお辞儀をすると、相手の車もライトを一回かちりと照らして答えたもので、それに対して老人は、おう、と言い、はっはっは、と笑って、嬉しそうに警棒で車を指し示していた。楽しそうではないかと思ってこちらは過ぎる。端から見て立ち尽くしているばかりの退屈そうな仕事でも、そのなかであのように楽しむ術というものを見つけているわけだと思って通りを渡り、木の間の細い坂道に入った。この日はここでも風は上って来ない。緑の葉っぱを生やした蔓を幹に巻きつけている木々のあいだを下りて行き、下の道に出ると雲が多くなって路上に日向が失われていたが、家の前に来る頃には太陽が薄雲を貫いてふたたび地上に届いていた。
 帰宅すると母親の車はなく、両親は父親の入院のために既に病院に出かけていた。なかに入るとこちらは自室に戻って、何となくベッドに寝転んで横を向き、枕に頭を乗せたのが運の尽き、そこから二時間以上休むことになった。最初はちょっと横になるだけのつもりで、すぐに次の行動に移ろうと思っていたのだが、横たわって目を閉じているうちに体温が下がったらしく布団を身体に掛けてしまったのがまずかった、それでは眠るに決まっている。最近の自分は、どうも明らかに眠りすぎていて、どうにかならないものかと思う。ともかく一二時四五分頃から三時頃まで休んで、起き上がると上階に行った。ベランダに出ていた足拭きマットを室内に入れておき、母親がセブンイレブンで買ってきたメロンパンを頂くことにして、持って自室に戻り、コンピューターを前にしながらパンを食うと、Antonio Sanchez『Three Times Three』を共連れにして日記を書きはじめた。五〇分ほどでここまで綴って四時を越えている。
 「記憶」記事の音読。ムージルの記述から始めて、斎藤慶典『哲学がはじまるとき――思考は何/どこに向かうのか』からの引用など。読んだあとに目を瞑って反芻することはせず、ともかくも一項目、二回ずつ黙々と音読していく。この「記憶」記事音読も果たしてやって意味があるのかどうか、自分の思考に資するものがあるのかどうか心許ないのだが、純粋な、逐語的な知識を頭に入れるという面では多少の収穫もあるだろう。ただ、それが別の思考[﹅2]や考察や見識[﹅2]に繋がって行くかと言えば、それは別の問題であって、そちらの方がより重要なことだと思うのだが、ただ事柄を反芻しているだけで見識といったようなものが出来上がって行くのかは疑問である。かと言って、それではどのようにすれば思考[﹅2]というものをより豊かに組み立てていけるのかという問いに対する明白な答えもない。
 ともかくも五時直前まで音読を続け、それから食事の支度をするために上階に上がった。母親はいつものごとく、炬燵に入ってタブレットを弄っていた。こちらは台所に入ってまず食器乾燥機のなかの皿たちを戸棚に片付け、それから米を新しく磨ぐべく炊飯器から僅かに残った米を皿に取り出し、釜を取って水で洗う。そうして笊を持って玄関に出ると収納棚を開け、足もとにしゃがみこんで米の袋から三合を計って笊に注いだ。台所に戻ると洗い桶のなかで米を磨ぎ、磨いだものを早速釜に入れて、六時半に炊けるようにセットしておいた。それから冷蔵庫のなかを覗くと、ゴーヤがある。それで炒め物を作ることにして、フライパンに水を汲んで火に掛け、ゴーヤを半分に切断した。それからさらに、切った塊のそれぞれを今度は縦方向に等分して、種を指でほじくり返して取り除く。そうして輪切りにしていったあと、次に玉ねぎの皮を剝いてこれも半分に切り、細切りにしていく。その合間に湯が沸いたのでゴーヤを放り込んでおき、玉ねぎを切り終わると笊に上げた。そうして次は豚肉である。冷蔵庫からパックを取り出し、生肉を左手で掴んで三分の二ほど牛乳パックの上に置き、それをさらに細かく切り分けていく。終えると石鹸を使って手を洗い――書き忘れていたが台所で立ち働くその背後には、ラジカセでcero『Obscure Ride』が掛けられていた。そうして、フライパンに油を引いてチューブのニンニクを落とし、それがばちばちと跳ねて焦げはじめたあたりで玉ねぎを投入した。続いてゴーヤもすぐに放り込み、時折りフライパンを振って炒める合間に、卵を二つ椀に割り落として菜箸で搔き混ぜた。その後、豚肉も加えて加熱し、肉と野菜がそれぞれ炒まると塩胡椒を振りかけた。そうして溶き卵を注ぎこみながら搔き混ぜて一品完成、汁物は前夜から引き続くものがほんの僅かに残っており、おかずとしてはほかに母親がメンチとイカフライを買ってきてくれたので、あとは生野菜のサラダでも拵えれば良かろうというわけで、冷蔵庫から大根を取り出し、笊に向けてスライサーでおろした。同じように胡瓜と人参も少量おろしておき、それで食事の支度は完結、ほかの品物をもし作るのだったらそれは母親に任せることにして、下階に下りた。
 五時四〇分からふたたび「記憶」記事を読み出した。BGMはAntonio Sanchez『Migration』。前日に追加したばかりの最新の一三三番まで音読し、この時は一項目読んだあとに目を瞑って反芻する時間を取った。そうして時刻は六時半、今度は蔭山克秀「イギリス「EU離脱」はなぜこうももめているのか 今さら聞けないブレグジットの功罪」(https://toyokeizai.net/articles/-/272661)を読みはじめた。EU離脱交渉が難航しているのは、北アイルランドアイルランド間の通商問題で英国内がまとまれていないためらしい。そこでは「バックストップ」案というものが議論になっているようで、これは英国とEUのあいだで交渉がうまく行かなかった場合でもアイルランド国境の厳格な審査を復活させることはなく、暫定的に英国がEUとの関税同盟に留まることになるという安全弁のようなものなのだが、これが発動すると英国は他国とのFTAなどを結べなくなるのに加えて、EU側の同意がなければ終了させることができないというわけで、強硬離脱派が難色を示しているという話だ。交渉の中核となっているらしいこの「バックストップ」案について後日、もう少し調べてみたいと思う。上記を読んだあと、Twitterを覗いていると「「安倍・麻生氏の意向忖度」 下関北九州道で国交副大臣、利益誘導認める」(https://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/article/499180/)という記事が流れてきたので、それも短く読んだ。そうして七時を越えると、食事を取りに上階に行った。
 米を椀に盛り、フライの乗った皿に溢れんばかりにゴーヤの炒め物をよそる。そのほか母親の作った煮物と生野菜のサラダも用意して、卓に就いた。テレビは何かしらどうでも良いような番組。水を飲みながらものを食べ終えると抗鬱剤ほかを服用し、食器を洗って風呂に行った。湯に浸かりながら、特に何のきっかけもないのだが、出たら久しぶりに緑茶を飲むかと思いついた。それで出てくると、台所の上部の戸棚から急須と湯呑みを取り出し、湯呑みに一杯注ぐとともに二杯目、三杯目の分も急須に湯を入れておき、ポットに水を補給してから緑茶を持って自室に帰った。そうして一服しながら読むのは、久しぶりにUさんのブログである。「結局、思索というのは、そのときに自分自身の注意を引きつけてやまないテーマ性を徹底的に追求することにより、それが変化してゆく様相を確かめる営みであると思う」、「自らにとって納得の行く独自の思索をする、というのは、自らの置かれた状況や知識の範囲内で、自分自身にしか生み出すことのできない表現を生み出すということである」などという文言が見られた。今、自分の注意を引きつけているテーマ性というのは、如何にして考えるか、というようなことだろう。自分が今まで如何にものを考えていなかったか、そして今も考えていないかということを最近は自覚している。その自覚は一つの進歩かもしれないが、ではどのようにして思考停止から抜け出せるのかと言えば、その答えは見えていない。このあたりのこと、考えるとはそもそもどのようなことなのか、人は本当に自分の頭で考えることが出来るのか、何故自分はものを考えたいのか、などといった事柄に関して、Uさんにメールを送りたい気持ちはあるのだが、どうもうまく思考をまとめられそうにない。彼のブログ「思索」を二記事読むと、時刻は九時前、日記を書き足しはじめた。音楽は、Antonio Sanchez & Migration『The Meridian Suite』を流していた。それが終わるとcero『Obscure Ride』に移行して、"Yellow Magus (Obscure)"など例の三曲の番が来ると歌ってしまうので、打鍵がたびたび途切れることになった。歌ってばかりいても仕方がないので音楽はArchie Shepp『Ballads For Trane』に途中で変えて、ここまで書き足すと一〇時をちょうど回った頃合いである。
 それからUさんへのメールを試みに書き出してみると、いつの間にか三時間が経過して一時を迎えていた。それからも少々推敲して、一時半前に達したところでそろそろ眠ろうと明かりを消して床に就いたが、どうも目が冴えていて、うまく眠れないのではないかという予感があった。


・作文
 9:20 - 9:59 = 39分
 15:15 - 16:03 = 48分
 20:52 - 22:02 = 1時間10分
 計: 2時間37分

・読書
 10:37 - 11:26 = 49分
 16:13 - 16:51 = 38分
 17:42 - 18:26 = 44分
 18:33 - 19:03 = 30分
 20:12 - 20:51 = 39分
 計: 3時間20分

  • 2016/6/22, Wed.
  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2019-03-29「疲れた疲れた疲れた何にもいらないよだって海がきれいだ」; 2019-03-30「見送りを重ねてばかりいるおれを歴史が見てる百年越しに」; 2019-03-31「ふりかえるなと念じつつ後をゆく夜道は長い春は短い」
  • fuzkue「読書日記(128)」: 3月14日(金)まで。
  • 「記憶」: 108 - 120; 121 - 133
  • 蔭山克秀「イギリス「EU離脱」はなぜこうももめているのか 今さら聞けないブレグジットの功罪」(https://toyokeizai.net/articles/-/272661
  • 「「安倍・麻生氏の意向忖度」 下関北九州道で国交副大臣、利益誘導認める」(https://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/article/499180/
  • 「思索」: 「3月26日2019年」; 「3月27日2019年」

・睡眠
 0:25 - 8:30 = 8時間5分

・音楽

  • cero, "Yellow Magus (Obscure)", "Summer Soul", "Orphans"
  • FISHMANS『Oh! Mountain』
  • Antonio Sanchez『Three Times Three』
  • Antonio Sanchez『Migration』
  • Arcade Fire『The Suburbs』
  • Antonio Sanchez & Migration『The Meridian Suite』
  • Archie Shepp『Ballads For Trane』

2019/4/1, Mon.

 一一時五分起床。まあまあ糞である。上階へ。母親は「K」の仕事。一年前に行っていたのにこの四月からひとまず復帰してみることになったのだ。前日の残りもので食事を取る。卓に就きながら、新元号の発表の時間が近いから、たまにはテレビでも掛けてみるかということで点けるとNHKが映り、皇太子殿下の平成における歩みを追っているところだった。食べているうちに予定の一一時半が近くなる。途中、中継で渋谷が映り、ハチ公前に人々が集まって祝福ムードのようで、鹿児島から来ているという女子にレポーターが質問をしようとしていたが、訊きはじめたところでスタジオからの速報にカメラを奪われてしまった。こちらは薬を飲み、皿を洗い、一一時半まであと二、三分というところで便所に行くと、家の前に宅配便の大きなトラックが停まる音がしたので、また何か届けられて来たなとわかって、水を流して室を出るとインターフォンが鳴るのを待ち構えた。そうして果たして鳴るものが鳴ったのですぐに出て、ヤマト運輸だと告げられるのに少々お待ちくださいと置いて玄関に出て、礼を言いながら受領書に印鑑を押し、兄宛の荷物を受け取った。礼を言って扉を閉め、戻ってテーブルの上に荷物を置くと、一一時半を過ぎたもののテレビの会見場にまだ官房長官は現れていない。それでテレビを消して階段を下り、自室に戻ってコンピューターを立ち上げた。前日の記録を付けたり家計を記録したりしているあいだに、Twitter首相官邸のアカウントがツイートした生中継の映像が流れてきたので視聴すると、新元号は「令和」だと発表された。『万葉集』が出典だと言う。Twitterのタイムライン上では即座に皆が、可愛らしいだのダサいだの、ラ行の音から始まるのが斬新だだの、その他様々な評価を漏らしはじめるが、たかだか二文字の語句に対してよくそんなに思うことがあるものだ。その後、こちらは日記を書きはじめた。新元号が発表されてもこちらのやることは変わらないというわけで、書きながら途中、桜の描写などTwitterにも流しておき、一二時一〇分から始めて、ここまで綴ってもう一時が目前となっている。BGMは例によってFISHMANS『Oh! Mountain』を採用した。
 一時一八分から、二〇一六年六月二三日の日記を読み返した。現在の日記に改めて引いておくほどではないけれど、多少の具体性を持った描写というものがある。そういうものはTwitterの方に流しておき、それから、Mさんのブログ。久しぶりにKさん、Rさんが登場。彼女らとの交流の様子を読み、次に、fuzkueの読書日記も一日分読んだ。そうすると時刻は二時直前、遅めの昼食にレトルトのカレーでも食べるかというわけで上階に行った。玄関の戸棚からカレーのパウチを取り出して、水を汲んだ小鍋を火に掛ける。蓋をしておき、加熱している合間の時間を風呂洗いに使うことにして、浴室に入った。蓋を取り除いて室の隅に立てておき、洗濯機に繋がっているポンプを持ち上げて水を排出させたあと、バケツに収めて置いておく。それからブラシで浴槽を擦り、全体を洗剤の泡で覆うとなかから出てきてシャワーで流した。浴室を出てくると鍋の湯が沸いていたので、レトルトパウチを一つ投入し、卓に就いてテレビを点けた。すると在位三〇年記念式典の際に言葉を述べる今上帝の様子が映し出されたが、国民への感謝を述べるそのスピーチのなかで、「民度」という言葉を使っていたのに少々驚き、引っ掛かった。短絡的な思考を持った悪辣な界隈の人間が、韓国や中国の人々を罵るのに使う言葉だというイメージがあったからだ。しばらく視聴してテレビを消し、新聞を読みながらカレーが温まるのを待って、五分ほど経つと台所に行き、沸騰した鍋からパウチを取り出すと鋏を使って切りひらき、大皿によそった米の上に中身を掛けた。そうして卓に戻り、新聞に目をやりながらスプーンですくってカレーライスを食す。プロ・クオリティの称号が冠されたこのカレーは、その名に相応しくレトルトのわりには味にコクがあって結構美味いものである。新聞から読んだのは国際面、アメリカの話題として、民主党のベト・オルークという議員が大統領候補として段々人気を得てきており、バラク・オバマの再来として注目されているというものがあった。その他、同性愛を扱った『ボヘミアン・ラプソディ』の映画が中国で封切りされる際に検閲を受け、何箇所か削除されたという話題も。それらを読みながらカレーを食べ終えると、台所に行って使った皿に流水を落とし掛け、カレーの残滓を流してそれから網状の布で擦って洗い、食器乾燥機に収めておいた。
 下階に戻ってくると、今度は「記憶」記事の音読である。町田健『コトバの謎解き ソシュール入門』からラングとパロールの違い、音素について、単語と意味の結びつきの恣意性についてなど確認して、田島範男・水藤龍彦・長谷川淳基訳『ムージル著作集 第九巻 日記/エッセイ/書簡』の記述にも入って一箇所読んだところで切りとした。書き忘れていたが、他人のブログや日記を読んでいたあいだのBGMはFISHMANS『Neo Yankees' Holiday』、この時「記憶」記事を読んだ時のそれはAntonio Sanchez『Three Times Three』だった。それからインターネットをしばらく回ったのち、三時二〇分からベッドに移って加藤二郎訳『ムージル著作集 第一巻 特性のない男Ⅰ』を読みはじめたのだが、最初からもう姿勢を崩して横たわり、枕の上に頭を乗せている始末で、そんな風にしていて眠気が湧いてこないはずがない。実際に文を読んでいたのは三〇分にも満たなかったのではないか。目を閉じたまま時間を過ごして、五時二〇分を迎えたところで意識に一応の切りが付いた。その頃には母親ももう帰ってきており、上階で食事の支度を行っていた。それを手伝いに行かなければいけないとわかってはいたが、起きられず、今日はもう良いかと怠け心が湧いて、それからまたしばらく、意識を落としたわけではないがたびたび目を閉じながら何をするでもなく寝床に横たわったままに怠惰に過ごした。そうして六時過ぎからふたたび読書を始めた。『特性のない男』は、「一種の序文」と題された第一部のあいだは、時代思潮の考察や主要人物の紹介などが主で、目立った物語的展開が見られなかったが、第二部「千遍一律の世」に入って主人公ウルリヒが動き出し、おそらくこの小説の核心的な展開の一つを成す要素だと思われる「平行運動」へと近づいていき、ようやく物語としての流れが生まれそうな予感が醸し出されてきた。布団に包まれながら一時間ほど読んで七時を越えると食事を取りに行った。
 母親は仏間にいて、メルカリで売れた品物を包む袋を検分しているところだった。「K」の仕事はどうだったかと尋ねると、とにかく疲れたと言う。運動などはしなかったようだが、近くの公園にまで出向いたらしい。こちらは台所に入って、米に餃子、白菜とキクラゲの汁物、胡瓜と林檎と卵とハムを和えたサラダなどをよそる。そうして卓に就くとテレビはニュースで、安倍晋三首相が元号に込めた思いをスピーチする映像が映し出されていた。ものを食べながらNHKのアナウンサーの解説などを聞き、そのうちにテレビは炬燵テーブルに就いた母親の手によってチャンネルを変えられ、『YOUは何しにニッポンへ?』に移った。番組は、日本にMVの撮影にやって来たフランス人二人――ドラムとシンセザイザーでエレクトロニカ風の音楽を作る兄弟だった――に密着することになった。ものをすべて食べてもまだ何となく腹が満たされない感じがしたので、カップヌードルを食べることにしてシーフード味を用意し、母親と分け合いながら麺を啜った。食事を終えると仏壇に供えられていたドライフルーツを取ってきて、ソファに就いてバナナチップスや柔らかさの残ったパイナップルなどを食べながらテレビを眺めて、その後、薬を飲んで食器を洗った。そうして入浴である。畳んだタオルを洗面所に持って行き、服を脱いで浴室に踏み入り、掛け湯をしてから湯船に浸かった。身体を水平に近くして両腕を縁に乗せながら、散漫な物思いに耽った。途中、思考が中国の方向に向いた時があって、大躍進政策のことを思い出し、数千万人の餓死者を生んだと言うからとんでもないことだなと改めて思った。ホロコーストでさえその犠牲者は六〇〇万人ほどと言われているのだが、文字通り桁が違う。文化大革命もさることながら、大陸国家中国は何であれとにかくスケールが大きい。数千万人の犠牲者と言うと、当時の中国の人口が何人だったか知らないが数億とすればほぼ一割、それが行き過ぎだとしても全人口の数パーセントには上ったのではないか。そうした大躍進政策周辺のこともいずれ余裕があったら勉強しなければなるまいなと思って、風呂を上がった。そうして母親に挨拶してから自室に戻ってくると、Antonio Sanchez『Three Times Three』の続きを流しはじめながら、一方で歯を磨きつつ小林康夫『君自身の哲学へ』の書抜きを読み返した。それから日記を書き出して、ここまでで四〇分ほどを費やし、現在九時二〇分である。
 笠原敏彦「【ゼロからわかる】イギリス国民はなぜ「EU離脱」を決めたのか 露わになるグローバル化の「歪み」」(https://gendai.ismedia.jp/articles/-/50639)を読んだ。「筆者には、英国が門戸を開きながらも、移民を単なる労働力とみなし、決して歓迎することなく、一方で国民の不満の声を放置してきたことこそが問題の本質のように思えてならない」との指摘があるが、これはこの先の日本でも起こり得る事態だろう。また、欧州統合という政治的な大義に英国はもともと乗り気でなく、イギリスがECに遅れて参加したのも経済的なメリットを得る目的でしかなかったと。欧州移民の増加に加えて、各国のあいだのずれ=歪みが英国のEU離脱の遠因となったのだろう。そもそも、EU創設を定めた一九九二年のマーストリヒト条約自体、フランスの国民投票で半数の支持しか得ておらず、欧州統合プロジェクトそのものがエリート層によって「強引に推進」された、「民意を置き去りにした」ものだったと言えそうだ。英国のEU離脱決定は、そうした「エリート主義」の敗北を証したものだという指摘もあった。
 文言を日記に引きながらゆっくり読んで、読んだあとには情報を「記憶」記事に追加した。背景にはAntonio Sanchez『Migration』を流していた。読み終えるとそのアルバムが最後の"Solar"に差し掛かっていたので、幕引きの一曲が流れているあいだ、今しがた「記憶」記事に追加したその情報を早速いくらか音読した。その後、ベッドに移って読書、川上稔『境界線上のホライゾンⅣ(上)』。 身体に布団を掛けながらも姿勢を水平にはしきらず、クッションに凭れながらこれを三〇分か四〇分かそこら読んだのち、加藤二郎訳『ムージル著作集 第一巻 特性のない男Ⅰ』に移行した。伯爵、美しく教養ある女主人、サロン、と来ると思い起こされるのはやはりプルーストである。世紀末を描いた『失われた時を求めて』とは時期が少々ずれるが、『特性のない男』もまた、上流階級の社会風俗を主題とした小説なのだろう。加えて、モースブルッガーの存在などを見る限り、下層民衆の事情も小説世界のなかに取り入れられている。これから先、この二つの世界のあいだにどのような橋渡しがなされるのか、あるいはどのような懸隔が差し挟まれるのか。零時半前まで読んだあたりで眠気が煙のように身内にくゆってくるのを感じたので、無理はせずに早めに床に就いた。


・作文
 12:10 - 12:56 = 46分
 20:42 - 21:20 = 38分
 計: 1時間24分

・読書
 13:18 - 13:57 = 39分
 14:26 - 14:54 = 28分
 15:20 - 17:20 = 30分
 18:07 - 19:01 = 54分
 21:28 - 22:26 = 58分
 22:32 - 22:39 = 7分
 22:47 - 24:22 = 1時間35分
 計: 5時間11分

・睡眠
 1:50 - 11:05 = 9時間15分

・音楽

  • FISHMANS『Oh! Mountain』
  • FISHMANS『Neo Yankees' Holiday』
  • Antonio Sanchez『Three Times Three』
  • Antonio Sanchez『Migration』

2019/3/31, Sun.

 一二時一五分起床。糞である。学校の図書室で裸になっているという破廉恥な夢を見た。上階に行く。両親に挨拶。食事は野良坊菜にウインナーにシーフードが混ざったスパゲッティ。あと大根などのサラダ。それらをよそって卓に就き、一方では新聞を読みつつ、一方では『のど自慢』を瞥見しつつ麺を啜る。ガザで反米デモ開始の一年を記念して一万人以上が集まる大規模なデモが行われたと。この一年で犠牲者は二七〇人に上ると言う。デモのあるたびにイスラエル軍催涙弾を投下したり発砲したりしているようで、本当に命懸けの抵抗活動である。ものを食べ終えると薬を飲んで皿を洗い、自室に戻った。そうしてコンピューターを起動させ、日記を書きはじめたのがもう一時過ぎだった。三〇分ほどで前日の記事を仕上げ、この日の分も短くここまで。BGMは今日も今日とてFISHMANS『Oh! Mountain』
 三月三〇日付の記事をブログに投稿し、Twitterにも通知を流しておくと、歯を磨いた。そうして二時直前からベッドに移って、川上稔『境界線上のホライゾンⅢ(下)』を読みはじめた。ここで読み終えてしまい、今日か明日に図書館に行って返却するつもりだった。あまり仔細には文字を追わず、さらりとした感触の読書で四〇分ほど過ごし、読み終えると上階に行った。風呂を洗うためである。ゴム靴を履いて浴室に入り、洗濯機に繋がったポンプをまっすぐ上に持ち上げて静止し、その口から管に残った水が流れ出るに任せる。それからブラシを持ってまず四囲の縁から洗って行き、浴槽のなかの水がすべて流れ去ってしまうと内側に入り込んで四方の壁を擦った。掃除を終えると出てきて、仏間にいる母親のところに行き、おい、と声を掛けて、別に許可を取る必要などないのだが、図書館に行っても良いかいと尋ねた。勿論返ってくるのは肯定である。母親は、父親の入院準備をしており、様々な品々をバッグに詰めていた。こちらもすぐ傍にあった入院のしおりを持ち上げてちょっと読んだが、結構持ち物が色々とあって面倒臭いものだ。それから下階に戻ると、FISHMANS『空中キャンプ』を流しはじめて、音楽の響くなかで服を着替えた。白シャツにベージュのズボン、上はモッズコートの軽い格好である。着替え終わるとコンピューター前の椅子に就いて、「記憶」記事の音読を始めた。神崎繁・熊野純彦・鈴木泉編集『西洋哲学史Ⅰ 「ある」の衝撃からはじまる』からの記述、アナクサゴラスの世界論やプラトンイデア論ハイデガー古代ギリシア解釈などについて読み、同作から引いてある項目はすべて通過したところで時刻は三時半前、音楽は最後の"新しい人"に掛かっていた。それが終わるまで聞いて、コンピューターをシャットダウンすると、荷物をまとめて上階へ、母親に行ってくると告げて出発した。
 扉を出ると同時にあたりに立ち昇る何かの匂いが鼻に触れたが、あれはおそらく、雨のあとの草や土の香りだったのではないか。歩きはじめながら、首もとに触れるものがなかなか涼しい。坂を上って行くと、出口に掛かるあたりで鶯の、何かぎこちないような拙い鳴き方の谷渡りが木々の方から響いてくるなか、ゆったりと一歩一歩を踏みながら、こうして歩けなくなる日もいつか来るのだろうなと何とはなしに思いが湧いた。右方の空には夏のような雲が大きく浮かんでいるが、今、太陽は薄雲の裏から光を通して、段々とあたりは晴れてきているようだった。
 街道に出るすぐ手前で、T.Tと出くわした。数年前の生徒である。軽い挨拶を交わして過ぎようとしたところに、それでは素っ気なさ過ぎるかというような心が働いたものか、振り返って、もうすれ違ったあとの相手に、元気、と声を掛けた。肯定が返る。それに続けて訊いてもいないのに問わず語りで、もう卒研も終わって、明日から働きはじめるのだとあった。頑張って、元気でと残して去ろうとしたところにあちらからは、まだ塾をやっているんですかと来たので、去年ちょっと体調を悪くして、今は休んでいるが、そろそろ復帰すると思うと、一語一語をゆっくり切るようにして、距離があったのでやや声を張って伝えた。頑張ってくださいと最後に向けられたのを受けて歩き出し、街道に入って北側に渡った頃には、背後から陽も射していてモッズコートの裏がやや暑いくらいだった。
 途中の小公園の桜は、まだ半端な咲きぶりで、白さと紅色が霙状の雲のように混ざっている。裏通りに折れるところの二本の梅の木は、さすがにもう花を落としきって裸体を晒しているかと思いきや、手前の薄紅のものはそうだが奥の色濃いほうはまだ赤味を結構残していた。緑の制服を着込んだ宅配便の配送員とすれ違いながら行くと、日曜日で戸口や家の外に人々の姿が見られる。途上、東の空には濁った色の雲が広く湧いて、頭上まで繋がっているけれど、背後から射すものは続いており、身体も温まって流れて触れてくるものが心地良いくらいになっていた。その風も、大して通らず静かななかに表通りの車の音が伝わってきて、反対側、左方の林からはまた鶯の谷渡りも落ちる。
 何となく、虚しいような、儚いような気分が滲んでいた。Tと会ったためだろうかと考えた。これから働きはじめる年頃の新鮮な若人を見て、自分の年齢がいかにも嵩んで思えたか。もう自分は若くはないのだな、とそう感じた。たかが二九で老いを気取ってもまだ早すぎて締まらないが、しかし青春とも言うべき、若さの盛りの二〇代をもう過ぎようとしているのも確かだ。華やぎを、盛りを、二十歳の初めから精神の病に過ごしたこちらにそんなものが実際にあったのか知らないが、もはや自分は失ってしまったのだなと、そんなことを思った。そうして歩きながら、このあたりに辛夷の木が一本あったはずだが、と見渡した。しかし見当たらないのは、今は更地になっている道脇の土地におそらくは立っていて、取り除かれてしまったのだろう。さらに進んで白木蓮は、もうほとんど白さを残しておらず、茶色に萎んだ残骸の方が多く、全体に炎を当てられたようになっていた。それを見上げ見上げ、ゆっくりと過ぎる。
 梅岩寺の枝垂れ桜に目を向けるのを忘れていた。駅に着くと券売機でSUICAに五〇〇〇円をチャージし、改札をくぐる。ホームに出て二番線に停まっている東京行きの、二号車の三人掛けにリュックサックを負ったままに腰掛けた。そうして手帳を取り出し、道中目にしたもののいくつかを手短にメモしたのち、目を閉ざして到着を待った。河辺に着くと降車、エスカレーターを上って行くと、精算機の前に随分と人が集まって列が出来ている。改札を抜けたところでは、男児が一人、バッグを首に掛けて頭をぶらぶら揺らし、それを振りながら踊るように身体を動かしていた。いかにも子供らしく、エネルギーが有り余っていて落ち着いていられないらしい。駅舎を抜けると背後、斜め後ろから陽を受けながら図書館へ渡り、自動扉をくぐる前にリュックサックを下ろして、本を三冊ブックポストに入れた。それからCDも三枚取り出して、こちらはブックポストには入れられないから手に持って館に入り、カウンターに差し出して返却した。CDの新着を瞥見してから上階へ、新着図書にはフィヒテの研究書などが見られた。それから書架のあいだを抜けて大窓際へ、階段を上ってきた時に遠くに見えたテラス側の席の混み具合では空きはないかと思ったところが存外すんなりと目の前に見つかって、その席にリュックサックを置いて、モッズコートを脱ぐと椅子の背に掛けた。そうして着席し、コンピューターを取り出して打鍵を始め、四〇分ほどでスムーズに現在時に追いつかせることができた。
 コンピューターを一時停止させ、席を立ってモッズコートを羽織り、フロアを歩き出した。コンビニに、年金の支払いに行かなくてはならなかったのだ。途中、棚に『日本の右傾化』という選書――書店でも見かけてちょっと気になっていたものだ――を見つけ、手に取って目次を瞥見した。そうして階段を下り、館を抜け、目を細めて雲の湧いている空を見上げながら歩廊に出て、下の通りに下りてコンビニに入った。レジの前を横切って壁際に行き、おにぎりの区画から鶏唐揚マヨネーズのものを一つ取った。その次に、パンの区画に移動して、チョコレートの塗られたオールド・ファッション・ドーナツを手に持ち、その二つとともに列に並んで、番が来ると女性店員に品物と年金の支払い書を差し出した。会計を済ませ(計一六五九〇円)、外に出ると手近のベンチに腰掛けて、ものを食べはじめた。あたりには白鶺鴒が一羽、尾を揺らしながらうろつき回って地面をつついていた。おにぎりを食べているあいだにその鳥の姿は見えなくなり、ちょっと残念な気持ちを抱きながら、前屈みになり、左手に空のビニール袋を下げつつ、右手に持ったドーナツ――先端のみ外に出して袋越しに掴んだのであって、素手で持ったわけではない――を一口ずつ咀嚼していった。食べ終えるとコンビニのダストボックスに袋を捨てておき、そうして図書館に戻り、席に帰って、加藤二郎訳『ムージル著作集 第一巻 特性のない男Ⅰ』を読みはじめた。時代思潮についての記述など、ムージル独特の抽象性があって意味の核心を掴みにくく、端的に言ってよくわからない。少々眠気にやられながらも一時間半読んで、あたりももうすっかり暗んだ七時前になって打鍵を始め、僅か一〇分でここまで記述した。
 そうして帰宅することにした。荷物をまとめて席を立ち、モッズコートを羽織って、フロアを歩き出す。書架の端の列に入り、哲学の文庫本を見分したあと、振り返ってロシア文学のあたりも見た。ナボコフなど、やはり読んでみたいとは思う。それから列のあいだを抜け出して、向かいの、ライトノベルの区画に入り、川上稔境界線上のホライゾンⅣ』の上巻と中巻を手に取り、貸出機に向かった。手続きを済ませると本をリュックサックに収め、階段を下って退館した。歩廊を渡って駅へ、なかに入って掲示板の前に立つと、次の電車は七時三六分、まだやや時間があったが奥多摩行きへ接続するものでちょうど良かった。改札を通り抜け、ホームに下ると、立ったままムージルを読み出した。そうしてしばらく待ち、やって来た電車に乗ると扉際に就いて変わらず読書を進める。青梅に着くと向かいの電車に乗り換え、ここでも同じようにして到着を待ち、最寄り駅に到着すると降りて、本は仕舞わず片手に持って歩き出す。駅前の桜が咲き静まって、暗闇のなかでもぼんやり白く浮かび上がっていた。それを見ながら通路を抜け、木の下に来ると、花はまだまだ生命力を充実させているようで、足もとにほとんど落花も散らばっていない。過ぎて、街道沿いに東へ移動し、渡って細道に入る間際、空を見上げると暗色を塗られたなかに星がいくつか、それぞれ距離を離して孤独なように、しかしそれでいて互いに照応するように灯っていた。それを見て、木の間の暗い坂道を下って行きながら、ムージルが「トンカ」のなかで、「夜空の星のように散り散りになって寂しく生きている、醜くささやかなもの」というような一節を書いていたなと思い返した。
 帰宅すると両親も帰ってまもなくのようで、まだ黒い服を着たままで居間にいた。Mさんの通夜に出向いていたのだ。こちらは下階に下り、コンピューターを自室のテーブルに据えるとともに服を着替えた。そうして食事へ。炊飯器のなかに残った最後の米・鮭・肉じゃが・餃子などである。テレビは『ポツンと一軒家』。食事を済ませると薬を飲んで、父親と入れ替わりに風呂に入った。長く浸かって出てくると、両親がタブレットで兄夫婦と通話をしていたので、こちらも炬燵テーブルに寄って、画面に映っているMちゃんに向けて呼びかけて手を振った。それからしばらくMちゃんの様子を眺めながら通話して、終わると下階に戻って、燃えるゴミの箱を持ってきてふたたび上に上がってきた。ゴミを上階のものと合流させておくとともに、母親が米を磨いで収めた炊飯器の釜を受け取ってセットし、また、小さな薬缶に湧いた湯を小型のペットボトルに注ぎ込んだ。母親の湯たんぽ代わりになるものだ。それを持って階段を下り、両親の寝室に入って母親の布団のなかにペットボトルを仕込んでおくと自分のねぐらに帰った。
 そこから、ニコニコ動画で『境界線上のホライゾン』のアニメ動画を長く眺めてしまい、それで一一時半頃を迎えたと思う。ベッドに移り、借りてきた川上稔『境界線上のホライゾンⅣ(上)』を読みはじめた。一時間ほど読み進めると、ムージルに移ったが、時刻は既に零時半、眠気が籠ってきていたようで、意識が薄くなってほとんど読み進まなかった。一時四五分で切りとして就寝。


・作文
 13:02 - 13:35 = 33分
 16:26 - 17:04 = 38分
 18:57 - 19:08 = 11分
 計: 1時間22分

・読書
 13:58 - 14:38 = 40分
 14:50 - 15:26 = 36分
 17:23 - 18:55 = 1時間32分
 19:24 - 19:46 = 22分
 23:40 - 24:33 - 25:45 = 2時間5分
 計: 5時間15分

・睡眠
 3:05 - 12:15 = 9時間10分

・音楽

2019/3/30, Sat.

 一二時一五分起床。糞である。八時のアラームで一度起き上がっているのだが、ふたたび布団に戻ってしまい、チャンスを活かせず。その際、Sさんが我が家に遊びに来ているという夢を見た。
 上階へ。両親は相模原の親戚の墓参りで不在である。寝間着からジャージに着替え、台所に入って、モヤシの炒め物と鯖のソテーを電子レンジで温めるとともに、白菜の味噌汁も焜炉で熱した。そうして米をよそって卓に就き、ものを食べはじめる。今日も花曇りの、いくらか冷える日和だが、ストーブは点けなかった。新聞をひらくと国際面に、イスラーム圏での名誉殺人についての記事があって、目を通した。イスラームの教えでは婚前交渉は姦通罪となり、強姦された女性にすらそれが適用されると言う。ヨルダンでは今でも年間二〇人ほどが、名誉を慮った父親によって殺されているとのこと。これは、文化相対主義的にそれがあちらの文化だから、と言って済ませることのできないものだろう。少なくとも、婚前交渉をしたからと言ってそれがすぐさま死刑に値するというような教義の解釈からはどうにかして離れていくべきだと思うのだが。父親の方だって本当は娘を殺したくなどないはずで、それが教義だからと言って唯々諾々と従ってしたくもない殺人まで犯すというのは、単なる思考停止ではないのか? そんなに単純な話ではないのだろうけれど。
 ものを食べ終えると食器を洗い、冷蔵庫にあった葡萄のゼリーを頂いて、下階に戻った。コンピューターの前に立ち、FISHMANS『Oh! Mountain』を流しはじめる。そうして前日の記録を点け、支出の計算などもしたあと、日記を書き出して、ここまで綴って一時を越えている。
 前日の記事をブログに投稿してから今日も散歩に出ようというわけで、ダウンジャケットを羽織った。鍵をポケットに入れて上階に行き、仏間に入ってくたびれた灰色の短い靴下を履く。そうして居間で屈伸を繰り返して膝をほぐしてから玄関を抜けると、足もとに、「至急」と表面に貼られた回覧板が置かれてあった。なかを除けば、Mさん逝去の報である。前日に母親が、TさんやTさんには既に知らせたと言っていたので、もう回さなくても良いのだろう、一周したものが帰ってきたのだろうと見当をつけながらも、一応母親に連絡して訊いてみることにした。それでふたたびなかに入り、自室に帰って携帯を手に取り、電話のほうが早かろうと母親に発信したが相手は出ない。それでメールで回さなくても良いのだろうなと質問をしておき、携帯もポケットに入れてふたたび玄関を抜けた。扉に挿しっぱなしだった鍵を回して施錠し、ポケットに入れると道を歩き出した。Hさんの奥さんが車から何やら荷物を運び込んでいたので、こんにちはと挨拶をした。前日に引き続き花冷えの、風が少々頬に冷たい気候だ。市営住宅脇の小公園に生えた桜はところどころの枝先に微かに白を生みはじめていて、蕾の紅色と、その根元の緑とで三色の混淆が見られた。坂を上って裏路地を行きながら、流れるものはあるけれど、しかし周囲の木々がざわめきを立てないなと気づいた。曇り空で気温は低いがかえって風は静かで、だから寒いというほどにもならない。沈丁花の香りを嗅ぎながら家並みのあいだを行くあいだも、左右からはほとんど葉鳴りの一片も生まれなかった。
 街道を渡って細道に入り、タンポポが綿毛を膨らませているのを横目に斜面に沿って上って行くと、ここではやはり風が流れる。そのなかを通り抜けて墓場の前まで来て見やれば、供えられた白や黄やの仏花はどれもくたびれはじめていて、力を失い首を垂れ下げ頭を伏せているものが散見された。保育園では親子連れが何組が集まって追いかけっこをしたり、母子でボールを蹴り合ったりして遊んでいる。裏通りを行くあいだふたたび風が流れるが、ダウンジャケットの内には温もりもいくらか籠っており、身体を浸すものはただ清涼というのみだ。駅前の桜は雪白に仄かに赤味を混ぜて香る和菓子のような色を、ふわりと全面に漲らせていた。そろそろ満開らしい。
 帰ってくると風呂を洗いに行った。蓋が何やらオレンジ色の色素で汚れていたのでそれも洗い流し、浴槽を擦って出てくると室に帰って、川上稔『境界線上のホライゾンⅢ(下)』を読みはじめた。二時一〇分だった。戦闘状況などを仔細に読むのが面倒臭くて――細かく読んでもそこからイメージを作り上げるのが難しいのだ――描写を斜め読みで飛ばし、会話を中心に拾って大まかな物語を把握するという粗い読み方をした。それで二時間、四時一五分に至ると本を閉じたが、そこから何の行為に移るでもなく寝床に伏してしまい、ちょっと休もうとだけ思っていたところが、そこから結局一時間以上、眠ったわけでもないのに何をするでもなくだらだらと横になったままだった。五時半を過ぎたところでそろそろさすがに食事の支度をせねばなるまいと一念発起して起き上がり、上階に行って冷蔵庫を見ると、ほうれん草と豚肉があったのでこれらを炒めれば良いかと簡単に考えた。それでフライパンに湯を沸かしてほうれん草を茹で、合間に玉ねぎを切って、菜っ葉を笊に茹でこぼしておくと肉も切断した。そうして炒めはじめ、肉に火が通るようによく搔き混ぜながら加熱し、醤油で味をつけて完成、まことに簡易で横着した料理だ。自分の食糧はこれで良い、両親が食べるにはこのおかずだけでは足りないだろうが、それは帰宅後に自ら用意してもらうことにして、こちらはもう食事を取ってしまおうと炒め物の三分の一を皿に取り分け、冷凍の唐揚げもレンジで温めた。そのほか、即席の味噌汁に湯を注ぎ、米をよそる。そうして新聞を瞥見しながら薄暗くなった部屋のなかで一人食事を取り、そそくさと食べ終わると食後、薬を服用して三方のカーテンを閉め、食器を洗って自室に下りてきた。FISHMANS『Oh! Mountain』の続きを流しながら、日記をここまで書いて七時の一五分前である。
 両親が帰って来ていたので上階に行った。母親にメールを見たかと訊くと、見ていないと言う。それでは携帯電話の意味がないではないかと思うが、ともかく、回覧板が置いてあったことを報告し、前日にTさんたちには知らせたのだよなと確認すると、肯定があった。だから回さなくても良いと言うので安堵し、階段を下りかけたところ、雨が降ってきているけれど、石油を入れてくれと頼まれたので了承し、ストーブのタンクを持って玄関を抜けた。雨はそこそこの降りだった。父親はまだ車のなかにいるようで、ヘッドライトの白い光が向かいの家の垣根のあたりに放射されて灯っていた。勝手口のほうに回って箱の蓋を開け、ポンプの注ぎ口をタンクの口に合わせて突っ込んだ。そうしてスイッチを入れ、石油が汲み上げられている最中は、勝手口の扉の前、小さな軒の下に入って雨を避ける。そうしてタンクが満杯に近くなるとポンプを取ってもとの場所に戻しておき、箱を閉めて室内に戻った。
 時刻は七時である。自室に戻るとまず、二〇一六年六月二四日の日記を読み返した。特段に興味深い箇所はなし。それからMさんのブログを二日分読み、fuzkueの読書日記を一日分読む。細かでささやかな部分だが、「自転車で店の建物に着いたら向かいから赤いジャンパーを着た自転車が近づいてきて山口くんで鉢合わせた」という一文の、「赤いジャンパーを着た自転車」の語句について、自分はこのような書き方はしないだろうなと思った。勿論、批判的な意味でそう思ったのではない。これは言うまでもなく、自転車が赤いジャンパーを着ているのではなく、乗り手が赤いジャンパーを着ているということを隣接する自転車の一語に託す換喩的な技法の一例だと思うのだが、自分だったらこのような省略的な換喩を使わずに、くそ真面目にと言うか律儀にと言うか、「赤いジャンパーを着た男が自転車に乗ってやって来た」とでも書いてしまうなと思ったのだった。
 それから「記憶」記事を音読した。六九番から八五番まで。中国史及び現代史の知識である。所々、手帳にメモをしながら進めた。そうして時刻は八時半。入浴に行く。風呂のなかでは湯に浸かりながら先ほど読んだ中国史の知識を思い返していた。そうしているとあっという間に三〇分ほどが経過する。出てくると室へ戻って、九時半から書見、加藤二郎訳『ムージル著作集 第一巻 特性のない男Ⅰ』である。ベッドに移って読んでいると上階で両親が何やら話し合っている声が伝わってきて、父親が母親に何か言い含めるようにしているその声色が鬱陶しくて音楽を掛けることにした。Antonio Sanchez『New Life』である(「記憶」記事音読の際も掛けていた)。それでムージルを読むのだが、これがなかなか骨の折れる読書で、一時間に一〇頁程度の遅々としたペースでしか進まない。その後音楽は同じくAntonio Sanchezの『Three Times Three』に移したのだが、Christian McBrideの力強いベースソロやウォーキングや、John Scofieldのギタープレイに耳を寄せてしまって読み進めなくなる一幕もあった。零時一五分まで読んで一旦中断、両親が去ったあとの上階に行って、「どん兵衛」の鴨蕎麦を用意した。室に戻ってそれを食い、Twitterを眺めたりしたのちに一時半からふたたび読書、今度は『境界線上のホライゾン』である。そうして三時過ぎまで読んで就床した。


・作文
 12:48 - 13:02 = 14分
 18:22 - 18:45 = 23分
 計: 37分

・読書
 14:10 - 16:15 = 2時間5分
 19:01 - 19:36 - 20:29 = 1時間28分
 21:30 - 24:15 = 2時間45分
 25:30 - 27:04 = 1時間34分
 計: 7時間52分

  • 川上稔境界線上のホライゾンⅢ(下)』: 152 - 802
  • 2016/6/24, Fri.
  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2019-03-26「教壇のながめがあまり好きじゃないできれば同じ方を見てたい」; 2019-03-27「Tシャツの上に薄手のパーカーを外は雨降りあの娘が眠ってる」
  • fuzkue「読書日記(128)」: 3月12日(火)まで。
  • 「記憶」: 69 - 85
  • 加藤二郎訳『ムージル著作集 第一巻 特性のない男Ⅰ』: 40 - 63

・睡眠
 1:00 - 12:15 = 11時間15分

・音楽

  • FISHMANS『Oh! Mountain』
  • Antonio Sanchez『New Life』
  • Antonio Sanchez『Three Times Three』