2016/9/12, Mon.

 九時台に入ってから覚醒を得たが、いつまた眠りに落ちこんでしまうかわからない危うさだった。もぞもぞと布団の下で蠢きながら眠りと現の境を彷徨っていたが、母親が掃除機を掛けに来た音にだいぶ助けられたようである。寝返りを打って布団を剝ぎ、手を頭の裏で合わせて瞑目しながら脚と膝を擦り合わせた。母親はこちらの部屋に入ってきて、汚いとか何とか言いながら床の埃をちょっと吸いこんで出て行った。それからまた眠気がやってきたようだったが、一〇時には確固たる覚醒を掴んで、少し経ってから本を読みはじめた。夏目漱石吾輩は猫である』である。一一時くらいまで読もうと思っていたところが、その少し前に母親の声が飛んできて、トマトの支柱が倒れたから手伝ってとか何とか言っている。起きたばかりでまだ飯も食っていないのに、とまったくの空腹が呻くのを感じながら苛立ったが、詮ないことであると思い直した。前日も考えたように、他人とともに暮らしている以上、こちらの時間のなかに妨害が差しこまれることは避けられず、自分に何かを求めるなと他人に言うこともできないのだ。生計と生活を頼っている身で家事を母親に押しつけてばかりいるのも寝覚めが悪いという多少の良心の呵責もあるし、さらにそれよりも大きな気持ちとしては、とにかく母親に黙ってほしい、こちらの精神を軋ませる類の言葉をその口から吐かないでほしいという願いがある。そのためには結局、相手の望みを忠実に満たしてやり、あるいは先回りしてその要求自体が生まれる余地を潰してしまうのが最善策なのだ――ここにおいて、ほとんど利己的な動機のために利他的な行動が生まれるという一種の逆説めいた構図が見られるわけである。とりあえず部屋を出て、階段下の部屋に母親がいるのにまだ飯も食っていないのだからと告げて階を上がった。テーブル上を見回しても新聞は見当たらず、訊けば休みだと言う。それで夏目漱石吾輩は猫である』を持ってきておいて、おかずらしきものは特になかったので、例によってハムと卵をフライパンに落とし、一方で前日の豚汁を温めた。卓に就いてティッシュ箱で本を押さえながら読み食いをして、平らげてからもちょっと読んだ。母親は卓の端で、タブレットを弄っていたと思う。食器を洗いに立ち上がって、処理すると軍手とビニール紐を持って外へ出た。畑に下りて行くと、確かにトマトを支えていた支柱が倒れて、まだ緑色につるりと染まっている小さな果実を実らせた茎の集合が、地に落ちかかってごちゃごちゃとなっている。母親が持ってきた新しい支柱を地面に差しこんで、そこに留め具で茎を留めた。またほかの箇所は母親がビニール紐で縛り付けていき、こちらはほとんど後ろで紐を持って切るだけの楽な仕事をこなした。畑にいるうちに陽射しが出てきて肌に暖かい。終えて戻ろうとなり、階段の前まで来たところで、トンボが飛び交っているのに気づいて、目で追っていると斜面から斜めに生えた支柱の先に止まった。見つめていると、セロファンのような翅と橙がかった体は静止させたまま、顔だけを時折り、機械めいて細かく動かしている。良いところで目を離し、屋内へと戻った。手を洗い、さらに風呂も洗うと正午直前だったようである。ベッドに転がりこんでちょうど一二時から読書を始めた。最初は三〇分か一時間か、適当なところで切り上げようと思っていたところが、楽な姿勢に誘われてその適当なところを見失い、少々まどろみながらも一時までが一時半まで、一時半が二時、そうして二時が結局二時半までとなり、読了してしまったのには自分でも驚かれた。既にこの日は、三時間と一七〇ページを読んで過ごしたわけである。その後、三時を迎えると瞑想をしたが、即座に母親の足音が階下まで降りてきて部屋のほうにやってきたので、一度目をひらいた。仕方のないことだが、同居人がいると、瞑想すら自由にできないわけだ。用件は、いつ出かけるのか、という質問だったはずである。答えて母親が行ってしまったあと、その気配を窺いながら再度瞑想を始め、短めに七分で済ませた。そうして腕立て伏せをして僅かばかり筋肉を動かしておき、それから書き物に入った。この時音楽は流さなかったようである。前日の記事を綴って仕上げ、時間を確認するとちょうど一時間ほどが経っていた――足したのは三五〇〇字弱だが、やはりそのくらいは掛かってしまうものだ。出勤前に腹を満たすために上に行き、豆腐と即席の味噌汁に葱を刻んで用意した。四時半だった。ほかにゆで卵を食ってから、父親のシャツやハンカチなどにアイロンを掛けていると、階下から母親の声がする。パソコンを見てくれと言うのだが、いまアイロンを掛けているからとひとまず放って、終えてから下に行った。画面を覗くとなぜかインターネットエクスプローラーがひらいていたので閉じ、さらにアップデートの通知なども閉じて、タイピングソフトを立ちあげた。それでこちらはシャワーを浴びに行った。五時に差し掛かるところだが、外は雨を思わせる湿った曇りで、浴室は普段よりも薄暗く、液体のような蔭があちらこちらを浸食して、鏡に映る己の姿はくすんで古びた写真のように霞んでいた。湯を浴びて出てくると、階段下で母親は何やらメモ帳をひらいて日記を書いているらしい。歯ブラシをくわえながら多少助言をして、ファイルを保存させ、仕事着に着替えた。余裕を持って出ようというわけで早めに、ポケットに母親の葉書を入れて出立した。自転車を走らせはじめると、雨粒がかすかに肌に触れたような気もしたが、いまさら徒歩では間に合わない。街道を下って行き、ポストに葉書を投函してから裏に移り、女子高生の脇を抜けて職場に向かった。アパートの塀内の小さなサルスベリが、紅色の花をまたたくさんに付けて、その重みでやや垂れて曲線を描くようにしていた。職場に着くとすぐ、先輩に二八日の勤務のあとに時間を貰うと言われたのは、学習記録表関連で改定があるらしく、一〇月一日の教室会議を前にあらかじめ話をしておきたいとのことである。奥のほうに行って予定時刻まで数分待ち、そろそろ働きはじめようと思ったところが先輩がやってきて、学習記録表が廃止されるらしいとより詳しい情報を開示した。代わりに「振り返り授業」と言って、生徒本人に毎回の授業の記録を書かせることになったと言うのだが、先輩自身も横で一緒に聞いていた同僚も懐疑的な様子だった。それはこちらも同様で、大してうまくは行かないだろうと予想されたし、我々講師側の情報記録と伝達はどうするのかなど疑問もあるが、そういう流れは流れとして仕方がない、そのなかでうまくやっていくしかないと軽く受けた。話を聞いていたので準備の開始は結局予定時刻を過ぎてしまったが、授業に問題はない。労働ののち九時半頃退勤したが、その頃には雨が結構な調子で降っていた。もう少し早く出れば自転車を置き去りにして電車で帰るという手もあったが、あと一、二分で発車してしまい、いまから急いで間に合うかわからない。濡れて帰るかと覚悟を決めて自転車を駆り出したが、激しいというほどではなくとも大層な降りで、雨の下を漕ぎだした途端に太腿がびちゃびちゃと濡れる。ネクタイにシャツや頭などもあっという間に濡れそぼって、気になるのは最初だけで一度全身丸ごと濡れてしまえばかえって楽なようなものだが、それでも絶えず顔面に雨粒が打ちつけてくるのには辟易した。目を細めなければならないために視界が不安定になるのだ。額から目のあたりから鼻の下まで顔の表面をだらだらと流れる水に苦しみつつ一〇分ほどの道行きを耐えて、帰宅した。玄関に入ると母親を呼んでタオルを持ってきてもらい、顔と頭を拭いてから床に上がった。父親も帰ってきており、寝間着姿で扇風機に当たって、これから飯を食うところらしい。居間で服を脱ぎ、ズボンはハンガーに洗濯ばさみで留めて物干しに吊るしておいた。室に戻ると瞑想もせずにすぐに食事に行き、豚汁の最後の残りを温め、キャベツと肉の炒め物や鮭を卓に並べた。父親はテレビでパラリンピック関連の番組を見ており、母親は母親でスマートフォンでバラエティ番組(『しゃべくり007』である)を見ている。二種類の音声がそれぞれの場所から立ってぶつかり混じるのに、それでも意識を乱されずに夕刊を読みながらものを食った。じきに母親は下に行って、そのあとこちらは皿を洗って風呂に入った。出てきて部屋に帰ると、一一時である。書き物に掛かろうと先日中古屋で入手したMuddy Waters『The Lost Tapes』を流しはじめたが、初めのインタビュー冒頭で、「シカゴ出身ですか?」「ミシシッピ生まれだよ」などというやりとりが聞こえて、これは聞き覚えがあるなと感づいた。プレイヤーの曲目を見ると、その上の『Live - 1971』(過去に立川図書館で借りたものである)のものとまったく同じ曲が同じ順番で並んでいる。同じ音源だとは気付かなかったと中古屋にいた時の自分の迂闊さを嘆いたが、別に悪い音源ではないしディスクとして持っておいても悪くはないかと思い直した。それで三〇分だけこの日の記事を書き進め、止めると次には日記の読み返しを行ったのだが、思い出されたことやいまとの比較を書き付けていると長くなって大層時間が掛かり、二記事とも終えた頃にはもう一時が結構近くなっていた。歯磨きをしながら、『日本史B用語&問題2100』をめくりはじめた。安土桃山のあたりを進め、口をゆすいできてから『日本史標準問題集』のほうに掛かるのだが、用語集を繰って細かく調べているとやたらと時間が掛かる。一時間を使って大体翌日の授業の範囲を学習し、瞑想を挟んでから読書に入った。『吾輩は猫である』の次は、図書館で借りているJ. アナス・J. バーンズ/金山弥平訳『古代懐疑主義入門――判断保留の十の方式』を読むことにした。寝床に転がったまま読んでいると、強い雨の音が始まって、ひやりとする涼気も流れこんでくるので風の通り道を細く縮めた。それで三時まで読んでから、再度瞑想をして就寝である。