2016/9/15, Thu.

 八時かそのくらいだったか、寝付いてからまだそれほど経っていない時間に一度覚めたのだと思う。四時に眠ったのだからそこで起床されるはずもなく、ふたたび眠りに心身を委ねて、次に覚めると一挙に一一時二〇分頃まで時間が飛んでいた。それでも七時間ほどの睡眠だから、夜更かしをしたわりには適正に収まったものだ。布団を剝ぎ、白い窓のほうを眺めながら脹脛を代わる代わる膝で刺激し、例によって他人のブログも読んで一一時四〇分頃に起床した。母親は料理教室に出かけており、居間のテーブルにはメモ書きが残されていた。ビーフシチューを温め、ハムエッグを作り、新聞をなおざりに読みながらものを食った。食器を片付けてから下階に戻ると、休日の気楽さに緊張を失って、ギターを弾いたりインターネットを回ったりして時間を潰した。途中で帰ってきた母親が部屋にやってきて、弁当を作ってきたがと言うが、腹は減っていなかった。また出かけてくるからと言い残すのを受けてしばらくしてから、風呂を洗いに行き、そうして戻ってきて二時過ぎからようやく読書に入った。四時まで起きていた害でだいぶうとうととしていた時間も挟むものの、三時間通してJ. アナス・J. バーンズ/金山弥平訳『古代懐疑主義入門――判断保留の十の方式』を読み続け、五時二〇分で中断した。それで階上に行き、母親のいる台所に入ると、肉を炒めると言う。チョコレートの織りこまれたパンをもぐもぐやり、半分残っていた鳩サブレも食ってから、ピーマンとシシトウ、それに玉ねぎを切った。肉も切り分けるとフライパンに油を引き、チューブのニンニクを落とすと、ばちばちと油が跳ね回り、白かったペーストは即座に香ばしげな茶色に染まった。それから野菜を放りこみ、続いて肉も合わせて炒めている途中、横で流し台の前に立った母親が例のごとく愚痴を吐く。途切れたかと思うと即座にまた矢継ぎ早に繰り出される悪臭のような声音に苛立ちが滲んだ。己の母親が嫌悪を表明する時の声の響きというのは、どうしてあれほどまでに不快を催させるものなのか、不思議なくらいである。とはいえ以前と比べれば相当に堪え性がついたもので、この時も理性を動員して壁を作り、その内ですぐに平静さを取り戻したのだが、連続して放たれる愚痴の矢を受けて、壁の表面がところどころ削れてぱらぱらと剝がれ落ちるような感じがした。焼肉のたれで料理の味付けを済ませると自室に帰った。三〇分も掛からない、楽な作業である。それで、Brad Mehldau『The Art of the Trio, Vol.1』を掛けながらまた読書を始めたはずが、すぐにインターネットを探り出してしまい、行き当たったNOT FOUNDのページからの連想でMr. Childrenの曲を思いだして、久しぶりにそれを流して歌った。そこから一人きりの歌唱大会が始まってしまい、一時間も過ごしたあとにようやく読書に立ち帰って、さらに一時間ほど読んで八時である。腕立て伏せと背筋運動をしてから夕食を取りに行った。新聞に目をやりながらものを食べるあいだ、久しぶりに虚しさとも言うべき感情が身中に立ち籠めるのを感じていたのだが、それは夕食前に見かけたインターネットのためである。特段に何が悪いとか、どこがどうとかいうわけではないのだが、インターネット上で発されている言葉はブログ上のそれにしろTwitterにおけるそれにしろ、僅かの例外を除くとどれもこれもまるでくだらぬ、ほとんど無価値のものと思えて仕方がなかったのだ。いわゆるところの文学や芸術に関心を持っているらしき人間のそれからしてそうで、かつては自分も通った道ではあるものの、彼ら彼女らがTwitterなどで、気晴らしやら自己慰撫やら自己顕示やらのために(と見えるのだが)整理されず、練られず、用意されてもいない発言を垂れ流して平気でいるのを見て、わからなくなったのだ。前々から勿論そうした感情は持っていたものの、この日明確に、自分のやっていること、やっていきたいことと、この人たちの立っている場所とは、何の関係もないのだなということが確かに実感された。要するに、非常に傲慢な言い方にはなるが、この世はまったくくだらないものであるという自明のことを、久しぶりに思い出したのだ(同等の確かさで、この世はまったく素晴らしいものであるということも自分は知っているつもりでいるが)。そうした虚しさは生の不安と混じり合った形で、大学を卒業して読み書きを始める以前にはよく感じたものだった。パニック障害を発症したのも、根本的にはそうした虚無感が原因だったのだろうといまとなっては思えるが、もはやそれに振り回されるでもない、結局のところ自分は自分ひとりで、ほとんど自分のために読み書きを続けるだけだし、自分にはおそらくそれしかできないのだなということが改めて理解されたのだった。それでちょっと沈みながらも、しかしそれは何というほどのことでもなく、心の平穏を保ちながら黙々と飯を食った。食後にマスカットも食べて食器を洗うとすぐに風呂に行った。出てくると一〇時過ぎ、室に帰って、Brad Mehldau『Art of the Trio 4: Back at the Vanguard』を流しながらインターネットを回ったのち、一一時過ぎから書き物を始めた。その頃には音楽は、Brad Mehldau Trio『Blues and Ballads』に移しており、その後Pat Metheny『Unity Band』を繋げた。二三〇〇字を前日に足して仕上げて、この日のことは、外出もせず大した出来事があったわけでもないのですぐに書き終わるだろうと思ったところが、書けばやはり意外と掛かるもので、こちらも二三〇〇字を越えて、時間も前日の分より掛かった。それで一時前である。思ったよりも遅くなってしまったが、就寝前の読書に移る前にまだ日記の読み返しをする必要があった――前日にはさぼってしまったため、四日分のノルマが溜まっていた。二〇一四年の二日分はさっと読み流し、メモすることもほとんどなくてすぐに終え、二〇一五年も一四日は即座に過ぎたが、一五日の分には箇条書きが結構並んで、一時一〇分を迎えた。またちょっと動画を見たのちに、Bill Evans Trioの演奏を二曲聞き、二時前から寝床で読書を始めた。一時間強読んで、この日の読書は一八四ページと五時間四二分、なかなかの取り組み様だが、その代わりに書き抜きや英語や日本史の勉強を犠牲にしたのだった。瞑想もここまで一度も行わない有り様で、一日のうちにこなすべき仕事が増えながらも、こちらの勤勉さが追いつかずにすべての要求を満足に充たせる日は少ない。就寝前の瞑想をするべく枕に座り、久しぶりに深呼吸を繰り返す形で腹をへこませては膨らませた。一〇分ほど座り、明かりを消して布団に入ってからも、仰向けで同じように意識的な呼吸を続けた。数を数えたのはせいぜい五回くらいまでで、あとは回数の観念は失われて、しばらく腹を動かしているうちにいつの間にか寝入った。