2016/9/16, Fri.

 寝床で腹式呼吸を繰り返してから寝付いたので、何かしらの恩恵があるかと思いきやそんなことはない。いつものごとく起床を手繰り損ねて意識が定かになったのは一一時二〇分、前日よりも早く寝付いたわりに起床は変わらず、その分長寝になった。例によって寝転がったまま脚をほぐしはじめ、携帯電話を取るとメールが入っていた。大学の同級生で、風邪を引いたので翌日の読書会を延期にできないかと、丁重に畏まったような文言で綴られていた。日程を変えるくらい何ほどのことでもないのにと思いながら了承し、他人のブログを読んだりしていると、画面の左上にふたたびメールのアイコンが現れる。今度は先ほどそのブログも閲覧した京都の知人で、何かと思えば、推敲中の小説から一節を引いて、この日本語は何かおかしいかとの問いであった。だいぶ切羽詰まっているようだなと思いながら何度か読み、一読して違和感はなかったが、繰り返し読むと、「すべ」という語に対して「~してくれる」という形から続くのが僅かに引っ掛かると返信した。それで部屋を抜けた頃には既に正午近くである。上がっていくとちょうど母親が台所でチャーハンを炒めているところだった。ニンニク醤油を垂らされて旨そうな香りが立ったそれを引き継いで木べらでかき混ぜ、仕上げると風呂を洗った。それから卓で向かい合って食事、こちらは久しぶりに携帯電話を弄りながら食って、途中で先の知人からの返信を見ると、向こうも同じ箇所に引っ掛かっていたらしい。「~してくれる」という係り方だと、本来主体が活用するはずの「すべ」自体が主体となっているように感じられて、小さな違和感が生まれるのだろうと蛇足を書き、言っても無駄だとは思うが根詰めすぎずにと応援の言を加えて返した。母親が切ってくれた黄色の桃を二人で食って、食器を片付けると室に帰った。前日の記録を付けたあとは、こなすべきことに取り組む気力が湧かず、インターネットを回って娯楽的な時間を過ごし、二時である。便所に立つと、畑に行ってきた母親が野菜の入った袋を持って、物置の戸口に戻ってきたところだった。その袋を台所に運んで行くと、米を収めたざるが置いてあったのでついでにそれも研ぎ、それから部屋に帰って、仕事に掛かる英気を養うためにまず読書を始めた。J. アナス・J. バーンズ/金山弥平訳『古代懐疑主義入門――判断保留の十の方式』である。五〇分ほど読んで三時一〇分になると、身体を起こして美容院に電話を掛け、翌日の二時半に予約をいれたのち、腕立て伏せと背筋運動をした。それからさらに、枕に腰掛けて瞑想を始めた。外からはおそらく近所の家で駆動させている耕運機のものだと思うが、単調で変化のないエンジン音が動かず一箇所にどさりと居座っており、それを聞いていると、薄灰色の曇りの空気と結びついて、雲をもくもくと製造しては空中に吐きだす機械のようなイメージが眼裏に映った。その音で周辺は満たされて、ほかの音声は隠れ気味なのだが、それが止まって静かになっても虫の音の少なく静かな日で、時折りタービンの回転めいて翅を震わせる音が流れるくらいだった。一一分間座ると、コンピューターの前に移り、Brad Mehldau『The Art of the Trio, Vol.1』を聞きながら書き物に取り掛かった。一五日の分は前日書きはじめた時間が遅く、大方綴ってあったので、僅かに五〇〇字を足したのみで一〇分も掛からず、この日の分は三〇分ほどで、四時を回って切りを付けた。それから、腹にものを入れるために上階に行った。即席の味噌汁に細い葱を刻んで僅かばかりの風味を加え、母親が毎日朝に茹でている卵と一緒に食べた。それから一度下に戻ったようで、四時三七分から五〇分まで読書時間が記録されているのは、歯磨きがてら文庫本をめくったのだろう。そうして、シャワーを浴びに行った。髪を洗い、胸や腹のあたりをちょっとたわしで擦ると出て、下階に戻るとすぐに仕事着を着た。瞑想をしてから、ちょうど良いくらいの時刻に家を出ると、青灰色の路上の空気が涼やかで、ベストを着てもいいかもしれないと思わせるほどのものだった。自転車に乗って悠々と裏道を通って行き、駅前に出るとこの日もまた夕方の鳥たちが街路樹に群がって鳴き声をあたりに撒き散らしている。脚の踏みをゆっくりにしながら見上げると、ぴよぴよぴよぴよとしきりに鳴き交わしながら宙を切って木から木へ飛んで行く姿が見えるのだが、それは黒い布の切れ端のような具合で、定かに目に捉えられず、何の鳥なのかは依然としてわからなかった。職場に入ると労働をこなし、いつの間にか残っているのは自分と、後始末を言い付けられているらしい後輩同僚のみとなっていた。一〇月一日の会議のあとの飲み会には来られるか、と尋ねられたのを機に会話が始まり、間断を置きながら続いて、仕事が済んだあとも職場に二人で留まって授業論めいたものを話し合い、こちらの考えを多少開陳することになった。どうせなので一緒に帰ることにして、だいぶ時間も遅くなって一〇時半を迎える頃にようやく職場を出た。自転車で並び、ゆるゆると漕いで裏道を行きながらまた会話を交わして、後輩相手の気安さがあるのか、そこでも色々なことをいい加減に喋り散らした。それで街道を反対側に渡って、中学校の校門前まで来たところでまたちょっと話してから、それぞれの方角に別れた。帰宅は一一時前、父親が風呂に入っていた。洗面所を出るのを待って、丸めたワイシャツを運び、それから自室へ帰ると、遅くなってしまったので瞑想はせずに着替えだけして食事に向かった。麻婆白菜などを食ってちょっと休んだあと、すぐに風呂に行ったと思う。出るともう零時を過ぎていたのではないか。父親は変わらず居間の炬燵テーブルの前に居座ってテレビを見ており、その後、夜二時頃まで独り言を洩らしながら留まっていたようである。室に帰ると、零時半まで本を読んだあとは、怠け心が湧いてインターネットに繰り出した。それで二時過ぎまで怠惰に時間を潰し、それから再度読書に入った。全般的な体調の改善に安んじて夜更かしがすっかり習いとなり、就寝が深夜に固定されてしまったので、もう少し早くしたいというわけで、毎日前日よりも少しでも早く明かりを消して床に入ることを目標にと考えていた。それで三時直前までで読書は切り上げ(インターネット逍遥の時間を読書に充てていれば、『古代懐疑主義入門』は既に読み終わっていたのにと悔やまれた)、一〇分間瞑想をして消灯、就寝時刻は三時五分と考えると、僅か五分ではあるが一応前日よりも早まったことになる。