2016/9/19, Mon.

 朝の早い頃から雨が降っていたようである。窓は確か、夜気が肌寒いほどだったので前夜のうちに閉めていたのではないか――この朝も、久方ぶりに冷たさに寄った空気の質感で、布団のなかが大層心地よく感じられた。起床は一〇時半になったらしい。便所に行ってきてから部屋に戻って、コンピューターを点し、夢を記録した。

・ラーメンを食ったらしい。商店街めいた街路に数人で溜まっている。みな自転車に跨っている。ラーメン屋はおそらく、W.Yの店だったようである(彼は数日前の夢にも、ひどく茶色い肌で出てきた)。そのあたりにはほかにもいくつもラーメン屋があって軒を接するようにして競合しているらしく、W.Yの店の向かい(あるいは隣)にも、「なんはい」という店があった。周囲にいる仲間たちは知らない人間で、自分も含めてみな高校の制服を着ていたような覚えがある。そのわりに高校の同級生の印象はない。さらに、この学生身分の設定はそれほど強くはなかったようで、周囲がみな高校生であるのに対して、ひとり自分だけ年上であることに対する微妙な疎外感を覚えた記憶がある。
・ホテル。ふかふかとした絨毯でできているような、細めの通路を上がっていく(一人がやっと通れるほどの幅しかない。手すりも何もなく、やや傾斜のついた坂だけが剝き出しである)。両側の壁際にもそれぞれ通路(こちらはたしか階段だった)が設けられていて、そちらのほうが通りやすそうなのだが、なぜか真ん中を行く。通ると、やや高くなった壇のような、舞台のような場の上に出て、横に折れて進むと、受付がある。由緒正しいホテルのフロントらしい。手続きを行っていると、母親が後ろから来て追いつく。
・自宅の居間。義姉が食事の用意をしている。こちらはテレビのリモコンを操作、というのは音楽を流そうとしたらしい。コンピューターに入っているプレイヤーとテレビが連動していたようである。ポルノグラフィティの "アゲハ蝶" を流したような気もするが、この曲を聞いたのは別の夢のなかだったかもしれない。選んでいるうちに、小沢健二『球体の奏でる音楽』を流そうと思いつく。画面には、放映中のテレビ番組らしいものが映っており、それは「ゴジラ」シリーズの一作として認識されていた。副題に「ギャラクシー」というような語が含まれていたらしく、超新星爆発のような、画面が真っ白になる場面が見られることが予想されたのだが、それに対する忌避感があって見たくなかったので、早く音楽を掛けようとスクロールを繰り返す。ところが、ある時点からスクロールが効かなくなり、操作不能になったので、仕方なく電源を切る。義姉の食事の用意は終わる頃だった、たしかうどんか素麺か何かだったようである。卓に就いてそれを食うのだが、向かいには父親がいる。話していると、こちらの右手の袖(青いセーターか何かだった)が、椀に入りそうなのを注意される。時期は一二月、そろそろ年末も近い頃だったようである。テレビの後ろの壁に掛かっているカレンダーがたしかに一二月のものになっているのを見ながら、まるで実感の湧かない、不思議な感じを覚える。今年は全然寒くないな口に出すと、父親はそうか、とやや疑問の返答。一一月というものがまったくなかったような、と例年のその頃の寒気を思いだしながら考える。
・自室の寝床。傍らには少女――この女の子はどうやら、兄夫婦の子(つまりこちらの姪)らしく、場所も居間が混ざってもいたのか、現実の自室よりも広いようで、室内には兄と義姉もいたようである。暮れ方のようで、窓の外は、淡い青緑色が空に滑らかに広がっている。それに注意を促そうかと思っていると、姪は、仰向けに寝ているこちらの上に乗ってくる。なかなかに重く、苦しくなって目が覚める。

 いつもながらのことではあるが、床を離れた時には既にだいぶ記憶の消失が進んでおり、これでも印象に残っていた一部のみで、いくら目を閉じて頭を捻っても出てこない背景部分は諦めざるを得なかった。一一時を回ったくらいで上に行き、風呂を洗ってから、豚汁に、ハムエッグを焼いて食事を取った。彼岸入りなので、前日の話では、雨が降らなかったら朝も八時前から、勤務に向かう父親の車に同乗して墓参りをするということだったが、またもや台風が近づいてきているらしく、あいにく雨天なので外出は避けられたらしい。食事を取り終え、新聞も多少読むと、久しぶりにそば茶を注いで下階に帰った。窓を閉ざすことのできる涼しさなので、音楽をスピーカーから吐き出させることも可能だった。それで小沢健二『球体の奏でる音楽』(夢に出てきたのだった)を流し、ところどころ曲を口ずさみながら、J. アナス・J. バーンズ/金山弥平訳『古代懐疑主義入門――判断保留の十の方式』の書き抜きをした。その後はキリンジのベスト盤に繋げ、書き抜きを一時間で切りあげると、娯楽的な動画を見たりして時間を潰した。途中で母親が部屋に来て、山梨の祖母が伯母の助けを借りて墓を参ったということを報告してみせた。それで、うちもやっぱり墓に行こうか、と言う。どちらでもいいと適当に受けて、ベッドに移り、そうして『ベンヤミン・コレクション1 近代の意味』から「複製技術時代の芸術作品」を読みはじめたのが、二時四五分である。三五分で篇を読了して、間を置かずにマルセル・プルースト/鈴木道彦訳『失われた時を求めて 6 第三篇 ゲルマントの方Ⅱ』に移行した。窓を閉めていても、ハーフパンツから剝き出される脚がちょっと肌寒いような、しとしとと湿っぽい秋雨の気候である。それで読んでいると、隣室で静かに休んでいたらしい母親が起きる気配がして、こちらの部屋にやってきてやはり行こうと言うので、了承した。しかしすぐに準備を始めず、腹が減っていたので上に行って、ゆで卵と焼売を食った。さらに食後のそば茶も用意して、既に着替えを終えて薄めのコートも羽織った格好の母親が急かすのも意に介さず、悠長に茶を啜りながら本を読み、それからようやく着替えに行った。髪を短くしたので帽子も被って、Donny Hathaway『Extension of A Man』のCDを持って出発した。正午頃には居間の窓の向こうが白く濁って、川も山も定かならず、自宅が霧で画された狭い箱庭のなかにすっぽりと収まってしまったような時間もあったが、この頃にはそこまでの降りはなかったようである。荷物を車中に置いてから、傘に雨を受けてそのあたりをぼんやり眺めながら母親が出てくるのを待ち、車を出してもらうと助手席に入った。Donny Hathawayの遺作を流して発進、道中、母親は例のごとく隣で頻繁に口をひらいてつらつらと喋っているのだが、それに対して相槌を打つこともせず、音楽を聞いたり、フロントガラスに付着した水滴が一つ一つ、前の車の後部ランプの明かりを受けて、夜街のネオンや小さなライブハウスの照明を思わせる赤さに染まっているのを見たりしていた。市民会館前で下り坂に折れると、家屋根の彼方に乳白色に包まれて、山と川向こうの町が消えかかりながらも辛うじて影を留めており、まるで遥か以前に湖の底に沈んだ集落を見るようだった。再度曲がって進み、コンビニに入った――墓に供える花を買うためである。久しぶりに菓子でも買いたいというわけでこちらも降り、入口の傍から母親が取りあげた花を受け取り、籠も持った。それで卵やらキャベツやら、またこちらの所望としてチョコレートやらシュークリームやらを入れ、レジに持って行った。少々腰の引けたような女性店員が値段を読みこんでいる最中、チョコレートの一つが二四〇円とか言われて、それを聞いた母親が思わず、そんなに高いの、と洩らした。こちらも値段を見ずに――と言うか、その品に該当する値札がなかったように思うが――適当に取ったので、それほどだったかと合わせていると、店員が、でも私もそういうことありますよ、と言ってちょっと母親と言葉を交わしていた。花がもう一つ追加され(しかし一束で五四〇円もするものなのだ)、三二〇〇円だかそこらの会計を母親に払ってもらい、車中に戻った。母親はまたすぐ、二円切手を買い忘れたと言って再度店に向かっていった。戻ってくると墓へ向かい、細道を入って坂を上り、寺の入口をくぐって砂利の上に停車した。敷地内の木の向こうに立っている男性の姿が見える。それは寺の住職で、犬を連れているのが意外だった――この寺で犬を飼っているということは聞いたことがなかったのだ。降りて、近づいてきていたのにこんにちは、と挨拶をして、母親も降りるとちょっと立ち話が始まった。犬は黒い毛のもので、あとから母親に訊いたことには柴犬だと言う。人懐っこいようで、口をひらきながらこちらに向かってまっすぐ両の前足を伸ばして飛びかかって来ようとするのを、住職が紐を保持して制さなければならない。その積極性にちょっと引いていたが、噛みはしないと言うのを聞いて近づいてみると、足をこちらの太腿あたりに付けて、ズボンにちょっと泥が付着したのを住職が謝った。しゃがんで顔を見てみると、なかなか利発そうな顔貌で、それほど直接的に、まるで抱きついてくるかのように求められては、こちらとしても愛くるしさを感じるものだった。母親は住職に、封筒に収めた心付けを渡して、住職は傘と犬の紐に手を奪われ、格好も軽装なのでそれをすぐにどうすることもできず、手に無造作に握ったままでいた。それから別れて墓場に入り、雨が降ってはいるが水を桶に用意して墓石に向かった。通路の脇に鶏頭が、油性マーカーの色のような赤紫色で咲いていた。我が家の墓に着くと、空の花受けを外して、水を注ぎながら歯ブラシで磨き、汚れを取ると戻して、母親がそこに花を生けた。それからマッチとティッシュを使って線香に火を付け、二人それぞれ供えた。母親は小さな石の囲いに線香を供えても、忙しなく動き回って水をかけたり何なりしており、止まって手を合わせて拝んでいる様子もなかった。こちらは供えたところで母親の指示が入って花の向きをちょっと直したが、それが終わると後ろに引いて、傘を保持した手を低いところで合わせて、金と健康と能力と時間の四つセットを祈った。何度か繰り返して心中で呟いているうちに、能力というのはもっと具体的なもののほうが良いのではないかと思って、そこに勤勉さと覚悟をくれと付け加わった。そうして道を戻り、道具を片付けて汲み上げ式のポンプを使って手を洗うと、墓場を辞去した。出て左に踏み出し、鯉のいる池の前に行ったが、鯉は水の奥に引っこんでおり、姿が見えなかった。母親が手を叩いておびき出そうとしていると、住職が再度やってきて、母親に線香を渡した。それで雑談をしているうちに(こちらは関しなかった)鯉がちらほら姿を見せるようになり、住職が去って母親もそのあたりをうろついて、こちらがひとりで佇んでいる合間に、尾を振って体をうねらせながら何匹も泳ぎ出し、撒かれた餌に大口を寄せて喰っているさまが見られた。なかに二匹、オレンジ色に満たされた体で、気高いような優美さを備えた鯉が二匹いて、それらが泳ぐ姿はたおやかで、何とはなしに可愛らしくも思われた。母親が戻ってきたところで車に帰り、寺をあとにした。寄るところもなくまっすぐ走って帰宅すると、荷物を室内に運びこんで、買ってきたものを冷蔵庫や戸棚に収めた。それから着替えてきて、カレーを作ることにした。Donny Hathawayをラジカセで流し、聞きながら材料をそれぞれ切り分けたのち、大鍋に油を垂らした。少々熱してからレバーを右端に滑らせて火力を最弱にして、チューブのニンニクと生姜を落とした。木べらでそれらをかき混ぜて香りを立たせてから、玉ねぎを投入した。火加減はレバー三ミリ分も変えずに、ちょっと木べらを走らせれば鍋の底で玉ねぎが焼けるJの子音が消えてしまうほどの弱火で、じっくりと炒めた。段々と鍋に熱が通って、じゅうじゅうという音が継続的になっても、木べらをゆっくり動かして玉ねぎがさらに柔らかくなるのを待ち、結構時間を使ってからようやくジャガイモに人参、肉を加えた。肉の色が変わって赤い部分がなくなると水を注いで洗い物をし、そこまでであとは任せると母親に言っておきながら、まだ下らず、椅子に就いて新聞を読んだ。時間を見て鍋の様子を見に行き、灰汁を取っておいてから今度こそあとは任せると自室に帰った。時刻は六時二〇分、寝床での読書に入った。一時間ほど読んでから夕食を取りに行き、カレーで腹を満たして室に帰ると、おそらく歌を歌ったものだろうか――あるいは、川上稔境界線上のホライゾン』のアニメを思い立って見たのかもしれない。九時を過ぎてBill Evans Trioの "All of You" を二テイク分聞いているが、風呂に行ったのはそのあとと思われる。戻ってくると、最近さぼりがちの瞑想を一三分して一〇時、この時は確かにアニメを見たと思う。この日は確か二話分を視聴したのではなかったか――川上稔は『終わりのクロニクル』にしても『境界線上のホライゾン』にしても、一巻あたりの分量が非常に多く(上下巻、あるいは上中下巻に分かれ、一〇〇〇ページを越える分厚い巻も往々にしてあるのだ)、大層長い物語を作る人間なのだが、彼の名前を検索しているとそうした情報からの連想で、先日から時折り想起されて調べなくてはと思っていた、世界一長い(と思われる)小説を書いた人間のことを思い出した。詳しい情報まで蘇ってこなかったので、「世界一長い小説」という語で検索すると、ヘンリー・ダーガーという名が容易に出てきた。作品は『非現実の王国で』というタイトルで、正式名は『非現実の王国として知られる地における、ヴィヴィアン・ガールズの物語、子供奴隷の反乱に起因するグランデコ・アンジェリニアン戦争の嵐の物語』と言うらしい。一九歳で執筆が開始されてから六〇年にも渡って人知れず続けられ、三〇〇枚以上の挿絵が付され、一五〇〇〇ページ以上を費やされたその作品は、アパートの家主によって発見され、アウトサイダーアートの代表例として評価されるようになったと言う。さらに検索してみて、Amazonやらブログやらで人々がおよそどうでも良いような感想ばかり語っているのを見てまたくだらない気分になったのだが、それはともかくとして、出てきた情報からの印象では、小説として優れたものなのかは定かではない――とはいえ、非常に読んではみたいものだ。しかし、残念ながら、テクスト全篇が刊行されたことはいままでないと言う――この事態そのものが、この世がいかに小説に対して遅れているかということを示す事実であるように思われもしたのだが、もしかすると、全篇を陽の目に晒す価値のある作品なのか、疑問視されているのだろうか。それらの調べ物をしたのは一一時頃、それから日記の読み返しに入った。二〇一四年のものを読みながら、やはりこの年のものはあまりにつまらないし、備忘録としての役割すら満足に果たすものでないので、すべて消去するべきだなと再度考えが固まった。それで二〇一四年九月一九日の記事は読み終えると削除し、二〇一五年のものも読んで――この日の記事に、Jakob Broの『Hymnotic / Salmodisk』が無料で入手できるURLが付されており、これは当時何故かダウンロードがうまく行かなかった記憶があるが、一年越しで落手した――箇条書きをしておくと、一一時半過ぎから書き物に入った。音楽は既に、Hampton Hawes『I'm All Smiles』を流していた――そして、この作品は、 "Manha de Carnaval" の出来が良く、全体を通しても好演なので保持と判断された。その後、Miles Davis『In A Silent Way』とともに作文が進められ、一時前を迎えて中断となった。この日の記事は、朝に記した夢の部分も含めて、四七〇〇字綴られたので、なかなかのものだ。打鍵中にはカレーをたらふく食べたためか腹がやたらと張り、胃がつままれて歪めさせられているような腹痛に苦しんだが、じきに収まって、腹の膨満もなくなった。作文を終えてから読書に移るまでに三〇分以上のひらきがあるので、アニメはここで視聴されたのかもしれない。一時半から一時間、プルーストを読むと、瞑想をして、二時四〇分に消灯である――床に入る時間を毎晩前日よりも早くしていくという計画は、僅か一〇分毎の変化でありながらも、着々と成功している。