2016/9/26, Mon.

 前日に引き続き、この日も晴れ空の覗いて、カーテンのあいだを光が通る午前だった。その午前をほとんど丸々消費するくらいの朝寝をして、母親がたしなめ気味の口調で部屋にやって来たのが一一時半頃だったようである。面接を受けに出かけてくるが、シーツを干して行くから雨が降らないか見てくれとの話だった。それで覚醒して布団を剝ぎ、ちょっとごろついてから身体を起こし、便所に行ってくると瞑想を行った。正午過ぎである。上に上がって行き、ナスの炒め物やら何やらで食事を取って新聞も読むと、早々に部屋に帰ったと思う。そしてGarcia Marquezのペーパーバックをめくった――大した時間が取れないのだから一時英語に触れるのは中断して、ほかを優先させようと前々日には思ったのだったが、僅か一ページだけでも良いから毎日英文に当たることを続けようと考えを変えたのだ。どんなに微々たるものであっても、とにかく毎日の行いの流れを途切れさせないことが重要で、習慣を継続しながら、より余裕のある時が来たら時間を拡大すれば良いのだ、というわけで、これは、その時には英語のことを意識していたわけではないが、前日に友人と会っていた際に、何かをやるにあたっての一般原則として自ら口にしたことだった。それが知らず自己に言い聞かせるように働いたということもあるのだろう、一ページだけ読もうと決めて質の悪いくすんだ紙の本をひらき――その一ページに一七分も掛かっている有り様なのだが――読んだ。途中で母親が帰ってきて、戸口に現れた。どこの面接を受けたのかと訊くと、ワークマンだと言う。それがしかし、相手となった社長か誰かが、面接をしながら煙草を吸っていたというので、母親はあまり良い印象を持たなかったようである(彼女は煙草が大嫌いなのだ)。報告を受けて、英語の時間を終えると一時二〇分、次に "Don't You Worry 'Bout A Thing" を流した形跡があるので、前日の記録を付けるなり何なりしたらしい。それから、読書に入った――新渡戸稲造『武士道』を読み終わってしまおうと考えたのだ。二時二〇分まで掛けて読了すると、隣室に入ってギターをいじくり回した。それで三時前、ちょっと時間を置いてから、腕立て伏せをしたのちに、書き物に入った――前日は長時間の外出のため気力不足になって、まったく書き物をしなかったので、二日前、二四日の記事である。Omer Avital『Arrival』を流し、キーボードに触れはじめるとすぐに母親がやって来て、ジュースを飲むかと誘った。一度は断ったのだが、自分が飲みたいらしい母親に同じて了承すると、小さなグラスを持ってきて、酸味の強い炭酸飲料を注いだ。それを飲みながら打鍵を続けて、四時に到着する直前に、二四日の記事は仕舞えることができた。図書館に出かけるつもりでいた――分館と中央図書館の両方である。と言うのは、『失われたときを求めて』の六巻を返却するついでに、分館で、書き抜きをすることのできなかった四、五巻を再度借りたかったし、加えて、次回の会合の課題書となったプリーモ・レーヴィ『休戦』も(こちらは中央にある)借りたかったからだ。デオドラントシートを使って身体を拭い、服を着替え、荷物が多くなるだろうから久しぶりにリュックサックを背負った。身支度を済ませ、帽子も被って上に行き、卓に就いてタブレットを弄っている母親の横に立つと、財布から五千円札を抜いて差し出した――微々たるものではあるが、毎月の納入金である。そうして出発、時間は既に四時二〇分を過ぎていたと思う。坂を上って平坦な道に出て、歩きながら左を見やると、家屋根の合間に覗いた空の低みが、青灰色の雲に両側から挟まれながら、白さの裏に光のエネルギーを封じこめている。輝きというほどの勢いはないが、少々艶を帯びたようになって周囲と質を変えているその雲間は、左右から迫る境界線の輪郭の具合で、上に行くにつれて細まり、曖昧な形になっており、燃え立ちながら揺らぐ炎の一つの瞬間が捉えられて、空の表面に固着されたかのようだった。街道を越えて裏通りに入ると、道端で縄跳びを持ってぱたぱたと跳ねる幼女がいる。過ぎてしばらくすると、子どもは後ろから縄跳びをぐるぐると身の周りに回転させて飛び越えながら走ってきて、こちらを追い抜かした。立ち止まって縄を動かす幼女の視線の先には婦人がおり、それは母親のようで、さらに進んで婦人とすれ違うと、子どもが元気よく飛び跳ねるのを見て褒める声が背後から聞こえた。前日と同様、汗を肌に滲ませながら通りを行き、分館に向けて駅近くで曲がり、踏切りを越えた。入ると、既に四時五〇分、閉館の一〇分前だった。『失われた時を求めて』の六巻を返却すると、図書室に入り、文庫の棚を見分してから海外文学のほうに移り、こちらも岩波文庫の著作などをざっと確認してから、『失われた時を求めて』の四、五、七巻を取って再度カウンターに行った。貸出手続きをしてもらうと退館し、本をリュックサックに収めて駅まで行った。ホームから駅前の路地を見ると、居酒屋の提灯が薄赤く灯りはじめており、まださしたる暗さではなくその明かりも際立つほどではないが、曇った暮れ始めの薄灰色のなかでそこだけが僅かに浮かびあがっているのが、かえって侘しさの感をもたらすようだった。一両目の一番後ろの乗り口の目印の場所まで来ると、すぐ傍に電柱が立っており、こんなものがここにあっただろうかと不意に違和感が生じて、じろじろと眺めた。頭上、柱の途中には狭い台が設けられて、その上には信号灯が設置されており、側面からそこには非常に幅の細い梯子段が続いているが、鍵付きの板で封じられて無闇に上れないようにされていた。この柱がここにあると意識されて、その存在が身に迫ってきたのはこれが初めてなのだが、いままでそれに気付かなかったことが不思議に思われた――と言うのも、最近は体験しなくなったけれど、拠り所のなくひらかれた空間に立つと軽いふらつきを感じることが以前は良くあり、そうした場合に支えとなるような柱の存在には敏感だったはずだからだ。それで最初は、新しく立てられたのだろうかとか、どこかほかの場所から移されたのだろうかとか思っていたのだが、柱にしてもその上の台にしても、明らかに長年使われてきた古さを湛えているし、足もとを見ても、確かに柱を囲むようにしてアスファルトの色と質が変わってはいるが、それもくすんで真新しさはなく、継ぎ目のあたりには苔が染みこんだかのように緑色が薄く滲んでいる。それで、自分が気付かなかっただけなのだろうと落として、やって来た電車に乗った。借りたばかりのプルースト七巻の月報を読んで到着を待ち、降りて改札を抜けると、歩廊のほうから何やら声が聞こえる。人々が我関せずで過ぎて行く横で、立って何かを訴えている男がおり、進んでいくと沖縄の基地問題関連だとわかった――首からプラカードを身体の前に提げているのだ。老人、あるいはせいぜい初老という歳の男性で、威勢の良い、叩きつけるような調子で行き過ぎる人々に向かって声を掛けているが、反応を示す者はいないようである。そちらのほうを見ていると目が合って、すると相手は獲物を見つけたとばかりに近づいてきて、九月二八日にデモを行うということを訴えはじめた。日比谷公園行ったことありますか、と問うてくるので、いや、ありませんと受けて、九月二八日、お願いしますよ、デモします、などと畳み掛けてくるのに、看板に目をやりながら、ただはい、はい、と返した。視線を上げて目を合わせた時に見えた相手の顔は、笑みを浮かべており、口の周りには不精に放置された髭が短くばらついており、失礼ながら少々下卑たような笑いの印象を受けた。それは外見の問題というよりは、おそらくは口調や振舞いの寄与するところがあって、その場を離れて歩廊の上を再度進みはじめてのちに背後から聞こえる、はーい、皆さん、お願いしますよ、などという声にも、押し付けがましいような色を感じたことは事実である。沖縄問題が重要であることは間違いなく、それらを訴えることも必要であるには違いない、しかしそうした一般的なレベルから、具体的な段階に下りて、どう訴えるかという問題になってくると、そこにも勿論色々な方策があり、様々な困難が付き纏うわけだ――路上に立つという方法を選んだにしても、どのように声を発するか、どのような身振りを見せるかという、非常に具体的で小さな個々の点の如何で、人々が関心を持つか持たないかが決まってしまうこともあるのだろう。いわゆる政治的な問題に限らないことだが、当人たちは甚だ真剣な切実さを抱えていても、その切実さを他人に共有してもらうということは常に困難で、その点、路上に立って大きな声を出すよりも何かうまいやり方があるのではと思われた――そんなことをつらつら考えながら、図書館の扉をくぐり、CD棚を瞥見してから階を上がった。新着図書を確認してから、海外文学のほうへ向かってフロアを横切った。テラス側の長テーブルには、おそらくはテストが近いのだろう、高校生の姿が多く見られた。まず文庫の棚で哲学や歴史の類を見て行き、それから裏側に回って学習席の脇に出て、棚の前にしゃがみこんで海外文学を見分した。プリーモ・レーヴィは、(事前に調べて知ってもいたのだが)『休戦』のほかに、光文社古典新訳文庫から発刊している『天使の蝶』という短編集があった。二冊をまとめて借りてしまおうか迷いながら海外の小説を詳細に見て回り、結果、『休戦』だけを持って、先の列のあいだに入り、文庫の棚の反対側、海外文学の単行本が集まっているのを眺めて行った。イタリア文学では、前々から見かけてはいたが、レーヴィと同じくアウシュヴィッツに囚われたという画家の日記があった。しゃがみこんで、視線をロシア文学の上を通過させて、棚の隅まで見ていると、古ぼけたような赤い色合いのギリシャ悲劇全集の二巻が紛れこんでいたので、全集の棚に戻しておいてやろうと手もとに保持した。ドイツ文学にもホロコースト関連のものはないかと見たが、一見してそれとわかるものは見当たらない――ゼーバルトの著作がそれを扱っていたはずだが、『土星の環』しか見られなかった。そうして棚のあいだを抜け、全集棚にギリシア悲劇の書を戻して目を上げると、それまでフランス文学の一画を占めていたロラン・バルト著作集が、こちらに移っている。ここからさらに閉架へと移動しないうちに、早く読まなくてはと思った。並びには七巻――すなわち、『記号の国』――のみが抜けていた。それから、窓際の個人席の横をゆるゆる通って、歴史の棚へと行った。こちらでもホロコーストナチス関連の著作を調べたのだが、あまり良さそうな本は見つからなかった。それから、伝記を見分したのが先か、それとも哲学の棚のほうが先だったか、記憶がはっきりしないが、どちらも眺めてから、結局、『休戦』のみを貸出手続きして館を去った。既に六時半前、外は暮れ切って歩廊は薄闇に包まれていた。駅舎の入口まで来ると、先の男性がまだ脇のベンチに腰掛けており、顔は暗がりの向こうで見えないが、持ったプラカードの表面だけが光を反射して、文字は読めないが薄ぼんやりと白く浮かびあがっていた。駅に入るとちょうど仕事帰りの人々が改札から大挙して出てくるところで、彼らがぞろぞろと行き過ぎていくその先で、男性がふたたび、はーい、みなさん、お願いしますよ、と投げるような口調でまた訴えかけるのが背後から聞こえた。ホームに降りると電車まで少々時間があったので、ベンチに腰掛けて、プリーモ・レーヴィ『休戦』をひらいた。やって来た電車に乗ってからも、冒頭をほんの僅か読み、乗り換えて最寄りへ帰った。短い帰路を辿って帰宅すると時刻はちょうど七時頃で、シャツを洗面所に脱ぎ捨てて室に帰ると、ベッドにごろりとなって身体を休ませがてら、借りてきた『失われた時を求めて』の七巻を読みはじめた。そうして、四〇分ほど読むと上階に行った。夕食は餃子に、余っていたカボチャの煮付けなど、飯を食うとあまり休まないうちに風呂に入ったような覚えがあるが、その後は時間を潰していたようで、次に記録上現れる時刻は、一〇時である。Bill Evans TrioやAhmad Jamal Trioの音楽を聞いたのだったが、ヘッドフォンを付けて瞑目しているうちに眠くなって、幻想が半分混ざった聴取となった。そうしてちょっど何らかの時間を挟んで、前日の記事に取り掛かったのが一〇時五〇分前である。音楽はまずKarl Denson『The D Stands For Diesel』を流したが、これは途中で売却と決めて、次にPaul Motian And The E.B.B.B.『Europe』を聞いた。それが終わると耳を解放し、BGMなしに打鍵を進めて、終える頃には一時が目前だった――二時間を掛け、六二〇〇字を一気に綴ったわけである。その調子で読書になだれこむ、というわけでには行かず、インターネットを回ったようで、書見は一時四五分から始まっている。二時二〇分前までプルーストを読むと、瞑想せずに就寝した。