2016/9/27, Tue.

 意識が晴れたのは一〇時だが、携帯電話を取ると久しぶりに寝床でだらだらと過ごしてしまい、床の上に立ちあがった頃にはもはや正午も間近だったはずである。火曜日なので母親は仕事に出かけて、家のなかは無人だった。上に行くと、弁当が作られていたのでそれを食い、室に帰ると引き続き、椅子の上や寝床で携帯電話を持って物語の類を読み、だらだらとした。時折り薄陽も覗いて暑さの戻った日で、窓を閉ざすことはできず、のちにはシャツを脱いで上半身を晒したままになった。毎日の仕事に取り掛かったのは、ようやく一時半も過ぎた頃である。まず英語を僅かに読もうというわけで、Garcia Marquezの小説に一五分だけ触れ、続けて日本史の勉強に入った――この日は、その授業の曜日である。用語問題集を三〇分少々繰り、江戸時代の語の復習を済ませると、一旦部屋を出て家事を始末しに行った。ベランダからタオル類を取りこんで畳んでおき、シャツやエプロンにアイロンも掛けたはずである。すると、そろそろ腹のなかが軽くなってきていた。胃にものを入れる前に身体を動かすために、一度自室に戻って腕立て伏せを行い、その後に台所に行ってゆで卵を取った。シンクの前に立ったまま殻を剝き、向いたものはそのまま排水口に捨ててしまい、卓のほうに行ってここでも立ったままで塩を振って食べた。労働前の腹ごしらえは僅かにそれだけで済ませ、そば茶を用意して部屋へ、温かく味の薄い茶を飲んでいると背中を汗が伝って仕方がないので、久しぶりに扇風機を点けて、首をこちらのほうへと向けた。それで書き物を始めたのが、三時直前である――前日にまったく綴れなかったので、もはや記憶の薄れた起床時から始まりだった。Omer Avital『Arrival』をふたたび流したのは、前日までではこの作品を残すべきかどうか判断が付かなかったからだが、ここで一時間流して売却のほうに決意が固まった。記述には思いのほか時間が掛かって、四時半を迎えても記せたのは図書館に入るあたりまで、文字に変換されるべき二六日の記憶はまだそれなりに残っていた。書き物を中断して、マルセル・プルースト/鈴木道彦訳『失われた時を求めて 7 第四篇 ソドムとゴモラⅠ』を僅かにめくりながら歯を磨き、汗を大層かいたのでシャワーを浴びるために上に行ったが、すると母親が帰ってきた――あるいは、アイロン掛けをしたのはこの時だったようにも思う。その後便所に入っていると、玄関外の階段を非常にゆっくりと、軽快な歩みを踏めず重そうな足取りで上る低い音が聞こえた。隣家の老婆が来たのかと思ったが、鳴ったインターフォンに母親が出てきて聞こえた声は、数軒先の、隣家よりは若い(とは言っても八〇台だろうが)老女らしい。上半身が裸だったので、顔を合わせないようにと便所を出ると横の扉を開けて洗面所のほうに滑りこみ、そのままシャワーを浴びた。そうして諸々の身支度を済ませて、余裕を持って出発した。雨の気配がないので、久しぶりの自転車出勤である。息を吐きながら坂を上って行き、街道を渡って裏通りへ入って進んだ。空には雲も散らばっているが、それらはさほど西陽の妨げにはならず、方角によって薔薇色から茜色まで、夕焼けの色をそれぞれ受け持ちながら浮かんでいた。職場へ着いて自転車を停めて西の方角を振り返ると、建物の上空で雲が渦を描くようになっており、柔らかなオレンジの色合いを巻きこんで空に刻印しているのが目に入った。それをちょっと見上げてから、職場に入り、働きはじめた。この日は授業中に記録の大方を済ませることができ、九時半よりも前に職場を去ることができた。涼しさがほのかに揺れる夜気のなかを、大口を開けてあくびを洩らしながらくぐって、帰宅した。家のなかに入ると、空気の停まった室内は蒸し暑い。ネクタイを外して手を洗うと室に帰り、服を脱いで寝転び、少々だらだらとした。それで一〇時半付近になると上へ行って、夕食の支度をした。鶏肉にジャガイモのソテー、それに薩摩揚げが一緒になった大皿が既に用意されていた。ほかに米やら、ナスの味噌汁やら、ボウルに入ったシーチキンとモヤシのサラダやらを卓に並べて、腰掛けて食べはじめた。テレビのニュース番組には小池百合子都知事が出演しており、豊洲への市場移転ほかの問題についてコメントをしている。都知事が、市場移転問題に関連して、意思決定の経緯が見えず、責任の所在がはっきりしないという点に言及しつつ、誰のお金を使っているのか、と言った際に、ソファに就いて炭酸水を飲みながらそれを見ていた父親は、まったくだよ、と吐き捨てるように洩らした。それを台所で不正確に聞き付けた母親は、何か言った、と訊き、続けて一人合点して、納豆、納豆は食べちゃった、とか間の抜けたようなことを言ったのだが、それはともかくとして、父親のそうした態度を目の当たりにした瞬間に、こちらは反射的に嫌悪を感じ、醜いとさえ思った(が、顔に出すほどのことではなく、傍目には表情に何の変化も現れていなかっただろう)。都の杜撰な仕事ぶりを批判するのが悪いというわけではない――この時どうして嫌悪を感じたかということを明晰に言述するのは難しいが、おそらくは、テレビを見ながら感情的かつ反射的な文句を――自分が税金を払い、金を出しているのだという、いわば客の立場に傲慢に居直るかのような調子で――洩らすのみで、それ以上政治や都政について、何かを知ったり学んだりしようとしないという姿勢が気に入らなかったのだろう。その後父親は、例によってまた酒を飲んでいるらしく、ソフトボールの上野選手が出演する番組などを見ながら、機嫌良さげに独り言を洩らしていたが、こうした振舞いも実に愚かしく見え、多少辟易させられるものである。食器を片付けて風呂に行くと、一一時だった。湯に浸かりながら休み、三〇分ほどで出ると、室に帰って、インターネットを覗いてから瞑想をした。とにかく一日のうちにほんの僅かでも時間を取って、習慣を途切れさせないことが大事なのだと、気楽な気持ちで枕に座り、翅を震わせる虫の音が波のように、引いてはまた戻ってきて立ちあがるのを聞きながら、一〇分を瞑目のうちに過ごして、コンピューター前に戻ると、書き抜きをすることにした。『失われた時を求めて』の四巻だが、時間がないのでこちらも一箇所のみ、そうしてから日記の読み返しに入って、二〇一四年のおよそくだらない記事を二日分さらって削除した。すると零時半、書き物の続きである。『The Teddy Charles Tentet』(これも売却に決まった)を流したあと、Eric Dolphy『Out To Lunch』を掛けたが、さすがにDolphyはまったく売る気にはならない。三五分で前日の記事を仕上げて一時を越えると、この日の分は翌日に回すことにして、コンピューターを停止させた。そうして寝転がりながら、『失われた時を求めて』の七巻を一時間ほど読んだのちに、就寝である。