2016/9/28, Wed.

 八時台のうちに目覚めて、そのすぐあとに母親が戸口に覗きに来たようである――あるいは、そのために覚めたのかもしれない。まだ眠気にまみれて淀んでいる頭で、手を伸ばしてカーテンをひらき、光を瞳に取り入れたが、すぐには意識が晴れずに瞼は重りをくくりつけたように閉じようとする一方で、定かな覚醒を得るには九時まで掛かった。例によって携帯電話を取り、他人のブログを読んだあとは、インターネットに転がっている物語の類も読んで時間を浪費した。上に起きて行ったのは一〇時台だったと思われる。母親は料理教室に行っており、この日も不在だった。台所には冷凍庫に保存してあったカレードリアが置かれていたので、それを電子レンジで熱し、即席の味噌汁や生のキャベツとともに食べた。皿を洗うと、下に帰る前に家事を済ませてしまうことにして、風呂を洗い、さらに米を四合半研いで炊飯器にセットした。それから、放置していた急須と湯呑みを自室から取ってきて、洗って乾燥機に収めておくと室に戻り、寝床に就いてまた携帯電話を弄りながら時間を消費した。この日は前日よりは曇って曖昧な天気だが、空気は温もっており、窓を開けていないと暑い。正午を過ぎると一旦上階に行って、ベランダに出ていたタオルを畳み、戻ってくると音楽を聞きながらインターネットを回った――流したのは、Francisco Mora Catlett『World Trade Music』である。この作品は、Craig Tabornがピアノで、ほかの場所ではあまり見られないような色合いの和音を諸所に置いて、豊かで精妙な彩りを音楽にもたらしており、最初に聞いた時にもなかなか良い印象を受けたが、この時にも改めて気に入られた。それで一時前から書き物に入って、前日の記事を綴り、音楽は次にWadada Leo Smith's Golden Quartet『Tabligh』を繋げた(この作品は売却行きである)。二七日の分は二時前に済んで、二八〇〇字を数えた。この日の記事はそれから僅か一〇分ほどで現在時に追いつかせることができた。労働の前に済ませることを済ませてしまうことにして、Garcia Marquezのペーパーバックを手に取り、寝床に倒れ転がった。仰向けのまま辞書を繰りながら一ページ少々の英文を読み、それから日本史の勉強をするべく一問一答をひらいた。諸々の学派に分かれて覚えづらい江戸時代の儒学者の名などを確認して、すると早くも三時直前である。労働は四時過ぎからなので、そろそろ支度を始めなくてはならなかった。まず腹にいくらかものを入れるために上に行き、いつものごとく朝の余りのゆで卵に、加えて食パンを焼くことにして、冷蔵庫から袋を取りだして一枚オーブントースターに入れた。それで焼きあがるのを待っていたのだが、その頃には雨が降りはじめており、しかもそれが無視して自転車に乗るには粒も大きく、厚みもそれなりにあるようである。徒歩で行くとなると三時半には出たいので、ものを食っていると悠長にシャワーを浴びている暇はないなと、元々の思惑を修正して、焼けたパンにマーガリンを塗り、ハムを載せた。そうしてゆで卵とそれを食べると、デオドラントシートで身体を拭いてから、下階に戻って仕事着に着替えた。まだベストや上着を纏う気にはならない。歯を磨いてから腹を軽くしようと便所に入ったが、訪れがないので小便をしただけで出て、階段を上った。玄関をくぐる頃には路上に濡れ跡が残っているのみで雨は止んでいたが、自転車でちょうど良い時間まで待っているうちにまた降り出すと面倒なので、傘を持って徒歩で行くことに決めた。玄関の鍵を上下両方とも閉めて、ぶらぶらとした調子で道を歩き出し、ヒガンバナの散らばる坂を上って行った。街道を越えて裏に入り際、例の民家のサルスベリを見やったが、勢力を減じたとはいえまだまだ花が残っており、樹冠のほうにはちょっとした髪飾りのようにところどころでまとまっている。まったくもって開花が長いとの感を改めて持ちながら通りを行ったのだが、そもそも「百日紅」との名はその花期の長さから来ているらしい。途中で雨がぽつぽつと落ちはじめて、大した降りではなかったが粒は大きめだし、せっかく傘を持っているのだからとひらいて、女子高生三人組の後ろを行った――一見して垢抜けない雰囲気の、黒髪があまり整わず無造作に背の上に投げだされているような女子たちである。駅前に入る頃には雨もよほど弱くなっていたが、傘を差したままに職場に到着し、水滴を振り飛ばしてからなかに入ると働きはじめた。授業自体は七時半過ぎまでだったが、その後に数人での話し合いがあった――と言うのは、ここで会社全体として新しい制度が取り入れられるのだ。「振り返り授業」と言う。いままでは学習記録表を授業中なりその後なりに講師が記入していたが、一〇月からは、その日に扱う単元、「わかったこと」「わからなかったこと」などを授業内の時々に生徒のほうで用紙に記入させ、理解や学習進行の明確化および自主化を図るという趣旨らしい。要するに我が社の社是であるところの、自立学習を生徒に身に着けさせるという目標により焦点を当てた制度設計に変更されるわけだが、それが実際、これまでの授業方法よりもうまく機能するかは未知数である――周りの講師たちは皆、疑わしく感じているようで、生徒にすべて記入させると言っても、現実にはそんなにスムーズに行かず、結構な時間が掛かってしまう場合のほうが多いだろうと考えているようだった。こちらもその点には勿論同意なのだが、制度変更は決定事項であるし、文句を言っても仕方がない、制度変更は決定事項なのだから、その基盤の上でなるべくうまくやって行くしかない。配布された資料は無論理想的なケースを説明したものであって、具体的な個々の状況に合わせる際にはこちらの按配で運用することになり、そうなると多少の形骸化は避けられないが、要は生徒が自分自身で学習を進めて行けるようにするという理念が尊重されていれば良いわけで、こちらのやることも本質的には変わらないのだ――というわけで、話し合いの最中には、どんどん形骸化させて行きましょう、などという言葉をにやにや笑いながら吐いたが、周りからはそれはいささか不遜な風に映ったかもしれない。制度の細部に立ち入るならば、「わかったこと」というのは、授業中に新たに理解できたこと、あるいは気付いたことなどを記入する欄であるらしいが、「わからなかったこと」の扱いがやや不明であり、またそれをいつ記入するのかということも問題になった。そもそも――生徒の実力によっては往々にしてそういうことはあるとはいえ――わからないことをわからないままに留めて授業を終えるというのがおかしな話だし、その日の授業でどうしても理解できなかった点を書くとしても、それは授業の最後に思い返して判明することのはずであるが、そうすると締めに時間が掛かるというわけだ(授業を結ぶにあたっては、「わかったこと」「わからなかったこと」を再確認し、宿題も(理想的には)生徒自身に考えさせて記入させるという話なので、これまでよりも終わりの時間が余計に必要になるだろうという点が大きな問題として挙がったのだ)。この点については、「わからなかったこと」というのは、「まだ身に付いていないこと」というような理解で良いのではないか、ということをこちらが口にして、大方それでまとまったようだった――この二項目については、新制度の核心でもあるわけだが、実際のところ、個々の講師の解釈によって様々な使い方がされるだろうとこちらは踏んでいる。「わかったこと」の欄について言えば、例えばそれを「覚えたいこと」を記録する場所と拡大解釈して、重要事項をその都度記入させて、生徒の頭に植え付けるようにして反復確認していくという使い方ができるわけだ。そう考えると、そう悪い制度ではなく、とにかく繰り返し生徒を同じ事柄に触れさせて、記憶させることが重要であるとのこちらの考えとも相応するものと言えるのかもしれない(しかし当然それに対しては、知識だけ独立して覚えても意味がなく、実際に問題を解けなければ意味がないのに、問題に当たる時間が少なくなってしまうではないかとの反論が成り立つわけだが)。その他の細かな点については、思いだして文章をまとめるのが面倒なのでもはや記すまい。具体的な運用にあたって生じるであろう問題をなるべく潰そうということで、こういう場合はどうするか、という個々の事項への対応が話し合われて、会議は一時間四〇分の長さに到った。終わってから、まだ授業の記録を仕舞えていなかったので仕事を済ませて、九時五〇分かそこらに退勤である。新制度の下でどううまくやって行くかということを考えながら、湿った夜道を行った。帰り着いて居間に入るとなかは蒸し暑く、洗面所でシャツを脱いでしまって、手も洗うと階段を下りた。暗い廊下に入ると、こちらの部屋と隣室とに通路が分かれるその角の頭上に、黄緑色の小さなランプが灯っている。それは先頃新調されたルーターの明かりなのだが、その位置がいつもより低くなっているのが目に入って、壁に付いていたのが外れているではないかと気付いた。着替えてから廊下の電灯を灯して見てみると、壁に接着されていた金具の粘着が弱くなって剝がれ落ちた結果、機械を支えられなくなったらしい。金具は全部で四つ、下と左右から支える形になっていたようだが、一つは床に転がっており、ほかのものも辛うじて壁に留まっているといった風である。手を伸ばして直そうと試みながらうまく行かず、疲れているところに面倒くさい、そもそもこんな小さく頼りない金具で支えること自体に無理があるだろうと苛々して、母親が下りてきたのを捕まえて、ルーターが落ちていると知らせた。すると陣中の伝達兵の連絡のように、母親はそれをそのまま繰り返して上階の父親に伝えるのだが、父親は下りてこない。どちらにせよ金具がもはや働かないのだから、もとの形に戻すことは無理だと諦め、カーテンを取り付けているレールの上に横にして置き、あとは知らんと払った。上階に行って父親に改めて伝えたが、相手は短く受けただけで動く気配がない。夕食を用意し、推理要素を取り入れた診療番組に新聞の読み取りを邪魔されながら食べていると、そのうちに髪を乾かした母親が戻ってきた。その母親が、何か大学から封筒が来ていると言って開けると、卒業証書の受け取り要請だった。卒業式は出向くのが面倒だったので欠席して、証書を受け取っていなかったのだが、まさか卒業から三年半もしてこちらが忘れた頃に催促が来るとは思わなかった。受け取りには直接事務所のほうに出向くか、書類を用意した上での郵送申し込みが必要だと言う。出向くにしても身分証明書と学生証の両方がおそらく必要のようで、学生証などはもう捨てたのではないかと思ったが、その場合には紛失届というのをその場で記入してもらうとご丁寧に付記してある。また大学まで出ていかなければならないとはと億劫がられたが、美術館に行きたいと思っていたことでもあるし、そのついでにでも行くのが妥当なところかと落とした。そうして食器を片付けると風呂に入り、室に戻って零時前かそこらである。Eric Dolphy『Out To Lunch』を流しつつ、『失われた時を求めて』四巻から一箇所書き抜き、その後インターネットを回ってから、二〇一四年九月二八日の日記に二分程度で始末を付けると、読書に入った――マルセル・プルースト/鈴木道彦訳『失われた時を求めて 7 第四篇 ソドムとゴモラⅠ』である。ひらいた窓の傍の寝床で一時間読み進めると、瞑想をせずに明かりを消した――最近は瞑想をさぼりがちである。