2016/10/3, Mon.

 朝のことはもはや覚えていない――起床は一〇時五分と記録されている。八時かそこらから何度も覚めたが、粘りのある眠りに取りこまれて苦しみ、ようやくそれを振り払えたのがその頃だったのだ。布団を横に剝いでハーフパンツの身体を露出させると、膝の上に片脚を載せて脹脛をほぐした。プリーモ・レーヴィ/竹山博英訳『休戦』を読みながらしばらくそうしたのち、便所に行ってきて瞑想を行った。既に雨が降りだしていたかは定かでないが、曇りの、涼しい日だった。上がって行くと、母親はパソコン教室に出かけるという話だった。風呂は残り湯が多いから今日はいいか、と言うので手を付けず、何らかの食べ物で食事を取ると、下階に戻った。しばらくだらだらとしたような記憶がある。そうして一二時二五分から、『失われた時を求めて』四巻の書き抜きを始めたのだが、この間にもインターネットで検索をしたり、また七ページもの難所が含まれていたこともあって、一時間二〇分掛けて二箇所しか写すことができなかった。あいだに掛けたCarla Bley『Big Band Theory』は売却とし、Myra Melford Trio『Alive in the House of Saints』を二時まで流したところで止めて、英語を読むことにした。寝床に転がり、Garcia Marquezのペーパーバックに僅かに一五分のみ触れて、続けて日本史の一問一答を解いた――江戸時代の初期、将軍で言うと七代目のあたりまでは大方覚えたので、徳川家康が幕府を建てた時点に戻って復習を始めたのだった。用語が出てこなかった問題に関しては番号をメモしておき、どこも既に二回は確認した場所だからそこそこ流暢に進んで、そのあとは『日本史標準問題集』のほうで、翌日当たるであろう問題の確認もした――すると三時過ぎである。労働の前の腹ごしらえをするべく上階に行き、食パンを焼いてハムを載せたものを食べた。もう一枚をおかわりし、さらにゆで卵も食ってエネルギーを取り入れると、自室に帰った。その頃には雨が降っており、外は白い粒子に満たされて靄掛かり、見通し悪く濁っていた。雨なので徒歩で行かなければならないが、移動時間を考慮すると四時半頃にはシャワーを浴びたい。時刻は既に四時に近づいており、思ったよりも残り時間が少なく、前日の記事が終わらないことが見えていたので、やはり書き物を優先して仕上げるようにしなくては駄目なのだと思った。Myra Melford Trio『Alive in the House of Saints』(これは自分が繰り返し聞きたいのか否かわからなかったが、ひとまず保持して翌日再度聞くことにした)をふたたび流しながら打鍵を始めて、文字を打ちこんでいるうちに四時半が過ぎてしまい、急いで湯を浴びに行った。大して汗をかいてもいないが、垢の臭いのする頭と身体を洗って出ると、服を着替え、歯をなおざりに磨いて玄関に向かった。出たのは五時一〇分ほどで、ちょうど良い頃合いだった。雨は大した降りではない。傘を差して歩を進めて行き、裏通りを行くあいだ、周囲の事物に向けて知覚の網を放たずに、考え事をしていた――職場では、授業の最初に時限ごとの交代で号令を掛けるのだが、その文言である。と言うのは、この日から新制度が始まるので、もし自分が当たれば生徒皆の前で多少の説明をしたほうが良いだろうと思ったのだ。それで時にはぶつぶつと独り言を洩らしながら道を行ったが、職場に着くと自分は号令ではなかったので(生徒座席表の講師の名前の上にマーカーが引かれているかどうかでわかるのだが、それは教室長やベテラン講師の一存で決まるのである)、それなら良かろうと準備を始めた。授業方法が一新されたわけだが、初めにしてはそこそこうまく使えたようである。授業を終えると同僚が新制度について話し合っているので、そこに加わり、「わかったこと」を書かせるのはまあ大丈夫だが、「わかっていないこと」の扱いが良くわからない、ということを言い合ったのち、後輩がうまくできたものか記録をチェックした。そんなことをしていると教室を出る頃には一〇時を越えていたので、いまから歩くのもと億劫がられて電車に乗った。雨は既に止んでいたので、最寄りに着くと傘を片手に提げて夜道を行き、帰宅した。父親はまだ帰っていない。室に帰るとちょっと転がってから、瞑想をして(腹が減って仕方なく、水気も身体から抜けていたので六分で切りあげた)、食事に行った――カレーである。サラダとともに二杯を食っているあいだに父親が帰ってきた。夕刊の一面を見ると、コロンビアで政府と反体制派FARCの和平が調印されたところが、国民投票では反対が僅かに上回ったとあって驚いた。その下にはEU諸国の難民受け入れについてのハンガリー国民投票の話が載っており、投票率が四〇パーセント強で規定に達しなかったため、国民投票が発効できずとあって、こちらにも驚かされた。とはいえ、有効投票の九八パーセントが難民拒否と、政府与党の路線を支持するものだと言う。そのような状況にあっても投票率が半分も越えないのかともう一度驚き、世界中どこの国においても、どうも情勢が不穏で、また内向きの志向が強まっており、何となく嫌な臭いの世の中になっているなと嘆息するようになった。そうしていると、台所でカレーを用意しはじめた父親が風呂に先に入れと言うので、席を立って皿を洗い、入浴に行った。出るとそば茶を持って自室へ、時刻は零時前である。少しだけ書き足しておくかと前日の記事に掛かり、二五分だけ費やしたあとは就寝までひたすら読書である。寝床に横たわってプリーモ・レーヴィ『休戦』を読むのだが、夜気の涼しさに布団を被っていると、瞼が重くなって意識が落ちそうになるので、意を決して身体を起こし、ベッドの縁に腰掛けて足裏をゴルフボールで刺激した。そうしながら読んでいるうちに頭は晴れて、横になっても眠気がまた寄ってくることはなく、早く眠らなくてはと思いながらも本を読まなくてはとの思いもあって、二時半でようやく止めた。ぴったり二時間を読んだことになる。そうして瞑想を済ませてから、消灯して眠りに就いた。