2016/10/4, Tue.

 初めに覚めたのは、六時半である――アイマスクを洗って以来、自室に持ってくるのを忘れていたため、顔を覆うものはなく、目を開けるとぼやけた時計がすぐに見えた。目を凝らして時刻を認識し、四時間ではと、よほど軽い目覚めなのだが短い睡眠時間を恐れて、再度寝付いた。するとむしろそのあとのほうが、なぜか眠りは重くなる。八時過ぎに覚めて、いい時間だから起きたいと思いながらも動けずにまどろみ、差しこむ陽の明るさも借りてだんだん意識が保てるようになってくると、窓に目を向け、九時一〇分を正式な覚醒とした。睡眠時間は六時間二五分となる。就寝が三時近くなったわりにこれほどに収まったのには、一日数回の習慣を再開した瞑想がやはり寄与しているのではないかと、不確かな推論だがその効果が思われた。それでちょっと脚をほぐしてから、いつも通り便所に行きつつ、勤勉であることでしかおのれを救うことはできない、そして勤勉であるためには何より瞑想をしっかり習慣としてこなすことだ、と自分に言い聞かせ、戻ると早速起床後の瞑想に入った。雨の湿った一日を挟んだ晴れの日で――と言ってそれほど屈託のないものではなく、空には黴のような白雲が混ぜこまれて青さは抑え気味だったのだが――、瞑目して座っているあいだに、陽が強まると、瞼の裏に黄とも緑とも白ともつかない、光の色としか言いようがない明るさが広がって強さを増し、顔の表面や脚の上に宿る温もりも厚くなった。一三分座ると上に行った――その頃には母親は、仕事で既に出かけていた。前夜のカレーの残りを電子レンジで熱しているあいだに、浴室に行って風呂を洗ってしまい、米に掛けると生キャベツのサラダとともに卓に並べた。そうして新聞を読みながら食べ、食後も記事を追った――新聞は、一面やそのほかにも場所を大きく割いて、前夜既にテレビで報道されていたが、大隅良典東京工業大学栄誉教授のノーベル医学・生理学賞受賞を知らせていた。あとは対露外交関連の記事などを読み、そば茶を用意して下階に帰ると、ちょっとギターを弄ってから、書き抜きを始めたのが一一時一三分である。Myra Melford Trio『Alive in the House of Saints』をふたたび流して(そしてまたもや判断は保留とされた)、『失われた時を求めて』四巻から言葉を抜きだして行き、一時間強進めて零時半前である。そこですぐに書き物に入れば良かったものを、インターネットを回るのに時間を費やしてしまい、一〇月二日の記事を記しはじめるのは一時半前になった。音楽はMatthew Ship Quartet『Flow of X』を掛けたが、このフリージャズ寄りの作品は売却行きである。二時前には二日の記事が済み、それから四五分で前日の分も記し終えた――二時四〇分だった。洗濯物を入れるのをすっかり忘れていたので、上階に行き、ベランダのものを取りこむだけ取りこんでおいて、畳むのは後回しにして下に戻ると、ふたたび打鍵に掛かった。Roscoe Mitchell & The Note Factory『Song For My Sister』とともにこの日のことを綴って、それで三時過ぎである。このあとのことはとんと覚えていないので、日課の記録に頼ることになるが、三時半まで英語に触れて、さらに続けて四時過ぎまで、日本史の一問一答も解いた。その後、四時一五分から三二分までとして読書時間が記録されているが、これはおそらく、上に行ってものを食いながら読んだ時のことだろう――何を食ったのかは思い出せない。そうして浴室に行って湯を浴び、服を着替えて出発である。家の横を乱雑な物置き場に下りて自転車に近づいたところで、車の動きを感知したようで、ふと振り向くと薄青い軽自動車の横顔が上の道路に見える。あれは母親だろうなと思って、自転車に向き直ると、何故だか知らないが、サドルの上や車体のあちこちが土埃を付けて汚れている。何か布でもないのかと周囲を見回すと、木棚に軍手を見つけたので、それを使って各所を拭いてから上の通りに上がって行くと、母親が車から降りてこちらに気付き、あ、と一つ間を置いてから、いまから行くのと掛けてきたので肯定した。そうして発進、昼が進むに従って雲が増えたようで、晴れやかな夕暮れの色と言えるほどのものはなく、街道に出ると行き交う車は二つ目を灯して、その黄色い光の束があらゆる方向に向けて放たれ伸びて、極細の花びらの集積のような円を作っていた。通りを渡る隙がなかったので、中学校から出てきたところの横断歩道で、道脇の段に足を載せて停まり、信号機のボタンを押した。それで渡って裏通りに入ったところが、しばらく進むと前方に、高校生ではないように思ったが、若い一団が左右に伸びて道を塞ぎ、端の隙間もほとんどない。妙なところで臆病で、自転車のベルを鳴らして退くよう合図するのが気が引けて、かといって声を出すのも面倒なので、折れて表に出た。それでしばらくは困らされずに歩道の上を、時間が少々押していたのでやや急ぎ気味の心で走っていたところが、じきに前に女性が一人歩いていて、そうすると脇に下りなければならず、車との距離が非常に近くなる。油断せずスピードを落として、信号で停まっている車のすぐ横を過ぎて行き、十字路に着いたところで、先の一団は抜いただろうというわけで再度折れ、裏に戻った。あとは特に妨げもなく、ちょうど間に合いそうなので焦らず走って、職場に着くと入ってすぐにタイムカードを押した。新制度が導入されて二日目だが、当たった生徒が優秀で積極的に道具を使ってくれたこともあり、わりあい楽な仕事だったという感触が残った。周りは何だかんだと言っているが、そんなに大した問題ではなく、一、二週間もすれば生徒も講師もよほど慣れるだろう。書くことが減ったおかげで片付けも時間内に終わらせることができて、九時半過ぎには職場を出たようである。ふたたび自転車を駆って行った夜道のことは覚えていない。帰宅すると母親は風呂に入っている最中で、無人の居間に入れば、テーブルの端にUNICEFの機関誌が置かれている。取りあげて読もうとしてみると、ページの口が小さなシールで封じられているので、鋏で切り開け、なかを少々覗いた。それを置いておくと室に帰り、寝転がりながらプリーモ・レーヴィ『休戦』を少々読んだ。それから瞑想である――窓外から間歇的に、長短を織り交ぜて立ちあがる虫の音に耳を寄せていると、そのなかに含まれるかすかな摩擦の感触が、小さな立方体の、エメラルド色の金属片を床に転がしているかのような、あるいはそれを互いに擦り付け合っているかのようなイメージを脳裏に描かせた。そうして上階に行き、夕食である。食事は、蕎麦だった――ほかに唐揚げとサツマイモが母親の手によって二人分、皿に用意されており、そのうちの一つを温めて卓に就いた。見回すと先ほどの「ユニセフ・ニュース」がないので、訊けば、古新聞を溜める用の袋に放りこんだらしい。居間の隅のそこから取り戻しておいて、寄付をしたところで父親はこんなものは読まないのだから、ならばせめて自分が読んでやると母親に声明した。それで食事を済ませたところで、父親が帰っていたのかどうか覚えていない。風呂を浴びて下階に帰ったあとは、インターネットに繰り出して時間を費やし、日記の読み返しをしなくてはと思っていたのを果たせず、一時半過ぎから読書に入った。一時間弱を『休戦』のなかに入って、僅か五分だが、就寝前の瞑想も行うと、明かりを落として眠りに向かった。

広告を非表示にする