2016/10/6, Thu.

 母親の操る掃除機の音が、部屋に近づいてくるので覚めたようである。けたたましい排気音が部屋に入ってくるのを寝床で迎えて、母親が何とか言うのを受けながらまだ身体は起こさなかった。意識がはっきりとしたのは、一〇時だったらしい――白く輝く眩しさが窓の上部に嵌めこまれていた覚えがある。そのまま携帯電話を弄ってだらだらと、一一時過ぎまでベッドに留まった。上階に行くと、起きてきたこちらを見た母親が、布団を干すと言って下に下りて行った。何を食ったのかは忘れてしまった――室に降りると、一二時半頃だったようで、起床時に瞑想をしなかったからと、ここでこの日一回目の瞑想を行った(瞑想をする気になったということは、腹がだいぶこなれていたはずだから、上階でだいぶ時間を使ったのかもしれない)。それほど純なものでもないが、光が窓を通過して身体に寄り付き温もりをもたらした。窓外に耳を向けて、外の空気の様子やそこに鳴る虫の音を意識に取りこんだはずだが、生憎その記憶も既に零れてなくなった――外でしきりに騒いでいる虫や鳥の声については、また機会のある時に書けば良かろう。それからインターネットを覗いたのち、一時一五分から書き抜きを始めている。まずは、マルセル・プルースト/鈴木道彦訳『失われた時を求めて 4 第二篇 花咲く乙女たちのかげにⅡ』である。音楽はPietro Ciancaglini, David Kikoski, Ferenc Nemeth『Second Phase』を流し、ここのところ取り組んでいた四巻はすぐに終了したので、そのまま五巻の文も写しはじめた。それで二時、音楽はフリー系統のMathilde Grooss Viddal Friensemblet『Come Closer』に移っており、それを止めてベッドに転がり、英語を読んだ。相も変わらずGabriel Garcia Marquez, Love in the Time of Choleraの続きだが、できればページを二枚めくって四ページ先まで進みたいと思えど、三ページ読むだけで苦戦して、あっという間に三〇分が経ってしまった。諦めて本を閉じ、英語に触れた時間を記録して、そして多分この時だと思うが、ベランダに干されていた布団を取りこみに窓をくぐった。ベランダの柵にもたれて外を見ると、陽は既に西へと向かって、そちらのほうを向くと雪原めいた雲が明かりをはらんで目に強く、左を向けば植木鉢が所狭しと置かれた土の上に、日向と日蔭の境界線が引かれている。ひどく柔らかい風が吹き流れるなかに、ガラスを加工しているかのごとき虫の鳴き声が響いており、暑さは感じず、体温に馴染む心地良い空気のなかで布団を揺すりながら少々ぼんやりとした。それから部屋のなかに入れて、そして書き物を始めた。二時四六分だった。音楽は先ほどの続きを流し、次にOlivia Trummer『Fly Now』を再生した。このアルバムはMatt PenmanにObed Calvaireがサポートする女性ボーカルで、Kurt Rosenwinkelも数曲に参加している。以前ipodに入れて電車内で初めて聞いた時には、バックがさすがの演奏ぶりで、リズムアレンジに凝った曲などもあり、なかなか気に入られたのだったが、このたび聞いてみると、全体的に曲調や旋律が無闇に明るいポップな色に寄り過ぎているように感じられ、繰り返し聞くほどのものではないと思われたので、売却と決定した。これでこの日に流した三枚は、どれも中古屋行きである。書き物は四時まで掛けて前日の記事を仕上げ、するとそろそろ労働に向かう準備を始めなければならない。腹ごしらえをしに上階に行った――この時確か母親は、草取りに疲労して室内に戻っており、階段下の薄暗がりで座椅子にもたれて休んでいたと思う。台所に入ると、食パンくらいしか食うものがないので一枚をオーブントースターに入れ、狐色に焼けている合間に即席の味噌汁に葱を刻んで用意した。ハムを載せて一枚食うと、もう一枚焼いてさらに胃に足し、新聞を読みながらゆで卵も食べた。食器を片付けると、陽射しのある日で汗も多少かいたので、シャワーを浴びた。そうして下階に戻ると、洗面所に入って歯ブラシをくわえ、室に戻りがてらちょっと休んでいる母親を見下ろした。赤いシャツの上に白のエプロンを付け、エプロンと同じ色合いの帽子を被ったままで、両耳からは純白のイヤフォンコードが伸びており、座椅子に向かって斜めになり、半端に身体を預けて脚を伸ばしているさまは、大きな人形のようである。そうして室に帰り、歯を磨いて服も着替え、出発の準備を整えた。上に上がって靴下を履いたりしてのち、億劫さを感じながら玄関をくぐると、久しぶりの晴れで上空が仄かに茜色を帯びている。家の前から見上げると、屋根の向こうに、巨大な翼めいていくつも筋を垂れ下げながら長く伸びた雲が二本浮かび、周辺はもっと無秩序で乱雑な薄雲がかき混ぜられている一方、そこを離れて右側の、林の木々の脇には細く、果物の皮のような三日月が早くも姿を見せて、空を薄白く刳りぬいていた。自転車を駆って坂を上がって行き、街道に出ながら振り向いた時には、霧吹きで薄紫色を吹きかけられたような雲の色が残っていたが、坂を下って裏通りに入る時にはもう、夕暮れが進んで、光は西の地平線の向こうに退いていたので、昼が随分短くなったようだなと見た。時間には余裕があったので格別に急がずゆるゆると走って職場に行き、働きはじめた。九時半過ぎには出るはずが、他人の担当した生徒の記録を確認したり、去り際に上司と話したりしているうちに、一〇時を過ぎた。さほどの知覚的刺激もなく帰り道を行き、家に着くと手を洗って室に帰り、瞑想をした。久しぶりに朝からの回想をしたので、ここ最近のうちでは長く座って一七分である。そうしてから夕食に向かい、ピーマンの肉詰めやら汁物やら、生野菜のサラダやらを卓に並べた。おかずが少ないので生ハムでも食べてくれと母親が言うので、冷蔵庫から取りだして、薄い塩気を帯びたハムを何枚か、米と合わせたり、生野菜を巻いたりして食べた。腹を満たしてちょっと休んでいると、父親が帰宅したので、食器を片付け、風呂に行った。出てくると室に帰り、さっさと読書をすれば良かったものの、だらだらとインターネットを回って零時半である。そこから三〇分ほどプリーモ・レーヴィ『休戦』を読んでから、またコンピューターを弄って、ポルノを閲覧しはじめた。性欲を散らしたあとにふたたび読書に戻って、久しぶりに三時台に差し掛かったところで一日を終わらせることにして、明かりを落とした。