2016/10/9, Sun.

 九時台のうちに一度覚めていた覚えがある。しかし起きあがらずにまどろんでいると、母親が部屋にやってきて、クリーニング店にこちらの仕事着を出してきてくれるらしく、ネクタイはどれが使ったものなのか、などと訊いてきた。寝床で目を薄くしたまま、低くざらついた起き抜けの声でそれに答えて、母親が行ったあとは再度睡眠に落ちたのではないか。確かな覚醒は、一〇時二〇分になった。それ以前に夢を見ており、まどろみのなかで反芻したはずだが、その時にはだいぶ薄れて、空中に広がり溶けこむ煙のように覚束ないものになっていたため、記録を付ける気にはならなかった。塾生の女子高生(いくらかその存在が改変されていたようでもあるが)と親しげに会話をし、まるで恋人のように馴れ馴れしくその頭をぽんぽんと撫でる場面があったのは覚えていた――そんな夢を見たことに、幾許かの気恥ずかしさがあったからだ。父親も休みのはずだが、家中に人の気配はなく、両親は揃って外出したようだった。それでこの日は、まず読書の時間を取ることにして、寝床で空腹のままに、エドワード・W・サイード/デーヴィッド・バーサミアン: インタヴュアー/中野真紀子訳『ペンと剣』を読み進めた。カーテンの向こうに覗く空は真っ白で、空気は涼しさが優勢だった。一時間強読んで一一時四〇分に迫ると、起きあがって部屋を出て、瞑想は忘れて上階に行った。フライパンにベーコンとシシトウなどの炒め物があったため、それを温め、前夜作った豚汁の残りと米も持って卓に行き、皿を三角に並べた。そうして新聞を読みながらものを食べ、風呂も洗って下階に下りて間もなく、両親が帰宅したようだった。『川本真琴』を流し、音楽に同調しながらインターネットを回ったあと、書き抜きを始めた――マルセル・プルースト/鈴木道彦訳『失われた時を求めて 5 第三篇 ゲルマントの方Ⅰ』である。ところが日本語の歌唱が耳に入ると認識がそちらに引っ張られて、視覚から文字の意味が入ってこず、また旋律を口ずさみもしてしまうために作業は一向に進まず、散漫な様になった。一時二〇分を過ぎてアルバムが終えると、次は歌のないものをとMyra Melford Trio『Alive in the House of Saints』を選んで流し、その直後に母親が部屋に押しかけてきた。スーツを買いに行こうと言う。行かないと告げると、昨日今日行くって言ったじゃん、と反論が来る。確かに昨日、食後の話のなかで行くとしたら明日だと言ったのだったが、実のところそれほど乗り気ではなしにいい加減に口にした言葉に過ぎなかったので、昨日はそう言ったが今日は気分ではないと言い返した。母親は、いますぐにでももう一着の、新しいスーツを買うべきだと考えているらしい。こちらとて、現今の背広は袷の先端が擦り切れているものだから、新たなものを入手する必要があると認識してはいるが、まだその時ではなく、上着を着る必要が出てくるほどに気温が下がってからで良いだろうと考えていた。こちらが少々見栄え悪く感じるのは上着のその点だけなので、その他の部分については現今のもので乗り切れると思っているのだが、母親はその点意見が違うようで、この時は、同じ服を毎回来ているとみっともない、というようなことを口にしており、ズボンの替えを早急に手に入れるべきだという考えらしい。こちらはその必要性を感じておらず、またこの休日に紳士服店に行って時間を使うのも気が向かないので、とにかく今日は行かないの一点張りでいると、母親はじきに諦めて引き下がって行った。それで書き抜きを続けて、二時で止めると、『ペンと剣』を読み終えてしまうべく、ふたたび寝床で読書に入った。そこから四時直前まで、二時間弱を費やして読了すると、出かける準備を始めた。図書館に行って、『失われた時を求めて』の続きを借りて来たかったのだ。加えて、サイードの『ペンと剣』に触発されて彼のほかの著作にも興味が行き、パレスチナ問題についても知らないといけないだろうと感じたので、中央図書館にも出向いて書架を見てくるつもりだった。プルースト以外にもう一冊を借りようと考えていたが、目星は付いていた――前々から読もうと思っては先延ばしにしていた、サイードの『人文学と批評の使命』である。それで押入れに吊るされたなかからカラフルに模様の散った黒いパーカーを身につけ、小型鞄を持って上階に行った。父親はソファで休んでおり、じきに床屋とクリーニング屋に行くと言って出かけて行った。母親はタブレットを弄って、こちらがハンカチを取ったり用を足したりと身支度をするなか、Amazonで買い物をしたいと言っていた。それで出る前に、どうやるのかという質問に答えて誘導したのだが、画面上に「カートに入れる」だとか「レジに進む」だとか、手続きへと繋がる表示が見えているにも関わらず、それを認識できずに立ち止まって困惑する母親の有り様に、やや苛立ちを覚えた。結局、買い物の手続きには登録が必要で、それをやっているとまた時間が掛かるというわけだから、もう夕食の支度も始めなければならないしまた今度でいいやとなって、こちらは出発することができた。家の前を歩きはじめながら、なぜ母親にだけこれほどまでに苛立つのかと疑問を抱いた――自ら何かを学ぼうとしない(あるいは学ぶことのできない)無知と無能に嫌悪や軽蔑を感じるのは確かなのだが、それにしてもこれがまったくの他人だったらもう少し寛容になれそうなものである。家族という距離の近さにそのあたりの制止が外れているのか、あるいはその腹から生まれた相手ということで、精神分析理論が唱えるような無意識の作用があるのか――答えは出ないのでそのうちに問題を頭から払って、街道に向かった。歩いていると、家々の隙間から、雲の垂れこめた西空の下端に顔を出した太陽が、眩しい光線を顔の横に送りつけてくる。街道に出ると仄かな暖色が行く手に宿って、あたりの空気は穏やかな調子に和らいで、こちらの影がうっすらと足もとから前方に伸びた。あるかなしかの日向のなかに入っても、背に触れる温もりはかすかで、正面からやってくる緩い風の涼しさのほうが勝っていた。裏通りに入って片手をポケットに突っこみ、思いを巡らせながら黙々と歩いて行き、閉館の午後五時間近になって図書館分館に着いた。書架に入って、古典文学全集をちょっと取ってめくったあと、『失われた時を求めて』八巻を棚から抜き、カウンターに持って行った。こんにちは、と職員に挨拶をして、こちらが返却で、こちらが貸出でとまとめて手続きを頼むと、相手がカードを見て何かに気付いたような素振りをして、三年に一度訊いているんですけど、と置く。住所や電話番号に変更はないかとの問いだったので、ないと答え、礼を言って館をあとにした。それで駅に向かい、エホバの証人か何か宗教団体の人員らしい穏やかそうな男女が立っている前を過ぎて駅舎に入り、電車に乗った。車内では他人のブログを読んで到着を待ち、降りるとその場で記事の最後まで読んでから改札を抜けた。歩廊に出ると、頭上は灰雲に広く敷き詰められているが、東の方角には薄紫色の靄めいた地帯が見えて、薄雲と合わせて湿原のようになっている。前方、北側や、西の方も、下端は雲の侵入を免れてそれぞれ、陽の色をいくらか露わにしており、ビルで中途を遮られているが、円周を半分たどるようにして空の端がぐるりと、灰色を剝がされて明るみを受け入れているようだった。進むと、図書館の向かい、右方に立ったビルの側面でも、北の果ての暮色がそのまま伸びてきて感染したかのように、ガラスに仄かな色が映りこんでいる。それを見ながら図書館に渡り、なかに入るとCDを見に行った。新着には目ぼしいものはなく、クラシックの棚を久しぶりに見分した。何かピアノを聞きたいと考えていた。知っている名前を頼ることにして、まずは三枚組のMartha Argerich & Friends『Live From Lugano 2011』を選んだ(しかしのちに帰ってから確認すると、これにはピアノの独奏は含まれていなかった)。次に、Vladimir Horowitzが一九七五年にCarnegie Hallで行った演奏を収録した『Horowitz Rediscovered』を保持し、最後にDaniel Barenboimエドワード・サイードの友人である)『Bach: Goldberg Variations / Beethoven: Diabelli Variations』に決めた。CDを選んでいる最中に、そういえば文藝賞の受賞作を知人がブログで散々に罵倒していたなと思い出し、どんなものか見てみることにして、すぐそこの文芸誌欄の前に立った。CDを棚の隙間に置いておき、雑誌を取りあげて、まず受賞作の本文を読みはじめてみると、確かに実に平易で、改行も多く一見薄っぺらいような文調で書かれており、紋切り型めいた表現もあってこちらや知人の好みとは合わなさそうに見える。読みながらこちらには、思いだされた人があった。それは以前インターネット上の投稿サイトに参加していた短い期間に知り合った相手で――と言ってもう交流はないのだが――、当時書いていた小説の原稿を渡してくれて読んだことがあったのだが、この受賞作の冒頭ページの台詞の口調や漠然とした雰囲気のようなものから、それを連想したのだ。同時に、知人がブログに自分のフォロワーの言として、今回の受賞者が自分のフォローのなかにいて嬉しいというような発言が見られたということを書き付けていたのも思いだされた。件の人もTwitterを利用していたものだから、あの人だろうかと可能性が浮かびながらも、確信は得られず本気で考えていなかったところが、ふと右手で前のほうにページを戻してみると、現れた写真に写った顔がまさしく記憶のなかのそれと一致したので、本当にそうだったのかと驚き、やはり文の調子でわかるものなのだなと思った。それで町田康と受賞記念対談をしていたので、それを読んでみるかと本文は放っておいてそちらに移り、まったく真剣に読むわけではないが一応最初から最後まで目を通して、申し訳ないが作品にはあまり興味が湧かないので、ところどころめくるのみにして雑誌を置き、上階に向かった。新着図書を確認してから、まず歴史のなかの中東地域の棚に行き、エドワード・サイードパレスチナ問題』があることを確認した。周辺の著作もいくつか手に取ってから次に、政治学のほうの棚、民族問題やテロリズム関連の本が揃ったところに行き、『反ユダヤ主義の歴史』が五巻並んでいるのを改めて確認し、黒人問題の本なども見てから、本命の『人文学と批評の使命』を取りに行った。それは棚の始まり、分類で言うと総記になるのだろうか、教養教育や知の営みそのものについての本が並んだ箇所にある。フロアの端まで行ってそれを取ると、その裏の哲学の本もちょっと見てから、機械で貸出手続きを済ませた。時刻は六時頃だった。出口に向かって館を抜け、駅に渡るとちょっと待って電車に乗った。降りると、乗り換えの発車時間は二〇分ほど先である。歩いて帰るか本を読みながら待つか迷ってホームに立ち尽くしていると、予想外に早くその乗り換え電車が入線してきたので、ならば乗るかとなかに入り、借りたばかりのプルーストを読みはじめた。月報を読みきらないうちに発車して最寄りに着き、降りて帰路をたどった。虫の声が林のなかから波打ちながら抜けてきて、市営住宅からは家族のやりとりらしい気楽な声が洩れる。それらが彩る静寂の夜道を歩いて行き、帰るとほぼ七時だった。室に帰ると服を着替えて瞑想を始め、途中母親の訪問で中断しながらも続けて、それから食事に上がった。夕食は隼人瓜の煮物に、シシトウを合わせた魚のソテー、それに餃子の皮を使ったピザ様のものと汁物である。両親が隼人瓜について話しているところに、珍しく、隼人瓜という名前の由来は何なのかと問いを挟むと、母親がタブレットを使って調べはじめた。これまでそういう語を知らなかったが、鹿児島男児を表す「薩摩隼人」という呼び方から来たらしく、父親はそれを聞くと、そうだったのか、と感心するようになっていた。こちらは携帯電話で他人のブログを読みながら食べていたが、そのうちに姿勢が前かがみに悪くなり、食べ方も粗雑なようになっているのに気付き、背すじを伸ばして落ち着き払って、皿も口に付けずものを箸で一つ一つ取って運び、携帯はティッシュ箱に立てかけてそれを見下ろすようにした。食事を済ませると食器を片付けて風呂に入り、出て下階に帰ると九時頃だったはずである。書き物の前にメールの推敲をしようと作った文言を読み返し、何箇所か言葉を取り替えた。同時に図書館で借りてきたCDをiTunesでインポートさせていた。Horowitzのアルバムの一枚目を取りこみ、二枚目に掛かると、iTunesの読み取った曲名などが日本語になっており、それらをいちいち直さなければいけないのが面倒で、インポートはまた時間のある時にしようと決めた。それでひとまず取りこんだ音源のみ、Winampのライブラリに移そうとしたのだが、ファイルを追加してみるとアーティスト名が空欄になっており、曲名も正確でない。どういうわけかと調べた結果、iTunesのインポートでは、WAVファイルには情報の書きこみがなされないらしい。それなので、設定を変更してAppleロスレスにして取りこんでみると、正しくライブラリに追加されたので解決を見た。そんなことをしているうちに書き物に掛かるのは遅くなって、一〇時を越えてようやく始めた――メールの返信は、三日も掛けることになるが、翌日に再推敲して正式に決定することにして、打鍵を始め、流していたPaul Motian Band『Garden of Eden』が終わると、Theo Bleckmann『Hello Earth! The Music of Kate Bush』を続けた(そしてこの作品は、売却行きになった)。前日の起床付近の記憶はもう失われていたので、やはり書き物を第一に、早めにこなさなくては駄目だなと思われたものだ。母親に対する愚痴を連ねるようにしてその心理に対する考察なども長く綴り、ほぼ二時間を掛けて八日の記事を仕舞えた。音楽はLonnie Smith『Live at Club Mozanbique』に移っていた。この日の記事も零時半まで記すと終いとして、Bill Evans Trio "All of You (take 1)" を久々にじっくり聞いてから、ベッドに移った。そうして英語のリーディングである。一日三ページを目安に進めていくことにして、この日の分が終わると一時過ぎ、そこからインターネットに移った。ポルノを見て性欲を解消し、股間を洗ったりと始末を付けると二時である。日本史の勉強は諦めて、マルセル・プルースト/鈴木道彦訳『失われた時を求めて 8 第四篇 ソドムとゴモラⅡ』を少しだけ読むことにして、月報を終えて本篇を二ページ進んだところで二時四〇分、眠ることにした。枕に腰掛けて瞑想に入ってみると、この日は外が静かで、虫の音は窓ガラスのあたりにかろうじて溜まって、部屋の奥まで入りこんでは来ず、気のせいか否か聞き分けが付かないほどにかすかなものである。済ませると二時五〇分に就寝、たった五分だが、前日よりも消灯を早めることができた。



 (……)今ちょうどそのラ・ベルマが舞台にあらわれたところだった。すると、おお、なんという奇跡、まるで私たちが前の晩に必死になって覚えようとしてもできなかった課題が、ひと晩眠ったあとでちゃんと暗誦できるのを発見するように、また、懸命になって努力しても思い出せなかった死者たちの顔が、もう彼らのことを考えもしなくなったときに、生きているころとそっくりに目の前にあらわれるように、ラ・ベルマの才能は、かつて私が熱心にその本質をとらえようとしていたときには逃れ去ってしまったのに、こうして数年それを忘れていて無関心で臨んだ今このときになって、否定しようのない明白な力を伴って私に賞賛の気持を抱かせてしまうのだった。かつては彼女の才能だけを切り離そうとして、私はいわば自分の聴いているもののなかから役それ自体を取りのけようとしたものである。役というのはフェードルを演じるすべての女優に共通した部分だから、私は前もって役を研究して、それを差し引き、残ったものとしてマダム・ベルマの才能だけを拾いあげられるようにしようと思ったのだ。ところが役と別なところに見つけようと思ったその才能は、(end77)役と一体になっていた。たとえば偉大な音楽家の場合に(ヴァントゥイユがピアノを弾くときは、そうした場合だったと思われるが)、その演奏が実に偉大なピアニストのものなので、いったいこの芸術家がピアニストであるかどうかということさえ、もうまったく分からなくなってしまうことがある。なぜならそうした演奏は(あちこちに輝かしい効果をちりばめる指の筋肉の華麗な努力であるとか、手がかりを失った聴衆が、少なくともここにだけは明らかに具体的な現実の形で才能が見出せると思えるような、見事な音のほとばしりとか、そういったものをいっさい介入させようとしないために)、まったく透明なもの、弾いている曲に満たされたものになっているので、ピアニスト自身の姿は見えなくなり、彼は一つの傑作に対して開かれた単なる窓になってしまうからだ。アリシーや、イスメーヌや、イポリット役の俳優の場合なら、まるで縁どりをしたように、その声と身振りのまわりを、いかめしく、または繊細に、ぐるりと意図がとりまいていて、それを私はたしかに見分けることができた。ところがフェードル役は、意図を内面化していた。そして私の精神は、それを探りあてて、その効果を台詞の言い方や身のこなしから引き離すことができなかったし、表面はごく一様で単純に仕上げられた演技でしっかり守られているので、それをつかみ出すこともできなかった。そうした効果は深くしみこんでいて、表面にはみ出していなかったからである。ラ・ベルマの声のなかには、精神の言うことをきかない物質など、ひとかけらもなかったし、その声のまわりに余分な涙も認められなかった――そうした余分な涙は、アリシーやイスメーヌの冷たい大理石の声になると、なかまでしみこめなくて、声のまわり(end78)だけに流れるのが見られたのであったが。しかしラ・ベルマの声はそのほんのわずかな部分に至るまで繊細なやわらかさを持っており、まるで偉大なヴァイオリニストのかなでる楽器のようだった。そうした音楽家について、美しい音を持っていると言うとき、人はけっして一つの物理的な特性をほめようとしているのではなくて、すぐれた魂をたたえているのだ。また、古代の風景のなかで、ひとりのニンフの姿が消えたあとに生命のない泉が残るように、明らかにそれと分かる意識的なねらいが、ここではある声の質に、異様ではあるが適切で冷たい透明さを持った声の質に、変わっていたのである。ラ・ベルマの腕も、詩句が彼女の唇から声を出させるときのその発声と軌を一にして、ちょうど流れ出る水が木の葉を動かすように、詩句そのものによって胸のところに持ちあげられているように見えた。彼女の舞台上で示す態度は、彼女がこれまでゆっくりと作りあげてきたもので、今後もまだそれを変えるのであろうが、ほかの仲間の仕草のなかに痕跡が認められるようなものとはちがった深い論理によって作られており、それはもとをたどれば意識的なものだが、そうした性格を失い、一種の光の放射のようなものに溶けこんで、フェードルという登場人物の周囲に豊かで複雑な要素をきらめかせていた。しかし、魅せられた観客は、それを役者のかちとった成果とは思わずに、一つの生命のあらわれと見てしまう。あの白いヴェールそれ自体も、ぐったりとしていてしかも忠実な生きもののようで、なかば異教的でなかばジャンセニスト的な苦悩によって織りあげられたように見え、その苦悩のまわりに、弱くて寒がりな繭のように身を固くしているのであった。そうしたすべてのもの、声、態度、仕草、ヴェール(end79)は、詩句というこの肉体となった一つの観念を包む覆いにすぎない(この肉体は人間の肉体と違って、魂を見えなくする不透明な障害物のごときものではなく、むしろ純化され活性化された衣服のようなもの、そこから魂が周囲に広がっていくし、またそこに魂を見出せるものなのであるが)。観念の肉体にあとから加えたこの覆いは、魂を隠すのではなくて、かえってそれをいっそう輝かしく表現するばかりであり、魂はそうした覆いを同化して、そのなかに広がっていたのだが、それはちょうどさまざまな物質が鋳造されて透明になったようなもので、そうしたものをいくら積みあげても、その中心に閉じこめられてその物質をつらぬいている光線を、いっそう豊かに屈折させるばかりだし、またその光線を包みこんでいる炎に彩られたまわりの物質を、いっそうの広がりを持った貴重な美しいものに見せるばかりなのである。そんなふうに、ラ・ベルマの演技は、原作のまわりに生みだされた第二の作品であり、これも彼女の天才によって生命を与えられた作品なのであった。
 本当を言うと、私の印象は以前よりも快いものだったが、以前と違っていたわけではない。ただ私はもはやその印象を、演劇的天才というあらかじめ作られた抽象的な誤った観念とつきあわせようとはしなかっただけの話なのだ。そして私は、演劇的天才とはまさにこれなのだということを理解した。私は今しがた考えたのである、最初にラ・ベルマを聴いたとき、快感を覚えなかったのは、ちょうど以前にシャンゼリゼでジルベルトに会ったときのように、あまりに強すぎる欲望を抱いてラ・ベルマを見にいったためである、と。この二つの幻滅のあいだには、おそらく(end80)その点が似通っていただけではなくて、もう一つの、もっと深い類似もあったのだろう。きわめて個性的なひとりの人間、ひとつの作品(ないしはある演奏)が、私たちに惹きおこす印象は、特殊なものだ。私たちは「美」、「ゆとりのあるスタイル」、「悲壮感」などといった観念をあらかじめ身につけており、ごく平凡な十人並みの才能や容姿に対しては、ともかくもそういった観念を認めるような錯覚を持つことがあるが、しかしあるひとつの形が執拗に目の前に迫ってくると、注意ぶかい精神は自分がその知的な等価物を所有していないので、そこから未知のものをつかみだす必要が生じる。そうした精神に、鋭い音、奇妙な抑揚で問いただすような声が聞こえてくる。すると精神は考えるのだ、「これは美しいのだろうか? いま感じているのは賞賛の気持だろうか? 豊かな色彩とか、高貴さとか、力強さというのは、このことだろうか?」と。そのとき、ふたたびその精神に答えるのは、鋭い声であり、問いかけるような変わった口調であり、ある知らない人物の与える有無を言わせない印象、まったく物質的な印象であって、そこには「ゆとりのある解釈」のための空間など、まるで残されていはしない。そして、そうしたことのために、本当に美しい作品こそ、私たちが真剣に耳を傾けた場合に、かならず失望を与えることになるものなのだ。なぜなら、私たちの観念のコレクションのなかには、個性的な印象に対応する観念などひとつもありはしないからである。
 それがまさしく、ラ・ベルマの演技の示していることだった。台詞の発声法の気高さ、聡明さというのは、まさにそれだった。今や私には、ゆとりのある、詩的な、力強い演技というものの(end81)価値が分かってきた。というよりも、それこそ人がこうした名前で呼ぶことにしたものだったのである。ちょうど、神話とは縁もゆかりもない星に対して、軍神マルス(火星)とか、美の女神ヴィーナス(金星)とか、農耕の神サトゥルヌス(土星)などといった名前を与えているように。私たちはひとつの世界のなかでものを感じているのだけれども、考えたり名づけたりするのは別の世界においてであり、その二つの世界のあいだに対応関係を打ちたてることはできても、その隔たりを埋めることはできないのである。はじめてラ・ベルマの演じるのを見にいった日に越えなければならなかったのは、いくぶんこの隔たり、この断層のようなものだった。そのとき私は懸命に耳を澄まして聴いていたのに、「気高い演技」とか「独創性」といった観念になかなか到達することができず、やっと拍手を送ったのは空白の一瞬を過ごしたあとのことで、しかもその拍手は印象それ自体から生まれたというよりも、あたかもあらかじめ抱いていた観念や、「ついにぼくはラ・ベルマを聴いたんだぞ」と自分に言いきかせる快感などに結びついた拍手だった。ひとりの人間や、非常に個性的なひとつの作品と、美の観念とがかけ離れているように、そうした人や作品が私たちに感じさせるものと、恋愛や賞賛の観念とのあいだにも、それに劣らない大きな相違がある。だから、人はそれが恋愛や賞賛だと認められないのだ。私はラ・ベルマを聴いたときいっこうに快感を覚えなかった(ジルベルトに会ったときに快感がわかなかったのと同様に)。私は自分にこう言いきかせた、「つまり、ぼくはラ・ベルマに感心していないんだ」と。けれどもそのころの私はラ・ベルマの演技を深く掘り下げることしか考えず、そのことのみに没頭(end82)して、彼女の演技が含むすべてのものを受けとれるよう、自分の思考をできるかぎり広く開いておこうとつとめていた。いまや私は理解したのである、感心する、というのは、まさにそれなのだということを。
 (マルセル・プルースト/鈴木道彦訳『失われた時を求めて 5 第三篇 ゲルマントの方Ⅰ』集英社、一九九八年、77~83)

     *

 ある日には、正面から近づいてくる薄紫[モーヴ]色のキャポット帽の下の優しいすべすべとした顔が、青い両の目の周囲に左右対称に魅力を振りまきながら、鼻の線もそこに溶けこんだように見えるのであったが、それを認めたとき、どうしてその日の私が、嬉しさに胸をときめかせながら、これでゲルマント夫人に会えずに帰らなくてもすむぞと理解できたのであろうか? あるいはマリ(end103)んブルーの小さな縁なし帽をかぶった横顔が、エジプトの何かの神のように、鋭い目で横にさえぎられた赤い頬に沿って鳥のくちばしのような鼻をつき出しながら横町からあらわれたとき、どうして私はその前の日と同じようにうろたえ、同じように無関心を装い、同じように何気ない様子で目をそらせたのであろう? 一度など、私が見たのは、鳥のくちばしをした女でさえなく、むしろ一羽の鳥そのもののような何かであった。そのときのゲルマント夫人は、ドレスも小さな縁なし帽もみな毛皮で、そのために布がいっさい表にあらわれていなかったから、まるで自然にふさふさと毛が生えているように見えた。ちょうど禿鷹のなかには密生した一様の羽毛、褐色のやわらかい羽毛のものがいて、まるで地上のある種の動物の毛並みを思わせるようなものである。こうした自然の羽毛に包まれた彼女の小さな顔は、湾曲した鳥のくちばしをつき出しており、またそのとび出した目は刺すように鋭くて青かった。
 (103~104)

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 エレベーターも使わず、また大階段で人目にふれることもなしに、外出したり戻ってきたりしたいときには、もう使用されていない小さな特別階段が控えていたが、それが差し出す一段一段は、実にうまい具合に各段がごく接近して作られているので、少しずつ上がっていく傾斜に完璧なプロポーションが存在しているように見え、それは、微妙に変わる色や香りや味が、よく私たちの特殊な快感をくすぐるのと、同じようなものであった。しかし、上り下りの快感を知るには、私がここへやって来ることが必要だった。ちょうど以前に、ふだんは気づかなかった呼吸という行為が、絶え間のない官能の喜びにもなることを知るのに、アルプスのさる保養地での滞在が必要だったようなものだ。はじめてこの階段に足をのせたとき、私は、長く使われた品物だけに特有の、あの努力を省かせてくれる何かを感じた。私がまだ知らないうちからこの階段は、親しみを覚えさせるものになっていたのであり、たぶん昔の主人たちを毎日迎えていたために、そこにしみつき一体化していたのだろうが、まるで習慣の持つ心地よさをあらかじめ備えているかのようであった。その習慣を私はまだ身につけていなかったばかりか、たとえ私のものになっても、それはただ弱まるばかりだったろうけれども。私は一つの部屋の戸を開けた。二重ドアが背後で閉まった。カーテンは沈黙を導き入れ、その沈黙に対して私は自分が陶然とするような王者の力を持っているのを感じた。彫金をほどこした銅の飾りのある大理石の暖炉は、ディレクトワール様式しかあらわしていないと思われかねないものだが、それが私のために火をたいていた。そし(end138)て低い小さな肘掛椅子は、まるで私がカーペットの上にじかに坐っているのと同じように、気持よく温まるのを助けてくれた。壁はこの部屋を四方から抱きしめて、世界のほかの部分から引き離していたが、部屋の仕上げをするものを持ちこんだり、そこに閉じこめたりするために、本箱の前では身をかわし、またベッドを入れる凹みは確保しておくのであった。ベッドの両側に立っている柱は、アルコーヴの高い天井を軽く支えていた。部屋と同じくらいの横幅のある二つの化粧室が、奥の方へと部屋を延長しており、その一番奥の化粧室には、ここへ瞑想を求めに来る人を芳香で包むために、壁にアイリス香の粒をつないだ官能的な数珠[ロザリオ]がかかっていた。この一番奥の隠遁所に私が引きこもっているあいだにも、化粧室のドアをすべて開け放しておくと、調和は壊れないままの形で三つつづきの部屋になるのだが、ドアはそれだけで満足せず、また単に私の目に集中の快楽につづく広がりの喜びを味わわせるだけでもなく、私の孤独がこうして他人にはおかされずに、しかも閉じこめられたものではなくなるので、その孤独の喜びに自由の感覚をつけ加えてくれるのであった。この小部屋は中庭に面していた。孤独な美女のような中庭で、翌朝私は、窓ひとつない高い壁にとりかこまれた囚われの女が自分の隣人であるのを発見して、すっかり嬉しくなった。そこには黄色い葉をつけた二本の木があるばかりだったが、それだけでも、澄んだ空に薄紫[モーヴ]色のやわらかい肌ざわりを与えるのに充分なのであった。
 (138~139)