2016/10/16, Sun.

 前日に引き続いて快晴の朝だったが、陽を浴びながらやはり八時間は眠ってしまい、確かに起きたのは一一時五分である。もうだいぶ西に移った太陽の光を目に取りこみ、身体の自由を取り戻して、布団を横に剝ぐと枕元の本を取った。マルセル・プルースト/鈴木道彦訳『失われた時を求めて 8 第四篇 ソドムとゴモラⅡ』である。両の脹脛を膝でほぐしながら三〇分読書をしているあいだ、開けた窓の外からは金具で土を叩くような音が立っており、どうやら母親が草取りをしているらしい。一一時三五分になると身体を起こして便所に行き、戻ってくると瞑想を行った。まったく寒さのない正午である。そうして上階に行き、母親が食事の支度をするのに先んじて、こちらは自分のために卵を焼いた。炊飯器の米を丼に払って、焼けたものをその上に載せて、あとは前夜の巻繊汁の残りを持って卓に就き、新聞を見ながら食べはじめた。平らげてから、母親は蕎麦を茹でると言うので新聞を読み続けながら待ち、茹で上がるとそれも麺つゆを用意して食った。蕎麦茶を持って下階に帰ったのが、一二時半過ぎである。炬燵に布団を掛けたいので三〇分くらいしたら上がって来るようにと言われていた。そのあいだの時間は日記の読み返しをすることにして、キリンジ『3』を流して茶を飲みながら、二〇一四年の記事を流し読みした。本文はどうでも良いこと極まりないが、欄外に書き付けられている磯崎憲一郎の小説についての分析は、まったく無価値同然というわけでもなく、二〇一四年の自分の実力を考えてみるとこのくらいのことを考えていたのかと意外な感を受けるようだった。それで長いものを現在の日記にも引用しておき、それから言い付け通りに上階に戻った。母親はちょうど洗濯物を取りこんだところで、こちらがソファに就いて『新婚さん、いらっしゃい』をぼんやり眺めていると、アイロン台も用意しないで座布団の上でエプロンなどの皺を伸ばしはじめる。それを待ってから、仏間から布団を持ってきて、天板を外した炬燵テーブルに被せて、また蓋をした。そうして下階に戻ると、日記の読み返しの続きである。二〇一四年の分を一六日まで始末すると、二〇一五年のものにも移った。ノルマが溜まっていくばかりなので、一日二つずつ読むことを目指して、この日は一〇月五日と六日の分を読んだが、後者を見ているあいだに何かに触発されて、三か月前の自分の書きぶりも見てみようと七月の記事に遡った。それで一六日と、一七日のものを読んだが、どちらもなかなかに面白い。知覚したものから言葉を、結構豊かに引き出せているし、二日とも夢を記録できているのも良かった――最近は詳細に記憶に残った夢はないし、多少残っても記録を怠っている。特に一七日に記された夢の構造に対する分析は、改めて面白がられたので、ここに引用しておくことにする。

 過去の同級生の一人が亡くなったらしく、その葬儀に向かう。家を出る。ひどく暗い夜である。自宅のすぐ近く、坂に入る手前のあたり、道から少々下がったところに小さな花壇のような場所がある。道の上からそちらを見下ろすと、中学の同級生、威勢のいいグループだった連中が何人か集まっている。暗いなかで目を凝らして、一人一人の顔に意識を集中し、あいつか、あいつかと判別していき、名前で気安く呼びかける。なかに一人、既に結婚して子どものいるはずの奴がいたので、ようT、子どもできたんだって、と声を飛ばすと、こちらの傍らに上がってきていた者から、あいつの子はまだ二歳かそこらで死んだのだ、と知らされる。眼下のその親の顔を見ると、陰鬱なような表情をしていて、罪悪感を覚え、そいつが上がってきたところで謝る。それで林のなかの坂を上っていき、駅に行って電車に乗った。数駅先まで乗って降りたはずだが、そのあたりははっきりしておらず、次の記憶では既に葬儀場にいる。建物の二階か三階あたりで、それほど広くもなく、こじんまりとしたような直方体の部屋である。公民館か何かの一室といった風情だが、どことなく密閉感の気配が残っているのは、窓がなかったのかもしれない。一方の端におそらく既に祭壇がしつらえられていて、もう一方の端には椅子が並べられるかして座席が用意されていたはずである。それをエレベーターを降りてすぐの場所、長方形の床の長い辺のほうに立って横から眺めている。業者らしき年嵩の男が一人いる。じきに同級生たちが少しずつ集まりはじめたのかもしれない、顔を合わせる前に、あるいは抜けだせなくなる前にというような気持ちがあって、出ることにする。もともと葬儀には出席できず、どうしても行かなければならない場所があったのだ。しかしその用事が何だったのかは、いまとなってははっきりしないし、そもそも夢の渦中にいる時点から、その内実は曖昧で、というよりはむしろ空っぽで、ただ行かなければならないという強烈な義務感のみが存在していたような気もする。あるいはそれは単に、葬儀に出ないで済ませるための中身のない口実だったようにも、今となっては見える。しかし、周りの連中に、もう行かなければならないと断りを入れる時にも、そう見られるかもしれないとの危惧がかすかにあったのだが、それは、本当は葬儀に出たくないという自分の内心を見透かされるかもしれないという心配ではなかった。自分は本当に大切な事情があってこの場を離れなくてはならないのだが、それを葬儀に出ないための虚言だと邪推され、不道徳な人間だと勘違いされるかもしれないとの懸念だったのだ。したがって夢のなかの自分は、自分に欠かせない用事があることを固く信じていた、というよりはそのことを確かな事実として知っていたのだが、しかしその中身がわからないため――そのことに疑問を抱いてもいなかった――周囲の人々にもただ用事があると繰り返し言うことしかできず、具体的なことを何一つ説明できなかった、そこから、これでは信用されないのではないかという先の危惧が生まれたのだ。ついでに言うならば、中身が茫漠としてほとんど空虚だったのはこの用事だけではなく、そもそものこの夢の状況を作りだした、つまり葬儀を発生させた原因である亡くなった同級生についても同様である。一体誰が死んだことになっていたのか、覚めた今では何の手掛かりもなく、砂の一粒ほども記憶に引っ掛かりがない。むしろこれも、夢のなかにいる時から、誰が死んだのかということはまったく問題にされず、ただ同級生が死んだというその事実だけが、その具体的な内実を欠いた抜け殻のような状態で、夢を動かす駆動源になっていたような感触がある。

 二〇一五年のものと二〇一六年の文を比べてみると、当然だが今年のほうが細部に分け入る力が格段に上がっており、遥かに面白い。おそらく今頃の文章は、(勿論日によるとはいえ)一年後に読み返しても面白いだろうと感じられるのだが、ただ、昨年の自分もそれなりにうまく書けていると思いながらやっていたはずなので、確信はできない。今年の文も読んでしまったので、時間が掛かって読み返しを終えたのは二時半前である。そこからふたたび寝床で読書に入った。いつの間にか空には雲が広がり、太陽の存在を窺わせる色はなくなっている。顔の前に本を掲げていると母親が戸口にやってきて、何だかよくわからないが手伝ってくれと言うので、三〇分で切りあげて上階に行った。祖父母の部屋に入って北の窓をひらくと、母親は外にいる。そこの窓は駐車場に接しているのだが、地面からちょっと高くなっており、誤って落ちないようにということだろうか、黒い柵が設けられている。母親は背を伸ばして外から、緑色の苔のような汚れが染みたその柵や、雨戸を拭き掃除していた。こちらもサンダルを玄関から持ってきて、細い板を渡した柵の足場に、折れたりしないだろうなと恐る恐る乗って、大丈夫そうなのでそこに立って雨戸の汚れを雑巾で拭った。雨戸の表面には畑の畝のように段と溝が作られており、その一段一段に土埃が隈なく付着している。バランスを崩してぐらりと外に落ちたりしないように、足の置き場に注意し、姿勢を慎重に動かしながら、雑巾を左右に滑らせてごしごしとそれを拭って行った。窓と戸の配置を変えて、もう一枚分も同じように行うと、それでもうやる気がだいぶなくなって、部屋の縁に腰掛けた。もう良いだろうと口にしてみるのだが、母親はまだまだ掃除する気のようである。こちらも何もやらずにただ怠けているだけなのもばつが悪いので、おざなりに、座ったまま手の届く範囲の柵の上端を拭ったり、斜めに渡された柵の柱の交差部、谷の最下部にあたる窪みに溜まった、何だか知らないが抹茶の粉のような緑色の汚れを取ったりした。雨は降っていないが空気は完全に曇りきっており、見上げれば西の方角の空、葉枝の網の向こうで雲が僅かに明るさをはらんでいるのみである。とはいえ肌寒さはなく、風も地上を走らずに、林の高みで葉々を身じろがせていた。腰を上げずに手の届く範囲にだけ雑巾を向けているうちに、母親がもういいよと言ったので、言葉に甘えて場を離れ、手を洗って室に帰った。既に四時に近かったはずである。Ahmad Jamal Trio『But Not For Me』を流して、諸々の運動を行った。そうして、汗が引くのも待たずに書き物に入ったようである。前日の記事は五〇分を費やさずに二六〇〇字を書いて完成、この日の分も三〇分だけ綴っておき、それで五時半前、英語に入った。普段は三〇分で三、四ページというペースだが、この日は心に余裕があって、寝転がったまま長く時間を使ってしまい、五五分で七ページである。それで六時半前となった。九時から長野の知人とSkypeで話す約束があった。七時には食事に上がるとして、あと三〇分ほどを何に使うかと考え、夏目漱石吾輩は猫である』の書き抜きに取り掛かった。Billy Bang『Vietnam: Reflections』を流して打鍵を始めたが、一〇〇年も前の文章なので漢字の使い方がいまと違っていたり、通常の変換では出てこない語があったりして、時間を使わされ、僅か三箇所のはずが七時を過ぎても二箇所しか終わらず、それで夕食を取りに行った。食事は、野菜の汁物に大層貧弱で身の縮まったような鯖である。食うとちょっと休んですぐに入浴に行き、出てきたのが八時二〇分くらいだった。室に帰る(……)。そうしているとしかし、母親が部屋に来て、父親に頼んでおいたスイーツが来たと知らせる。研修で都心のほうまで出たのに、土産で甘い物を、と厚かましくも注文していたのだ。それを食べればと言うのに、一度は断ったが、引かず勧めてくるのでまあ食うかと上がって、蕎麦茶を飲みながらコーヒー粉のまぶされたロールケーキを味わった。そうして室に帰り、一話分見終えるとちょうど良い時間、Skypeを立ちあげてログインした。こんにちは、と相手にチャットメッセージを送るが、すぐには反応がないのでBill Evans Trio "All of You (take 1)" を聞きながら待った。数分して戻ってきたのに、通話を申し出て、話を始めた。話題は大まかな近況のほか、一応のメインとなるのは岩田宏の詩についてだった。メールのやりとりのなかで、最近彼の詩集を読んだのだが、二、三聞きたい点があるのでSkypeをしようと向こうが誘ってきたのだ。近況について言うと、相手はイラストを描く傍ら、スーパーでアルバイトを始めたらしい(あるいは以前もやっていたのかもしれないが)。絵の仕事に関しては、「悪い仕事」は切り捨てて、良い仕事だけを受け持つようにしたと言う。オフィシャルな仕事とはおそらく別の場として、Twitterに絵を上げており、三、四日に一枚は描いていると言うので、すごいものではないかと賞賛した。それで最近、フォロワー数が四〇〇〇人ほどに跳ね上がったと言う。そんなにいるのかとそれにも驚いていると、しかしそれでもまだまだ下のほうで、フォロワーが一万を越えていっぱしといったような相場らしく、すさまじい世界だな、こちらには絶対に近づけないと笑った。そのうちに詩の話に移って、「神田神保町」を例に挙げてどこが良いかと問われたので、自分は解釈ということにはあまり魅力を感じず、とにかくぐっとくるようなフレーズがあればそれで良い、「神田神保町」だったら何よりその叙情性だと話した。五連あるなかで、なかの三連は神保町の風景のようなものを描いており、洒落なども使ってユーモラスな風情があるが、それより第一連と最終連に漂う切なさ、センチメンタリズムが好きだと、そんなことを言うと、相手はジャズの構成に似ているというようなことを言う。「二十五歳の若い失業者」の姿と、彼の「あの人」に対する恋慕を提示する第一・第五連が、ジャズでいうところのテーマ部に当たり、言葉遊びを使った中盤はアドリブのようだということらしい。言われて、完全に類比できるわけでもないが、確かにと納得するところがあった。話していると、こちらが書き抜きした文章を貰えないか、と言う。快く了承して、最初はSkype上に貼り付けていたのだが、メールで送ったほうが良いと気付いて、マイクをテーブル上に置いて話す合間に用意をした。岩田宏の詩集二つに石原吉郎のもの、あとは岩波文庫から出ている谷川俊太郎の自撰詩集に福間健二岡本啓を足して、メールを送信した。それからまたちょっと話して、一〇時一〇分頃に相手がやることがあるようで、通話を終えた。ログアウトすると、この日はあとはまた、眠りの時間までひたすらアニメを見ただけの夜である。翌日は二時に代々木で、九時か一〇時には起きたいというわけで、二時には眠るのが吉だと思っていたが、見ているうちにやはり興が乗って、最後まで視聴してしまおうと物語の流れに無抵抗に運ばれ、三時半頃、二五話まで見終えた。それから「小説家になろう」に発表されている原作のほうもところどころ覗いて、結局四時である。それほど疲れはなかったが、寝付きやすいようにとロラゼパムを一錠飲みこんで、ベッドに移った。明かりを落としながら、夏にはもう今頃には空気が青くなりはじめていたなと思いだしてカーテンをめくったが、この一〇月の午前四時はまだ、墨色の夜に囚われている。それに安堵するようになって、横たわり、布団に入った。薬を飲んだわりに、眠気が身を浸すのに時間が掛かった覚えがある。

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