2016/10/24, Mon.

 窓に掛かったカーテンは、真ん中あたりを細く中途半端にひらいている。読みはじめの頃には、本のページ上に陽の色が広がっていたのが、そのうちに上端に引いていったのは、光の源が西へとじわじわ移っているのだ。その頃には太陽はカーテンの際まで来て、あと少しで隙間へとはみ出しそうなところで、頭の座りを直すために顔を持ち上げると光線が目に飛びこんで来たし、また、ページの右下に目を移した拍子には、自分の鼻の左側に日向と日蔭の境が作られているのが目に入った。窓のほうを見つめれば、ガラスの表面には埃が一面に付着して、粗い砂地のようになっているのだが、背景は柔らかくほぐれた青さが液体じみて隅々まで染みこんでおり、そのなかで雨滴の跡のように、汚れの固まりがいくつか、白い点となって発光していた。それらの上に、卓越した手が鋏を振るって切り絵を作ったかのように、アサガオの残骸の影が薄く描かれているのだが、重なったその模様も、先ほど見た時と比べると、いつの間にか配置を変えているのだった。

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 窓際には、母親が以前講座に行って作ってきたものだが、サンキャッチャーという、水晶か何かでできた室内装飾品が吊るされている。講座自体はスピリチュアルな匂いのするもので、このサンキャッチャーにも何かしら精神的な効果を謳っていたようだが、こちらはそんなことは真に受けていないにしても、窓に射し掛かる明るみを受けてそれを虹の欠片に加工し、床に散らばらせるこの品の働きには、好感を持っていた。その虹の斑点に目を寄せてみると、ほんの狭い範囲にもかかわらず確かに、赤、黄、緑、青、紫といった虹の色の移り変わりが見て取れるのである。食事を終えるとそのまま席に就いて新聞を読んでいた。国際面を見ると、フランスで難民排除の動きが高まっているだとか、イラクはモスルではISの連中が住民二八四人を射殺しただとか、悲惨で陰鬱なニュースが知らされる。しかしそんな時でも、目を上げると、太陽がさらに場所を移したのだろう、サンキャッチャーの脇、先ほどまで蔭だった棚の上に置かれた時計まで光が届いており、それが備えた回転飾りは光を巻きこんで、サンキャッチャーが床に作る虹のあいだに更なる虹の破片をゆっくりと滑らせ、背後の壁には、糸のように柔らかく靄のように覚束なくうねる光の膜を絶え間なく映し出す――そうした光景が目に入り、注視してしまうのだった。

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 外に出て、自転車を駆り出した。林のなかの坂道を上って行くあいだ、ここのところ日の短くなって訪れの早くなった黄昏れの暗さに、体内時計が追いついていないのか――あるいは木の間から覗く空に青さがかろうじて残っているために、殊更地上の暗がりが強調されるのか――、まだ午後六時前であるという認識を裏切るように、夜の真っ只中にいるよりも暗闇が濃く、こちらに迫り囲むようで、空間が狭くなったかのような圧迫感があった。ベストを着けてはいるが、さすがにそろそろ肌寒さが勝る空気である。中学校の裏を下って住宅地のなかを行くあいだ、冷たさが身体の前面に貼りつくようで、指先も冷えるのでブレーキを使う必要のない時は、ハンドルに載せた手を思わず丸く握ってしまうのだった。裏道を分け入り、坂を横切ってさらに進み、駅前で表へと駆け上がった。横断歩道を渡って行きながら駅の向こうに目をやると、街灯の光が視界の端に揺蕩っていては、丘も空も見分けが付かない闇色である。職場の前まで来て、人工灯が遠くなると、西空に湛えられた静謐な群青色が見て取られた。

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 自転車に乗り出して裏通りを行くと、風が途切れず前方から流れて、行きよりも肌寒さが強いようである。それでも、その冷気はまだまだ勢力の小さなもので、服の表面に纏わりつきはするもののそれだけで、身の芯を貫いて肌を震わせるほどの力はなかった。体内時計が自然の時計に追いつき、意識が夜に慣れたというわけだろうか、確かに行きよりも暗闇が親しみの感触を持っており、こちらの身体もそのなかで馴染んでいるような感じがした。街道に出て通りを渡ると、随分と静かではないか、と気付いた。ちょうど、車の行き来がなくなっており、減速すると車輪の音がくっきりと立ち、ほかには虫の音がどこかから漂ってくるのみの静寂で、そうなると道路はひどく広漠としている。歩道に足を下ろした時の音すら、輪郭が確かに際立って響く。大げさに言うならば日常のなかにちょっとした神聖さが紛れこんだかのようなその静寂を聞くために、止まってはみたものの、直後に背後から、下品な、鼻に掛かった笑い声のようなバイクの音が伝わってきて、聖なる瞬間は即座に打ち破られてしまった。

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