2016/12/6, Tue.

 風の強い、と言うよりは、そこまでの激しさはなくとも頻繁に生まれて流れる日で、食事中にも目を上げて視界に入った窓の向こうに、林檎色だったかそれとも橙の強くて樺色だったか、ともかくまだまだ濃い色味のついた葉の群れが、林から飛ばされて無抵抗に宙を泳ぐのが見えた。

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 ベランダの入り口に立つと、まばゆい陽が瞳を貫く。その向こうに見えるベランダの床面には、ほとんど一面埋め尽くすかのように、薄枯色の、風に追いやられた葉が渡ってきて倒れ伏しているのが、この晩秋でも初めて見る光景で、いよいよ落葉も佳境のようである。

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 室に帰って着替えようというところで電話が鳴って、急いで上に戻って取ると、ファックスである。親機のある玄関に出て、受信を待っているあいだに、背後から風が木々を擦る音が立って、波のように膨らむのに、小窓に寄って見れば、林から無数の葉が、風に撫でられてというよりはまるで自ら積極的に、率先して手を放していくかのような、あまりの容易さではらはらと落ちてきて、くるくる回って午後二時の、オレンジ色の薄陽を僅か跳ね返しながら宙を舞う。

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 坂に入っても風が頭上を抜けるとともに、こちらを急襲するように、目前に枯葉が降ってきて、そのなかをくぐって行く。陽射しはあるものの、やはり風がひっきりなしに吹いて、そうすると寄せてくる空気の塊が、午後三時半でも既に、マフラーを巻いて守っている首もとは良いが、スーツを物ともせずに腕やら脇腹やらには少々浸透するような冷たさを持っている。街道を越えて裏通りに入ると、いつもはそこで、家々に遮断されて表の車の音も遠くなって、静けさのなかに通る人の作る音やら生活の物音やらが立っているところだが、この日は線路の奥の林がやはり風に晒されて、空中から鳴りを渡らせてくるのが珍しい音として響いた。

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 夜道を黙々と歩いて自宅まで帰ってきて、家の敷地にちょうど踏みこむところで、視界の端に星のきらめきが映ったのに、停まって見上げた。田舎とは言え東京都内、満天の、などと言えるほどの明度で空が澄んではいないが、それでも銀砂子がたくさんに散らばって、思い思いの位置に貼りついている。市街のほうの地平線に近いあたりに、地上の光が投射されたものなのかそれとも淡い雲なのか、薄靄めいた何とも言い難い色がくゆっているのが、空の青味を如実にしてくれる。その果てから頭上に向けて藍はどんどんと深くなって、首を大きく傾けてみれば林の横の電灯の裏ではもはや濃い闇色だが、黒々と言うような濁りの調子はなくて、あくまで青さが潜んでくっきりと表面的である。もう一度真上に視線を向けると、自宅の屋根から電柱に走る電線が何本か、藍空を背景に浮かびあがって、しかしそれに遮られることなく線の隙間で星々は光って、無規則に、しかし幾何学的なような図面を広げているのが、何かの意味をそこに読み取れそうな錯覚が生じるようでもある。

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 浸かって身体を温めているうちに、心身を休めようと目を閉じて、まったく動かず湯も揺れないほどに静止してみると、聴覚に意識が集中されて、しばらくして突然、右耳のなかに周りの音が吸いこまれるように消えて行き、無音の一瞬を通過したあとに耳鳴りが始まった。だんだんと鳴りは痩せ細って行き、すぐになくなって、すると耳は正常に復したらしいが、先のほとんどまったくの――とあとからは思えるのだが――無音の一瞬の手前に、日常的な表面の聴覚刺激が消失したそのあとの、底のところにわだかまっているものも垣間見えつつ消えて行ったような気がして、あれは何だったのかとふたたび耳を澄ました。耳鳴りがいまだ続いているように、室内のどこかから、電灯か壁のなかに埋めこまれた機具類の動く響きなのか、沈黙を貫く持続音が聞こえるのは、家のなかのどこにいてもあることである。自分の外にあって明確に響くのはそれと時計の刻みくらいで、空気の振動は少ない――静寂とはそのように、音がないことではなくて、音と音のあいだに広い空漠が挟まっていることを言う。しかしさらにあたりを探ってみると、外界の音以外に、どこからともつかず、音とはっきり言えるほどのものでもなくて、頭の裏の静寂そのものが立ち騒いでいるような感触が捉えられる。自室で瞑想をしている時などにも、時折り耳を寄せてしまうものである。耳の奥の、筋肉や血管が動く響きそのものなのか、外よりは内から聞こえるような気がするが、だとすれば生命そのものの音とでも言うべきものなのか、しかしそのような神秘的な響きを帯びていると言うよりは、稀薄に拡散したオーディオノイズに近く、それを聞いているとまるで自分がロボットであるかのような気分が生じて、人間と言えども、超高性能ではあっても所詮は機械仕掛けだろうかと、そんなことが思われもする。