2016/10/26, Wed.

 アイマスクを顔から取って、カーテンをひらいてみると、ガラスのなかは隅まで一点の乱れもなく、なだらかな青さが染み渡っており、その上に乗った古茶色のアサガオの残骸と緑色のネットを浸さんばかりだった。太陽はまだ窓枠に近いほうで幕の裏に隠れているが、アサガオの蔓は産毛を白く際立たせ、下向きに描かれた曲線の先端には、朝露が控えめに膨らんで垂れ下がっている。

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 早起きして浮いた時間を生かし、九時台まで二時間ほど『ムージル著作集 第七巻 小説集』を読もうというわけで、寝床に転がって読書を始めた。顔の上に掲げたページに陽が掛かって目に眩しく、そのうちに鼻のあたりにも温もりが宿る。初めは布団を剝いだ状態で、例によって脹脛をほぐしていたが、まだ朝なので剝き出しになった脚には少々涼しさが強い。それでふたたび布団を被って、腰をもぞもぞやりながら読むが、そうすると眠くなってくるので、再度布団を退けた。しかし、陽射しは寝台の上に到って、横を向けば背が朝の穏やかな陽光に包まれて心地よく、眠気が湧くのは必至である。八時台かに料理教室に出かけると母親が知らせに来たと思うが、それからしばらくすると睡魔と闘うことになり、ついに九時で屈して読書を止めた。睡眠欲を撃退しようと瞑想を行い、不安定に身体を揺らしながら一三分休んだが、睡魔は散らない。横になっているといつの間にか意識が薄れて、布団も被らないままに再度の眠りに入ったが、それでもまったく寒さのない気温の高さである。眠りは中断されながらも澱みのなかを押し退けて進むようにして、少々重く続いて、再度の起床が確たるものになったのは一一時二〇分だった。

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 ストーブなど不要の晴天で気温計に目をやれば二八度付近、細くひらいた南窓から空気が入ってくるのだろう、窓辺に吊るされた水晶玉が弱く動いて、床や壁の上にシャボン玉のような虹の点を揺動させた。

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 自転車に跨って漕ぎ出した。太陽がそろそろ、水平線に近い頃合いである。坂を上って行き、西にひらいたまた別の坂の口を、民家の角から出て過ぎる際の横を向いた一瞬に、上って行く道の向こうで太陽が、目一杯に膨張して視界を白味の強い輝きで満たし、それがあまりに大きくてあたりの様子が塗り潰されてほとんど見えないくらいだった。空気は柔らかく、かつ日蔭にいれば涼しさが身に触れて爽やかである。

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 ふたたび自転車に乗ってゆっくりと裏通りを行くと、線路の向こうの林で秋虫が旺盛に鳴いている。距離がちょっとあるので重なり合ったその音のそれぞれの揺動は均されて、薄く平たく固い質感は、一枚の大きなガラス板が空間に立っているかのようであり、翅を擦り合わせて鳴らしているわけだから、楽器に分類するならば弦楽器かと思うが、 むしろ笛の音か鈴の鳴り響きのようにも聞こえた。