2016/12/12, Mon.

 道端の楓の木は、数日前から、花火の残骸のように萎んで擦り切れたような赤紫色が貧しい葉を枝先に辛うじて引っ掛けただけの、風通しの良い姿になっている。足もとに丸く集めて積まれた落葉の溜まりのなかに、五弁の形がぎりぎり保たれたその葉も混ざって、海辺の小生物の死骸のようになっていた。坂を上って行き、街道に向かうと、まだ正午とあって、道の上には日なたが広いが、その色は薄めのようである。空を見れば薄雲が混ざって、太陽の陽射しが弱められているが、それでも道を行くあいだ、周囲に停まっている車の上を、高くから降った白い光線が輪郭に沿って溜まって、歩みに応じて、車体を切断せんばかりにじりじりと滑ってみせる。

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 細道の脇で垣根を作っている緑葉が、やはり西の方角から陽を受けて、白さに輝いてみせるが、一二月ではもはや艶めくような水気の印象もない。

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 途中で前を、高校生のカップルが腕を組んで、携帯電話を覗きこんでいるらしく、顔をうつむき気味にしながらのろのろ歩いている。腕をぴったり組み合わせて身体も密着し、まさしく一心同体といった様子で行くのが、背後に寄ってその足もとに目をやっていると、その歩調までもが、示し合わせたわけでもなかろうに、ほとんどまったく同じ調子と幅で踏みだされ、左右に細かく揺れる時にも、見事に同時に左に右に足が向かい、完全に同期して綺麗な二人三脚を演じているのに驚かれた。

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 改札を抜けて、人々の流れとともに通路を歩いて、広場に出た。丸くこんもりとした植え込みには白や金色の電飾が施され、歩廊の屋根からも、藤棚のようにして光を数珠繋ぎにした装飾が無数に垂れ下がり、青から緑へ、緑から青へと、合間に淡色を挟みながら、一刻ごとに滑らかで清澄な推移を見せている。

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 九時少し前の電車で、やはり結構混んでいる。前の、扉際にちょっと生まれた空間には、コートを羽織ったサラリーマンらしい中年の男が入っていた。くたびれたような佇まいで、顔に赤味は差しておらず、平常の色なのだが、揺れにふらついたりしているところを見ると酔っているようで、ぼんやりとしたような眼差しで何か独り言をつぶやいたり、次の駅を告げる車掌のアナウンスを追って復唱したりしていて、その隣の、扉の脇に立った若めの男が、何か嫌なものを見るような様子でちらちら目を向け、眉間に皺を寄せて険しい顔つきになっていた。

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 浸かっているうちに父親の車が帰ってくるのが聞こえたが、特に急がず、束子で身体をよく擦った。肌が赤くなるまでごしごしとやってから、湯に入ると、刺激を受けた皮膚がひりひりとして、温かい湯のなかでそこだけが、かえってひやりと冷たくなるようで、身体のところどころが気持ち良かった。