2016/12/30, Fri.

 ハンナ・アレント/ジェローム・コーン編/中山元訳『責任と判断』を読みはじめた。読み進めているうちに太陽が窓のなかを泳いで、顔の前に光を差し挟ませるようになり、そうするとページの上の文字を見つめていても、その黒い線のなかに瞬間、赤いような光の色が混ぜこまれて映る時がある。顔の前に文庫本を掲げたこちらの姿が、ベッドの脇のスピーカーの、焦茶色の木でできた側面に影絵として写し取られていた。

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 外に出ると、午後二時の静けさが渡りきった空気のなかで、乾いた落葉が風に押されて、身の回りの色々な方角から、かさこそと路面に擦れる音が立って不規則に耳に入ってくる。陽は照って道路の上に日向の面積も広いが、しかし空気は思いのほか冷たく、木蔭の掛かった坂道を抜けて行くあいだ、前方から吹いてくる風に身体が震えそうになるところを、マフラーの防御で辛うじて凌ぐくらいである。

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 駅に着くとホームに上がった。屋根のないところまで出て日向に入ると、自動販売機の、取り出し口の上に掛かったプラスチックのカバーの、無数に刻まれて雨の軌跡のようになっている微細な引っ掻き傷のあちらこちらに、渡る陽射しが分裂し、込められて、虹色のうちのどれかをそれぞれ受け持って装飾しているのが目に入った。

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 歩廊を渡り、東急の入口の脇にある階段から通りに下りた。ここでも風は冷たく、前のひらいたモッズコートのあいだに斜めに切りこんできて、薄手のシャツを安々と通過して肌に当たる――しかも、高く聳えるビルの脇を通っており、周囲は全面薄青い蔭に覆われているからなおさらの冷気である。

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 そうして来た道を戻って行くあいだ、午後四時も近くなって、空は変わらず淡く晴れ渡ってはいるが、陽は着々と低くなって、通りを挟んだ向かいの、それほど背も高くなく寂れたような佇まいのパチンコ屋の建物にすら隠れてしまう。冷たい風が吹くのに呼応するようにして、道路の上には車が行き交い、タイヤがアスファルトを強力に擦り付ける音が風切り音と混じって浮遊し、満ちている。横断歩道に引っ掛かって、温もりを求めて日向のなかで待っていると、西空で弱まった太陽がそれでも降りつけて、交差点の真ん中で地面の細かな起伏にちらちらと溜まってざらつかせて見せる。目の前を右から左へと行き過ぎる車たちの影が、丸く湧いてこちらの身体を包みこむようにして、足もとを次々流れて行った。車体のほうに目を向ければ、車がこちらの正面を抜ける瞬間、白さが屋根の一辺のその角に凝縮されて小さく膨らむやいなや、無摩擦でもう一方の端までまっすぐに滑り、そこでもう一度膨らみを輝かせて刹那ふっと離れて消えるその一、二秒足らずの線分の出現が、ほとんど目で追いきれないうちに何度も繰り返される。

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 駅前でまた、左右から挟む大きなビルのあいだの窪地に入れば、視界の先のその出口の中空に円形歩廊の一部が左右を繋ぐ橋のようになって、逆光のなかでその上を行く人間たちが、黒く塗り潰されて内実を失いながら渡っていくのが、人形劇めいた。ふたたび東急の脇から上に上がって、その歩廊の上を駅に渡って行くと、輝きを降らしていた太陽の圧迫が近くなった駅舎に隠れて視界から消えたと思うやいなや、またすぐに右方から白さの感触が瞳に差し掛かって来て、見れば図書館の入ったビルの大窓に嵌まりこんで復活しており、鏡写しになったそれはあくまで分身だが、それでも本物と同じく直視を憚らせる厚みと強度である。