2017/1/30, Mon.

 発ったのは四時頃だった。玄関を出ると、すぐ傍らの家壁が妙に明るいように、クリーム色に艶が出ているように一瞬映ったのは、我が家は北向きで正面は蔭を帯びているから目の錯覚のようでもあったが、実際、ひどく明るくまた、暖かい日だった――予報では、最高気温が二〇度だと言った。その暖気に誘われて姿を現したのだろう、歩きはじめてすぐに、細かな虫が空中を何匹も漂っているのが目についた。坂道の入り口付近には西陽が掛かって、脇に並び立つ木々はそれぞれに陽を受けて幹のところどころを明るませて、重なった樹皮の段を露わに見せている。そのなかに一本、位置の関係で陽を受けずに蔭に収まって、上から下まで黒いのっぺらぼうと化しているものもあった。木の間から覗く空は、雲も形を乱して浮いてはいるが薄水色に澄んで、木々を前にして蔭のなかにいると明暗の対比で殊更にその明るさが透き通っていた。前景に迫る樹幹と果ての空との対照的な絵図を見ながら、浮世絵の構図だなと一度思ったが、歩に応じてゆっくりと推移していく景色――木蔭の暗さと格子様に区切られて差し挟まれる青の澄明さと、中間的な媒介としてそれら明暗を繋ぐ西陽の斑――の、その流れるさまに、これだけでもうほとんど映画ではないかと思い直した。坂の途中で、図書館のカードを忘れたことに気づき、かといって殊更に焦るでもなく、むしろ歩く距離が増えたことを喜ぶような気持ちで、ゆっくりと来た道を戻った。右側の、先ほどの木の間とは逆側の林の、より密になった木々の向こうに西陽が輝いており、緑の網目に絡め取られたようになっていた。左手を見れば、家々が暖色をまぶされていて、坂の入り口の陽射しのなかにやはり虫が群れて湧いていた。家に帰って、カードをコートのポケットに入れると再出発した。ストールを巻いていたが、その裏の首の肌が既に汗ばんでいるほどの陽気で、外してしまっても何の不都合もないくらいだった。街道を行っていると飛行機が、突如として前方の空に現れ、斜めに切りこむように入ってきて視界を横切り、右手の――南の――空へと抜けていった。音はやはり、機体よりも遅れてその後ろから、撓みながら降ってきて、飛行機の姿は結構大きかったが、それでも距離が窺えた。明るくはあるが、雲もそれなりに空を埋めていて、裏道から見える森の裸木の連なりも雲と接しており、そうすると陽を受けていても、やや濁ったような妙な色に映った。横断歩道のある坂道では、先日も見かけたミラーによる楕円形の日向が、この日は前よりも時間がやや遅くて大きくなっており、道からはみ出すほどだった。

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 線路の上に張られた電線の、縦に二列並んであいだの距離を少しずつ変えながら伸びてゆくその合間を繋ぐように所々に置かれた、名も用途も知らないが何らかの金具らしい物体が、暮れに向かう陽の放射を受けて甘いようなオレンジ色を凝縮され、輝いている――脇に立った背の低い裸木の、もつれるように縦横に広がった枝の重なりも、普段は色味を落として不健康な血管の浮きあがりのようになっているが、この時ばかりは赤っぽく、血の通ったようだった。光っていた金具から伸ばした横線のちょうどその途上あたりまで来るともうその器具は輝きを失ってしまうが、その代わりに少し先のものがまた同じように朱色の熱を帯びるのだった。林の樹冠には、陰日向の境界線が既に引かれている五時前である。下校中の高校生たちが連れ立ってすれ違って行く裏通りは家々に挟まれた合間にまで届く高さも陽にはなくて薄青く、少々冷え冷えとしてきていた。十字路――先に薄日向の楕円形が描かれていたところだが――まで来ると、視界が横にひらいて、丘の上に千切れた雲が横面を茜色にしているのが見えた。どこからか、子どもたちの賑やかに叫びながら遊ぶ声が重なって渡って来る。歩きながら、ひどく自由で、何ものからも解放されているような感じがした。ニコラ・ブーヴィエのことを思いだした――彼が『世界の使い方』の端々に描きだしていた時間のことを。例えば次のようなものだ。

 エルズルムから東へ向かう道は車がめったに走っていない。村と村との距離もかなりあった。何かと理由をつけ、車を止めて外で夜明けを待つことがあるかもしれない。厚いフェルトの上着にくるまり、耳まで覆う毛皮の帽子をかぶって暖かくしながら、車輪を風よけにして焜炉の湯が煮たつ音を耳にし、夜空の星々を見つめ、カフカス山脈の方角へ向かっていく大地のゆるやかな動きや、闇に光る狐の目を感じる。熱い紅茶とわずかな言葉、煙草とともに時間が過ぎ、そして夜明けが訪れて光が広がり、輝きの中にウズラとヤマウズラがさえずる……。記憶に埋もれた死体のように、この至高の瞬間を早く流し去ろうとするが、いつの日か、記憶の底に沈んだものを探しに行くことになるのだろう。伸びをし、身体の重みが消えるのを感じながら足を少し動かす。自分の身に起きたことを言い表すには、「幸福」という言葉はあまりにも粗末で風変わりに思えた。
 つまるところ、人生の骨組となるのは家族でも経歴でもなく、他人が口にしたり思いうかべたりするものでもなく、いまここで感じているような、たまにしか訪れない瞬間、愛情よりも穏やかな浮遊感に支えられた瞬間だ。それこそ自分の心の弱さに応じてわずかにしか手に入れることができないが、人生そのものがこの瞬間を僕らに与えてくれるのだ。
 (ニコラ・ブーヴィエ/山田浩之訳『世界の使い方』英治出版、二〇一一年 、151~152)

 無為のなかの充実と、思いついた表現は陳腐なものであり、またおそらくは老荘思想禅宗めいてもいるのだろうが、そのようにでも言うべきだろう。実際、何をしていると言ってまさしくほとんど何もしておらず、ただ歩き、周囲の物音や、泡のような知覚のざわめきを拾っているだけだった――あらゆる目的性や未来(ということはつまり、いまここにないもの)への思慮の消え去った、ほとんど純粋な現在の持続? 身体には重みがあって、力が抜け、鞄を持った右手が垂れ下がり、脚も一部しか動いていないような感じで、歩調はよろめくような風があった。過去にもこのような時間を体験したことは何度かある。その時には、感興がより強く、あるいは鮮やかで、瞬間の訪れを感知するやその芽生えが、感傷へと一直線に、堪え性もなく無抵抗に直結することが多かったように思うが、いまは恍惚は低く留まって、胸のかゆくなるような感じが持続していた――まさしく、「愛情よりも穏やかな浮遊感」、そのなかでは、自分の足音の裏からさえ、音楽が聞こえてくるような感じがした。いつもこんな気分でいられたら良いのだが、と願わぬことを思った。こうした時折りの純粋な充足があれば、自分は読みも書きもせずに生きて行けるのかもしれないとも思ったが、それを、幸福なのかもしれない、と言い換えるのは、ニコラ・ブーヴィエも言うように、そぐわないような感じがした――それに実際は、体験の渦中にいる時から刻一刻と感じるものを頭のなかで言葉に変換し続けて――書き続けて――おり、帰宅したあとにも、翌日に記す時のことを考えてすぐにメモをしたためたわけで、やはり書かないわけにも行かないのだ。広めの空き地の横に差し掛かると、また空がよく見えるようになった。女子高生が二人、どうでも良いような雑談をしながらすれ違って行く向こうに視線を放つと、雲は行ってしまったらしく、往路に見えた灰色はなく、茜色と純白とが西空で重なりあっている。歩を進めながらも目をつぶりたくなるようで、そしてそのまま眠ってしまいたいような感じだった。ジョギングをする若者たちが傍らを過ぎて行くだけで、それが一つの景色として、あらゆるものが風景として目に映るような――とそう言っては大袈裟に過ぎるのかもしれないが、しかし、周囲のどんなものも自分と関係せず、あるいはそれとのあいだに距離が挟まれ、一歩引いて浮かびあがった位置から鑑賞するような位相にいる風にも思われた。裏通りから曲がって表のほうを向く頃には、もうだいぶ暮れが進んで、中学校の校舎の上で雲はやや濁ったような赤みを帯びていた。街道へ出ると、西の山の稜線上に捏ねて作った彫刻のような雲が一つ乗って、輪郭を綺麗に囲んで橙色を点けられていた。再度裏に入る時にはあたりの薄青さが濃くなっていた。三叉路の角に行商の八百屋が来ており、野菜を売りながら近所の婦人らと立ち話をしていた――そこを通り過ぎたところで、自分の胸を探って、ああ、終わったようだなというのが自然にわかった。先ほどから感じていた恩寵めいた時のことだが、それは目的地である自宅が近くなってその存在――すなわち、歩みによって区切られた時間の終わり――を意識したためかもしれないし、また、先の路肩の雑談のなかに、挨拶はしなかったが、こちらのことを多少なりとも知っている婦人がいたことが原因だったのかもしれない――なぜなら、こうした時間は絶対に、他人との関わりを意識する必要のない、自分がまったくのひとりとしている状態でないと起こらず、続かないからだ。下り坂の入り口から見えた空には、山の上に掛けて、鳥の羽ばたくのをコマ送りにしたような雲の乱雑な繋がりが浮かんでおり、一方の端で紫から始まったものが、青へと階調を移して行き、反対の端はそのまま、洋菓子の上に垂らされるソースのような同じ青さに染まった市街の上空へと繋がり、溶けこんでいた。