2017/2/1, Wed.

 朝食中、窓外の、川向こうの集落から弱やかな煙が湧き、漂っている。薄青いそれがなくとも、光の膜に籠められた山の姿は、それ自体でやはり青く煙ったようになっている――と思いながら、いつだったかまだそれほど経っていないはずだが、前の日記にも同じことを書いたなと記憶の刺激があった。何を燃やしているのか、どこかの家で枯葉でも処理しているのか知らないが、窓外の風景のなかに煙が立ち、山影と重なるのを見るといつも、眺望に牧歌的なニュアンス――まさしく「ニュアンス」――が付与されるのを感じる。山と言っても大した高さではなく、むしろ高めの丘と言ったほうが良いかもしれないくらいのもので、麓はひらけているわけでもなく家屋根が平板に並んでおり、「牧」という字が喚起させる広い空間などなく、勿論動物の姿も見えないのだが、薄青い煙の流れるさまがこちらのなかで、よほど「牧歌的」という語から想起されるイメージと結びついているのだろう。降る光にどこもかしこも明るくなっているが、並ぶ家屋のなかで、小屋か何かのものだろうかこちらを向いた片屋根が、最も光を吸収し溜めて輝かしく発光し、小さな長方形が視界のなかで一際浮き立っていた。

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 昼食時、同じ風景を見やるが、先の際立ち輝いていた屋根がどれなのか、もう正確にはわからない。光は角度を変えて、山も朝にはあれほど青く煙っていたのが、いまは乾いて、緑や、裸木や土肌(一画、木の伐られてひらいた斜面があるのだ)の、どちらかと言えば赤みを含むような褐色が明るんでいる。

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 往路、街道に出る前で、車がこちらの道に入ってくるのを見て脇に避けたところで、すぐ背後に接したガードレールの裏の斜面には、そう言えば梅が生えているではないかと想起されて、首を曲げてみれば、やはりもう薄紅色が全面に灯っている――とは言え、まだ咲きひらいてはおらず、蕾の丸みの感覚が所々に強かったが。