2017/3/13, Mon.

 二時過ぎに外出。空の曖昧にぼやけた曇り日だが空気は明るめで、風が顔に触れても、寒さに結実する数歩前に留まっている――と思いながらしかし、街道に出て正面からひっきりなしに流れる東風に、顔や胸のあたりに持続的に当たられていると、やはり冷え冷えとしてくるようだった。出る前に、かすかなものだが、漠とした緊張感のようなものがあったので、あまり頼るのも良くないと思いながらもロラゼパム錠を一つ服用したのだが、そのせいだろう、腰から下が軽く地に引かれるようで、自然に任せていると、歩いているうちに足取りが次第に重く鈍くなって行く。郵便局に寄ったあと、駅も近くなって、ランドセルに黄色い帽子で下校する小さな子らの活気のなかを抜ける頃には、肉体の内の流れが遅くなったかのようで、緩慢の様相に至っていた。

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 駅に上がると、向かいの小学校から子供らの声が響く。白い体操服姿でサッカーをやっているが、なかに色味の違った私服の者も含んで、球を飛ばしながら開放的にわいわい賑やかしているのは、この日の授業も済んで放課後の自由な遊びである。横目を送りながらホームを進んでいると、校舎の鎮座した石段の頂上の、端に直立した銀杏の木に目が留まった――秋には綺麗な金色の三角形を描いて燃えるごとくに天を指すものだが、いまは裸になって、しかし姿勢は崩さず、変わらずまっすぐ天を衝いている煤けた肋骨のような枝の、その先があまりに鋭く映った。校庭には紅白それぞれの梅が花を灯してもいるが、こちら側の端の、フェンスに沿って並んだ木々はどれも銀杏と同じように、裸になった分、枝の鋭利さを際立たせている。

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 降りた駅でトイレに向かった。室に踏み入ったあたりから、何か妙な音を感知し、小便器の並びにひらく角のところまで来ると、赤い表示のなされた個室のなかで、誰かが叫びのような声を出しているのだとわかった。それが一聴、異様という形容の相応しいだろうもので、甲高く、潰れたような声音で、音色だけでなく語の連なりもぐしゃぐしゃに崩されて、何を言っているのか聞き取られない。男か女かも曖昧なようだったが、男子便所にいるからには男なのだろう。小便を放ちながら、狂ったようになって背後に、沈んではまた高まりながら続くその声を聞いた。泣くとも怒るとも、慟哭とも憤激ともつかない、そのどちらも渾然となった嘆きの、あれが憎しみというものだろうか。一向に判読できないそのなかにふと、「母親殺し」という一節だけがはっきり浮かびあがって聞こえ、残った。穏当ではない。不穏当と言えば、こんなところで、他人が来るのも構わず、立て籠もったなかで憚らずに声を上げているその様子からして既に穏当ではないが、あとから振り返って、室に入ってそれを声と聞いた時から、狂いという語を思いはしても、恐怖も不安も感じずにただ受け止めるような心があった。叫びに中てられない程度には、個室を区切る薄い壁も力があったらしい。狂いたくなるほどの激情を被る事情もあろうと、手を洗って拭きながら静かになって、室を抜けた。抜けるとなかの騒ぎは、壁に阻まれ遠のき、聞こえなくなった。