2017/3/31, Fri.

 往路。雨さえ降っていないが寒々しい、灰色の午前一〇時である。とは言え、もはやコートを纏うほどの冷気はない。坂を上って行くあいだ、この日も左右の木の間から鶯の音が何度も膨らみ、また左の林からは画眉鳥だろうか、酩酊して鳴き散らしているような声がやや金属質に甲高く降るのに、鉄琴を滅茶苦茶に叩いた音が木々のなかに散乱しているような心象を思った。ここ二日三日ほどで明らかに、道行きに伴う鳥の声がかしましくなって、空気が活気を増したように思う。空はどこを見ても起伏なく白い。裏通りの白木蓮をまだ遠くに見ているうちに、金属を叩く音が行く手から響いてきて、近づくとその木の接した家の周囲に鉄骨が組み立てられている途中で、人足らが花の下にも入りこんで立ち働いていた。寺の付近まで行くと昨日と同じく、鵯の鳴きがかまびすしく立って、左手の林に集っているようだが、右の家々のあいだからも呼応が聞こえた。

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 帰路は、朝の鳥たちは林を離れてどこかに出かけているのだろう、道は静かで、声がないではないがそれも離れた位置から漂う感じに届いてくる。白木蓮の下まで来ると、前日と同様、またちょっと立ち止まった。黄の色の浸透した花は盛りも越えたのだろう、あちこちに、炙られて焦げたような茶色の染みがついて、そろそろ崩れの始まりかけている風情である。過ぎてちょっとしてから雨が散りはじめて、次第に粒が多くなり、顔に点じられる感触が煩わしいようになってきたところが、しかし傘もないので受けて行くほかなかった。上着やベストの繊維のあいだに水が引っ掛かって灰色混じりで白くなっているのを見下ろすと、液体であるよりは極小の固体の欠片のように映って、馴染みの、自分のなかでももはや手垢の付いた比喩だが、塩の粒を思った。