2017/6/8, Thu.

 午前から正午付近までは曇りがちな空だったが、昼下がりから陽の色が出はじめて、四時頃には山の近くに低く浮かんだ雲が青さのなかで、溶けかけの氷のように稀薄に貼り付いていた。自宅の傍の坂を縁取る林では、しばらく前から伐採を行っていて、出かけて通るたびに作業員が樹に高く取り付いているのを見上げていた。もう大方終わったようで、この日の夕刻には人の姿はなく、ガードレールのすぐ向こうに、断面がやや歪んだ切り株が並び、そのあいだに嵌めこむように丸太が何本も寝かされて、頭上を覆っていたものがなくなりひらいた空間に広がる初夏の空の、五時を過ぎてもまだまだ失われない明朗さが、アスファルトに薄青く降り宿っていた。
 坂を抜けると走った風に、何か嗅いだような気がして鼻を鳴らしても、嗅覚に判別される定かな匂いはないがしかし、風の柔らかさそのものが香るかのようで、なるほど薫風とはこのことかと得心が行く。先刻よりもさらに晴れて、街道に出れば陽が射しており、影が斜めに伸びて先を行く。ポケットに手を入れて、肩肘張らずに身をすっと伸ばし、苦労のなさそうな、軽いような影だった。陽は思いのほか強くて、裏道の角で丘の傍から放たれるのをまともに浴びればなかなかに暑い。波の上の揺蕩いを思わせるような、ゆったりと進む吹奏楽の合奏が、中学校から渡ってきて林に跳ね返っていた。
 夜は蒸し暑いほどではないが夜気の肌に馴れたようなのに、暗んだ林の方に目をやればいつかどこかの夏の記憶らしきものが兆すようでもある。雲がまた出ており、しかし大陸めいて広く渡ったその量感も露わに明るく、ところどころにひらかれた穴に空の深い色が覗いているなかで一箇所、裾の方のみ白さが仄かに重ねられてほつれたようになっていて、あそこに月があるらしいと見ていると、じきに現れたのが満月だった。光暈を広げて近くは黄に、円周は仄赤く染めて、確かに雲の内に嵌まっているはずだが明るさは突き抜けて陰りなく、泳いで行く。下り坂の入り口まで来て再度正面に見上げても、まっさらに照って表面の模様も窺われず、光そのものが集合して円く固まり、形を成したかのようだった。