2017/6/13, Tue.

 薄い雨が淡々とした調子で、室内に音も伝わって来ず、降り続き、鼠色に霞んだ空気の薄暗い日だった。午後三時半、外に出れば、シャツの上にベストをつけていても、いくらか肌寒いような様子だった。鶯の声が林から膨らんで、濡れた大気のなかによく響いて抜ける。雨は弱く、傘を打つ音も立たないほどだが、その分、風と言うほどのものもなくとも空気の揺動に流されて東から西へと傾き、傘をくぐって腹のあたりを湿らせる。小学生たちはその程度の雨は意に介さず、畳んだ傘を振って裏路地を走り回っていた。路程の終盤にはさらに弱まって、降るでも流れるでもなく、羽虫のような粒がただ横に浮かぶほどに衰えたので、こちらも傘を閉じた。
 帰りにはもうかすかな粒も消えていたが、道は水気を含み残しており、交差点の信号機の赤がかき氷に掛けるシロップのように路面に滲む。世の一般に比べれば大した長さの労働でないのに、無闇な疲労感が身に乗っており、身体を動かす勤めでもないはずがとりわけ脚が固くなっていて、後ろ足の伸びて蹴り出す動きのなかにこごるものがあり、頭も重って頭痛の兆しが見え、欠伸がやたらと湧いた。路地の途中に暗くひらいた空き地に掛かると、薄闇の底に敷かれた草の間に鳴く虫の音に、甚だ散文的で詰まった声だが梅雨の肌寒もあってのことだろう秋を思ったようで、いまは表の車の音にも紛れてしまうような僅かな鳴きだけれど、九月にもなればこの広場もあの澄んだ蟋蟀の声でいっぱいに満たされるのだろうと、硝子色の響きを頭の内で先取りして聞くような思いがした。