2017/6/20, Tue.

 昼下がりに到ると淡い雲が出てきて、陽の色味がやや抑えられ、粉っぽいような明るさの南窓だった。久しぶりに三〇度まで上がるらしく、シャツを着るとそれだけで、肌に触れる布地の感覚が煩わしいような夏日である。木の下の坂を行くあいだから既に汗が滲み、抜ければ肌はさらに粘る。街道は、前日は道路いっぱいを覆われていたものだが、この日は時間が早くて北側の家々から湧く蔭の丈がまだ短く、辛うじて歩道を隠す程度であまり恩恵にもならないそのなかを行きながら、これから二時間ののちには、蔭が対岸に届くほどに伸びるわけだと、その成長を思った。
 まさしく身を包みこむ種類の暑気のなかにあっては湯を浴びているのとさして変わりもないかのようで、路地を行くうちに気怠さが湧き、熱の厚さ重さに、不安はないが、このまま知らぬうちに意識をふっと落としたりはしないかなどと、ちょっと頭に過る。風は道の端々にあって、盛ると背は強く熱されたまま身体の前だけが涼んで汗が冷えるのに、思わずくしゃみが飛んだ。小学校では水泳が始まっているらしい。通った女子の小脇に抱えた色鮮やかなプールバッグがきらきら光るのに、まるでブランド物の鞄を抱いて毅然と街を行く婦人のようではないかと、大人びて映った。
 夜気も涼しいというほどでなく、温さが残って、襟に囲まれた首もとがとりわけ湿る。往路の終盤でも陽が少々減じてはいたが、それから本式に雲が湧いたらしく、いまはなべて均質に空は曇って星など一片も現れず、西では山影さえ霞んでほとんど吸収されかかっている。道には虫の音が、オーディオノイズめいてまっすぐじりじり伸びるもののほかに、同じノイズでもいくらか音が高くて撓むものなり、それらとは異なって空気をはらんで震える翅の軽い響きの明瞭なものなり、種類が増えて夏めいていた。