2017/6/30, Fri.

 前夜は窓の奥、遠くで、雨の気配が幽か兆しながらも降りまで結ばれずに収まることを繰り返したのち、三時の遅きに到って、さすがにもう眠ろうという瞑目の内に始まった。午前は降り続き、墓参に出た正午過ぎ、止んだなかに風は立たず、せめて涼気が寄ってくるでもなくて、外もなかも変わらぬような空気だった。
 玉のように円く太った紫陽花の寺に、平日の昼下がりで、雨のあとでもあってひと気はなく、墓地の上空に掛かった電線に、燕が並んで声を降らせるのみである。墓所を片づけ花を供えて、線香もあげてそろそろ行こうかというところに、近くの墓石に鳩が渡ってきて、それが我が家の墓所にも近づいてくる。駅前にうろついているのをよく見る種の、灰青色に落着いて首もとに緑や紫の差し込まれたのとは違って、土埃を被って褪せたような、土着の匂いの強いような鳩で、首の脇にはこちらは、小さな縞模様が飾りのように入っていた。眺めつつ立ち去りかねているうちに、墓のあいだを来る人があって、それがちょっと離れた街に住む大叔母である。鳩に留められて、たまたま行き会った形になった。彼女の持ってきたのも合わせて改めて花を調え、米も供えるあいだ、鳩は人に怖じず、墓石に乗って無遠慮に歩き回り、米を啄みはじめて終いには、大した勢いで貪っているのに、亡き祖父の妹は、おじいさんおばあさんがやって来たのだなどと言っていた。
 両側に分かれて戒名の刻まれた墓誌に、新たな名を彫る余地があと三人分くらいしかないななどと、混ぜ返していたところ、今まで気づきもしなかったがよくよく見ると左側の、幼いうちに亡くなったらしい者ら三列のなかに一人、童女とついた戒名だけで名の記されていないものがある。昭和五年と刻まれていた。祖父は大正一三年の生まれと言うから、六つの差になる。満州事変の起きた一九三一年に生まれて嫁に来た祖母には、一つ違いの義姉となったろうその子について、あとで大叔母に尋ねてみると、この人はいま七〇過ぎの末妹で詳しいことは聞いていないが、何でも「はつこ」という名の女児がいたとか言う。墓誌には書かれていないのだから、死んだあとから与えられたものなのだろう。それぞれに老いて弱りながらも生き長らえている祖父の妹たち五人の、その先に生まれながら、名を受ける間もなく逝った長女があったらしい。
 駅まで送られた大叔母とともに車を降りて、こちらは図書館に入った。出た暮れ方、西にひらいた雲間から絹のように伸びた黄金色のなか、近間のドラッグストアへ歩いた。横断歩道に止まれば、向かいの人々の顔の、片側は光を浴びて色づき、片側は影を帯びて、誰も夏の日によく焼けたかに見える。買物が済むとあたりはもうだいぶ黄昏れて、金色は低く、建物の裏に隠れたが、西にひらいた道の果ては、埃が密に舞うかのように琥珀色に霞んでいた。