2017/8/5, Sat.

 四月二〇日に兄夫婦に生まれた姪の百日祝いで、朝から都心へと出る都合だった。両親から少々遅れてゆったり歩く道の上、空は雲がちではあるが陽が露わに明るく、数日ぶりに肌を照られる感覚がある。暑気に浸けられながら最寄り駅へ行き、電車内では瞼を閉ざして眠りを稼いだ。それほど深く落ちたわけでなく、行き過ぎる駅々の名をアナウンスに聞いていたが、終点に着いてみればそれまでの時間がひどく短く、あっという間の感が立った。乗り換えては席に空きがないので、扉際で谷崎潤一郎を読みながら到着を待ち、新宿で降りるとうねり返る雑踏を抜けて地下鉄に移った。地下鉄を利用するのは久しぶりで、乗っているあいだは頭がびりびりと痺れるような轟音に、こんなにうるさかったかと驚いたものだ。
 駅から繋がった複合施設のなかにあるスタジオに両家で集って写真撮影、撮影者の女性がさすがに慣れたもので、唇を震わせ頓狂な声を発して赤子をうまく笑わせて、写真には満面の笑みが収められることになった。一時も近くなってからふたたび地下鉄に乗ってお食い初めを行う料理店に移ったところ、先ほどはあんなに機嫌良く笑っていたのに、ここでは姪は落着かず、儀式のあいだもまさしく雷のような凄まじさで泣き叫んだ。祈願の終わったあとは会食となり、こちらは例によって大して言葉も発さずに出される品々を黙々と食い、四時を間近におひらきを迎えたあとは、兄夫婦、あちらの両親、こちらの両親と順当に別れて、一人電車に乗りこんだ。前々からその評判を聞いていた荻窪古書店に寄ってみるつもりだった。
 夕刻を前にしても暑気はさして弱らず奮って、液体のようになった光が細胞を溺れさせんばかりに肌に沁み入ってくる。古書店では長く見て回るうちに欲を駆られて、二、三冊にしようと思っていたところが結局九冊を買わされた。出る頃には暮れに入って、雲の広く伸し掛かった下であたりは半端に濁ったように薄暗み、どことなく匂うような風合いを帯びて雨の雰囲気かとも思われたが、西は半分晴れており、そちらまで及んだ雲の縁に夕陽の黄金色が滲んでいた。自販機で買った水を身体に補給しながらそれを眺めたあと、重った紙袋を胸に抱えて駅に戻り、電車に揺られながらまた谷崎を読んだ。
 この日は地元の花火大会に当たっていて、降りると田舎町のホームが珍しく人群れで沸き返っており、警備員が客を誘導する一方、ホームからの花火見物は禁止されていると頻繁なアナウンスがかしましい。こちらは乗り換えを待つ必要があるのでベンチに座り、本を読んでいたところが、突然破裂音が轟き降ってきて、人々のどよめきとともに花火が始まった。すぐ近間の丘陵公園から打ち上げており、大きく花開く炎の輪が空いっぱいに迫って絶好の眺めであり、さすがに書物からも視線を離し、首を後ろにひねって見上げる。炸裂する響きの耳のみならず身体を圧して重く、ホーム全体が振動しているのがわかり、また押さえたページにも震えが伝わっているのを指先で感じ取った。夜空に撒き零されるとりどりの宝石めいた輝きをまっすぐ見上げれば勿論壮観だが、身体を前に戻したそちらでも駅舎のガラスに光が映りこんでおり、窓の大きさに切り取られたために図形の統一を失って細かく立ち交じるようになった彩りの、無愛想な建物を鮮やかに装飾するようでそれはそれでかえって見ものだった。