2017/8/18, Fri.

 玄関を出ると、湿り気の肌を囲んで重いような朝だった。低みに走る川から靄が湧いてわだかまっており、ある高さを境にぴたりと切れてまっすぐな上端を印すその濁りの、電線のあいだに見れば隙間なく緻密に蜘蛛の糸が張られたようだった。数日籠ったあとの外出で、坂を満たす蟬の声のなかに入るのも久しぶりのことだ。空気はあまり流れないが、汗が滲む蒸し暑さでもない。傘を持ったが使う機会はなかった。
 裏通りの一軒を彩る百日紅は、見ない間に花が落ちて、その残骸も地にも塀の上にも少なく、縮れたピンク色の嵩が随分と減って軽い装いになっていた。しかし例年、ここからまた、終わったかと思えば息を吹き返すかのように長く咲き継がれるのが、この花の常である。もう一本、駅の近間の小社に生えたものが目を惹いた。紅色の濃くて緋に近く、それほど膨らみ盛るでないが梢の各所にひらいた花の、その整然とした鮮やかさに、視線をじっと捕らえられながら通り過ぎた。
 働くあいだに雨が通ったらしく、仕舞えて出てくると道に濡れた痕が残っていた。建物の合間に覗く丘に霧の掛かって、何か見馴れぬような知らない場所のそれを見ているような、住む町の風景が風景らしく見える日である。空気はやはり停滞しており、蒸し暑さが生まれていて、欠伸を洩らしながら行く道の曇った白さが、まだ昼下がりなのに五時頃のような感じがした。
 行きにも通った百日紅を反対側から通り掛かって改めて見やれば、あれほど花の重って塀からはみ出た枝の低く垂れていたのに、今はすらりとした立ち姿を保って、まるで枝が短くなったようだと思われた。家の傍まで来ると川の靄は薄まっていたが、山は空から一続きに乳白色の霞みに籠められて、何層にも重なった白さのかえって薄明るいような、見ようによってはかすかに眩しいようなと感じられた。