2017/8/30, Wed.

 七時台に一度覚めても、前夜と変わらず鈍い痛みが顔の奥に居座ったままだった。出先に長く留まって活動してきた夜など、頭痛を起こすことはしばしばあるが、眠りを跨いでも痛みが抜けないのは珍しい。ひとまず起きて、効くかどうか疑わしかったが風邪薬を飲み、食事を取るとふたたび眠った。正午を越えて意識が戻ると経過は良好、気怠さが薄くなごってはいたものの、忌々しい鈍痛はほとんど消えていた。風邪にしては喉の症状がまったくないので、花粉の影響で一時的に鼻炎を生じたのではないか。
 体調も戻ってアイロン掛けをこなしていると、暗く閉ざされていた空に雨が始まり、にわかに搔き降って一時はテレビの音も聞こえないほどだったが、すぐに衰えた。しばらく秋虫の声のみが聞かれていたが、広がった静けさの奥からじきに蟬の音が戻ってきて、雷も遠く伝わってきた。出かける頃にはほとんど降り止んで、坂を行けば枝葉に溜まった水がぼたぼた降って肩に水玉模様を作る。湿り気をふんだんにはらんだ風が肌をべたつかせ、髪の奥まで痒いようになる。薄くせせらぎめいた蟬声を聞きながら裏を行くうちに、雨がふたたび勝って傘をひらいた。
 この日は鼻水を垂らすこともなくつつがなく勤めが済んで、出ると途端に虫の声が耳をくすぐる。風も吹かず、動きというほどのものもなく、虫の音のみに彩られて静寂を湛えた夜道を伏し目がちに歩いていると、意識が暗がりの内へと溶け出すかのようで、心地良い夜だった。傘を差すと、細かな雨音がそこに加わる。暗夜に雨の線も見えず無頓着に行くうちにいつか、思いのほかに降っていて、粒は大きくないがじきに繁くなり、雨に濡らされた上から電灯を掛けられた百日紅が、紅色を変じて鈍い橙を発していた。
 妙なもので雨音の内に、祭り囃子の太鼓を聞いた。すると歩道の脇を流れる水の音にも、木魚のようなクラベスのような、木製の鳴り物めいた響きが含まれはじめるが、いずれ陰気な祭りだ。坂の上から望んだ空は霧混じりの仄白い闇に塗られて暗い。下りて行くうちにふと、傘の裏に視線が嵌まって、微生物のような細い曲線状の光が無数に演舞を繰り広げているのを、黒い生地を透かして見つけ、目を奪われた。表面に付着した雫の縁を、微細な光が辿って滑り回るものらしい。原始の生命体を思わせるその蠢きに惹かれて目前ばかり見つめていると、目に映る像が途切れ途切れのスローモーションのようなぶれを帯びてくる。凄い凄いとただ喜んで足もとを顧みない、ひとときの童心の回帰だった。