2017/9/27, Wed.

 坂道の脇の草の間に紅色を差しこむ花々も、彼岸が明けて大方は色褪せ、細い先端をだらりと垂らして天を指さずに萎んでいる。空は一面平らかに曇って、しかし太陽が、西空を見ても白さのなかにその気配すら窺えないが、暖気をいくらか通してくるのか、少々蒸すような感じがあって、ワイシャツだけでも肌寒くはない。
 たまには違う道でも取るかと路地に入らず街道を進み、北にも渡らずあまり歩かない南側を行くが、だからといって特段、普段は見えない印象深いものたちと出会うわけでもない。路上の空気は何か仄暗いというか、一時間余りあとの暮れに掛かる頃のそれを先取ったような感じで、くすんだ色合いがどうも雨の気配を醸し出している。家にいるうちから、風の音の高まって窓に寄せる間があった。排ガスの臭いも漂う街道で、あたりに植物もあまりないのに、どこかの家の小さな草に隠れているのか、車の音の重なる合間をアオマツムシの音[ね]が割って、走行音の満ちたなかにも鳴いて聞こえるものだなと耳を寄せた。
 働くあいだにやはり雨が降ったらしいが、引けた頃には消えていた。駅を降りて来た人らと一緒にコンビニの前に差し掛かったところで、突如として目覚めたようにはっとする感覚が訪れた。今しがたそのなかをくぐり抜けて背後に置き残してきた労働の時間が、陳腐な比喩だが夢であったかのように茫漠とし、本当にあったのかどうか疑わしくなるようで、いつの間にかどこかからここに飛んできたように感じられるこれもまた、前日に続いての離人感の一種だろう。
 夜道に漂う涼しさが時折り肌に寄っては来るが、何か貼りつくようなと言おうか、柔らかく撫でて過ぎる滑らかな快さのそれではなかった。空き地の上に広がった空は東から西の隅まで一様に平板で、何の形も見えず何色というほどの明瞭な色もなく、積極的な意味素の一つも含まずにただあまりにも空漠とひらけている。月はそろそろ落ちる直前のものが見られる頃のはずだが、樹々を吸収する西空の闇に気配すらなかった。

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 裏通りから表道へ折れるこちらを車が追い越して行く。テールランプの赤い光が、車の背後に分離して置き残されるように、粒子状になって宙に漂うのは、まだ空気に湿り気が残っているものらしい。