2017/10/4, Wed.

 四時頃になってアイロン掛けをしながら見やった窓の外で、樹々や山が薄陽を掛けられて少々色を変えている。一方で空が青灰色に沈んでいるのは、ありがちで馴染みの比喩ではあるが、広げられた毛布のような雲がいくらかうねりを形作りつつ遥か先まで覆っているからで、そのなかで地上のぼんやりと明るんでいるのが不調和なようだった。それから僅か数分後には明るみも消えて、果てまで伸びた雲の先端に小さく覗く市街の建物に、仄かな色が残るのみである。
 家を出るとちょうど車が通り過ぎて、道の端に薄く溜まった葉や樹の屑がちょっと浮かんで、足もとを見れば、誰か掃き掃除をしたのだろうか落葉の一枚も見当たらず広々としたようで、それにすっきりと片付いた気分を覚えるでなくむしろ空虚の感が立ち、先ほどの木屑の浮遊も思い返して物侘しさの滲まぬでもない。寄ってくる空気も、涼しいを越えて肌寒さの域に踏み入っているのが、なるほど一〇月というわけらしい。宙に残照の気配もなくて、街道の上にわだかまった雲の、薄墨色に澱んだものに辛うじて赤味が混ざっているが、そのせいでかえって、気色の悪いように濁っていた。
 職場を出たのが電車の着く合間で駅から降りてくる人々もなく、車の通りもちょうど途切れたところで、夜の駅前に随分と純な静けさが広がっていた。裏路地を行きながら見上げた夜空に、コーヒーに垂らしたミルクのように、微妙に揺らいだ乳色の筋のただ一つのみ流れているのは、そこに雲があるのではなくて、ほとんど隈なく敷かれた雲の幽かな切れ目のほうであり、中秋の名月とは言うものの生憎の空模様に、さすがの月も自己の存在を示す頼りをほかには何も持てなかったのだ。ベストを身に着けてはいたが、そこから出てシャツにしか守られていない二の腕に、夜気はやはり寒々と触れる。道は静かで、気温の下がったためか秋虫の活動の乏しくて、駅前があれほど静まっていたのも、虫の声が遠く小さくなっていたからだったのだろう。並ぶ家々の時折り途切れて林のなかから響いてくるのは蟋蟀の類であり、ちょっと前にはあれほど精力的に鳴きしきっていたアオマツムシが、ほとんど聞こえず消え去っていた。