2017/10/9, Mon.

 間道をしばらく通り、表へと出て街道を進むそのあいだにも、歩道の上に細く薄青く伸びた自分の影の、懐かしいような穏和な明るさに包まれて、歩くほどに長く引かれていくような斜陽の四時である。表道から一つ折れて正面のアパートの、低く並んだ垣根の葉に西陽が宿って金色の雫の溜まったようでもあり、また飴細工にでも変じたようでもあるその輝きを見ていると、二つ目の角を曲がって路地へと入るその僅かなうちに、角度の具合で琥珀色のさらに強まって、短い合間で急速に磨きこまれたかのように葉が金属的な硬質さを帯びていた。
 駅のホームに入った時には西空の果てに太陽が眩く、織りなされている山影の仄かに青く染まっていたが、電車のなかで揺られるあいだに外は次第に暮れて行き、立川の街に着いた頃には空は暗んで黄昏の頃、濃い醤油味のラーメンを食って腹ごしらえをしたのちに、意気揚々と書店に向かった。武田宙也『フーコーの美学――生と芸術のあいだで』を読んで大層面白く、後期から晩年のミシェル・フーコーの思考を詳しく学ばねばなるまいというわけで、「性の歴史」シリーズ三作やらコレージュ・ド・フランスの講義録やらを一挙に買ってしまおうと、欲望に引きずられて勇んで街に出てきたのだった。モノレールの線路の宙に掛かった広場に入ると、見上げた夜空には海底の砂埃のように白濁色の雲が掛かって、黒さがいくらかくすまされている。そこから高架歩廊に上ったところで、アオマツムシの鳴きに気づいた。赤みがかった電灯の彼方へ向かってまっすぐ長く連なっているその広場から、まさしく形象を同じくして直線のように張った虫の音の伸び出てくるのを耳にするうち、ちょうどモノレールがやってきて騒音を降らせはじめたが、過ぎて背後に置き残し、電車の音は聞かなかった。
 目当ての書物を買いこんで書店を離れ、歩廊の上から道路の先の交差点の方を見通すと、黄色に緑に赤の街灯[まちひ]の遠くで交錯して艶[あで]であり、さらに見ていると、あれは交差点に集う車のものだったのか、路上に置かれたような明かりの薄金色と白のものとがゆっくり消えたり現れたりして目を惹いた。駅に戻って電車に運ばれ本を読みつつ町々を渡り、宵も進んで最寄りに至ると、入った下り坂の奥からふわりと、湧き上がる香気のようにして風が広がり、肌にちょうど良い涼しさの夜だった。夜空の端の丘の間近に、まだ出たばかりで相当に低い月が、絵筆を誤って触れてしまったような半端な形で現れており、濃い橙で弧を上に掛けたいびつな姿の、辛うじて半月を成していないでもないそれの、体を丸めた芋虫にも見え、そこだけ際立った朱の色合いに場違いな夜空の闖入者の感が立てば、それこそUFOという語を戯れに思わせるようでもあった。