2017/10/16, Mon.

 朝から衰えずに降り続けて盛んな雨の夕方を行けば、南の遠くの樹々も山も褪せた青さに霞まされて、地から天までまとめて水没したかのような暮れの景色である。上着の下にベストも着込んだ装いだったが、時折り傘を持ち上げながら吹く風の、明確な寒さで服を貫く。ライトの黄色を路面に塗りたくって走る車の、背後に撒き散らしていく飛沫までもが後続の光に照らされて、たった一瞬、金色に染まって視界の端に崩れて行った。
 路地を埋めている静けさに、雨降りだと音も光も増幅されて表の道は随分騒がしかったのだなと、今更に実感させられる。降りの勢いはなかなかのもので、路上に水を避ける場もなく靴の内がだんだん湿り、上着の裾も濡らされたので、触れないように手をポケットに突っ込んだ。通りは暗く、路面に映ってぼやける灯りの調子を見ても既に夜めいているが、森の方を見やれば線路の向こうに立つ家の、戸や窓やらの成す表情がまだ細かく見分けられ、樹々の梢に接する空にも薄青さが僅かにあって、雨の日暮れの澱みのなかでも存外光の残っているものだと見た。鼻先と耳の縁が冷たくて、歩くうちに耳の方には痛みも滲みはじめたのが、早くも冬の風情だった。
 道の途中でどこからかピアノの音の漂ってきて耳を寄せれば、ちょうど差し掛かった石塀の向こうの木造家屋の内からである。ローベルト・ヴァルザーだっただろうか、もっとも美しい音楽というのは、道を歩いている時にふと、どこかの家から洩れてくるピアノの音色のことであると、大体にしてそのようなことを誰か書いていた覚えがあるが、実際、雨音の散文的な響きのうちに突如として湧き出してきた演奏の、曲の趣味も巧拙も措いてそれだけで、色と匂いのついた気体のように甘くて魅力的だった。