2017/10/22, Sun.

 台風の迫り来つつあると言う雨の宵、道に出た。肌寒さというほどのものも感じられず、降りにもさしたる勢いはなかったが、林に挟まれた小橋に掛かるとさすがに沢の水音が大きく膨らんで、流れの途中に段差があるのでそこを落ちる水の響きが、樹々に囲まれた闇の奥から強く広がり、空間を埋め尽くす圧力に橋の上の身が包まれる。過ぎて坂を上っていると、頭上の雨音の出し抜けに高まり、切迫するような調子をしばらく帯びて、表の道まで進んで気づけば膕の位置さえ濡れていた。水の溜まった街道を渡り、ひと気の絶えて暗く籠った通りを行くなか、衆議院選挙の投票日だがこれでは老人は出てこれまいと、そう思いながら雨を受けた。
 投票を済ませて出てくると防災放送が空に響いており、近間のコンビニに向かって細道を行けば、土砂災害警戒区域高齢者は避難準備をするように、場合によっては避難を始めるようにと、そんなようなことを言うのが聞こえた。雨はまた軽くなっていて、自分のいまいる場所ではそこまで差し迫った空気も感じ取れず、緩く下った道の奥からは肌を擦らずすり抜ける類の柔らかな風が湧き上って、表まで出れば電灯の暈の内の雨粒も、駆けずゆったりと流れて緩慢さすら覚えるようで、まさしく「降る」という語に似つかわしいような降り方と思って通りを渡った。
 払い込みを終えて就いた帰路、裏道の途中でふたたび雨が烈しく荒れはじめ、今度はすぐに収まる気配もなくて傘の内に閉ざされたようなそのなかに、脇の家から洩れ出るものか道端の植物から溶け出すものか、風呂やら食べ物やらを思わせる匂いが微かに触れた。既に靴はいくらか重ってなかの足も濡れてはいたが、それが一層水気を吸って重くなり、道の上もどこを踏んでも似たようなものなので、左右にわざわざ避けることなくまっすぐ進んで水を散らす。厚い雨音に包まれているのを良いことに、気ままに口笛を吹いたり鼻歌を鳴らしたりしながら、ズボンの裾を濡らして帰った。