2017/11/20, Mon.

 例のごとく、一〇時頃に一度覚めたらしい。時間を認識して即座に、ここで起きれば六時間だから悪くないと睡眠を計算したようなのだが、これもいつも通り、また眠りに捕まって、一一時を越えた。何度も意識を取り戻す浅い微睡みを通過しながら、決定的に起きることができなかったのには、寒さのせいもやはりあったのではないか。結局一一時四五分が正式な起床時間となり、一二時一〇分から二七分まで瞑想を行うと部屋を抜けた。
 以前に買ってきたレトルトのカレーがあっただろうと思いだし、食事はそれを食べることにして、玄関のほうの収納棚から箱を取りだして、鍋でパウチの湯煎をした。ほかに前夜の野菜スープの類も一緒に食べるあいだ、新聞からはジンバブエの情勢の続報を追った。二面にある「ムガベ大統領、退陣不可避 ジンバブエ 与党代表解任」という記事を読んだはずだが、これについてはあまり良く覚えていない。一一月二四日の深夜二時七分を迎えている現在、ムガベ大統領の退任は既に現実のものとなっており、いまざっと見ても特に写しておきたい情報もなさそうなので、この記事については書抜きを行わない。その後一面に戻って、「日本版トマホーク開発へ 政府検討 対地・対艦ミサイル」というトップ扱いの記事を読んだが、これに関してはいくらかの情報を書抜いておくべきだろうと判断される(「トマホーク」というのは、今年の四月六日(シリア時間だと七日の午前三時台で、新聞の一面に、暗闇を背景にした艦の写真が載っていたのを覚えている)に米国がシリアのシャイラト空軍基地を攻撃する際に使用された巡航ミサイルである。その時には五九発が撃ちこまれた。当時写しておいた関連記事を下のほうに改めて引いておく)。
 室に帰ったあとは、普段だったら他人のブログを読むなり自分の日記を読み返すなりをするところだが、この日は『ダロウェイ夫人』の気になった箇所を日記に抜き出し、場合によっては短いコメント(個人的注釈)も付すという作業に時間を費やした。ちょうど一時間ほどそれに掛けると、それだけでもう二時半近くを迎えており、そろそろ外出の支度を始めなければならない。しかし身体をほぐすことだけはしておくことにして、多分またtofubeatsを流しながら柔軟運動を行い、その後で前日に引き続きSuchmos "STAY TUNE"を歌ったらしい。この曲のMV(ミュージック・ヴィデオ)のなかでこちらに一番気に入られるのは、一度目の「Scramble comin'」のあたりで、顔を前に突き出すようにして首をちょっと傾げながら視聴者にまっすぐ視線を送ってくるさまが挑発的で好感が持てるものだ。さらに、その後に続く短い「yeah yeah」の発声に合わせて、逆方向にまた首を傾げるとともに、眉を見ひらいてみせるというのも、いかにもな演出で少々「あざとい」と感じられなくもないものの、挑発の具合としてはさらに高まり生意気ぶりが増していて格好が良いと思う。
 その後上階に行き、ゆで卵一つのみを食べて僅かなエネルギーを補給すると、下に戻って服を着替えた。服を脱いで新たに身に着けるその背景には、またもや"STAY TUNE"を流していたらしい。そうして出発すると、道の先の楓の、赤々と鮮やかにあるいは艶やかに装ったのが目に映えて、もうすべて赤に染まりきっているなと見ながら近づけばしかし、表面の紅の奥に隠れてまだわりあいに残っていた薄緑が、突如湧き出すようにして現れ、それに一瞬の微かな惑乱が差し挟まったようで、はっとするような心地になった。空気の質感は明らかに冬のものだった。最高気温が一〇度、最低が五度ではそのはずだろうと、新聞の天気欄に読んだ数字を思い出しながら道を行った。
 行きもなかなかの肌寒さだったと思うが、夜の帰り道は当然ながら冷気がさらに厳しくて、空気の冷たさがここで一段移行したなと、そんな風に感じられるものだった。裏路の先には女性が一人歩いており、あちらが振り返ったところに、視線など見えてはいないだろうがちょうど真っ向から目が合うようになり、その後は追い抜かせるでもなく自ずと遠ざかるでもなく、互いの歩みの速さがちょうど良く噛み合って、そんなつもりは勿論ないのにあとをつけるようになるのに何となく決まりが悪い。それで辻から表に出ることにして、曲がったところで目に入った東の空が、寒い時季特有の凍てたような、金属的な質を帯びている。この寒さではさすがに、何か温かいものでも飲みたくなるなと自販機を見ながら行って、酒屋の横でココアを見つけたので、買ってその場で立って飲んだ。立ち尽くしてちびちびやっているこちらの前を、夜でも意外と人通りがあって、自転車や徒歩やらで何人か過ぎて行く。ちょうど丁字路のところで、正面にひらいた下り坂の向こうに、電灯の白い塊が四つ五つ、行儀良く整列しているのが目に入る。ココアを飲み干してもそこにごみ箱がなかったので、缶を持ったまま歩き出したところ、冬には良くあることだが中身のなくなった缶が途端に冷気を吸いはじめて、指が大層冷やされるので持て余した。持ち手を変えながら進んで、ローカルなコンビニめいた商店のところでようやく捨てることができた。
 帰宅後は、Ernest Hemingway, The Old Man And The Seaを三〇分読み(英語に触れることはこの時以来今まで(一一月二四日の午後九時三六分まで)怠けている)、食事を取りに行った。(……)テレビには、何の番組だったのか忘れたが、「ANZEN漫才」というお笑いコンビが取り上げられており、このうちの「みやぞん」という人が特に人気らしく、彼らは今年の学園祭にも引っ張りだこだという話だったが、こちらはこの人々の存在をここで初めて目にするものだった。彼らのパフォーマンスが面白いものなのかどうか、こちらには良くわからなかったが(そもそも密着取材のような形のVTRで、舞台上での芸の場面はあまりフォーカスされていなかったのだが)、会場いっぱいに集まった観客らが楽しそうに騒いでいるのを見て、あれだけの人間たちを一挙に沸かせることができるのだから、やはり大した能力なのだろうなと思った。夕刊からは、「ムガベ氏 辞任表明せず ジンバブエ 与党、弾劾手続きへ」という記事を読んだが、先にも記した通り、ムガベ大統領は既に辞任しており、後任となるだろうムナンガグワ元副大統領が南アフリカから帰国して、「我々は新たな民主主義の誕生を目の当たりにしている」というような演説を行ったと、今日(一一月二四日)の朝刊で読んだところである。この時にはまた、「ドイツ 連立協議決裂 FDPが離脱表明 メルケル氏に暗雲」という記事も読んだ。これについても、ちょうど今日の朝刊に続報が出ていて、自由民主党(FDP)との交渉に失敗した与党が、大統領を仲介役として、下野を表明していた社会民主党SPD)に連立への復帰を働きかけているというような話だった(社会民主党と連立できれば、合わせて三九九議席になって、下院の全七〇九議席過半数を悠々と越えることができる)。
 食後、一〇時から五〇分ほど書き物をしたのちに風呂に行った。湯に浸かって、身体を水平に近く寝かせながら周囲に視線を動かすと、浴槽の縁の上面に溜まった大小様々な水滴に目が惹き寄せられた。平面から緩やかに盛り上がってなかに微細な光の反映を含んでいるそれらの、液体でできているというよりは、貼りつけられたセロファンか何かが空気をはらんで内側から小さく膨らまされているようにしか見えなかった。髭を剃って上がり、自室に帰ると、ふたたび一一月一七日の記事に取り組み、それで気づけば三時間以上が経っていたから、やはりこちらの本分というのはこうした方向の書き方なのだろうなと判断された。一一時三六分から午前二時五八分まで続けて八〇〇〇字弱を足し、一七日の記事は全体では一四〇〇〇字を数えるというから、なかなかに長い。
 その後は三時半前からヴァージニア・ウルフ土屋政雄訳『ダロウェイ夫人』を読み(三四頁から四五頁まで)、就床前の瞑想に入った。何かか細い持続音がかすかに鳴っているのが右耳に捉えられたが、室内の何かの機器の発するものなのか、それとも自分の身体が作り出している耳鳴りなのか、区別が付かなかった。一九分を座って、四時四〇分に床に就いた。


ヴァージニア・ウルフ土屋政雄訳『ダロウェイ夫人』光文社古典新訳文庫、二〇一〇年

●13
 「なぜこれほど生を愛し、生を見つめたがるのか、誰も知らない」
 「みな生きることを愛してやまない」
 「人々の眼差しに(……)わたしの愛するものがある。怒鳴り声と喧騒に(……)わたしの愛するものがある」

  • 「(生に対する)愛」のテーマ。

●14
 「青みがかった灰色の朝の空気が、柔らかい網目のように辺りを覆い、でも時間とともに薄らいで、ほどけて、競馬場の芝に飛び跳ねるポニーが見えてくる」

●15
 「わたしも同じだ。愚かしくもひたむきに、情熱的に、この生を愛し、のめり込んでいる」

  • 「(生に対する)愛」のテーマ。

●17
 「いまは六月。木々の葉が出そろい(……)」
 → 12: 「ピーター・ウォルシュ……もうすぐインドから戻る。六月? 七月?」(「六月」の初出。しかしここでは、現在時の明確化ではない)
 → 13: 「生と、ロンドンと、この六月の一瞬がある」
 → 13: 「いまは六月半ば。戦争は終わった」

  • 「六月」の反復的明示。

●17~18
 「天の生気が波となって木々に押し寄せ、葉を熱くまぶしくそよがせる。クラリッサはその生気を愛した

  • 「(生に対する?)愛」のテーマ。

●18
 「離れ離れで何百年。ピーターとはそんな感じだ。こちらは何も書かないし、向こうから来る手紙は味も素っ気もない。でも、ときどき、ふと、あの人がここにいたら何と言うかしら、と思う。日により、光景により、あの人が静かに――昔のとげとげしさを捨てて――戻ってくることがある。たぶん、かつて人を好いたことへのご褒美ね」

●20
 「わたしは何も知らない。(……)なのに、いま、目の前のすべてに心を奪われる。もう夢中。行き交うタクシーさえもおもしろい」

●21
 「わたしが愛するのは目の前のいま、ここ、これ。タクシーの中の太ったご婦人」

  • 「(生に対する)愛」のテーマ。

●22~23
 「言いようもなく小さく干からびてしまったあの方には、病室に入るとき一瞬でもいい、元気になってほしいけれど、そのきっかけになりそうな本が見当たらない。入ってしまえば、いつもどおり、また女の病気について際限のないおしゃべりが始まるとしても、入室の一瞬、あの方が嬉しそうにいてくれたらどんなにいいか……」

●24
 「豌豆の蔓を這わせる棒みたいな細い体に、鳥の嘴のような鼻がついた変な顔」

●24
 「でも、この体、わたしがいままとっているこの肉体は、どんな能力があるにせよ無だ(足を止めてオランダ派の絵を見た)。完全な無に思える。クラリッサは、自分が透明になったような奇妙な感覚にとらわれた。見えず、知られず、もう結婚することもなく、子を生むこともない。ボンド通りの意外なほどの――でも、なんだか厳かな――行進に混じり、ついていくだけ。ダロウェイ夫人というこの感覚。もうクラリッサですらなく、リチャード・ダロウェイの妻というこの感覚」

  • 「クラリッサ」という登場人物/主体の存在様態の二分。彼女はここで初めて、「ダロウェイ夫人」=「リチャード・ダロウェイの妻」として名指される(そして、少なくともこの箇所ではそれは、「クラリッサ」とは異なる(分離された?)ものとして(「もうクラリッサですらなく」)示されている)。
  • この部分をそうして読んだ時にやはり連想せざるを得なかったのは、蓮實重彦の「発見」した『ボヴァリー夫人』の「テクスト的現実」、つまり、『ボヴァリー夫人』という作品のなかには「エンマ・ボヴァリー」という固有名詞がただの一度も[﹅6]書きこまれていない、という事実のことである(こちらは『「ボヴァリー夫人」論』をまだ読んでいないので、彼がその事実からどのような「意味」を引き出したのかは知らないのだが)。それと同じように、ことによると、『ダロウェイ夫人』のテクストにおいても、「クラリッサ」が「クラリッサ・ダロウェイ」として指示されることは一度もない、という事態が存在しているのではないか、という可能性を思わず考えてしまったのだが、しかしそれは勿論、この先のテクストを読んでみないとわからない。

●28
 「贅沢な夏の一日、ほとんど藍色に見える空の下でデルフィニウムカーネーションとオランダカイウの咲く一日が終わり、モスリン地のドレスを着た娘らがようやく繰り出して、スイートピーや薔薇を摘みはじめる夕方。六時と七時の間のひと時」
 → 14: 「クリケット場には走りまわる若者の一団。透き通るモスリン地の服を着た娘たちもいて、昨夜は踊り明かしたふうなのに、もう、ばかばかしいほど毛深い犬を連れ出し、駆けまわらせている」

●28~29
 「六時と七時の間のひと時。薔薇もカーネーションもアイリスもライラックも、すべての花が白に紫に赤に濃いオレンジに輝き、かすみはじめた花壇で花の一輪一輪が柔らかく、清らかに、自力で燃える一瞬。ヘリオトロープと待宵草の上を飛びまわる青白い蛾の隠れん坊を、わたしはどれほど愛したことだろう

  • 「(生に対する)愛」のテーマ。ここでは過去時。

●30
 「くたびれた外套を着て、茶色の靴をはき、榛[はしばみ]色の目に不安を浮かべている」

●34
 「この水曜の朝に歩道をせわしなく往来していたすべての人が骨と化し(……)」

  • 物語の現在時のより細かな指定(曜日の判明)。