2017/11/29, Wed.

 八時台のうちに一度覚醒したらしい。その時、睾丸が痛む鈍い感じがあった。痛みと言うか、よく使われる言い方だが、しくしくと泣くような、などと言ったほうが良いのかもしれない(ミシェル・レリスがその日記に、そうした睾丸の痛みについて書いていなかったかという漠然とした記憶の感触があったのだが、少々主題の種類は違ったものの、おそらく次の箇所がそれである。「わたしにはひとりの友人もおらず、もはや誰も愛してはいず、完全にひとりきりだと本当に言うことができる。言葉では言いえぬほどに退屈している。子供の頃によくあるように、泣きたいほどに退屈している。退屈が嵩じ、自分が空虚であるせいで、内臓が、睾丸が、すべての身体器官が身近に感じられる。これほど疲れ果てた感じさえなければと思う」(ミシェル・レリス/ジャン・ジャマン校注/千葉文夫訳『ミシェル・レリス日記1 1922-1944』みすず書房、2001年、176))。同時に不安が少々滲んで落着かないという心地があったのだが、こうした体験は今までにも時折り訪れたことがある。不安によって睾丸が痛むのか、睾丸が痛むから不安が生じるのかわからないが、神経症状の類というのはどうも寝起きに、あるいは寝ているあいだによく発現されるようだ。パニック障害が最も猛威を奮っていた時期は、午前四時や五時のまだ夜も明けない頃合いに突如として目覚め(当時は体調が極端に悪かったから、当然現在のように夜更かしなどはできなかったのだ)、覚醒と同時に猛烈な痛みのなかに放り込まれているということが折に触れてあった。どこが痛むかと言えば顔の側面で、耳が痛いのか歯が痛むのかそれすらも感じ分けられないような激しいものだった。まさしく骨をえぐられるような、あるいは顔の両側から(もしくはむしろ両側面の内側から)ぎりぎりと圧迫されるような鋭く深い痛みであり、痛みとして表れる神経症状のなかではあれが一番厳しいものだったと言える。
 この朝は、深呼吸をしているうちに睾丸の痛みは和らいで、例によってまた眠りに入って正式な起床は一時を過ぎた。
 (……)
 この記事を記している現在、既に一二月六日の午前二時を迎えている。と言うことは、日付上この二九日から一週間が経ってしまっているわけだが、二九日から一二月一日までの記事をまだ仕上げられていない。記述を速やかに現在の生活まで追いつけるために、あまり印象に残っていないことは割愛し、時間が経ってもそれなりに覚えていることのみを簡潔に記すことにする。そういうわけで、日中の生活の諸々は省き(夕刊を目にすると、一面に北朝鮮ICBMを発射したという報が出ていたのは記憶に残っている。午前三時一八分に発射したとかあったと思うが、その報を見るまでまったく情報に接しておらず、このように「大きな」出来事があってもそれを知らずに過ごしていたそれまでの数時間が不思議なように思われた)、夜半から聞いた音楽のことに移る。この日に聞いたのは、以下のものたちである。

  • Bill Evans Trio, "All of You (take 3)", "All of You (take 2)"
  • Fabian Almazan, "Alcanza Suite: Ⅶ. Pater Familias", "Alcanza Suite: Ⅷ. Este Lugar", "Alcanza Suite Ⅸ. Marea Alta"(『Alcanza』: #10-#12)
  • Erykah Badu, "20 Feet Tall", "Window Seat"(『New Amerykah: Part Two (Return of the Ankh)』: #1-#2)
  • Erroll Garner, "I'll Remember April", "Autumn Leaves"(『Concert By The Sea』: #1,#4)
  • James Levine, "The Entertainer"(『James Levine Plays Scott Joplin』: #9)

 Fabian Almazanの『Alcanza』を聞き終えたあとは、そのままライブラリを上に移行して、何となくErykah Baduを聞いてみるかという気持ちが起こった。このアルバムは相当以前に図書館で借りて以来、ただ一度ちょっと耳にしたのみで、やはりR&Bの類は性に合わないなと思ってこれまでずっと放置していたのだが、耳が熟した現在立ち戻ってみると、結構楽しんで聞けるものである。冒頭曲は、曲自体はやや単調に感じられたものの、多分ローズだろうか、キーボードの音色のみでわりと満足することができたし、この一曲目にはドラムがないからおそらく次でビートを利かせたやつが来るのだろうと思っていると、予想通り、締まったリズムの曲が続いて、これも気持ちの良いものだった。その後、さらに上へライブラリをスクロールしてErroll Garnerを聞いたわけだが、これも相当に久しぶりに耳にするもので、今まであまりきちんと吟味したことはない。"Autumn Leaves"は、単音のラインのなかには耳を惹かれる箇所が折々あったが、リズムと合わせたいわゆるキメの部分は大仰に過ぎるように感じられた。
 床に就いたのは三時四〇分である。よくあることだが、意識が一向にほぐれていかなかったようだ。脳内に湧いては消える言葉の群れが、明晰な形を保ったままだったのだ。態勢を変えつつ深呼吸を繰り返して眠りが近寄ってくるのを待つわけだが、眠れなくとも頭のなかの独り言を定かに捉えるのを良しとするようなところがあって、言葉の生まれるがままに任せていたところ、もうそろそろ良いかなと思った境があり、そこから段々と言語が融解し、混沌とした調子になってきた。寝付くまでには、おそらく一時間ほど掛かっていたのではないか。