2017/12/2, Sat.

 就床から三時間か四時間ほどの時点で一度覚め(この第一の目覚めは大抵軽いものなのだが、睡眠の短さのために身体を起こす気にならない)、そこから長々と眠って一二時四〇分に意識を取り戻し、時計の時間を認識した。しばらく布団のなかで深呼吸を繰り返しながら起き上がる気になるのを待った。ベッドに腰掛け、ヴァージニア・ウルフ土屋政雄訳『ダロウェイ夫人』を少々読み、身体が落着くとトイレに行った。戻ってくるとダウンジャケットを着込んで窓をひらき、瞑想を行った。結構集中した感があったのだが、目をひらいてみると一時五分から一六分までと、短めのものとなった。
 (……)チャーハンを熱し、即席の味噌汁を用意する。前夜の煮物もほんの少しだけ残っていたので合わせて卓に並べ、新聞を読みながら食事を取った。米国のメディア状況についての記事や、ティラーソン国務長官が年内にも辞任するらしいという見通しや、天皇の退位と即位が一九年五月一日案で定まったという話などを読んだ(正確な記事タイトルは、あとでその気が起こればここに追記しておくこと/追記: 七面から「メディア 米国のいま 広がる分断 中 興味満たす デマ番組 ユーチューブ 流布の温床」、「米国務長官 早期辞任か 大統領と食い違い 「120年で最短」観測」、「ローマ法王 ロヒンギャ難民と面会 バングラで 宗教超えた結束訴え」、一面から、「改元 19年5月1日 天皇陛下 4月30日退位 皇室会議 新元号 来年公表へ」)。情報を追うのには適当なところで区切りを付けて、台所に立つと乾燥機のなかの食器の山を慎重に崩して棚に収めて行き、自分の使った分を洗った。風呂も洗ってしまうと(上階に来て最初に束子を風呂場から運んでベランダに吊るしておいたが、その時は明るい陽射しが宙を漂っていた)、緑茶を用意して自室に帰り、ベッドに腰掛けてコンピューターを椅子の上に置いた。前日の記録を付けてこの日の記事も作ったあとは、日課の類に掛かる気が起こらず、ゴルフボールで足の裏を刺激しながらインターネットを閲覧して緩やかに過ごした。三時に至るとベランダの洗濯物を取りこみに行く。この頃には空気中に光はなく、肌に触れる感触も少々寒々としていた。烏が二、三羽で頻りに鳴き交わす声が響いており、ハンガーを取り上げながら視線を上げると、声を落としながら空を渡って行く一羽があって、それを視線で追いかけた。羽ばたきながら宙を横切って行くその向こうには、半端に水っぽい灰色の雲が多くこびりついており、アメーバ状に網目を成したその隙間に薄水色が覗く。室内に入ると取りこんだものを畳み、そうして下階に戻った。
 何となくギターを触りたい気分があったので、隣室に入り、アンプのスイッチを付け(アンプやケーブル類は先日来繋いだままで、すぐに遊べるようにしてあった)、気の向くままに音を鳴らした。するともう四時が近い。自室に戻って、『ダロウェイ夫人』がもう終わり間近なので読み終えてしまおうと、読書を始めた。四時半まで読んで読了である。終盤の一連のパーティの場面はかなり良いような感触を得た。まさに最終盤、ある青年(セプティマス)が自殺したことを聞かされてダロウェイ夫人が思いを巡らす部分や、再会したサリー・シートンとピーター・ウォルシュが夫人を待つあいだの会話(とそれぞれの思念)の流れなど、文を追っていて、ああ良いな、小説を読んでいるなというような印象を覚えたのだが、しかし何がどのように良く、何がどのように小説的なのかはわからない。読書後、この日のことを先に日記に記しはじめて、ここまで書いて五時である。
 上階に行く。(……)アイロン掛けを行った。すぐに済ませて室に帰って来ると、五時半前から新聞記事の書抜きを始めた。読むだけ読んだは良いけれど、気に掛かった部分を写していない新聞が何日分も、机の上に重ねたまま放置されていたのだ。二四日と二五日の分を仕舞えて六時、ちょっとインターネットを覗いてから、一一月二六日の記事を記しはじめた。テーブルには就かず、ボールを踏んで足の裏をぐりぐりやりながら気楽に進めて、八時に到達する前には仕上げた。いくらか検閲してブログに投稿しておくと、食事である。
 煮込みうどんを食べたいという気分にこの日もまたなっていた(三つセットの生麺が一食分、残っていた)。それで台所に立ち、しばらく作業を行って、玉ねぎにエノキダケ、葱に豆腐を具とした温かいうどんを拵えた。(……)テレビはNHKの『チョイス@病気になったとき』を流している。睡眠時無呼吸症候群についての回である。そちらにちらちらと目をやりつつも、同時に夕刊の記事も追い(この日はなぜか、テレビが点いていても気を散らされることなく文を読むことができた)、「フリン氏、偽証罪認める 露疑惑で訴追 捜査協力も表明」、「安保理 北の人権侵害 討議へ 日本人拉致も議論」と二つの記事を読んだ。六面には篠沢秀夫に対する追悼記事が出ており、さらにそちらも読んだ。「戦中だった子供時代、夢は少年飛行兵になることだった。だが戦後、周囲が英語一色となり、急な変化に反発。フランス文化の奥深さを知り、「日本再興のためフランス語を学び、ヨーロッパ精神の根本を知ろう」と決めた」という来し方の紹介に、やはり時代というものが感じられるように思った(特に、「日本再興のため[﹅7]フランス語を学び」の部分)。彼が訳したブランショの『謎のトマ』という小説は、かなり以前に一度図書館で借りたけれど、その時は端的にこちらのレベルが足りずに、読みはじめてすぐに挫折してしまった覚えがあるので、いずれまた読んでみたいとは思う。うどんの汁まですべて飲み干して満腹になると、食器を洗い、流し台に溜まっていた器具の類もいくらか片付けておき、それから緑茶を用意して一旦室に下りた。茶を二杯飲みながら、今度は二六日の新聞からエジプトのテロ関連の記事を写しておいた。事件を受けて大統領自ら国営テレビの放送で、「軍は、殉教者(犠牲者)のために報復を行い、治安を回復する」と述べたと言うのだが、「報復」という言葉を堂々と宣言するのはちょっと凄いのではないか、と思った(どういう意味での「凄い」なのかは、いまいち判然としないのだが)。
 新聞記事を写す二〇分ほどの時間で腹の内がいくらかこなれたので、入浴に行った。風呂を浴びているあいだは、大概思念が脳内でよく蠢いて、物思いをしている合間に身体が自動的に動いて洗体などを済ませているような具合なので、時々自分が頭を洗ったのだったかわからなくなることがある(実際に、最後まで洗髪を忘れていながらそれに気づかず、洗面所に上がったあとの髪の感触でどうも洗い忘れたらしいと知ったということも今までに何度かある)。この時も、髪を濡らしただけで、そのあとのシャンプーを使って洗い流すという工程を忘れそうになった。そんな風になりながら考えていたのは、一つには『ダロウェイ夫人』のことである。『灯台へ』の記述を援用するならば、クラリッサにとって「捧げ物」たる「パーティ」というのは、「生の瞬間の芸術作品化」というような意味合いを持っているのではないか、というのは二六日の記事に記した通りである。一方でクラリッサはたびたび、色々な場面で「生」への「愛」を表明してもいる(それと矛盾するように「愛と宗教」など大嫌いだと感情を高ぶらせている箇所もあるけれど)。この「生」への「愛」が、彼女の「パーティ」と何らかの形で結びついていることは確かだと思われるが、その点はまだ、テクストに即した[﹅8]明晰な理屈の道筋を作り上げることができていない。非常にわかりやすい印象論(つまり、テクストとの言語的な対応を調べていない手軽な「解釈」)として、クラリッサにとって「パーティ」とは、彼女の「生」への「愛」の表現/体現なのだと考えてみると、彼女がパーティを開くのは言わば「芸術的な」動機によるものだということになるのだが、クラリッサ自身の視点から見てそうだとしても、こうした見方には批判的な別の視点が作品内には用意されている。それは勿論、ピーター・ウォルシュの下す評価であり、彼からするとクラリッサがパーティを開くのは、夫であるリチャードの「役に立つ」ためか、あるいはそれを言い換えて「世俗的な成功」を求める心のため、要するに単なる「俗物根性」によるものだと見えている(ついでに指摘しておくならば、クラリッサの「親友」だったサリー・シートンも、彼女のことを「心の底では俗物」だと評している(三二九頁))。「芸術家」としてのクラリッサと、「俗物」としてのクラリッサと、二つの像がこの作品には同居しているわけだが、テクストは(この作品の言語を書きつけた生身のヴァージニア・ウルフ当人は、ではない)その様相として、このうちのどちらのほうに寄っているのか、どちらのほうを擁護しているのか? そうした問いを思わず発してしまうものだけれど、おそらくそれは決定できないようになっているのではないか。一つの事柄に対する見方が人々によって異なるという複数性の様相を、こちらはそのまま受け止めればそれで良いのではないか(それは我々が実際に生きているこの「現実」の、(ずっと昔は違ったのかもしれないがいまやほとんど)「常識的な」あり方である)。
 もう一つ思いを巡らせたことには、上のようにクラリッサにとっては手厳しい評価を下すピーターだけれど、クラリッサが備えている「生」の「瞬間」に対する「愛」と相応するようにして、彼のほうも「瞬間」への志向性を作中で露わにしているのだ(ただ、ピーターのほうはその点に関しては、確か一度も「愛」という言葉を用いてはいないはずで、これは重要な相違ではないかと思われる)。また、クラリッサの「パーティ」に対応するものとして、ピーターには「恋愛」というものがあるという風にも、(クラリッサの独白のなかで)描かれている。要するに、この二人はある部分では(もしくはある程度までは)「似た者同士」のはずなのだ(だからこそ二人は過去において惹かれ合ったのだ、と読んだり、「似た者同士」であるはずの二人が一緒になれなかった、という点に(大袈裟な言葉を使えば)「悲劇」を感じたりする、ということも可能なのかもしれない)。そこから類推するに、ピーターには、クラリッサのパーティに対する「芸術的な」動機を理解する余地があるのではないだろうか。彼がもしクラリッサの「思い」を仔細に聞いていたならば、それを理解することは十分に可能だっただろうと想像し(これは「言語」ではなくて「表象=物語内容」に付く態度、すなわち二次創作的な姿勢だ)、そこから照らして、現実にテクスト上に展開されている二人の「すれ違い」に少々切なさを感じたわけである。
 入浴のあいだには、言語的に展開してみるならば大方そのようなことを思い巡らせ、出てくるとちょうど一〇時頃、室に戻ってこの日の日記を書きだし、ここまで記すと現在は一一時半直前である。
 その後、何をするか立ち迷いながらも、Ernest Hemingway, The Old Man And The Seaを読みはじめた。既に終盤で、読んでいるうちに興が乗って、ここまで来たらやはりもう終幕を迎えてしまいたいなという気分になったので、一時間を費やして読了した(八七頁から九九頁まで)。この作品の物語は、悪くないものだったなと感じられ、なかなかの満足感があった(どこがどう悪くなかったのかは良くわからない)。邦訳を読んでみたいともちょっと思ったし(福田恆存訳の文庫本が兄の部屋にあったので、持ってきて時折り参照していたが、こちらとしては好きになれない日本語だったので、そのうちに見るのをやめてしまった)、原文でもいずれもう一度読み返しても良いなとも思われた。その後、一時を回った頃合いから前日の記事に掛かって、まだメモを取っていなかった後半の部分を記憶に頼って記してしまい、今しがたそれが終わったところである。現在は、二時二六分を迎えている。
 その後、歯磨きをしながら自分の最近の日記の記述を何とはなしに読み返してしまい、そうしているうちに三時半を過ぎたので、読書はせずに眠ることにした。三時四〇分から四時五分まで瞑想をして、消灯すると布団の内に入った。例によって頭は冴えており、脳内に言語が間断なく湧き上がっては渦巻き、それがちょっと気持ち悪いようですらあった。何と言うか、外界の知覚よりも頭のなかのその言語の蠢きのほうが認識の内で比重が高くなっており、外界を知覚するや否やその情報が即座に言語圏に回収される、あるいは、外界の手前に言語層が差し挟まっているというような感じがして、それがために現実感がやや稀薄だった。自分の身体感覚なども、自分自身から切り離されたもののように感じられ、例えば顔をちょっと動かした時に首もとがジャージの襟と触れ合う感覚とか、後頭部が枕と擦れ合うそれとか、そうした微細な知覚情報のいちいちが実に明晰に追われるのだけれど、それがしかし全体としては自分から分離されたもののように、あいだに少々距離が挟まっているように感覚される。こうした分裂的な精神状態、これをこちらは「離人感」という言葉で理解しているが、そうした状態に陥ることはわりあいにある。これがあまりに強く進みすぎると、何らかの精神疾患に分類される状態に至るのではないかと思い、そうするとやはりちょっと不安になったが、そうなったらそうなったでまたその状態を書き記すことができるなという拠り所のような思いもあった。こういう場合、「見る」という認識上の働きが非常に優勢になっていると感じられる。「見る」主体と、「見られる」主体が(仮想的/主観的に)分裂しているわけだが、そこにおいていつも「本体」として感じられるのは、「見る」側の主体の働きのほうである。主体というものの究極的な本質は、この「見る」動き、要するに「傍観」のそれとしてあるのではないかと思うこともたまにある。そうした話はともかくとして、寝床に伏していると次第に意識がほぐれてきたようで(と言うか、脳内の言語が明晰な形を取らないように、なるべく無秩序な「声」やイメージの連想へと意識がひらいていくように少々誘導したところがあったのだが)、入眠にひどく苦労した覚えはない。