2017/12/17, Sun.

 一二時四〇分起床。瞑想をして上階へ。(……)飯は何を食ったものか覚えていない。新聞からは、「平成時代 両陛下の道 中: 日本への視線 和らいだ」、「エルサレム首都 「命に代えても抵抗」 パレスチナ衝突 死者8人に」、「極右政党 連立政権入り オーストリア 第1党と合意」という三つの記事を読んだ(三つともすべてこの時に読んだわけではなかったかもしれないが)。食事を終えて皿を洗っている最中だったと思うが、電話が鳴ったので出ると、花屋だと言う。(……)(母方の祖父の姉妹のうちの末っ子。/こちらからすると大叔母に当たる。七一歳か二歳かそのくらいだと思う)からお届け物があって午前に訪問したが出なかったので、良ければこれから伺いたいが、とのことだった。こちらも父親もまだ寝ている時間だったのだろう。確かに、寝床にいるあいだにインターフォンが鳴るのを聞いた覚えがあった。記憶ではインターフォンは二回鳴ったものであり、そのうちのあとのほうの際には父親が起きていて、別の宅配便を受け取ったようである。その贈り物が卓上にあって、電話を終えたあとだったかそれともその前だったか、確認するとこれも(……)からのものだった。父親の誕生日ということで、いくつも贈ってきてくれたものらしい。花屋の申し出については了承し、どうもお手間を取らせてしまってすみませんと告げ、相手が失礼しますと引いていくのに合わせて、こちらも失礼しますと言って通話を終えた。
 その後風呂を洗い、一度自室に戻って日記の読み返しをした。二〇一六年一二月七日の分を一〇分で読むと二時に至ったので、洗濯物を取りこみに行った。ベランダのものをすべて室内にいれ、吊るすものは吊るし、タオルや肌着など畳むものは畳み、アイロンを掛けるものには掛けて始末を付ける。確かその途中で母親が帰ってきたのだと思う。花屋から電話があったということを伝えておき、洗濯物の処理を終えると室に帰った。三時直前だった。休日の気楽さに心が緩んだようで、ここから五時前まで遊んでいる。(……)
 五時近くになると夕食の支度をするために上階に行った。作るのは、巻繊汁の類である。台所に入り、里芋の皮を向いて切り分け、そのほか玉ねぎ、人参、牛蒡、椎茸なども細かくして揃えた。野菜を炒めはじめる冒頭、油を熱した鍋のなかに生のニンニクを刻んで放り込むと、途端に香り高い空気が立って鼻を快く刺激する。弱火でしばらく炒めて良いところで水を注ぐと、鍋つかみで両手を覆い、露芯式のストーブの上に運んでおいた。下から寄せられる熱によってじっくりと温められて、そのうちに勝手に煮えているというわけである。
 そうして下階に戻ると、五時半から前日の日記を記しはじめた。外出してコンサートを観覧したので当然書くことがたくさんあり、間を挟まず三時間を費やしたものの終わらない。身体がこごったのでベッドに寝転がって三〇分間読書をして(パク・ミンギュ/ヒョン・ジェフン、斎藤真理子訳『カステラ』)、そののち軽く運動もすると食事を取りに行った。(……)その後、入浴したと思う。食事のあいだから入浴中に掛けて、一連の思念が展開された。哲学という営みは概念(の形/組成)を更新/アップデート/改良/創造するものであり、小説(あるいは文学/もしくは芸術と言っても良いのかもしれない)はそれを具体的な形でこの世に存在させる(つまりは具現化する)ものなのではないかという思いつきが最初に(テレビに映し出されている韓国ドラマを見ているあいだに)あった(これ自体は特に目新しい考えではないと思うが、こちらは今までこのような「言い方」をしたことがなかった)。そこから、「具現化」のテーマを(「現実」の領域へと)敷衍させて、「生/瞬間の芸術作品化」という主題に接続し(二、三年前だろうか、New York Timesのインタビュー記事でコーネル・ウェストが(確かJohn Coltraneを引き合いに出して)述べていたものだが、人間存在自身が「希望になる[﹅3]」という考え方(「体現」のテーマ)を想起した)、さらには(芸術家が)「目撃者」(であること)、及び「目撃者の生産」という類のことにまで繋げて思い巡らせたが、その詳細をいま再構成することは面倒臭いので行わない。
 室に戻ると、一服しながらインターネットを覗いていたのだが、ここからまた凄まじく怠けることになった。(……)二時半に至ったので書き物はもう遅いなと翌日に回すことにして、寝床に仰向けになって読書をした。パク・ミンギュ/ヒョン・ジェフン、斎藤真理子訳『カステラ』を、この日は一八三頁から読みはじめて二一八頁まで進めた。四〇頁近くも読んだのは久しぶりのことで、最近は書き物もそうだが、怠惰のために読書の時間も全然取れていないというのが問題である。決して読み急ぐ心はないが、この本はさほどこちらの頭と心身を刺激するものではないので、黙々と通過してしまい、さっさとミシェル・フーコーあたりの文献を読まなければならないはずなのだ。
 三時四〇分で読書を切り上げ、三〇分間瞑想をして就床した。寝床での記憶は特にないので、すぐに寝付いたのだと思う。