2017/12/28, Thu.

 六時に起床。ベッドを離れて携帯電話のアラームを停めると、また布団に戻ってしまう。しかし二度寝をするわけではなく、瞑想に移る前に、暖かい布団のなかで身体をほぐしておきたかったのだ。したがって、膝を立て、腰を少々浮かせた姿勢で静止して、下腹部の筋肉がほぐれるのを待つ。ヨガに「橋のポーズ」というものがあるらしく、それをいい加減に真似たものである。ほかに、「コブラのポーズ」の真似事もしておいた。
 その後、六時半過ぎから瞑想を行った。一五分ほど座って上階へ。外出前の諸々の時間の記憶は脳裏に蘇ってこないので割愛し、出発時に記述を飛ばすと、家を発ったのがちょうど八時頃である。道に出てすぐに、冷気が昨日よりも強いようだな、と肌に感じ分けられた。しかし同時に、起床後すぐに身体を動かしておいたので、身中に熱が生まれているのが明確に知覚され、冷たさに耐える力も前日よりも備わっている。風が頭上にあり、弱い葉の鳴りが聞こえていた。
 例によって表道を行く。日蔭はやはり寒々しい。身体がよくほぐれていて、歩調は自然と速めになったようだ。この前二日間は歩いているうちに尿意が固まってくるのを感じて、公衆トイレに寄ったのだったが、この日はさほどそれが感じられなかった。駅前まで来たところで、胸を張って肩甲骨を寄せるようにしながら職場に向かう。
 勤務中、この日は目立った出来事があった。と言っても外界的なものでなく、こちらの内部における出来事に過ぎないのだが、久しぶりに突如として緊張が強まってくるということがあったのだ。発生したのは勤務を始めた序盤、おそらく一〇時になるかといったあたりだったように思う。(……)と向かい合って喋っていると、本当に突然、緊張感が高まってきて、そうなると落着いてゆっくりと喋っていることなどできないのでその後の発話もなおざりなものになってしまい、早めに切り上げて一旦その場を引き、自分の心中/身中の様子を観察した。まず、この時の自分の状態として明確に観察されたのは、分離感[﹅3]である。自分の心身が緊張に追いやられて[﹅6]いるのはまざまざと感じており、ことによるとそれがコントロールできなくなり/抑えきれなくなるのではないかという危惧もあったものの、我が身に生じている変事が対岸の火事めいていて、危機感が迫ってこなかったのだ。つまり、自分の身体が何か勝手に[﹅3]本来の状態から逸れているな、というような感じで、今回の出来事はパニック障害が盛っていた頃の症状の発生と感じとして似ていたとは思われるものの、危機感がないということ、緊張に伴って恐怖というものをほとんど覚えなかったということが、今までの精神症状と異なる重要なポイントだと思われる(これは、自己を相対化/対象化する能力の向上を意味しているのではないか)。ただ、そうは言っても、このまま発作のようになったら当然困るという判断もあり、財布のなかにただ一つのみ残っていたスルピリド錠を飲んだ(これで手持ちの薬剤はすべてなくなったわけだ。現在のところは、もう薬がなくても大方大丈夫だろう、どうにかなるだろうと思っているが、今回のような事態に備えて、頓服用に数錠は貰っておいても良いかもしれない)。これは不安を鎮めるのではなく、気分を持ち上げるタイプの薬だったはずだが、それが効いたのか否か、実際時間が経つにつれて、いくらか気分が上向き、口調なども微妙に明るくなっていたようだ。
 もう一つ、症状の目立った特徴として発見されたのは、座ると緊張が増し、立っていると比較的収まる、ということだった。体位の違いによって一体どのような要因が生じているのか、不思議なことだが、これは間違いなく観察された事実である。そういうわけで、立ったままに呼吸を深くして精神を落着かせるようにして、状態が改善されるのを待った。薬を飲んだこともあってか、回復は早く、(……)には平常に服していたと思う。
 今回の事態を招いた要因としては、やはり眠りの少なさがあったのだろうか、という気がしないこともない。しかし、ヨガの真似事をしたおかげで肉体はほぐれていたはずで、症状の発生していた前後も、意識が眠気によって濁っているということはなく、むしろかなり明晰なほうだったと思われる。頭が晴れているために時間の流れがゆっくりと感じられ、まだこんな時刻か、時間が過ぎるのが遅いなと思った覚えがあるのだ。以前にも記したと思うが、精神が明晰であるがゆえにかえって、不安や緊張を招き寄せるような余計な意味の断片をも明瞭に拾い上げてしまう、ということがあるのでは、という気もする。もう一つには、ヨガの真似事をしたことで肉体の状態が何らかの形で普段のそれから変容していたのではないか、ともちょっと考えられた。具体的にどうということは勿論わからないが、座位と立位によって緊張の度合いが変わるというのは、何かそのあたりが関係していたような気がしないこともない。
 また、この時自分が何に対して不安を覚えていたのか、ということを考えるに、それはやはり、他人とのコミュニケーションなのではないかと思う。座位と立位の差異も、こちらの肉体内部の要因を措いて、相手との位置関係の面から捉えてみると、椅子に座った状態では相手と同じ目線の高さで正面から向かい合って顔を合わせることになる一方、立っていれば、座っている相手をやや見下ろす感じになり、相手がこちらをまともに見上げてこなければその表情も見づらく、視線が合うことも少なくなる。そのような形で、立位においては少々相手との距離が生まれることになるのではないか。
 それでは他人とのコミュニケーションの何が怖いのかと言ってそれも良くわからないが、やはりそこにおいて生じる齟齬ではないかというのが、ひとまずの仮説である。この点自分は、対人恐怖的な(あくまで「的な」に留まるわけだが)性向を備えており、ある程度の大きさを持った「衝突」ばかりか、微細な「齟齬」すらもまったくないユートピア的な(ロラン・バルトが、『いかにしてともに生きるか』でそのようなユートピア的な共同体の可能性を探っていなかったか。あるいは、「可能性を探っていた」というよりはむしろ、「フィクショナルなものとして夢想していた」とでも言ったほうが正確なのかもしれないが)人間関係を求めている、という向きがあるのではないか。こうした精神の傾向がこちらにあると仮定してみて、しかしそれは、ある種「幼児的」で、「甘えた」ものだと言うこともできるかもしれない。なぜなら、言うまでもなく、意味/力の作用のやりとりとそこにおいて生じる齟齬こそがこの世の常態なのであり、まったく齟齬の生まれない関係など現実にはまず存在せず、そうしたものを求めるというのは、おそらく、自分を少しも傷つけてほしくない、という願いに平たく翻訳できるとも思われるからである。
 今回の出来事についての解釈を整理するのはひとまずここまでとしておき、次の事柄に移ると、帰りは電車に乗った。座席に就き、手帳に記憶をメモしようかとも思ったが、やはり疲れていたので目を閉じて到着を待つ。(……)で降り、階段を抜けて通りを渡る。坂に入ると、女性と横に並ぶ形になり、ちょうど歩調が噛み合ってしまい、互いに先に行こうとしながら決定的に抜かすことができず位置関係がほとんど変わらない、というような気配があった。しかしそのうちにこちらが譲って、落葉を踏み鳴らしながら歩幅を小さくして、その隙に女性が先に下りて行く。並ぶ者がなくなると何となくこちらも緩やかな気分になって、あたりに目を送りながら行っていると、右手のガードレールの向こう、下方に沢の流れる木の間の宙に、虫が光のなかで溜まって上下に浮遊し、群れの形を撓ませているのを見かけた。道の脇の木の緑葉の各々に白さが集中し、先を行って出口に掛かった女性の背に、薄い木洩れ陽が断続的に現れてするすると流れて行く。 
 平たい道に出て自宅に向かいながら空を見るに、明度の高い水色の満ち満ちて雲はなく、明晰、明瞭、澄み渡った、などと形容語をいくつか頭のなかで回した先に、澄明、という一語に行き当たり、それが自分の感覚と適合したものと思われて、そうだ、澄明というのはまさしくこのことだな、と決定した。いびつな形の真昼の月が、南側にうっすらと現れ出ていた。
 帰宅すると服を着替えて、また身体を少々動かしてから食事へ行った。食後は、前日よりはましだったがやはり眠気があって、椅子に就いたまま立ち上がれず、その場でじっと瞑目してしまう。ちょっと微睡んだあと、食器を片付けて風呂を洗い、自室に帰った。
 インターネットをしばらく回ってから、ギターを弾いたはずである。その後、五時前からミシェル・フーコーほか/田村俶・雲和子訳『自己のテクノロジー――フーコー・セミナーの記録』を読み出した。もう終盤に掛かっていたので、日記などに取り掛かる前にこの本を読み終えてしまいたいと思ったのだったが、ベッドに転がって読んでいたのが間違いで、あえなく眠気にやられることになった。覚めると、布団を掛けていなかったので身体が大層冷えていた。それで布団を被って温まりながら読み進めようとしたところが、七時に至ったあたりでふたたび意識を落とされ、八時まで眠る体たらくである。
 夕食を取りに行き、入浴も済ませて室に帰ってくると、一〇時半過ぎから最近の新聞記事を写しはじめた。パレスチナの状況やカタルーニャ州議会選の結果を記録しておき、さらにそのまま、ミシェル・フーコー中山元訳『真理とディスクール パレーシア講義』の書抜きも少々行った。そうして一一時二〇分、(……)から来ていたメールに返信しようと文を作りはじめる。彼のブログを覗いて見かけた記述に触発されて、最近こちらが思い巡らせていたことをちょっと述べるつもりが、例によって書いているうちに長々となってしまい、結局気づけば二時間ほど費やしていた。以下がその返信文である。

 (……)返信をありがとうございます。「哲学」が「生きている」と感じられるような具体的な現場に触れられていることを、とても羨ましく思います。

 今しがた、ブログのほうをちょっと覗かせていただきましたが、なかに、「哲学に共通点などがあるとすれば、それは、問い直してはならないことなど何もないことである」という一節がありました。これはこちらにおいても同意される考え方です。「哲学」とは、気づかないうちに我々を取り囲み、外部から規定している「制度」や「常識」、そういったものに視線を向け、真っ向から対象化して吟味し、それに本当に確かな根拠があるのか、自分自身としてそれに本当に賛同することができるのかと精査する営みのことではないでしょうか。

 このようなことは最近、自分には今までよりも心身に迫って、実感として感じられるものです。一例としては、時間に対する感覚の変化があります。自分には、いつも出来る限り落着いた心持ちで、穏やかに自足して一瞬一瞬の生を送りたいという、おそらく根源的なとも言うべき欲望があります。そこにおいて、「時間がない」という焦りはまったく煩わしく、精神の平静を欠くものであり、何とかして自分の内からこのような感じ方を追い払いたいと前々から願っていました。そのようなことを日々考えるにしたがって、そのうちに自分は、そもそも時間が「ある」とか「ない」とかいう捉え方が間違っているのではないか、それはこちらの感覚にそぐわないものなのではないかと直感的に思うようになりました。我々が非常に深く慣れ親しんでいる何時何分とか、三〇分間とかいうような時間は、数値という抽象概念を外部から当て嵌めて世界の生成の動向を(恣意的に)区分けしたものに過ぎず、自分がその瞬間に感じている感覚とはほとんど何の関係もないと思われるからです。それは実につるつるとして襞のない、(ありがちな比喩ですが)言わば「死んだ」時間であり、こちらはそれよりも、自分がその都度具体的に知覚・認識している個々の時間を優先して捉えるようになり、その結果、最近では「時間がない」と感じて焦る、ということはほとんどなくなったようです。つまりは、例えばこの文章を記している「現在」は西暦二〇一七年一二月二八日の午後一一時五六分ですが、この瞬間がその時刻であることには、根本的にはまったく何の根拠もないはずだ、ということです(このことをさらに別の言い方で表すと、「未来」などというものは純粋な観念でしかないということが、自分のなかでますます腑に落ちてきている、ということではないでしょうか)。

 こうした事柄は、多少なりとも抽象的な思考をする人間だったらわりあいに皆、考えるものではないかと推測しますが、それを繰り返し思考することで、自分の「体感」がまさしく変わってくるというのが大きなことではないかと思います(驚くべきことに、「思考」には「心身」を変容させる力があるのです)。このようにしてこちらは、大いなるフィクションとも言うべき「時刻」の観念を相対化し、半ば解体することになったわけですが、勿論だからと言って、例えば約束事の時間をまったく気にせず無闇に遅刻して行くということはありませんし、労働にもきちんと間に合うように真面目に出勤しています。社会的な共通観念である「時刻」というものが所詮は「フィクション」でしかないということを理解しながら、それに従うことを自覚的に/意志的に選択しているわけです。この、選択できるようになった、という点が重要なのではないでしょうか。「時刻」を所与のものとして受け入れ、それに疑問を抱かない状態においては、時間を守るかどうかに選択の余地はなく、それに規定されるまま、囚われの身になってしまっているはずです。したがってここにおいて、非常に微々たるものではありますが、こちらの個人的な認識及び生活選択の領野のうちに、物事の相対化による「解放」と「自由」が生まれているのではないかと思います。

 「哲学」とはこのように、相対化と解体の動勢を必然的にはらむものだとこちらは考えます。しかし、そればかりでは純然たる相対主義に陥ってしまい、我々は何事も判断できず、極論すれば何も行動できなくなってしまうはずです。したがって我々は、物事の吟味による相対化と解体を通過しながら、そこから新たに、自分にとってより納得の行く根拠を見つけ、世界の捉え方を自ら「作り出して」いかなければならない。これもまた手垢にまみれた比喩になってしまいますが、このような解体/破壊と建設/構築のあいだを(日々に、あるいは、ほとんど瞬間ごとに、とこちらとしては言いたいものです)往来するその運動[﹅2]こそが、「哲学」と呼ばれる営みを表しているのではないかと自分は考えました。「哲学」とは、凄まじく動的[﹅2]なものであるはずです。

 言うまでもなく、こうした精神の運動は、人生行路の道行きのなかで程度の差はあっても誰もが体験することだと思いますが、武器として活用される言語及び意味と概念に対する感覚を磨き、高度に優れた水準でそれが行われる時、「哲学」と呼ばれるのでしょう。このようなことを考えてきた時に、自分の念頭に浮かんでくる事柄がもう一つあります。哲学は「役に立つ」のかどうか、という非常に一般的な話題が時折り語られることがあると思いますが、こちらとしては、「哲学」とは「役に立つ」云々などという穏当無害なものではなく、場合によっては「危険な」ものですらあり得るのではないかと感じられるわけです。この営みを続けるうちに、共同体の「本流」となっている考え方から次第に逸れていくということは避けがたい事態でしょうが、そこにおいて方向を少々誤れば、人々との関係に齟齬を生む独善に陥り、極端な場合には狂信者や悪辣なテロリストのような人間を生み出しかねないとも思われるからです。だから我々は、自分にとって「確か」だと思われる事柄を探し求めつつ、しかし同時に、その自己が痩せ細った狭量さのなかに籠もらないように、常に外部から多くの物事を取りこんで自分自身を広く、かつ深く拡張していくことを心掛けなければならないのではないでしょうか。

 (最近、このようなことに思いを巡らせながらこちらは、前回お会いした時に(……)が話してくれたRichard Bernstein教授(でしたよね、確か?)の発言を思い出していました。朧気な記憶ではありますが、確かそこで(……)は、哲学とは何なのでしょうと教授に尋ねたところ、物事が本当に確かなのかどうか、繰り返し考え直す[﹅8]、ということだと明快な返答を受けたというエピソードを話してくれたと思います。自分としては、教授のこの短い発言を、上に述べてきたような事柄として敷衍して解釈したいと思うものです)

 書いているうちに、返信としてまた長いものになってしまい、いつもながら恐縮です。日記のほうもじきに読ませていただきます。こちらのブログ、「雨のよく降るこの星で(仮)」(http://diary20161111.hatenablog.com)も、最近は生活の詳細を載せる方式に戻したので、もし興味が生じたら読んでみてください。

 その後はふたたびフーコー・セミナーの記録を読んで、最後まで至ったところで二時四五分、瞑想をして三時に就床した。